暗闇の中でうとうととまどろんでいた。
自分が寝ていると気がついていなかった。寝ている最中のようで、そこも自分ははっきりと認識していなかった。次の瞬間に大きな衝撃が走って、それでようやっと自分がまどろんでいたことに気がついたのだ。
ばちん、ばちん、と尻だか背中だかの部分に衝撃が走る。よほど大きな何かに叩かれているようで広範囲に衝撃があった。一体何に叩かれているのだろう。というかなぜ叩かれているのだろう。
その次にあたたかいものに全身を包まれて、引き上げられてまた尻だか背中だかに衝撃が走る。
ばちん、ばちん。
そこでようやく息苦しさに気がついて、でも、どうでもいいかとそのままにした。どうせ夢だし。夢じゃなくて現実で息が止まっていたとしても、何かする気は無かった。だってめんどくさかったから。それに寝ている間に息を止めて死ぬというのはどこか滑稽で、どこか魅力的にも思えたから。
だから別に、死んでもよかった。
それなのに。
ばちん、ばちん。
じゃばっとつけられて。引き上げられて。
ばちん、ばちん。
繰り返されてそれらが、僕の呼吸を促しているものだとわかった。それでもまだどうでもよかったけど、その行動と、微かに聞こえる悲痛な声が、あまりにも必死だから。あまりにも僕が呼吸をするのを求めていたから。
だから、まあいいかなと思った。
ありていに言えば絆された。
呼吸をしても良いかなと思った。
そうして、ばちん、という衝撃と共に口から空気を吐き出して、腹を凹ませてまたそこから腹を膨らませ、喉を震わせる。
おんぎゃー
「可愛い男の子ですよ、お母さん抱いてあげてください。」
「ああ、寧人。生まれてきてくれてありがとう。」
普通の人生を送っていた。変わっていたところといえば、アニメや漫画が大好きで、かつ自分は愉悦部というものに属していたというところぐらいだろう。勘違いしてほしくないのは、キャラが苦しむのが好きというわけでは断じてないということだ。
ただ、薄っぺらいのが嫌だった。
主人公が、ただそうであるというだけで全てを許されているのに苛立った。何も不幸なめにも本気で絶望したことのない能天気なやつよりも理不尽な目に遭って努力をした人の、その努力が報われてほしかった。でも、それは主人公だからと、悪役だからと報われることは絶対にない。
まあ、人を傷つける時点でアウトなのだろうし、現実にいたらどちらも面倒臭いタイプだから関わり合いたくないけども。暑っ苦しい偽善者も、被害者ぶってる加害者も、僕は嫌いだ。
だから僕は。
僕は寧人とお母さんに呼ばれて。
人々が異形であったり超能力を使っていて。
あの時呼吸をしなければよかったと思った。
だってこの世界は終わってる。
僕のヒーローアカデミアという漫画は、好きだった。ストーリーもキャラも好きだった。爆豪の82坊やや、相澤先生の眼力ネコには笑った。麗日お茶子の雄英の屋上での演説だって、青山優雅の死なせたくなくてというセリフにだって、涙が出た。映画のユアネクストではお嬢様と執事の純愛にニヤニヤした。二次創作も読んだ。成り代わりも逆行ものも転生ものも読んだ。
それでも。
僕は雑食系のオタクだったから広く浅くで、一部の知識が間違っているかもしれないし、もしかしたらてんで見当違いのことを考えているのかもしれなかった。でも、僕の考えの中で、僕のヒーローアカデミアという漫画の世界は、どうしようもなく終わっていた。ストーリーとしては綺麗だった。あのまま人々は緩やかに幸せだったのだろうと思えた。けれども、あの世界は。僕の考えの中では、どうしようもなく滅びる。
そもそもあの世界の個性は、僕は宇宙から来たウイルスのようなものが人々が未だ使っていない人体の領域を使って独自に進化したことから起こった副作用のようなものだと考えている。人間が進化しているのではなく、ウイルスに寄生されていいように繁殖させる道具として使われているのではないかと思った。
