・落ち未定、書くなら√分岐予定
・名前固定。容姿言及などもあり。
・書きたいところだけ。
・ありとあらゆる捏造とキャラ崩壊。
上記含め本当になんでも許せるぜ!という方向けです。
作者の性癖に付き合ってくださる方はどうぞ▶▷▶
烏養心結は転生者である。
思い出したのは祖父である烏養一繋の家のバレーコートでブロードを決めた時だった。あれ?なんかここ見覚えあるなデジャブってやつ?なんて思ったと同時に頭の中を駆け巡る前世の記憶。
あ、ここハイキュー!!の世界だわ、と思いながら華麗にスパイクを相手コートに叩きつけながらしっかり気絶した。おじいちゃんには本当に申し訳なかったと思っている。本当に。多分寿命を縮めた。
さて、そうして思い出した前世の記憶だったのだが、ハイキュー!!の記憶はどこかぼんやりしていて、思い出せるのは全体の流れとキャラクターたちぐらい。試合の細かい流れや時系列はなんだかちょっと怪しい。
そして、漫画の記憶とは違う前世で好きだったものがほとんど頭を占めていた。
とにかく、[[emphasismark:ギャップ萌え>﹅]]というやつが好きだった……!!!!
残念なイケメンとか! 強面だけどヘタレとか!! 可愛い顔して男前とか!!! 美人だけれどド天然だとか!!!! 大人しめの子が本当は口が悪いとかもいい!!!!!
そういうギャップのあるキャラクターや人を好きになりがちだった心結は思ったのである。折角一から私というそれなりに顔も整っている素体をこねくり回せるんだから、私自身をギャップの塊にしたい!!清楚な大人しめ美人が実はエロいみたいなとんでも爆弾作りたくね????と。
今思うと前世のまばらな記憶にハイテンションになってしまっていたのもあったし、両親が過干渉もネグレクトもしない程々な放任主義でいてくれたのもあり、心結の思考を止める人がいなかったというのが真実である。
はい、そうして完成したのがこちらになります〜。
腰まで伸びた染めたことなんかなさそうな濡烏色の嫋やかな髪を左側で三つ編みにして垂らし、マスクを常につけているけれども、穏やかに微笑んでいるのがちゃんと伝わる表情管理も完璧な優等生。クラスの委員長とかよりは図書委員とか美化委員をしてそうな大人しい女の子。
それが烏養心結の第一印象で抱かれるものである。
しっかり作られているギャップの爆弾は密かに隠されているので爆発してからのお楽しみ、だ。
■■■
「繋心くん」
凛とした声が体育館に響いて、皆がそちらを見た。ふわりと微笑む彼女の姿を初めて見た一年生は固まり、二、三年生たちは驚愕に目を見開いていた。
「心結? どうしたんだお前」
「あ、ノヤくんさっきぶり。そこのコーチになった人に呼ばれたの」
不思議そうに彼女の元へ飛んで行った西谷が声を掛ける。彼女と西谷は同じクラスで隣席のため、幾分か早く復活していたのだ。
「心結、お前も入れ」
「えぇ、ジャージ着てこいって言ったのこれ? 私大人しく学生生活してたのに……」
「外で散々やってんのに今更だろうが! バレーは相変わらず好きなんだろ? バレー部に協力してやれ」
烏養コーチとの軽いやり取りによって、ようやく二、三年生たちは彼女の苗字が[[emphasismark:烏養>﹅]]であったことを思い出す。烏養一繋とも少なからず関係があるのだろうが、あのコーチと彼女がどうにも結びつかない。いかにも楚々としており、スポーツは何なら苦手そうで、普段からあらあらまぁまぁと微笑んで見守っているようなタイプに見えるからだ。いや、実際に西谷のことをあらあらまぁまぁと見守っている姿はクラスメイトや授業が同じ人間は稀に見たことがあるはずだ。
「え、心結お前バレー出来んのか」
「うん。おじいちゃんに教えてもらったの」
「おじいちゃんって……」
「烏養一繋」
長袖のジャージの袖を捲り、繋心に投げ寄越されたボールを指先で触れたり、くるりと回す姿は確かにボールに慣れている様子でついじっと見てしまう。
「繋心くん、私オポジット? 私じゃなくて良くない?」
「人数不足を補うにはいいだろうがよ、思いっきりバレーすることも最近は無かったんだから目一杯やれ!」
「もー、しょうがない従兄弟だなぁ……」
いかにも運動はそこまで得意そうには見えない彼女がオポジットとして入るということに皆、首を傾げる。男子高校用のネットの高さは彼女からしたら、高いだろうしレシーブが得意なのか?と彼女のことを大半の部員は舐めていた。
「ノヤくん、リベロだったよね」
「おう! 心結バレーやってたんだな!」
「うーん、今は少しだけ、ね。まだ時々町内会で混ぜてもらうぐらいだから……」
自信なさげに呟く彼女に西谷は快活な笑顔を見せる。彼女がバレーボーラーだということを知らなかったのは、少々悲しかったが、それよりも今同じコートで味方として戦えることに何処かわくわくとしていた。
試合が始まる。
彼女がボールに触れる機会が無いまま、彼女のサーブの番が回ってきた。たん、たん、と音を立ててバウンドするボールの扱いは慣れたもので彼女の手に吸い付く。ひゅ、と空を切ったボールと共に駆け出した彼女が飛ぶ。
誰かが、え、と零した時には烏野バレー部のコートにサーブが突き刺さっていた。
「おま……え!? 心結?」
「んふ、ノータッチエース!」
「は、」
「「「はぁぁぁぁぁ!?」」」
体育館にバレー部員達の叫び声がこだました。それに挑戦的なギラついた瞳を見せる心結に何人かがぐっと唇を噛んだ。何かよくないものにやられそうな気がしていた。
「もう一本、いきますよぉ〜」
ギラついた表情のままなのに、話し方は穏やかで温度差で風邪を引きそうになりながら、烏野高校男子バレー部の面々は静かに腰を落とした。全員が舐めていた訳ではなかったがそれでも女子で、しかもあのお淑やかな彼女のサーブ、と油断していたのは確かだった。
また彼女がボールを高く上げて踏み切る。ネットを越えてコートに飛んでくるボールは凶悪な程のスピードは無い。それでも明確に嫌な所を狙っているボールはセッターである影山の目の前に落ちてくる。膝をついた影山がファーストタッチしたボールが何とかトスされ、ギリギリ形になったスパイクが放たれる。
しかしそれはリベロである西谷がAパスで菅原へ返す。上がったトスは東峰へ。しっかりコートへと突き刺さった。
何度かの点の取り合いの最中、烏野バレー部側のレシーブが大きく乱れた。少しズレたスパイクだったが、前衛にいる心結の正面である中央にボールが上がる。バレー部の面々に比べれば一つ小さいそこへ狙いを定められたボールが飛ぶ。
バチン、と音を立てゆっくりと重力に従ってボールは烏野バレー部コートへ落ちた。
「え」
「ざぁんねん」
吐息混じりの煽り口調な言葉はかわいらしい高めの声で、マスクを未だに付けたままなせいで本当に彼女の口がそう動いたのか分からなかった。けれど、彼女が明らかに通常の女子高生とは思えない跳躍で、乱れていたとはいえ男子高校生が打つスパイクをドシャットしたのは事実だった。
「な、え、なにそれ、」
「ドシャットの感覚久しぶりだなぁ〜たのし!」
「み、心結おまっ! ナイスブロック!!!!」
「いぇーい! ノヤくんありがとぉ」
ぱちんと可愛らしい音を立てて西谷とハイタッチを交わした彼女はふわりと目を細めて、いつものおっとりとした口調が戻ってくる。さっきの妖艶な、いや妖艶と言うよりも俗っぽくエロスを纏わしていた声はなんだったんだとコート上にいる彼らはドキドキと鳴る心臓をぎゅっと押さえていた。
「心結! もうちょっとそれ抑えろ馬鹿!!」
「はぁ〜? 繋心くんが呼んだくせに!!」
繋心の理不尽な指示にぷんすこと怒る姿は年相応で学校生活で知る彼女の姿とはまた違ったものだが、心臓には悪くない。さっきまでのあれは本当に良くない、いたいけな男子高校生の心に悪影響があるやつだあれは……!と何人かは心の中で叫んでいた。
そこからも彼女のプレイは留まることを知らず、最後の最後で東峰に上げたセットアップには思わず全員がそちらへ視線を向けてしまう程だった。菅原とも影山とも違う、しかし明確に決めることを強要する暴力的なセットアップ。どんぴしゃに飛び込んでくるボールに東峰は目を見開きながら腕を振り抜いた。
