相変わらずオリジナル色のつよつよなお話です。
雑渡家の事情や双子の扱いなどもろもろ捏造です。あと今回かっこいい雑渡さんはいません。
大丈夫なようであればどうぞ。
かつてこの国の主は何を願い、何を誓ってその名を付けたのだろう。
烏の子らの声が山間に響いている。
山の端に金色が溶けて空が火の色に染まり、山間にあるこの里は帳が被せられるように夜を迎えようとしている。
目の前に伸びる一本の畦道に茜がさしていた。
その途中にぽつんとひとり、童がこちらに顔を向けている。童から影が長く伸びて、こちらの足を攫むように届いていた。
「おまえはだれだ」
その声はぞっとするほど冷たかった。
後退ろうとした足がその場に縫い付けられたように動かない。
「どうして、あいつと同じ顔でそこにいる」
童を縁取る金色が、童の顔を塗り潰す影がとても怖かった。
童が真っ直ぐこちらを指差す。
「そこはお前の場所じゃない」
目が覚めた瞬間、寝巻きが汗でぐっしょり濡れていて、まずその不快感に気づいた。
短い呼吸を何度か繰り返し、そのまま虚空を見つめたままでいた。
襖の向こうから鳥の囀りが聞こえてくる。
もう、この夢も何度目だろう。
水無月。タソガレドキ忍軍は普段になく浮き足立っていた。
はじまりは組頭の細君に翳りありという噂だった。大層な愛妻家として名を馳せている当代の組頭は実に忍びらしくない忍びだ。忍務の際は私情を一切排した采配を振るうくせに一度気を抜けば二言目には妻の惚気話をし、元々病いで臥しがちな細君をよく気に掛けていた。当代のそういった人間臭い部分に惹かれた者は多い。
福利厚生などあってないような職場であるが慣例なんてなんのその。有給を意地でももぎ取り、隙間を見つけては足繁く屋敷に戻っていた。
意図してそう振る舞っていたのかは分からないが、上司のそういった姿勢もあって下の者達も休みを取りやすくなったのは余談である。
話は戻るが、その細君があと半年も保たぬという。
組頭自身、もう定年間際であったということもあるが、細君の最期は傍にいてやりたいから近いうちに組頭を下りる、との触れが瞬く間に広まった。
辞めることないではないか、休むだけでは如何かという声も当然あったが、「俺は腑抜けになる自信がある。腑抜けで組頭は出来ん」と謎の自信を持って組頭はきっぱりと言い切り、この話は仕舞いとなった。
城内の詰所で雑渡は毎度お馴染みの薬師と顔を突き合わせていた。格子の向こうでは屋根を穿つような雨音が響いている。
「やだねえ、またこの季節だよ。包帯が蒸れるんだよねえ」
「マ、梅雨が明ければ熱地獄だけどな」
「殿がクソ暑い時に合戦するぞなんて言い出さないことを願うよ」
「同意」
包帯を一心に巻きながら薬師も大きく首肯する。城付きの薬師とはいえ戦となれば薬師も駆り出されるのだ。残念ながら夏の合戦は数年後起こってしまうがそれはさておき。
「で、どうなんだ」
「何が」
「次期組頭だよ」
薬師が真っ向からそう聞けば雑渡は不快を全面に表す。
「お前までやめてくんない」
「残念だがこういうのは外野が一番楽しんだ」
「こっちはずっとピリピリしてんのよ」
当代の組頭は狼出身、その前も狼だった。ここに来て次期組頭候補として浮上しているのが雑渡、そして月輪小頭である田鹿という男だ。三代続いて狼は不味い。しかし黒鷲と隼は後進が育っていないことを理由に早々に辞退しこの二者が残った。残ったというか半ば強引に台に引き上げられたというか。
雑渡本人としてはまだ復帰してから大して時間も経ってはいないため、成果のようなものもあげてはいないのだ。そして月輪との確執はこれ以上避けたい。つまり今回は見送りたいのだ。
過去に高坂の一件があってから、月輪とはそこまで関係がいいとは言えない。しかし田鹿と雑渡、この二者、悲しいことに傍目から見ても人望の差が明らかなのである。雑渡を推す声があまりに多く、それが余計に田鹿を刺激してしまう。
