捏造のオンパレード。
全てを許せる方のみお進み下さい。
「あ、瀬呂帰ってきた!」
「おつかれー! すごかったよ試合!」
「激アツだったな!」
「いえーい、ありがとねー」
観客席、生徒用エリア。
控え室から一人で帰ってきた俺に、クラスメイトたちは興奮気味に労りの言葉をかけてくれた。
「お前ヤベーよ! あの轟にいいとこまでいったじゃん!」
「ワンチャン勝てるかと思ったぜ!」
「強すぎだよー!」
「いやぁ、むしろ轟相手だからあそこまでやれたというか? 俺めっちゃ氷結使ったからね。これが爆豪とかだったらキツかったわ」
「なるほど瀬呂くんのテープはトラップを作ったり不意打ちしたりするのに入り組んだ場所の方が戦いやすいのか……今回は一律で平地だったけどそれを轟くんの個性で生成された氷山や氷塊を利用することで解決したんだ。轟くんの氷結はトラップを作るのに十分すぎるほど頑丈だし流れを読んでテープを巻き込ませることができるなら移動だってより速くできる……一方かっちゃんみたいなザ・肉弾戦の個性が相手だったらトラップも移動も自力でしないといけないからテープの強みが大幅に落ちるんだ……!」
「ってワケよ」
「この状態の緑谷を驚くことなく説明代わりにするとは……」
「色んな意味ですごいな」
若干引いているクラスメイトたちの一方、フィールドでは飯田とサポート科……発目明の試合が始まっていた。この前の試合、上鳴は塩崎に瞬殺されたらしい。
俺が戻ってくる前に終わってんだから本当に一瞬だったんだろうなぁ、なんて思っていれば、ポケットに入れたスマホが振動する。
「ぉ、」
「成実ちゃんかしら」
「えっ。……分かる?」
「分かるわ。瀬呂ちゃん、成実ちゃんのことになると嬉しそうにするもの」
口元に指を当てた梅雨ちゃんの指摘は、完全に図星だった。発明品アピールタイムとなったフィールドは一旦置いといてチャットを返す。
「試合カッコよかったって。成実がそー言ってくれるだけで頑張ったかいあるわ」
「瀬呂ってほんとシスコンだよね」
「ね! しかもチョー大好きって感じ!」
「そーよ? 俺、妹のためならなんだってできちゃうからね」
「溺愛だな」
ウンウン、と頷いたのは俺ではなく周りの人たち。クラスメイト全員に成実の存在が浸透しているのは、もはや進学後の恒例行事だ。隠しもしない俺のシスコンっぷりを舐めちゃいけない。なんなら爆豪ズあだ名が ”シスコン” でもおかしくなかった。全然いいけどね。それはむしろ誇りですらあるし。
『今日は真っ直ぐ帰るよ』と締めくくったチャットには可愛らしい猫のスタンプが返ってきた。それにどうしようもなく笑みがこぼれて。
「────ッ、まだまだぁ!!」
どうしようもなく、抱きしめに行きたかった。
「おい!! それでもヒーロー志望かよ!」
「そんだけ実力差あるなら早く場外にでも放り出せよ!!」
「女の子いたぶって遊んでんじゃねー!」
第八試合、爆豪 対 麗日。その蹂躙ともいえる試合運びにブーイングが巻き起こる。中にはプロヒーローもいた。
猪突猛進に突撃する麗日、容赦なく迎撃爆破する爆豪。そこだけ見れば確かに一方的で、そして胸糞悪い展開だろう。……けれど。
「ヒーローもピンキリ、ってか」
「瀬呂? なんか言った?」
「いや、なんも」
『今遊んでるっつったのプロか? 何年目だ? シラフで言ってんならもう見る意味ねぇから帰れ。帰って転職サイトでも見てろ』
実況マイクを奪った相澤先生が釘を刺す。ピン側からのお言葉だ。
『ここまで上がってきた相手の力を認めてるから警戒してんだろう。本気で勝とうとしてるからこそ、手加減も油断も出来ねえんだろが』