「ナイスキー、東峰先輩!」
「お、おぉ、ナイストス……!」
暴力的なセットアップをしておいて、へらりと口角の上がった声で楽しげに東峰にサムズアップする彼女に視線が集中する。バレーの才能が有り余っているのに確か彼女は帰宅部だったし、バレーは町内会のみ?何故?と全員が考えていたところ、それを口に出すのは我らが主人公、日向翔陽である。
「先輩! すごい! バレー部入んないんですか!?」
「んー、私、高校入った時点でおじいちゃん以外にバレー教わる気無かったから」
「烏養監督?」
「そう、それに私チームスポーツ苦手なの」
「え!? そんな風に見えませんでした!!」
どこか寂しげに笑う彼女に日向は首をぶんぶんと左右に振る。けれど、彼女は今は本気ではしないの、と言い切るので日向も勢いがしょぼしょぼと落ちていった。
「コート上で頑張れない下手くそにキレるの嫌だから、私」
「ッ!!!!」
穏やかそうな表情から出された言葉だと思えないものを目の前で浴びた日向はぴしりと固まった。いや、皆が固まって彼女の方へ向けた視線を動かせないでいた。
そんな中、彼女のことをよく知る従兄弟である繋心が彼女の頭を叩く。心結が支配していた空気が弛緩した。
「馬鹿、お前すぐそうやって言う! 見た目だけ大和撫子の詐欺やめろ!」
「詐欺師なんてひどぉい」
「そこまで言ってねぇよ!」
誰だって分かる強者であるからこその身を震わせるプレッシャーが無くなれば、穏やかな彼女がすぐに顔を出すせいで彼女のことを上手く掴めない。煙にまかれるような気分になって、けれど気になる。
中でも、影山は彼女のセットアップが気になって仕方がなかった。機械的な程の精密さとは違ったが、ただそこにあるべくして上がったボールはスパイカーへのどうしようもないプレッシャーと共にそこにあったのだ。
「先輩!」
「はぁい、なんでしょう」
「先輩はセッターだったんですか?」
影山がぐい、と至近距離に迫るのにも微笑んで意にも返さない彼女に、バレー部一同はそわそわと視線を向ける。心結が顔を傾けすぎるとキスしてしまいそうな距離感で平然としている影山はなんなんだと言いたくなる。
「セッターもしてた。リベロ以外はなんでもするよ〜」
「なんでリベロ以外なんだ?」
ひょいと影山と心結の間に横入りした西谷のおかげで二人の間に先程よりも空間が開き、何人かはほっとしていた。だが、西谷も彼女と距離が近い。田中は特にそれに拳を握りしめて震えていた。
「リベロは一番かっこいいじゃん! それにここぞって時のスーパーレシーブは真似出来なくてだめなんだぁ……」
「かっこいいのは分かる! んで、真似ってなんだ?」
「私、基本的に好きなプレイの真似から練習してばかりだから、さっきのサーブもブロックもセットアップも全部誰かのプレイの真似」
「真似であれが出来る身体能力がやべぇ……」
「んふふ、バレーを見る目だけはあるの!」
前世を思い出してからより意識して観察するようになったことでバレーを見る目はバレーの才能と噛み合いしっかりと発揮されている。しかし諸事情により、新山女子への推薦も蹴り、女子バレー部への入部もせず、今は趣味の方へ全力を注いでいたりするのだが、これは心結以外誰も知らない話である。閑話休題。
「なぁ! 心結! マネージャーとかやらないか!?」
「ごめんなさい」
キラキラとした目で心結の手を両手でしっかりと包んだ西谷が言う。周りもそわ、と彼女の方を見たが、次の瞬間には一刀両断され、固まった。
「だめなのか……」
「私、バイトしてるから……時々しか来ないマネージャーとかみんなの邪魔になっちゃう」
「そんなことない……!」
「ううん、何かお手伝い出来ることがあるならお手伝いに来るし……、繋心くんに勝手に色々させられそうだしいいけど、マネージャーは出来ないな」
心結の言い分に、少ししゅんとした西谷だったが分かった!と笑顔を見せて心結の肩に腕を回す。西谷以外の二年生達がぎくりと見つめる中、二人は全くその距離感になんとも思っていないらしい。
「マネージャーになってくれたらもっと一緒にいられんのになぁ〜!」
「ノヤくん……そういうとこあるよね……」
「んむっ……ふぁにがだ?」
とはいえ、西谷の直球ストレートな言葉には流石の心結もじとりとした視線を向ける。西谷の頬をむにむにと引き伸ばす彼女は溜息を吐いて、周囲に視線を向ける。
「皆さんはちゃんとクールダウンしてくださいね〜」
「「「ッス!!」」」
思わず返事をしたバレー部一同にクスクス笑いながら心結は繋心の元へ向かう。突然呼び出され、突然試合だと言われ、何だかんだとバレていなかったバレーのプレイを白日のもとに晒す理由となった繋心の脇腹を握りしめた拳でゴスゴスと殴る。痛みのないじゃれ合いに過ぎない行為だが、じとりとした心結の視線はガチギレしてる時のものだと気がついた繋心は冷や汗を垂らしていた。
「ねぇ、繋心くん」
「ハイ……」
「理由も言わずに『ジャージ着て体育館』ってだけの呼び出し、流石に酷いと思わない? コーチ請け負うかどうかとかは勝手にすればいいけどさ、これから巻き込む気満々な癖に何も言わないのどうかと思う。大人だよね? 報連相ってご存知? それぐらいしっかりして欲しいんだけど」
「……スミマセン」
「それ相応の理由、あるんだよね?」
にこにこと笑顔のまま冷たい視線を寄越す従兄弟の姿に冷や汗をダラダラと垂らしながら、繋心は視線を逸らす。従兄弟のバレーの才能には常々、ほんの少しの嫉妬と羨望と、勿体ないという思いを強く抱いていたための行動であったが、そんなことを彼女に言えば余計なお世話としばらく口を聞いて貰えないような気がした。ちなみにこの直感は大当たりである。
「烏野と……音駒が練習試合するらしい」
「えっ!」
目を見開いて、大きな声を出した心結に視線が集まる。はっとした様子で、頬を赤くして恥ずかしがりながら繋心の服の裾を引いた彼女が興奮した様子で言う。
「ねこちゃん来るの?」
「おッ前は!? 未だにねこちゃん呼びしてんのかよ!」
「だって、ねこちゃんって呼んでいいって言ってくれてたもん」
「いつの話だよ!!」
「私が幼稚園の頃」
「いつまでガキの頃のままなんだお前は!」
「はァ? そのガキにさっき説教されてた成人男性に言われたくないんですけどぉ?」
「お二人さん、そろそろ……」
ああ言えばこう言うと言わんばかりの言い合いを武田が間に入りなんとか収める。眉を下げて謝罪を口にした心結は最後にもう一度繋心の背に拳をぶつけて、荷物を取って彼女は体育館に一礼して帰っていく。
「烏養さんあんなにバレー出来る子なんですね……」
「あー……あいつ運動神経はバケモンだし、新山女子の推薦も来てたようなやつなんだよ」
「え!? 新山女子ですか!?」
「まぁアイツが言った通りチームスポーツは多少向かない性質なんだよ……。中学の頃にちょっと色々あってな。同じ熱量を持ってるやつじゃないとアイツについてけない」
クールダウン中ついつい部員たちは武田と烏養の会話に耳を傾けてしまう。新山女子って確か女子バレー部が全国常連な所じゃなかったか?とこそこそと話す彼らの中でひとり、西谷は何かを考え込んでいた。
■■■
ゴールデンウィーク最終日。
ネコVSカラス、ゴミ捨て場の決戦と呼ばれる両校が集まる体育館に駆け込む少女がいた。既に四セットも回された練習試合の休憩の間に体育館に息を乱しながら駆け込んだ少女は自身に向けられた視線をまるっとスルーして、体育館をぐるりと見ると、目当ての人を見つけたのかぱっと表情を明るくした。
「ねこちゃん!!」
「おや、心結かい?」
「わぁ! 久しぶり〜!」
「えっ、あ、え!? ネコチャン!?!?」
駆け寄ってきた心結を抱き留め、ぽんぽんと頭を撫でる自校の監督の姿にようやく思考回路が追いついた音駒の主将、黒尾鉄朗の大きな叫び声が体育館に響いたのだった。とはいえ烏野も含めほぼ全員が何事かと心結に注目していたために皆が黒尾の叫びに同意していた。ねこちゃんって何?