面倒くさい。本当に面倒くさい。
「別に陣左が悪いわけではないんだけどさ。陣左は、昔から田鹿の秘蔵っ子だったのよ」
「なるほど。高坂家と田鹿が大事に大事に育てていた子をお前が横から掻っ攫っていったわけだな。それは恨み言の十や百も言いたくもなる。可哀想に。誰かさんが復帰する時期がほんの数ヶ月違えば、あいつが順当に組頭となっただろうに」
「煩いな」
田鹿は人として出来が悪いわけではない、むしろ隊の小頭を任されるくらいには実力もある。なのに間が悪いというか、運の悪い男なのである。
それを泳がせている甚兵衛も人が悪ければ、後は宜しくとさっさと逃げそうな当代も当代である。
「もうさあ、お前、無理矢理診断をでっち上げるか、殿に進言してよ。まだ火傷の経過がよくないので組頭は無理ですとかなんとか言ってさあ」
「俺に誤診をしろと? ざけんな。てめえのケツくらいてめえで拭きやがれ」
「味方がいない……私って可哀想」
演技なのか本気なのか、雑渡はさめざめと両手で顔を覆う。
そうこうしている間に包帯を巻き終えた薬師は、記録の為に筆を走らせながら、忍服を整えている雑渡の背中についでのように投げかけた。
「ところで俺に福狼丸を預ける気にはなったか?」
「んなわけないでしょ。まだ言ってんの」
「チッ。悪いようにはしねえのに」
「うちの跡目だって言ってんでしょ」
「あ。そういや、山本から聞いたが、あいつもう毒慣らし始めたの。尊奈門だって最近だろ、始めたの」
薬師の言う通り、本来なら毒慣らしは体がもう少し成熟してから訓練が開始される。しかし福狼丸も尊奈門も雑渡の看護期間の分だけ遅れているため、山本や高坂と話し合いながら優先的に必要なカリキュラムが作成され、実戦に出た時の危険回避のため毒慣らしが優先されることとなったのだ。
ちなみに尊奈門は先日「雪隠くん」という不名誉な渾名をもらったくらいには立派に訓練中である。
「まあ、ちょっと早いんだけどね。色々遅れてるから、全部少しずつ始めようかと思ってね」
「マ、そうか。分かった。何かあれば知らせろよ。あと危険なやつだけは俺の目の届く範囲で試せ。ここに泊まり込まらせてもいい」
「はいはい」
致死率の高い薬など、取り扱いの難しい毒は薬師の監督の元で少量ずつ、万全を期した状態で慣らされる。
そういった監督もこの薬師の管轄だ。
子が毒に苦しむ姿は哀れではあるが、これも死なないためなのだ。
そんな折りに山本の家に六番目の子が生まれた。ここのところくさくさした空気だったため、降って湧いた慶事を雑渡は素直に喜び、福狼丸を連れて山本の屋敷を訪れた。
先日毒慣らしが開始された福狼丸はここのところ体調が安定しなかったのだが、赤子を目に入れて目をぱあっと輝かせた。
「わあ」
「まあ、福狼丸。赤子を間近で見るのは初めてですか」
「はい。計ってもよいですか。計りたいです」
「勿論です。抱いてみますか」
「よいのですか!」
まだ産後ひと月も経っていないが、山本の奥方は元気に動き回っていた。六人目となると慣れたものなのだろうか。奥方に支えられつつ、首も腰も座っていない、どこもかしこもふにゃふにゃの小さな生き物を福狼丸は腕の中におさめると、「すごい。あったかい。すごい。動いてる。生きてる」とまるで未知の生物との邂逅のように感嘆の声をあげる。その姿を山本も雑渡も微笑ましく眺める。
里には当然赤子や幼子もあちこちにいるが、福狼丸の身近ではこれまでいなかった。福狼丸に関わる人物を雑渡達が意識的に制限してきたためだ。そういう意味では、山本の家は福狼丸は勝手知ったる第三の実家と言えるくらいには馴染みがある。ちなみに第二は城の医務室だ。
