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ある科学者の死について

アナトミア記念試作設計開発工廠アナトミア記念試作設計開発工廠

死ネタ注意、悲しくはないです かぐいろヤチ時空、ヤチヨによる手記です。 超かぐや姫!のテーマにひとつに人間賛歌を感じたので、人の営みそれ自体を愛したヤチヨと、その目に映った彩葉の生涯という切り口から妄想しました。 変な設定や用語が散見されるのは完全に私の性癖です、気にせず読み飛ばしてください 超かぐや姫!ってやっぱりSFでもあると思うんですよね (言い訳)

英弘15年5月29日

私の愛する恋人、酒寄彩葉は去る27日、安らかに息を引き取った。

死因は多臓器不全。私たちの立川の自宅で、私とかぐやと、多機能療養支援装置に見守られながら、清潔な真っ白のシーツの上で眠るように死んだ。124歳だった。

後年は天才科学者と呼び声高い彼女も寄る年波には抗えずアルツハイマー型認知症の診断を受けたが、幸いにも彩葉の生きる時代のうちに先進型認知症治療薬と側頭葉外挿代謝装置の実用化により、私とかぐやのこと、彼女のアイデンティティと人生のこと、その大半の記憶は最期まで忘れることなく、その生を終えた。

思えば私の8000年の人生の中で最も愛したこの人は、私の人生で出会った数多の人間の中でも最も長く生き、最も長く私のそばに居続けた。これほどの幸せは何を以てしても代えることはできないと思う。

言うまでもなく彩葉の生涯を通じた尋常ならざる努力の結果がこうさせた──彼女を幸せのまま生き永らえさせたのであって、私がそばで見守ってきた彼女の人生の苦痛と悲しみ、それを乗り越えた努力と覚悟、これらに裏打ちされた類いまれな能力を思えば、彼女には幸せな人生を送る当然の権利があり、また、幸せにならなければならなかった。そして彼女はその通りに幸せな人生を全うし、最愛の妻に見送られて幸せに死んだ。

しかしながらあえて付言するならば、その幸せの最期を支えたのは高度に発展した医療技術とわが国の公的保険制度であって、その恩恵を最大限に享受したのは彩葉と、彩葉のそばに居続けることができた私そのものである。

今でも克明に思い出せる、長い人生の中で見送ってきた数多くの人々。不時着した船にほど近い浜で栄養失調のまま斃れた幼子。凶作と感染症で全滅した村の妊婦。窒素肥料と近代農業があれば。なんなら、経口ブドウ糖溶液と抗生物質さえあれば救えた命だった。私は何もできず、死にゆく間際にその手を握ってやることもできず、ただただ彼らの運命を目の当たりにしていた。

それに比べればどうか。私が彩葉と出会ってすぐ、彼女が学生時代に熱で倒れたときは豊富な栄養と快適な空調、清潔な寝床を提供できた。私が義体を得て再会したすぐ後に彼女が新型感染症で40度を超える高熱に数日苦しんだときも、かかった病院の初老の医師は直ちに有機化合物の塊を投与してくれ、みるみるうちに顔色が良くなるさまに胸をなでおろした。

医療の進歩とは凄まじいものであった。たかだか500年前には4~50代で死んでいた人間は気づけば80歳そこらになっても街なかを闊歩し、高校生の彩葉に対して私が「人生100年時代なんだから」と声をかけていたその人生とやらは、今になっては人生120歳時代なんてフレーズに取って代わった。

月の情報思念体は死を知らない。データとしての命が尽きるその時は、月の文明が数億年という周期で情報言語のパラダイムシフトを迎え、月という巨大なひとつのデータたる社会構造そのものに適応できなくなる時であった。それはもはや死というより、月人として生を得た時点で与えられた「決められた役割」の満了と役割からの解放、言い換えればプログラムとしてお役目御免を被っただけのことだった。

そんな私たちに有限の命を与えてくれたのは彩葉だった。やり直しの効かない、たった一度きりの命という構造を私が認識し、嚙み砕き、理解し、絶望し、受け入れるのには数千年を要したが、それも彩葉と再会し、一緒に生き、一緒に死ねることが分かったとき、初めて死というものを直感的に私の中の価値観に位置付けることができた。それは不思議と、数多の死を目撃して仮想上の涙を流し続けてきた私にとって、決して悲しいことではなく、また、回避すべきことでもなかった。

最初こそ私とかぐやの身体は不完全な機械だったし、彩葉は大小様々な技術的課題と格闘する毎日だった。しかしながら感覚情報の処理技術は私に五感を与え、酸化分解型有機燃料電池の実装は私に人間と同じ食生活を許し、生体内ナノマシン技術は私に怪我と治癒の概念をもたらし、自己複製型代謝回路は私に抵抗不能な老いを強いた。彩葉が私を人間に近づけるにつれて、私は生の実感と同時にやがて訪れる死への悟りを強固なものにしていき、私はそれが、彩葉と一緒に死ねることが、たまらなく嬉しかった。

