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しゃけしゃけ

兄弟にワーッ!となって書きました。 勢いだけで書いたので、キャラクターへの理解があまり深くないです。ご容赦ください。 二人に恋愛感情はありません。左右は好きに見ていただけると嬉しいです。 兄弟って、最高!!! 以下の表現が含まれます ・モツが出るレベルの流血 (追記) ブクマやいいね、感想等ありがとうございます、とても嬉しいです…!!

心臓が無いとこんなに寒々しいもんなんだな、とジョンは寝そべりながら思った。胸にぶち開けた穴をひゅうひゅうと空気が通り抜ける。栓を無くしてダラダラ溢れつづける血液は、ジョンの隣にいる人間の鎧を真っ赤に染め上げていた。じき消滅するジョンの傍らで穏やかに眠るのは、口元を血でべっとり汚したリチャードである。

事の始まりは微小特異点の発生だった。特異点へのレイシフト適性があったらしく、ジョンは管制室に召集された。ジョンの他に管制室に集まったサーヴァントは、マシュとリチャード、それからごく若干名。特に育つ気配もない特異点だが、放っておくのはよろしくないということで決まったレイシフトだった。
その時は、多分誰もが楽観していた。特異点とはいえ規模は小さいし、連れて行けるサーヴァントも精鋭揃いだった。オーバーパワーなんじゃないかと、悲観的なジョンでさえ思ったくらいだ。なんでこのメンツの中に俺が?と思わないでもなかったが、何はともあれ、これなら特に問題もなく解決できるだろうと見られていた。そうはいっても特異点は特異点、もちろん気を引き締めて向かわなければならない。それじゃあみんなよろしくね、というマスターの一声から、レイシフトが始まった。

さてそのレイシフトだが、当初の予想は初っ端から裏切られることになった。
まずレイシフト時のトラブルで、ジョンとリチャードはマスターからはぐれた。よくある話らしいが、二人は今回初めてかち合うトラブルである。転移が終わったと思って目を開けたら、なんと二人っきりで空中を自由落下と洒落こんでいたのだ。真っ青で素敵な空。あっきれい…と思う間もなく、ものすごい勢いで落下が始まる。内臓という内臓が押し出されそうな感覚に、ジョンは悲鳴を上げた。大地に立つ人間として当然の反応だ。まぁ二つ名は失地王なんだが。
そんなことはともかく、悲鳴を上げつつも完全にパニックにならなかったのは、視界の隅にリチャードの姿を写すことができたからだろう。赤いマントを靡かせながら落下しているリチャードは、ちょっと驚いたように目を丸くしている以外は、至っていつも通りの兄である。腹立たしいことに、ジョンはそれを見てちょっと安心してしまったのだ。兄上にできて自分にできないことなんぞない。それでなんとか冷静になって着地の算段をつけることができ、内臓を地面にぶち撒ることなくすんだというわけである。
さて一つ災難を乗り越えたと思ったらまた次の災難である。無事人型を保ったまま地面に降り立ったと思ったら、あっという間もなく魔物どもに取り囲まれた。着地前には爽やかな緑の草原が広がっていたというのに、それを踏み荒らして大地を埋め尽くす魔物、怪物、化け物どもの群れ。落ちてきた瞬間の隙を狙っていたのだろう。微小特異点に巣くってるくせに生意気である。
だが人海戦術の有効さをジョンはよくよく理解していた。数さえいればどんな馬鹿でも英雄を追い詰められるのをジョンは知っている。実際に、今も危機的な状況に追い込まれていた。
確かにこちらには馬鹿みたいに強いリチャードがいる。宝具を二発くらい打てば問題なく突破できるだろう。しかし最悪なことに、レイシフトの際に魔力のパスがイカレたのか、カルデアから魔力が流れ込んでくる感覚があまりない。ある程度戦えるくらいの魔力はギリギリ供給されているが、宝具は一発が関の山だろう。二発も打ったら動けなくなる。下手をしたら現界を維持できなくなる可能性すらあった。

「エクス…カリバー!」

と。ジョンが戦術家としては少しもの足りない頭を回していると、背後から兄の勢いのいい叫び声が聞こえてきた。瞬間、猛烈な衝撃波が魔物を蹴散らす。
「なっ……」
いくらなんでも判断が早すぎるだろ!とジョンは兄を振り返った。いや一発なら許容範囲だが。こんな序盤で切り札を使ってどうする、この後もっと強いやつに出くわしたら……など、なにか文句のひとつでも言ってやろうとした。言ってやろうとしたのだが。
振り返った先の兄は、綺麗な顔でこちらを見つめながら、笑っていた。まるで真夏の太陽のように。猛烈に嫌な予感がした。
「後は頼んだぞ、ジョン!」
そう言って兄は二度目の宝具を放った。エクスカリバー、という短い詠唱のあとに、魔力の塊と衝撃波によって敵が見る間に消し炭になっていく。
ジョンは考える間もなく駆け出した。同時に子供の姿から年老いた姿に格好を変える。そうして、ぐら、と揺らめく金髪に手を伸ばした。

