「アンタ誰だ」
今、私は社会的な死が迫っている。
端正な顔立ちの青年が、腹に乗り上げ、両手は彼の片手で一纏めにされ、もう片方の手は緩やかに首を締め付けられている。
いや、身体的な死も迫っているかも…。
事の発端は、目が覚めたら見知らぬ場所で、横には見知らぬ青年がいてしかも怪我をしていた。
とりあえず持っていたハンカチを巻いてみたが血は止まらず、そうこうしている間に雨まで降ってきた。濡れないように動かそうとしたところで、これだ…。
蛇に睨まれたカエルのような気持ちで、心臓がキュッとなる。
「怪しいものでは…いや、あの、ケガしていたから、治療を…」
「あ?」
「ほ、ほんとうなんです!」
半ば涙目になりながら、目前で凄む青年の腕の方を目で訴えかけるように見る。
彼はわずかに視線を動かし、私が見つめた方を見やると、そこに巻かれた場違いなハンカチに気づいたのか、拘束が緩まった。
そして罰が悪そうな表情を浮かべ、私の身体をぐっと引き上げ
「あー…悪りぃ…、こんな風に疑うべきじゃなかったな」
「立てるか?」という言葉と共に引かれた腕は、
思ったより強い力で、動きについていけずに上半身がぐらりと傾く。
彼はそれを見越していたかのように、抱き止めるように肩に手を添えられ座らされた。
私が座ったのを見て、青年も近場で腰を下ろした。
こちらを見る青年と目があったかと思えば、その視線が下から上まで、さっと動いて、何となく詮索されるような感覚に、落ち着かず逃げるように足元を見る。
視界の端に見える、彼が動く気配がして、再び目を向ければ
自身の懐から小さな丸薬を一つ取り出すと口にいれ咀嚼した。
表情には出ていないが、青白い顔から汗が滴り、目が据わっている。
かなり体調が悪いのではないだろうか…。
「何か、手伝えますか?」と青年に問いかけてみる。
するとミントグレーの髪から覗く、赤と青が混ざった夕焼けみたいな不思議な瞳が
驚きを浮かべた。
ひどく緩慢な動作で壁に背を預け、こちらに視線を合わせる。
そして「助かる」と、僅かに声を和らげ短い返事をした。
今までの高圧的な態度とは違い、何となくこの青年の人間らしい一面を見た気がして、こちらも僅かに気持ちが緩まる。
「…じゃあ、俺の右足にあるベルトを解いて、右肩の付け根部分に、なるべく力をいれて巻いてくれ」
「…はい」
社会的に死なないだろうか?
初対面の青年の足につけられた用途不明なベルトを解くミッションは、社会的な死に近づいてしまう気がする。
これは救命活動の一環…。
心の中で念仏のように唱えながれ、ベルトを外す。
合間にどうしても太もも部分に手が当たってしまい、居た堪れず謝罪の言葉を口すると「ふーん、アンタわざと触ったのか?」なんて聞いてきた。
全力で首を横に振って、両手をあげ降参のポーズと共に、距離を取れば
「ははっ、良い反応だな」
と愉快そうに目を細めた。
揶揄われたらしい…。
「ああ、悪い。物盗りにしては鈍臭えから、つい」
「泥棒じゃないです!」
「おーおー、むくれるなって悪かった」
***
「つまりアンタは何か?この大陸外からやってきたと?」
「大陸というか……世界ごと違うかもしれないです」
「世界ねぇ…。ふーん…じゃあ、証明してくれ」
傷の手当が終わり、焚き火を囲みながら、
お互いの現状を確認しようとなったものの、
斜め前の彼の問いかけに、火の揺らめきから目を離し相手を見やる。
赤と青の夕焼けみたいな瞳に真っ直ぐ見られると、何だかソワソワしてしまう。
彼は口に弧を描いているものの、どこか貼り付けたような薄らとした笑みだった。
そう目だ。目が全く笑っていないのだ。
あれ、もしかして私を頭がおかしい不審者としてみられている…?
これは由々しき自体では?