はっとした心結が猫又から離れ、先程の行動を少し恥じるように頬を染めて、ぺこりと腰を曲げた。
「突然失礼しました。烏野高校二年、烏養心結と申します。烏野のコーチの烏養繋心と従兄弟で、猫又先生とは祖父経由で昔馴染みなものでして……」
「心結も大きくなったなぁ〜立派になったもんだ」
「ふふっ、会うの久しぶりだもんね」
「ところで猫又先生呼びは寂しいからやめとくれ」
「あは! はぁいねこちゃん」
無邪気な笑顔を浮かべる彼女に山本は既に真っ赤になってダウン済みな上、他の面々もそわそわとしている。猫又監督がねこちゃん呼びを許すどころか推奨しているのも心臓に悪い要因のひとつではある。
そんな皆の心臓を騒がせている本人は猫又監督の言葉により、音駒側で試合を見ることにしたらしい。一度烏野の方に挨拶だけしてきますという彼女を皆呆然としながら送り出した。
烏野の方へ駆け寄った心結の背中を繋心が叩く。
「おい、烏野よりそっちが先かよ」
「だってねこちゃんだよ?」
「はぁ〜、お前はホントにずっと猫又先生のこと好きだな!?」
「私の苦手を直してくれた恩師だからねぇ〜」
昔、レシーブが苦手だった心結が人並み以上にレシーブが出来るようになったのは猫又のおかげであった。幼少期から何故か起点のレシーブが上手くコントロール出来なかった心結の手首の癖にはずっと見ていたからこそ祖父一繋は気が付くことが出来ず、たまたま居合わせた猫又が気が付き短い期間で矯正させたのである。それからの心結は烏野と音駒の試合の度に一繋に頼んで着いてきては懐きに懐いた。リベロが好きで、リベロのようにはなれないと思っているのは当時の音駒の繋ぐバレーを見続け、理想が天よりも高くなっているせいでもある。
「残り何セットぐらいになりそう?」
「後一試合ってとこじゃねぇか」
「え〜、もっと見たかったけどしょうがないか……」
ゴールデンウィーク最終日とあって、事前にアルバイトが入っていた心結は今日このために全力ダッシュしてやってきていた。それでもなんとかギリギリ試合が見れそうな時間にやってこれただけかなり悪くないのだが、折角ならばちゃんと色々見たかったのは確かだった。
「じゃあ、私ねこちゃんと見てるから頑張ってね。烏野のみんなも応援してる」
「えっこっちで応援してくんねぇのか!?」
「先に誘われちゃったからごめんね」
西谷が不満気に言うもひらりと手を振った心結はパタパタと音駒の方へと向かってしまった。何だか取られたような気分になりながら、西谷だけではなく烏野の面々は燃えていた。
「火をつけてきたな」
「ふふ、勝手についたんだよ?」
それに気がついていて、にっこりと笑うだけの心結を見て猫たちはぞくりとしたものを背筋に感じていた。かかと笑った猫又の隣に座った心結が直井とも久しぶりと挨拶をしているのを見て、また目を見開くことになったがそんなことよりも試合である。
火がつけられた烏野の鋭い攻撃に繋いで、繋いで、また繋ぐ音駒のバレーをお見舞いする。試合が始まってから、夜久は視線に晒されて、運動によって出た訳ではない汗を垂らしていた。すごく、すごく見られている。
ディグの瞬間、レセプションの瞬間、Aパスを返した時、ミスをした時、どんな瞬間も全部見られている。思わず、その視線を寄越している心結の方に横目を向ければ、酷く愛おしそうに見られていて、体が跳ねた。ドキドキと心臓が高なっているのは試合のせいか彼女のせいか分からない。
「やっくん、すんごい見られてない?」
「……見られてる」
「烏野のリベロくんにもすんごい視線向けられてますケド」
夜久が彼女の視線の熱に気がついてから、コート越しの視線も酷くなっていた。黒尾に言われなくても分かっていた。彼女の視線の意味は分からなくとも、西谷の視線の意味は何となく分かった。熱烈なライバル視につい口角が上がる。折角だし、あの子にももっとかっこいい所見せてやりたくなるだろこんなの!
伸ばした腕から飛んだボールが美しい放物線を描いて、研磨の手元へと収まった。
研磨からのトスを黒尾が相手コートへ叩き込む。しかししっかり西谷が拾った。影山が上げたトスは日向との速攻。
心結は西谷を見た後は日向を見ていた。羽が生えたように見える跳躍はいつ見てもキラキラしていた。けれど心結から見ればまだ足りない。勿体ないと小さく呟いた声は猫又だけが聞いていた。
日向のスパイクを拾ったのは夜久で、また彼女の視線が自分に戻ってきたことを感じてつい口角が上がっていた。自分のプレーに見惚れるような視線を向けられることに多少のプレッシャーは感じようとも、嫌なわけじゃない。何度だって繋いでやる。
そうして、最後のボールが烏野コートへ落ちた。
は、と息を吐き出した心結はぼんやりとネットの上辺りを見つめていた。久しぶりに本気の試合を見た気がする。いや、もう一度が無い試合ではないただの練習試合だったのだけれど、このコートにいる人たちのひたむきさは心結は得られなかったものだった。羨ましいと思って、すぐに目を逸らした。今は違うはずだ、変わろうとしているのだからと一人、頭の中で言い訳を零す。
「心結、楽しかったか?」
「うん。やっぱりバレーはいいね」
「ははっ! それはそうだ!」
心の底から愛おしそうに目を蕩かせる心結の姿に近くで見ていたネコたちは顔が熱くなっていた。自分に向けられた訳ではないのに視線があまりにも熱烈で火傷しそうな気持ちになる。中でもその視線を直接受けていた事実に気がついた夜久は一人で蹲っている。隣で海が宥めているが、その海もほんのり顔が赤くなっていた。
「今はバレーはしてないのかい?」
「……一人でバレーは出来ないから。でも、考えてる事はあるから、近いうちにちゃんとやるつもり」
「……そうか」
猫又の寂しそうな声に、眉を下げて笑った心結はそっと猫又の手に自身の手を重ねた。心結の指先は少し硬くなっていて、猫又はすぐにそれに気が付いた。少なくとも彼女がバレーをプレーすることが心底嫌いになったわけでもないのだと、緩やかに目尻を下げた。
「私がちゃんと上を向けたら、またバレー教えてね」
「あぁ、そうしよう」
いつかの心結を変えたあの練習のようになる日はそう、遠くない。
東京合宿
「じょ、女子が二人に!! なっとる!!」
合宿へやってきた烏野高校マネージャーを見た山本の叫びが響く。その様子に田中がドヤ顔を見せたが、山本もぐっと拳を握って立ち上がり、顔を真っ赤にしながら言う。
「ううう、うちにだって! 今回は臨時マネが!! 清楚系マネさんが来てくれてんだぞ!!」
「あは、清楚系でーす」
「おわ!? あ゙っ! みみみみ心結サン!」
黒尾の影からひょっこりと顔を出して手を振る[[emphasismark:音駒>﹅]]のジャージ姿の心結の姿に全員が固まった。山本は真っ赤になりながら一人距離を取っているが。
「なァんでいんだ心結!!」
繋心は目を見開いて驚愕を隠しもせずに、大きな声で叫んでいた。烏野高校の面々も皆同じことを言いたくなったが、誰よりも怒鳴った繋心のお陰で、スンと、冷静さを取り戻していたところである。
そして、びし、と指を差され、とんでもない剣幕の繋心を目の前にしておしとやかに眉を少し下げて笑った心結は黒尾の隣で頬に手を当てて小首を傾げた。
「ねこちゃんに誘われて?」
「猫又先生……!!」
今回、烏野の参加に至ったのにはこれも理由の一つだな……と繋心は頭を抱える。音駒主将の黒尾もまさか烏野側に話が通っていなかったとは思わず心結に訊ねている。あっけらかんと、サプライズってやつですと言い切った彼女の姿に、そっと脳内カテゴライズの真面目系変人のカテゴリーに移動させた。ちなみに黒尾のこのカテゴリーに入っている他の人間は赤葦京治などである。閑話休題。
くすくすと笑った彼女が従兄弟のコーチをほったらかして、烏野のマネージャー二人を案内しに行くのを横目に黒尾は澤村たちに話しかけるのだった。
烏野高校の生徒であるにも関わらず、音駒のサポート業務をする心結はぱたぱたと走り回りながらドリンクやタオルを準備している。その様子に烏野……特に西谷が文句ありげに視線をぶつけているが、彼女は意にも介さず音駒のペナルティを見ていた。
その様子に次に音駒との対戦の為に待機していた木兎が首を傾げていた。朝から知らない女の子がいる、音駒のマネージャー?と疑問に思っていたのに、ここまで彼女のことを黒尾にも聞けずにずっとそわそわしていたのだ。
「ねぇねぇ!! 音駒のマネ? やっとマネ入ったの? なんで烏野の人にあんな見られてんの??」
「ちょっと木兎さん……!」
ぴょんと近付いた木兎は赤葦の制止も聞かず、質問をぶつける木兎の様子に一瞬目を見開いたが、すぐに穏やかな微笑みを浮かべて心結は首を傾げた。
「初めまして」
「ウン! 初めまして!」
「ふふ、音駒の生徒ではなくて烏野高校二年生の烏養心結といいます。猫又先生のお願いで臨時マネージャーをしているので烏野のみんながこっちを見ているんだと思いますよ」
「へぇ~! でも音駒のジャージ着てんだね! あ、俺、木兎光太郎!」
「木兎先輩ですね。ジャージは猫又先生が貸してくださったんです」
