ミョウジナマエは仕事ができない女だった。
強豪と言われる稲荷崎高校の男子バレー部マネージャーであるというのに、物は数えられないしボールを拾うと必ず転ぶ。寝坊で朝練に遅刻することも多く、珍しく早く来たと思えば1時間早く間違えて登校しただけだったり。大事な大会の日に忘れ物をしてくるのは当たり前の日常だった。
なぜ彼女がマネージャーとして在籍しているのか、稲荷崎では七不思議として語られるほど。
そんなナマエに煮えたぎるほど熱い視線を送る人間が1人いた。
男子バレー部に所属する宮侑。
彼が入部した時、コート周りをうろちょろするナマエが煩わしく集中できなかった。
なんでうちにマネがおんねん。雑用なんかどうせ俺ら下っ端がせなあかんねんから、マネなんか要らんねん。
侑は本気でそう思っていた。
****
そう思っていたのは入部初日だけだった。
「ナマエさん忘れ物ないん?」
「20回は確認してんで!さすがに今日はない!」
「ほぉーん。やるやん」
練習試合の相手校へ向かう日。自身よりもはるかに重い荷物を運ぶナマエにこっそり声をかける宮侑は、しれっと彼女が持っているジャグを慣れた手つきで自分に寄越した。
尚あまりにも自然かつ流れるような動作だったせいで、ナマエは侑に荷物を持ってもらったことに気づいていない。
「ナマエさんがドジ0で終わったら奇跡やな」
「その奇跡が今日起きんねんで。おめでとう侑!楽しみにしててな」
「普通の人間はそない頻繁にドジせぇへんねん。そのドヤ顔腹立つな」
会話しながら相手校の体育館へ向かっている2人のもとに、角名が半笑いで近づいてくるのを侑は察した。
角名が半笑いである理由を侑は知っている。
「ナマエさん」
「角名!どしたん?」
「監督が『ミョウジに頼んどいた買い出しのやつどこや?』って探してるけど」
「え?どこやっけ」
「・・・監督のとこ行ってきた方がいいよ」
「うん!ありがとう!」
「ちょちょちょ、その大荷物で走んなや!こけんで!」
「あ、ごめんごめん。歩く」
「ちゃうやろ荷物はよ俺らに寄越さんかい!」
「え!?あかんよ!後輩に持たせるわけないやん!てか待って侑いつの間にジャグ持っとったん!?」
「もうええて何百回この会話させんねん!」
ナマエはうざいほど上下関係に厳しかった。
侑が入部初日で彼女への認識を変えたのは、「私先輩やから!なんでも頼ってな!」と1年生ひとりずつ挨拶をしている姿を見てからだった。
あ、そっちなんやと。
中学での「先輩には絶対逆らってはいけない」という謎ルールに大層嫌気がさしていた侑にとっては衝撃的だったらしい。ちなみにそんなルールに従ったこともない。
自認姐御肌のナマエに侑がすぐ懐いたのは自然なことだった。
今も頑なに自分の荷物を譲ろうとしないナマエに、半ば脅しのようなものをかけて奪いとることに成功した侑と角名。ナマエは「あかん…脅しに屈するなんて先輩失格や…」と神妙な面持ちで監督の元へ駆けていった。
「あーあーもう走んな言うてんのに・・・」
「・・・・・」
「何見とんねん角名コラ」
「いや?本当ナマエさんのこと好きだよなーと思って」
「あ!?お前が!?」
「いや侑の話でしょ」
「別に好きとかそういうんとちゃうわ!見とったら腹立つねん!」
「腹立ってんのお前だけだよ。おもろすぎるってあの人」
「・・あんまあの人のこと面白がんなや。本気でやってんねんぞ。ニヤケ面で近づいて来よって」
「ほらそういうとこ。普通に溺愛してんじゃん。わかってるよ」
怖い顔すんなよ、と角名に付け加えられ、自身の眉間に皺の溝ができていることに侑は気づいた。
****
部員の中には、ナマエをよく思わない人物だってもちろんいた。
マネ業を全て完璧に終えた日など彼女が入部してから一度もない。俺らを支えるためにいるはずなのに、なんでフォローしなきゃいけないんだ。そう不満を漏らす部員の姿も目撃されている。
だからこそ稲荷崎七不思議にエントリーされているのだが。
「ミョウジ、さすがに今日は俺も味方できへんかったわ」
「いや100%私が悪いねん・・尾白くんほんまごめん」
練習中にまた何かやらかした日があった。
ナマエと同期である尾白アランは、幼少期から某双子と関わっていたこともありナマエのことも呆れつつ出来る範囲で協力していた人物の1人であった。
体育館の端っこでジャージの裾を掴みながら俯くナマエと、困った表情で彼女を見下ろす尾白の様子を、侑はサーブ練習しながらぼんやりと眺めていた。
「なんであのタイミングで説教されとんねんアホツム」
