タソガレドキ城の忍び組頭である雑渡昆奈門は、とある報告のため主君である黄昏甚兵衛の元を訪れていた。
その報告というのは何を隠そう―――結婚の報告である。
「――というわけで殿。この雑渡昆奈門、妻を迎えたことをご報告致します」
それに対する黄昏甚兵衛はというと、一瞬だけ雑渡を見るとすぐに手元にある最新の南蛮ファッションの書物に視線を戻した。
「……嫁なんぞ、お前達どうせ勝手にその辺から攫ろうて来るであろうに」
言外に「その報告いる?」と返した甚兵衛に、雑渡は眉を寄せた。
報告を流されたことではなく、返された内容に。
「殿、聞き捨てなりませんね。私たちのこと山賊か鬼か何かだと思ってます?皆が皆攫って来るわけではありませんよ」
「ほう」
甚兵衛は書物をめくりながら、適当に相槌を打つ。
「いても少数です。隼隊の三石と伊勢原、月輪隊の高坂、黒鷲隊の風間、それと狼隊の……」
「多い、多いわ」
思わず甚兵衛が顔を上げた。
「よく少数と言えたな」
「タソガレドキ全体で見れば一部です」
「母数が多すぎるのよ」
甚兵衛は呆れたように息を吐く。
「そもそもお前達、“求婚”と“拉致”の境が曖昧過ぎる」
「失礼な」
雑渡は再び眉を寄せた。
「皆ちゃんと最終的には合意を得ています」
「最終的ってなんじゃそれ。諦めて折れたの間違いであろうが」
「殿だってご正室を迎えるまで五度は振られて最終的に折れてもらったと聞きましたけど」
「なっ……誰がそんな戯言を……!」
珍しく甚兵衛が狼狽える。
雑渡は涼しい顔で答えた。
「北の方様ご本人から」
「あの女狐余計なことを……!!」
「そんな事言ってベタ惚れの癖に」
「黙れ」
甚兵衛は苦々しく吐き捨てる。
だが否定はしない。
雑渡は肩を竦めた。
「で」
甚兵衛が改めて雑渡を見る。
「その嫁とやらはどうした」
「私の屋敷に」
「……泣いておらぬだろうな」
「?」
雑渡は不思議そうに首を傾げた。
「特には」
「その“特には”が怖いわ」
「少し混乱はしていましたけど」
「当たり前であろうが」
甚兵衛は思わず肘掛けを叩いた。
「それで、詳細は」
「迎えに行って」
「うむ」
「連れて来ました」
「やったことではなく過程を聞いておるのだ儂は」
甚兵衛は深々とため息を吐いた。
「……ちゃんと求婚はしたのだろうな」
「当然です」
雑渡は即答した。
「“君を妻として迎えに来た”と」
「いつじゃ」
「攫う直前ですね」
「順番!!!!」
障子の外で控えていた小姓がびくりと肩を跳ねさせた。
甚兵衛は額を押さえる。
「お前な……普通はもっとこう、段階というものがあるであろう」
「段階?」
雑渡は本気で分かっていない顔をした。
「“好きだ”」
「うむ」
「“妻にしたい”」
「うむ」
「“だから迎えに来た”」
「途中がまるごと抜け落ちておるわ!!」
勢いよく後ろへひっくり返った。
あまりの物音に、小姓が障子をそっと開け部屋の様子を伺った。
「文を送ったり共に遊山へ行ったり……こう……なんかこうあるじゃろうが……!」
「ですが“誠心誠意妻としておつとめする”と言われました。問題なく想い合っていますよ」
甚兵衛は……すん……と真顔になった。
「……お前」
「はい」
「その娘、“妻”をどういう意味で受け取っておる?」
「妻は妻でしょう」
「そうではなく」
嫌な予感がした。
主に甚兵衛が。
「ちゃんと“惚れているから共に生きたい”と伝えたのかと聞いておる」
雑渡は数秒黙った。
「……好きとは言いましたよ」
「その後すぐ攫ったのでは?」
「善は急げかと」
「急ぐどころか五、六工程すっ飛ばしとるわ」
甚兵衛の言葉に雑渡は、ふむ……と考え込む。
「そういえば子は何人欲しいか尋ねたら固まっていましたね」
「……」
そら見ろと、じとりとした視線を送るものの、雑渡は続ける。
「初心(うぶ)なところも可愛らしいなと」
甚兵衛は再び崩れ落ちた。
「……とまあ、報告はこの辺りで。私も新婚なので、そろそろ屋敷に戻ってやらねば」
「はあ……もう何も言わん。とっとと去ね」
遠くで小鳥がちゅんちゅんと忙しなく鳴いている。
通りすがりに助けた忍者に攫われてから一夜明けた、朝――というかほぼ昼。
慣れない縁側に腰掛けながら、その囀りをぼんやりと聞いていた。
高く上った日は柔らかく、暖かい。
