Attention!
・夢主ネームレス
・何でも許せる方向け
・読む前読んだ後からの誹謗中傷は一切受け付けません
「──松田くん、今年のエイプリルフールはもう終わっているよ?」
好きな人に告白されて第一声がこれなんて、我ながらどうかしている。
でも、仕方ない。なにせ、相手は自身の親友の姉に片想いしていると噂の松田くんだから。
****
私と松田くんの出逢いは遡ると実は長かったりする。別に家がお隣さんや近所とかではないが、かれこれ小学校一年生から高校三年生までずっと同じクラスなのだ。
席替えで何度か隣になった事や委員会が同じだった事もあったけど、松田くんが私を認識しているかは知らない。
だって、彼は長年親友の萩原くんのお姉さんを好きだから。
同じクラスが長ければそれだけ意識しなくても入ってくる情報は多い。松田くんが隣の席だった時に何度か聞いた「千速は俺の嫁」という言葉。萩原くんは笑って流すけど、聞く度に私はなんて不毛な恋をしてるんだと一人傷付く。
薄々と言うか、好きな人を隠してない松田くんだ。好きになんかならないと思えば、思うだけ意識してしまうのかドツボにハマってしまう。
だから、私が松田くんを好きになったきっかけなんて凄く単純。ちょっと階段で悪ふざけをしていた男子にぶつかって落ちそうになったのを、抱き留めて貰っただけ。近くにいた萩原くんが松田くんを冷やかしていたのに、吊り橋効果なのか真っ逆さま。
それで十年以上片想いして、ちょっとでも……なんて警視庁に近いカフェに就職。
目論見は成功したけど、大人になっても松田くんは萩原くんと揃ってくると口説き方やら恋バナばかり。聞かないフリをしていても……。
「──絶対嫁にするって決めてるんだけど、いまいち手応えねぇんだよな」
「押して駄目なら引いてみたら?ほら、焦りこそは最大のトラップって我らが首席様はじんぺーちゃんに教わったって言ってたし」
「アイツ何話してんだよ……つか、それなら学生時代に試したっつーの」
「えっ!?いつ?俺知らないんだけど」
「別に……つか、過去より今だろ。おら、休憩短いんだからキリキリ案出せよな」
なんて、会話はいつも聞き耳を立ててしまう。駄目だと分かっていても、松田くんの声だけはどんなにお店が賑やかでも聞こえるから……なんて言い訳を内心でしつつ。罪悪感が積もり切る頃合いで、言い訳になるピッチャーを片手に二人が座る席へ近付く。
「相変わらず楽しそうだね?」
「あ、やっぱ今日シフトだったんだ」
「んな訳ねぇよ」
「こらっじんぺーちゃん!上手くいかないからって八つ当たりしちゃ駄目でしょ〜が」
「へいへい……まぁ、悪かったな」
「大丈夫。松田くんはそう言う人って昔から知ってるから」
「どういう意味だよ」
「うーん……他人に冷たそうに見えて、優しくて、とっても良い男?みたいな」
「なっ……!?」
「ひゅ〜♪あれ?もしかして、じんぺーちゃん照れてる?」
「照れてねぇよ!」
私の発言では顔を赤くしないのに、萩原くんの冷やかしには顔を赤く染めるんだ。
同性の萩原くんにすら嫉妬する私はきっと、松田くんの一番である千速さんという人には勝てないんだろうな。
「あははっ、ところでそろそろ足りないでしょ?お冷やの追加はいかがでしょーか?」
「お、丁度飲み干してたから助かる〜!いつも気が利くね」
「……さんきゅ」
醜い嫉妬はにっこり作った笑顔の下へ。
萩原くんのコップに注いで、松田くんにも同じように対応する。コップの受け渡しでほんの少し手が触れるかも、なんて下心。
いつか松田くんにバレるかもと思いながら今日もつい狙っちゃう。
あーあ、じっくりコトコト煮詰めた恋って駄目だな。
下心でちょっと触れた指先は、何でか松田くんだけやけに熱かった。でもそれはきっと、私の思い込み。
残念、来世に期待……できたら良いな。
****
ある日、外出先で私服姿の萩原くんを見かけた。
彼ともたまにだが同じクラスになった事があるので、そこそこ話をする仲だったりする。接点が多い松田くんより会話が弾むのは……萩原くんが会話が上手いのか、それとも松田くんが好きな人以外に興味がないのか。
精神衛生によろしくないので、深く考えないようにしているけどふとそんな疑問が浮かんでしまう。
それはさておき、偶然町で出逢ったのが萩原くんなら挨拶しようかな。もしここで会ったのが松田くんなら……例の好きな人が居ないか確認しちゃうかも。
だって、大人になった松田くんはとても格好良い。それこそもう好きでいるのを止めようという決意を秒で捨ててしまうレベルで。
そんな松田くんは萩原くんと居る時だけは学生時代みたいに賑やかになる。一人だとクールなのに、こういうギャップにもキュンとしちゃう。いくつになっても恋する女は単純なのだ。
ああ、そう言えば大人になった松田くんが学生時代と大きく変わった事が、見た目以外に一つだけ。昔は席が離れていても聞こえるレベルで大っぴらに千速さんの名前を出して、俺の嫁!と言っていたのに、誰に対しても言わなくなったっぽい。
それは私が勤めるカフェで萩原くんと二人で居ても言わないのだ。
コソコソと作戦会議をするのに、学生時代に耳がタコができるほど松田くんから聞いた千速さんの名前はもう数年聞いていない。
もしかしたら、なーんて。連絡先を交換していても、友達未満の顔見知りでしかない私は松田くんが例え誰かと付き合っていても分からないのにね。
一途で真っ直ぐな松田くんだもの、きっと付き合う相手は昔と変わらず千速さんだろう。
やめやめ、せっかく萩原くんを見かけて挨拶をしようとしたのに暗いことばっかり。この思考のまま声を掛けたら人の機微に聡い萩原くんが心配しちゃう。
頭を軽く振って雑念を払っているとたまたま後ろを向いた萩原くんと目が合った。
見つめ合うと恋が始まったり……なんて事はないのに、チラチラと萩原くんの様子を伺う女の子達の目が痛い。別の人が好きだから大丈夫ですよ〜って、つい内心で言い訳しちゃうくらいに鋭い視線ばかりだ。
「あれ、奇遇だね〜買い物?荷物持ち必要なら俺立候補できるよ?」
女の子の視線で実感したくないけど、昔から松田くんよりも萩原くんの方がモテるんだよね。こういう気配りも含めて。
それにしても松田くんに不毛な恋をする前にどうして萩原くんに恋をしなかったのか……不思議だなぁ。
「こんにちは、萩原くん。確かに買い物だけど萩原くんも用事あるだろうし、大丈夫だよ?ありがとう」
「いや、姉貴の買い物の付き添いだったし全然大した用事じゃないよ」
あねき、って事は萩原くんのお姉さん……松田くんが好きな千速さんが近くに居るんだ。私達のニ個上らしい千速さん。何だかんだで私は彼女の顔を見たことが無い。
でも、松田くんがあんなに惚れ込むくらいの人だからきっと美人だと思う。弟の萩原くんもイケメンだし、付き合いの長い美人姉弟……千速さんをちゃんと視認してしまう可能性にドキドキしてきた。
勝ち目なんて初めから無いのに、一人相撲をして、帰って落ち込むんだろうな。
松田くんが絡むといつもこんな思考で、嫌になる。
「おいっ研二〜!何がお姉様との買い物は大した用事じゃないって?お前の誕生日プレゼントの購入も兼ねてたのにその言い分は無いだろ?」
「げっ姉貴まだ居たのかよ……」
「お前のスマホを預かったままだったから、わざわざ返しに来たのになんだその態度は?陣平に渡して解体させても良いんだぞ?」
日を浴びて柔らかに煌めくヘーゼルナッツみたいなサラサラとした長い髪。背の高い萩原くんよりも少し低いけど、私からしたらスラリとした背の高く格好良い美人さん。
それが、私が初めて見た千速さんに抱いた印象。勝てる勝てないじゃない。同じ土俵にすら上がれないんだって、萩原くんが近くに居るのに乾いた笑いが出てきそうだ。
それなのに、目敏く千速さんの左手の薬指を確認して安堵する私が居る。こんな簡単な事で一喜一憂しても報われない恋なのに、馬鹿だなぁ。
──あーあ。廃品回収ですら受け取り拒否される恋心って、いったいどこに捨てられるんだろう。
「ん?あ、もしかして研二の彼女か?それなら悪い事をした……と言うか、彼女との用事があるなら私の誘いなんてはなから断れば良かったのに」
「いやいや、この子は高校までの同級生!ほら、陣平ちゃんの例の子だって」
例の子?えっ、もしかして横恋慕の危機って萩原くんは千速さんに話してる?
