相変わらずオリジナル色のつよつよなお話です。
主人公がいるので、尊奈門がやや影薄です。あと、やたら存在感のあるオリキャラも住んでいます。サラッと流していただければ幸いです。
ではどうぞ。
その日、雑渡は山本に一つ返事をした。
分かった、と。
そして乞い願うように、その後付け加えた。
空いてる時でいいから、あの子達に稽古をつけてやってくれないか。私が原因であの子達の可能性を潰すような真似はしたくないから、と。
山本は大きく頷き、その後顔を手で覆って俯き、肩をしばらく震わせた。
襷がやっと、やっとあるべき人に渡ったのだと。
それからというもの、雑渡の回復スピードが急激に上がり薬師達を驚かせた。
一日も早く殺してほしいと願うばかりだった頃の雑渡にとって、血筋ゆえの丈夫な体と、甲斐甲斐しく治療を受けたからこそ僅かながらも回復していくことは疎ましいものだった。無駄な行為だと思い続けていた。
しかし、皆の覚悟を受け入れてから、少しずつ食事を摂ることや治療に向き合うことへ積極性を見せるようになった。
厳しい冬を超え、春が芽吹くように、寝たきり生活から少しずつ日中も上半身を起こせるようになるまでに回復していったのである。
「あにー、まにー、まねー、ままねー、しれー」
「その絶妙に気の抜ける陀羅尼呪なんなの」
「ちちうえ、じゃましないでください。どこまで言ったかわすれてしまいます」
「先生に覚えるように宿題を出されたのです。薬を作る時に唱えるのです」
「しゃみゃー」
「(新種の猫かな……)」
「違うぞ、福。しゃりてが先だ」
「しゃりてー、しゃみてー」
「混ざってるじゃないか」
「どこがですか?」
「しゃりて、しゃみゃ、しゃびっ、イッ……舌噛んだ」
「だいじょうぶ? 尊兄さま」
「ウン」
「どこまでいきましたっけ?」
「……」
「わからなくなったので始めからにします。あにー、まにー、まねー、ままねー、しゃりてー、しゃみゃー」
「(夢に出そう)」
「さっきおなごに間違われただろう」
「よくまちがわれるんです」
「髪のせいじゃないか。そういえばもう結べる頃だろう。結い紐はあるか」
「ないです。尊兄さま、結ってくれますか」
「髪結いほど上手くはできないけどなあ」
「おねがいします」
「分かった。伸びたなあ、はじめは坊主だったのに」
「……」
「どうした、福?」
「髪を結ったら、ちちうえにみせてあげたいのです」
「ああ、きっとお喜びになられるぞ」
「っ先生……!」
「近づくなよ、餓鬼共。当たりどころが悪けりゃ死ぬからな。おい、誰か手だれのものを呼んでこい。あと餓鬼の手当てを」
「承知」
「せんせい、ちちうえどうしたの」
「平気平気、こんなの珍しくねえよ。激痛のあまり、無意識に暴れちまうんだ。こいつはずっと痛みと戦ってるだけ。後で責めてやるなよ」
「先生、腕から血が……!」
「ガアアアアアア!!」
「ハハ、お前やっぱバケモンだぜ、雑渡。常人ならとうに首括ってる痛みだ。尊敬するぜ」
「先生、落としますか?」
「いや。まず近づくのが無理くさい。応援が来てからだな。あーやれやれ手のかかる患者だぜ」
「福。どしたの、それ」
「どれですか」
「額のそれだよ」
「ちょっとぶつけました」
「どれだけ派手にぶつけたの。ほら、見せてみなさい」
「もう、せんせいにみてもらいました」
「そういうんじゃないから」
「だいじょうぶです」
「いやいや」
「餓鬼が大丈夫っつってんだろコラ! それとも俺様の手当てに文句あんのか!? アン!?」
「なんで突然お前がブチギレんのよ」
「尊兄さまは、すごいのです」
「ほう」
「すぶりの練習で、尊兄さまはちゃんとまっすぐ棒をふれるのです。何回もです。ふくがふったら、こけそうになったり、棒が手からぬけてしまったりするのです」
「(ああ……その飛んでいった木刀が高坂の坊主に刺さりそうになったやつな)」
「(というかあのちっこい尊も、福狼丸から見ればかっこいい兄ちゃんになるなんだな……)」
