翌朝、目が覚めた瞬間、角名はもう見慣れた寮の天井を見つめたまま、しばらく瞬きを繰り返した。
『角名くんのバレー、好き』
「……ぅううう…」
布団の中でそっと顔を覆う。夢みたいだと思った、いや夢では困る。しかし、あまりにも現実味がなくて、まるで狐に化かされたみたいだと思う。一瞬だけ見せて、するりと消える。淡々とした表情からの、あの万遍の笑みは、あまりにも反則だった。
昨日のナマエの笑顔を思い出す度に、胸の奥がざわついて、心臓が少しだけ速くなった。
朝練を終え、角名は足早に教室に向かっていた。顔が見たい、声が聞きたい。こんな感情は初めてだった。
角名は自分でいうのもなんだが、ちょっとモテると自負している。いや割と、そこそこ。背が高い、運動部。バレンタインにチョコだって貰ったこともあるし、告白もされたこともある。可愛かったからOKしてちょっとだけ付き合ったこともある。(バレーが忙しくてすぐ別れたけど)
それが、ここまで一人の女の子を気にするなんて始めてなのだ。角名は初めての感情に戸惑っていた。
待て待て落ち着けと一呼吸。別に気にしていませんよ、と心の中で言い訳をする。表情筋をゆるめて、整える。いつも通り、いつも通り…。
教室に入ると、視線は自然を装って、自分の席へ流す。
あれ?そこにあるはずの光景が、違った。
いつもなら自分の席で本を読んでいるナマエ。静かにページを捲って、こちらがおはようと声を掛けたら少しだけ顔を上げて挨拶を返してくれる。
それが日常。なのに今日は、その彼女が机に伏していた。腕を枕にして、顔を窓際に向けて。だからこちらから表情は見えない。自分の席につき、体ごと後ろを振り返って覗き込めな、すうすうと規則正しい呼吸をして目を閉じていた。
眠っている。昨日あんな顔で笑ってたのに。こんなにも無防備に眠っている。長い前髪はさらりと流れ、素顔がばっちりと見えていた。
窓の外で、厚い雲の切れ目から、細い朝日が差し込んだ。真っ直ぐに、ナマエの顔を照らすせいで、長い睫毛がくっきりと影を落とす。それが綺麗で角名は見惚れていれば、ナマエの眉が僅かに寄った。眩しそうに、ほんの少し顔を顰める。
角名は無意識に手を伸ばしていた。顔に直接あたる光を遮るように、掌で影を作る。光は遮られて、ナマエの眉が緩む。その瞬間、瞼がゆっくりと持ち上がった。視線が上を真っすぐ上を向く。ナマエが、少しだけ目を細めた。
「…おはよう」
寝起きの、少し舌ったらずな、柔らかい声。角名の心臓が、強く打つ。声が震えないように、冷静に、角名は平静を装い声を絞り出した。
「…おはよ。珍しいね、本読んでないの」
「昨日は帰ってすぐ部誌用の小説書いたから」
「部誌?」
「文芸部の」
ふわ、と欠伸をしてぼんやりと角名を見る。顔を上げたらいつもの通り長い前髪はナマエの瞳を隠す。角名はナマエが何を考えているのかさっぱりだった。
「朝練どうだった?」
自然な問い。でもその言葉に、角名の脳内が止まる。
「…何もなかった」
何もなかった、本当に何もなかったのだ。陰口も、陰湿な視線も、やっかみも。煩わしいものが、全部消えていた。嫌がらせをしていた先輩の一人は、目の下に隈をこさえ、更には坊主頭にして朝練に参加していた。
もう一度すまんかったと頭を下げ、練習をしていたのだ。朝練が終わると歩きながらナマエが渡していた本を読んでいた。しかし理解出来ないのか首を傾げていた様子がなんともおかしい。
久々に何も気にせず朝練を出来た。ナマエのお陰だ。
角名の答えに「そっか」と小さく息をするみたいに言った。少しだけ安堵が混じったみたいな声色。
「もうちょっと寝る」
そう言って、また目を閉じて机に伏した。
え。
ちょっと待って。今のなに。心配してくれたの??俺のこと???朝練どうだったって、それ。俺の事気にしてくれたの???何もなかったから安心したみたいに。で、満足して寝た????は?????無理。無理無理無理。なにそれ???そんなさらっと心配する???確認だけして安心したらそれでいいみたいな声色で???