視界に入らない私だと、別に千速さんと松田くんを巡って恋のライバルなんてならないのに。
「ああ、なるほどなぁ……私も彼女と出掛けても良いか?いまなら陣平の昔話を色々としてやれるぞ?」
「いや、前も話したけど……小学校から俺らと同じだから姉貴が知ってる陣平ちゃんをこの子も知ってるからね?あと姉貴が絡んでたの陣平ちゃんが知ったら面倒臭いから、もう帰ってよ」
「釣れないなぁ……ま、今日のところは引いてやろう」
「突然姉貴がごめんね?お詫びに荷物持ちするから許して欲しいな〜なんて、だめ?」
「今度私とお茶でもしよう。またな──陣平のカノジョ!」
「え?」
パチンとウインクをして立ち去っていた千速さんの発言は聞き間違いだろうか。
だって、松田くんが好きなのは彼女だから……でも松田くんも私と同じで脈無しなんだ。弟の友達ってハードル高いもんね……まだ誰のモノでもない松田くんに安堵しちゃうなんて、本当に嫌な女だなぁ。
いっそ松田くんが結婚したら、諦めでも着くのだろうか。うまく想像もできないから、分からないや。
「…………ほんっとに、うちの姉貴がごめん。さっきの発言全部酔っ払いの戯言だと思って貰えれば良いから」
「あ、ははっ大丈夫大丈夫。何か誤解してたんだよ、きっと。それに松田くんの好きな人って萩原くんのお姉さんだって知ってるし」
自分の傷口に塩を塗り込んで、ヘラヘラと笑う。普段は痛みすら鈍感なのに、今日はやけに沁みて痛い。
「あ〜いや、……本当にごめん。お詫びにこの辺でおすすめの美味しいカフェ奢るよ。確か好きだよね?」
「何が?」
危ない、うっかり松田くんが好きなんてトンチンカンな答えをするところだった。
「レモンタルト──陣平ちゃんから、君が好きって聞いたんだけど合ってる?」
「あ、うん、好き……」
「良かった〜!あそこレモンタルトが絶品だからいつか紹介したかったんだよね。こっちだよ」
「たの、しみだなぁ」
「陣平ちゃんも太鼓判を押す店だから、期待してて」
「……ふふっ、うん。ハードル上げとくね」
ふらふらとした足取りを心配してか、優しく手を引いてくれる萩原くんに連れられるまま。
松田くんも気に入ったらしいカフェへの道中でずっと浮かれていた。
──あの松田くんが、私を認識していた!
だって、好きな人以外の女は眼中にないと思っていたから。存在を認知しているそれだけで、天にものぼる心地。
ああ、やっぱり私はどんなに報われなくても──松田くんが好きだ。
****
松田くんが好きな人以外の異性を認知していたという事実に浮かれた日々はしばらく続いた。いや、続き過ぎて仕舞ったと言うべきかもしれない。
その結果、職場の人や常連さんに彼氏できた?と聞かれたのが両手では足りないくらいだ。
少しはクールダウンしないとって向かった先は、あの日教えて貰った萩原くんおすすめのカフェ。
松田くんが一押しらしいレモンタルトは、そんなつもりは無かったけど気付けば週一でテイクアウト。
せっかく美味しいのだからと、実益も兼ねてコーヒーや紅茶を色々買ったり……職場でも活用できるって理由を付けたけど、ちょっと買い過ぎて萩原くんに「松田くんやお姉さんと一緒にどうぞ」ってしれっとお裾分けしたのは秘密だ。
あと、ちょっとだけ着る服のテイストが千速さんを知ったあの日以降変わった。
萩原くんから聞いた意見を参考にしてふわっとしたスカートとか……一個人の意見らいけど、男の人が好きな娘が着てたらぐっとくる服が増えた。ファッション誌が謳うデート服とはちょっと違うけど、私は好き。
萩原くんのセンスが良いからついつい財布の紐が緩んでしまったけど、「荷物持ちの本領発揮できるから助かるよ」なんて笑うから……しばらく服は買わなくて良いかも。
あと、好きな色を教えてくれたから通販で探して一着ポチッてしまった。もちろん松田くんが好きな色。
本当は、松田くんが好きな千速さんと似た服装にしようと思った。
でも、無理に千速さんに寄せても私の背だと、ちんちくりんが背伸びしているように見えるのだ。千速さんは格好良い、昔憧れた大人のお姉さんって感じだから仕方ない。
萩原くんからは、バイクを乗りこなす白バイ隊員と聞いた時はとっても似合いそうでつい色々聞いてしまった。
なんなら今、萩原くん経由で千速さんにツーリングへ誘われている。好きな人の好きな人じゃなければ私はもっと千速さんを好きになれたのに……なんて、私の心が狭いだけ。
ふわふわと揺れる可愛いスカートを履いて、着飾っても中身がこれじゃ、服が可哀想だ。
いつまでもなんて返事をしようと悩んでるのも原因だよなぁ……。
きっと千速さんと仲良くなればなるだけ自分が嫌になるからお断りをしようとスマホを取り出せば、酷い顔。
真っ暗な画面が鏡みたいに私の顔を映すけど、せっかくの良い天気と反比例するみたいに一目で何かあったと分かる。服装や髪型と相まって、何かの原因は恋愛関係だと思われるかも。
「……まだお昼だけど、ヤケ酒でもしようかな」
返事するのは辞めにして、スマホは鞄に逆戻り。適当に歩いて昼飲みやっているお店に入ろうと決めて歩き出すと、手首を誰かに掴まれる。
誰だと思って振り返れば、かれこれ私の頭を長い年月埋めてきた人。
「……まつだ、くん?」
「こんな昼間からヤケ酒なんて失恋か?」
「……どう、だろうね?その人他に好きな人が居るみたいだから、失恋の可能性は高いと思う」
まあ、流石に自分の口から松田くんが好きだからとは言えないけど。失恋前提の告白なんて、負け戦より酷い結果だって分かっている。
でも、どうして私に声かけたんだろう?
知ってる顔が酷い表情してても、私と松田くんの関係だと引き留めてまで声をかけないだろうし。
「なら、俺にしとけよ」
「え?」
私にとっては随分と都合が良い事が聞こえた気がする。いや違う。そんな事を松田くんは言わない。
起きていると思っていたけど、真っ直ぐに私を見つめる松田くんの顔が近くて今が夢ではないかと錯覚する。
くらくらする頭を現実に引き戻すように掴まれた場所が酷く熱い。きっと私を掴む松田くんの手が火傷しそうなくらい、熱いからだ。
「──好きだ。お前を不幸にする男なんか忘れて、俺を選べよっ」
私以外に好きな人が居る松田くんに、告白された。
いや流石にそんな事はないか。
多分私の耳が可笑しくなったのかもしれないと首を傾げていると、どこか焦った顔をした松田くんが覗き込んで来る。
「おい、いくら脈無しと言えど……こちとら勇気出して告白してんだから何か反応くれよ」
いやでもあの松田くんが、私に告白……?これが私の見ている白昼夢だとしても解釈違いです。
だって、千速さんに告白して失恋してたら流石にそれも噂が広まるだろうに、そんな話は一切聞かない。
あれだけ熱烈な好きだって気持ちを隠してない松田くんが告白すらしないで諦めるとは……天変地異の前触れ?明日地球が滅びるの?って感じだ。
そうなるとこれはエイプリルフールか……ええと、最近カフェで梅雨が明けたから暑気払いフェアと謳ってアイスコーヒーが安くなっていたから今は七月で。
え?つまりどういう事だ……?
