ウォレットを勝手に使った事に関してはしっかりと叱って、私とかぐやは帰宅した。
すると、そこに待っていたのはかぐやが作ったという手料理で、それも私のウォレットで買った材料が姿を変えたものなのだけれど、金の件はすでに叱ったので、私は純粋な気持ちで食卓に座った。
ポタージュも、サラダも、ハンバーグも、何もかもが美味しかった。
健康的な生活をしたお陰で味覚が戻ったことを、これほど嬉しく思った日はない。普段は、自分で作っても全く喉を通らないから、日持ちするようなものばかり作っては、数日かけてちまちまと減らすのだけれど、これはちゃんと完食できそうだった。
美味しい。
美味しいよぉ。
こんなにも小っちゃくて細くなった体にも、あったかい料理はちゃんとしみる。
「……ごちそうさま」
久しぶりに、晩御飯を一通り完食することが出来た。
まともに満腹感とやらを味わうのは何年ぶりだろう。食べなきゃ体調も良くならないって分かってても、どうしても体が受け付けてくれない日々。
「美味しかった。久しぶりに、誰かの作った料理を美味しいと思ったかも……」
「~~~~!!やった!やった!やったあああ!」
大袈裟だな。
身振り手振りで喜ぶかぐやを見ていると、私まで気分が落ち着いてくる。まったりした空間で、忘れないうちに予防の薬を飲んでおく。
「え、彩葉……それなに?お薬?」
それを見たかぐやが訝しげに首を傾げた。
「うん。昔から体が弱くてね。朝と晩で、一回ずつ飲まなきゃなんだ」
数種類のお薬を、朝と晩に一回ずつ。
そうしないと、発作に加えてまともに生活もできないくらい体調が悪くなる。忘れたりした場合、次の日は病院送り確定だ。
「そんなに重い病気とかじゃないから、気にしないで」
「ふーん……人間って大変なんだね。なんかお薬って苦そうだし、かぐやは毎日そんなに沢山飲むなんて考えられないや」
そりゃ美味しくはない。
良薬口に苦しとは言うが、その程度ならもう慣れたし、そこまで苦じゃない。飲み始めた頃はそもそも味覚が消えてたし、この工程を辛いと感じたことは実はなかったりする。
「病気にならない宇宙人はいいですねっと……もうこんな時間か」
スマホのアラームが鳴って、午後八時半を知らせる。
予習は出来ていないが、まあいい。課題は当然できているし、この子を受け入れた時点で向こう一週間のスケジュールはリスケ済みだ。
今は行かなくちゃいけない。
「待って!またかぐやを置いてくの?」
そこでかぐやがどう思ったのか手を握ってくる。
「置いてかないよ。てか一緒に行くし……その為にそれ、買ったんでしょ」
示したのはかぐやが勝手に買ったスマコンだ。
そう言っても、用途を知らないかぐやは要領得ていない様子だが、こればかりは実際に体験してもらった方が早い。
私はスマコンの使い方と、ツクヨミへの入り方だけ教えて、かぐやと並んで座る。
握った手から、じわりと温かさを感じる。
「それじゃあ、行くよ。せーの」
✧・゚: *✧・゚:*
ツクヨミはいい場所だ。
ここでなら、全力で体を動かしても息切れしないし、アバターはまるで己の魂を反映した分身であり、目に映るものが全て仮初なら、ここでの関わりは現実でのそれみたいに偽物と疑う必要すらない。
現実とは切り離され、ここでは『酒寄彩葉』ではない誰かになれる。
更に、この世界は常に私が好きな夜のまま。永遠に朝が来る事は無く、そこは私にとって楽園といって良かった。
初めてログインしたその日、私はすぐに魅了された。
『KASSEN』で対戦相手をぶちのめせば、ランクが上がって、そうした数字の上昇は現実では意味も価値もない私に、別の付加価値が付いているようで気持ちよかった。
狐娘のアバターでログインしてしばらくゲート前で待っていると、金髪のギャルいかぐや姫が現れた。
なんか、犬のマスコットも連れている。
