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狼とふくろうは家族になる 弍

かやこかやこ

2話くらいでキリ良くいけるかなと思ったのですが、長くなりすぎて…もう少し続きます。 シリーズ化するほどの長さでもないなあと思っていましたが、整理するためにシリーズにしときます。 例の諸泉パパの事件の前後で、今回ずっとシリアスです。軽やかな雰囲気はどこへ… 主人公の出番が少ないうえに、やたら出張る口の悪いオリキャラ薬師がいます。 あと基本に雑渡さんがうじうじしています。 最後でやっと自分以外覚悟ガンギマリ勢だったことに気づく。 尊奈門って別に幼名があったはずなので、本当はこの期間は幼名のはずなのですが、便宜上尊奈門のままにしています。 この一連の事件があったからこそ元服の際、「尊奈門」になったんだろうなあと考えます。 原作者へひたすらリスペクトしております。 あと、パパの年齢から考えても尊奈門の性格から考えても多分上にお兄ちゃんが一人が二人いるだろうなあと思うし、その上で家督の問題とかからは遠い尊奈門が雑渡さんの小姓ポジションになったんだろうなあと想像しています。まあ、よく遊んでくれていたとかそういうのもあるだろうけど。 書きながら思っていましたが、原作でサラッと「引退間近の諸泉を助けた」と書かれていましたが、今をときめく次期組頭が引退間近(=見捨てられても文句ない)の諸泉パパを助かる、というそこだけで、採算度外視した雑渡さんのあったけえ心が出ちゃってるなあと一人ほっこりしていました。 仲間思いの癖にその仲間からの激重感情にはあんまり気づいていないうちの雑渡さんでした。

相変わらずオリジナル色のつよつよなお話です。

諸泉パパの性格もろもろも捏造です。
やたら存在感のあるオリキャラも住んでいます。
サラッと流していただければ幸いです。

ではどうぞ。

久方ぶりに押都が雑渡邸に足を運ぶと、寝間の戸は開かれたままで、その戸の隙間から季の花が雑に活けられているのが垣間見えた。
家人がそういった趣向を楽しむ余裕などないはずなので、誰の仕業かすぐ検討がつき押都は頬を緩めた。もう一歩進めば畳の上に投げ出された小さい足が目に入る。
起こさぬように気配を消したまま中を覗き見れば、忍びらしく寝息も立てず眠っているこの家の主人と、布団から僅かに除いた包帯だらけの手を握り締めたまま傍らで眠る福狼丸の姿があった。
その福狼丸の腕や顔にも、ところどころ傷跡があり、これまでの事態の凄惨さを物語っていた。そしてこの子どもはそれに引かず慄かず、甘んじて受け止めたのだと押都は理解した。

雑渡が諸泉を助けるために火の中に入っていったあの日、雑渡はしっかり三途の川を渡りかけた。
致命傷の域を遥かに越えた面積に体の深部に至る重い火傷を負った雑渡は誰の目から見ても助かる見込みがないのは明らかだった。
しかし「そのお方をどうか死なせないでくれ」と泣き縋ったのは諸泉だった。炎の中、足をやられ死を待つのみの身となっていたところを雑渡が現れた時は、諸泉は感謝を通り越して怒りが沸いたという。自分は引退間近で切り捨てられて当然の存在なのに、これから忍軍を背負っていくお前が何故来たのだと。
憤る諸泉を自らの懐に囲うように火の粉から守りながら、雑渡は諸泉に「引退したら尊奈門達ともっと遊んでやるんだって言ってたでしょ」「まだ幼いあの子達を親無しにしてはいけない」と諸泉をずっと励まし続けたという。
お前がそれを言うのかと諸泉は奥歯を噛んだ。
あれ程までに跡目など面倒と渋っていた男が、ほとんど足を運ぶことのなかった生家に足繁く帰るようになった。
福狼丸の成長を楽しむようになった。
尊奈門の後ろに付いて回る小さな後ろ姿を眺めて目を細めるようになった。
元来、あの方は面倒見も良いし情も厚いのだ。そうやって懐に入れられた人間にとって、どれほどにそのぬくもりが温かいのか、本人はきっと理解していないだろう。
あの方が自分の命を諦めなかったように、あの方の命を絶対に諦めてなどやらない、あの方を切ろうものならお恨み申し上げると、重体の身でありながら主人や家臣団達に諸泉は目を血走らせ諭し続けた。その姿は悪鬼や修羅のようであった。
諸泉のその姿に唇を噛み締めながら押都、山本達、組頭、そしてその場に集った忍軍全員がその場に膝を付き、雑渡の治療を続ける許しを乞うたのだった。