「福狼丸。ほら、こうして抱くんだ。こうすれば長い時間抱いても腕が疲れないからな」
「ちょっと、揺らしちゃダメ! 可哀想でしょ!」
「ぼくも、ぼくも抱っこする!」
山本の倅や娘達が新しい人形とでも思っているのか、福狼丸と赤ん坊を囲み喧々囂々と実に騒がしい。
女中の老婆がその様子にこら、坊ちゃん達、と睨め付ける。雑渡と福狼丸が来るからというのもあってか、山本家は普段に増して賑やかである。
「驚きました。背が一尺七寸くらいしかないです……襁褓までこんなに小さいのですね。赤子とはみんなこんなに小さいのですか」
「そうだ。だが一年で一尺ほど伸びるぞ」
「い、一尺……一尺七寸が……?」
はああ、と何度も福狼丸は感嘆のあまり息をこぼす。
福狼丸が幼い頃過ごした寺には福狼丸の他に稚児は何人かいたが、福狼丸が知る限りは赤子というより子どもになってから寺に預けられる場合が多かった。福狼丸が赤子の手に自身の指を比べようと近づければ、きゅっと五本の小さな指で握られる。これが大きくなると大人になるのかと考えると、信じられない心地だった。
「福狼丸達はもっと、ずっと小さかったぞ」
山本の倅がふとそう言った。
きょとんとして、福狼丸は顔を上げる。
「福が生まれた時をご存知なのですか」
「うん。みんな騒いでいたからな」
「ーーー坊ちゃん達、そろそろ鍛錬のお時間ですよ。ご準備なさいませんと」
老婆がその続きそっとを遮る。
老婆に角が生えると怖いので、倅達は渋々退席していった。老婆もそのまま倅達について一礼して部屋を去っていった。
それと同時に赤子がふやあ、とぐずり出したので、そのままの流れでお開きとなった。
屋敷に戻るまでの道を雑渡と福狼丸はだらだらと歩いていた。
屋敷を出てから福狼丸はぼんやりとしていて、どこか心ここにあらずという状態である。
さてどう声を掛けたものかと雑渡は決め倦ねていた。
純粋に祝う気持ちで山本の元を訪れたのは確かだった。福狼丸に赤子を見せてやりたいという気持ちも。しかし柄になく雑渡は失念していた。福狼丸の出自は特殊な上、生まれた時の話題は地雷となりうる。そして、雑渡や山本達もこれまで敢えてそこに触れてこなかった。
「父上」
「ん、何?」
「父上は……赤子の頃の私に、会ったことはありますか」
「一応、ね」
兄の大事な第一子の誕生だったのだ。
勿論、雑渡も初めての甥の誕生を喜んだ。喜ぼうとした。畜生腹でさえ、なければ。
この里では双子が生まれた場合、はじめに生まれた方を蛭子に見立てて間引くことで厄祓いとし、後に生まれた方を育てるのを習わしとしている。
しかし曲がりなりにも雑渡家の子。殺してしまう決断を兄は出来なかった。そうして人知れずそれなりの寄進とともに寺に片割れを預けた。だから福狼丸の存在は兄に近しい者達だけの秘密だった。
そんな赤子だ。生まれた当時、兄達も扱いかねて福狼丸は忌避されていた。雑渡自身、赤子の頃の福狼丸を抱くどころか触れた記憶すらない。
記憶にはないだろうが、山本家の子のように兄弟に囲まれ、祝福されたことが福狼丸にはないのだ。浅慮だった、申し訳ないと帰り際に山本に謝られた。
「ーーーでは、福の、」
言い淀む様子に嗚呼、と雑渡は思う。
「福の片割れは、どんな子どもでしたか」
そういえばこの話題を本当に福狼丸にしたことがこれまで一度もない。必要ないわけではない。しかし恐らく重荷になると、無意識に避けてきたのだ。思わず声からすっと色が抜ける。
「……それを聞いて、どうするの」
「ちょっと気になるだけです」
「お前にあまり、その話はしたくないんだよね」
「気になるんです。私に似ていましたか」
雑渡はどうしたものかと息を吐く。