「そうか。二人とも練習に励んでいるのだな。福狼丸も練習を続けたら、きっと尊奈門のようになれるぞ。めげずに頑張りなさい」
「……はい」
「(で、その尊がそこに隠れてるのに福狼丸は気づいていないと)」
「(福狼丸に尊敬されているのが満更でなくニヤニヤを隠しきれていないと)」
「福狼丸、待て」
「たべました」
「嘘をつけ、残してるだろう」
「おなかがもういっぱいです」
「キレイになめこだけ避けておいてよく言う」
「ぬるぬるは好きじゃないです」
「好き嫌いは許さんぞ。立派な忍びになるなら何でも食って生き延びるのだ」
「ぬるぬる以外たべますからっ、おねがい、おねがいです」
「ダメだ。ほら、口開けろ」
「いやああああん!!!!!」
「で、また福に口きいてもらえないって?」
「…………はい」
「逆によくそこまであの子の逆鱗に触れられるというか……そんなに後悔するなら叱らなきゃいいのに」
「福狼丸はいずれ小頭の後を継ぐのです。下手に甘やかして、いざという時に野垂れ死ぬようなことがあってはならないでしょう」
「陣左はホント、真面目だねえ」
「福狼丸の教育の一端を担う立場として当然です」
「子どもの相手は下手くそだけどね」
「…………山本殿の時は素直にいうことを聞くのに、尊奈門にも……。私の時は駄々を捏ねるんです……」
「まあ、陣内は父親としての経験値があるし、尊奈門は福の兄貴分だからね。お前が一番中途半端と言えば中途半端ではあるかな」
「……」
「お前、ホント可愛いね」
「ンギュッ」
「なんだ、餓鬼。起きてたのか」
「先生、小頭が」
「ああ、久しぶりの高熱だな。ここのところ落ち着いてたんだが」
「もしかして、また、あの時みたいに……?」
「ばあか、心配すんな。完治してねえ火傷は悪いものをもらいやすいんだ。俺達が気をつけていても、もらうもんはもらっちまう。体がそれに反応して熱を出してるってところだな」
「……それは、大丈夫なんですか」
「知らん。こいつのバケモンみたいな体力を信じろ」
「……先生、小頭は、治りますか」
「ドアホ。治るか治らないかじゃねえ。治すんだよ」
「……。私も、先生みたいになれたらいいのに」
「ふうん」
「怖くて、仕方ないんです。もしもを考えてしまって。でも福を前にしたら、そんなこと言えなくて」
「……」
「……ごめんなさい、そんなこと急に言われても、困りますよね」
「……小難しいことは俺には関係ねえ。だが、自分がやらなくて後悔するより、全力を尽くした上で後悔するほうが、まだマシだろ。それだけだ、俺にとっては」
「グス……はい」
「これから包帯の巻き方をお前らに伝授する」
「おおー」
「誠ですか先生!」
「ああ。お前らももう覚えてもいい頃だろ」
「はい、先生!」
「いいか。包帯はキツく巻きすぎても血の巡りを妨げるし緩すぎても意味がねえ。ちんたら巻いてたら美しくできない。動いていると緩んでくるのもダメだ。特に注意すべきは肩周りや肘膝などの可動域の広い部位。ここが特に緩みやすい上に巻きにくい。解けないことを優先して無駄に巻きすぎても包帯の無駄遣いだし、患者の動きを妨げる。そもそも包帯の用途にも幾つか種類がある。傷を外傷から守るため、或いは傷めた部分を固定するためだ。ここで幾つか包帯法を紹介するが、部位や用途によって適した巻き方がある。例えばこれ、亀甲帯などはさっき言った肘や膝など曲げ伸ばしをする部位には効果的だ。同じく関節などに適しているのは麦穂帯だが」
「ねえセンセ、包帯学の講義はいいけどそこの子ども二人の頭が既にパンク状態よ」
「あん?」
「そろそろ里での療養に切り替えてもいいってお墨付きをもらったんだけどさ」
「誠にございますか!」
「おめでとうございます、小頭」
「まあ、いつまでも城の医務室に陣取ってるわけにもいかないしね」
「では、屋敷の方に使いを出しましょう。殿にもお知らせせねば」
