【目次】
1. 晴れ舞台を前に、母より:光己さん視点の挙式直前
2. 自分のものには名前を書きましょう:プロヒ勝己の独占欲
3. 初めから理性などなかった:プロヒ×兼業プロヒ 無自覚煽りのデク先生
4. 四十路:熟年勝デク、ある夜のバー
晴れ舞台を前に、母より
~光己さん視点の挙式直前~
私が紋付の着物に袖を通すのは三度目だ。
一度目がお義父さんの葬儀、二度目はお義母さんの葬儀だった。
紋付の着物はお義母さんから頂いたもので、勝さんのおばあさんの代から大切に着ていたと聞く。
お義母さんの葬儀が終わって喪服をしまうとき、受け継いだ形ある物と、形のないものを強烈に意識した。
頂いた紋付の着物は二つあって、たとう紙に包まれた二つの着物を並べる。
「黒紋付の着物は一度も出してないね」
二つのうち、一つが葬儀に着た喪服で、もう一つが黒紋付。
黒紋付を着るのは、めでたい席だけだ。
入学式や卒業式に着てもいいのだけど、やんちゃできかん坊の男児を持つ母が、和服で参加するのは難しい。
一番ふさわしいのは結婚式で、しかし、勝己が誰かと一緒に人生を歩む姿を想像できなかった。
勝さんが私の肩に手を置き、そっとティッシュを差し出す。
それで自分が泣いているのだと気づいた。
勝さんそっくりで優しいお義母さんの死を実感したのか、受け継いだものを後世に渡すことができない可能性に気づいて悲しかったのか、涙の理由を自分でも説明できない。
「大丈夫だよ、きっと大丈夫」
勝さんは涙の理由を聞かない。いつもそうだった。
根拠も自信もないくせに、私の涙を止めるため一生懸命になってくれる。
不器用で優しいこの人が大好きだ。この人と授かった一人息子を愛している。
勝己は強いから、ひとりで生きていける。だから私が受け継いだものを継いでもらうことはできないかもしれない。
あの子が幸福ならそれでいい。
あの子が選んだ道を信じ、最善であるよう祈り続けるだけだ。
そんなふうに思っていたんだけどね。
三度目に袖を通した紋付の着物は、めでたい日に着る黒紋付。
今日はあの子の結婚式だ。
親のメイクや着付けも式場でできると勝己が言うので、甘えた。
親の準備のことまで考えてくれるなんて、我が子ながら細かいところまできっちりしている。
隣の控室から、引子さんと勝さんの話し声が聞こえていた。私の準備は、もうすぐ終わる。
ここを出たら、新郎の母親としての役割を果たす。
だから、勝己と幼馴染の出久くんのことを、ぼんやり考えられる時間はもう少しだけだ。
出久くんに対する勝己の想いを知ったのは、あの子が瀕死の重傷を負って入院したときだ。
「最終決戦」と呼ばれるその戦いは、裏社会を牛耳っていたAFOの脅威から世界を守る戦いだったと聞く。
私は、我が子がそんな大きな事件に関係していることを知らなかった。
いや、小さな事件でも大きな事件でも最初に考えるのは、あの子が元気にやってるかって、それだけだ。
テレビの向こうで活躍するあの子を「さすが爆豪さんのお子さんね」とやっかみ半分で言ってくる同級生の親と距離を置き、ただあの子の無事を願った。
心臓が止まったときも、私は勝己を信じていた。それは祈りだった。
病院で目覚めた勝己が「右手を残す」と言ったとき、あなたの想いに応えてやれる親になりたいと思った。でも、親ができることなんてもうほとんどない。
勝己は「あいつは持ってすらいなかった」とつぶやいた。
「あいつ」は出久くんのことだ。
勝己の心のまんなかには出久がいるんだってわかった。
それから年月が過ぎ、勝己はプロヒーローとして独立した。
勝己は相変わらずだけど、定期的に連絡をくれるようになった。
電話口で「忙しいんだろ、こっちはこっちでやるからあんたも頑張んな」と伝えれば、
「うっせーババァ、連絡する時間くれぇ作れんだよ」なんて、憎らしくてかわいい返事がきた。
ある日、勝己は神妙な口調で「会わせたい奴がいる」といった。
出久くんの顔が浮かんだ。それは確信だった。
だって勝己、死にかけても目覚めすぐ出久くんを探したんだもん。
勝己の心の柔らかい場所には昔も今も、出久くんがいる。
なんだかそれがとってもあの子らしくて、嬉しかった。
案の定、勝己が連れてきたのは出久くんだ。