ああ全く。この人はよく見てんな、本当に。
まぁそりゃ、ダメだよね。大人も子どもの顔をちゃんと見ないと。
「勝あアアァつ!!!!」
こうやって、子どもも出し抜きにくるんだからさ。
『流星群ー!!!』
上空から無数の瓦礫が降り注ぐ。それは齢十五の少女の覚悟。こうなった子どもはそこらの大人よりずっと強い。何故なら、ブレーキが効かないので。
「そんな捨て身の策を……麗日さん!!」
僅かに腰をあげるのと同時、緑谷が叫ぶ。なんだか少しおかしかった。今まで一番捨て身でやってきた奴が今更それを言うのかよって。
自由落下する凶器のエネルギーは加速度的に増す。瓦礫の一つ一つも小さくはない、簡単に肉を抉ってくるだろう。けれど彼女はそれを覚悟で突っ込んでいる。たかだか高校の体育祭で見せていい気迫ではなかった。そう簡単に止められるものでもなかった。
ならば、その捨て身を貫き通して。その上で、無事でいればいい。生きていればいい。
そして俺は、人間の肉体を死なせないことには自信があった。
*****
『────さっきの試合、すごかったね』
「ンー、そうね。あの流星群、全部爆破して迎え撃つとは」
『そっちじゃなくて。えーっと、ウララカさん? の方。すごい人だった』
「あーね」
トーナメント一回戦目が全て終了し、二回戦前の小休憩。人通りのない通路に俺の声だけが響く。
「成実に似てたなぁ」
『そお? 私はお兄ちゃんに似てると思ったけど』
「そりゃあ俺たちはソックリだからね」
『そっか、たしかに。……ただの体育祭なのにね』
「……ね。見てるこっちが怖くてさ」
『でも良かったね、お兄ちゃんの出番はなくて』
「ほんとそれな〜!」
少しおどけて言えば笑い声が電波に乗ってやって来て、それだけで無性に安心した。先程の試合でザワついていた頭の奥が静かになるのが分かる。
入学して約一ヶ月、クラスメイトたちは一人残らず ”他人” の括りから抜け出していた。俺ってば結構すぐ人のこと好きになっちゃうから。ヒーロー科が良い人らの集まりなのがいけない。
『お兄ちゃん、そろそろ時間じゃない?』
「ァ、そうかも。ごめんね急に電話して。声聞きたくてさ」
『んーん、私もちょうど思ってた。あっ、心操くんにも凄かったって言っといて!』
「オッケー」
最後に二言三言話して、通話終了。大きく息を吐く。
ダメだな、トーナメント戦になってから影響を受けすぎている。心操に、轟に、麗日。それに他の生徒たちも。それぞれの思いがあって、それぞれが全力で戦っている。周りのオーディエンスも騒がしくって仕方ない。その熱の、感情の、絶叫の渦に、記憶の中の子どもが身を固くしている。
「さて、と」
大丈夫。誰も傷ついちゃいない。俺の出番はない。
そう自分に言い聞かせて気持ちを持ち直す。そりゃそうだ、だって高校の体育祭だ。そう簡単に重傷者なんて出てたまるか。むしろ過剰に心配してる方が覚悟持ってやってる側に失礼だろって。気楽にいこうぜ。ニッと口角を上げる。これでいつも通り。
それじゃ、あとは。
「そんなとこで何してんのかな、緑谷くーん?」
「ヒョエッッッ!?!!?」
廊下の曲がり角へ向かって一瞬で距離を詰める。覗き込んだそこには目をまん丸にして飛び上がる緑谷がいた。
「アッ、あのっ、ごめん! 電話っ、ほ、ほんと偶然……!」
「いーよいーよ。人通るとこで話してたのは俺だし」
「でででもっ! カッ、コッ!」
「カッコー?」
「コッ、こ、こいっ、びと……との電話!」
「はい? コイビト、………恋人? ……プッ、ハハハ!!」
途端、声を上げて笑う。恋人って! だからそんな気まずそーにしてたの!