「そうなの? じゃあさ、じゃあさ! 今度梟谷のジャージも着てよ!」
「ふふ、機会があれば」
「心結ちゃんバレー好き?」
「好きですよ」
おっとりとした話し方でふわふわと話す心結と元気いっぱいに自己紹介をする木兎の姿に赤葦は目を細めたくなっていた。なんだか眩しい。
彼女は困っているようには見えないが、音駒のペナルティが終わるのを待っていたようだし、木兎が興味津々に彼女との距離を詰め始めている。
「木兎さん、あまり迷惑をかけないであげてくださいよ……」
「ふふ、大丈夫ですよ?」
「心結ちゃんバレーはやんないの?」
「今はやらないですねぇ」
「じゃあ! あとでならやる?」
「うーん、どうでしょう」
「えーやろうよ~!」
キラキラとした目で見る木兎にくすくすと笑ってあしらっているが、そろそろ音駒のペナルティも終わるし彼女もこちらも試合の準備をしなければいけないだろうと木兎に声を掛けた瞬間に赤葦は腕を引かれた。心結と場所が入れ替わる。赤葦は背後からボールが打ち返され転がる音を聞いた。
「あ、ごめんなさい。急で腕を引っ張っちゃいました。痛くないですか?」
「え、あ……」
「心結ちゃんカッコイ~!!!!」
目を見開いて叫んだ木兎の声で赤葦ははっとする。隣のコートから飛んできたボールから庇われたことに気が付いて、彼女の方を向く。真剣な色の目がこちらに向けられていて、小さく大丈夫ですと呟くと、途端にゆるりと柔らかい弧を描く。その様子に赤葦は思わず、顔に熱が集まるのを感じていた。
「急に触ってしまってごめんなさい」
「い、いえ、こちらこそすみません。ありがとうございます……」
「アカーシ顔赤い! 今のかっこよかったもんなぁ!」
「ッ、木兎さんうるさいです……」
大きな声で木兎が言ったせいで、待機中の梟谷からとペナルティを終えた音駒の視線が痛い。自然に心結がそれを遮るような位置に立つが、身長差でほんの少し隠れた程度で見える人には見えてしまっているだろう。ふー、と息を吐いた赤葦は少し落ち着いて表情をいつものものに戻す。
ふ、と小さく笑った心結の声に赤葦が顔を上げると目が合った。いたずらっ子のような笑みにまたドッと心臓が跳ねる。
「耳、まだ赤くなってる」
「ッ~!?」
「あ、次の試合始まっちゃいますね。……またあとで時間があればお話しましょう?」
「ウン……アカーシ、へいき……?」
「無理です……」
触れるか触れないか分からないぐらいの位置で耳元に伸びた指に赤葦が目を見開いている間に先程までの笑みをさっと隠した心結が音駒の元へと戻っていく。直接浴びた赤葦と隣ですべて見ていた木兎は二人そろって赤くなった顔を押さえることになった。
「オジョーサン、なにしたの?」
「んふ、なにもしてませんよ?」
「嘘つけ~、あそこで固まってる木兎たちが証拠ですヨ」
「ちょーっと悪戯しただけですよ?」
いつも通りの笑みで心結は少し首を傾げていた。
■■■
女子の応援というやつはどうしたって良いものなのである。特にこれまで女子マネがいなかった音駒にとっては心結の存在はまさに女神。バレーの造詣も深く、ブロックひとつ、スパイクひとつ、そしてレシーブの際には特にきらきらとした目で見つめられるために音駒の繋ぐ意識は更に増幅されていた。
「ナイスレシーブ!」
木兎の鋭いストレートを上げたのを見て、ぱっと目を輝かせた彼女の視線はまっすぐ夜久に向けられている。コートの向こう側では悔しそうな木兎の顔も見えて、夜久は口角が上がった。
とはいえ、しょぼくれモードに入らなかった木兎のスパイクが何本も決まり、敗北した音駒はペナルティのためにコートを離れる。次の音駒は休憩に入るのもあり、荷物を片付けている心結の元へ背後から木兎が近づいてくる。する、と心結の肩に手を回した木兎がぱっと晴れやかな笑顔で話しかけた。
「心結ちゃん!」
「どうしました?」
「俺とバレーしない?」
「えっ」
「おい、木兎……!」
木兎がミニゲームのひとつでもしようというつもりで言っていることに気がついた木葉は一マネージャーに対してのお願いでは無いだろうと、制止しようとするが、木兎はもう心結とバレーをすることだけを考えていた。
「ね、ダメ? バレー見てる時プレーしたそうな顔だなって思ったんだけど!」
「……野生の勘?」
「ブッ!」
キョトンとした顔で木兎の主張を野生の勘と言いきった心結に木葉は吹き出した。梟谷の面々からも笑い声が聞こえてくる。
「うぅん……パス練ぐらいなら」
「! ホント!! じゃあやろ! 今すぐやろ!! アカーシ! ボール貸して!!」
赤葦の元へ走ってボールを受け取りに行った木兎に苦笑しながらも、木葉は心結の様子を窺う。
「嫌だったら断っていいんだからな? アイツ距離感もバグってるし……」
「ふふ、ありがとうございます。大丈夫ですよ」
「ホント? あ、俺梟谷三年の木葉秋紀ね。心結ちゃんで合ってる?」
「木葉先輩ですね、烏野高校二年の烏養心結と言います。短い間ですがよろしくお願いしますね」
「ん、よろしくね」
こてんと首を傾げて、楚々と微笑む心結に木葉は目を細める。いい子そう〜、こんな子に木兎の相手させて申し訳ねぇ〜と思いつつも、いつもよりも本気で一直線にこれだと決めたっぽいうちのエースを止められる人間は残念ながらここにはいないと諦めていた。調子に乗りすぎたら止める役目はせめてしなければと思いながら、ボールを渡されテンション高く一球目を心結の方へと打ち出した木兎を見やっていた。
高めに出された一球目の落下点に、すっと入った心結は腰を落としてふわりとボールを上げる。周りで見ていた面々も思ったよりもちゃんとしているレシーブにお、と声を上げた。
木兎の元へピッタリ返されたボールをふわりとまた返す。柔く返されたトスは少々高く数歩下がらなくてはいけない位置だ。だが、心結は飛ぶ。
ダンッと音を立てて飛んだ心結の手から綺麗に木兎の元へ鋭く切り込むボールに驚きながらも綺麗にまたボールは上がる。心結から今度は木兎へオーバーで上げられたボールがふわりと空を飛んだ。セットアップではないとはいえどんぴしゃの位置にやってきたボールに木兎の目が輝く。まずいと思ったのは木葉と少し離れたところから見ていた赤葦だった。
少し加減されているとはいえ鋭いスパイクに近いボールが心結の腕で跳ねる。
「わ、……スッゲェ!!」
「あ、失敗しちゃった」
確かに少々短く、木兎が前に数歩足を踏み出したがパス練においてそんなものは誤差である。失敗とは?と宇宙梟と化した梟谷の面々は皆して首を傾げる。今度は心結の手の届く位置にボールを上げた。ジャンプせずにその手を振り切ったボールはまっすぐに木兎の構えた腕に当たって、奇妙な回転をしながら弾いて飛んだ。
「え」
「ふふ、残念。私この後調理のお手伝いにいかなくちゃいけないのでそろそろ出ますね」
「え」
「待て待て待て!? 今の回転なに!?」
明らかにおかしい回転だったことが気になって仕方ないというのにパスが途切れたからちょうど良いですねとその場を去ろうとする心結に、木葉が必死に制止する。木兎はレシーブの体勢のまま固まっているし、その様子に赤葦が声をかけているところだったために全体的にツッコミ役は不足していた。
「井闥山の佐久早選手のようなイメージのスパイクですね」
「は? ……いや、は?」
「ふふ、木葉先輩混乱しててかわいいですね」
「かッ……!? 何まじで!???」
「バレーに関しては真似するのが得意なもので、佐久早選手ほど手首が柔らかくはないので完全模倣は出来ないのが残念なんですけど、回転は意識して掛けられないこともないんですよね」
「そんな簡単に出来るもんじゃねぇだろ今の!?」
大きな声で強請っていた木兎の姿に既に視線を集めていた中で心結がしたプレーに他校からも鋭い視線が飛んでくる。特に、隣のコートにいた烏野から西谷が飛んできた。
「心結!! 俺とはやってくんないのに!!」
「えー、ノヤくん誘うタイミングが悪いんだもん」
「ずりィ!!」
ガッと肩を掴んだ西谷が前後に揺らすのに心結は抵抗せずにそのまま揺すられる。少しの間苦笑いをしながら揺すられていた心結だったが、肩に置かれている西谷の手に自分の手を重ねて止める。
「事前に言ってくれれば部活に顔出すから……」
「……まぁならいい!!」
「はいはい、私この後お昼ご飯の準備手伝いに行くからノヤくんも戻りなさーい」
「分かった! あ、心結お前さっきから距離近いぞ! 気をつけろよ!」
「ノヤくんに言われたくなーい!」
西谷の手から離れた心結は荷物を手に取って、未だにぽかんとしていた木兎のそばに近寄る。耳元に口を寄せて囁き声で言った。
「またバレーしましょうね」
「っ!? ウン!!」
「あは、ではまた後で」
さっき言ったのに近いぞ心結!!と怒る西谷に対して、悪びれもせずにひらりと手を振り、身を翻して体育館から出ていく心結を見送ったあと、真っ赤になって固まっている木兎を見た皆は可哀想に……と半目になった。果たしてそれは弄ばれたであろう木兎に対してなのか、これから木兎に絡まれまくることになるだろう心結に対してなのかは神のみぞ知る話である。
■■■