結果として、二人そろって脱出はできた。まがい物とはいえ、エクスカリバーを二発もぶっぱなせばある程度の魔物は瞬殺できる。敵が動揺している間に、ジョンは兄の作った一本道を走り抜けた。背中に力の抜けた兄を背負って。
兄上という人は、と思いながら走りに走った。老体というほどでもないが、そこそこの年齢の体である。人を一人背負いながら走るのはなかなか堪えた。兄はそう重さのある方ではないが、年若い自分より上背がある。急いであの場を切り抜けるには、やはり今の自分でないと安定感が足りなかった。なのでまぁ、仕方の無いことだと諦めるしかなかった。大きくなったなぁジョン……なぞとほざく後ろの男にため息をつきたくなりながら、近くの茂みに飛び込む。木々の立ち並ぶ林の中だ。身を隠すにはもってこいである。
カルデアで会得した気配消しの魔術を施してから、柔らかい下草に兄を下ろす。放り投げなかったのは一応の礼儀だ。いや、今の自分は兄に対してそこまでの憎悪も怒りもないのだけれど。とにかく丁寧に兄を扱った。近くにある木の幹に体を預けさせる。魔力切れでぐったりしているが、現界は保てているようだ。意識も辛うじて保っているらしい。
「昔はよくお前をおぶってやったものだが」
俺がおぶられる側になるとはなぁ。
この後に及んでのんきなこの男は、ジョンを見上げてからかうように笑った。あんなに小さかったのにな、などと続けてのたまう。
「お戯れを、兄上」
「だってこんな時でもないと戯れられないだろう、お前と」
「それでも今は遊んでいる場合ではありません、早くマスターと合流しなければ」
「そうしたいのは山々なんだが、この通り俺は動けん」
「魔力の供給が無いのに宝具を打たれましたからね」
「そうだ。だからジョン。お前だけマスターと合流しろ。俺は囮になる」
「…………」
「逃げ込むところを見られた。だからここもじき安全ではなくなる。俺を担いでいてはお前は満足に動けない。だからお前だけでもここから退避するといい」
はぁ、とため息をつきたくなるのを飲み込んだ。兄が躊躇うことなく宝具を打ち込んだ瞬間からこうなるだろうことは予想していたが、それでもため息をついてしまいたくなるくらい呆れた。この霊基の自分はもう滅多なことでは心を動かさないのだが、やはりこの兄は別格だ。昔からジョンをうんざりさせるのに長けている。安全地帯に移動してなお年若い自分が出てこないのは、こうなることを見越していたからだろう。面倒なことを全て老いた自分に押し付けるつもりなのだ。
「お前もわかっているだろう、ジョン。あの場ではこうするしかなかった」
「わかっております。しかしそれならば、私が宝具を打つべきだった。私が囮になって、兄上の方がマスターと合流するべきだった」
「どっちだって変わらないさ」
眉間に皺を寄せるジョンに、リチャードは柔らかくほほ笑みかける。そう卑屈になるな、と言いたいのが言外に読み取れた。もっと自信を持てと。マスターはお前のことをあんなに信用しているのだからと。
こういうところだったな、とジョンは思った。こういう、自己の信ずるところを貫いて、少しもジョンを理解しないところ。理解したとしても自分の信念を優先するところ。こういうところに、生前のジョンはずっと悩まされてきた。ジョンは今度こそ、重たいため息を吐いた。
兄が死んでしばらく経った頃の己が、今の姿である。兄の面影はそう簡単に忘れられるものではないが、しかし思い出というものは時間によって摩耗する。つまりこのジョンは、兄がこういう人間だというのをうっかり失念していたのだ。カルデアに来てから一度も顔を合わさなかったツケかもしれない。あるいは己の身のうちに虚無しかないのが悪いのかもしれない。若い自分ならもっと新鮮に怒っただろうか。
「世迷言を仰いますな。貴方と私がそう変わらないなどということが、ありえるはずがない。戦力としては貴方の方がずっと有用だし、足が速いのだから、私より早くマスターと合流できるはず。だから貴方のそれは、とどのつまりはわがままだ。私が死ぬのを見たくないという、自分のわがままを通したいだけだ」
真っ直ぐ兄を見据えながら、そう言う。言わないでもよかったが、言わずにはいられなかった。こういうところで自分はいつも失敗するのだろうな、とぼんやり思いながら。
「そう、そうだ、その通りだ。やっぱりジョン、お前は賢い子だ!しかし悪いんだがもうこの通りだ。どうか兄のわがままを聞いてくれないだろうか」
心底嬉しそうに破顔する兄から目線を逸らす。額に手を当ててはぁ、とため息をついた。そう、そうだった、分かっていた、兄はこういう人だ。しかし今回に限っては、後出しで文句を言っている自分に非がある。兄の言う通り、もう彼に動けるほどの魔力は残っていないのだ。兄を置いて自分が逃げる以上に最適な行動など、もう考えている余裕も無かった。
兄の言に従ってつま先を林の外に向けたジョンを、内側からの違和感が引き止める。不思議に思って自分の体を見下ろすと、体が年若い自分に切り替わろうとしていた。
このタイミングでなぜ、と思った。もうできることはない、歯噛みしながら兄の言うことに従うほかないことは、若い自分も理解しているだろうに。年老いたジョンは若やいだ自分の考えていることが理解できず困惑したが、しかしついに切り替わるその瞬間、ジョンはその意図を理解した。理解して、まぁ、自分がそうしたいならと、そのまま表に出る権利を譲った。