「アハハッ!……違う違う、ククッ……あんね、今の妹よ」
「えっ。い、妹……?」
「そーそー。何、なんで彼女だと思ったの?」
「さ、最後の挨拶、とか……声の感じとか……?」
「えーマジかー。愛しさ溢れちゃってたかー」
そりゃ仕方ない。だって実際に愛おしいんだもの。
一頻り笑って、ちゃんと訂正して、若干落ち着いて。「それで?」とあえて軽い調子で問いかける。
「えっ?」
「俺になんか聞きたいことあるから待ってたんじゃないの?」
「あ。……あの、瀬呂くんが……心操くんと友達だって聞いて、」
「うん、そーよ。中学の同級生。一緒に雄英受験してアイツがヒーロー科ダメだったことに俺が本気で落ち込むレベルで仲良い」
「ソンナニッ!」
驚きすぎてカタコトになっている様子にまた少し笑う。意外だよね、よく言われたよ。中学に上がってすぐの時も仲良いって言うとまぁ驚かれたし。
「だから、ごめんな。試合前お前らのこと避けてたわ」
「あ、イヤ、えっと……うん。そうかもって、尾白くんと話してた」
「だよね〜。でもさ、心操にA組の個性とか教えたりはしてないから」
「エッ! そ、そうなの?」
「心操がそーゆーの嫌がるんだよ。俺的にはそのへんも戦術の一つだと思ったりもするんだけど」
「心操くんって、……すごく、芯の強い人なんだね」
「そーなの。だからアイツにはヒーローになってほしくてさ」
ピキ、と緑谷の表情が固くなったのが分かった。あ、やべ。言葉選びミスったな。
「えええええと、その、ごっ、ごめ、」
「いや! ごめん。あんね、違うよ緑谷。それは良くない。どっちも本気でやった結果じゃん? 皆が全力で挑んでんだから、勝ったことは喜ばないと」
「そっ、……そっか。そうだよね、」
「そーよ? それに、心操は全っ然諦めてなかったし! アイツはさ、ほら。芯が強い男ですから?」
脳裏に浮かぶのは試合後の心操の姿。ちょっとばかし心配してたけど、全然そんな必要はなかった。ほんと。強いよ心操は。
「こんなん言ってっけど、俺は緑谷にも頑張ってほしいと思ってんのよ? クラスメイトだし」
「うっ、うん。頑張るよ!」
「でもなぁ。緑谷って無茶しがちだからなぁ」
「ウッ」
「んはは! まぁほどほどに頑張れ! 無茶しすぎんなよ〜」
「気をつけます……!」
手を振って緑谷と別れる。
もうすぐ次の試合────緑谷と轟の試合が、始まる時間だった。
「皆…本気でやってる。勝って、目標に近づくためにっ……一番になるために! 半分の力で勝つ!? まだ僕は君に傷一つつけられちゃいないぞ!!」
「全力でかかって、来い!!!」
────頑張れって、言わなきゃ良かったなぁ。
「……オイ、どこ行く」
「スゲーいいとこだけどちょっと電話」
立ち上がった瞬間声をかけてきた爆豪にゆるく手を振る。よく気づいたな、試合に夢中だと思ったのに。
そのまま会場から抜け出して、人のいない通路を全力疾走。スピーカーからは『モロだぁーー生々しいの入ったァ!!』とマイク先生の実況が響いていた。まだまだ終わる気配は無いらしい。
一度控え室に寄ってリュックを丸ごと引っ掴む。中身を取り出している時間が惜しい。
「────失礼します!」
バンッ!と扉を開けた先。
リカバリーガール先生は、治療器具の用意をしていた。
「ど、うしたんだい。怪我したのかい?」
「いいえ。すみません、誰もいないっスよねここ」
「ああ、今はあたし一人だが……」
「先生。個性の公的使用許可をください」
「何だって?」
入口から見えない位置にリュックを放り投げる。
そこから取り出した圧縮ケースの中には、七分丈の白衣。
「緑谷出久の緊急オペ、自分が行います」
体内テープで薄く伸ばした声帯は、瀬呂範太の声ではなくなっていた。
*****
「急いでリカバリーガールの元へ!」
『I know』
「頭を打ったかしら……最悪リカバリーガールに来てもらった方が、」
「代打が来ましたよ」
フッ、と意識が浮上する。視界はぼやけていた。
「! ……あなた、どうして」
「たまたま近くにいたんです。移動しながら処置します。……これはまた、重症ですね」
「っ、ゥ……」
霧がかっていた視界が覚めてくる。痛みのせいだった。腕が。足が。背中が。全身が、痛くて………。
「大丈夫。君を助けに来ました」
瞬間、視界を覆われて真っ暗になる。そこで聞いたやわらかい声にひどく安堵して。痛みに呻いたのが嘘のように、ストン、と意識が落ちた。
誰だろう。聞き覚えのない声だったな。男の人にしては高めの、知らない人の声……。
再び目を覚ました時、その人はすぐ隣にいた。
「おはようございます」
「ぇっ、……エ!? アシストヒーローエイ、ッたぁ……っ!」
「はい、エイドです。治療中なので動かないでくださいね」
目元を覆うゴーグル、白い大ぶりのフード、そして七分丈の白衣。間違いない。ある日突然リカバリーガールの助手として登場し今ではレスキューをメインとして活動しているアシストヒーローエイド! メディア露出もゼロで公式から情報がほぼ出ないため自分で研究するしかなく、何度も画面の向こうで見た謎多きヒーローが、今、緑谷の目の前にいる!