わざわざ季節を先取りしまくって、私に嘘をつくなんて。そんなまさか、松田くんはあわてんぼうのサンタクロースじゃあるまいし。
「──松田くん、今年のエイプリルフールはもう終わっているよ?」
「……ちげえよ!ガチの告白を嘘扱いすんな」
「え、でも松田くんって……ほら、別に好きな人居るでしょ?噂でよく聞いてたから隠さなくても大丈夫だよ?」
流石に自分の口から千速さん好きでしょ?とは言えなかった。そうです、怖じ気付きました。
「それはっ……あ〜いや、やっぱり良い。これからお前相手に考えてた人生計画話しても無駄だろうから……」
ワンチャン結婚式に呼んでくれるとかそんな話だろうなと、想像しただけなのに胸がチクリと痛む。きっと式に参列したら泣いてしまうから、出欠確認のあの手紙が来たら丸がつくのは欠席だ。
「松田くん?」
「来月で良いから暇な日あるか?」
「えっと、木曜日なら定休日だし……来月は、今の所予定ないかな?」
「なら、第一木曜日を空けとけ」
「うん、それは良いけど……何するの?」
萩原くんとよくしている恋バナは、イヤだなぁ。あと二人で出掛けるのももっと勘違いしちゃいそうだし……萩原くんを含んだ三人でなら、それなりに楽しめるかも。
「デートだよ。もちろん──俺とお前の二人で」
「まっまつだくん、それは──……」
「東都タワーの映画館。丁度今月末からお前が好きな作品の続編やるから一緒に見ようぜ?」
「わ、わかった」
つい松田くんの勢いに了承してしまった。確かに見ようと前からチェックしていたけど……まさか、松田くんも知っていると思わなかった。
「約束、な。あ〜、もし俺が嫌いじゃねぇならその日はとびっきりのおしゃれ頼む」
「…………理由は?」
松田くんが話す度に期待しちゃう。別に千速さんの事は否定されていないのに。本当に松田くんは告白してきた通り、私が好きなんじゃないかって。
「……俺が嬉しい、だと駄目か?」
「だっ、だめじゃ、ないです……」
「っと、悪い。これから別件あるからまた詳細はメールする」
「あ、うん。また」
私と約束を取りつけた松田くんは足早に去って行ってしまった。
一人残された私の頭に浮かんだのはウォークインクローゼットの奥に仕舞い込んだ、松田くんが好きな色をしたワンピース。
出番なんて来ないって封印したけど、松田くんとのデートなら良いよね……?
ドキドキと高鳴る胸とは裏腹に頭の冷静な部分が「松田くんが好きなのは千速さんだよ」と囁いてくる。
それでも、単純な私は昼飲みをやめて帰宅する道中で松田くんとのデートの前日に美容院の予約をいれてしまうのであった。
ちょっとでも可愛い姿見せたら、好きになってくれるかも。なんて、無謀なのに淡い期待を抱いて……松田くんとのデートを指折り数える日々が始まる。
****
毎月通っているメンテナンスだから、なんて言い訳で予約した美容院。とは言え、いつもの予約タイミングより早いので完全に松田くんとのデートの為の予約だ。実際に担当さんにも「デートですか?」って速攻でバレた。
それに、仕舞い込んだワンピースは松田くんに誘われた翌日からウォークインクローゼットの奥から、取り出しやすい手前へ。日にちがあったからか、ワンピースに似合うパンプスやバッグも新調してしまったのだ。
期待しないようにと言い聞かせてるのに日に日に浮かれるから、松田くんとのデートがどうなってしまうか怖い。
なんて、考えても体は素直なのかデート当日の目覚めは良好。いつになく寝起きから頭がちゃんと動いている気がする。
サクサクと洗顔と朝食を済ませて、パジャマからワンピースへ。ただ着替えるだけなのに、それだけで気分が上がってつい鏡の前で一回転。
この日の為に肌のコンディションもパックで整えたから、メイクもばっちり。悩んだチークは松田くんについて考えると頬が赤いから、ほんのわずかだけにした。
担当さんに教えて貰った簡単だけど崩れにくいヘアアレンジは、多分上手くできたと思う。プロと比べると少し不慣れだけど、気合い入れ過ぎてるって引かれたら困るからこれくらいが丁度良い……って思う事にした。
可笑しなところは無いか最終チェックをして、これまたつい新調してしまったアクセサリーを着ければ完成だ。
必要な物を詰めたバッグを持って玄関へ向かえば、二日前から卸して足に慣らしたパンプスが朝日を浴びてキラキラしている。
普通の靴屋さんで買った靴なのに、なんだか魔法使いが舞踏会へ向かうシンデレラの為に用意したガラスの靴みたい。
自分の手で用意した姿だから、松田くんとのデートが十二時を過ぎても魔法は解けないけどね。
そうして家を出れば、見慣れた景色がなんだかより色鮮やかな世界になっているみたいに眩しい。
浮かれてるのはもうどうしようもないけど、松田くんにだけバレないようにしなくちゃ。
指定された待ち合わせ場所まで少し距離があって良かったなと、少しでも冷静さを取り戻す為に歩き出す。
松田くんに指定された待ち合わせ場所は、東都タワーから少し離れた有名な待ち合わせスポット。私も友人と遊ぶ時に何度か利用した事がある。
多分松田くんはまたサングラスをしてるだろうから、それを目印にしたら良いかな。
そう思いながらゆっくりと向かって、到着したのは待ち合わせの十分前。良い塩梅の時間に辿り着けて良かった。
松田くんへ到着した旨と目印をメールで伝えて、悩んだけどスマホは鞄へ。一応音が鳴る設定にしているから、問題はない。
それに多分……松田くんならこれだけたくさん人が居ても、一目で分かるだろうし。
キョロキョロと辺りを見渡してみれば、それらしき人はまだ居ない。ちょっとガッカリしたのは、松田くんには秘密だ。
「ひゃっ……!?」
首筋になにかピタリと冷たい物が当てられて、つい肩が跳ねてしまう。誰が?なんて後ろを振り向く前に、私の背後からくつくつと笑う声。
「悪い悪い」
「驚かせないでよ松田くん……」
振り向く勇気が少しなくて、そのまま抗議しても、まだ松田くんは笑っている。
「でも俺言ったよな?おしゃれして欲しいけどナンパされないように時間ぴったりでって」
「いやナンパなんてされてないから……」
「……可愛くし過ぎて視線集めてんのに無自覚かよ」
「何か言った?」
ボソリと何かを呟いた松田くんは、ようやく私の前に来た。
「いーや?あ、これやるよ」
「あ、ありがとう」
なるほど当てられたのはこの汗をかいたペットボトルだったのか。正体を知って少し苦笑してしまう。
「それにしても、ちゃんとおしゃれしてきたんだな」
「言ったのは松田くんなのに……でも、あの、松田くんもかっこいい、ね」
していると思ったサングラスは無く、見慣れたスーツでもない私服。凄く似合っているせいで直視できなくて、つい自分の爪先を見てしまう。
あと、松田くんが移動した時にふわりと香ったのは香水なのか柔軟剤なのか……顔、赤くなってないと良いな。
「そりゃとびっきりの美人と並ぶためだからこれくらいはするだろ。ま、想像より可愛くて声かけるのちょっと躊躇ったけど」
「え」
「ほら、時間は有限だから早くデートしようぜ?」
「う、うん」
「──お手をどうぞ?」
「……ちょっと、キザじゃない?」
「ま、こういうのはハギの専売特許だな。ほら、手を出せよ。せっかくのデートだから手繋ごうぜ?」
そう楽しげに笑う松田くんの手に重ねた私の手は真夏にも負けない暑さだったのに、躊躇う事なく大きな手に包まれるのだった。
デートは始まったばかり、なのに私の心臓はもうはち切れそうだ。
****
手を繋いでいるからか、歩き始めてからずっと松田くんは歩くペースを私と合わせてくれる。
松田くんは足が早いイメージがあったけど、手を引っ張られて小走りになるとかも一切ない。でも……自覚がある程度に私の歩く速さはかなり遅いので歩きにくいと思う。
「あの、松田くん」
「ん?」
「歩くの遅いよね?もう少しペース上げても大丈夫だよ……?」
そう言われると思っていなかったのか、珍しくキョトンとした顔をする松田くん。二度、三度とまばたきをしてニヤリと笑う。
何となく嫌な予感がしたと思えば、繋いだ手を引っ張られて松田くんとの距離が一気に縮まる。
「きゃっ……まっまつだくん!」
「ばーか。このくらい気にすんなよ」
「いやでも私本当に歩くの遅いし、あとあの、ち、ちかいからはなれて……?」
至近距離で笑われて心拍数は一気に上がる。このペースだと松田くんにも聞こえるかもしれないってヒヤヒヤしてるのに、松田くんは笑ってばかり。
別に普段は見られない珍しい顔を見れて嬉しい……なんて、思ってないんだから。本当に。
「こうやって手を繋いで、ゆっくり歩いてたら俺を意識するだろ?」
いやいや、あのもうかれこれずっと意識してるから……!