彩葉と過ごした100余年、私の[[emphasismark:人生 > ﹅]]は余りにも幸せに満ち溢れたものだった。それは振り返れば一瞬の出来事のようにも思えたが、思い出の数々を枚挙すればとても長い人生ともいえた。もちろん楽しいことばかりではなかったし、幾度となく一喜一憂を繰り返し、社会のニュースには心を痛め、目を背けたくなるようなこともあったが、それも彩葉とかぐやと過ごす毎日の前には全てが些事だった。

彩葉と私たちが働き盛りの壮年も半ばといった頃、私たちが住む東京と首都圏一帯は巨大地震に襲われた。日頃より危機管理に神経をとがらせていた我が家の亭主の甲斐あって私たちの身は大きな被害もなく、数週間の不便を強いられるに過ぎなかったが、例年を大きく上回る酷暑に見舞われていた真夏の首都圏を襲った大規模停電は復旧にかなりの期間を要し、医療機関での混乱を筆頭とする災害関連死が連日報道されていたその年は、私の精神に少なからざる影を落とした。テレビの前の私をそっと抱きしめてくれた彩葉の体温とほのかに香る芳香は、沈み込んだ私の心にそっと手を差し伸べてくれた。

今より和暦が2つほど前、彩葉が晴れて大学教授を退任し、研究所を腹心の教え子に託した頃、長らく地域の緊張と引き換えに綱渡りの平和を享受していたわが国は、ついぞロープから転落した。とは言っても日本政府の落ち度によるものではなかったし、後世の歴史家からも回避は困難であったと軒並み評価されているが、ともかくわが国は戦争状態に突入した。直近のわが国の暗黒時代と過ち、焼き尽くされる街、頭上を我が物顔で飛び回る銀色の巨人、顔も分からない程ひどくいたぶられて死んだ多くの友人をこの目で見てきた私は、ついに再び起こってしまった戦争にひどく取り乱し、腹からすえた液がこみ上げるほどであったが、そんな時も隣で手を握りしめ、私が泣き疲れて眠れるまでずっと優しい声をかけてくれたのも彩葉だった。

彩葉の研究所に勤めていた社会学系の先生は私も何度か会って面識があった。丸眼鏡にあご髭をたたえ、深く刻まれたシワが印象的だった老人の彼はこの戦争の可能性を誰よりも早く指摘し、それを確度の高い信頼できる予測だと見抜いた彩葉は、私たちに相談するよりも早く、私たちを連れて攻撃対象となりうる東京から長野県軽井沢の中古の別荘に移った。幸いにも首都圏に向けて放たれた延べ150発にものぼる旧式の大陸間弾道ミサイルの奇襲は、国内外から散々戦争の引き金になると非難を浴びた新進気鋭のイージス護衛艦らがこれを1発残らず撃ち落とし、それを声高に知らせるアナウンサーの語り口を私は静かな別荘地の深緑を眺めながら耳にし、この別荘を手放して立川のタワーマンションに帰る目途が立ったことに3人揃って安堵の溜息を漏らしたものであった。

ざっと一瞥しただけでも私が彩葉と生きた時代は激動の時代と言ってよかったが、それでも変わらずに穏やかな日常を過ごすことができたのは、彩葉の存在のおかげに他ならなかった。私の人生の全ては彩葉だったし、思うに彩葉の人生の全ては私とかぐやだった。彩葉と過ごす時間さえあれば他に何もいらなかったし、彩葉とかぐやと私が3人で手にした莫大な収入も不動産も有価証券も、それに比べたら何らの価値も感じなかった。彩葉が40を過ぎて投機目的で購入した港区のタワーマンションの一室よりも、彩葉とかぐやと出かけた帰り道のコンビニの、3人並んで食べ歩いた150円のアイスのほうがよっぽど貴重で素晴らしいものだった。

この手帳のページも残り少なくなってきたが、彩葉の死に寄せて私が手記を残そうとしたのは、ひとえに彼女との人生がいかに素晴らしいものであって、彼女の死を心残りだとは思っても、決して悲しい出来事ではなかったということを、文字にして残したかったからである。この手記は誰の目にも触れることなく、やがて彩葉の葬儀を終えた私とかぐやが揃って生体活動を終了すれば──すなわち死ねば、終活サービスの無人作業ドローンが家財道具と一緒に焼却炉に持っていき、灰となって東京湾に埋め立てられるだろう。文豪が遺した未完の原稿が日の目を見ずに役目を終えるように、あるいは死蔵された親戚のスクラップブックが大掃除で捨てられるように、または太古の古墳が気づかれぬままブルドーザーで平らにされるように、人の記録というものは案外そういうもので、だからこそ私はそれでいいと思う。

ただ単に、私が心の底から愛したひとりの天才科学者が生き、そして死に、酒寄彩葉という何者でもない人間が私のそばにいたという事実のみが、そしてその事実を述べた一冊の手記が存在したという事実のみが、私──月見ヤチヨにとって何よりも重要なことだからである。

これが貴方のハッピーエンドであると信じて、どうか安らかにありますように。

— End —

Comments 3

N
nekosi3 天前
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4 天前

バッドエンドではないのはわかってても、やっぱり切ないな 彩葉が最後までみんなの記憶を持ったままなのが本当に良かった…

語彙力皆無褒めbot4 天前

よき…

Sakuria
Where every work blooms
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