「ほん、ものだ……! アッ、ちが、あのっ。僕、試合……!」
「結果は惜しいものでしたが、大健闘でしたよ。見ていたので治療しに来ました」
「あぁやっぱり……。っ!? エイドが、僕の治療をしに……!?」
「なんだか面白い子ですね、君は」
穏やかに笑うエイドは口元しか見えていないのに、それだけで空気が柔らかくなる。オールマイトとはまた違う。緊張を優しく解くような、人を安心させる笑顔。
「起きたかい」
シャッ、とベッドのカーテンが開く。そこには難しい顔をしたリカバリーガールと、トゥルーフォームの、
「オール、」
「無事目が覚めて良かったよ緑谷少年!!!」
「アッ、!……ハイ!!」
「治療中なんだから動かない! 騒がない!」
リカバリーガールの注射器がズビシ!とオールマイトの脛に入る。エイドが「君の師匠……八木さん、初めて会いましたけど元気な方ですね」と笑った。そうか、この人はオールマイトの事情を知らないのか。
「全く……。緑谷、あんたの右手は粉砕骨折してるよ。今は局所麻酔で痛くないだけで中身はぐちゃぐちゃだ」
「ぐ、ぐちゃぐちゃ……」
「無茶をしすぎさね。骨の破片があちこち飛んでてすぐに治癒もできやしない」
「先生、緑谷少年の右手は……」
「キレイに元通りとはいかないよ。………あたしだけだったらね」
リカバリーガールがベッドサイドに視線をやる。それにつられて緑谷とオールマイトもそちらを見て……エイドは、またニコリと笑った。
「自分は、先生の助手ですので」
その真意を問おうとした瞬間、部屋の扉が勢いよく開かれる。
「緑谷くん!!」「デクくん!!」
「静かに入ってこないか!」
「ハッ! 申し訳ありません! 焦ってしまいました!」
「ご、ごめんなさい! 心配できました……!」
入ってきたのは飯田に麗日、蛙吹、峰田の四人。緑谷のお見舞いに来てくれた優しい友人たちだった。
「みんな……次の試合は…?」
「ステージ大崩壊のためしばらく補修タイムだそうだ」
「怖かったぜ緑谷ぁ。あれじゃプロも欲しがんねーよ」
「塩塗り込んでいくスタイル感心しないわ」
「でもそうじゃん、か……。……ぇ、あれエイドじゃね?」
「えっ!? アシストヒーロー エイド!? 本物!?」
「うるさいよホラ! 心配するのはいいが手術中さね!」
「シュジュツーー!?!!?」
驚愕の声を上げながら追い出される友人たちにも、エイドはにこやかに手を振って応えた。「手術中には見えないでしょうね」と緑谷の腕に視線を落とし……そこで、彼の指が細かく動いていることに気づく。それに呼応して、固定されている自分の指が時折ピクリと跳ねることも。
「手術中、って……」
「今、粉砕骨折してあちこち飛んでいる君の骨を元の位置に戻しているところです」
「ソッ、んなことがっ、できるんですか!?」
「パズルみたいなものですよ。これで先生の治癒を受けたらちゃんと治ります。……傷跡は残りますが」
バチ。視線が合う。ゴーグルの向こうは見えなかったけれど、たしかに目が合っていた。途端、空気が冷える。
「怪我をするなとは言いません。ヒーローに傷はつきものですから。でも……、その様子では、いずれ怪我では済まなくなりますよ。君の身に万一があった時、悲しむ人がいることを忘れないでください」
言い聞かせるようなそれに、喉がキュウと鳴った。
真っ先に思い浮かんだのは母の姿。戦闘訓練で怪我をこさえて帰った時も大慌てしていて……。無理を言って、ちゃんと説明もしないで、沢山隠し事をして。それでも夢を応援してもらっている。そんな母が、息子が大怪我をして悲しむことなんて。考えなくても分かった。
ポツリと部屋に落ちた「……はい、」という返事は及第点だったようで、エイドの視線は緑谷からズレる。隣に立つ、オールマイトへと。
「自分はあなたがたの事情を知らないので薄っぺらいことしか言えませんが。全力以上を出せてしまう子をそのままにしておくのは褒められた事ではありません。……子どもを守るのは、大人の役目です」
「……肝に、銘じます」
命を救う者の、命を守るための言葉だった。さしものオールマイトでも、こと医療の場において彼らの言葉には敵わない。
頭を下げたオールマイトに対して、エイドは「いえ。差し出がましいことを言いました」と告げて立ち上がる。