唐突に切り替わった己を見て兄が目を丸くするのに、ジョンは少し愉快な気持ちになった。しかしそれを顔には出さずに、ムスッとしたまま踵を返して、兄の横に雑に座り込んだ。
「おぉ、どうした?ジョン」
気遣わしげにジョンを見つめる瞳には、かすかに困惑が混ざっている。ジョンは別に、と素っ気なく返した。視線は合わさない。察しろという空気を纏って、ただただ不機嫌に兄の隣に佇む。
「兄上が囮になってくださるなら、出るのはギリギリだっていいでしょう」
「それはそうかもしれないが……でも危ないから早く行きなさい」
「私だって貴方を担いで走ったから疲れてるんです」
「えっ担いで走ったの大人の方のお前じゃない?」
「気疲れです。心が疲れました。もう立てません」
「さっきめっちゃ立ってなかった?」
「いいえ、立てません」
「えぇ」
ジョンの子供のような態度に、困ったなぁ、などと兄が呟く。聞かん坊に手を焼いている兄を笑ってやりたいところだが、声色にどこか楽しさが滲んでいるから、いまいちスッキリ笑えない。この兄はいつもそう。ジョンのわがままを、最終的には笑って受け入れてしまう。
「……さっき」
ぽつりと、足の間の植物にこぼすように、ジョンは呟いた。
「戯れる時間が無いと仰ったでしょう。あの時の貴方の顔があんまり可哀想だったので、仕方ないからしばらく隣にいてあげます」
足元の雑草から視線を上げないまま、そんな勝手なことを言う。憎たらしい口は思ったことを正直に言ってくれないけれど、それでもリチャードが、そっか、ジョンは優しいな、と軽やかに笑う気配がした。
「と、言っても……なかなかぱっと思いつかないもんだな、話したいことっていうのは。ジョンに会ったらこの話をしよう、あの話をしようって、ずっと考えてたんだが」
ジョンは黙って兄の声に耳を傾けた。兄と話すことなんて何も無いから、ジョンから何か言うべきことはない。だからジョンは口を開かない。会話を種を探そうと必死になっている兄に、手助けもしてやらない。でも、うーんうーんと唸る兄の声が面白くて、つい、ふ、と吐息が漏れた。
「……笑わないでくれよ、ジョン。これでも俺は真剣なんだ。可愛い弟とゆっくり話せる機会なんてそうそう無いんだから……いや今もゆっくりしている場合ではないんだが……それは置いといてだ。待ってくれ、もう喉の辺まで来てるから……」
必死そうな兄に、ふふ、とまた吐息がこぼれる。無邪気な笑みでは決してない。兄に背負われて外を遊んでまわった頃ような、無垢な笑いはもうこぼせない。だからこれは兄を小馬鹿にするような笑い方で、怒られたって仕方ないのだけれど、この兄なら許すに決まっているから、口元は緩めっぱなしでいいと思った。
風が気持ちよかった。木陰を通り抜ける風は強くもなく弱くもなく、温くも冷たくもない。かすかな懐かしさの込み上げてくる風だった。それに絆されるみたいに、ジョンはちょっと顔を上げた。きっと昔見たように、兄の赤毛混じりの金髪が、風に柔らかく揺れているだろうと思ったから。
そうして視線を横にずらすと、兄の赤い瞳と、バチッと目が合った。
「あっ」
慌てて目を逸らそうとする自分より先に、兄の視線がぱっと上を向く。眉は情けなく垂れ下がって、口は誤魔化すように笑みの形を描いている。うろうろと泳ぐ視線と相まって、なんだか。
「……なんでそんな情けない顔するんです」
「いや、これは……はは、すまない」
困ったように視線を空に投げる兄をじっと見つめ続ける。今日のジョンは、兄からの言葉を待つことにしていた。
「なんと言うか……いや、誤魔化すべきではないな。すまない、俺に呆れているのはわかっているんだが、それでもお前が笑っているのが嬉しくて、つい」
「……俺だって笑う時は普通に笑います」
「はは、そうだな。そうだったな……」
風が止んで、木々のざわめきが静止した。下げた目線の下から沈黙が広がっていく。兄の表情はわからない。視線をずらすのが億劫だった。何か口を開こうとして、できなかった。なんだか落ち着かなくて、手元の草をちぎってみる。しっとりとみずみずしい感触がした。
気まずいというやつだな、とジョンはぼんやり思った。老いた自分ではないが、召喚されてから今までずっと兄を避け続けてきた弊害がこれなのだろう。もしかしたら、話すことがないなんていうのはただのこじつけで、普通の兄弟の話し方なんて、とっくの昔に忘れてしまっていただけなのかもしれない。だからジョンは、リチャードに会いたくなかったのかもしれない。
「なぁ、ジョン」
水面に水を一滴落とすみたいな、普段の姿に似つかわしくない静かな声で、兄が呟いた。なに、とジョンも返す。
「どうだろう、カルデアは、楽しいだろうか」
「……まぁ贅沢はできませんけど、王宮よりはマシですよ」
「そうか」
顔を下げたままだったので、リチャードの表情はわからなかった。なんとなく顔を見るのが、いや、見てやるのが癪な気がして、意地を張って頭を上げなかった。でも穏やかに笑う声だけは聞こえた。聞き馴染みのある、兄の声だった。
「さて、ジョン。もう少しこうしていたいところなんだが……」
「あぁ、そろそろですね」
「気の利いた話の一つもしてやれないで、すまない」
「別に兄上に期待なんかしてません。どうせカルデアで会った英雄たちのことしか喋らないだろうし」
「うーん、手厳しいな!」
ははは、といつも通りの明るさで兄が笑う。その時初めてジョンは顔を上げた。リチャードはジョンが想像した通りの笑顔を浮かべていたが、その顔つきはどこか気だるそうだった。いよいよ魔力切れが近いのだろう。
「ジョンが行ったら俺も行く。どの程度役に立てるかはわからないが、なるべく多く倒しておくから」
よいしょ、と兄が立ち上がろうとする。こんな状態でも戦えないことはないのはジョンも知っているが、しかし体の動きが鈍くなるのも知っている。
なので。
「……兄上。その状態じゃ満足に動けません。私の魔力を少し差し上げるので、足しにしてください」
「いや、いい。どうせこの後すぐ退去するんだし…」
「俺の逃げ道を間違いなく確保してくださいって言ってるんです。なんだかんだ長居してしまったから急いでマスターを探さないといけないし。俺が万全に動けるように、しっかり敵を全滅させてください」
「うーん……まぁジョンの言うことももっともだし……そうだな、ジョンの頼みなら!」
で、どうやって供給するんだ?まさか血液か?あんまり多くはいらないぞ。
いらない心配をして眉を下げる兄に、ジョンはふんと鼻を鳴らしながら、ちょいちょいと手招きする。なんだなんだ、と警戒心の無い猫のように、兄がずるずるとこちらに身を寄せてくる。
「カルデアでいい魔力供給のやり方を教わったんです。ちょっと僕の肩に寄りかかってください」
「?わかった!こうだろうか?何をやるんだ、ジョン」
「見ればわかります」
ちょん、と肩に顎を引っかけるリチャードの警戒心の無さに呆れながら、ジョンはその金糸をさらさらとかき分ける。特徴的な三つ編みの付け根、その少し下、つまり、首。そこに手を触れさせてなお、リチャードは少しも警戒する様子を見せない。それが本当に、心の底から腹立たしくて、それで。いや、でもどうせすぐこの苛立ちも晴れるのだし、とジョンは内心で首を振る。この救いようが無い兄上に、今からとっておきのサプライズをくれてやるのだから。
「ジョン?どうかしたのか、……っ!?」
ばちん、と兄の首元で魔術を発動させる。かすかなうめき声と共に、兄の全体重がのしかかってくるのをジョンは抱きとめた。兄の意識が無いのを確認すると、そのままその身体を地面にそっと横たえた。
カルデアで覚えた、というのは間違いではない。実際カルデアにいる眉間に皺の寄った魔術師から教わったからだ。いざという時の、簡単な護身術として習得した。
そう、護身術。ジョンが兄に嘘を言ったのはその部分。ジョンがリチャードにかけた魔術は、魔力供給のための魔術なんかじゃ決してない。わずかな電撃を発生させる、本当に簡単な魔術。現代のもので例えるならば、スタンガンのような代物だと言えるだろうか。ガス欠な上に警戒すらしないリチャードを気絶させるには、この程度の魔術で十分だった。
静かに目を閉じるリチャードを見つめる。普段の活発な姿からは想像もできないくらい、穏やかな寝顔だ。
思ったよりも若い頃の姿だな、とジョンは思った。前に見た時は顔なんてまじまじと見てる場合じゃなかったし、カルデアでは目すら合わせないので、気がつかなかった。試しに頬を突っついてみる。ふに、と柔らかい感触がジョンの指を押し返した。あの兄上も人の子なのだ、という感触だった。
兄は規則正しく呼吸をしている。さっきの攻撃は結構覿面に効いたらしく、目を覚ます気配はない。ざまぁみろ、油断してるからこんなことになるんだ。間抜け面で寝こける兄にふん、と一つ鼻を鳴らす。やっと兄を笑うことができて満足すると同時に、こんな風な兄を見たのはいつぶりだっけ、という感傷が、ジョンの胸にじわじわ広がった。思い返してもジョンの記憶にあるのは笑顔のリチャードだけで、こんな風に寝ている姿は、それこそ子供の頃に見たか見ないかくらいだろう。それすら正確な記憶かどうか。長い睫毛に縁取られた目元を見る。存外穏やかに眠る人だと思った。
「でもこれは気絶してるから行儀が良いだけで、本当はもっと寝相が悪かったりして……」
掛け布を蹴飛ばす兄を想像してみた。ちょっと有り得そうだな、と思った。カルデアに帰ったら、この大変なレイシフトの詫びとして、マスターに兄が寝てるところの記録をとらせよう。そしてスナック菓子でも開けながら、マスターと二人で笑いながら見てやろう。それから、何にも知らずに廊下でも歩いている兄を、後ろから指さして笑ってやる。きっとこの上なく楽しいだろうな。不思議そうに首を傾げるだろう兄を想像すると、この上ないくらい愉快な気分になった。
風が強く吹いて、ジョンの黒髪が視界を遮った。木々が大きくざわめいて、心臓が不安げに鼓動する。こんな時間はもうおしまい、と言っているみたいだった。少なくともジョンはそう受け取った。
リチャードの傍に屈んで、なるべく頭の方に近づくよう膝を下ろす。ジョンの影が兄の白いかんばせを覆い隠した。利き手に神経を集中させて、魔力で短剣を編み上げる。すぅ、はぁ、と深呼吸をした。両手で柄を握って持ち上げる。眼前に持ってきた刃がキラリと光って、ジョンの恐怖心を掻き立てた。全身が強ばって、神経が逆立つ感覚がした。