シャワーを浴びた帰りに黒尾は自販機に寄るために廊下を歩いていた。薄暗い学校の廊下は夏だというのにどこかひんやりとした空気を纏っていて、気味の悪さも感じる。早く買って戻ろうとしていた黒尾の視界に何かがふわりと翻った。
「あれ、心結ちゃん?」
「……黒尾くん、お疲れ様」
嫋やかな黒髪ロングが目に入った黒尾は本日マネ業をしてくれていた心結だと気が付き、声を掛ける。三つ編みにしていた髪は今は解かれていて、濡鴉色の髪がさらりと落ちている。
短い時間の交流しか出来ていないのだが、心結と仲を深めた音駒のメンバーは先輩後輩関わらず、いくらか気安く呼ばれるようになったりしている。その事に少し口角が緩むのを感じながら黒尾は彼女の隣に並んだ。
「心結ちゃんも飲み物買いに来たの?」
「はい、ちょっと暑いのを冷ますために外に出たっていうのもあるんだけど……、夜風に当たっても暑いね」
「あー、宮城の方がまぁ涼しいだろうなぁ……」
ふと、黒尾は心結が口元に手を当てて話していることで、普段は口元を隠しているマスクが今は無いことに気がついた。マスク美人なんて言葉もあるが、心結はマスクをしていなくても綺麗な顔立ちをしているように思える。少し俯いていて、口元を隠されているせいであまりよく見えないのが残念に思えていた。
「心結ちゃん」
「はい……? どうしたの?」
「普段マスクしてるのって、なんで? ……アッイヤごめん、なんか事情あるかもしんないのに不躾に聞いて……! 気にしないで、」
「ふふ、そういう理由ではないかな」
ぼーっと彼女を見つめていた黒尾の口からつい零れてしまった疑問に、慌てて撤回するが、心結はふわりと笑った。顔を傾けて笑った顔はマスクをしている時に想像した通りの優しい笑みで、黒尾はつい、心臓が跳ねるのを感じていた。夏の暑さのせいだけではない熱を感じて、少しだけ足が引ける。
見上げてくる彼女の手が顔から離されて、口元にほくろがあるのが分かった。それもどこか色気のある雰囲気を作り出していて、目が離せなくなる。
「くろーくん」
「エ、あ、ハイ……」
口をほとんど動かさずに囁くように言われた名前がどこか甘さを含んでいるような気がしてぎくりと体が揺れた。彼女の細い指が一本立てられて、初めて見たその赤い唇に柔く押し当てられる。押されて形を僅かに歪ませる唇の柔らかさを一瞬想像してしまう。ゆったりとしたその動きに視線を奪われて仕方がない。
「秘密にしてね」
「っえ、と……」
「ふ、マスクしてるのは隠したいことがあって」
「隠したい、こと」
いたずらに笑った彼女に言われた言葉にドギマギと返事をする。オウム返しのように言葉を繰り返してなんとか理解しようとしながら、目を合わせた。弧を描いた瞳が妖しく光ったように見えて、浅く息を吐いた。
「秘密にしてくれる?」
「ウン、」
こくこくと何度も縦に首を振る黒尾にくすりと笑った心結が、あ、と大きく口を開けた。
自販機の光できらめいた銀色に喉が鳴った。彼女の舌の上に輝く金属によく分からない音が口から漏れている。れ、と舌を少し出した心結が口角を上げていて、何だかとんでもなく見てはいけないものを見てしまった気分になる。心臓が痛いぐらい音を立てていた。
「そ、れ」
「ふふ、舌ピアス」
「え、それを、隠すためにマスクしてんの?」
「そう」
黒尾はなんで、と小さな声で訊ねた。清楚っぽい容姿にいかにも優等生に見える彼女の口内にある銀色の金属は確かに異質でドキドキさせられた上にそれを自分に見せてきた動作に確実に何かをおかしくされた黒尾だったが、一歳歳上であるプライドのようなものだけでそれを問いかけていた。尚、心結は前世の記憶を足せば黒尾よりも数十歳歳上であるためそんな些細なプライドは勿論意味がない。
「黒尾くんみたいにそうやってドキドキしちゃうのを見たくって?」
「っ、悪趣味ぃ……」
「ふふ、他の場所にもピアス開いてたりするんだけど、どこだと思う?」
「エッ」
小悪魔みたいな笑みで[[emphasismark:ギャップで性癖を破壊したい>﹅]]ということをやんわり告げてくる心結に思わず顔を顰めた黒尾だったが、次の心結の言葉にまた固まった。普通に考えて耳では?と思ったが、いつも見えている心結の右耳は一切穴が開いていない。左耳は今も下ろされている髪で見えていない。つい、見たいと思ってそっと指を伸ばした所で、その手をさっと奪われた。
「だーめ」
「あ……」
「左耳は確かに開いてるよ。でもそれ以外にもあるよ?」
きゅ、と細い指が黒尾の骨ばった指を掴んで、親指の腹で軽く撫でていった。あっさり開示された左耳のピアス穴の存在とそれ以外の場所の話に、つい、彼女の体を上から下まで見てしまう。そういえば、暑いというのに彼女が長袖のジャージを脱いだところを見た事がない。袖をまくっていたりはするが常に何かを羽織っている気がする。体のどこかと言うのならばそれはきっと普通には見られない場所で、それは……?と考えてしまって目を逸らした。
その視線にくすくすと笑った心結が黒尾から少し離れて、自販機のボタンを押しに行く。
ガコン、とペットボトルの落ちる音がして、それを取り出した心結が黒尾の方へ振り返った。
「何処にあるのか考えてドキドキしてて」
「ッ〜〜!? そんなっ、ちょ、! 意地悪!!」
「ふふ、私、意地悪するの好きなの」
黒尾の前からすり抜けた心結に文句を言うと、初めて見る程のいい笑顔で笑われる。そんな簡単に意識して考えてくれみたいな意地悪な問題を出していくなんて、と悪い女に歯噛みする。おやすみなさい、と先程までの意地悪な笑みを消してふわりといつもの笑顔で言った心結の長い黒髪が揺れてどこか甘い香りだけを残していった。
「あの子、やべぇ爆弾何個あるんだ……」
昼間こっそり見ていた木兎とのパス練といい、その前の赤葦を確実に落としていそうな行動といい、バレーを見る瞳の熱さといい、絶対あれは好きになったりしてはいけないタイプだと黒尾は一人頭を抱えた。性癖は絶対におかしくなった。
「黒尾くん、これについて聞きたいことがあって」
「アッ!? ハイッ! どれッスか!?」
「……クロなんか変」
心結が業務のことについて淡々と訊ねたところ、声を裏返して返事をし、変に焦っているような様子を見せた黒尾に研磨はじとりと視線を向けていた。なんか気味悪いんだけど……と夜久と海にその様子について訴えかけてみるが二人も心当たりがないらしく首を傾げていた。
黒尾のその様子に心結はくすっと笑うと、軽く黒尾のシャツの裾を引いた。ビクッと動揺を見せたことにまた笑うと、耳元に唇を寄せる。
「意識しすぎ」
「ッ!! 待っ、て、マジで良くないって……!!」
「ふふっ、そんなに意識されると思わなかったなぁ。黒尾くん結構、女の子に慣れてそうって思っちゃってたけどそんなことなかった?」
「ぐ、心結サンのそれはズルいデショ……」
真っ赤になった黒尾にくすくすと笑う心結の姿は明らかに昨日よりも距離が近いもので、二人の間で何かあったのだろうということは周囲からは丸わかりだった。
つい、黒尾は心結のマスクに視線を落とす。秘密、と言われて誰にも言っていないそれを隔てるたった一枚の不織布は何とも頼りなく見える。マスク越しに心結の唇に指を伸ばした。かさついた布越しに指先に感じる柔らかなものを少し押すと、目を見開いた心結が目元を赤くしたのが見えてハッとする。
「黒尾、くん……なに……?」
「ウッソでしょ。昨日、あんなことしといてこれだけで照れんの」
「……急に触るからですよ」
ふい、と顔を背けた心結に思わずキュンと来た。かわいい、と口から勝手に零れる。
昨日の心結は平然と弄ぶような口振りで楽しそうにしていたために清楚系なのは外面だけなのかと黒尾は思っていた。西谷と距離が近かったりする場面も見ているせいでまさかこんな触れ合いに照れられるとは思わずに、また顔が熱くなるのが分かる。
「おい! 黒尾! セクハラ!」
「い゙ッ!? ちょ、やっくん痛い!!」
「オメェが心結に手ェ出してっからだろ!」
「ちょっと! 外聞が悪いこと言わないでよ! セコムが来ちゃうじゃん!」
黒尾の言うセコムとは西谷の事である。実際近くにいない西谷は何かを察知していたりもする。それはさておき。
まだ少し耳が赤くなったままの心結が夜久の裾を掴んで止める。
「夜久くん、平気ですよ」
「いーや? セクハラ野郎の芽は今のうちに摘んでおく!」
「待って待って!?」
「どちらかというと先に手を出したのは私じゃないかなって……思ったり……」
「はぁ!?」
「エッ」
心結の発言に夜久も黒尾も周囲でこっそり聞き耳を立てていた部員たちも固まった。幸いなのは近くに他校生がいなかったことだろうか。一番に回復した夜久は、黒尾の方へ視線を向け、心結の発言の意図を問う。が、黒尾は未だに固まったまま心結から視線を外せていない。ふぅ、とため息を吐いた夜久は静かに言った。
「分かった……。心結も黒尾も正座!!」
びくりと驚きながらも大人しく正座した二人に夜久からこんこんと説教が飛ぶ。途中から海も入ってきて、アップが始まるまで続くこととなったのだった。
■■■