「さて。応急処置は終了です。あとは先生に治癒してもらえばキレイに元通りになりますよ。そろそろ麻酔も切れて痛むでしょう」
「あ。……ありがとうございますっ」
「エイド、状態は?」
「左手、左足の損傷はほぼ完全修復、残留糸もありません。右手は全て元の位置とは言えませんが大元の形は合っているかと。傷ついた神経と筋繊維も縫合済みです」
「分かったよ。すまないね、急にやらせてしまって」
「いえ、自分がやりたいから来たんです。……それでは、緑谷くん。くれぐれもお大事に」
「はい、」
エイドが部屋から出ていくのを見届ける。彼が閉めた扉は、少しも音がしなかった。
「……全く。言いたいことほとんど言われちまったね。あんたら、あの子に感謝しないといけないよ。本当は来ないはずだったんだ」
「それはもちろんです。しかし、このレベルで治療が可能とは……」
「……最近似たようなのを治したばかりなんだ」
フゥ、とため息をついたリカバリーガールから叱責は飛んでこない。意外に思って二人して彼女を見る。けれど、視線は合わなかった。
「子どもを守るってのは、難しいもんさね」
彼女は、扉をジッと見つめていた。
「…………」
「誰もいないさ。入っといで」
音もなく扉から覗き込んだ俺を、先生が招き入れる。それに従ってスルリと室内に入り込んだ。
「緑谷くんは」
「歩けるくらいには治癒して帰したよ。右手もちゃんと形を保ってたさ。また上手くなったんじゃないかい?」
「練習は欠かさずしてますから」
”操糸” で部屋中に糸を伸ばす。お茶の用意、器具の片付け、利用者名簿の記入、それからベッドメイキングまで。操糸による作業の同時並行。こういう細かい動きは、テープで行うよりむしろやりやすい。
「この前実践もしたので。次はもっと早く正確にできますよ」
「相変わらず手を抜かないね、アンタは」
「個性の可能性を模索しているだけです。それに、勿体ないでしょう。折角公安の協力も得られるんですから」
ヒーロー公安委員会。一部の人間が俺の事情を把握しており、特定個性使用許可を与えて ”エイド” を作り出した組織。公安はエイドの個性に大分有用性を見出しているようで、「繊維治療の精度を上げたい」という申し出になにかと融通してくれている。
そこに医療業界の権威として名高いリカバリーガールの指導もつくとなると、エイドが置かれている環境はあまりにも高待遇だった。
「……アタシはそこまで生き急がんでもと思うけどねぇ」
なお、先生はエイドがヒーロー公安委員会の要請に応えるのをあまり好んでいない。浮かない顔をした彼女の前にお茶を置く。
「お互い利用しているにすぎませんよ。自分は治療技術が鍛えられて、向こうはその技術を現場に出せる。ウィンウィンでしょう」
「子どもがホイホイ現場に行くもんじゃないよ」
「そう言われると耳が痛くなります」
リカバリーガールにとって、孫という関係に落ち着いている瀬呂範太は当然 ”子ども” だ。だから過剰にヒーローとして働かされることを憂う。エイドが対ヴィランチームに組み込まれることにも難色を示していた。
その気持ちはよく分かる。素直に受け入れるとは言えないけど。
「観客席に戻るんだろう。はよ着替えんさい」
「いえ、もう少しここで過ごそうかと。この後どんな怪我人がでるかも分かりませんし」
「あれ程の患者は来ないだろうさ」
「だと良いんですけどね」
室内のモニターには飯田と轟が映っていた。今まさに始まるところらしい。たしかに、この二人なら緑谷のような大怪我はしないだろう。
「……緑谷くんのことですが」
「なんだい」
「また今日みたいなことがあったら呼んでください。治療しに行きます」
「そりゃ無い話だよ。もうあんな怪我は治癒しないと言っておいたからね」
「それはまた手厳しい」
先生にしては随分と強い脅しだ。医療従事者が医療拒否するなんてそうそう無い。特に先生はありとあらゆる患者を治してきただけに、どれだけ強く釘を刺したかったのかが分かる。その容赦の無さに思わず笑いが漏れた。
「……緑谷に何があるのかは、聞かないのかい」
「気になるのは八木さんの方ですけれどね。雄英教師の方は全員把握しているつもりでしたから。……でも、誰にだって。秘密の一つや二つはあるものでしょう」