むしろこれ以上の事をやられると本当に、私は松田くんを諦める事が出来なくなっちゃう。まだ、松田くんが千速さんとどうなったか知らないのにそれは……困る。
「し、しないから」
「つれねぇな。ま、俺はそう言う難題の方が燃えるから良いけど。このデートが終わるまで覚悟しとけよ」
「何の覚悟……?」
「男相手にこうやって簡単に手を繋がせて」
「松田くんが促したのに?」
「そう言う隙を男に見せるとこうなるんだよ」
私が松田くんと繋いだ手は右手。ゴツゴツとして私よりも大きくて、意外と荒れていない松田くんの手が手の甲をするりと撫でる。じっと見ている私に見せつけるように繋ぐ手を持ち上げて、指先にキスをした。
「なっ……なんっ……!」
松田くんは狙ってその指にキスをしたのか、分からないけど右手の薬指。左手じゃないけど、意味のある指輪をつけることをイメージする場所にされるとは思わなかった。
たった一瞬触れただけ、それなのに指先から全身が熱い。薄手の可愛いワンピースなのに、夏物を着なかった事を後悔するくらいだ。きっと体温は二度上がったに違いない。
「ははっ顔、赤くなったな」
それもこれも、急にキザな事ばかりして嬉しそうに笑う松田くんのせい。自覚のある顔を指摘されて、見られないように横を向くが耳まで赤いし……背の高い松田くんが見下ろすときっとバレバレだ。
「だっ、誰のせいだとっ……!」
「俺のせいだろ?そうやって顔が赤くなるくらい俺の事だけ考えてろよ──って、覚悟」
デートが始まって、まだ十五分も経っていないのに。想像とは違う松田くんの破壊力に心臓は早くも悲鳴を上げている。
でも、臆病な私はまだ白旗をあげて完全降伏はできそうにない。それなのに、頭の中は今日の松田くんでいっぱいだ。
恋は戦争、かもしれない。そう思う私の手を引いて松田くんはまた柔らかく笑う。
「言うのが遅くなったけど、その服も髪も全部似合ってて──世界一可愛いな」
「まっまつ、だ、くんっ……!」
初めてのデートなのに、アクセル全開過ぎると思うの。また赤くなった顔を空いてる左手で隠した私を今度は声をあげて笑う松田くん。
「そう言うところも全部可愛く見えるから仕方ないだろ?」
今日のデートが終わるまで私は人の形を保てるだろうかと一抹の不安を覚える。
せめてもの抵抗で言おうとした文句は頭撫でた松田くんのせいで、声にならない悲鳴になって、松田くんには届かなかった。
──お願いだから、ちょっとは、手加減して欲しい……嘘、もっとして欲しい、かも。
****
道中で息をするように口説く松田くんに、チークは不要だったなと後悔しつつもなんとか東都タワーへ到着した。
顔がずっと熱いから貰ったペットボトルで冷やしてたけど、メイク崩れてないと良いな。
東都タワーの道中でも鏡があったけどメイクの確認する前に、客観的に見える松田くんと手を繋いでいる状態が見えたのが……ああ、もうっ何とか顔の熱を逃がしたも思ったのにまた赤くなってる。
恥ずかしいとか嬉しいとか色々な感情がごちゃ混ぜになってるから、今の気持ちは言葉にしにくいけど。
他の人から見てもデート、に見えてるんだって思うとなんだか浮いた心地。
チラリと私よりも上にある松田くんの横顔を手を繋いでいる特権と思いながら見ていれば、パチリと目が合う。
あっまた意地悪な顔で笑う。その表情にこの短時間に何度振り回された事やら……パブロフの犬みたいに、松田くんの意地悪な顔を見るだけで顔を赤くしてしまう私もちょっと悪いかもだけど。
「顔、真っ赤だな?」
「だっだれのせいだと……!」
「悪いな。多分今日は抑えられねぇわ」
「……だから私じゃなくて、本命にしなよ」
あーあ、可愛くない事言っちゃった。松田くんに振り回されて賑やかな頭の中と違って天邪鬼な口に後悔。でも、これだけ上げられて落とされるのは多分立ち直れないから。
もう手遅れかもしれないけど予防は大事だ。
「手を繋ぐよりも凄い事してやろうか?」
「えっ?!」
手を繋ぐよりも凄い事……それらき、きすとか……もっと?いやいやいや、からかうにしても限度あるよね?流石にそんな事するとは思えないのに、ほんのわずかに期待する自分が居て嫌になる。
それに今日の主目的は東都タワーで映画鑑賞だけ。期待し過ぎてもきっとそんな期待は無駄になるから自重しないと……。
「くくっ何想像したんだ?」
「べっ別になにも……ただ松田くんが、スケベなんだって……」
「へぇ~?残念だけどその期待に応えるのはまだ先な。俺が言ったのはこっち」
ぐいっと手を引っ張られて松田くんとの距離が近付いて既視感。繋いでいた手は離されたと思えば、肩を抱いて私の位置を調整して腰へ。
ふぅと息を吹きかけられた訳じゃないのに、松田くんの声が近くて背筋がゾクリとする。常に松田くんの体温を感じる距離から離れようにも腰を固定されて逃げられない。
「ん?香水つけてるのか?なんかカフェではしなかった甘い匂いするな」
顔を近づけたのかすんと匂いを嗅ぐ松田くんと気付けば密着している。私は香水をつけてないから多分松田くんが言ってたのはヘアオイルの匂いだと思うけど……松田くんのせいで、今目の前にいる松田くんしか考えられない。
「ちかっい、から」
「距離に慣れれば問題ないだろ?」
「なっ慣れるって……!」
「一日あれば大抵慣れる。……まぁ、段階踏んでやる代わりにこの匂いを覚えておけよ」
「今日の、為に?」
「柄じゃねぇけど、せっかくだからな。ハギに色々聞いて買った」
「そうなんだ」
動く度に、松田くんからふわりと香るのはシダーウッドの香り。手を繋いでいた時は大丈夫なのに、今の距離だと松田くんの香りと松田くん本人に包まれているみたいで。
ああ、やっと東都タワーへ辿り着けたのにエスカレーターを使う今、頭がどうにかなっちゃいそう。
****
東都タワーの映画館。あるのは知っていたけど使うのはいつも違う映画館だから、なんだかんだで初めて来た。
そうやって別の事を考えていないとエスカレーターに乗っている間中、腰を抱く松田くんの匂いとかで……ああ、もうダメダメ。考えちゃダメなのにまた考えてる。
「百面相してどうしたんだ?」
「しっしてない!」
「俺のせいだもんな?」
「…………ばか」
「でもあんま可愛い顔してると予定変えちまいそうになるから程々にしてくれよ?」
誰のせいか自覚はある松田くんがそれを言うの?もうっ……!
でも、そう言うところも嫌いになれないから困る。
「……だからっ、ごめん、なんでもない」
「ここまでしてまだ勘違いしてんのかよ……まっ長期戦なのは覚悟してたから良いけどよ」
松田くんが何かをポツリと言ったけどそれは聞かなかった。きっと千速さんを連想しているはず。
あーあ、私が新たに知る松田くんの表情は全部千速さんも見てるはずなのに浮かれてばかり。
このまま盲目な恋になればいっそ楽になれるのに、頭が勝手にブレーキをかける。
恋は楽しいなんて昔聞いた噂は嘘だったのに、未だに捨てられない恋はいつまで続くのだろうか。
「あ!映画館着いたよ!聞いてはいたけどロビーも広いね」
「お、ここか」
映画館に着いたのに松田くんはまだ私の腰を抱いている。そろそろこの距離に慣れてきたけど、ちょっと離れて落ち着きたいかも……あと、こんなに近いと松田くんの香りが移って、ないない。
「ごめん松田くん、ちょっとお手洗い行ってきても良い?」
「ん。その間に飲み物買っておくけど、何が良い?」
「じゃあ、ホットドリンクで松田くんのおすすめが良いな」
松田くんならブラックコーヒーとか選びそうって、偏見は強いけど……こう言うお願いをしたら実際はどんな物を選ぶのか興味本位だ。
まぁ、もしかしたらちゃんとリクエストしろってやり直し求められるかもだけど。
「雑なリクエストだな。飲み物以外何かいるか?」
「うーん……私は大丈夫かな」
意外、こんなリクエストで許してくれるんだ。これも、デート……だからなのかな。距離感が凄く近いのも全部デートだからって事か。うんうん、納得した。
「分かった。なら買ってくるけど、文句言うなよ?」
「多分言わないよ?あ、お金は後で渡すね」
「ばーか」
「えっ」
「デートだって言ったろ?今日はお前に財布は出させねぇよ」
「まっ松田くん……!」
額を軽く小突いた松田くんは後ろ手にひらりと片手を振って売店へ向かってしまった。松田くんと離れただけでひんやりと冷えて寂しいのに……私の側には松田くんの香りが残っている。
「デートって、すごいかも……」
ふわふわした気持ちで向かったパウダールームでメイクを確認。問題は無かったが、念の為フェイスパウダーを叩いておく。髪もチェックして大丈夫だったけど……顔が、ずっと赤い。
映画館は冷えるからホットドリンクを松田くんにお願いしたのは間違いだったかな……?