頭を駆け巡る"異世界から来た証明ってなんだ?!"という疑問に焦っていた。
「えっ、と……喋る機械を、スマホもっています!」
「喋る機械?そんなもん、ここにもある。次」
「えっ?!!?…えっと…ふ、服装が違う」
「確かに違うが、似たような服をフォンテーヌで見た事がある。次」
「ぐっ!ええっと…あ!独自の文字が、あります!!!こんな感じの…」
「……稲妻式か?…」
「いなずま?」
「…もう一度、ここにきた経緯を説明してくれ。」
「えっと…仕事にいく途中で、手紙をもった兎が木のウロに…」
「もうちょい先だ」
「目が覚めたら、貴方が隣に倒れていた」
「その間は?」
「間は…意識がなかったので…分からないです」
自分でもどんどん声が小さくなってくのが分かった。
どうしよう…証明できなかったかもしれない。
私はノロノロと落ちていた視線をあげ、斜め前に座る青年をそっと見た。
視線が合う。彼は何かを推し量るように瞳を細めた。
その表情が抜け落ちたような真顔と、冷え切った視線に一気に心臓の鼓動が早鐘を打つ。
反射的に身体が退いた。
本能的にこの男が危険だと告げるように、肌がぞわりと逆だった。
「アンタが嘘をついていないのは、分かった」
「はっ!ぁ、よかったー…!」
「本当に嘘をつくなら、逆にもっと辻褄が合うようにつくしな」
先程までの凍てつく眼光が嘘のように、彼はニコッと笑って見せた。
ドッと心臓が早鐘をうち、冷や汗が背中を伝う。それくらいに、彼から感じる威圧感がすごかった。人はあれを殺気と呼ぶのかも知れない…。
「アンタが世間知らずの平和ボケしたお嬢さんって事も分かった」
「…あれ、いま私、悪口いわれてます?」
「あー…、迷子のアンタにいっても意味がないだろうが、この場所は一般人が易々と来れる場所じゃねぇ。ましてやアンタみたいな、弱っちぃ…か弱いお嬢さんがここにいるだけで、不審でしかない」
「へー…、あ!それこそが証明になりませんか?!気づいたらここに居たっていう」
彼は私の言葉に、逡巡しているようだった。
「まあ、いい。とりあえず、アンタには怪我の手当てをしてもらった恩もあるから、安全な場所まで送り届けてやるよ。」
「ありがとうございます…!」
「ただ…、さっきも言ったが、ここは一般人が来れるような場所じゃねぇ。拠点からも大分離れている。道中の安全は保証出来ねぇから、アンタにも身を守る術を身につけてもらう」
「は、はい…」
「聞いた感じだと、物理的な外敵が全くいない生活だったって事か?」
「そうですね…野生動物に襲われる心配は基本的にない暮らしでしたし…事故やトラブルに巻き込まれない限りは安全でしたね」
「本当にお嬢さんだな」
彼は軽口を叩いて口角を上げた後、一瞬考えるように素ぶりを見せた。
今の私としては”面倒くせぇから、やっぱ置いていく”とか言われるのだけは絶対に避けたい。
彼にはまだ、名前さえも教えてもらっていない。
若そうに見えるが、私の言動に齟齬がないかや、ちょっとした仕草でさえ観察されているように感じる。
冷静で疑り深く、サバイバルの知識が豊富だ。そういう状況に長く身を置いてきた人なのだろう。
(この人の怪我の手当も、火起こしも、全て的確な指示があって私はその通りに動いただけだし)
状況判断次第では、この人は冷静に人を切り捨てもするように感じる。
そう思うと、今の時点で私の状況は控えめにいって最悪なのだ。
「あの…最大限、足手纏いにならないよう努力しますし…食事の準備や火おこしくらいは頑張るので、置き去りにはしないで欲しいです」
この状況で、自分が交渉材料として出せるものがほぼない。
「あなたの指示には従うので…」
青年はその言葉に眉を潜める。
不思議な色の瞳は細められ、鋭い眼光に睨みつけられる。
何かまずい事を言ったのだろうかと、自分の言葉を反芻する。
「じゃあアンタ、俺がここで脱げって言ったら脱ぐのか」
青年の言葉に思わず体がピシリと固まる。
まさか、そういう事を言われるとは露程にも思っていなかった。
それはそういう意味で、そういう事をしろという事だろうか。
自分の服を握りしめたまま、足元に落ちた視線が戻せない。
「つー事を言うような輩もいるから、どこの誰かも分からない相手に”指示に従う”なんて、軽々しく言うのは止めておけ。“身ぐるみ剥いでください“って言ってるようなもんだ」
「あ…は、はい」
低い威圧的な声色から、柔らかく落ち着いた口調で話す青年に、のろのろと視線をあげる。
彼は全く笑っていない目で、表面的に口端だけあげて、そんな事を言ってきた。怖いよぉ…。
私は握りしめていた拳を、ゆっくりと息を吐きながら解いていき、なるべく落ち着いた声色で
「…でも…もし、あなたが本当に私をどうこうしようと思うのなら、こんな忠告もせず、もう、どうとでもしているでしょう?」
彼はパッと顔をあげ、一瞬僅かに目を見開いて表情を緩めた。
「ははっ!世間知らずのお嬢さんだが、よく見てるじゃねぇか。」
快活に笑い飛ばすと、口端をあげて楽しそうにこちらを見た。
そして来ているジャケットを僅かにただし、背筋を伸ばすと右手を胸に、左手を腰にそえ
「自己紹介がまだだったな。
俺は西風騎士団 所属。第5番隊 副隊長のローエンだ。短い間かも知んねぇが、よろしくな お嬢さん」
その所作がこちらに敬意を示している事と、差し出された握手に、ようやく私はほんの少しだけ安心感を抱いた。
ここから先の道のりが、自分の想定にない程の過酷な旅になるとはその時は知る由もなかった。






