その筆頭が自分なのだから、無理に聞き出すのも、何故教えてくれないのかと問いただすのも。道理に合わないというものだ。
画面の向こうで試合がスタートする。それでもなお口を開いた先生の言葉を、着信音が遮った。先生の仕事用携帯端末。「なんだい、今日は無理だと知らせてたはずだがね」とぼやきつつ先生はすぐ電話に出る。彼女への直通電話は、大抵が緊急の出動要請だ。
「はいリカバリーガール。……ああ、雄英だよ。まずは状態を言いなさい、どのくらい緊急か……なんだって? …………ちょっと待ちな」
────なお。ヒーローネットワークに所属していないエイドへの緊急要請も、監督者である先生の携帯に直接連絡がくる。
「……エイド。あんたに出動要請だ」
「行きます。場所はどこですか」
ノータイムで返事をした俺に対して、先生は一瞬言い淀む。子どもを現場に行かせることに苦言を呈したばかりだ。
けれど。そこに助けを求める患者がいる以上見捨てるという選択肢をとることはないし、どちらにせよ公安からの緊急要請は断れない。
「……出動先は東京都保須市。会場前に迎えが来てる」
「了解」
「患者は、」
「────ターボヒーロー、インゲニウムだ」
会場では、飯田が苦杯を喫したところだった。
カチ、カチ、カチ、カチ……
暗い廊下に時計の音と、数人の呼吸音だけが響く。もうどれだけこうしているのか分からなくなっていた。
カチ、カチ、カチ、────パチン。
「!」
「ぁっ、」
数えることもやめた単調な拍子に異音が混じる。”手術中” のランプが消えていた。ガタッ、と響いた大きな音が自分が出したものだと気づいたのは数秒後。
「……飯田さん、でお間違えないですね」
「先生! 息子は、天晴はどうなりましたか!」
見つめた先、重厚な扉から出てきたのは手術着の男性……兄の手術を担当した医師。母が思わずと言った様子で尋ねる。
「ご安心を、手術は成功です。命に別状はありません。天晴さんがよく頑張ってくれました」
「ああっ……あぁ、良かった……!」
「……兄、は。兄の、足は……」
医師の視線が飯田に向いた。眉間の皺がスッと深くなる。
「……筋肉や腱だけでなく、神経も深く傷ついていました。脊髄にも損傷が見られ、当初の見立てでは自力で歩くことはおろか立つことすら絶望的だったでしょう」
「そんなッ、!」
「しかし、強力な助手が駆けつけてくれました」
飯田の叫びは遮られた。「確約はできません。もし上手くいっても過酷なリハビリが待っているでしょうが……」。また、皺が深くなる。
「君のお兄さんが歩ける未来は、まだ繋がっています」
それが微笑んでいる顔だと思い至ったのは、しばらくしてからだった。
*****
腹部裂傷、アキレス腱断裂、脊髄損傷……オペ室に入った時点で処置が確立されていたのは前半二つ。
末梢神経とは違って、脊髄のような中枢神経は一度損傷すると回復しない。それには様々な要因が関与しているがそのうちの一つとして、損傷部位の周囲で細胞が反応して形成されるグリア瘢痕という組織やその他タンパク質が神経の再生を妨げており……とにかく。再生能力が無いわけでは無い。それを妨害する因子が周囲に存在するだけ。ならば、損傷部位を完全に保護して、周囲の細胞と上手いこと隔絶、必要な栄養だけ抽出する機構を形成すれば……。
「お疲れ様、エイド」
暗い視界の中、低く落ち着いた声が響いた。そのまま「……おつかれさまです」と返す。彼が部屋に入ってきたのは気がついていたけれど、もはや目を開けることすら億劫だった。
「ご家族が君に会いたがっていたよ。せめて一言お礼をって」
「……いき。ますか」
「彼は顔出しNGなのでって言っておいたさ。もう対応できるだけの気力も無いだろう」
「合点先生って、どうして独身なんでしょう」
「アハハ。嬉しいこと言ってくれるね」
「笑うと眉間に皺が寄るからかな……」
「本当に疲れてるねぇ」
普段より異様に軽くなっている口を閉じて、なんとか目をこじ開ける。照明の弱い光ですら眩しい。ゴーグルは一度たりとも外していないのに、それでも世界が白飛びしていた。
「……久しぶりの視界……」
「よくもまぁ何時間も目を閉じて手術できるもんだ。僕は全部見てなきゃ不安でさ」
