・夢主のお名前が変換可能になりました。
夢渡 無依(デフォルト:ゆめわたり むい)
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パソコンに映し出される検査結果を見て、その医者は申し訳なさそうな顔をしながら私の後ろに立つ両親へ告げた。
「残念ながら……お子さんは『無個性』です」
父はぐっと拳を握り締め、母は私を抱き締めて膝から崩れ落ちた。私は丸椅子に座りながらも床に足がつかない現実を直視し、弾かれたように現状を理解し始めた。
あぁ、ここ、ヒロアカの世界か。
超常世界、世界総人口の約8割が生まれながらにして『個性』を有し、齢4歳頃にそれは現れる。そんな中ヒーロー『オールマイト』に憧れた無個性・緑谷出久が雄英高校でヒーローになる物語。
私が今思い出せるヒロアカ知識といったらこんなとこだろうか。前世オタクとして作品は一通り読んでいたが、細かなところは言われなきゃわからないくらい記憶が朧げだ。推しキャラにメロついていたことくらいしか覚えてない。カス記憶力め。歳も誰と一緒なんだろう。ここら辺は情報収集しないとだな。
「ごめんね、私のせいよね」
「君のせいじゃないさ。仕方ない、そういう運命だったんだ」
父は険しい顔をして、母は涙をぼろぼろ流しながらそう言って私を宥める。私としては個性がない方が前世と乖離がなくて嬉しい。むしろ人型に生んでくれてありがとねという気持ち。別に動物に産んでくれても良かったけど。犬とか猫とか、そういうの。転生の神とやらがいるなら同じ人間として魂回さなくてもいいじゃないですか。
「おとうさん、おかあさん、帰ろー?」
中身は20前半の女でも口から出る言葉や行動は肉体成長に引っ張られるみたいで、事の重大さを理解していないかのような顔しかできなかった。この舌っ足らずはいつ卒業できるんだ。恥ずかしいので早めになんとかなってくれ。
家に帰り、少々情報収集してわかったことは2つ、ここが東北の地であることとオールマイトがまだ現役なこと。
いやもっと分かることあるだろって思うじゃん?残念、私のゴミ記憶力では情報が全て虫食いの年表なのだ。オールマイトの原作時の年齢を覚えてさえいれば逆算できたというのに……。もしくは他のヒーローの年齢とか、燈矢くんの起こした山火事の年とか……ううん、思い出せない。なんならこの瞬間に忘れていってることもたくさんあるだろう。
とりあえず現状を整理しよう。私は無個性で生まれ、主要キャラとは関わりなし。時代軸はわからずじまい。
……うん、転生したとて結局私はモブに過ぎないのかもしれない。作品だって元々はデク、もとい緑谷出久のヒーロー物語だ。前世の記憶を持って転生なんて二次創作的展開だけど、私はヒーローにもヴィランにもなる予定はない。ただただ一般市民を望んでいます。
◇
緑谷出久は泣いていた。
町が寝静まり、星が瞬く空を窓から見上げ、自分はいくら手を伸ばしてもそれを掴めない現実に胸が痛くて目を逸らした。
『諦めた方がいいね』
僕の夢はその一言でいとも簡単に壊された。齢4歳にして”個性”が発現しない現実も、泣きながら抱きしめて『ごめんね』と謝るお母さんも生涯忘れることはないだろう。
「それでも……僕は…………」
どんなに困っている人でも、笑顔で助ける。そんなヒーローに憧れてしまった。
出久は椅子の上で膝を抱え、現実から目を背けるように下を向いた。
「______にゃあ」
「……ねこ?」
不意に鳴き声を拾い、出久は顔を上げた。外に野良猫が居るんだろうか。野良猫などさして珍しくはないし登下校でも見かけるが、出久は何を思ったか、鳴き声の出所を探そうと閉ざされた窓を開けた。
「えっ?うわぁ!」
「ナァー」
開けた瞬間、鳴き声の主であろう猫は目にもとまらぬ速さでサッシに降り立った。出久は驚いて立ち上がったはずの椅子に逆戻り。
月明りに照らされ輪郭が顕わになったそれは、美しいロシアンブルーの猫だった。暗がりで瞳孔がまあるく開いており、エメラルドグリーンの虹彩が僅かに覗いている。もう一つ特徴を上げるなら尻尾の先も瞳の色と似て稲穂のような色の抜け方をしていた。こんな特徴的な野良猫、近所で有名になりそうだけど出久は一度も見たことがない。
その猫はサッシに降り立つこそしたものの、尻尾を揺らしてじっと出久を見るばかり。出久は恐る恐る椅子から降りてその猫に近づいた。
「……か、かわい……。どこからか脱走してきたのかな……」
「んなぁ」
「ひ、低い鳴き声……違うってこと……?触ってもいいかな……」