ダメ元で手で顔をパタパタと仰いでも鏡に映る私の顔色は変わらない。
「こんな顔で松田くんと居たって事だよね……?」
気付きたくなかった事実に思わず頭を抱えたくなるけど、他にも人が居るから我慢だ。
今更取り繕っても松田くんとはこの道中でバレてるし……うん、それにこの赤い顔の原因は松田くんだ。全部松田くんのせい。
そう結論づけて、映画館のロビーに戻れば丁度飲み物を買い終えたらしい松田くんと目が合う。
バレないように小走りで近付けば松田くんも自分用にホットドリンクを買ったらしい。
「お待たせ。何買ったの?」
「ん?そりゃお前が好きなモンだよ」
私が好きなホットドリンク……?でも映画館のホットドリンクなんてココアか、カフェオレか、ブラックコーヒーの三択。どれも飲めるけどそう言い切れるほど好きなドリンクというわけでもない。
首を傾げてると「ほらよ」と渡される。まぁ、匂いを嗅げば答えは分かるかな?
そう思って飲み口を塞ぐ突起を曲げれば、ふわりと香るのは。
「……紅茶?」
「ちゃんと黄金比になるように砂糖は入ってる」
「え」
「カフェでハギに話してたろ?紅茶はストレートが好きだけど映画館には無くて不満だって」
「多分……?」
いつ話したかは覚えてないけど話の流れで萩原くんにそう話した事はある。確かにその場には松田くんも居たけど、まさかそんな些細な事を覚えているなんて。
「だから、映画館でも紅茶が飲める東都タワーに誘ったんだよ。丁度お前が見たいのもやるしな」
照れ臭そうに笑う松田くんに何か言おうとして、結局私の口から出たのは「ありがとう」だけ。
デートすると松田くんってこんなにスパダリになるなんて……今日何度目か分からないけど、本当にデートって凄い。
まだこのまま。いっそ時間が止まってしまえば良いのに──なんて、願ってしまったのが間違いだったのかも。
時間に余裕を持って来たから、開場まではまだ少し時間があった。
口説く為にロビーのソファに座っても良かったが、流石に急な距離の詰め方で目を回そうとしてるのを見たら自重する。
ここで変に意識されて、今までにない距離を作られる方のが困るからな。
どんなにアプローチをしても、千速の時とは違う手応えの無さ。
真正面から口説けば顔を赤くして、百面相をしてるのに本命にやれと言われる。
──俺の本命はお前だって、言ったのによ。
何度かそれを口や態度で表して伝えようと、どうにもそれが千速だと思われている。
確かに昔はそうだったし、学校でも口にしていたが……恋愛ってままならないもんだな。過去の行いが今になって自分の首を絞めてきやがる。
アイツも、あんなに顔に俺が好きだと言ってるのに自分でブレーキかけやがって。
いっそ、直接俺に千速が好きなのか聞いてくれればちゃんと否定するのに。
ハギにも協力して貰っても進展が無くて焦れてきた頃合いで、無理矢理取り付けられた今回のデート。
正直最終手段で既成事実が頭を過ぎらなくは無いが、片想いを拗らせる俺よりもちゃんと友人をしているハギに釘を差されている。
万が一ハギ経由で千速にバレたら不味い。なんでか一度だけ会った千速に妹分として気に入られてるから、手を出して泣かせたとバレたら……多分白バイで轢かれるだろうな。
その点ハギは物理的な怖さは無いが、外堀から手を回して会えないように距離を作らせるに違いない。
朝から長々としたメールで釘を差してきたハギを思い出せば多少冷静になる。
欲しいものは特に無いが時間潰しには持ってこいな売店に足を運んで、楽しげにグッズを見てる姿にもう少し段階を踏むべきだったかと後悔。
握った柔らかくて小さな手、少しでも力を入れれば折れそうな腰。ふわりと香る匂いまで思い出して、またこの腕に閉じ込めたいと手を伸ばしそうになる。
はっ……まさか、自分がここまで好きな女に対して堪え性が無いとは。
だが、一度あの温度を知ってしまえば我慢は難しい。もっと、と欲なら出てくるのによ。
カフェインでも流し込めば苦さで落ち着くか?
そう思って買ったブラックコーヒーを一口飲んでも、駄目そうだ。カフェオレを飲んでいるみたいな甘さを感じる。
どうしたものかと考えていればポケットに仕舞っていたスマホが振動した。
有給を取った平日のこの時間に連絡が来るとは思えないが、何か事件が起きている可能性は否めない。
まぁ通知だけ見れば分かるかと、スマホを確認するとハギからだった。
メールならまだ分かるが、このタイミングで不在着信?しかも、ショートメッセージで折り返せと指示がある。
今日がデートだって事はアイツも知ってるのにこれは……嫌な予感しかない。
「ハギ……?っと、悪い。ちょっと電話折り返してくる」
出そうになるため息を飲み込んで一度電話でもするか。
「萩原くん?もしお仕事なら気にしないでそのまま向かって大丈夫だよ」
このセリフだけ聞けば健気な良い女だろうが、俺がデート中に帰っても仕方ないとずっと思ってただろうからここで帰るのは避けたい。多分日を置くと勝手に自己完結して、再びのデートは難しいのは予想がつく。
つってもハギから俺に連絡って事は十中八九爆弾関係だろうけど……何で今日なんだか。
さっさと解体してディナーデートに切り替えるか?
「悪いな。すぐ戻れるか分からないから先に映画のチケット渡しとくから開場したら入っててくれ」
「ありがとう。何かあったらメッセージだけくれれると嬉しいけど、難しかったらお仕事優先で良いよ。頑張ってね、おまわりさん?」
「……おう。まぁ、今日駄目なら後日埋め合わせするわ」
今日が駄目でも絶対またデートする宣言をしたら、否定されそうだったので返事を聞く前に移動。
「えっ……ちょっ!松田くん!」
ロビーを抜けて、人通りが少ない場所で着信履歴からハギへ電話をしたらワンコールで繋がる。内容を聞く前から面倒な事件のニオイがぷんぷんするな……。
『じんぺーちゃん!?ごめんデート中に!』
「知ってんなら電話すんなよ」
『俺もしたくなかったんだけどさ〜ちょっと爆破予告があってさ』
あーこれ以上聞きたくねぇな。
へらへらとした口調だけど、俺にかけてきた時点で東都タワーかその付近に爆弾を仕掛けたとかそんなとこだろ。
「で?場所はどこなんだよ」
『じんぺーちゃんの今居るデート先──東都タワーの、映画館』
「それを探して解体しろって?」
『まぁ無い可能性もあるけど、現場に爆処の人間居るならその方が良いかも〜って話になっててさ』
「誰だよそれ言ったヤツ」
『えっと……班長も言ってた、かな?』
「……わーったよ。で、避難とかも俺が手帳出してやらせりゃ良いのか?」
『あ、それは大丈夫。今捜一から総合アナウンスへ電話で依頼をしてるから、多分そろそろ避難指示されるんじゃないかな?』
「分かった。じゃあ、俺は爆弾探すから一旦切るけど他に何かあれば──……」
ハギとの電話を切ろうとした瞬間に近くの非常口がドォオオオンと激しい音を立てて爆発した。
「うっ……?!」
体は風圧で飛ばされて思い切り床にぶつけたが一応受け身はしたので、大きな怪我はない。
しかし、爆発の影響で落ちた天井や壁が瓦礫となり、前も後ろも塞がれてしまった。今居る場所からはどう足掻いても移動は難しい。
足元に落ちているスマホからはハギが必死に俺の名前を呼ぶが、さっきまで居た劇場ロビーへの道も塞がっている現実に返事ができない。
ここが爆発したのなら、あそこには未発見の爆弾がある。好きな女が今は無事でも、爆弾が解体されない限り危機は側にあるのは変わらない。
「クソッ……!」
苛立ちに任せて壁を殴っても手が痛むだけ。深く吸った息をそのままゆっくり吐き出して、頭を回転させながらいつの間にか通話の切れたスマホを拾う。
繋がらないでくれと、願いながらかける先は──守りたい女。
プルルと電子音はぷつりと途切れて、鼓膜に届くのは不安に染まった声。
『ま、まつだ、くん……?』
ああ、繋がらなければ良かったのに。なんて後悔に背を向けて、重い口を動かした。
「悪い──頼みがある」
松田くんが萩原くんへ折り返すと離れて思うのが、寂しさよりも、きっとデートはこれで終わりなんだろうなって現実。
魔法をかけられたシンデレラではないからタイムリミットは無かったけど、松田くん達の職業を思い出せば仕方ない。
本当ならまだ居たいとかワガママや寂しさを素直に言えたら、可愛げはあったかもしれないけど……流石に大人になった今はできそうにないなぁ。
だって、私が働くカフェで過ごしている時も何度か緊急の連絡があったのか慌てて出ていく二人の姿を見ている。
そんな姿を知っているとより、ワガママなんて言えやしない。
劇場ロビーに置かれた電光案内板には、松田くんと見る予定だった映画はまだ準備中。
手元の紅茶は平静さを取り戻す為にわりと飲んでしまったから、残りは僅か。うーん……時間もある事だし、新しく買おうかな。
せっかく松田くんが買ってくれたのに松田くんのせいで消費が早いのだ。本当ならじっくり飲もうと思ったけど、こればっかりは仕方ない。
今日の未練を吹き飛ばすようにカップの残りをグイッと飲み干す。
空になったカップを捨てにロビーの奥まったところにあるゴミ箱へ。
「あっ……」
丁度カップを捨てるタイミングで、鞄に付けてたバッグチャーム代わりのスカーフが解けてしまった。
ひらりと宙を舞ったスカーフを掴もうとしたけど、散った桜の花びらのように掴めず床に落ちてしまう。
しゃがんで拾おうとした時にゴミ箱の横。観葉植物と壁の僅かなスペースに黒い袋。
観葉植物の影になっていて分かりにくいが、誰かの落とし物だろうか。
──でも、こんな奥まった場所に忘れるの?