「金髪の、ギャルいかぐや姫……いや、めちゃくちゃ可愛いキャラクリだけどさ。てか、その犬なに?」
「犬DOGE!昼の暇な時間に携帯ゲームキット弄って作ったの!」
さいですか。
では、ご降臨なされたかぐや姫に早速この神の国を案内するとしよう。時間まではまだ余裕があるし、触りの部分くらいは楽しめるだろう。
この世界には、無限の楽しみ方がある。
ライバーになって自己表現をするでも、稼いだふじゅーでライバーを推すでも、『KASSEN』で並みいる強敵と戦うでも、それ以外にも特技を活かして様々な活動ができる。
一度楽しみ方を理解すれば、活発なかぐやならすぐに自分なりの遊び方を展開できるだろう。
そうなれば、今日のように私が居ない時間も退屈する事は無い。
一通りメインストリートを回った後、私とかぐやは静かでひとけのない一角でくつろいでいた。手元には、嘘っこのパフェ。
「ん?味しな~い!」
「味覚とかその辺はまだ無理みたいよ。現実に届けてくれるのもあるけど、高いんだよね~、あれ。普通に有名店の食べに行ってもおつりが出るくらいには……」
味のしないパフェも、私にとっては割と慣れたものだ。
こういうものだと思えば、かぐやほど悲観することはない。
この夜空の下で展開される世界は、そんなこと些事に見えるくらいには魅力的で、私もそれに憑りつかれた一人だ。
そしてこれから、その魅力の最たるものを目にすることになる。
「……時間だ。行こう」
かぐやを連れて、ツクヨミに点在するライブ会場へと移動する。
三連休を終えた次の日、いつもならバイトが入っている時間帯にも関わらず、夕方以降をフリーにしていたのは、芦花と真実との約束があったからだけじゃない。
間違っても遅れるなんてことは有り得ない。逸る思いに背中を押されながら、かぐやが「待ってってば!」と叫ぶのを背中に受けながら走る。
そこは水に浸された幻想的なエリアで、巨大な鳥居が中央にあって、今宵ここではとある歌姫のライブが行われる。
時間ギリギリにライブ会場に飛び込むと、既にカウントが始まっていた。
「ああ、やっと始まる。ようやく、会えるんだ」
あのカウントが0になれば、私はようやくこの命に少しばかりの活力を与えてくれた存在を直に目にすることが出来る。
「ねえ、彩葉。これからなにが始まるの?」
「見てれば分かるよ。本当に……凄いから」
やがて、カウントが0になる。
巨大な鳥居の頂点に光が集まって、一人の少女が顕現する。海洋生物をモチーフにした和の装いをした、この常夜のツクヨミに光をもたらす存在。
月見ヤチヨ。
私の生涯の推しにして、病気が発覚する前と、東京に来て以降は私にとってかけがえのない心の支えのひとつでもあった。
「やおよろぉーーーー!!!」
お馴染みの挨拶をすると、ライブ会場は一気に盛り上がる。
そんな姿を見ながら、私は呆然とその姿に目を奪われていた。
凄いな、ヤチヨは、そうして声を発しただけで、多くの人に元気を与え、瞬く間に虜にしてしまう。かく言う私もその一人だ。
大袈裟な表現をするなら、彼女がこの世界の光で、私は影だ。
もし叶うなら、今わの際は彼女の歌を聴いていたい。
彼女が歌唱する『星降る海』のように、寄せては返す波のように、私の心も体も連れていって欲しい。
だけど、それはもう少し後。
私は死ぬ前に、この傍に居るかぐや姫をこの世界で私無しでも生きていけるまでに面倒を見なければならない。
私という存在は、ヤチヨにとっては、数多居るファンの一人にすぎない。
でも私にとっては、唯一無二の存在なんだ。
このミニライブの握手付き限定チケットを手に入れた時、少しでもいいから彼女を近くに感じられたなら、思い残すことはもうないと、本気で思っていた。
嗚呼、ライブが終わってしまう。
夢の時間が、終わってしまう。