「お前こそ早よ迎えに来いや!先生から逃げられへんかったやろが!」
練習を終え忘れ物をしたことを思い出した侑は、教室へ行くために校舎へ入って行った。
侑が戻ってくるのを片割れである治は自主練しながら待っていたが、日が暮れても戻らない侑を不思議に思い教室へ向かうと、そこには半べその侑と担任が立っていた。授業中の居眠りが多すぎることを詰められていたようだ。
「なぁ、体育館まだ誰かおんの?」
「いや俺が出てく時に全員帰った気ィするけど」
「灯り点いてへん?」
「・・・キモイこと言いなや」
みるみる青ざめた表情になっていく治。
仮に誰かが消灯し忘れたとして、バレー部全体が怒られてしまうのはよろしくない。
「はぁ。めんどいけど見に行くか」
2人は体育館へ足を向き直した。心なしか2人の間に空いていた距離が縮まっている。
「ちょひっついてくんなやキショイねん」
「お前の方やろがい、何?ビビッとんのか」
お互い煽り合いながら勢いよく体育館の扉を開けると、誰もいない。
「・・・なんや、やっぱ誰か消し忘れやん。はよ消そや」
「!!・・アッ!待ってください!私います!」
「あぁ?」
治が消灯しに行くのを見守っていると、倉庫から物音と同時に女の声がした。
「すいません!・・あれっ侑やん!」
「ナマエさん!?何してん!?」
倉庫から慌てて出てきたのはナマエだった。
出てくる時に大きめの鈍い音がしたため、治も戻って来た。
「あ?ナマエさんやん。何してん」
「おんなじこと聞くなや」
「私お父さんが迎えに来てくれるんやけどな、遅なるみたいで。これしながら待っててん。そしたら誰か入ってきて、電気消そうとするから慌てて出たら侑たちやったんやね!」
「これ?」
ナマエが指さす方を双子が追いかける。
そこには、先ほどまで自分たちが使っていたバレーボールが大量に転がっていた。
「え、ボール磨いてたん?」
「うん」
「今日特大にやらかしたから監督に言われたとか?」
「いや?いつも暇な時にやっててん」
「暇な時て・・・部室で待っとったらよかったんに」
「んーまぁ今日は・・やらかして落ち込んでしもたから、磨きたくて」
「(いつもやらかしとるやん)・・・・そこで磨きたい、になるのはなんで?」
思っていることがもろ顔に出てしまっている侑だが、気になったのは「なぜ落ち込んでいる時こそボールを磨きたいのか」だった。
「私な、みんなに迷惑かけてしもてんのわかってんねん。でもボール磨きは誰よりも丁寧で上手やなって前に北さんが言うてくれて。それから落ち込んだ時と暇な時はボール磨いて私は大丈夫って気分上げてんねん」
侑はナマエが無理に笑顔で話しているのを察した。と同時に、練習時に見たナマエと尾白の様子を思い出した。
この人がミスばかりであろうと足手まといであろうと、不満を漏らす人間はいても、誰も本気で嫌い、追い出そうとまでしないのはこういうとこか、と妙に納得してしまう日であった。
「つかナマエさん北さんと同い年なんにさん付けなん?」
「私なんぞが北『くん』など烏滸がましくて・・・いつも怖いし怒られるけど、尊敬してんねん。あんたらこそ私に敬語使ったことないよな?」
「「・・・・・」」
今まで、ただ単に面白半分でナマエに構っていた侑と治が、この日を境に彼女への見方を変えたようだった。
治はこうも感じている。
片割れが彼女に構う理由が、自分とは少し違い始めたのもこの日からだったなと。
なんとなく彼女を気に入ってるんやろうな、と侑の様子を見てそう思っていた治が、なんとなくではなく明らかに違うやん、と確信した出来事がある。
その日は双子の連携が思うようにうまくいかず、練習試合も、その後の紅白戦も2人はボロボロだった。
「あそこでもっとズガンと決めな誰がトスあげとる思てんねや!」
「お前は自分が常に完璧やと思てんのか!?あぁ!?」
2人が揉み合いの喧嘩に発展することは、部員の誰もが予想できていた。
そりゃあ、あれだけうまくいかなかったらフラストレーションも溜まるよな、と納得していたため、手も足も出まくる双子の喧嘩をこの日はあまり誰も制止しなかった。
大柄の男たちが暴れ回るので、周囲に散らばっていたボールや備品が巻き込まれあちこちに飛び交い、治の手元に転がっていたテーピング用のテープを侑へ投げつけた。
が、狙いは外れてテープは大きく弧を描き、コートの端でスコアブックを見ているナマエの頭にヒットした。
「いてっ」
「・・・!」
投げた本人の治は、ナマエに当たったことに全く気づかなかった。