角名の思考が一気に溶け、ぷつんと何かが切れた音がした気がする。時間つぶしに開いていたSNSを閉じてカメラを起動すれば指は自然に撮影ボタンを長押し。カメラの連射音にナマエは起きることなくすやすやと眠っていた。
可愛い無理。ばくばくと鳴る心臓付近に手を当て、静かに悶絶していた。
その後直ぐ、おはようミョウジさん!と突撃する治にウルサイミョウジさんが起きる!と今までになくキレる角名がいたとか。
――――――――――――――――――
何この状況。ナマエの友人である山田さんは自分の目を疑った。
昼休み、学校に来る途中で買ったコンビニのパンとお気に入りのラノベを持ってナマエの教室に入った。いつもなら自分が来るまで食べるのを待っているか、お腹が減ったら先に食べているかしているナマエの席に、大男4人が屯っていたのである。
この異様な光景にクラスメイトはこの状況が受け入れることが出来ないのか、遠巻きに見ていた。
「ミョウジさん眠い?自分で食べれる?あーんしたげよっか?」
「眠りながら食うとる…」
「そんだけで足りるか?俺のパン分けたろか?」
「お、山田さんスマンな。邪魔しとるで」
バレー部の角名、侑、治、銀島だった。ただでさえ運動部、身長がデカい、圧倒的な圧迫感。文芸部で地味なナマエと一切か関わりなんてなかった筈。昨日は別の人と食べるとラインが入っていたが、まさかこの連中と仲良くなっていたのか、いつの間に。
でろでろとナマエに甘い顔をする角名、こちらに気付いて椅子を持って来てくれる銀島はいい。
いや、やっぱり角名は良くないなんだお前態度変わり過ぎやろ。
「あ?なんでお前がおんねん」
「これはこっちの台詞じゃボケ。ナマエと毎日ご飯食べてんのは私です~消えて下さ~い」
中指を立てる侑、親指を下に向ける山田さん、また始まったと知らん顔をする治。
実は地区が同じなので小中学校と共に過ごしてきた三人であり、腐れ縁であった。しかしそこに恋愛という甘酸っぱい感情は一切ない。宮兄弟はバレーで有名になりついでに顔がいい。山田さんも中々に美人な顔をしていた。付き合っているのかとか何度関係を聞かれたか分からない、うんざりしていた。
特に侑と山田さんは犬猿の仲だった。目を合わせば恋が始まることもなく、喧嘩である。消えろ、お前がな。悪口合戦開始のホイッスルが鳴った。
銀島に持って来て貰った椅子に座り、山田さんはうつらうつらとカロリーメイトをゆっくり咀嚼するナマエを見た後、バレー部の面々を見て口を開いた。
「で、なんでここで食べてんの~?」
話が通じそうな治と銀島を見て山田さんはパンに齧りつく。そこで侑の暴言(誤解)、角名に絡む二三年生にナマエが巻き込まれバレー勝負をして勝ったことをかいつまんで話した。
ちなみにバレー部全体でこの一件(バレー勝負)についてはあまり口外しないように、と緘口令が出されていた。監督顧問に知られては非常にマズイ、部長判断だった。しかし関わりがなかったナマエとご飯を食べる光景は何かあったか明らかだ、隠す気あるのか。しかも同じナマエと同じ部活の山田さんに話しているし。
そう、侑と治はすっかり忘れていたのである。銀島は言っちゃった、という顔、角名はナマエを撮影中で気にしていない。
「いやラノベみたいなことするやん!」
怒涛の情報量に山田さんは面白そうにケラケラと笑い声をあげた。
「ミョウジさんって誰にバレー教わったん?」
侑が弁当の唐揚げを口に運びながら尋ねる。昨日のレセプション、フライングレシーブ、背面トスは見事なものだった。素人ではないし、二年のリベロである赤木なんて強豪校のリベロ並みに拾っていたと言っていた。気になる、と侑はナマエを見る。まだ眠いのかうつらうつらするナマエはゆっくり咀嚼したあと、これまたゆっくり口を開いた。
「…おんちゃんと、ももちゃん……」
誰やねん。侑が心の中でツッコんだ。昨日の昼休み、バレーの練習をする際にナマエの過去話を少しだけ聞いた治があー、と言葉を続けた。
「クラブで一緒やったって子?」
「…そう…」
「今もバレーしとん?」
「…たぶん…わたし転校したし、しらない…」
あふ、と大きな欠伸をした後に目をしばたたかせ眼鏡を外して目を擦る。ボーっとしつつも、意識がはっきりしてきて、長い前髪の隙間から覗く視界に予想外が広がっていたのか首を傾げた。
「…なんで宮くんがいるの?」
「ッ、お、おったらアカンのか!?」
いいんじゃない、とナマエは出たごみを袋に入れて鞄に仕舞う。代わりに取り出したのはスマホだった。高校入学の時に買ってもらったのでピカピカだった。席を立つナマエに図書館かと山田さんは尋ねる。
「電話してくる」
「いってら~」
すたすた歩くナマエを見送った後、侑は口をへの字にする。前髪の隙間から覗いた瞳と一瞬視線が合うが、すぐに逸らされてしまった。
嫌われている、避けられている。その二文字が頭をぐるぐるとした。