ジョンは今からこれを胸に突き立てる。そして心臓を抉り出す。それから、取り出した心臓を、兄に食わせるのだ。

我ながらイカれた発想だと思う。ジョンだって他のサーヴァントがこんなことをしたと聞いたらきっとドン引くだろう。ちょっとさすがに頭がおかしいだろうと。でも仕方なかった。理屈じゃなかった。理屈じゃなかったのだ。本当に、本当に怒っていたから、こうしてやろうと思ったのだ。怒りは時に、理屈や正義よりものっぴきならない理由になる。ジョンはリチャードが自分を置いていけなんてほざいた時から、絶対にこうしてやると決めていた。
ジョンの算段はこうだった。リチャードをなんとかだまくらかして魔力を渡し、マスターの元に向かわせる。リチャードの願いとは反対に、強制的に自分を置いて行かせるのだ。供給の手段に心臓を選んだのは、まぁこれなら十分どころか十二分な供給になるだろう、と思ったからだ。あんまり深い意味は無い。魔力の塊って言ったらやっぱり心臓かしら……くらいの理由だ。雑だと思っただろう。そうだその通りだよ。でも魔力は渡せるんだからいいだろ。誰に文句を言われたわけでもないのに、ジョンはそう言い訳をする。
ジョンは兄の身勝手を怒っている。いつだってジョンの前に先立って、なんでもかんでも勝手にやってしまうのを怒っている。今回もそう。ジョンのことなんて何一つ考えずに、ただ自分がそうしたいからジョンだけ残そうとした。そこに腹が立つ。こういうところだって思う。年老いた自分は諦めたが、自分はそう簡単に納得してやらない。だから兄がそうしたみたいに、自分も強行手段で返してやるのだ。兄上が先にやったんだから仕方ない。妥当な仕返しだ。
日差しが強くなった。差し込む光が眩しくて、目がくらみそうになる。兄は少しも目覚める気配が無い。それでいい。全部終わるまで寝こけていればいい。目を覚ましたあとに全部終わったことに気がついて、ジョンを侮ったことを後悔すればいいのだ。
短剣を胸の前に構える。心臓を突き刺すだけなら簡単だが、今ジョンがやらなければならないのは、胸をかっ捌いて心臓を取り出すことだ。背中を冷や汗が伝う。構えた剣の切っ先がカタカタ揺れる。今から外気に晒される心臓が、外の寒さに恐怖してドクドクと跳ねる。
本当にできるのだろうか、と不意に不安が頭をもたげた。あんな大言壮語を吐いてみたけれど、ジョンが矮小な人間であることに変わりはない。死ぬのは人並みに怖かった。スノーフィールドの特異点では自分が死ぬことなんて些細なことだったけれど、今はまだ、あの境地にたどり着くには覚悟が足りない。チッ、と大きく舌打ちをした。心臓を抉りたいのに、兄を見返したいのは本当なのに、本能がそれを拒絶する。だって切り開くのだ、胸を。きっと痛くてたまらないに決まってる。心臓を兄の口に叩き込むまで、正気でいられるかどうか。
…………いや。