じわりと染み出す汗に流石に暑くなってきた心結は一人、外でジャージのジッパーを下ろす。蝉の声がうるさく木霊する中、マスクをずらして息を吐いた心結は汗を拭う。ジャグを洗い終えたらすぐに体育館に戻ろうと思いながら、手を素早く動かしていると人の気配を感じ、振り返った。
「お、美人じゃん。ねー、バレー部のマネさん? 何年生?」
「えっと……?」
振り返った先に居たのはジャージ姿の男子が二人。
運動部らしい姿だが、バレー部では無さそうで、心結は首を傾げた。ニヤニヤと笑いながら距離を詰めてくる二人にマスクをつけ直して、拒否の姿勢を取る。じっと見下ろされている視線は明らかに胸元に向けられていて、溜息を吐きたくなる。とはいえ、流石に人生二週目となれば、嫌な視線を向けてくる相手にすべき対応は分からなくもない。ヒートアップされない程度にあしらいつつ体育館に逃げようと考えながら、ジャグに手を伸ばす。
「私はマネでは無いので」
「えー? そうなの? バレー部の合宿に来てんのに?」
「どこ高の子? うちのではないよな、見たことないし」
「……すみません、私仕事があるので……っ!」
「えー、そんなこと言わずにちょっとだけお話しよーよ。暑いしそこの日陰のベンチで休まない? 飲み物奢るし」
さっと逃げようとした心結の前に一人が立ちはだかり、もう一人が手首を掴んできた。強引な様子に眉間に皺を寄せて睨み上げるがへらへらと笑った彼らは心結の手を引いて校舎の影になっている中庭の方へ連れていこうとする。誰か助けを求めた方がいいのか、けれどそんな騒ぎを起こしてバレー部の邪魔になってしまったら申し訳ないと躊躇ってしまう。それでなくとも、他校の監督に特別に呼ばれているというあまりにも特殊な立ち位置なのだ。
そんな風に逡巡する心結からの抵抗が弱まったと無理に手を引く男の手に別の手が伸びてきた。
「おい、何してんの」
心結の腕を掴んでいた男から引き離されるように鳩尾のあたりに回された腕に強く抱きしめられる。背中にとん、と当たった体に少し体が強ばった。
「バレー部合宿の邪魔しないでくんない?」
「は? 誰だよお前」
「こ、のは先輩……? なんで、」
「呼びに来たんだよ。ちょうど良かった」
見上げた先で目が合った木葉が背に心結の事を庇って立つ。運動部男子二人もそれなりに背が高いが、木葉が口元にゆるやかに笑みを作りつつも冷たい視線を向ければ、ひくりと表情は強ばった。
「わざわざ夏休みに学校来てやることナンパでいいのかよ」
「う、うるせぇよ! 関係ねぇだろ!」
「ちょっと話しようとしただけだ!」
「はァ? か弱い女の子の腕思いっきり掴んで無理矢理連れていこうとしといて何言ってんの? さっさと部活いけよ」
ついにわざとらしく上げられていた口角も歪み、睨むようにして冷たく言い放った木葉に相手も思わず口ごもる。しかし、どうにも諦め悪く、一人が木葉の背後の心結に視線を向けた。
「アンタだって態々こんなとこまで来てるじゃねぇかよ」
「それに、暑そうにしてたし、ちょっと息抜きでもって思っただけだろ、なぁ?」
「おい」
心結に縋るように言葉を重ねた悪あがきに、眉間に皺を寄せて文句を重ねようとした木葉のシャツが軽く後ろから引かれる。振り返ると、いつもの穏やかな色味を完全に消した心結が静かに男たちを見返していた。
「申し訳ないと思うんですが」
「っ……」
「私、遊び相手は自分でちゃぁんと選べる女なので、さっさとお家に帰って大人しくご自身の右手と仲良くなさったらどうですか?」
あまりにも明け透けな煽り文句にぎょっとした三人に構わず、頬に手を当てて少し首を傾げた心結が目を細めた。校舎近くで影になっている場所だからなのか、光を瞳から消した心結がゆったりと瞬きをする。
「心結チャン!?」
「は、なにいって、」
「下心のひとつも隠せないガキの相手するつもりないって言ってんの」
「ハァ!? ふざけんなよ! ちょっと優しくしたらつけ上がりやがって!」
「心結ちゃん!」
背後から駆け寄ってきた黒尾の姿に男二人は、はっとして顔を歪めた。心結の事を睨みつけて逃げ去る男たちに黒尾は顔を顰める。
「アイツら去年もマネにちょっかいかけて注意されてた奴らじゃねぇか……。心結ちゃん平気?」
「大丈夫ですよ」
「木葉もスマン!」
「いーや……、まぁたまたま見かけたから間入っただけだしな……」
黒尾が心配したように心結の顔を覗き込むが、いつものように微笑んで困ったように首を傾げている。木葉はさっき聞いた心結の口から出たとは到底思えない言葉は幻聴だったのかと目を瞬かせた。丁寧に煽っていた言葉は下手をすれば、より酷い目に遭いそうな煽り言葉で、木葉は呆然と心結の方を見る。
しっかりと目が合った心結は少しばかり目を伏せ、黒尾には気付かれない程度の僅かな動作でしぃ、と息を漏らした。びく、と体を揺らした木葉は心結の意図をしっかり汲み取り眉を下げる。
「……え、お二人さんなんかありました?」
「いや? あ、それよりそろそろ試合回し始めるだろ〜? 早く戻ろうぜ!」
「ンー? まぁ、そうね……?」
黒尾は若干腑に落ちないと思いつつも、体育館に向かう木葉の後ろを心結と並んで追いかける。ふと、心結と目が合った。
「黒尾くん、ありがと」
「あぁ……、びっくりしたけど何ともなくてよかった」
黒尾は、先程突然送られてきていた短いメールを思い出していた。『校舎裏』とだけ書かれて送られてきたメールに驚きながら、走って来れば木葉に庇われながらも何やら絡まれている彼女が見えてそれなりに焦った。当たり前のようにそんなメールを送れる彼女の冷静さは慣れから来ているのだろうかと少し心配になる。
「よくああいう事あんの?」
「……まぁ時々? 基本あしらえるんだけど、今回はちょっと下心すごかったなぁ……」
「ウワ、マジでごめんね。一人にしなきゃよかった」
「ああいう人は上手く狙って声掛けてくるもんだから仕方ないよねぇ……」
ふと一人になった瞬間を狙いうちされて声を掛けられることはこれまでにもある上に、今のわざと清楚を装っている容姿のせいでもあると理解しているために、あまりにも申し訳なさそうにする黒尾の表情に心結は少々心苦しく思っていた。黒尾からしてみれば、他所の学校の後輩であり、恩師が文字通り猫可愛がりしている女の子にこういった目に遭わせてしまったのをどうしようもなく悔やんでいるだけであるのだが。
そんなこんなでまたしても少し距離感が変わり、気まずげに話す二人を見た夜久がなんなんだお前ら!と叫ぶまであと数分である。
■■■
「や、心結ちゃん」
「木葉先輩、休憩ですか?」
「そー、交代になったとこ。心結ちゃんが昼過ぎには帰っちゃうって聞いたから話に来た」
「あー……さっきはすみません。ありがとうございました……」
楽しそうに目を細めて笑いながら、隣にしゃがんで見上げてくる木葉を見返しながら、先程助けられた時のことを振り返って心結は苦笑いを浮かべる。
「全然気にしないで。ただ、心結ちゃん意外と口悪ぃんだと思って面白かったわ!」
「前世から口は悪い方ですねぇ」
「前世から? 筋金入りじゃん!」
心結の言葉を冗談と受け取った木葉がけらけらと笑いながら言う。実際は本当に前世からレスバが強く些か口が悪い部分があった。そして今世はとある親戚の影響も重なって少々漏れ出ることがあるのだ。
「今回はちょっと、下心丸出しで見られてたのと、木葉先輩への悪口にイラッとして」
「エッ?! 悪口とか言ってた?」
「言おうとしてたので」
「あー……そうなんだ? でも、あんまり煽んなよ〜? 危ない目に遭っちゃうかもだし」
「それはもちろん。今回は木葉先輩が守ってくれてたのでつい……。でも、気をつけますね」
飄々としていて、容姿だけで言えば大人しく清楚系に見えるが、バレーも出来て、口の悪い、自分の価値を少々見誤っている女の子、というのが現状の木葉目線で見た烏養心結である。正直、おもしれ〜女と思いながら、試合間に音駒のマネージャー業をする彼女を盗み見ていた。
何故か夜久に黒尾と共に怒られていたり、意外と俊敏に動いてドリンクやタオルを渡していたり、迷いなくスコアを書き取っていたり、烏野セコムに距離感を怒られていたりした。やけに怒られているが、まぁでも分からなくもないと木葉は思っていた。どこか隙があって、目元だけでも分かる笑顔でじっとコートを見つめる瞳には明らかに熱が乗せられていて、なんともズルい。気になってしまうのはしょうがないことだろう。
「心結ちゃんさ、」
「はい……?」
「俺のことも先輩呼びじゃなくていいし敬語もいらないよ」
「えっ」
「音駒の連中だけズルいじゃん」
木葉は自分で思っていたよりも拗ねたような声色になってしまった事に少しばかり赤面しつつ、視線を逸らす。子供じみた言動だと思いつつもつい口に出してしまったことへの返事がなくて、少し離れたコートから聞こえるボールの音とシューズの音が響く。そろりと隣で立ったままの心結を見上げた。
目を見開いてぽかんとする心結と目が合って、数秒見つめられた後、ふ、と小さく笑った彼女が隣にしゃがみ込んだ。視線が近くなって、ゆるりと弧を描く。その僅かな動作に心臓を掴まれたような心地になる。
(こんな色っぽかったっけ……?)