当然だ。自分の勘違いで暴言を浴びせ、親切を踏みにじった。翌日謝罪をして、何かあれば頼ってと言ったが、彼女が頼ったのは片割れだった。
「俺、ミョウジさんに嫌われとるんかな…」
ぽつりと呟いたそれはこの場にいる四人に勿論聞こえている。
「そらそうやろ」
銀島が珍しくばっさりと切り捨てる。人の良い彼がここまで言うのは珍しいが、侑がナマエに取った行動を目撃した一人でもある。あれはない、誰だってキレる、俺もされたら普通に嫌いになる、と。ちなみに山田さんは侑が謝りにきたその日に何があったか聞き、直接延々と文句を言っていた。
「嫌いやないと思うで」
治が新しいおにぎりにかぶりつきながら言った。ぱちくりと目を瞬かせる侑は次第に顔を顰める。珍しい片割れのフォロー、慰めはいらんねん。しかし治はフォローちゃうて、と話を続けた。
「勝負のとき、ミョウジさん俺が駄目やったらツムに頼むつもりやったらしいし」
「ハァ!?」
「オモロそうやったから俺が引き受けたんやけどな」
それに侑はたまらず胸倉を掴みそうになった。侑は一刻も早く彼女に『借り』を返したいのだ。折角の機会やったのにボケサムがと吐き捨てた。
しかしまあ酷いことをした自覚はある。(勿論反省もした)なのにミョウジさんは、ちゃんと自分を頼ろうとしてくれたのだ。それが、少し嬉しかった。
「嫌いより、興味ないやな」
パンをもしゃもしゃ食べる山田さん、その声色には確信があった。
「あの子あんま他人に興味ないし」
「いやいやいや、あんなことされたら普通嫌うやろ!普通!」
「普通やったらな」
ばっさり。山田さんは更に言葉を続けた。
「文芸部で初めて会ってな、一年同士仲良うしよってお勧めの本交換することなってめっちゃ好きなラノベ貸してん。そしたらあの子、全部読んで感想がまとめて【ゴミ】やった」
侑がむせる。銀島が見かねて背中を叩いた。
「仲良くな~って部長に言われた傍からそれやった。せやから分かる、あの子に大事なんは面白いかどうか。好きか、そうやないかや。他人にどう思われようが、どうでもええんよ」
山田さんはごみを片付けながら言い切った。
「せやから、アンタはどうでもええ存在、おってもおらんでもええ存在ってことや」
侑の箸が止まり、ぼそりと治が呟いた。
「それ、一番きついやつやん」
侑がついに頭を抱えてしまった。これは嫌われている方がまだマシだ。それはそれで嫌なのだが。待って辛い泣きそうと侑は天を仰ぐ。視界が滲んだ気がした。
一方山田さんの説明を聞きながら、角名は頭をフル回転していた。
ナマエが他人に興味がないことは薄々気付いていた。喧嘩を買ったのもきっかけは本が汚されたからだ。一昨日までは、ナマエにとって角名はどうでもいい存在だった。
しかし、昨日は笑顔で角名くんのバレーが好き、と言ってくれた。今日も朝練どうだったと気にしてくれた。
自意識過剰ではなく、自分が彼女にとっての『どうでもええ存在』だとは思えなかった。
「…生半可な覚悟なら、止めた方がええよ」
「え」
私はちゃんと止めたからな。普段あほっぽい口調なのに、どこか確信めいた言い回しに角名の心臓がどきりとする。恋とかそんなのではなく、嫌な方。それからすぐにニヤ、と山田さんは表情を変えた。
「ま~あの子今見てくれあんなんやけど普通に可愛いしな。苦労すんで~?おっ、ナマエおかえり~!」
教室に帰って来たナマエに手をふる山田さん。おかえりのハグ~、なんて両手を大袈裟に広げている。淡々としたナマエはそれをスルーして自分の席につき本を広げるだろうなとこの場にいる全員がそう思った。山田さんも含めて。
しかし…
迷いなく、ナマエは山田さんの腕の中に飛び込んだ。
「へっ!?」
予想だにしなかったのか、山田さんが間抜けな声を上げる。バレー部の面々も目を見開いた。
「…ふふ」
小さく、でも嬉しそうに笑っていた。え、本当に何。固まった山田さんから離れるナマエに、そっと角名が腕を広げると、ぽすんと細い体が飛び込んできたので反射的に受け止める。柔らかい、良い匂い。
「 「ァアアーーーーッ!!」」
「うるさッ!」
「角名!角名ズルい!俺も!ミョウジさん!!」
「ミョウジさん!俺んとこも空いとる!」
「二人共やめえや!角名も離したり!!」
「ミョウジさんが来たんだもん…」
「ナマエ!はよ離れ!こっち来ィ!!」
宮兄弟の絶叫はクラス中に響き、更には両手を広げる宮兄弟に山田さん。それを制止する銀島。いっぽう角名は飛び込んできた天使に昇天しながらも、しっかりと潰れないように腕の力を調整しながら抱き締めた。
「ふふ」
ご機嫌に笑うナマエ。何があったか聞いても嬉しそうに笑うだけで答えてくれない。
うわ~~もう無理なにこの生き物可愛い~~~!!無理無理絶対結婚する離さない無理~~~!!可愛い~いい匂いする柔らかい可愛い無理~~!!