諸泉が半ば脅しのような嘆願で勝ち取った襷が意味を成すかは賭けに近かった。
盛りを越えたとはいえ、まだ日中汗ばむ季節。火傷との相性は悪かった。換えても換えても体中の水疱が破れて包帯が一瞬で変色する。
そればかりか何しろ患部の面積が広く薬が急激に減っていく。気を抜けばすぐ感染症が起きるのに大男の体に包帯を巻くのも薬を塗るのも大仕事だった。薬師は危機感を覚え「今の治療体制では保たない」と忍び達に進言した。
そんな頃に山本に連れられて福狼丸と尊奈門が来た。
全身が包帯で覆われ、人相もわからぬ風体のまま横たわる雑渡を目の前に二人は言葉を無くした。そこには濃厚な異臭と死の臭いが漂っていた。
幼子に見せるにはあまりに凄惨ではあったが、万が一に備え雑渡があの世に渡る前に一目会わせてやろう、という忍び達の采配であった。
一方ーー薬師は余裕がなかった。
諸泉達からの決死の想いの襷を受け取ったからには薬師は雑渡を生かすために全力を尽くしていた。しかし薬も人手も物資も足りない。
医務室には他にも薬師見習いの者達は複数人いたが、患者は当然雑渡だけではない。
人手が足りず薬師自身も殆ど休みが取れていない状況である。
そんな時に子ども達との最期の時間をしめらかにとってやろうなどとお通夜ムードを醸し出しながらやって来られては苛立ちを禁じ得なかった。
「辛気臭い面で念仏唱えるつもりならと今すぐ出て行け。俺に失礼だ。そうでないならこれ持って包帯を洗って来い」と汚れた包帯でいっぱいになった木桶を山本に押し付け、「あと水も汲んで来い!」と追加の木桶と共に三人を蹴り出した。
唖然としながら言われるがままに山本は包帯を洗いに行こうとしたら、尊奈門が「私がします」と強い意志で山本に提言した。福狼丸も「わたしもします」と続いた。
何故かそのままの流れで尊奈門と福狼丸は医務室に居候するようになった。
医務室で寝起きし、文句も言わず包帯と布団を洗っては干し続け、忍び達に余った布がないか聞いて周り、井戸と医務室を往復し続けた。
まだ十歳と七歳の子どもが文句ひとつも言わず、遊びもせず、昼夜雑渡のために尽くす姿に忍び達だけではなく城の雑色達の心を激しく揺らした。
雑渡が抜け、諸泉を含む多くの死傷者が出た今、忍軍の編成にも大幅に支障が出ていた。幼子の手であっても借りたいほど忍軍も人員が足りなかったのである。
それから少しずつ雑渡の治療が叶う流れが出来てきた。
高坂が実家から大量の反物を取り寄せ、包帯に使ってくれと二人に手渡した。医務室に寄る度に涙ぐみながら福狼丸と尊奈門の頭をくしゃくしゃと撫でた。
山本は食事時になると二人を食堂に連れていき、その度に鱈腹食べさせてやった。
押都も手が空いている時に医務室に寄っては、薬師が雑渡の包帯を換える時に雑渡の体を支える等して手伝った。
そんな折り、殿から前触れもなく一体どれほどの価値があるかも計り知れない薄荷油の大瓶が届いた時は薬師も腰を抜かしていた。
皆の懸命の想いで少しずつ少しずつ襷が渡る中、雑渡の意識が戻ったのは「あの日」から二週間が経った頃だった。

(…………喉の奥まで火傷しているのか。最悪。いっそ楽にして欲しいんだけど)

体のあらゆる部位を動かそうとした瞬間に肌がひりつき、針の筵にされたように激痛が走る。
熱が高いのか視界も歪む。頭と体を繋ぐ糸が繋がっていないかのようでまるで己の体ではないようだった。雑渡はこれまであらゆる傷を負って来たがいずれのものより性質が悪いのは明白だった。