歌唱が終わると、ヤチヨがいつも通りのハイテンションで場を盛り上げて、それに乗せて新たなイベント【ヤチヨカップ】の開催を宣言する。
その優勝者にはなんと、彼女とのコラボライブに出演する権利が与えられるのだ。
「……コラボライブかぁ。今までライブはずっと一人だったけど……遂にやるんだ」
「彩葉。それって凄いの?」
「凄いよ。ヤチヨがデビューしてから結構経つけど、配信でのコラボとかはあってもライブだけはずっとソロだったから……でも、そっか」
感慨深い、と言えばいいのだろうか。
元のファンの数が物を言うこういうイベントにおいて、番狂わせは非常に起きづらい。頂点を取る人間は最初からある程度決まっているんだけど、そうと分かっても、思わずにはいられない。
「いいなぁ」
私らみたいなモブが、相手にされることはない。
誰にも知られず、一年後には死ぬような命で、それでもそんな大それたことができたなら、少しは満足して逝けるのだろうか。
自分の人生には、価値があったと、そう言えるのだろうか。
なんて、こんなのは怠け者の無い物ねだりだ。今、そういうステージに立っている人達だって、それぞれ大なり小なり難しい事情を抱えながら、それでもめげずに頑張って来て、それを掴んだ。
病気と、周囲の人間関係、そういったあれこれに負けて、進むのを諦めた私とは根本的に違う。
羨むなんて、有り得ない。
こんな矮小でちっぽけな存在が、そんな事を思っては彼らにも失礼だ。
「ん?じゃあ彩葉とかぐやで一緒にやればいいじゃん」
そんな中で、やはり無神経なお姫様はそんな事を言うものだから、私は苦笑して返した。
「やらないし、やれないよ。こういうのは、出来る人ってのは最初から決まってんの。私らなんて、最初からその枠に入ってない。いわゆるモブってわけ」
「えぇ~~!」
さてさて、この後はお待ちかねの握手会だ。
何を話そうかな、とか考えていると、今度はライブ会場の入口から大きな音が響いて、一台の牛者ならぬ、虎が引く虎車が乱入してきた。
その派手な登場と、車に飾り付けられた意匠から私も、会場の皆も、それが何者かを悟る。
「げっ……あれは……」
黒鬼。
KASSENにおける絶対的王者たるプロゲーマーユニット【ブラックオニキス】が、祭りの開催に際して現れた。
虎車の屋形が粉々に弾け飛んで現れた三人。
そのうちの一人である帝アキラを見て、私はため息をついた。
「……相変わらず、眩しいな」
一瞬、帝と目が合ったような気がした。
すぐに目を逸らしたけど、きっと向こうも気付いただろう。
これは、また今度なにか言われるな。そう思って、肩を落とす。
「ん?かぐや?なにして……」
すると、かぐやがずんずんと前へと出て行く。
何をするつもりだ?と思っていると……
「すぅ……ヤチヨぉぉぉおおおおお!!!!」
「は?」
ライブ会場の視線が一斉にこちらへ集まる。それだけの声量だった。
この子はまたしても何をやっているのだろう。呆気に取られていると、かぐやはその声量のままある宣言をした。
「かぐやがヤチヨカップ優勝する!そんでコラボライブもする!彩葉のために……!」
「はいはい、そこまで。なにやってんのよ、あんたは……」
私の名前まで口走ったので、彼女の口を塞いで後退させる。
注目を浴びてしまった恥ずかしさと、先程から向けられている帝からの妙に優しい視線がうっとおしくて、首を横に振ってため息をついた。
握手会前のアクシデントは、黒鬼の退場とともに収束し、そこからは本来の予定通り、ヤチヨとの握手会だ。
形式としては、ヤチヨが無数に分身して、握手会の権利を持つユーザーと交流する形だ。
「全く、折角の握手会なのに……なんだって直前にこんな思い……を……っ!?」
気を取り直して、今度こそ握手会だ。
そう思った矢先だった。
心臓が、ドクンと強く脈打った。
その瞬間、悟った。アレが来てしまったと。
なんで……なんでよりにもよって今なの?