でも、毎日ロビーは清掃されてるだろうし……それに今日はサービスデーじゃない普通の平日。夕方以降ならもう少し人も居るだろうけど、人は随分と疎らだ。
売店からも離れてるここは私以外に居ない。
落ちているよりも何だかここへ隠されているように感じてしまう。
──カチコチ、カチコチ。
「何の──……きゃっ?!」
時計の秒針のような音がしたと思えば、建物が大きく揺れた。
デートの為に用意したパンプスではとてもじゃないが立っていられなくて転んでしまう。
「いたたっ……なにいまの、地震?」
咄嗟に手を着いたから怪我はしてないけど、パンプスの片方が転んだ拍子に脱げてしまった。
揺れはすぐに収まったが、何かが爆発するような音や悲鳴が聞こえる。
それらが聞こえるのはさっき折り返すと移動した松田くんが向かった方向。
松田くんは巻き込まれてない?大丈夫なの?と一気に心配が襲ってきた。
「まっ、松田くんに電話!スマホ、スマホ……えっ?」
転んで周囲を気にする余裕は無かったが、鞄からスマホを取り出す動作で、ほんの少しだけ冷静さを取り戻して気が付いた。
観葉植物に隠れていた袋が口を開いて目の前に。倒れた観葉植物に押し出されたからだと思うけど……何かの時間を表示する赤い光が、見ている間に少しずつ減っていく。
何となく感じた嫌な予感に、背筋に汗が伝う。意図せず震える手で何とかスマホを握った瞬間に、通知を知らせるように振動した。
画面に表示されている名前につい、安堵のため息が漏れる。電話がかけられるなら、多分松田くんは大丈夫。そう思って出た電話。
「ま、まつだ、くん……?」
顔の見えない松田くんにどうか震える声が伝わりませんように。
余計な心配をかけない事に意識を割いていた私は気が付かなかった。私が電話に出た瞬間、息を飲んだ松田くんに。
『悪い──頼みがある』
「うん。良いよ──私にできる事なら、何でも」
松田くんのお願いに考えるよりも先に返事をしていた。
何を頼まれるのか何も分かっていないけど、やるべき事があるのは今の私にとってはありがたい。
手の震えはいつの間にか、止まっていた。
『おい……言ったのは俺だけど、せめて内容聞いてから返事しろよ』
「えっ、無茶振りするつもりだったの……?」
『あー、まぁ、本職じゃねぇヤツからしたら無茶振りになるな』
「うん?つまり無茶振りって事?」
『細かく説明したいのは山々だが、今は時間がねぇ。まず結論から言うが、叫ぶなよ?』
念押しされて緊張するが目の前にある不審な時を刻む物と一緒にいる緊張と相殺されて、なんだか落ち着いて来た気がする。
「ど、努力する」
『爆弾を探して、見つけ次第解体を頼みたい』
「……えっと」
『本来なら解体の道具が必要だが、爆弾素人が作ったやつだから鋏があれば問題はない』
爆弾素人って何?聞きたかったが松田くんは質問をする隙すら与えてくれないでどんどん話を進めていく。
『いつも出掛ける時に筆記用具持ってるだろ?そこに入れてる鋏を使ってくれ』
「松田くん」
『で、爆弾を見付けたら絶対に触らず俺に写真の送付。解体指示は全部俺が出すから、何かあっても俺の責任だ。切る以外は何も気負わなくて問題無い』
「あの」
『……悪いな、せっかくのデートなのにこんな頼みして』
松田くんが凄く深刻そうに話してるが、現実味が無いのでそこまで私は心配ではない。と言うよりも、話を聞けば聞くほど確信を抱いた事がある。
私の目の前に落ちてるのって──爆弾では?
いや別に爆弾をどこかで見たことがある訳じゃないけど、電話口で松田くんが言っていた爆弾を仕掛けられていそうな場所。現在地がガッツリ該当中。
それに不審な袋とか箱があればその中だって言うし……あと何よりも時計が無いのに、秒針が動くような音が聞こえたらなんて言われたら馬鹿でも分かる。
うーん、松田くんに振り回されて頭の怖いと思う部分が焼け切れたのか現実味が無い。
他人事みたいだなとは思うけど、一応松田くんに報告……かな?
「あのね、松田くん?別に候補挙げて爆弾を探さなくても大丈夫だよ」
『いやまだ探しても無いだろ?さすがにそれくらいは音で分かる』
「えーとですね、多分爆弾私の目の前にあるっぽくて」
『はぁああっ!?おまっ!それならもっと焦れよな!!』
自分以上に電話の向こうでいつになくテンパってる松田くんに、申し訳なさを感じるが未だに爆弾と対峙している現実味がない。
うーん……耳元で聞こえる松田くんの声に緊張してるからなのか、変なアドレナリンが出てしまっているのか。
軽く考えても答えは出そうにない。
──それにしても、初めての松田くんとの共同作業が爆弾解体かぁ。
なんて現実逃避する思考で、松田くんの叫び声をBGMに鞄から鋏を取り出した。
****
叫んでも現実は変わらない事実を受け止めたのか、はたまた諦めたのか。
松田くんに鋏を用意した事を伝えるとそれは大きなため息が返ってきた。まあ素人が爆弾を目の前にしてこの反応は自分でもちょっとどうかと思ってるけどね?
『……ひとまずビデオ通話にして爆弾を見せてくれ』
「うん」
スマホを操作して、ビデオ通話で黒い袋を映す。一応さっき私が見た時間を表示する赤い光も見えるように操作してるけど、見えたかな?
『スマホは一旦床に置いて良いから、袋を鋏で切って全体が見えるようにして欲しい』
スピーカーから松田くんの指示があったので、それに応じる。
黒い袋を鋏で切れば、中から出てきたのは赤い光でカウントされる時間以外は黒い箱。手作りっぽさが否めないけど本当に爆弾……?
「松田くんこれで見える?あと爆弾って伝えたけど、なんかジョークグッズっぽさあるから違うかも……」
『いや、多分これだ。赤い時間表示の下部分に蓋があるのが分かるか?』
「ここ?」
スマホで映しながら指差し確認すると肯定される。自分でも触らないように見てみるけど、ネジとかで蓋が固定されていないから持ち上げたら開けられそうだ。
『一旦スマホ置いても良いから蓋を持ち上げて外してくれ。定石通りの爆弾なら蓋の下に赤とか黄色とか……まぁ、カラフルな線があるからそれを俺に見せて欲しい』
「分かった」
スマホを置いて蓋を触ればやはり何も固定をされていなかったので、簡単に持ち上げる事ができた。床に置いたスマホから松田くんの『そーっとな』って心配する声に何だか笑いが出そうになったのはここだけの話。
蓋を外して、松田くんが言うカラフルな配線が出たら爆弾解体が始まるのか……ちょっと緊張してきたかも。
持ち上げた蓋をスマホの近くに置いて、一足先に見てみるが、あれぇ……?