事実、福狼丸の片割れは本当に福狼丸によく似ていた。同じ顔だとは思わないが、寺で雑渡が福狼丸に再会した時に一目で分かったくらいにはとてもよく似ていた。よく笑うし、よく泣く子だった。背の高い雑渡のことを怖がって遠巻きにしていることが多かったが雑渡から見ても可愛い甥だった。しかし、それを福狼丸に伝えたとして何になろう。福狼丸が家族に捨てられた事実は変わらないのだから。何を言ったところで何の慰めにもならない。傷つけるだけだ。そういう意味で口を開いた。
「どんな子どもだったとしても、お前がどうこうする必要はないでしょ」
「……そうですか」
ぱたん。
そんな音と共に福狼丸が心を閉ざす音が聞こえた気がした。不味い。多分今、地雷を踏み抜いた。何か決定的に行き違いがあることを雑渡は本能的に悟り、血の気が引く。
「ごめん、福。私が悪かった。よくわからないけど悪かった。話してみなさい」
「………別に、いいです」
「ちょっと尊奈門! 尊奈門いない!? 助けてそんなもーん!!」
尊奈門は流石に呼ばれては出てこなかったので、雑渡は福狼丸を抱えて諸泉宅に駆け込み、同じく山本家の赤子を見るために帰省していた尊奈門の部屋に福狼丸を放り込んだ。
突然やってきた福狼丸と、普段では見られない雑渡の慌てように尊奈門は目を丸くした。
「え、ど、どうしたんだ? こ、小頭は?」
「……」
雑渡が出ていった障子と呆然としている福狼丸を見比べて尊奈門は現状を把握しようと努めた。そんな尊奈門を目の前にして肩の力が抜けたのか、福狼丸はぼろぼろぼろと涙を流し始めた。
「どうした、福。どこか痛いのか?」
「うええ……」
「ほ、本当にどうした?」
「何をやってるんだ、お前は」
「いやホント何やってんだろ私」
がっくりと項垂れた雑渡に、諸々の事情を聞いた山本は思わずそう言い放った。
諸泉が、今晩は福狼丸をうちで預かるから山本のところに行って愚痴って来いとお達しがあったため、雑渡は山本宅に蜻蛉返りした。
「もう少し言い方というのがあるだろう」
「はい」
「先回りしすぎて福狼丸の気持ちを置いていくな」
「ごもっとも」
「まあ、ここのところ気が立っているからというのもあるだろうが」
「申し開きのしようもありません」
自宅ということもあり、山本に普段の堅苦しさはない。非番の時はこうして二人、昔に戻った時のように酒を片手に肩肘張らぬ付き合いに戻る。
「尊奈門がうまく宥めてくれるといいが……」
「困った時の尊奈門療法だからね」
「とは言え、私も配慮が足りなかった。それに関しては謝る」
「いやそこは謝んないで。めでたいことは事実なんだから。いつかは福にはちゃんと生まれた時のことを話さないといけないとは思っていた。けどこの三年色々あって伸ばし伸ばしにしていた。私が悪いんだ」
「待て、昆。本当に、何も福狼丸に伝えていないのか?」
「うん。何も」
「五年もあって?」
「周りが落ち着くのを待とうとは思ってたんだけど、どうにも、ね」
雑渡自身、忍軍では信頼も厚く、手放しに雑渡支持する者も多い。そんな雑渡を懸命に看護し続けた福狼丸に向く感情も現在は比較的好ましいものが多かった。福狼丸へのそういった評価は雑渡にとって嬉しい誤算だ。
だが、もし福狼丸が雑渡家の当主、なんなら自分達の組の上に立つとなった時に、忌避する者達は恐らく多い。
何故なら福狼丸は忌み子として生まれたからである。
実力も人格も、人の上に立つには必要だ。しかし人々は大きな変化の際に験を担ぐ。想像しているよりも遥かに大いなるものへの畏怖が強いのだ。
「城にいる者達は兎も角、里の女子どもから忌み子の印象を剥がすのは難儀するな」
「それもあって、里の子ども達とほとんど遊ばせてないものね。福には可哀想だとは思うんだけど」
「……致し方あるまい」
「私のこの火傷だってさあ、福を家に招いたから祟りが起きたのだとかぬかす連中いたもんね。黙らせたけど」