というよりその場にいたほとんどの部員も気づいておらず、ナマエの隣にいた部員だけが彼女の発した声に反応したのみだった。
それぐらい、なんてことのない程度だった。
「・・・・おい、なんやねん。急に静かになりよって」
「・・・・」
先ほどまで取っ組み合いをしていたのに、侑が何かに反応したように、急に動きを止めてある方向を一点に見つめ出した。
怪しく思った治が侑の視線を辿ると、照れ笑いを浮かべながら頭をさするナマエがいた。
よそ見かいな、とさらに機嫌を損ねた治がもう一度「おい」と声をかけると、ナマエを見ていた侑の視線がゆっくりと自分に戻り、そして目の色を変えた。
「お前・・・何してんねん」
「?それはこっちのセリフなんやけど。よそ見しよって・・っ!」
治が言葉を言い終わらないうちに、侑の頭部が降って来た。頭突きだ。
あまりの速さと予想外すぎて治は避けられず頭に当たり、衝撃と痛みが押し寄せてくる。
「っだ・・・!何しとんねんゴラァ!!」
「それはお前やろが!!何してんねん!あの人に!!!」
「あの人ってなんの話やねん!」
そこで治は、自分が投げたテープがナマエに当たったことを知った。が、正直頭突きをくらうほどか?と感じたのも無理はない。
そんなことで目の色を変えて怒る、こいつが異常なんじゃないかと思った。
「ナマエさん、ごめん」
「ほんま痛いうちに入らんかったし気にせんで!ていうか頭に当たるん恥ずかし過ぎて誰にも気づかれたなかったレベル」
「・・・こう言うんもアレやけど、そうよなぁ。あいつがキレすぎやねんて」
「侑も私のことほんまに先輩って認めてくれとるんやねぇ。なんか嬉しいわ!」
「そう・・かぁ・・・?」
あれはどう見ても先輩としての扱いではないだろ、と治は内心突っ込みたかったが、ナマエはそうだと信じて疑っていないし、片割れの勘だが、侑自身もなぜあそこまで取り乱していたのかわかっていないだろうと悟っていた。
****
また違うある日。
大会のため移動するバスの帰りだった。
片付けに時間がかかり、中々バスに帰って来ないナマエをみんな待っていた。
「あ〜〜あいつ何してんねん・・!」
前の座席をダンダンダンと叩く侑。
「また何かして何かぶち撒けたんちゃう?」
「・・侑、見にいってき」
最後尾の真ん中で腕を組んで座っていた北は、イラついている様子の侑を一瞥して言った。
許しが出た!とばかりに座席から侑が飛び出そうとすると同時に、バスのドアが開いた。
「すいませーん!」と間抜けた声も一緒に乗ってきた。
「ミョウジ何してたんや!」
「すいませんでしたぁ・・」
監督に若干怒られつつひょこひょこと座席に座るナマエ。
侑はそんなナマエを怪訝そうに見ていた。
「何してたん」
無事に稲荷崎に到着し、バスから降りて荷物の整理をしていたナマエに侑が声をかけた。
「寝らんように大会パンフレット見ながら出場校の数めっちゃ数えててん。遅れて怒られたのに寝たらもっと怒られるやろ」
「乗っとった時の話ちゃうねん!その前や!片付けから帰ってくんの遅かったやろ!」
「あー、あの時?」
すぐに教えてくれればいいものを、勿体ぶるように中々話し始めないナマエに、もどかしさを隠せない侑。
「今更何言われても驚かんから早よ言えや」
「ほんま?言うたな?・・・実は・・・・連絡先聞かれてん」
「・・・・・・は?」
「驚いとるやん」
予想に反する答えが返ってきたせいで顔を固まらせるしかできない侑を見たナマエは、「そんなに私モテへんように見える?」と追い討ちをかけてきた。
「誰に聞かれたん?」
背後でしれっと会話を聞いていた尾白が思わず会話に入ると、なんだなんだと部員たち数人も集まってきていた。
「どこの学校の人か聞くの忘れてんけど、連絡先教えてくれませんかって。あのジャージどこやったかな?前から可愛いなって思ってたって言うてくれてん!」
「ほ・・ほーん・・・よかったやん・・」
話を聞いて不穏な空気を感じ取った尾白は、横目で侑を伺いつつナマエに当たり障りない反応をしていた。
あたりを見渡すと、他の部員も侑を心配する視線を送っている。
気づいていないのは興奮気味に話すナマエだけだった。
「どうしよ!私いよいよ初彼氏できるかもしれへん・・!」
「ま、まぁでも今んとこあっちからまだ連絡来てへんのやろ?」
「うん。なんてくるかな。なんて返そう!寝落ち電話とかしてみたい!」
「それはまだハードル高すぎるんとちゃうかな・・」
昂っているナマエを宥める尾白は、正直彼女の話よりも目の前にいる侑が気になって仕方なかった。
彼氏?できんの?ナマエさんに?