「こらこら。里に戻ると言っても復帰にはまだ相当時間がかかるからね。そこらへん一般人の完治ならまだしも、忍びとして、小頭としての復帰となると相当体力や勘を戻さないといけない。こんなまともに歩いたり走ったりもできないなら尚更ね。一年やそこらでどうにかなればいいけど、まあ無理だろうね」
「それでも、十分です、っ……」
「ああ、もう。陣左ったらすぐ感極まるんだから」
「その……小頭、ひとつ懸念点がありまして」
「なによ」
「先程、偶々その話を薬師殿から伺い、その際子どもたちも側にいたのですが……『せんせいと一緒に里に帰る』と二人ともに泣きつかれまして。薬師殿は城付きの薬師だと言ってもきかんのです」
「……あいつ、口も悪けりゃ態度も悪いのになんで子どもにベタ惚れされてるわけ?」
「じゃあな、雑渡」
「うん、ありがとね、センセ。お前にはホントに世話になったよ」
「ああ、俺様を存分に敬うがいい。いいか、くれぐれも薬を塗るのをサボるなよ」
「はいはい、分かってますよ」
「……先生」
「……グス、っグス」
「……餓鬼共。風邪ひくなよ」
「せん、先生っ、」
「うわあああああん」
「馬鹿、今生の別れじゃねえんだぞ。こら、鼻水つけんな」
「せ、せんせ、ち、ちちうえを、おすくいくださり、あり、ありが、とう、ござい、ました」
「先生に、教えていただいたこと、絶対に、忘れません、から」
「ああ。お前らは、なかなか筋のいい弟子だったぞ。尊奈門、福狼丸」
「……!!」
「……!! はい、私たちは先生の立派な弟子です!」
火傷の治療が経過観察に至るまでで約一年。
患部の状態を確認しながら、体を戻していく段階となった。
一年ぶりに雑渡は里にある自邸に戻った。城にいる間も度々見舞いに来てくれてはいたが、屋敷の管理をしている弥七とてるは、ようお戻りなさったと何度も何度も雑渡に声を掛けた。
この老夫婦は、かつてこの屋敷に住んでいた主人達を何度も見送ってきたのだ。随分と心労をかけさせた。いつか温泉旅行にでも連れていってやろうかと雑渡は思った。
それから駆け足で屋敷まで走ってきた福狼丸が雑渡を振り返って「ちちうえ、おかえりなさい!」と破顔する。
そうか、自分はこの子をひとりぼっちにしてしまうところだったのだ、と雑渡はこの時初めて気がついた。
そんな大事ことにも気づけなかった自分を恥じた。
帰って来られてよかった。
雑渡は柔らかく片目を細めて「うん、ただいま」と返した。
さて。
単に体力を戻すのではなく、片側の感覚を失った状態で、何処まで元の状態に近づけられるかは雑渡にも分からなかった。
そもそも歩行すら満足にできない状態だ。
城にいる間は衛生面を考え、汗をかくようなことは薬師が徹底的に禁止していたこともあり、すっかり雑渡の筋力は落ちていた。
そもそも汗をかくことが困難なため、激しく体を動かした後は熱を逃がしにくい。特に強い日差しとは相性が悪かった。
それでも、あの終わりのない激痛に耐えきれず度々失神していた頃と比べると随分マシになったものである。
人間、底を知ると図太くなるものだ。
雑渡が真面目に鍛錬に明け暮れていたある日、その知らせは届いた。
「ちちうえ、まいりました」
「ああ、入りなさい」
その日の夜、福狼丸は雑渡の私室に呼ばれた。
改めてなんだろうとどきまぎしながら入ると、雑渡は文机の前で何か書き物をしていた。
「何かごようでしょうか」
「ああ、福、あのさ。私が戦に行く前にお嫁さんの話をしたのを覚えてる?」
「はい。お、おぼえております」
福狼丸はどきりとした。
正直、すっかり忘れていたのだ。
それどころではない一年を過ごしていたから、そんな話あったことすら頭から抜けていた。
「実はね、あの時もうお相手も決まっていたんだけどさ、まあなんと言うか、振られちゃってね」
「ふられる、とは?」
「お嫁さんは来ないことになったんだよ」
「ーーえ」
婚約破棄を知らせる手紙だった。
上等な奉書紙に綴られた文字は彼女の父親の右筆の筆跡に間違いなかった。