まさに小春日和といったところであろうか。
そんな穏やかな空気とは対照的に、ずんと重い空気を漂わせている。
……疲れた。
今日朝起きてからほとんど何もしてないので、疲れるも何もないのだけれども。
シンプルな疲労もあるが、どちらかといえば精神的な疲れがほとんどな気がする。
先程と変わらず、どこかぼんやりとしたまま、
ふと、昨日の出来事を思い返した。
……助けた忍者に突然攫われて、
挙句妻にと言われ、
最終的に子供は何人欲しいかという話になった。
……自分で言っておいてなんだが、訳が分からないな。
夢ならばどれほどよかったでしょうと言いたくなる。
あの後――
思わず固まる私を尻目に、ずいっと身を乗り出してくる忍者――じゃなかった雑渡さんの顔に思わず、
ベチッと両手を押し付けた。
「近いです」
「そう?」
押し返しているのに、雑渡さんは妙に機嫌が良さそうだった。
「夫婦なのだから、これくらい普通でしょ」
「その理論で距離を詰められると困るのですが」
「困る?」
本気で不思議そうな声だった。
困る。
かなり困る。
何せこちらは、ただ通りすがりに助けただけのつもりだったのだ。
それがあっという間に妻扱いである。
意味が分からない。
「……あの」
私は慎重に口を開く。
「雑渡さん」
「何?」
「本当に、私のことを好きなんですか」
聞きながら、自分でも妙な質問だと思った。
あれだけ真っ直ぐ言われたばかりなのに。
だが、確認せずにはいられなかった。
雑渡さんはきょとんとしたあと、
「うん」
と、あっさり頷く。
「毒が完全に抜けてからすぐに君の名前と素性と住居を調べ上げる位には」
「…………」
重い。
思ったよりずっと重かった。
もはや重い通り越して怖いの域に片足を突っ込んでいる。
「…………」
私はそっと視線を逸らした。
……怖。
いや、完全な悪人でない事は分かる。
分かるのだが。
忍者の“好き”はちょっと情報収集能力が高すぎる。
「……ちなみに、どこまで調べたんですか」
恐る恐る聞くと、雑渡さんは少し考えてから答えた。
「君がアルバイトをいくつも掛け持ちしてること。最近のアルバイトは新聞配達と子守りと団子屋の売り子と花売り」
「待ってください」
「両親をだいぶ前に亡くしてからずっとあの山に一人で住んでること」
「待ってください」
「甘いものは好きだけど、自分ではあまり買わないこと」
「待ってくださいって」
「あと、疲れるとぼーっと外を見る癖が――」
「何でそこまで把握してるんです!?」
思わず声が裏返った。
雑渡さんはきょとんとした顔をする。
「好きな相手のことなら知りたくなるでしょ?」
「限度とかご存知ですか?」
「ふふ」
駄目だ。
この人、多分悪気がない。早く何とかしないと。
「……雑渡さん」
「何?」
「普通の人は」
私は慎重に言葉を選ぶ。
「好きな相手の家を調べたり、生活を把握したり、突然攫ったりしません」
「でも私、普通の人じゃなくて忍者だし」
「揚げ足とらない」
雑渡さんはぱちりと右目を瞬かせた後、少し考え込んだ。
「君を他の男に取られるのは嫌だったし……そうなったら近づく男を片っ端から始末しないといけなくなる」
「重い」
「そうかな」
「そうです」
私は真顔で頷いた。
「あと、始末とか軽々しく言わないでください」
「実際問題として」
「実行前提で話さない」
雑渡さんは少し黙る。
「……君は、そういうの嫌?」
「嫌ですね」
ぴしゃりと言い放つ。
「好きな人の周囲の人間を消そうとするのは普通に怖いです」
「なるほど」
雑渡さんは素直に頷いた。
「なら極力控えよう」
「極力じゃなくてやめてください絶対に」
「うん」
……会話が成立しているような、していないような。
だが少なくとも、話は聞いてくれるらしい。
そこだけは救いだった。
……そう思った矢先。
「で、話を戻すけど。君は子供は何人欲しい?」
「……戻っちゃった……」
気が付けば再び縮まっていた距離に、ぎくりとする。
「あの……近いですって」
「うん。でもほら、よく言うでしょ。“押してダメならさらに押せ”って」
「“押してダメなら引いてみろ”では……?」
「ふふ」
「あっ、ちょっとどさくさに紛れに帯掴まないでください、解けるから、解け……
こら、ちょっ―――
あっーー!」
