あまりのカオスっぷりは、チャイムが鳴るまで収まることはなかった。
――――――――――――――――――
『貴方の小説、面白かったです』
ああ、私は、間違ってなかった。
気付いた時には本を読んでいたと思う。皆が外で遊ぶけれど、ひたすら本を読み続ける私を周りは不思議そうにしていた。沢山の本を読んで、溢れきれない感情を原稿用紙に綴った。
幼馴染に『変』だと否定されても、それでも小説を書くことを止めなかった。
誰かの人生を覗き込むみたいにページを捲る時間も、自分の頭の中の景色を言葉に変える瞬間も、生きている感覚だったから。それが変だと思えなくて、でも誰にも言えなくて。
だから私は、親にも従兄弟にも友達にも、誰にも知らせずに私の価値観を、物の見方を、感じ方を、沢山のモノを詰め込んだ小説を書いた。誰かに読んで欲しかった。そして言って欲しかったのだ、間違っていないと。
完成した原稿をとある出版社に送って暫く経った後、ふと募集要項を確認すれば条件の一つにデータ原稿必須という文字を見つけて血の気が引いた。これ、読まれる前に弾かれる。しかも住所も電話番号も書いていないや。
ちゃんと確認しない私が悪い。やっぱり、私が変なのかな。
そんなときに、角名くんと先輩達の一件に出くわした。汚された新刊、しかも、ちょっと読んだけどクソつまらない、ゴミ。デジャブしかない文章、ただ同じ話の繰り返し。何一つ面白くなかった。少ないお小遣いでやりくりしている私にとって、痛すぎる出費。
しかも前日の夜にこれを読もうとしていた。そしたら従兄弟から電話がかかって来るし、終わったら従兄弟の幼馴染からも電話がかかって来る。部活がどうとか、先輩にこき使われるとか。夜遅くまで愚痴を聞いていたから読む時間なんて確保できず、寝坊しかけた。
湧き上がる怒りが我慢出来ず、気付けば八つ当たりみたいに飛び蹴りをしていた。それが勝負となった。勝ったら弁償してもらえる、丁度いい、勝ってお金を回収しよう。それで、新しい本を買おう。
幼馴染とも離れ、中学のお隣さんとも離れ、年に数回しか会わない従兄弟は抜きとして今後バレーに関わることなんてないと思っていた私が、バレー勝負。
疲労で飛びそうな意識の中のバレー、跳んで、回って、空中で捻る。角名くんのスパイクは踊っているみたい。
重力を裏切る一瞬、その瞬間、踊り子の話を思い付いた。
そうだ、部誌は踊り子の話を書こう。
勝負に勝って、お金を回収して、本屋には向かわずに家に直行して机に向かった。そして完成した踊り子の話の原稿を部長に提出した。文芸部の人達の小説を読むのが楽しみ。
人の作品を読むのが好き、感想を聞くのが好き、どちらも人の心に触れているみたいだから。
午前中はずっと眠って、昼休みに何故か私の周りに集合した人達を放って出版社に電話を掛けた。半分、諦めていた。
でも、担当者は読んでくれていた。直筆の原稿用紙を。募集要項を何一つ守っていない、私の原稿を読んで、面白いと言ってくれた。私の詰め込んだモノを理解してくれて、それを面白いと言ってくれた…!