「松田くん」
『何かあったか?』
「あったと言うか……えっと、これは見た方が早いかも」
スマホの向きを変えて、先ほどまで蓋が隠していた場所を映す。
『……マジか』
「爆弾って、こんな感じなの?」
『別に無くはねェけど、この手のヤツ解体したのは片手で足りる程度だな……ったく面倒な案件になってきやがった』
松田くんが思わずボヤくのも仕方がない。
何せカラフルな線が使われているはずの爆弾の線が全て──真っ黒だったのだから。
『軽く説明するが、その黒い線の下はちゃんと色の付いた線だ。色のあるケーブルに黒い皮膜を巻いたから全部黒いだけで、手順は増えるが解体はできる』
「そうなんだ……良かった」
『で、増える手順だが』
「うん」
『流石に俺も色が分からないと指示は出来ないから、鋏の刃先で皮膜を軽く削ってくれ』
「えっ……そんな事して大丈夫なの?」
『ばーか、駄目なら言わねぇよ。別に表面を削るだけなら中の線は切れない。ただ、深くやり過ぎると絶対に影響が無いとは言えないからやるなら表面をなぞるイメージだな』
他の線を傷付けないで鋏で表面をなぞる。松田くんから聞いてる限りだと簡単そうに思うけど、力加減とか考えると難しい気がしてきた。
「とっ取りあえず全部の線の色の把握が先、だよね?」
『だな。焦らなくて良いから一本ずつ慎重にやってくれ』
慎重に……いつの間にか口の中に溜まっていた唾を飲み込んだ。ひりりと痛む喉。空気が変わった気がする。
鋏を握る右手はまだ、大丈夫。私の意思で動くからちゃんとやれると思う。
「ねぇ、松田くん」
『おう』
「多分無言だと緊張し過ぎちゃうから、削ってる間何か雑談してって、言ったら怒る?」
『……それに答える前に、一つ良いことを教えてやるよ』
「良いこと?」
『ま、俺が解体する時に思い浮かべてることだが──焦りこそは最大のトラップ』
「焦りこそは、最大のトラップ……?」
『そうだ。爆弾解体って時間制限あったり、犯人が解体させない為の嘘や罠が仕掛けられたり……まぁ何かしら焦る要素が多い。だが、どんな事でも落ち着いてやれば対処できることばかりだからな』
「なるほど」
確かに松田くんが居なかったら、爆弾って気付いたら凄く焦ってたかも。
だから本職の松田くんと電話出来てて良かった。私が焦ってもきっと松田くんなら助けてくれるって信頼がある。
『だから、雑談くらいならいくらでも付き合う。もし必要なら子守唄でも歌ってやろうか?』
「ふふっ松田くんが解体をお願いしたのに、その最中に私を寝かしつけるつもり?」
『しねーよ。ほら、今笑ったから変な力は抜けただろ?』
自分でも気付かなかったが肩とか力が入ってたけど、今は息もしやすい。
「……ほんとだ」
『安心しろ。お前と電話してるのはこの俺、警視庁爆破物処理班──そこのエース様だからな?』
自信を持ってそう宣言する松田くんは姿が見えないけどアメリカ映画のヒーローみたい。
──私も頑張らないと。
ギュッとまばたきをして、爆弾の線を覆う黒い皮膜を削る為に鋏を握りなおした。
表面をなぞるように、内心でそう言い聞かせながら鋏の刃先を黒い皮膜に当てる。
正直力加減が分からないし、がっつり指で押さえたい気持ちはあるが恐る恐るやっても削れない。
何度か一人試行錯誤して、まつげくらいだが削れた気がするので、それを繰り返す。
松田くんが話す萩原くんのうっかりモテエピソードと修羅場エピソードが五個ずつ終わった頃にようやく力加減は分かった気がする。多分。
よしよしこれなら順調にやれるぞと手を動かせば、松田くんは別の意味でノッてきたのか同期の修羅場エピソードを嬉々として話始める。
どういうチョイスなのか気になるけど、話半分で聞きながら手を動かすのを優先する。
見える範囲は全て黒だらけだった線は、薄く裂けた隙間から赤、黄、青、緑、白、黒。
削っても黒しか見えなかったやつは、削り損ねたかもって焦ったけど、他のやつと同じくらいやったから多分元々黒だったと思う事にした。
「松田くん、一応これで全部の線の色が分かると思うから確認してくれる?」
『おー、これなら上出来だ。よくやったな』
「あ、りがとう」
ただ褒められただけなのに、すぐ舞い上がる。ちょっとは冷静にならないといけないのに。
不意に頭に爆弾の残り時間を見たら落ち着けそうと過ったけど……いや、見たらこの後の解体作業に支障を来しそうだからやめよう。残り時間をわざわざ見るなんて悪手過ぎる。
ただでさえ自信がない爆弾解体で、切る線を間違えたりとかしかねない。
『どう繋がってるか見たいから角度右から撮ってくれ。で、その次は左から映せるか?』
「こう?」
『次は真上から映してくれ……っし、この配線ならなら時間に余裕を持って解体できる』
「さすが。じゃあ、その……そろそろ切るって事だよね?」
『おう。まずは一番長くて手前にある白を切ってくれ』
流石にこの場面で雑談を聞いても落ち着けないから何も言わずにスマホを置いた。スピーカー越しの松田くんにバレないように小さく深呼吸。
「……切る、ね」
松田くんに、ではなく自分への宣言。
それなのに、鋏を線に近付けると手が震えて狙いが定まらない。表面をなぞるのと、切るのでは同じ線が対象でも全然違う。
──失敗したら、怖い。
今更になって『もしかしたら』に思い至った頭で、爆弾解体なんて落ち着いてできるわけない。息も浅くなって、もっと手が震える。
どうしよう。松田くんに頼まれたのに。そう思うのがいけないのか焦りは増していく。
『──そう言えば高二の時にハギがミスコンで優勝した時なんだが。その年のバレンタインに男から貰ったやつが三十を超えたって、知ってたか?』
「へ?」
萩原くんがミスコンで優勝って……ああ、男女逆転カフェをやった年だ。
確か松田くんは裏方引き受けて女装を免れたけど、萩原くんは似合うから!とクラスの半数に押し切られて女装して、その後何でかミスコンで優勝してたのを思い出した。
でも、あの萩原くんを見たら分かる。この間会った千速さんとも姉弟だから似てるけど、きさくな美人。
途中からウインクとかどんどんファンサもするから人気がとんでもなかったなぁ。
『しかも本命が多すぎた結果、委員長主導で春休みにハギがまた女装したんだぞ?で、ホワイトデーのお返しついでに告白の返事してたからハギに百人斬りの萩原ってあだ名が付けられてた』
「ふっ、んふふふ……あはっ、まって、ふふっし、知らないよ。あははっなにその話?」
駄目だ、我慢しようと思ったのに笑いが抑えられない。その場面をつい想像してしまったから次々と笑いがこみ上げてくる。
ああ、手の震えが収まらないから爆弾解体を一旦やめようと鋏を爆弾から遠ざけていて良かった。
『ま、男だけの秘密ってやつだよ』
「ちょっと、ふふっ見たかったかも」
『失恋した化け物の宴を?やめとけやめとけ、あんなん見たら悪夢をみるぞ』
「んふっ、まって、むり、あはははっ」
記憶を手繰り寄せると確かに部活で登校した時に一部男子の目が腫れてたけど……これ萩原くんに会ったら思い出し笑いしちゃいそうだ。本人は何も悪くないのに。
それにしても、修羅場エピソードよりも凄いネタをここで出すなんて松田くんってば酷い。これで私が爆弾の線をうっかり切り間違えてたらどうするつもりだったんだろうか?
これじゃあ何かあってもって言うよりも、何か起こしたから俺の責任になっちゃうところだったって気付いてる?