「………正気?正気なら、こんなこと思いついた時にとっくに無くしてる……!」

柄をぐっと握り直す。そうだ。ジョンはもう人間の王じゃない。怒りに身を焦がし、報復のために命を焼き尽くす、復讐者のサーヴァントだ。こんな霊基になった時点でまともじゃない。自分をかっ捌くくらいがなんだ。覚悟も狂気も、始めから十分すぎるくらい、ある。
「……ッとにかく刺して、後はっ、どうにでも、なれっ!!」
グッと、己の胸元に刃を突き立てる。突き立てた場所がカッと熱くなって、その部分から炎が燃え広がるような感覚がした。遅れて激痛が全身に拡散する。喉の奥から悲鳴が上がった。胸に差し込まれた異物に、頭と心臓がガンガンと警鐘を鳴らす。
「がっ……!……っ!……、はぁ、まだ、まだ、ここから……!」
全身を貫くような痛みに、既にこの行為をやめたくなっているのを何とか押しとどめて、刃を下に滑らせていく。心臓を傷つけないように少し上の方に突き立てた刃は、編み上げた魔力とサーヴァントの膂力を以て骨を砕き、確実にジョンの胸を切り開こうとしていた。本当ならこんな力業が人体に通じるはずもないということは、ジョンにもぼんやりわかっていた。しかし刃はジョンの胸を切り開いた。なぜなんだろう。わからない。でもきっとそんなの細かいことだ。実際胸を開けているのだから、何も問題は無い。それにもし何かからくりがあったのだとしても、今のジョンにそれを考えられる頭は無い。なんせ刃が骨まで砕いているのだ。信じられないくらいの激痛が、ジョンを襲っていた。
「い"っ……だ……ッ!……っが、は……っ、ぃっ、……いたいっ、いたいっ、これっ………、っ……!むり………っ!!」
視界に涙が滲む。情けない喘鳴が、涎と一緒に口から零れる。冷や汗と血がぼたぼたと伝って、下にいる兄の鎧を汚していく。視界がクラクラして、世界がひっくり返りそうだった。
今さらやめるつもりはない。どんなに痛くても、地獄みたいな目を見ても、もうここまで来たらあとは意地を貫くだけだ。けれど、そんなジョンの意志とは反対に、指先は力を無くして震えていた。体の方は真っ当に、この信じられない痛みに悲鳴を上げていた。切り開くにも心臓を取り出すのにも力が必要なのに、胸を半分ほど裂いただけで、短剣を握るのもやっとの状態だった。こんな時までうまくいかない。そんな自分への癇癪で、目からボロボロと涙が落ちた。
「ッ………クソッ、まただ、また上手くいかない……!っけほ、っ、……っ……このままじゃ、むだに痛いだけ、じゃないか……っ!」
兄も自分も、ただの無駄死にになってしまう。
情けなさが腹の中を満たしたその時、先ほどのジョンの悲鳴に呼応したかのように、背後からずるりと黒い影が飛び出してきた。形の捉えられない「それ」は、後ろから抱き込むようにジョンを包むと、まるで嘆くかのようにジョンの持つ短剣にその触手をまとわりつかせる。ジョンの顔にすり寄った影からは、なんでか不思議と、悲哀が滲んでいるような気配がした。
「なっ、お前、出てこいなんて、言ってないのに……!……いや、そうだ」
悲しむように胸の傷を撫でる影を見て、ジョンはふと思いついた。力の抜けかけた体を、影に預ける。影がジョンを包む力が、ぐっと強くなった。
「お前、これの続きをやれ」
左手でつつ、と傷を撫でる。べっとりと血が着いた指先で、短剣に触れる影を上から包む。ざわ、と影が揺らめく気配がした。ジョンが何を言おうとしたのか理解したのだろう。拒むように柄を握る手に力を入れて、むしろ刃を引き抜こうとする。
「……っおい!それじゃあ今までやったことが、っ、無駄になるだろうが……!」
使い魔の分際で主の言うことも聞けないのか、と毒づこうとして、けほっ、っと咳き込んだ。影が気遣わしげにこちらを見る。咳き込む度に胸の痛みが全身に伝う感覚を感じながら、ジョンは影の手に自分の手を引っ掛けた。力は入っていない。入れられない。だから本当に癪なのだが、ジョンのこの手は制止というよりも、懇願のようなものだった。
「……僕の胸を、切って、中身を取り出して……そこの馬鹿に、食わせてやれ……。僕だけ逃げるにも、もうここまでやったら、使いものにならないし……。……………。それから…………。……………本当に、痛くて、苦しいから…………どうか、楽にしてくれ………。」
ぽつぽつと、己を包む影に顔を埋めながら、そう呟いた。失血もあるが、何より激痛で心身が弱っていた。そして情けないことに、自分の代わりに影が心臓を取り出してくれるかもしれないと思うと、気が抜けてさっきの気迫をどこかに放ってしまったのだ。本当に情けなくて中途半端なやつ。希うように短剣ごと影の手を握りしめた。影は動かない。ただジョンを覗き込んでいる。早くやってほしかった。胸をかっ捌いているのだから、当然ジョンの命はその隙間からこぼれ落ちていく。ぐずぐずしている間に消滅してしまって、結局魔力供給ができませんでしたじゃさすがに笑えない。それに、なんだかんだと時間を費やしすぎて、気配消しの魔術がもう消えかかっていた。マスターも探さなければならない。時間が無かった。
「…………どこまでも他人任せで情けないが……。…いや……余は王だからな…………使えるものは……使ってなんぼだろう……」
早く、と影を見る。顔も目もどこにあるのかわからない。でも多分、今自分を覗き込んでるのが顔だ。影はじっとジョンを見つめる。少し揺らいでいるような気がした。そうして影は、少しの間そうしたかと思うと、短剣を握る手にぐっと力を込めた。
「っぐ、あ"、あ"あ"あ"ぁっ………!!」
がっと勢いをつけて胸を切り開く。ジョンがやっていた時の比じゃない早さだ。ジョンは影の中に身を埋めて悲鳴をあげた。全身が燃えるように痛くなって、足をジタバタと動かす。呻きは影の中に吸収されたのか、影越しに見た兄は、騒がしさに身じろぐ気配もない。
その後ぐんっと身を引き抜かれるような衝撃がジョンを襲った。周りの管を上手に切り裂きながら、影がジョンの心臓を抜き取る。生ぬるい血が衣服に染みて、徐々に冷えていく。痛みが常態化した体はこれ以上もがくのをやめて、影が心臓を兄の口にあてがうのを、ただぼんやりと眺めていた。