ああ、よかった、私は間違っていなかった。担当者がずっと感想を言ってくれていたが、気付いたら携帯の電池が切れていた。充電していなかったせいだ、でもいいや。
プロが読んでくれて、面白いと言ってくれたのだ。胸の奥が、ぱっと明るくなる。
『小説なんて、変』
『貴方の小説、面白かったです』
「…ふふ」
記憶が、上塗りされていく。笑いが零れて止められない。
私の世界が、ちゃんと面白いと証明されたみたいで、何より嬉しかった。
――――――――――――――――――
「…」
「言葉、出んやろ」
分かるわ、と文芸部部長の天野は苦笑を浮かべる。横には文芸部の部誌を持ち、最後の作品を読み終わって言葉を失ったままの北信介だった。
北は天野の小説が好きだった。無駄がなく、削ぎ落しているのにちゃんと残る。ざくざくとした文体。文化祭の部誌を初めて読んだ時、ああ面白いなと素直に思った。だから、次を作る時に一部くれと頼んだのだ。次作るのは新入生が入ったときやなぁ、長いなぁなんてやり取りも覚えている。
朝練を終えて自分の所に天野は部誌と共にやってきた。昼休みにまた来る、とだけ言い残し自分の教室に戻って行った。それに北は首を傾げる。読んで感想を求めるのに、何か急ぎの用事でもあるのだろうか。まあいいかと部誌の一ページを捲った。
天野が一番最初、そして数人、ナマエの作品は、一番最後だった。
一限目のチャイムが鳴る前に、天野の作品を読み終える。やっぱり面白い、天野の将来は知らないがもし彼が作家になるなら本を買うくらいには面白いと思った。
その後、休み時間を使い次々と読んでいく。昼食を終え、残った休み時間。最後は、ナマエの作品だ。
北にとってミョウジナマエは不思議な存在だ。初めて図書館で会ったときに背伸びをして取れない本を取ってあげた。長い前髪で瞳は見えず、口元は愛想笑いを浮かべている彼女が自分も同じ作品を読んだと知った時、前髪の隙間から瞳が見えてキラキラしていたのが見えた。ああ、可愛らしい子やななんて思った。
そして放課後、角名と治とチームを組みバレーをする姿は実に圧巻だった。レシーブが、レセプションが、トスが、スパイクが、どれもこれも、『ちゃんと』したものだった。(その後の土下座の件はさておき)
ずっと静かな表情だった彼女が、角名に見せた笑顔があまりにも綺麗で、羨ましいなんて湧いて出た感情をひた隠す。
どんなのを書いたんやろ。そう思いながら、読み始めた。
『爪先の灯』
十五歳の少女。
異国の街。
冷たい石畳。
傷んだ足先。
舞台の光。
情景が、まるで絵のように立ち上がる。
痛みと孤独が、静かに滲む。
叫びも誇張もないのに、胸の奥を確実に掴んでくる。
あまりにも整っていて、自然で、美しくて…。
読み終わっても、直ぐに顔を上げることが出来なかった。
「オモロいやろ」
いつの間にかいた天野が横にいて、北は顔を上げた。その瞬間、予鈴のチャイムが鳴る。時間を忘れて、読みふけっていた。声を掛けられるまで、天野の存在に気付かなかった。
ぞわり、と背中が粟立つのが分かった。
「アイツは、天才や」
呟いたそれは、敗北感と絶望と、少しの歓喜が混じっていた。
――――――――――――――――――
ーー幼馴染の独白ーー
従兄弟に誘われてバレーを始めて暫く経った頃、隣のクラスに可愛いけど変わった子がいるとちょっと噂になっていた。
ソイツは休み時間も昼休みも放課後も、ずっと一人で本を読んでいた。友達と遊びなさいと注意されてもひたすら本を読んでいる。しまいには遠足にまで文庫本を持って来て先生も呆れる始末。
別の日、同級生に本を盗まれたらしく、その時には飛び蹴りをして泣かせたらしい。暴力女、関わりたくない。ソイツはその一件で遠巻きにされていた。けど、どうでも良さそうだった。
ある時、俺が名札を落としてしまい、それを拾ってくれたのが彼女だった。手のひらに載せられたそれに触れずにいると、あーと小さく言って、ポケットからウエットティッシュを出して拭いてから渡してくれる。
何も言わず、当然みたいに。
それを従兄弟に見られ、お礼にとバレーに誘ったのだ。本人は本が読みたいと言っていたが、聞こえないふりをして従兄弟は無理矢理手を引っ張って体育館に連れて行った。
大袈裟に褒める従兄弟、基礎がなっていないと注意する俺、バレー疲れたと目が死んだソイツ。