ナマエさんの初めての彼氏がどこのどいつかもわからん奴になるんか?
連絡先聞かれるだけでそんな浮かれるん?
俺が聞いた時は「困ったことあったら連絡してな!」ってしか言わへんかったのに。
同じ男やのに、なんで?同じ高校やから?それとも、後輩やから?
侑の脳内は自分でもよくわからない感情でいっぱいだった。
そしてひとつの可能性を導き出す。
え、もしかして俺、ナマエさんのこと恋愛として見てる?
その思考に辿り着くと、はっとしてナマエを見やる。
その視線に気付いたのかナマエは侑の方を見て、「侑もまだ彼女できたことないやんな?私が恋バナも相談乗るから遠慮なく言うてな」と眩しい笑顔で言った。
「ハッ!俺にはバレーがあんねん!ナマエさん知らんやろけど俺モテとるし!」
「やっぱりそうなん?侑かっこいいもんなぁ」
「かっ!?・・・・自分は俺の魅力わかるほど経験ないやろ」
「でも私もうすぐ彼氏できんで!お先するかもやで!」
「・・・・・彼氏なんざ作ったら、次ドジしても助けたらんからな。浮かれんなよ」
****
月日は流れ、卒業式の日。
ナマエは泣き過ぎて腫らした目と赤くなった鼻をつけて男子バレー部の部室に来た。
「みんな・・!ほんまにありがとう・・!応援にも遊びにも行くから!」
「来る時は北さんか尾白さんと来てくださいね」
「なんで?」
後輩たちはすっかりナマエのペースに呑まれており、最終的に本人の思っていた方向ではないが良い関係を築けていたようだった。
ナマエを囲んで後輩部員たちが群がる様子を、少し離れたところで侑が見ている。
「行かないの?真っ先に行くと思ってた」
「・・・別に」
絶対寂しがってんだろと思っていた角名は、にやける顔を隠しもせず侑のところにやってきた。
が、反応も薄くそっぽを向くだけの侑に少し驚く。
「俺がわざわざ行かんでも、こっち来んねん。絶対俺から来てやらん」
「(何を強がって)」
「侑!」
「!・・ほんとに来た」
先ほどまで後輩に囲まれていたナマエが侑の目の前まで来ていた。
絶対に来ると断言していた本人すら驚き、にやけそうになっているのを我慢しているのが見ていて面白い角名は、いつもなら写真に残すのをやめてその場を後にした。
「侑、明日から私おらんけど大丈夫?やっていける?」
「そのままそのセリフ返したる。大学でやってけるん?」
「わからんけど、私には侑みたいな頼もしい後輩がおるんやって思って頑張る」
「・・・自分のおかげでツッコミ力が上がったんは感謝するわ」
「私がおらんなって寂しいやろうけど、遊びに来るし、応援しとるから。いつでも連絡してくれてええから!」
「ほんまやな?・・もう後輩やなくなるんに」
「何言うてんの!卒業しても侑はずっと可愛い私の後輩やんか!」
「・・・・おん」
ナマエの言葉に気をよくした侑だったが、当時は安堵の気持ちが大きかったせいで、ナマエの言葉を深く考える気にならなかった。
その現実、ナマエは結局侑たちが卒業するまで一度も顔を見せに来ていないし、侑が送った連絡を一度も返してこなかった。




