「小頭、小頭、よかっ、う、ふぐぅ、う」
「雑渡小頭! 聞こえますか! 小頭!」

近くで声がする。
しかしいつもより遠い。
片方の耳が機能していないようだった。そして片側の視界も欠けていた。
無事な方の目でまばたきをするのでさえ皮膚がひりついて、神経が剥き出しになったかのように刺激でしかなかった。
息を吸い込むものの、気管まで煙で焼かれたのか激痛が走り、思わず咽せ込む。
肩を震わせた瞬間皮膚がひりついてまた激痛。
地獄だった。

(殺してくれ)

「小頭!」
「先生はどちらに。先生、小頭が」

よく聞けば狼隊の部下達の声だった。
あれからどれくらい経ったのだろう。

「あ、先生!」
「小頭が目を覚まされて!」
「テメェら此処に来る時は花嫁衣装より身を清らかにしてから来いっつってンだろ何度言わせンだお前ら出禁にするからな」
「も、申し訳ない、小頭が目を覚まされたと聞いて居てもたってもいられず……!」
「お許しを、お許しを……!」

随分と物騒な声と、啜り泣くような声がする。
このガラの悪さは十中八九忍軍詰所の薬師筆頭だろう。ぼんやりと見える天井も忍軍の医務室のそれのような気がする。

「起こすぞ」

その薬師の気配が近づいてきて、敷いている布団ごと上半身を持ち上げられる。
有り難い。直に触れられると気が狂いそうになるところであった。
唇に水を含んだ布を当てられ、少しずつ乾いた口内が潤っていく。直に水を飲ませないのは、少しでも刺激を抑えるためだろう。上手く口を開けることができないため、顎を伝って胸元が濡れる嫌な感触がする。嚥下まで上手く出来ずまた咽せる。痛みに思わず呻き声を上げた。
まるで老人の介護であった。なんという様だろう。

「あ、押都小頭!」
「押都小頭、雑渡小頭が!」

聞き馴染みのある名に、気配を探る。
蘇利古の雑面の男が静かに戸を閉め、しずしずとやってきて雑渡の傍らに腰を下ろした。

「根の国は迎えてくれなんだか、昆」

揶揄うように押都は雑渡にそう声を掛けた。
今からでも戻ってもいいんだけど、という意思を込めて眼球を動かす。
理解しているのかわからないが、押都の纏う気配は何処か安堵したようなものだった。

「戦は終わったぞ。お前は二週間丸々眠っていた」

二週間。
そんなにも経ったか。
よくもこんな状態の忍びを二週間も生かしておいたものだ、と雑渡は半ば呆れてしまう。
そのままポックリ逝ったところで自分は誰も恨みもしないし、仕方のないことだろうに。
こんな死に損ない生かしておいたところで何の益もないだろう。回復したところで忍びとして使い物になるかも怪しい。薬の浪費でしかあるまい。優先順位を見直せと雑渡は苛立ちさえ感じた。
声は出せそうにない。唇の動きだけを押都に読み取らせようと口を開く。

こ  ろ  せ

最後の一文字を唇が形取ったのと、押都がスコンと雑渡の頭に拳骨を落としたのは同時だった。

「おッッ……押都小頭! 怪我人! 雑渡小頭は重傷者です!!」
「押都、貴様! 俺様の患者に何さらしとんじゃ!」
「こいつが殺してくれと言っているが」
「もう一発入れろ。俺が許す」
「先生?!?!」

薬師にあるまじき発言と普通に痛い拳骨に頭が眩む。表情は伺えないが押都の雑面の下からは怒気が漏れ出ていた。

「諸泉は無事だ。お前に託けがある」

名を聞いて嗚呼、と思った。
思わず尊奈門の顔が浮かぶ。
あの時、自分はどうやら彼を無事連れ出せたらしい。それだけが救いだ。

「『楽になろうなどと一抹でも考えようものなら末代まで祟ってやるから覚えておけ』だそうだ」
「(諸泉、生きてるんだよね??)」

怨霊からの伝言の間違いではなかろうか。

「あと、あの様子では狼隊の誰一人として小頭の座に座ろうとせんぞ。小頭代理の山本に早く楽をさせてやれ。ナア、お前達」
「当然です」
「我らの小頭は雑渡小頭だけです」
「なんなら組頭が雑渡小頭に早く組頭を代わってほしいと言ってます」

絶句した。
解らないのか。
片目片耳を失い身動きもとれず介助なしで物も口に出来ないこの木偶の坊を。裂傷などであればまだ傷も癒えよう。この火傷だぞ。今後一生付き纏う羽目になる。それで組を背負うなど出来ようはずがない。代わりなど幾らでもいる。自分に幻想を抱きすぎだ。

「先生、戻りました」
「もどりました!」

(ーーは?)