彼女の親は俺達の行動に大喜びだった。本以外に興味を示さなかった彼女が、新しい『バレーボール』に触れているのが嬉しかったのだろう。家に行き遊び(バレー)に誘えば快く送り出してくれる。その時にソイツの無表情がほんの少し歪んで、それが面白かった。
色んな表情が見たくて、俺達は彼女にくっついて回った。対人レシーブするぞと連れ出し、スパイクを打つからトス係やれと連れ出し、家に遊びに行くから掃除しとけ、掃除したから家に遊びに来いなどなど。
その頃には彼女も露骨に嫌そうな顔を隠すことなく、それでも最後には「仕方ないなぁ」と許してくれた。
呼び方はいつの間にか、俺は「おんちゃん」、従兄弟は「ももちゃん」と呼ばれ、俺達は「ナマエちゃん」と呼んでいた。袖を指先でつまむ距離が、ジャージ越しに手首を掴み、気付けば手も繋げるくらいに近くになっていた。
彼女のポケットは、オヤツのラムネとハンドクリームとテーピングでパンパンだった。ハンカチとティッシュも入っていたから余計に。
だから、従兄弟が買った漫画の付録のポーチ(テカチュウの柄が入っている、正直可愛くない)をあげたら、嬉しそうに顔を緩ませていた。あ、笑った。可愛い。従兄弟も同じことを思っただろう。
それからそのポーチにはハンドクリームとテーピングとコールドスプレー、消毒液にガーゼ、それと、オヤツのラムネが入っておりいつも持ち歩いていた。ラムネが好きなのかと尋ねれば、別にと返される。
「ラムネはブドウ糖だから疲労回復にいいの。おんちゃんとももちゃんバレーで疲れたときに食べれるでしょ」
個包装のラムネは、紛れもなく俺達の為。サラサラとしてべたつかないハンドクリームも、ポーチの中身も、全部俺達の為だった。
他人に興味なんてないくせに。どうでもいいくせに。そのくせ、俺達のことだけは、少しだけ特別みたいに扱った。
だから好きだった。大好きだった。
ある日、試合に勝ったご褒美でナマエちゃんの家にお泊り会をしていた。疲れも相まって直ぐに眠りについたが、俺は何故か夜中に目が覚めた。横には従兄弟がアホ面で眠っていて、横にいる筈のナマエちゃんはいなかった。
彼女は、満月の明りで一人何かを読んでいた。その姿があまりにも神秘的で、消えてしまいそうで、邪魔をしたくて声を掛けた。
「わたしが、はじめて書いた小説」
読みたいと言った俺に、ナマエちゃんは戸惑うことなく差し出してくれた。
正直、驚いた。話の筋はバラバラでも、会話とか心理とかテンポがよくて、何より、情景描写が圧倒的だった。
面白い。
本をたまに読む程度の俺が、素直にそう思うくらいには。そして、分かってしまった。
彼女は、天才だと。
その瞬間、頭に浮かんだのは
ナマエちゃんの死だった。
国語の授業で習った芥川龍之介、太宰治…、他にも色々。名のある小説家は、自殺をしている。子供の浅い知識で、勝手に結び付けた。
もしナマエちゃんが小説家になったら
もし才能を持ったまま、大人になったら
どこかで、壊れてしまうんじゃないか
どこかで、死んでしまうんじゃないか
馬鹿みたいな連想をした。でも、思い付いてしまったのだ。それが怖くて、だから
「小説なんて、変」
そう言った。本当は面白いと思ったのに、彼女の作品を読めて誇らしかった、もっと、読みたかった。これも、この先に出来る作品も。
彼女は少し不貞腐れた顔をして、そうだねと返事をして布団に入ってしまった。
それから気まずくなり謝ることも出来ないまま、気付けばナマエちゃんは転校していた。
全て従兄弟に打ち明けたら、アイツも気付いていたと言った。
ナマエちゃんの異常さに。だから必要以上に甘えて、バレーに誘って、無理矢理こちら側に引っ張ろうとしていたのだと。
俺達なりに守るつもりだったのかもしれない。でも結局、彼女は俺達の所から離れて行った。
連絡先も知らない、会う方法も知らない。
もう一度、会いたい。声を聴きたい。どこにいるんだろうか。
きっと小説を書いている。でも、書いてほしくない。
インターネットで彼女の名前を検索する。ヒットしない度に、ほっとしていた。彼女の作品が絶賛されている記事を見つけてしまったら、俺は、俺達はどんな顔をすればいい。
誇ればいいのか
いつか来るかもしれない彼女の死に怯えればいいのか
分からない。
だから、会いたい。
あの時言えなかった「面白い」を、ちゃんと伝えたい。
「聖臣ー、部活行こうぜ~」
「…ナマエちゃんのマネすんな」
そうやって呼んでいいのは、ナマエちゃんだけだ。
お前だってそうだろ。古森元也なんてふざけた呼び方許すのは。