がちがちに緊張してた出久くん、可愛かったなあ。
勝さんがうちの実家へ来たときみたいだった。
たどたどしく、でも、しっかりと結婚の意思を示した息子たちに反対する理由なんてあるはずない。
「勝己、あんたは一人で生きてくんだと思ってた。ありがとう出久くん、勝己と一緒にいてくれて、本当にありがとう」
私は勝己に知ってほしかった。
誰かと寄り添う愛しさを、喪う切なさを、思い出の喜びを。
私が受け継いだ大切なものは、勝己のなかでとっくに芽吹いていた。
それまで私の隣で息子たちを穏やかに見つめていた勝さんが口を開く。
「勝己くん、出久くんを幸せにしなさい。君ができる精一杯で出久くんと向き合いなさい。二人で幸せになりなさい」
私は勝さんを愛してる。この人と一緒になって、勝己の母親になれて、本当によかったと、涙がにじんだ。
式場控室の扉を開くと、引子さんが「まあ」と感嘆する。
「引子さん勝さん! 待たせてごめん!」
「光己さん素敵! すごく似合ってる」
「ありがとう! 引子さんもとても素敵」
勝さんは、ぽかんと口を開け、頬がほんわり朱に染めた。
「光己さん、君は本当に、きれいだ」
息子の結婚式なのに、引子さんの前なのに、まっすぐな想いを伝えてくれる。
勝さんの想いの強さは勝己にしっかり遺伝している。あの子の中身は勝さんにそっくりだ。
「何言ってんのよ! 今日の主役は出久くんと勝己でしょ!」
私は照れ隠しに、勝さんの背中をバシンと叩く。
たたらを踏む勝さんと腕を組み、本日の主役たちを送り出す準備をする。
「さあ、晴れ舞台に向かいましょうか」
羽ばたいた子どもたちに、親できることは少ない。
ただあなたを信じて、あなたとあなたの大切な人の幸福を願って、祈り続ける。
自分のものには名前を書きましょう
~プロヒ勝己の独占欲~
借り物の雄英ジャージの内側に「爆豪」の記名を見つけた。
ジャージは恋人の私物で、今は出久の寝間着だ。
「名前ちゃんと書いていたんだね」
思ったことが口をつくと、眉を顰めた勝己が「書かなきゃまぎれるだろ」と反論する。
寮生活の高校時代、洗濯は各自行っていたが、洗濯機から取りだすのが遅いといった理由で、外に出されることがあった。
生活習慣のきっちりしてた勝己が名前を書くのは必然だが、プロヒーローの勝己とのギャップに出久は笑ってしまう。
「サイン書くの、あんな嫌がるのに」
「俺の名前は安くねー」
「そっか」
翌日、大・爆・殺・神ダイナマイトがビルの大看板にラクガキしたという話題が世間を騒がせた。
ラクガキされたのは、フレッシャーズスーツの大看板。
出演しているのは、ヒーローデク。
デクの頬にでかでかとした文字で「大・爆・殺・神ダイナマイト」と書かれた。
ふたりが婚姻届を提出した日の出来事だ。
初めから理性などなかった
~プロヒ×兼業プロヒ 無自覚煽りのデク先生~
冬の夜は長い。十八時半、助手席の窓に映る街は紺色の帳をおろしていた。
「送ってもらってごめんね」
ハンドルを握るかっちゃんの横顔が青白く発光する。肌も髪も色素のうすい彼は、暗い場所で目をひく。夜でも昼でも、たとえ世界のどこにいても注目をあつめる人。それが僕の恋人だ。
恋人。
その関係性はまだしっくりこない先月から付き合い始めた僕らは、幼馴染期間が交際期間の百倍以上だから。
「そうでもしねーと、会う時間ねぇし」
「たしかに今月もあわただしかったもんなあ。君も忙しい中、今月三回も講師に来てくれてありがとう」
「なるべく増やした」
「特別講師を?」
「ん」
「なんで?」
「それを言わせるんか」
僕らが付き合いはじめたのは先月。
今月かっちゃんが講師に来てくれたのは三回。
僕らが今月会えたのも三回。
多忙な中で始まった交際だから、時間を作る努力をしないと会えない。
「もしかして会いに来てくれたの?」
「うぬぼれんな」
そう言うものの、たぶん正解だ。
かっちゃんはこう見えて律儀だし、懐にいれた人間を大切にする。
ああ、好きだなあ。
性格も言動も個性も派手で荒々しい君だけど、情に厚く、小さなつながりを大切にする。この前もエッジショットの誕プレ選んでたし。誕生日は一か月以上も先だぞ。