「木葉くん、かわいいね」
色香の滲む瞳に見つめられて、顔が熱い。つ、と逸らされた視線を追ってしまった木葉にくすっと笑い声を漏らした心結がマスクをずらす。悪戯っぽく、明確にからかうような色を乗せた笑みを浮かべた心結が膝の上に組んでいる腕に頭を寝かせて、木葉の方を見た。
「……からかってるだろ」
「ふっふ! 木葉くんってよく見てるよね。さっきも私の方観察してたでしょ?」
「気付かれてたんかよ……」
「流石にあんなに熱視線向けられたら気付いちゃうなぁ。ふふ、あんな風に見られてたら勘違いしちゃいそう」
小さく動く赤い唇から離れなくなりそうな視線を必死に逸らしながら話を聞いていれば、突然わざとらしい文句が飛んできて、眉をひそめながら首を傾げた。
「なにそれ、心結ちゃんも勘違いしてくれんの?」
「ふふ、どっちがいい?」
「ど、!? ……ずりぃ」
「あは! 木葉くんって、からかいがいがあるなぁ」
くすくすと笑って楽しそうにしている心結に、木葉は唇を尖らせて不満気な表情を作る。あまりにも弄ばれている。負けっぱなしは何となく不服で伸ばした指先で心結の頬に触れてみる。つるりとした頬を指先で軽くなぞってから、つん、と突つくと、心結が意表をつかれたかのように少しぽかんとしたのに吹き出してしまった。
「心結ちゃんのが、かわいーと思うけど」
「む……、そんなこと言っていいんだ?」
心結の頬に伸ばしていた手が捕まった。スローモーションかのようにゆっくりと指が絡む。木葉が何か言う前に、細められた瞳がゆるりと色を滲ませているせいで唇が空を切った。ほんの少しだけ指に入れられた力はあまりにも弱くて、少し腕を引けば離れてしまう程度なのに動けなくなってしまった。
吐息だけで笑った心結が四本の指ですりすりと手の甲を撫でる。あまりにも小さな動きに勝手に過敏に反応してしまう。彼女の親指が手のひらの内側を擽る。手に力が入ってしまったのを人差し指が手の甲を柔く叩いて咎めてくる。くすぐったいという感覚がじわじわとなにか別のものに侵食されて置き換わるような感覚に、逃げた方がいいと頭の中のどこか奥の方で警鐘が鳴っているような気がした。
「ほら、真っ赤。かわいい」
「っ、な、ンなの、!? 心結ちゃんのそれは……!」
「ふふ」
こんなことされて動揺しない男子高校生はいるのか、いーや?いないね!と心の中で叫びながら、自分の顔が随分と熱くなっているのを自覚する。なんで心結は平然としているのかと照れ隠しのように指摘をするも、笑い声だけで返答した心結が答えるつもりが無さそうなのに口を曲げた。
繋がれたままの手を少し握って、仕返しのように指先で小さな触れ合いを試してみれば、ぴく、と心結の指先が跳ねた。それを見逃す木葉ではない。
反応を見せた箇所をもう一度するりと撫でて、じっと心結を見る。視線を繋いだ手元へ落とした心結とは目が合わなくなった木葉が今度は笑う。
「ふぅん」
「木葉くんって大体のこと卒なくこなすよね……」
「器用貧乏って言われてる?」
「言ってる」
先程までの身を震わせるような色気が消えて、気安く揶揄うような色だけが残る。お茶目に笑う心結に拍子抜けしながら笑った木葉が手を解いて心結の軽くデコピンをした。芝居がかった動作で痛がる心結と顔を合わせながら、ぽつりと零した。
「烏野の連中がセコムしてる理由がよく分かるわ……」
「う~ん?」
あまりにもわざとらしく小首を傾げて何も分かりませんという顔をした心結についに吹き出した木葉は声を上げて笑った。木葉が思っていたよりも茶目っ気があるらしい。目を細めた心結がマスクを元に戻してしまうのを少し残念に思いながらも見やる。
「心結ちゃーん! ちょっといい?」
「はぁい! ……じゃあ、木葉くん、またね」
心結が名前を呼ばれ、立ち上がる。初めて話した時とは違う笑顔でひらりと手を振った彼女に振り返して、後ろ姿を視線で追った。それなりにどんな相手だろうと卒なくやれる自信はある木葉だったが、何となく話しやすくてもっと会話をしたいと女子に対して思ったのは初めてでは無いだろうかと思い返す。連絡先の交換をすればよかったと思いつつ今から追いかけて頼むのはなんというかダサくないだろうかと眉を寄せて目を伏せながら考える。
「木葉なんで心結ちゃんと仲良くなってんのぉ……」
「ウッワ!? び、ビビった! 急に静かに背後に立つな!!」
試合が終わったらしい梟谷の連中の中から、あまりにも珍しいことに静かに木兎がやってきて木葉の背後に立っていた。目を見開いて振り返った木葉は距離の近い木兎に飛び退きながら文句を叫ぶ。
む、と口を曲げて不服そうな木兎が半目で木葉を詰る様子に梟谷排球部の面々は物珍しいものを見る気持ちで観察していた。
「木葉ずりィ! 俺も心結ちゃんと話したかったぁ……!!」
「いや、お前昨日パス練してもらって、食堂でもしばらく構ってもらってただろ!」
「足りない!! 心結ちゃんバレーの話いっぱいしてもなんでも聞いてくれるし、マスクしてても分かるぐらいかわいいし、バレーの話の時目がキラキラして綺麗だし、もっと見たい!!」
「バレーの話しかしてないですね」
昨晩はバレーの話にバレーの話にバレーの話をして、食事の後片付けをしている間の心結にくっついて楽しそうにしていた木兎の姿は合宿に来ているバレー部ほぼ全員が一目は見ていた光景である。しかし、シャワーの時間になっても食堂から戻ってこない木兎を呼びに行った赤葦だけはその後のことも知っていた。
楽しそうに二人で食堂の端で並んで座って話していたところだった心結がすぐに赤葦に気がついたと同時に、さっと木兎を送り出そうとしてくれていた。それにわがままを言うようにゴネていた木兎の懐きっぷりに少々感嘆しつつ、声をかけようとしたところで心結が何か木兎の耳元で囁くように動いたのが見えた。途端に、かっと目を見開いて、ほんのり頬を紅潮させた木兎が眩しいほどの笑顔で心結から離れたのを呆然と見ていたのだ。どういう方法で上手く誘導したのかを聞きたくなったが、それよりも先に木兎にシャワー浴びて早く寝よ!と腕を取られてしまった為に微笑んで手を振る彼女に会釈しか返せなかったのだが。
少なくとも先程の木葉と同じ程度には心結に心を許されているようにも赤葦からは見えたのに、木兎にとってはまだ不満があるらしい。あ!と声を上げた彼が走って体育館を出ていくのを追いかける必要はないだろうと赤葦は見送った。
■■■
私服に着替えた心結は荷物を抱えて、食堂へと入る。夏場だが、しっかりとした長袖のウェアとスキニージーンズを履いて烏野の面々が固まっている場所へ向かった。昼食の時間から少し遅くなっているからか、既に自主練に向かった者もいて人数は疎らだ。
「繋心くん、私先に帰るね」
「そういやお前新幹線で来たのか? バスに空きあるしそっちで帰っても良かったんじゃねぇの」
「あー、私バイクで来たから無理」
「ハ!?」
「言ってなかったっけ?」
帰る場所はほぼ同じである彼女に提案したが、きょとんとした心結の返答に繋心はぽかんと口を開けて叫んでしまった。心結の両親、自身にとっての叔父叔母は何をしてるんだと考えたが、そもそも心結に対してなんでも自由にやらせる主義のあの人たちが頼りになるわけがなかったと頭を抱える。
「お前……、宮城からここまで何時間かかると思ってんだ……」
「五……うーん、六時間ぐらいかなぁ。まぁだから私先に帰るんだし」
「女子高生が一人で宮城からバイクで東京に来るなよ……!」
「烏養さん。次はバスに乗ってくださいね」
かちゃ、と眼鏡を押し上げた武田が静かに告げる姿に烏養家の従兄弟二人は同じような引きつった表情を浮かべた。心結自身は一人で色んな場所へ行くための交通手段として免許を取得しているとは言え、今回は猫又が交通費を出すと主張してきたのを何とか抑えたかったが故に少々無茶なことをしている自覚はあるため、こくこくと首を振った。と、言っても春高にはまた一人でバイクでやってくる予定だ。若いうちに無茶はしておく主義である。
「心結、バイク乗れんのか!」
お説教ムードの中、そばで話を聞いていた西谷がキラキラと顔を輝かせていた。心結の腕を掴んで隣に座らせた西谷が満足そうに笑顔を見せる。
「そういや普段はそういう服着てねぇもんな! バイク乗る時だけそういう格好なのか?」
「そうかな? 結構なんでも着る方だけど……。あ、でも、体のラインがあんまり出ないのが多くはあるもんね」
「そうだろ? お前制服も大きめの着てるしな!」
西谷が視線を下ろせば、体のラインが幾分か普段よりも分かる。その様子にあんまり見ないでと心結が苦笑いを浮かべたため、すぐに心結の顔の方へと視線を戻した。
そんな西谷と心結の会話に田中が待ったを掛ける。
「え、待てノヤっさんなんで心結サンの普段の私服知ってるみたいな口ぶりなんだ!?」
田中がもしかして、と二人に視線を向けると、きょとんとした顔の西谷が首を傾げながら言う。
「休みの日に遊び行く時に見るからだな!」
「一回お休みの日に会ったことがあって……。それから時々遊びに行くようになったの」