【登場人物紹介】
【ミョウジナマエちゃん】
稲荷崎高校一年文芸部。角名と治と同じクラス。自覚のない天才。表情筋硬め、心許したら笑顔より嫌そうな顔が多く出る。
小学校はずっと本を読んでいたところを隣のクラスの佐久早と古森に連れられバレーをさせられる。古森に上手上手と大袈裟に褒められ、佐久早に基礎がなってない、体力がない、手首が堅い、膝の使い方がなってない、違う、違う、とぐちぐち言われながらバレーをしてきたら、いつの間にかレシーブが良い感じになっていた。これで満足かと思ってたら、次はトスとスパイクだと言われて思いっきり嫌な顔をしたら嬉しそうにされた。
佐久早に言われた通り柔軟やら色々してるから手首が柔らかい。だからスパイクに緩い回転が掛かっていた。だから先輩は獲れなかった。多分あと何球か受けてたら獲れてたよ。
バレー部の従兄弟がいる。中学は宮城の学校に通ってた。お隣がエースの人でたまたまスパイクをレシーブしてしまい、隣なんだから一緒に帰ればいいだろうとバレー部に連れて行かれる。
他人に興味がない。けど人の考え方とか行動とか知るのが好き。山田さんが初手勧めてくれたラノベはゴミ。面白くない。
純文学を読むのが好き。ラノベも面白ければ読むかもしれない。面白い小説が好き。
本に関することだったらちょっとネジが外れる。足癖は悪い。
角名のターン打ちで踊り子の話を思い付いた。角名のバレーは好き、ちょっと面白い。角名自身には興味はない。
宮兄弟も興味ない。侑に暴言吐かれてもどうでもいい。あの時本を持ってて破られたら蹴り飛ばして殴っていたかも。
北さんは好きな作家(マイナー)が同じでちょっと嬉しい。
幼馴染には一緒に過ごしてきたから情はある。だから小説を見せたし、否定されて悲しかった。けどもういい。プロに褒められたからね。幼馴染のことワガママで自己中っていうけど、実はナマエちゃんも大概ワガママで自己中(本が関わっているときだけ)
誰にも内緒で小説をとある出版社の新人賞部門に投稿。募集要項ちゃんと確認せずに送ったけど絶賛されて嬉しい。
【角名くん】
限界化した人。バレー部。
他の女子みたいにキャーキャー言わないし静かで地味な子だと思ってたらとんでもないギャップで落ちた人。
本を読んでる時に睫毛長いなー、声綺麗だなー、手綺麗だなー、前髪長いけど切らないのかなー、って実は前々から気にしていた。
可愛いしバレー上手いし、嫌がらせが止むきっかけくれたナマエに感謝してる。画像フォルダに着々とナマエの写真が増えていく。インスタには載せない。(多分)怒られると思うから。正解です。
寝顔可愛いし食べる姿可愛いし抱き着いてくるの何なの~~嬉しい離さない~~!と山田さん宮兄弟銀島に腕を引っ張られても離さなかった。
【宮(治)くん】
ナマエちゃん見てたら腹が減る人。バレー部。
同じクラスのキャーキャー言わない静かな地味な人からギャップ(以下略)片割れがスマンなと思っている。
ナマエちゃんがさらっと嫌がらせ先輩を害虫呼びしていて宇宙猫になった。背面トスで治くんと叫ぶように呼ばれて心臓がギュンッ!てなるし腹が減る。ラムネ貰ってお腹は落ち着いた。
角名は色々とズルい。笑顔向けられるし抱き着かれるし。良いなーって思ってる。
【宮(侑)くん】
後悔してる人。最初はなんやねんこの地味雌豚と思っていた。誤解です。
先生に頼まれて自分が買い直した教科書の領収書届けてくれたのに告白だと勘違いして暴言浴びせた。事情を知ってガチで反省してる。謝りに行ったらナマエちゃんはどうでもよさそうだし逆に気まずい。貸しにしとく、と言われて放置されている。借りを早く返したい。
そしたらバレー勝負で片割れとチーム組んでるし上手いし可愛いしで脳破壊。背面トスで治の名前を呼ばれて羨ましかった。
お昼ご飯で山田さんに解説されてガチでショック受けてる。角名ズルい。
【山田さん】
ナマエちゃんの友人でナマエちゃんが大好きな人。文芸部一年。ラノベが好き。特に恋愛系。
文芸部で初顔合わせ。部長に一年同士仲良くね、じゃあイベントとして好きな本交換して感想言おうね~でお気に入りのラノベ貸したらゴミ呼ばわりされた。
初対面でこんな言う??と思ったけどオモロイのでOK!素顔確認済なので可愛いの知ってる。
ナマエちゃんの理解者。角名は苦労するだろうな、と思っている。宮兄弟(特に侑)は消えて欲しい。五月蠅いんじゃ!