脳を100%使えば超能力を使えるという情報をどこかで聞いたが、そのようなものだと思った。
それに、だからオールフォーワンは奪い押し付けるという生命としての単一進化を可能とする個性を、与一は与え繋げるという繁殖生物としての個性をそれぞれ持ったのではないだろうかと考えた。彼らは原始的に、生きることを能力として持ち得ていたのだ。そこに個か群かの違いはあったにせよ。
人が進化したのではなく人に寄生するウイルスが進化した。
また、ワンフォーオールをまだ持っていなかった八木俊典の身体能力、イレイザーヘッドの身体能力、轟燈矢の焼死しなかった耐久性、人々の耐久性を漫画特有の物理法則を無視したものではないと仮定すると、個性として遺伝子に干渉しているのではなく細胞そのものが元の人間とは違ってしまっている。細胞が個性ありきのものになってしまっている。
ウイルスを死なせずに繁殖させるために生存率を上げている。身体能力の向上、耐久性の向上。
彼らはもはや純粋な人間ではないのだ。
まだ個性持ちがキャリアと呼ばれていた時代の無個性者と今の無個性者では、もう生き物の種別も違うのだろう。
だって、主人公の緑谷出久はオールフォーワンの歴代者の個性を引き出せていた。体の容量が、器が、個性という中身を受け入れることができたのだ。その時点で、彼らは純粋な人間ではない。
そして、合わせて原作の中で出てきていた個性終末論。これは個性特異点と呼ばれる個性を制御できなくなって終末が訪れるというものだったが、人間が進化したのではなく人間に寄生したウイルスが進化しているだけで、人間の能力ではないのだからそもそも個性の制御など始めからできていないのではないか。主人公たち第五世代ではもう個性は強力なものでかつ体にデメリットも出ているものもある。体が対応できていないのだ。身体機能ではないから。腕を振って声を張って走ってみて、そうして体が自壊することがあるだろうか。リミッターを外せば違うのかもしれない。でも個性は違う。たくさん使うだけで疲れるのではなく体が傷つく。だって身体機能ではないのだ。人間の機能ではないのだ。だから耐えられない。人間は個性という超常の力を持て余しているのだ。
個性に人格が宿るのもその個性というウイルスが生きているからだ。でも細胞が、ウイルスが意思を持つほどに生きるということ以外に幅を持たせるかという疑問がある。
人類が個性に耐えきれず死ぬか、個性がなくなるしかないのだ。だが、僕の考えでは個性はウイルスだ。生き物だ。彼らは生きるための行動をしている。彼らは自ら死ぬことはしない。個性が自発的になくなることはない。
人に過ぎたる力は身を滅ぼす。
この世界は生きづらいし、力に振り回されるし、未来はない。さっさと死んだ方が楽だろう。でも。
「寧人。」
そう笑うお母さんに、だー、と赤ん坊らしく声を上げた。
物間寧人。今の僕の名前だ。
原作キャラ。主人公の同学年者。主人公の所属している1年A組はトラブルに巻き込まれ、その対比となるように真面目にカリキュラムを進行していた1年B組。
1年B組を仲間として気にかけている。情緒が不安定で、コピーという強い個性に作者が扱いに困っていたのか最終決戦まで目だった活躍はなく、コピーする周りの人材も地味なものに固めていた。雄英の負の面とネーミングされる程にヒーローらしからぬ言動が目立つ。自分のことを脇役だと考えており自己嫌悪が強い。
そして。
最終決戦にて黒霧のワープと相澤先生の抹消で活躍。
あれがないと詰む。
僕が物間寧人をやって、あの最終決戦で同じことをしないと日本が、世界が、滅びる。
多分この世界は割と早めに滅びるだろう。でも、それが世界滅亡を早めてもいい理由にはならない。
あーあ。
あーあ。楽、したかったのになあ。
物間寧人に、ならなくちゃ。
面倒くさいなあ。





