なんなら兄家族の死でさえも祟りだとでっちあげようとする輩もいた。馬鹿馬鹿しいにも程がある。
当然、福狼丸の耳に入れないようにはしている。
「あんなに、いい子なのになあ」
「ちょっと趣味の方向性が変だけどね」
「いい子だよ。お前に全然似てなくて」
「ひど。私だってとっても可愛くてよい子だったし」
「年上だろうと年下だろうと片っ端から力で捩じ伏せていたやつがか?」
「弱いのが悪い」
「ああ言えばこう言う」
「だからさ。早く福に実力つけさせて、誰も文句言えなくしないとね。弱いままじゃあの子は生き方を選べない」
「ああ、そうだな」
福狼丸を自分の運命に巻き込んだのは雑渡だ。俗世に呼び戻したからには責任を持って自分が育てると誓った。厄を呼ぶ象徴として生まれたのではなく、幸運を運ぶ存在なのだと証明してやるのだと。
「尊兄さまは、福の片割れと会ったことがありますか」
水を飲んで少し落ち着いた福狼丸は、開口一番にそう尋ねた。尊奈門は少し動揺して固まったものの、冷静に頷いた。
「ある。福によく似ていた」
「………そうですか」
明らかに、いつもの福狼丸ではなかった。
夢中で趣味に興じて周りを振り回している姿とはかけ離れていた。
数日前に会った時までは普通だった。それなのに、何がこれほど福狼丸を不安定にしたのか。
「どうした? 誰かに何か言われたのか」
「………夢を見るのです」
「どんな?」
「こちらに来た頃の、夢です。『あいつと同じ顔で、何故そこにいる』と知らない子どもが尋ねるのです。けれど、何も答えられなくて……いつも、そこで目が覚めます」
尊奈門は言葉を失った。
尊奈門が福狼丸の兄代わりとして呼ばれたのも、そういった事から福狼丸を守るためだった。福狼丸の片割れ、つまり本来であれば正当なる雑渡家の嫡男はこれからの忍軍を背負う者として育てられた男児だった。尊奈門だって、彼を助け導くのだぞと父から教えられて育ったのだ。しかしその嫡男は病いで呆気なく死んでしまった。死んで、しまったのだ。
尊奈門でさえ嫡男達の死には動揺した。しかし比にならぬほど、彼の乳兄弟達は喪失感が大きかった。福狼丸を牽制したのは間違いなくその乳兄弟らだろう。
誰が悪いわけでもない。乳兄弟達も幼かったし、気持ちの整理もつかなかったのだろう。しかし尊奈門の知らぬ場所で福狼丸が傷を負い、それに気づけなかったことは事実だ。
「山本殿も高坂殿も、尊兄さまも福に優しくしてくれます。けど、昔から時々、遠くで怖い顔をしている人を見かけます。福は、もしかすると本当は、本当はーーーここにいてはいけないではないのかと、思う時があります」
「っ、福!」
尊奈門は反射的に怒鳴った。
「お前は福。私の弟分は福だけだ。お前の片割れなどではない。お前の居場所はここだろ!」
声を荒げる尊奈門を福狼丸は泣きそうな顔で受け止める。
「福も、そう思いたいです。尊兄さまだけでなく、きっと父上だってそう言ってくれます。困らせているのは、分かっているんです。でも、福が最初から『代わり』として連れて来られてるのも、分かってるんです」
「……だとしても!」
「福の片割れが生きていたら……尊兄さまは、福の尊兄さまではなかったのですよね」
何故そんな悲しいことばかり言うのだ。どうして雑渡を信じられないのだ。それが事実だとしても、雑渡は福狼丸を大切にしているのは明らかなのに。
(一度捨てられた、という事実はそれほどまでに根強いのか)
過去は変えられないのは分かっている。
けれど福狼丸の不安を拭ってやれない自分はなんて矮小な存在なのか。自分は福狼丸の兄貴分なのに。朗らかな表情の裏でこれほどの膿を抱えていたことを何年も気づかずにきたなんて。
一体、何が福狼丸の不安を焚き付けたのか。山本の赤子を見に行ったことが、それほど福狼丸の心を揺さぶる出来事だったのか。
(ん?)