『──震えは止まったか?』
「え」
『こっちは姿が見えないからこそ音に一番集中してる。だから俺に隠しても無駄だ。それにその反応は一般人なら普通だから謝るなよ?』
「……切るって、なったら怖くて……でも、多分大丈夫」
『あのなぁ?聞いてるのは俺しか居ないんだから弱音なら隠さず吐け。でも、お前が死ぬのは困るから解体はやって欲しい』
「松田くんのばか、鬼、いけず……たらし……」
『おい!俺の悪口言えとは言ってねぇよ』
「大丈夫──もう、切れるから」
呆れたように怒る松田くんにそう返せば、大きなため息が返ってくる。酷い悪口は言ってないのに……。
『そう言われたら俺は信じて任せるだけだ』
「ふふっ……さっきまで怖がってた素人の私を、信じてくれるんだ?」
『別に素人じゃなくてもお前なら全部信じる。好きな女だから、な?』
「そっ、か」
なんかとんでもない口説きをされた気がするけど、多分きっと気のせい。
なんだか心臓がうるさい……いや、きっとこれは心臓が誤作動起こししまっただけ。つまりは松田くんのせい。
『ああ、でも切るのが怖いなら息を吸って切り終わるまで止めとけ』
「生活の知恵……?」
『それを言うなら爆処の知恵だな。ある程度は震えが治まるから新人には教えてる』
「そうなんだ。なら、私も試そうかな」
すぅはぁと軽く深呼吸。ちょっと大きく息を吸って吐かずに止める。
そのまま松田くんが指定した白い線を鋏の刃で挟んで、指に力を入れればパチンと切れた。少し力は必要だったけど、手の震えも止まって切れる。
「切ったよ」
『上出来。じゃあ、次は黒』
「うん……切れた。次は?」
『緑』
松田くんに指示されるまま切って行けば残りはあと、三つ。赤と青と黄色だけ。
ただ赤と青はなんだか絡まっているから切るのは大変そう……黄色までなら楽に切れそうなんだけど、気合い入れないと。
「緑も切れたよ」
『なら、次はあ……いや、黄色だ』
「赤か青じゃなくて良かった?」
『いや、その二つはまだ早い。黄色で、頼む』
「了解」
パチンと音を立てて黄色の線も切れば残りは厄介な赤と青だけ。
「切ったよ。残りは赤と青だけだけど」
『言っとくけど、切るのは片方だけだからな?』
ちょっとだけ、まとめて切れないかと思った私の考えはどうやらお見通しらしい。鋏が小さいから小回りが利くと言えど、せめて絡まっていなければ良かったのに。
「大丈夫、指示がある方だけにするよ」
『セオリー通りなら切るのはあ──……』
松田くんが残りの切る色を言おとした瞬間に、電話口で爆発音。
「松田くんっ!?」
スマホを拾って名前を何度呼んでも聞こえるのは無機質なツーツーと電話が切れた事を知らせる機械音。
一旦電話を切って、私から掛けても『この電話は現在電波が入らない場所に──』なんて自動アナウンスが返ってくるだけ。松田くんの安否も心配だが、私の目の前には解体途中の爆弾がある。
残っているのは絡まった赤と青の線。どちらかを切れば終わりなのに、松田くんから聞けたのはどちらとも取れる頭文字だけ。
頼れる人が居ない今、どちらを切るかを私に委ねられている。片方は爆弾を止める線、もう片方は爆発させる線。
じっくりと考えたいのに爆弾が爆発するまでの残り時間は──あと一分を切っている。悠長に悩む時間はもう、無い。
****
二本が絡まっているが、青であれば恐らく切りやすい。試しに鋏を差し込んでみても赤よりも青の方が手間にあるからかも。
「赤って言うと……運命の赤い糸」
ふと二つの線を見ていて思い出したのが、この劇場で今公開されている赤い糸伝説。運命の赤い糸についての話でカフェで時折お客さんの会話でも挙がる事があった。
確か、自分の左手薬指から運命の相手の左手薬指に赤い糸が繋がっているって有名な話。
現実で繋がっている訳じゃないのに、つい自分の左手を見てしまう。
分かっているのに、やっぱり何もない。
赤は運命の糸。それなら青は松田くんが好きな色。
鋏は絡み合う二つの線を行ったり来たり。松田くんと運命の糸なら、私の答えは一択。でも、松田くんなら違うかも。
あーあ、こんな時でも松田くんの事ばっか。すきって素直に言えば良かった。
残念ながら、運命なんて……やっぱりないのかも、しれない。
だから、切るのはこっち。
ばいばい。
運命だったかもしれない赤い、線。
さようなら。
松田くん、私がずっと好きな人。
パチンと切った音は他の線と同じ軽さ。やっぱり運命なんて無いんだね。
目を閉じて、爆破までの残り時間をカウント。あと十秒だったからゆっくり数えてもすぐ。
「にぃ……いち、……ぜろ」
セオリーの色は分からない。でも松田くんが好きな色を残した結果が今。
カウントはぴったりゼロになったと目を開ければ、あと一秒を表示して止まった時計。止めていたのに、ふぅと自然と漏れた息。
「あははっこれもまつだくんの、おかげ……なんて、ね」
入口の方から音がする。建物の崩壊の合図か、はたまたレスキュー隊か。
動くべき、なんだろうな。それでも足は動かない。ただ一つの線を選んだだけでどっと疲労感。このまま大の字に寝そべりたいくらい。
──爆弾解体なんて、頼まれてもやるんじゃなかった。
「それでもやっぱり、まつだくんが、すきなんだよなぁ……」
素直に好きは返せないのに、惚れた弱みはここでも発揮。でも、走馬灯や松田くんの顔すら思い浮かばない。ぷつんと緊張の糸が切れたせいかも。
もう、良い?頑張ったって松田くんもきっとそう思うよね?
綺麗じゃないとは分かっているけど、そのまま後ろへパタンと倒れる。視界に爆弾が無いだけでも、随分と息が楽かも。
あとどのくらいで爆弾が爆発するか、なんて分からない。それでもほんの僅かな時間だけでもリラックス。
「──っ!」
まだ爆発してないのに、どこからか松田くんの声が耳に届いた気がした。
もしかして、都合の良い妄想?いや、気付いてないだけでもう爆発しちゃって死後の世界かも。
電話が途切れた松田くんが、すぐに助けに来るなんて都合が良すぎる。
お姫様なら、なんて思っても私はヒロイン未満だから。松田くんって王子様が助けに来なくても仕方ないよね。
仕方ないなんて言い聞かせても体は素直。瞑ったはずの目から溢れる涙が頬を濡らす。拭う元気は無いから腕で目を覆えば、服が吸っていく。
横着しないで、ハンカチを使うんだった。なんて、手遅れな後悔。
「──おいっ無事かっ!?怪我は!?」
少しの風を感じたと思えば、抱き起こされる。目を開けると目の前には松田くんの焦った顔。
「ぶ、ぶじだけど、あの、ばくだんが……」
「あ?……大丈夫だよ。ちゃんとセオリー通り赤を切ってるから爆発しねぇよ」
「え、」
「二択で正解を引いた。この施設に居た人間は劇場ロビーの人間も今避難してるが、皆無事」
つまっていた息がやっと吸えた気がする。じわじわと湧く実感に手が震えてるかも。
「こんな極限な状態で、自分で正解を選んだんだ凄えよ。……つっても、言葉じゃ伝わんねぇよな。その代わりにキスしてやろうか?」
「まっ松田くん……!」
「……あー、いや、今のは忘れろ。これもハギっぽくてキザな台詞だったしな。ま、今度旨い飯にでも連れてってやるから──……」
慌てて言葉を重ねる松田くん。らしくないと分かっていても、私は思わず彼の服を握ってしまった。
私の視線から逃げるようにそっぽを向く松田くん。下から見上げる私には赤く染まっているのがよく見える。
「き、きすしてくれないの……?ごほうび、ほしいなー、って」
「はっ──こちとら残業確定なのに、あんま煽るなよな?」
ばか、なんて笑った松田くんの言葉すら二人のキスで飲み込んでしまった。
「んっ」
そうして触れ合った熱がお互いの唇に残る前に、あっさりと松田くんが離れていく。
一瞬だけ見えた、少しだけバツの悪そうな顔。私の頬が緩んだのがバレてないと良いな。
「名残惜しいけど……俺らもそろそろ避難するぞ」
「あっ、松田くんまって」
「あ?まだ何か、」
「あの、もっもう一回は……だめ?」
でも、今は二度目のキスを強請りたい。だって、それを見ているのは解体した爆弾だけだもの。
じっと見つめれば、少しの葛藤を払うように頭を掻いて仕方なさそうに笑う松田くん。
でも、分かるよ?松田くんも一回じゃ足りないって顔をしているから。
だから、一回じゃなくて何度でも。松田くんからのキスが欲しい。
「……ったく、しゃーねぇなぁ。今すんのは、あと一回だけだからな」
──すき。
避難をしたら、ちゃんと告白しよう。今度は私から。ずっと前から松田くんが好きって。





