「そ、そそそそれは、ふたりは、つきあって……?」
「? 付き合ってはない!」
西谷が言い切ったのを見て、そろ、と心結の方を田中が向く。眉を下げて少し微笑んだ心結が本当だよと言ったので一旦、納得した。
二学年に上がって以降、西谷が部活に顔を出していなかった時期に特に心結に絡んでいたのは同学年たちには周知の事実である。何やら隣の席になった彼女に対して、世話を焼いたり焼かれたりをしているなんて話を聞き、珍しいとは思っていたのだが、もしかしなくともLoveな気配ではというような噂もあったのだ。休日に出かける仲なんてより一層そうなのでは?と思っても仕方ない話である。
「田中、多分ガチでそういうんじゃない……」
「え、そうなのか、え?」
「心結さんはまだしも西谷は自覚もなさそうだし……」
縁下の言葉に、心結は小首を傾げて眉を下げる。
西谷が心結に対して過保護とも取れる様子を見せたり、セコムをするようになったのは西谷と心結が学校外で初めて出会った際の出来事が原因である。
「こうなったのは、その……ナンパされてたのをノヤくんが見てて助けてくれたんだけど、それ以降出来るだけ一人で出掛けるなって言われて。まぁ私も誰かと出かけるの好きだし、時々暇な時は付き合ってもらってるの」
「なるほど……?」
「一人になると、こいつすぐにナンパされるんだよ! ハッ! 心結お前帰り大丈夫か!? サービスエリアとかで声かけられてもついていくなよ!?」
「ね、縁下くん、田中くん、聞いてよ〜! ノヤくん私の事幼児だと思ってるところない?」
心結の言葉にうーんと二人は首を傾げる。
「なんというか、ノヤっさんの心配の仕方も多少やり過ぎだなとは思いはするんだが……」
「心結さんが警戒心幼児なのもまた事実じゃない?」
「エッ」
うんうんと頷く田中と、鋭い指摘を向けてきた縁下に心結は目を見開く。同級生に幼児だと思われているのは西谷だけではなく共通認識だった!?とショックを受けていると、繋心が隣から口を出してくる。
「心結は小さい頃からずっと人たらしだぞ。声掛けてきた不審者相手に普通に会話して更生をさりげなく誘導して帰ってくるみたいなこともしてたぐらいには人たらしだ」
「更生をさりげなく誘導……?」
繋心の話に田中は背中に宇宙を背負いながら首を傾げる。なにをどうしたら不審者相手に会話一つで更生を勧めて普通に帰ってくることになるのだろうか。
「あ〜、なんかでも、ちょっと分かるかもしれないなぁ……。心結さんってこう、上手い具合に甘やかして捨てるのも上手いよね」
「!? なんか縁下くんの当たりが強い……」
理解できると言い出した縁下にギョッとした顔を田中と心結の二人で向けながら、少しだけ距離を取る。甘やかして捨てるのも上手いって、何をどう見てそう思われたのだろうかとそっと縁下を見る。
その様子に、はは、と笑って流した縁下に怯えながら、心結はそっと西谷を盾にした。その時点でかなり心結から西谷への信頼があるのが分かり、そしてそんな風に頼られれば西谷は嬉しそうにするのも当たり前のことなのである。ふん!と笑って、縁下と心結に挟まれている西谷は満足そうで、烏野排球部の面々は何となく二人の凹凸の噛み合いの一片を垣間見たような気がした。
「西谷セコムがいる間はいいとして、心結さんも気をつけてね。心結さんでも躱せないような厄介な人も少なくないだろうし」
「それはもちろん!」
「信用出来ないな〜」
「縁下くんやっぱり当たり強くない!?」
「そんなことないよー」
心結自身は人生二週目なせいで年の功で何とかなるなと思っているが、はたから見ればただの女子高生の無茶である。その結果セコムが多発することになっているのだが、心結はその事には気がついてはいなかったりする。ついさっき絡まれたことももう既に記憶の彼方にあるぐらいにはどうでもいいと思っているのだ。そういうところだぞ。
二年生同士でじゃれ合いをしつつ、時計を見て心結は荷物をまとめて立ち上がった。そろそろ出なければ遅くなってしまう頃である。繋心に声を掛けて、烏野の皆からも再度精一杯の心配をぶつけられながら、最後に猫又の元へ向かう。
「ねーこちゃん!」
「心結、お疲れ様。今回はありがとうなぁ」
「ううん、楽しかったよー! 次は烏野側として手伝いに来ることになるかな?」
「そうだね、次はそうしなさい」
「え! 心結さん次は音駒のマネじゃないんですか!?」
猫又への挨拶の最中、たまたま近くにいたリエーフが大きな目をぱっちりと見開いている。この二日間で一番心結に懐いていたのは実はリエーフだった。
音駒一年生は普段マネ業務を担っていることもあり、心結と共に行動することが特に多く、その中でもリエーフは、何かにつけてそばに居た。リエーフにしては比較的静かに心結の近くにいて、プレーを褒めてもらってまた元気にコートに戻っていったり、ドリンクを運ぶ際には一番に手伝いに名乗り出たりとまるで飼い主に褒められるために頑張る忠犬のようだったと後に黒尾は語る。彼の名前の由来たる獅子らしさは無かった。
そんな比較的大人しめにしていたリエーフだったが、一つだけ盛大にいつもの調子で駄々を捏ねたことがある。
基本的にその場に同じ名字の人間がいる場合以外では名字でしか呼ばない心結に、名前で呼んでくださいよ~!と強請り、張り付き、折れさせたのだ。今のところ、おねだりを成功させた唯一の男がリエーフである。
そんなまるで弟が出来たのかと思うほど懐いてくれるリエーフのことを可愛いと思わない訳もなく、心結もそこそこ、絆されていたりもする。
とはいえ、マネ業務のお手伝いの件は自分から何か言えないなぁと思っている心結の肩を掴んでじっと見下ろしながら、眉を下げたリエーフに苦笑いを浮かべることしかできない。
「心結さん~! 次も! 是非! 音駒に来てください! なんなら転校してきませんか!!」
「はは、随分懐かれたんだなぁ」
「もーねこちゃん、他人事だと思って! 次までに音駒にマネ入ったりするかもしれないし、烏野の方が大変かもしれないし、その時にならないとわかんないよ」
「うちにマネが入る訳ないじゃないですかぁ~!」
「そ、んなこと……うーん、無理かぁ」
「無理ですよ~!」
そもそも音駒もそこそこに強豪校であるし、主将はなんとも詐欺師臭がするし、女子に耐性が無さすぎる男に極度の人見知り、押しの強いこの子もいるし……と心結はリエーフを見上げる。ぱち、と綺麗なエメラルドグリーンが瞬いた。何を思ったのか、心結との距離を詰めたリエーフに小さく動揺で声が漏れた。
「おい! なにやってんだリエーフ!!」
「ど、ワァッ!? イッタァ!!?? ちょっと夜久さん危ないじゃないですかぁ!」
背後から華麗に飛んできた夜久の蹴りがリエーフを襲った。咄嗟にリエーフが庇うように心結を抱き込んだせいで、ゼロ距離となってしまい、心結は固まる。その様子にすぐに気が付いた夜久が二人をさっと引き離す。そのまま心結の肩を抱いて引き寄せた。
「も~心結さんいるのに危ないですよ!」
「いや、今のは絶対お前が一番危なかった!!」
「? そんなことないです!」
「クソ、天然無自覚が一番めんどくせぇ!!」
ぎゃんと叫んだ夜久が眉間に手を当てて溜息を吐く。さっきまでのリエーフと心結の距離は少なくとも友人同士でいい距離じゃなかった上にリエーフは心結のマスクに指を掛けようとしていたのが夜久からは見えていた。
「……リエーフお前、さっさとレシーブ練しに行くぞ」
「えー!! 心結さんとしばらく会えないんだしもうちょっ、痛っ、ちょ、!!」
「うっせぇ早く体育館行け! 心結、ごめん、あ、……すまんっ!!」
「っ、いえ、だいじょぶです……」
リエーフを追いやり、ぱっと心結の方を向いた夜久はそこでようやく心結がほんのり頬を赤くしていることと、肩を抱いたままで、異性の友人同士の距離感では無かったことに気がついた。慌てて手を離して謝罪すると、少し照れた様子の心結が、視線を落としたのが目に入って、思わずごくりと喉が鳴った。
「ははっ! 相変わらずモテるな心結は」
「っ! ねこちゃん!!」
「すまんすまん、ところで心結そろそろ出ないとだよ」
「あっ、ホントだ! 夜久くん、その、ありがとうございました。また、次も楽しみにしてる!」
「お、おう!」
猫又のからかうような笑い声に、少し怒ったようにした心結だったが次の瞬間にはいつも通りの表情で夜久に向き直る。楽しみにしているというのが、バレーのプレーに対してなのか、会えることなのか、などと一瞬頭を過ぎったがすぐに前者以外の意味は無いだろうとぐっと飲み込む。
またね!と元気に手を振り荷物を抱えて出ていった心結に手を振り返して、夜久は隣から刺さる視線に冷や汗を流していた。
「いい子だろう? だがまだ嫁にはやらんよ」
「……猫又先生、勘弁してください……」
「はは! 冗談だ、存分に青春すればいいよ」
さりげなく、心結の恩師からのお墨付きになっているのだが、これに気がつくのは未来の話である。

