僕はかつて、かっちゃんのきらきらしたところばかり見ていたから、静かで深い一面を知るたびに胸がきゅんと苦しくなる。
今もそう。
苦しくて、頬は熱い。君にバレないよう、顔を車窓に向ける。暗い窓に唇をかみしめる僕のブサイクな顔が映った。
窓の外はすっかり夜が深い。
紺色のキャンバスに街の灯りや車のライトが流れ、幻想的な気分になる。
車が信号待ちで止まった。夜の香りに惑わされた僕は、君の温度を感じたくてたまらない。
「ねえかっちゃん、変なことお願いしてもいい」
「ンだよ」
「手をつないでもいいかな」
運転中、君は両手でハンドルを握る。だから信号待ちでお願いした。
「ん」
センターコンソールに乗せた右手に君の左手が重なる。僕のよりちょっぴり大きい手は、皮が厚くてすべすべだ。
指をからめると、関節の凹凸がぶつかってコリコリする。
「かっちゃんの手、いつもあったかいねえ」
「厚着してっから」
「個性を最大限活かす努力を惜しまない君が好きだよ」
からめた指を握っては閉じる。熱がじんわり伝わり、同じ温度に近づく。
「そこはフツーに『好き』でいいんじゃねぇの」
「そうなのかな、まだ『フツーの好き』は照れるから、無理かもしれない」
「そういうとこが最高におまえって感じ」
「僕おかしなこと言った?」
「別に。無自覚怖えなって話」
「よくわからないけどごめん」
またやってしまった。
僕は「恋人になった君」との距離感をうまくつかめずにいて、だからときどき変なことを口走ってしまう。
会話を軌道修正しようと試みる。
「かっちゃん明日は仕事何時から?」
「七時」
「午前?」
「ん」
朝から出勤ということは、今日はうちに寄らないだろう。前回もそうだった。
送り届けてもらって終わりだ。
信号が青に変わり、かっちゃんの手が離れる。暖房のきいた車内なのに、指の隙間がすーすーした。
涼しい顔でハンドルを握る君がちょっと憎い。
「おまえは?」
「明日の仕事? 昼からチームアップのミーティング」
「誰と?」
「ウラビティ」
「ふーん、おまえら相変わらず仲いいのな」
車内には古いロックが流れている。ベストジーニストが好きなバンドだ。
かっちゃんと僕の周りにはたくさんの大切な人がいる。その中で誰が一番とか、順列をつけることはできない。
でも、今だけ僕を見てほしい、この一瞬だけでいいから。そう思うのは贅沢だろうか。
二つ目の信号が近づく。この信号を曲がったら、すぐに僕のマンションだ。
信号は僕らが先頭のとき黄色に変わる。かっちゃんはブレーキを踏んだ。
「ん」と、センターコンソールに左手が乗る。右手を重ねると思わぬ力で握りこまれた。そんなふうにしないでよ。そんなことされたら、いっそう離れがたくなるじゃないか。
「ねえかっちゃん、また変なこと言ってもいい?」
「聞くだけ聞いてやる」
「キスしたい」
「は?」
「ごめん、やっぱり忘れて」
かっちゃんは周囲をうかがう。次の瞬間、カチャリと音がした。運転席のシートベルトが巻き取られて外れる。
「え」とこぼれた驚きはかっちゃんの唇に飲みこまれた。唇はまばたきのうちに離れ、運転手はシートベルトを締めなおす。
「してぇっつうなら協力しろよ」
「まさか本当にしてくれると思わなくて……動揺した」
「チッ」
あとから羞恥がやってきた。なんてことをお願いしてしまったんだという、後悔の羞恥だ。
ああやってしまった。きっとかっちゃんも呆れてる。僕の独占欲のようなものが彼に無理をさせてしまった。
「またくだねんねーこと考えてんな」
「考えてないよ」
かっちゃんは溜息をついて、ハンドルを切った。
「あれ? そっちはパーキングだよ。うち寄ってくの?」
「わりぃかよ」
「もちろんいいけど」
「ンな顔で帰せっか」
「本当になんでもないのに。でもありがとう、もうすこし一緒にいたかったから嬉しいよ」
コインパーキングに停車する。僕のマンションには来客用の駐車場がないので、かっちゃんがはいつもそこに停める。いつもと言っても、恋人としてのかっちゃんがうちに来るのはまだ二回目なんだけど。
沈んでいた気持ちが浮き上がり、高揚と動揺が半分ずつの指先が震えた。たどたどしい手つきで部屋のカギを出す。