内容を目にした時、雑渡は正直安堵したのだ。
「まあ、こんなナリのお婿さんじゃお相手も可哀想だなと思っていたから、正直ショックと言うよりかは、安心したんだけどね」
「でも、ちちうえはおよめさんをお迎えするつもりだったのですよね……?」
「その時はね。でも、今はあんまりそういう気持ちもないかな」
「かなしく、ないですか」
「ないない。当主としての勤めは果たせないけど、どちらかというと解放されてよかったと思ってる」
生死を彷徨ったからの功名だろう。
後継の話など、誰もしなくなっていた。
雑渡自身、自分の血を引く子孫をこの腕で抱けないことは少し残念ではあるが、それよりも目の前で自分を見上げているこの子をまた抱いてやれることが心から嬉しかった。
「お前がいてよかった」
ふと、口をついて出た。
本心だった。
「私の生きる理由になってくれてありがとう。お前という家族がいて、本当によかった」
雑渡は、火傷を負う前は身軽であった。
どこへでも行けたし、死線に赴くのも何も怖くなかった。自分が死んでも、雑渡の血筋は福狼丸がいるし、まあいっか、くらいの気持ちだった。
それは今も大きくは変わらない。
けれど、今は雑渡の心の一部に福狼丸一人分の重みが増えてしまった。
自分をこの世に引き止められるだけの重さの重みだ。
少しだけ重たくなった自分に対して、なぜか清々しい気持ちになるし、雑渡は以前の自分より好ましく感じる。
「そうです。ちちうえは、ふくの、ふくの、たった一人の、家族なのですから。どこにもいかないでください」
いつの間にか、福狼丸の顔はくしゃくしゃになっていた。それに目を細め、雑渡は「おいで」と、自身の膝を軽く叩く。
「よろしいの、ですか?」
「うん、そっとならね」
火傷の跡に触れてならない、と薬師から再三忠告されていたこともあり、福狼丸や尊奈門は薬を塗ったり包帯を換える時以外、雑渡の肌に刺激を与えることに酷く敏感だった。
火傷を負って以来、雑渡は二人の手を握ったり、抱きしめてやることもしていない。
福狼丸は恐る恐る雑渡の胡座の上に極力体重をかけぬよう、腰を下ろす。
雑渡が髷を結った福狼丸の頭に手を置くと、雑渡を見上げて「んふう」と笑った。その笑いも雑渡にとって随分久しぶりな気がした。
「いたくありませんか」
「大丈夫。でも、お前重くなったね」
「もちろんです。着物の丈だって、あっ」
福狼丸は慌てて口に当ててそれ以上続けるのをやめる。
山本から話を聞いて以来、雑渡もなんとなしに福狼丸の様子を観察していたが、本当に頑固なほどこの子どもは「計る」行為を避けて避けて、とにかく避けていた。
「陣内に聞いたけど、断ち事をやってるんだってね」
「……わたし、ひみつだって、山本殿にいいましたのに」
「まあ、いいじゃない。おかげさまで私もかなり回復したし、もういいんじゃない? お前も随分我慢したでしょ」
「ダメです。ちちうえが忍びにもどられるまで、ってわたし、約束しているのです」
「ええ〜? もう計るの、飽きちゃった?」
「あきません! いっしょうあきません!」
間髪入れず福狼丸は睨むようにそう返す。
そして、ハッとわかりやすく顔色を変えた。
「ちちうえ、そういうの、五車のじゅつというのです! 高坂殿に習いました!」
「あら、ちゃんと覚えてる。陣左が泣いて喜ぶよ」
「何といわれても! ふくは! ぜったいに! ちちうえが忍びに戻られるまで! 約束をやぶりません!」
「誰に似たのやら。頑固だねえ」
「ちちうえに似たのです!」
雑渡は思わずくすくすと笑った。
そう返されてはぐうの音も出ない。
山本に諭されるまで意見を曲げなかったのは確かに自分である。しかしまあ、福狼丸も健気なことだ。
「やれやれ。そう言われちゃあね。じゃあ、私も頑張らないと」
「はい、がんばってください!」
「ところで、福……あー、まあいいや」
「? はい」
「(いつの間に、返事が『あい』から『はい』に変わったんだろうねえ。ちょっと寂しい気もする)」