軽快な足音と共に、ガタガタと思い切り音を立てて戸が開く音がする。忍びの詰所にあるまじき隠すつもりのない気配。

「せんせい、ほら、見てください。お針女のやさしいかたが、ちちうえの新しいきものをぬってくださったのです」
「洗い替えが増えたので洗濯が……え、どうかされました?」
「福狼丸、尊奈門。来なさい」

こんなところにいる筈のない声が二つ。
しかも随分ここに馴染んでいる空気がしないでもない雰囲気ではないか。
嘘だろう。

「……ちちうえ?」
「小頭……!」

覗き込むように視界に入った二つの小さな顔と、目が合った。
合った瞬間、薬師が目にも止まらぬ速さで二人の首根っこを捕まえる。

「餓鬼共、患者に抱きつくなよ。下手に触れるのも駄目だ」
「へ、」
「は、」

薬師の予想通りのことを考えた手前、尊奈門も福狼丸もお互いを見比べっこし、雑渡と薬師と視線を行ったり来たり、所在なさげにそろそろと雑渡の傍らに腰を下ろした。
少し、背が伸びただろうか。随分と会っていなかったように感じる。
尊奈門が静かに目配せし、福狼丸の背中に手を当てて促す。福狼丸が口を開いた。

「お、おはよ、ござい、ます、ち、ちち、ぅ」

え、の音が音に成らず福狼丸はそのまま小さな体を丸めて獣が唸るような泣き声をあげる。
雑渡は目を疑った。
出会ってこのかた、福狼丸がこれほど感情を顕にして泣き喚いた姿など雑渡はついぞ目の当たりにしたことがなかったからである。高坂が福狼丸の「趣味」の邪魔をした話を聞いた時でさえ「あいつ、泣くこともあるんだ……」と驚いたのを思い出す。
それくらい福狼丸は趣味を除いては聞き分けがよく手のかからない子どもだった。
遂には宥めるように福狼丸の背に手を当てていた尊奈門もつられてぼろぼろと泣き出し、「小頭。小頭。よかった、よかったあ」とわんわん声をあげ、福狼丸と大合唱し始める。しかし周りの忍び達は誰もそれを止める様子がない。なんなら一緒になって肩を震わせ袖を濡らし始めていた。
むしろ押都に至っては「それ見ろ、お前が泣かせたんだ」と言わんばかりに雑渡に面を向けていた。
どうやら満場一致で自分がすべて悪いらしい。

「分かっていると思うがてめえが無駄に毒に耐性があるせいで痛み止めをが効かねえ。存分に地獄を味わいな」

最悪な通達がされた。
全くもってこの薬師の言う通りなのだが、そうは言っても地獄を味わえは医療従事者の言う台詞ではない。
おかげで全身の痛みや痒みのあまり気を失う、というのを雑渡は何度か繰り返している。奥歯を食い縛りすぎて歯が欠けそうだというので奥歯に詰め物までされてしまった。それは純粋に有り難い。
こんなに辛い思いをしているのに薬師も部下達も子ども達までも「がんばれ」としか言ってくれない。違う。楽にしてほしいんだよ。そう言いたい。舌を噛み切ろうとしても噛む力が足りないのがもどかしい。
この数日で理解したことは幾つかあるが、最も寝耳に水だったのは福狼丸と尊奈門がすっかり医務室の住民として棲みついているということだ。
手慣れたように反物に鋏をいれ、包帯を拵えたらこれまた手慣れた手付きで包帯を巻いていく。高熱に魘される雑渡の額の手拭いを冷たい布に換えたり、顔全体をそっと拭いていく。水汲みいってきまあすと元気にご挨拶をしながら手桶と食堂から借りた盆を頭に乗せて引き戸から器用に出ていく。擂り鉢でがりがりと薬草をすり潰している。治療の記録のためか日誌のようなものを認めている。
悪いものをもらわないよう、雑渡は一般の病人とは部屋を分けられているものの隣の部屋から「どうされましたか、お怪我ですか」「よう、尊奈門。そうなんだよ。訓練中に一太刀あびちまってなあ」なんて会話まで聞こえてくる。
尊奈門はもう十になる。忍びとしての訓練も本腰を入れて始めて行かねばならない頃だ。薬師の手伝いなどしている場合ではない。諸泉に申し訳が立たない。
福狼丸もそうだ。学問はどうした。こんな碌に日の当たらない場所で親の看病などしなくていい。外に出て遊んでくればいいんだ。自分の側にいるがために若い芽が育まれないこと、そしてその元凶が自分であることへの葛藤に雑渡は苛まれた。