べちゃ、と兄の顔に付けられた心臓が、ひとつの魔力の塊に変じて、そのまま吸収されていく。兄の口に入りきらないのでは、まさか切り分ける必要が、おい冗談じゃないぞ、などと心配していたが、どうやら杞憂だったらしい。ぐ、と呻いた兄の顔に血色が戻るのを確認して、ジョンはいよいよ全身の力を抜いた。
「……いろいろ痛くて最悪だったが……。まぁ、言いつけたことは、ぜんぶやったし……良しとして、やろう。よくやった、褒めてつかわす。…………あぁ、最後に。ちょっと、兄上の、よこまで……つれてってくれないか」
ジョンの額に張り付く髪をひとつひとつ丁寧に払っていた影に、そう頼み込む。影は恭しげにジョンを持ち上げると、静かにリチャードのそばに横たえた。ジョンが下がっていい、と呟くと、影は少しもの言いたげにしたが、やがて諦めたのか、そのまま引っ込んで行った。代わりではないが、影は去り際に、ジョンの頬を撫でていく。その手が思いのほか心地よかったので、ジョンは思わず叱るのを忘れてしまった。
影も消えていよいよ二人きりになった草むらの上で、ジョンは兄の顔を見た。口元を血でべっとり汚しながら、それでもまだ眠っている。あそこまでやったのにまだ寝てるのか、すごいな。ジョンはちょっと感心した。それよりもあの魔術の効き目が結構良かったのだろうか。それこそ獅子も昏倒させるレベルで。今度使う時の参考にしよう、とジョンはこっそり思った。
それにしても。終わったらもっとこう、達成感を感じるものだと思っていた。いや、確かに達成感はあるのだけれど。でも兄に対して、してやったりという気持ちは不思議とわかなかった。痛すぎて気持ちが萎えてしまったのかもしれない。ただ不思議と穏やかな静寂が、心臓の代わりにジョンの胸を満たしていた。
心臓。心臓か。そういえば昔、兄は自分のことを良心などとのたまった。俺の良心だと。その両手を血で真っ赤に染め上げながら。冗談じゃないと思った。今だって冗談じゃないと思っている。でもある日ふと気になった。良心がその身に宿れば、兄はまた違った道を辿るのではないかと。
そうか、だから心臓か。ジョンはそう独りごちた。だから心臓なんて渡そうと思ったのか、と。
なんで魔力の供給に心臓を選んだのか、ジョンも正直わかっていなかった。だってよくよく考えてみれば、別のものでもいいのだ。肺でも腎臓でもいい。というか臓器じゃなくて血でもいい。手でも足でも良かっただろう。それを心臓にしたのは、多分、そんな馬鹿なことを、ジョンが思ってしまったからなのだ。別にきっかけは無い。カルデアに来てからずっとぼんやり考えていただけだ。実現なんてもちろん考えていなかった。大体良心って、そういう安直な意味じゃないし。子供が空想するような、馬鹿馬鹿しくて現実味のない、愚かな妄想だ。しかし何がどうであっても、それをここで自分が実行したのは事実だった。特異点の環境も影響しているのだろう。ここの正体が分からない以上なんとも言えないが、あり得ることなんじゃないかとジョンは思っていた。
兄を見返してやりたかったのは本当。勝手に突っ走っていくのに怒っていたのも本当。だから是が非でも兄に先に行かせようとしたし、自分が死んでやろうとした。でも心臓を選んだ理由は、そんな理由だ。
全く馬鹿馬鹿しい。はぁ、とジョンはため息をついた。風が汗ばんだ額の上を通り抜けていく。太陽が眩しい季節だった。まだ涼しいけれど、それでも日が照ると暑くなるんだろうと思った。そう思うと、逃げ込んだ先が林で良かった。寝転がっているところがちょうど日陰になっていて、たまに通り抜ける風が涼しい。失血で全身寒いくらいではあったが、それでも心地よく感じられた。故郷の夏とは違うけれど、それでもふと懐かしさを感じるような、そんな空気だった。
兄の顔を横目で見る。相変わらず眠っている。兄も自分も血でベトベトなのに、なぜか幼い頃を思い出した。ジョンがまだ無邪気に物語を聞いていた頃、いやあの頃からちょっと斜に構えた見方はしていたけれど、それでも今ほどでは無かった頃。この兄と一緒に、母から聞いた話、吟遊詩人の詩、本に描かれた英雄の軌跡を、楽しげに舌先で転がした。物語の中で印象的なシーンとかセリフとかを、なぞって真似して遊んでいた。そういえばそんな時は、大体こんな風に大きな木がそばにあることが多かったな。こういう木の下はなんかいい感じの枝が落ちてるんだと、兄が言っていた気がする。もう少年時代も終わりかけだっただろうに。どうしようもない人間だった。
在りし日の記憶が頭の中で木霊する。小さな兄が小さな自分を抱えて、アーサー王の伝説を朗々と詠い上げる。話の内容にたまに文句をつけながら、しかし楽しそうに笑う自分を、兄が目を細めながら見下ろす。二人の笑い声を穏やかな風が拾って、千里先まで運んでいく。
ジョンは知っている。そんな日々はもう二度と来ないことを。だって二人で無邪気に笑うには色々ありすぎた。兄にも、自分にも、兄と自分の間にも。だからこれは、くだらない懐古にすぎない。
あぁでも。昔には戻れなくても、別の形なら。あのマスターなら。きっと兄も。
「…………兄様。カルデアは、たのしいですか」
兄は答えない。白い頬にかかる髪を、風が柔らかく撫でていくだけだ。別に何を答えられたって腹が立つだけだから、これでいいとジョンは思う。腕を包む鎧に額を擦り寄せた。金属の固い感触が、ジョンの柔らかい額をこする。地面に生える葉の青くて苦い香りが鼻腔を満たした。ジョンは静かに目を閉じる。
閉じた瞼の裏側に、カルデアの英雄と肩を並べて駆ける兄の姿が浮かんだ。眩しく光る太陽が、その金髪を鮮やかに照らしている。兄の隣にいるのは、灰色の髪をした騎士の総長かもしれないし、我らが気高きイングランドの祖王かもしれないし、別の英雄かもしれない。兄は日に照らされながら、楽しげに笑っている。
相手が誰にしたって、ジョンにとっては腹立たしい。兄をあちらに連れて行こうとする。人間の兄を。全くもって忌々しい、許せない。
あぁ、それでも。