ふと、尊奈門は気づいた。
まじまじと福狼丸を観察する。泣きじゃくったせいで腫れた目元と、項垂れる様子に違和感を感じた。
「福、ちょっと触るぞ」
「? はい」
前髪を掻き分けて福狼丸と額に触ると、ぎょっとする程の高熱だった。
額に触れた手のひらがひんやりして気持ちいいのか、弱々しく目を細める福狼丸に尊奈門は思わず血の気が引く。
「ち、父上!小頭はどこですか!小頭を呼んで下さい!」
「何やってんのお前」
「いやホント何やってんだろ私」
上背のある雑渡ががっくりと肩を落とし項垂れるのも構わず、薬師は容赦なく叱り飛ばす。
福狼丸は依然熱が高く、別室で尊奈門が看病中だ。
「十中八九、毒の後遺症だろうが。体調が悪い時に餓鬼が不安定になるのなんて分かんだろ。変だと思わなかったのか」
「だって福が体調崩すなんて今まで全然なかったんだもん……」
「知るかボケ。何年親代わりやってんだ」
「五年です……」
「うち三年は看病される側だったのは仕方ねえ。男親だってのも分かってる。だがそれを差し引いてもテメェは親としての経験値はアリん子以下だと思いやがれ。動揺のあまり思わず尊奈門に子を預けて、尊奈門が真っ先に不調に気づくなんざ、親の風上にも置けねえぞ。雑渡。餓鬼はな、すぐ死ぬんだ。分かってんだろ」
「はい、返す言葉もありません……」
殊勝な態度で叱られるままの雑渡に、薬師は息を吐く。血相を変えて駆け込んできた雑渡とぐったりとする福狼丸を見た時、嫌な予感はしたのだ。
その後にやってきた尊奈門と山本の話を聞いて福狼丸に心底同情した。
普段、福狼丸は他人にあまり興味がない。誰かの影響を受けることが少ない、とも言えようか。良い意味で自分の世界を持っており、他人に目が向いていない。
しかし、その癖が福狼丸なりの処世術だったとしたら。外を見ないようにするために、頑ななほどに目の前の趣味に没頭するようになったのだとしたら、ある意味説明がつく。
福狼丸は恐れている。
「選ばれないこと」を、「自分の世界が壊れてしまうこと」を恐れているのだ。
(いつもあんな感じだから、すっかり騙されていたぜ)
福狼丸がいつもあっけらかんとしているので、雑渡自身もそれに騙されていたのだろう。雑渡だけではない。誰も気がつけなかった。福狼丸自身でさえ無自覚なのかもしれない。
薬師は思い出す。
福狼丸が雑渡を懸命に看病する姿を。家族を繋ごうとする姿を。
かつて、福狼丸は家族に選ばれなかった。
福狼丸にとって、雑渡はたった一人の家族ーーー世界の中心なのだ。
「しっかりしろよ、お前父ちゃんなんだろ」
「はい……以後、気をつけます……」
その姿を見て、薬師は笑みを漏らす。
誠に、親と言うものは子に育てられて親になっていくものだなと。

