「尊兄さま、元服おめでとうございます」
「ああ、ありがとう」
「とってもご立派です」
「そうか。まあ、お前もそのうちな」
「……春には、お城に行ってしまうのですか」
「まあな。小頭ももう看病を必要とされない段階にまで回復されてきたし、私も忍びとしての訓練が遅れた分、取り戻さねば。小頭が城に復帰されるまで、小頭の身の回りのことはお前ひとりで出来るようになるんだぞ」
「はい」
「……どうした?」
「大人になられても、福と遊んでくれますか」
「当たり前だ。私はお前の兄のようなものだからな。しかしお前も遊んでばかりでなく、鍛錬に励むんだぞ。雑渡の名に恥じぬ立派な忍びになってもらわねばな」
「尊兄さま、急に大人みたいなことをおっしゃるようになりましたね」
「もう成人だからな」
「福狼丸。こやつは精一杯大人ぶりたいお年頃なのだ。許してやってくれ」
「父上! おやめください!」
「はっはっは」
「明日はお城で訓練なのですか」
「うん。まだ復帰ではないけど、機能回復訓練と、城に戻る準備のために、これから城に滞在することが増えるよ」
「そうですか……」
「(うーん、尊奈門も城勤めになるし、また少し寂しくさせてしまうか)」
「父上、あの」
「うん」
「あの、その、先生にお手紙を書くので、届けてくれますか」
「……いいけど」
「んふう」
「へえ、これ福狼丸が巻いたのか」
「うん。頑張ってくれてるよ」
「さすが俺の弟子。大した成長具合だ」
「お前が他人を褒めるの、珍しいね」
「部下に欲しいなと思ってな」
「は? やらないに決まってんでしょ」
「なら本人に聞くか。何しろ直々に手紙をもらうくらい、俺は慕われてるからな」
「……」
「なに、お前拗ねてんの? ププ」
「ざ、雑渡小頭!! 殺気! 殺気をお仕舞いください! 元気になられて大変結構ですが!」
「福、ちょっとおいで」
手招きをされて、福狼丸は雑渡の着物を畳んでいた手を止める。
「はい、どうされましたか」
「此処に立って」
一本の柱を指して、雑渡は福狼丸にそう言った。福狼丸は息を飲む。
その柱には、何本もの線が水平に刻まれている。そのどれもを、福狼丸はよく覚えていた。
「……父上」
「どれだけ大きくなったか、計らせてよ」
それが、この三年間の福狼丸にとって何を意味するのか雑渡が分からないはずはなかった。
福狼丸にとっての日常を返してやれるのは雑渡だけにしか出来ないのだから。
「断ち物はおしまい。もう、明日から私も復帰だ。皆や、お前のおかげでね」
「……」
雑渡自身、確かに復帰を目指してはきた。
しかしあの時は誰もが「もう駄目だろう」と思ったはずだ。
自分自身もそうだった。
諸泉が、薬師や山本達、尊奈門と、福狼丸、皆の想いが途切れず、強く信じてきたからこそ今の雑渡がある。
「……本当に、本当に、もうよくなりましたか」
「ああ。お前や尊奈門、皆のおかげでね」
福郎丸がそろり、そろりと前に出る。
柱を背にし、背筋を伸ばす。
雑渡は福狼丸の頭の天辺の場所に爪で一本、すうっと薄く線を入れた。
「大きく、なったねえ」
忍びとしては、褒められた行為ではない。
自分や身内の痕跡を残すなど。
けれど三年分の間が空いた、この柱の傷を眺めると、とても愛おしい心地になる。
「父上」
「ん?」
「今度、尊兄さまの背も計りましょう」
「ああ、いいね」
「……父上」
もじもじと福郎丸は何か言いたげである。
「あの、本当に、どこも痛くないですか」
「うん」
「、では」
「うん」
「父上の大きい背中を、計ってもよいですか」
「いいよ、お前が飽きるまで」
福狼丸は恐る恐る、雑渡の背中に手を回す。
かつて、思い切り手を伸ばしてもまだ手の長さが足りなかった大きな背中は、ちょうど福狼丸の腕を伸ばしたらぴったりだった。
火傷に障りがないように気をつけながら、福狼丸は微かな薬草の匂いを吸い込むように雑渡の背中に頬を埋めた。






