部誌でナマエちゃんの小説を初めて読んで面白いと感じてちょっと怖くなる。けど友達。勘が冴える時もあるけど大概アホの子。
【北先輩】
いい人、まだバレー部の部長じゃない。本を読む。
図書室で高いところにある本を取れずにいたナマエちゃんの代わりに取ってくれた。ナマエちゃんが読もうとしてた本を既に読んでた。それオモロイよな。
侑が迷惑かけてすまんなと思ったけど謝りにいったら本当にどうでもよさそうにするナマエを見て?となる。
バレー勝負でビックリしたし、先輩たちが迷惑かけてすまんと思っていたらバレー上手いし笑顔可愛いしで宇宙猫になった人。
同じクラスで二年で文芸部の部長を務める天野と仲がいい。彼の作る小説は面白いと思っていたら、それを遥かに上回る作品を見つけてしまった。この先部誌をずっと大事にする。
【天野先輩】
文芸部部長。二年、良い人。純文学が好き。北先輩と仲がいい。
文芸部は天野部長、二年の女子(副部長ラノベ好き)、幽霊部員の二年、山田さん、ナマエちゃんで構成されている。
同じ純文学が好きなナマエちゃんに大喜び。部誌用の小説を読んだら天才だった件。
自分の小説に自信があったし、小説家になりたいと思っていた。過去形。
この後バレー部とのいざこざ聞いて宇宙猫になる。
【バレー部先輩】
角名くんに嫌がらせしていた三年の先輩。バレー勝負で負けた。去年の春高でベンチ入りした人だけど、練習試合でスタメン落ちした。角名くんが代わりに入った。だから角名くんに嫌がらせをした。陰口とかわざとぶつかったり。陰湿。ナマエちゃんに飛び蹴りされて背中に靴の跡が暫く残った。
地味女だと思ったらバレー上手いし可愛い、なんやねん!!ってなった。最後の角名を見て笑ってるナマエちゃんがしばらく夢に出る。恋では無い、畏怖。土下座は?って普通に言ってきたし。反省して坊主にした。汚れた本を読んでるけど全然面白くないしジャンプの方が100万倍面白い、けど約束したから読んでる。そして3分後寝る。の繰り返し。
ナマエちゃんのバレーが所々中学の全国大会で対戦したエースとリベロの姿とダブって、試合中何度か目を擦った。
この後感想言いに行ったら、つまんなかったでしょ、と言われ宇宙猫になる。なんやねん嫌がらせやんけ!そうです。
【佐久早と古森】
別称おんちゃん、ももちゃん。ナマエちゃんが名付けました。ナマエちゃんが大好き。
ナマエちゃんのことは可愛いけどちょっと変わった子だと思った。今も思ってる。
古森、実は隣のクラスで可愛いナマエちゃんと話すきっかけをどうしようと悩んでいたところ、名札の一件があったので逃がすまいと佐久早を巻き込んでバレーに誘った。
他人なんてどうでもよさそうなナマエちゃんが徐々に自分達を許してくれるのが嬉しくて堪らなかった。大好き!ってわけでもないラムネ(個包装)を持ち歩いてる理由を知って心臓ギュンッッとなった。ポーチもっと可愛いのあげれば良かったと後悔してる。でもテカチュウが好きなわけでもないのに、ももちゃんから貰ったから、とサラッと言われる。
佐久早がナマエちゃんに変と言ってぎくしゃくしたけど、古森は佐久早の気持ちが分かる。だってナマエちゃんみたいな人を天才と呼ぶから、だから離れないようにしたかった。無駄な足掻き。
古森はナマエちゃんの小説を読んでないから佐久早に内心嫉妬している。起きてたら読ませてくれると分かっているから、眠った俺のバカバカ~!って思ってる。でも読んだら同じこと言いそう、と思ってる。
佐久早は古森があげたポーチを大事に使ってることに内心嫉妬している。俺もあげたかった。でも俺達の為に色々準備してくれてるんだよね、で嬉しくなる。ナマエちゃんの小説を読んで悪態をついたことを一生後悔しているので、あの時寝てた古森が羨ましい。でも読めなかったらもっと辛い。
どっちも激重感情拗らせてる。ナマエちゃんに会いたい。






