「それは個性の関係でしょう。自分は視覚より触覚が重要ですから」
瞬きを繰り返して、ようやく人型の輪郭を認識できた方に目を向ける。合点 焦先生。この病院に長いこと務めるベテラン医師で、本人の朗らかな気質に反して笑うと眉間に皺が寄る。焦点を合わせる個性の反動みたいなものらしい。
「きっと、明日……リカバリーガール先生が来ます。そこで神経が回復すれば……」
「ああ。まさか、脊髄神経の完全な回復手技ができるとはね」
「まだ分かりません。治癒に伴う神経伸展に異常が生じれば回復は止まるでしょう」
「自信の程は?」
「……それなりに」
「君がそういう時は大体九割方成功するさ。僕は心配していないよ」
肩を竦めた合点先生は、エイドと視線があっていることに気づくと缶飲料を差し出してきた。「疲れた時には甘いものだよね」と渡されたそれはココアで、有難く受け取る。間違いなく糖分が足りていなかった。
「今日は泊まるだろう? 宿直室が空いているから……」
「ああ、いえ。帰ります」
「うん? そうなのかい? もう深夜回ってるけど」
「はい。今日は帰るって、約束してまして」
「へぇ〜。彼女だ?」
「いや。でも、大切な子で……」
「ほうほう」
「……あ〜、ハハ。ココアありがとうございました。お先失礼します。皆さんもお疲れ様です」
「アッ。逃げられた」
グイッ、と一気にココアを飲み干す。口が軽くなりすぎた、これ以上話してたら何言い出すか分からない。
他にもいた看護師さんたちにも挨拶をして、そそくさと部屋を出る。今エイドとしての体裁を保てているのはほとんど奇跡だった。
***
「も〜、合点先生! もうちょっと聞き出してくださいよ!」
「折角エイド先生が話してくれそうだったのにー」
「そーんなこと言ったってさぁ。僕も結構頑張ったと思わない?」
「まぁ、ガード固いですからねぇ」
「やっぱり彼女かな? まだ若いし」
「エイド先生、彼女いたらすごく大事にしそうですよね」
「おばさんキュンキュンしちゃうわ!」
「若い子の恋愛事情なんていくらでも聞けちゃうわよねぇ!」
「マ、なにはともあれ大切な人とゆっくりしてるといいね」
「ですねー」
「……本当に帰るんですか?」
「かえります」
「三時は超えますよ」
「無理ならタクシー拾います」
「その思考が出てくる時点で一人帰るのは無理です」
言葉を返す前に車が発進する。慌ててシートベルトをしめた。数時間単位で待たせたのはこちらだから文句は言わないけど、突然だとびっくりする。
俺専属送迎人となっている公安委員会の標さんは、その若さのわりに職人気質だ。悪く言えば無愛想。これが俺に対してだけなのかは微妙だけど、まぁ、まだ若いのに送迎やらされてるのは思うところもあるだろう。
「手術は成功ですか」
「ンー……。明日、先生に治癒してもらって、どうなるかですね」
「現時点では」
「成功、かなぁ。とは」
「再現性はありますか」
「処置に取り掛かれる時間……に、よるかと。今回は、行きで標さんが飛ばしてくれたおかげで。間に合いました」
「そうですか」
これ、報告あげられたら出動要請増えるかもなぁ、と考える。先生の険しい顔が脳裏によぎった。いや、こればっかりは俺から公安委員会にお願いしてるんだから仕方ない。
中枢神経の再建は、自分の身体だったら既に何度かした事がある。けれど体内テープでいじりまくっている俺の身体は通常の人間とは少しズレているので、他人にやるのはまた勝手が違った。これを練習するにもわざと患者を作るにはいかないわけで、「そういう患者が出たら要請ください」と以前からお願いしていたのだ。公安から俺に対する融通だった。
車内に沈黙が落ちる。別に今更気にすることではない、けど。
「雄英体育祭。見ました?」
「……先程、動画で」
「インゲニウムさんの弟、出てたでしょう。惜しかったですね。同率三位で」
「ナンバーツーの息子に勝つのは至難でしょうね」
「轟焦凍くん、強いですからねぇ」
「……結局全力は出さず、爆豪勝己に『舐めプのクソカス』『何でここに立ってるんだ』とキレられてましたが」
「あはは、……ん? あれ、今なにか含みありました?」
「眠いなら寝てください」