「…………あにうえ」

掠れた声で呟く。指先どころか舌先すらうまく動かせない。もう消えるのだと悟った。
この特異点限定ではあるけれど。僕の心臓を持つ今なら、貴方の恋焦がれたものにはなれなくても、きっと貴方が危惧した道は辿らない。だって貴方が良心だと言ったんだ、この僕を。ならきっと大丈夫だ。だから、存分に理想の英雄とやらをやってくるといい。たまには許してあげる。
別に祈りはしないけれど。胸に開いた虚の、その奥の心の中で、そんなことを思う。

「…………だから、あにうえ」

霞んだ瞳に金髪を捉える。風に揺れる金髪を。

あぁ、どうか、どうか。こちらを振り返らずに。貴方は貴方らしく、どこまでも、自由に、駆けていって。

光の中で兄が笑う。そんな空想の兄に背を向けて、ジョンの意識は、そこで途切れた。

「…………っあ!ジョン目が覚めた!」
ぱっと開いた目に歪んだ世界がうつる。ぐにゃぐにゃねじ曲がって回転して、ようやく像を結んだと思ったら、空のような青色と目が合った。
「………ぇあ?マスター……?」
「ジョン大丈夫?自分の名前は言える?ここがどこかわかる?昨日喉に詰まらせかけたスナック菓子の名前は言える?」
「……俺の名前ならさっきからお前が呼んでるだろ……ここは……カルデア?特異点じゃなくて……?……あとスナック菓子は……ってやかましい!不敬だぞ!」
「良かった無事だ〜〜〜!!」
「おいマスターなんだその態度は!……というか、無事ってなんだ。余は普通に退去してきたんじゃないのか、カルデアに」
ジョンの記憶に残っているのは、胸を切り開いて心臓を兄に渡したところまでだ。そのあとのことは知りようがない。カルデアにいる以上普通に退去したものだと思っているのだが、マスターのこの反応を見るに、どうもそうでは無いらしい。それになぜマスターがここにいるのだろう。特異点の攻略はもう終わったのだろうか?
「えっと……ちょっと、複雑なんだけど」
落ち着いて聞いてね、と医務室のカーテンを背後にマスターが口を開く。
「オレたちレイシフトした後にはぐれただろ。その時オレはマシュと一緒でさ。他のみんなと合流しようって、マシュと探し始めた時」
一番最初に会ったのがリチャードだったんだ、と目の前の少年が呟く。ジョンが願った通り、兄はマスターと合流できたらしい。ふぅん、と興味の無さそうに相槌を打った。兄に対して自分が冷めた態度を取るのはいつものことだからだ。
「ジョン」
そんなジョンの態度を咎めるように、マスターがジョンを見る。
「リチャードに、何かしたの?」
「…………別に」
「………うーん!」
ガシッと両頬を掴まれる。は!?とジョンが声を上げるまでもなく、そのままみょーんと引っ張られた。
「い、痛い痛い!痛いぞ、何するんだお前!不敬!…とかいう以前に失礼だぞ他人に対して!」
「うーんこの手は使いたくなかったけど……マスター権限!素直になりなさ〜い!!」
「意味が!わからん!」
ジョンが抗議の声を上げるのもよそに、なおもマスターは頬をみょんみょん引っ張っている。マスターのこの攻撃だが、絵面の間抜けさの割に結構痛い。なんとか逃れようとベッドの上でジタバタする。本当に痛い。おのれ余になんて無礼な。ジョンがマスターへの報復を考えているそばで、当の少年は静かに呟いた。
「リチャードさ、ジョンは一緒じゃないのって聞いたら、酷い顔してたんだよ。はぐれちゃったオレの責任でもあるんだけど……」
はぐれたのはレイシフト時のトラブルであって、マスターだって巻き込まれた被害者である。なのに、このマスターはまるで自分が悪いかのような顔をする。まったく人の善すぎるのも考えものだ。文句を言いそうになる口を閉じて、ジョンも黙り込んだ。
「それでリチャード、俺のせいだ、すまないってずっと謝ってて。ちょっと違和感を感じてマシュにスキャンしてもらったんだ。そしたら、リチャードから二騎分の魔力反応があった」
「…………」
「思い当たることがあるんだね?」
「……なんだよ、何があったのか説明してくれるんじゃなかったのか?俺を問い詰めたいんなら、初めからそう言えよ」
「そんなつもりじゃなかったんだけど……。いや、でもそうだね、説明するって言ったのに、ごめん。オレも動揺してたみたいだ」
「はっ!カルデアのマスターともあろう者が!サーヴァントの一人二人に何かあっただけで動揺するなよ」
「そりゃそうなんだけど。だってせっかくジョンと仲良くなったのに、本当に消滅しかかったってなったら、そりゃあ動揺するに決まってると思わない?」
「……消滅?なんだって?」
仲良く、の部分に胸が弾んだのを押し込めて、それ以上に引っかかった部分をマスターに尋ねた。消滅。含まれるニュアンスを聞くに、退去ではなく、本当に座に還りかけたということだろうか。
「二騎分の魔力反応があったって言っただろ。ただリチャードの中に二つが並列してあったんじゃなくて、一つがもう一つに魔力を供給するような、ダ・ヴィンチちゃんは予備バッテリーって言ったかな、ともかくそんなかんじだったんだ。うーん細かい部分は多分違うんだけど、つまり、ジョンはリチャードに融合しかけてたってわけ」
「ゆ、……融合?そ、そこまでのことをやるつもりは無かったぞ!」
「うんやっぱり何かしたんだね?後でオレと一緒に報告書書いてもらうからねジョン。とにかくそんな状態だったから、急いで特異点を解消して、カルデアに戻って、こうして分離の処置をしてもらったってわけ」
すごかったよリチャード。なんかこう、すごい、敵本陣をドーン!て。
身振り手振りでなんかドカーン!などと言っているマスターを横目に、ジョンは呆然としていた。まさかそんな事態になっているとは。兄が結局特異点を爆破……ではなく解消したらしいので、今回のジョンの行動が全て裏目に出たわけでは無さそうなのが、まだしも救いだろうか。
「とにかく今伝えたいのは、ジョンは一回消滅しかけたこと、そしてリチャードがすごく悲しんでること。オレにはあとからでいいから、ちゃんとリチャードには説明してね」
もう入ってきていいよ、とマスターが廊下側の方向に声をかける。まさか、と思うまもなくガタン!と大きな音がして、扉の向こうから見知った姿が現れた。
赤い瞳でジョンを凝視するのは、紛うことなき兄のリチャードだった。
それじゃあオレはこのへんで、とマスターが去っていく。あっ待てマスター!と手を伸ばすも、華麗に避けられ逃げられてしまった。さすが数多くのサーヴァントを束ねるマスター、逃げるのが異様に上手い。なぜかウン、と頷きながら去っていくマスターを恨みがましい目で見送りながら、視界の隅に映る兄を、ジョンは見ることが出来なかった。視線を逸らしたまま、静かに兄と反対側に顔を向ける。兄はずっと無言だ。その姿が、有り体に言えば、怖かった。
「………ジョン」
ビクッと肩が跳ねた。無様である。あれだけのことをしておいてこの有り様だ。勢いがあるのは一時だけ、本当に情けがない。まるで悪いことをした後の子供のよう。いやでも、やっぱりあれが悪いことだなんて微塵も思っていない。自分のやったことに後悔なんてないとも。ジョンは胸を張ってそう主張したい。あぁでも、それでも。兄の顔を見るのが、なんとなく恐ろしかった。
「あっすまない。驚かすつもりではなかったんだ……」
予想に反して、リチャードは柔らかい、それどころか少し遠慮するような声色で、ジョンを宥めすかした。えっ、と驚いて、ジョンは思わず顔を上げる。手持ち無沙汰に三つ編みをいじくる兄が見えた。二臨の、現代風の装いをしていた。
兄が困ったように形のいい眉を下げる。視線を上げたジョンとは反対に、リチャードは視線をジョンから外して、何か言葉を探しているみたいだった。兄上、と声をかけようとした。でも言葉が喉に詰まって出てこなかった。ジョンも、リチャードになんと声をかけたらいいかわからなかった。
「……とりあえず、座ったらどうです?兄を立たせる弟なんて信じられないと、何か言われたら困りますし」
ポン、と自らが横たわる寝台の縁を叩く。あまりにも気まずくて、これくらいしか思い浮かばなかった。出てくる言葉が憎まれ口なのは、もう諦めている。
「……はは、カルデアじゃマスターもいるし、そんなことにはならないと思うが……。もし本当にそうなったら、俺がなんとかしてやろう」
「別にいいです。気になりませんし、自分でなんとかできます。それより早く座ってください」
矛盾したことを口走りながら、怒りに任せてバシバシと布団の縁を叩く。兄はちょっと戸惑った後に、おずおずとジョンが指した場所に腰を下ろした。兄の体重分だけ敷布が沈み込む。寝台に体を預けながら上半身だけ起こしているジョンの、丁度腰のあたりに兄は座っている。だから、ジョンは顔を上げるだけでリチャードを視界に収めることができるが、リチャードは振り向こうと思わなければジョンを見ることができなかった。兄は曖昧に微笑みながら、顔や視線を、あっちにやったりこっちにやったりしている。黙ってるのになんかちょっとやかましいな、とジョンは思った。
思えばカルデアに来てからこんなに距離が近くなったのは初めてだった。いや先のレイシフトでは密着していたし、それ以上のこともやっていたのだが。うん。でもこうした日常の中で、こんなに近くに兄の気配を感じるのは初めてだった。だってジョンはずっと兄を避けていたし、リチャードも多分、弟に気を遣って、無理に接触しないでおいてくれていた。だから特異点の時もそうだったが、何を話せばいいのか、何から話せばいいのか、全くもってわからない。
「特異点のことだが」