「息災ですか、小頭」
「嫌味じゃない?」
「ああ、本当だ。ようやく声を出せるようになったのですね」

この風体の病人が「息災」のはずがないだろう。雑渡が不機嫌に返事を返すと、山本は逆に頬を緩める。

「少し、ね。口を、あまり開けていられないし、息が、もたないから」
「それでも、進歩には違いない」
「……それを言うなら、退化でしょ」

唇や口の周りがひりついて物を口にするのも難儀しているし、声を発しなくなって初めて知ったことではあるが、声を出して話をするというのは実に体力のいることらしい。喉や舌の筋肉までも衰えていて、大きな声も出せずうまく話せないのがまたもどかしかった。
忍びとして、人としての「当たり前」からどれだけ転げ落ちているのかを雑渡は毎日のように感じていた。

「貴方にしては弱気ですね」
「事実でしょ。穀潰しでしかない」
「まだそんなことを言っているのですか」

山本は呆れたように息を吐く。
呆れているのは此方の方である。皆、早く現実を見るべきだ。

「話は逸れますが、先日、尊奈門から相談を受けました」
「……」
「福狼丸が、何も計ろうしないのだそうです」
「ーーえ?」

記憶を反芻する。
痛みと熱で意識も朦朧とするばかりでそんなところに気を回す余裕もなかったが、雑渡が目を覚ましてから確かにいずれの瞬間でも福狼丸がそんな素振りを見せたのを見ていない。

「気づいていましたか?」
「……いや」
「貴方の着物を縫うための反物を広げていたところ、尊奈門が何気なしに福狼丸に丈を計ってくれと声を掛けたそうです。しかし、福狼丸はそれに応じなかった」

有り得ない。
三度の飯より趣味を優先する子が、だ。
剥いてやった蜜柑の皮の長さや、道端の蟻でさえ這いつくばって計ろうとするのに。

「それが、一度や二度ではなかったそうです。尊奈門の話を聞いて、私は福狼丸に尋ねました」

山本は真っ向から質問をした。「趣味はどうした?」と。
すると、福狼丸は罰が悪いように視線を彷徨わせ、ようやく口を開いたのだという。

「『断ち事をしている』のだそうです」

たちごと、と雑渡は繰り返す。

「誰から聞いたのでしょうね。自分にとって大切な願いをする時、自分のいっとう好きなものを我慢すると叶うと耳にしたそうです。貴方が元気になって、忍びとして復帰するその日まで、ずっとその縛りを守ると、あの子は決めたそうです。たった、一人で」

馬鹿馬鹿しいと吐き捨てることも出来た。
しかし、雑渡には出来なかった。
こちらの勝手な都合で寺から家に招き、忍びとして育てるとこちらの都合を押し付けた。
その上で、楽しくもなかろう、こんな化け物のような見目になってしまったこの父親の世話までさせられているのに。いっとう大事なものを犠牲にして、いつまで続くか分からない賭けをするとは。
そこまでのことをされては、雑渡も疑うことなど出来なかった。

「ーー福狼丸も、我々も、貴方のことを心から慕っております」

山本は雑渡から目を逸らさず、恥ずかしげもなくそう言い切る。
実に穏やかな笑みだった。

「貴方が幾らご自身の行く末を低く見積もろうと関係ない。覚悟の問題です。福狼丸は貴方の未来を自分で繋ぐと決めた。そして、それは福狼丸だけではありません。尊奈門や諸泉、我々狼隊の皆も『決めた』のです。あとはーー貴方だけなのですよ、小頭」

— End —

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