”全力でやらない舐めプのクソカス” って俺にも当てはまるな? と笑ってから気がつくも、標さんはそれ以上答えてくれなかった。あ、これ眠気覚ましにしてるのバレたな。
仕方なしにイヤホンを取りだして片耳だけつける。ミラー越しに見られているのが分かって、「いつもの寝具じゃないと寝れないタイプなんです」と言い訳を述べておいた。四割は本当のそれに呆れたか興味自体ないのか、標さんは視線を前に戻す。
元々返事が返ってくるとは思ってないので別にいい。し、なんと。毎週楽しみにしているアーカイブが今日は残っているので。
『────エビバディ、アァユゥレディ!? ぷちゃへんざレディオの時間だぜぇ!』
すっかりリアタイできなくなっちゃったなぁ、と考えて。ド深夜だったろう収録時間でも変わらない声量に思わず笑みがこぼれる。
金曜の深夜一時から五時の間。プレゼント・マイクのぷちゃへんざレディオ。の、アーカイブ動画。
眠れない夜に聞く彼の声は頭にすんなり入ってきて、体に入った力を抜いてくれる。引き取られた当初慣れないベッドの中で流していたこれは、俺たち兄妹にとって立派な子守唄だ。……まぁ、今日ばっかりは眠れやしないだろうけど。
『眠れねぇリスナーも、起きててくれたリスナーも、レッツハバブラスト! 楽しんでけヨ!!』
アップテンポなBGMが心地よい。プレゼント・マイクの止まらないトークはいつだって面白くて、けれど不思議と落ち着いて、変に速くなっていた鼓動を静めてくれる。
こういうのに救われてる人がきっと色んなところに居るんだろうな、と考えて。
もう少し早く出会えていれば良かった、と思うところまでが、いつもの流れだった。
「────おい! おい、ファーム!! ファームどこだ!!」
「………騒がしいなぁ、聞こえてるよ。何?」
「いた、見つけたぞ!!」
「落ち着けって。何探してたんだよハンズ」
「バカ、あのガキに決まってんだろ!! 雄英だ、体育祭に出てやがる! 見ろこれ!」
「ハ、? ………………」
「ホラこれ、このガキだ。間違えるハズもねェ。俺ン腕ぐちゃぐちゃにしてくれやがった個性だ!」
「…………ぁーーー…………ほんとうだァ〜〜」
「なァ! だよなァ!? アァハハッ、こんなトコにいやがったとはなァ!! ンン、あぁクソ、ツラ見てるだけで血管ブチ切れそぉだ!!!」
「興奮するのは分かるけど、物壊すなよ。……ちょっと電話してくる」
「─────……案外近くにいたんだなぁ、範太」
※作中で出てくる治療やらなんやらは付け焼き刃の知識をこねくり回して書いた捏造です。実際の成否は全く関係ありません。
瀬呂兄
腕の粉砕骨折、USJの時自分でやってて良かった〜と思っている。ぶっつけ本番で他人にやるのはさすがに怖い。
そういう感性はマトモ寄りなので、大手術が終わっても経過が気になって眠れないくらいビビってる。クラスメイトの兄弟ならなおさら。翌日日が昇ってから「飯田天晴の下肢感覚が戻った」と知らせを受けてようやくベッドで熟睡した。
瀬呂妹
兄の帰宅で起きて「おかえり」を言ったあと再び就寝。明日は学校。
事情は聞いたので先に寝てたけど、「真っ直ぐ帰るよ」と言ったからには間違いなく帰ってくるだろうなと思っていた。
緑谷出久
頑張れすぎる人ランキングトップ入りを果たす。以降瀬呂兄は緑谷に「頑張れ」と言うことが少なくなるはず。
露出がほぼ無いエイドの情報は極端に少ないのでしばらくは自分の腕を見てぶつぶつ言ってる。動きに全く違和感がない……どうやって元の位置を把握しているんだ……(ぶつぶつ)
飯田天哉
何時間病院のイスに座っていたか分からない。翌日兄の足の感覚が戻ったことを聞いた瞬間膝から崩れ落ちた。今のところタイミングが悪くお礼を言いそびれている。
標さん
仕事人の公安職員。友人の前とかでは普通に笑ってたらしい。
ハンズ
正式名ハンズカット。脱獄犯。
ファーム
馴れ馴れしく範太呼びの人。脱獄幇助犯。
怪しい奴ら出てきた〜〜!!と盛り上がりを見せたところですが来週は小話です。ここ二、三年のエイドのヒーロー活動、それを見た各ヒーローの話になります。
今書いてるのって成り代わり小説だよな??とふと疑問に思うほどエイドが存在を確立している。本編でもまだ少しエイドターン続きます。

