「そういえばおいしい抹茶をもらったんだ。飯田君が京都に行ったの知ってる? いいよねえ、冬の京都。お土産をたくさんもらって、ひとりじゃ消費できないよ。かっちゃん抹茶たてられる?」
動揺すると多弁になるのが僕だ。かっちゃんはそんな僕の癖を知ってるから、慣れた様子で「茶道具ねぇだろ」と答える。
ふたりで部屋に入り、僕が革靴を脱いでいるあいだに背後でカギがしまる。
腕を勢いよく引かれた。
「うわ!」
脱いだ革靴がぶつかって逆さまになる。靴下ごしにひんやりとしたコンクリートの感触。背中はマンションの重いドアにぶつかった。
かっちゃんは目の前にいて、影が重なるほど近い。その距離がゼロになったとき、僕の呼吸は塞がれた。僕の追いつけない性急さで唇をむさぼられる。
嵐のようなキスの合間に「なに」と「どうして」をくりかえす。声は次第に出なくなった。荒く短い吐息が音声のすべてになったとき、ようやく解放される。
「クソが……っさんざん煽り散らかしやがって」
「う、あ、なに」
「覚悟できてんだろうな」
腰を強く抱かれると、硬いものが下腹をこする。赤い瞳は燃えていた。水をかけてもすぐに蒸発してしまうほどの激しい炎だ。薪をくべたのは僕だと言う。
「だってかっちゃん、明日仕事は?」
「七時、だからあと十二時間ある」
僕も長い夜を望んでたから嬉しい。
気持ちが自然と表情に乗って、やんわり口角が上がる。
「ずいぶんヨユーだなぁ?」
僕の表情とかっちゃんの表情は反比例する。
こめかみがひくつき、うっすら青筋が立った。
やばい、かっちゃんがキレてる。性的にキレている。いったい何が起こったんだ?
なんだかよくわからないまま、僕は冬の夜の長さを身をもって感じることになった。
四十路
~熟年勝デク ある夜のバー~
深夜のバーはふたりきりだった。
乾杯はしない。飲むのは一杯きり。ふたりの約束だ。
約束はヒーローという生き方のせいにしたが、本当は一線を引くためだ。したたかに酔った自分たちがどうなるのか、知らないほうがいい。
出久は左隣の勝己に視線をやる。
「今年の年賀状見た?」
「いつの話をしとんだ」
勝己の眉間には皺が寄っていた。しかし本人は無表情のつもりなのだ。
険しい顔がデフォルトの勝己は、眉間の年輪が顔の一部になった。
ふたりして四十路を越えたのだから、多少の変化はある。
「だってこうやってお酒飲むの半年ぶりじゃん」
「次の日、酒が抜けねぇから」
「奇遇だね僕もだよ 聞いてたほど体力の衰えは感じないんだけど、お酒と疲れが翌日まで抜けない」
「見た」
「ん?年賀状?」
「ああ」
「みんなのお子さんが大きくなってるの見るとさ、ああ年取ったな〜って感じるよね」
友人の多くが結婚した。親は還暦を迎えた。
もう誰も勝己と出久に「いい相手いないの?」と聞かない。
「そンで次は?持病の話すんのか?」
「いやいやまだそこまでじゃないけど!でも肩こりは酷くてね」
「湿布貼っとけ湿布」
「かっちゃんも湿布とか貼るんだ。ダイナマイトから湿布の匂いするの解釈違いだ」
「俺ぁ実用性重視だ」
くだらない話で笑ってだらだらと時間を過ごす。かけがえのない時間だった。この先も君とこんな時間を過ごしたい。出久は強烈に意識した。
「あのさかっちゃん、そろそろ腹をくくろうかと思うのですが」
「何がだ」
「君と一緒に生きていきたいなって」
「返事がノロマすぎて俺じゃなきゃ忘れてっけど」
「君だから言ってるんだよ」
高校生の頃、勝己に告白された。「この先も一緒に生きてくか?」と聞かれた。
そのときの出久は、数年後の未来すら想像できなくて、自分に自信がなくて、勝己の一世一代の告白を断った。
しかし勝己は誠実だった。そのあとから今までずっと誰とも付き合わなかった。熱愛報道が出たときは一番に出久へ「誤報」だと報告した。
「俺をフッた挙句、こんだけふりまわした罪が許されると思うか?」
「告白してくれたのなんて四半世紀も前の話じゃないか。時効にしてよ」
「おまえの残りの人生全部で償うなら許してやらんこともない」
勝己は穏やかに笑った。
目尻の笑い皺が、これから刻まれる新しい年輪になるといい。























ノイさんお久しぶりです。新刊も楽しみにしております。