徐々に胸が苦しくなっていって、次第にそれが心臓を鷲掴みにされたような激痛へと変わるこの感覚。
それはこれまで何度も経験した発作の予兆であり、このタイミングでもっとも来て欲しくなったものでもある。
「彩葉?どうかした?」
私の異変に気付いたかぐやの声も、どこか遠く聞こえる。
後少し、もう少しなのに、痛みはどんどん増していく。
知っている。これは、気力を振り絞ったからといって我慢できるようなものじゃない。
「っ……なんで、今……!カフェでも……一回、あったのに……」
胸を押さえて悪態をつく。
これまで、一日に二回も発作が来たことは一度もなかった。この数日の疲れが祟ったのか、原因は不明だが、どちらにしたって最悪だ。
絶望のあまり、泣きそうになる。
目線をわずかに上げると、ヤチヨが四方八方に分身を飛ばして、ファンとの交流が進んでいるのが見える。
――あーあ、結局私って……なにやっても、ダメだ……
間が悪い。情けない。ダサい。恥知らず。こんな自分が、過ぎた贅沢を欲しがったから、神様が罰を与えたんだ。
いつもそう。
この体が言う事を聞いてくれた試しはなく、ちょっと走っただけですぐに息が切れて、友達と遊んでても間が悪く発作で席を外すことになって、そういう事ばかりだ。
「……ごめん、かぐや……先に帰ってる」
「えっ、彩葉!?」
痛みが限界まで膨れ上がって、我慢できずにその場でログアウトする。
意識は瞬時に現実に戻って来て、私はすぐに薬の入ったポーチを掴み上げて、ペットボトルを持ってトイレにこもった。
扉に背を預けて、震える手で痛み止めを飲む。
「う、うぅ……あぁぁ……」
嗚咽をもらす。
先程まで満たされていたはずの心は冷え切っていて、何事も無ければ今頃大好きな存在と触れ合っていたはずの手は、弱々しく胸を押さえている。
中々収まらない痛みのせいで、精神まで脆くなる。
こんなだから、私は……生きる気力を持てないんだ。
□
とても楽しいライブだった。
いつもライブは最高だけど、今日は特に気持ちが入っていたと思う。何せ、このライブは”かぐやと彩葉”が初めて二人でツクヨミにログインした、その日に見たあのライブだから。
思えば、あそこから全てが始まったんだ。
ヤチヨカップで優勝する為にライバーになって、彩葉と一杯楽しい事をして、あの日々が何千年が経ったって永遠に私の胸に刻まれている。
そうして、この世界でもようやく、彩葉が生まれた。
その時の私の喜びは、およそ言葉で言い表せるようなものじゃない。
彩葉がそうしてくれたように、今度は私が彩葉の成長を見守る番で、ヤチヨチャットを通じて彼女に助言しては、愛しさと一緒に得意気になったりもした。
それなのに―――
この輪廻は、おかしい。
彩葉が、病気になったのだ。それも、余命宣告されるような、完治の見込みがない難病だ。目の前が真っ白になった。私の経験した日々に、世界に、そんな事実はなかった。
それなのに、この世界の彩葉はそうなって、その余命すら高校卒業までが山場だって、突き付けられた残酷な事実に私は何度もこの現実に出て行くことの出来ない電子の体を恨んだ。
嫌だ。
彩葉が死ぬなんて、私には耐えられない。
この八千年を越えられたのは、また彩葉に会えるって思ってたからだ。なのに、こんなのってあんまりだ。
彩葉が死んだら、今度は彼女の居ない世界を、それ以上の年月生きることになる。
でも、私にはどうにもできない。
病気が発覚してからは、チャットを送ってくることもめっきりなくなって、私から彼女を助ける手段は断たれたも同然だった。
それでも、私は活動を続けた。
か細い可能性にかけて、挫けそうになっても走り続けた。
そうしてようやく、この瞬間を迎えられたんだ。
けれど、世界ってのは何処までも残酷で、叶うはずの再会のシナリオは唐突に破り捨てられた。
「え……いろ、は?」
小さく、動揺の声が漏れた。
誰にも聞かれていなかったと思う。
やっと会えるって思って、ファン達の元へ放った分身のうちひとつに主人格を反映して、彩葉のもとへ向かっていた時のこと。
視界の先で、彩葉のアバターが唐突に消滅した。
後少し、もう少しで会えるって所で、彼女は苦しそうに胸を押さえてツクヨミからログアウトした。
――そんな……やっと、会えるって……思ったのに……
どうして、叶わないんだ。
八千年も頑張ったのに、何で、こんな小さな願いすら神様は許してくれないんだ。私、そんなに悪いことしたかな。
かぐやも、彩葉を追ってログアウトする。
待ってと伸ばした手は、何者の手に触れることもなく、虚しく空を切る。
「…………」
今も賑わう人混みの中で、一人、隔離された世界の只中に居るみたいに立ち尽くす。
私の八千年ってなんだったのかな。
こんな世界を、展開を迎えるために頑張って来たんじゃない。
また彩葉と会えさえすればそれだけでいいって、幸せだったあの日々を、今度はヤチヨとして過ごせたらなって、ささやかで、甘くて、淡い希望を胸に抱いた。
そうして辿り着いた先は、私が想像していたよりもずっと苦しくて、切なくて……
私は自らの作り出した仮想の夜空を見上げて、小さく、誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。
「こんなの、あんまりだよ……誰か……助けて」





















試練は流される血で終わる。そうならないように、頑張れ!彩葉!