そんな気まずい沈黙を打ち破って、先んじて口火を切ったのはリチャードだった。迷わない方がいいと判断したのだろうか、口調は先程と違い堂々としている。何を言われてもいいように、ジョンも腹に力を入れてリチャードの言葉を待った。
「単刀直入に聞こう。お前は俺に、何をした?」
赤い瞳が真っ直ぐジョンを射抜く。責められているという感じはしない。ただ単に、真実を聞き出そうとしているだけだ。正面から、誠実に。
「……貴方に、魔力を差し上げました。特異点で言った通りに」
「うん。でもそれだけじゃ融合までには至らない。何を俺に差し出した?」
「………………。」
「ジョン、ゆっくりでいいんだ。言いづらいなら、ゆっくりで。お前が俺に何をしていたって、怒るつもりはさっぱりない。ただ俺は、本当のことが聞きたいだけなんだ」
その本当のことが一番言いづらいんだよ、とジョンは内心毒づいた。ジョンだって本当のことを伝えなければいけないのはわかっている。ジョンのわがままにカルデアとマスターを巻き込んで、マスターから直々にリチャードに話をするよう言われた時点で、是が非でも話さなければならないのは、いかに愚かな自分といえどわかっている。それでもやっぱり言いづらいものは言いづらかった。だってそうだろう。心臓を食わせました、なぜなら貴方に良心だと言われたからです、なんて。風が吹いたら桶屋が儲かるよりも筋が通らない。これを言って兄に不思議そうな顔をされてみろ。ジョンは今から墓穴を掘ってそこに埋まる自信がある。
「……なぁ、ジョン」
ジョンが胸の内でウンウン百面相をしていることなど露知らず、リチャードが目を伏せながらジョンに語りかける。ゆっくりでいいって言ったろ、もうちょっと待ってくれよ、と思いもしたが、リチャードの顔が見たことないくらい静かで真剣だったので、黙って聞くことにした。
「至らぬ兄なのはわかっている。特異点でも、お前を守るつもりで結局命を救われたのは俺の方だった。本当にふがいない。……こんな俺を許してくれ、なんてことは言えない。ただ、ただそれでも、お前が消えるのは耐えられない。……だから教えてくれ、ジョン。何がお前に命を投げさせた?あの場には俺とお前しかいなかった。俺が、原因なのか?」
リチャードは珍しく殊勝な態度を取っていた。頭を垂れて、祈るようにジョンの手を握る。俯いた顔からは、表情が見えない。
哀れな姿だと思った。あのリチャードが、怖いもの知らずの獅子心王が。家族の死には、ここまで動揺してみせる。ごめんなさいと、もうしませんと、言うべきだろう、本当なら。でも。
「別に」
俯くリチャードに、ジョンは呟いた。
「別に、貴方のためなんかじゃ、ない」
ばっとリチャードが顔を上げる。何を言っているのかわからない、という表情をしていた。
リチャードが思いのほか傷ついていたことに、ジョンは驚いていた。ここまで兄を傷つけたことを、反省もしていた。意趣返しのつもりだったが、それにしたって少しばかり、カウンターが強すぎたことも理解していた。結果的に方々に迷惑をかけたことだって、ちゃんと悪いと思っている。
「僕は……。僕は、僕は、貴方のためなんかじゃなく」
それでもジョンには、この兄に言わなければならないことがあった。だってそれは、ずっとジョンの根幹にあるものだから。誰にも、兄にも、曲げられることを許さない、ジョンの存在の、核の部分。
「僕は、僕のために、貴方に心臓を差し出した。それは結果的に貴方を生かすことに繋がった。でもそれは、貴方のためじゃなくて、僕がそうしたかったからだ」
射抜いてやる、というような気持ちでリチャードを見る。生前はついぞ届かなかった、その瞳。自分の存在を、在り方を、ついぞ理解しなかった、その瞳。それに挑みかかるように、ジョンは兄の瞳を仰ぎ見る。愚かだと思う。自分を想う兄になんてことを、と言われることだってわかる。でも、それでもジョンは、今回のことで兄に流されてやるわけにはいかなかった。リチャードが自分のためにジョンを逃がそうとしたみたいに、ジョンは自分のために、リチャードを生かしたのだ。だから、「自分のせいか」と問うリチャードに突きつけるのは、もちろん否定の言葉であるべきだった。
「思い上がるなよ。僕はサーヴァントになってからずっと、僕のために生きている。だから、もう二度とやるなと言われたって、頷いてやらない」
言った。言い切った。兄が理解するかは知らない。どう思うかも知ったことでは無い。ただ聞かれたことに、心のまま、正直に答える。それだけだ。
「でも」
ぼすっと、兄の胸に寄りかかる。繊維でできた服なので、質感が柔らかい。だから、勢いよく寄りかかってみても、固い鎧が頬を引っかくことはない。柔らかい布の奥から、人肌の温かさを感じる。エーテルでできた心臓が、正しく脈打つ音がする。
「……貴方を泣かせたことは、謝ります。……ごめんなさい、あにうえ」
兄が身じろぐ気配がした。動揺しているのが、なんとなくわかった。兄の両腕がそろそろと持ち上がり、少し空中をさまよって、やがてジョンの背中に恐る恐る着地する。は、と息を吐きながら、リチャードがジョンの肩に顔を埋めた。
さっき射抜いた兄の瞳を思い出した。湖面のような瞳を思い出した。水面が揺れるみたいに、膜を張って揺れる紅い瞳を思い出した。こんな顔を見るのは初めてだと思った。ジョンも兄の背中に腕を回す。ビクッと兄の肩が震えた。失礼だなと思ってちょっと腹が立った。獅子心王が弟の挙動に怯えるなよ。
腹が立った勢いのまま、兄の背に回す腕の力を強くした。それに呼応するように、兄もジョンの背に回す腕に力を入れる。それは抱きしめるというようなものではなく、最早締めあげられてると言ってもいい。ぐぅ、と呻きたくなるのを意地で飲み込んで、負けてなるものかとジョンもますます兄に抱きついた。肩に顔を埋めたリチャードは、さっきからずっと黙りこくっている。ただ湿った呼吸が、首元に感じられるだけだ。
そうしてどれほど経っただろうか。
「もう二度と」
リチャードが首元でぽつりと呟く。掠れて、低い声だった。
「もう二度と、こんなことをしないでくれ。……お前が自分のわがままを通すなら、この兄もわがままを言う。二度とするな、こんなこと。本当に、もう、二度と……」
はぁ、と湿ったため息が耳のすぐ下で聞こえる。怒っているような、悲しんでいるような、あるいはそのどちらも押さえつけるような、そんな声だった。ジョンは頷かなかった。
平行線だ、ずっと。兄と自分は、平行線。お互いにお互いの言いたいことを言う。我を通す。自分は間違っていないと思っている。だから、平行線。お互いの、命に関わることですら、二人の意見は合致しない。
そんなものなのだろうな、と思う。そんな関係が、自分たちの運命なのだと。白い天井を見上げる。無機質な天井は、見ていても特に面白くはない。でも兄はまだ動かないし、自分も動くのが億劫だから、もうしばらくだけ、眺めている必要がありそうだ。白い天井を眺めていたら、ふとあの黒い影を思い出した。胸を裂くジョンを気遣わしげに見た、あの影。なぜだかあれにも褒美をくれてやらないと、と思った。今は静かにしているが、兄とのことが一段落したら、あれへの処遇を考えよう。
何が良いだろうか。じんわり温かい兄の体温に包まれながら、考えた。手持ち無沙汰なので、兄の背中をさすってみる。そうだ。あれの背中もさすってやろう。影に背中があるのか知らないが、顔があるようなのだから、多分あるのだろう。なぜだかジョンには、それが影への褒美にぴったりだと感じられた。
兄はまだ首元から顔を上げない。どうやら泣くのを我慢しているらしい。どうやって決壊させてやろうかななんて考えながら、ジョンはぐず、と鼻をすすった。

— End —

Comments 14

語彙力がミジンコ1 天前

( i꒳i )最高です

みや田2 天前
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アディス3 天前
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*陰雪*3 天前

凄い!最高!!!あまりに理想のリチャードとジョンの関係でこれ程、上手く描ききれているのにキャラ分からないなんて言うことありますか……?? いや本当、作者様、この世に生まれてきてくださってありがとうございます!!!

ねこ辺境伯3 天前
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カエト3 天前
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3 天前
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R
rena3 天前

心から愛しているけどだからといって己を曲げたりしない所がそっくりな兄弟。 永遠に平行線なんだろうけど、だからといって一緒にいれないという意味ではないので喧嘩しつつも一緒にいて欲しい気持ち。 影は兄上の残滓っぽいのにジョンが気づいていないのも味…。 素敵なお話ありがとうございます!

桜鈴3 天前

めちゃくちゃ最高でした! 出来ればリチャード視点も読みたいです!

いくら3 天前
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Sakuria
Where every work blooms
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