「みぃーー」
「いいの?……ふわふわだぁ」
まるで出久の言葉を理解しているかのように鳴いて答える猫。出久が手を伸ばしてきた動作に合わせて目を閉じ、頭を下げる所作の柔らかさは出久の警戒心をゆっくりと解いた。
「きみはすごいね。その毛並みに触れるだけで人の心を落ち着かせるんだもん」
「にゃあ?」
「ううん、なんでもないよ。ただきみにちょっとだけ心が救われたってこと。……ヒーロー、やっぱり諦めたくないんだ。僕でもなれるかな?……なんて」
猫に聞いたって仕方ないのに、と自嘲して俯いた。大丈夫。僕が諦めなければ、努力し続ければ、きっとオールマイトのような……。
「っわぁ、な、なに」
「にゃーー……」
「ん、擽ったい……もしかして、慰めてくれてるの?」
滲んだ視界に突如尻尾が伸びてきたと思えば、出久の輪郭をなぞって顔を上げさせ、その尾先で眦を拭う動きをする。涙を払われた出久の視界にはビー玉のような澄んだ瞳を向ける猫が優しく微笑んでいた。微笑む、という表現が適切かわからなかったけど、たしかにその表情は緩んでいるように出久は感じたのだ。
「……うん、僕、頑張るから」
「なぁ」
「ありがとう、ねこさん」
出久が笑ってそう言うと、猫は背を向けしっぽで出久の頭をぺしぺし叩く。その拍子に出久が瞬きをすると一瞬にしてその姿はなくなった。この二階から塀に降りたのか?と猫の身体能力に驚きながら外を追って見るもその影は跡形もない。10分もない、夢物語のような時間を出久は胸にしまい込んで、明日を迎えるためにオールマイトグッズでいっぱいのベッドに足を運んだ。
◇
無個性と分かって数日、だからと言って何も変わらない日常……というわけでもなかった。
「お前無個性なんだってな!」
大声でそう叫ぶのは同じこども園に通うガキ大将。名前は何だっけ、だいごくんだったような気がする。
世界総人口の約8割が特異体質の社会、引いては出生率的に圧倒的マイノリティに属するこの体質はいじめの対象となるらしい。
「おい無個性!無視すんなよ!」
「……あぁ、ごめん。そうだね」
さも今気づきました、というように視線を向けて微笑んで見せると、だいごくんは口をパクパクさせ「ばーか!」と暴言を吐いて仲間の方へ向かった。言い返されることを想定していたのかな。ごめんね張り合いがなくて。
先生方は普通に接してくれるけど、同い年はおおよそこんな感じ。個性があることの優越感ばかりが育って無個性の私をバカにするか煙たがるか。つい数ヶ月までは全員個性など関係なしに遊んでいたはずで、やっぱり子どもは純粋で残酷だと成長過程を見て思う。
「……ねぇ、いっしょにあそばない?」
「ん?あそんでもいいの?」
「しおりのバカ!無個性は混ぜてやらないって言っただろ!」
「わっ!まってよぉ!」
おずおずと声を掛けてくれる優しい子もいるけど、ガキ大将に引っ張られて成す術なく行ってしまう。しおりちゃんね。後でフォロー入れよう。
「無依ちゃん、先生とお外で遊ぶ?」
「ううん。わたし、本がいい。ひなたぼっこしながら読むの」
「素敵だわ。ちょうどね、新しい本を買ってきたの。無依ちゃん気に入るかな?」
「ほんと?せんせーありがとう」
一人の私を見かねて声を掛けてきた先生にそうおねだりすると、封を切ったばかりの本を手渡される。表紙を見る限り、この世界でよくあるヒーロー物語だ。この世界ではありきたりのド定番。前世二次創作でハピエン、バドエン、メリバ等々色んな嗜好を嗜んできた私には物足りないけどないよりマシだ。
教室の窓際、穏やかな日が差し込み開放したドアから流れる空気が心地よいお気に入りの場所へ腰掛け、本を読むふりをして目を閉じる。
何をするかって?妄想に決まってるじゃないか。もとい、空想癖ともいえる子どもの豊かな想像力が私の楽しみになっていた。
子どもの頃、ないし大人になっても想像したことはないか?もし猫に生まれていたら、もし犬に生まれていたら、鳥でも、蝶でも、自分以外の何かになっていたら。はたまた普通に授業を受けていた時に不審者が籠城しに来ないかとか、SF小説よろしくの面白展開が襲ってこないかとか。
夢妄想もその延長だと思ってる。突然推しが目の前に振ってこないかなとか、こんなシチュエーションで出会ったり告白されたりしたいとか。それが自己投影かオリジナルのキャラ投影かという派閥論争は一旦置いといて、何が言いたいかというと暇すぎてそれくらいしかやることがないのだ。
中身の歳相応の本を読もうとすれば要らぬ心配を招くだろうし、勉強なんてもっとそうだろう。外遊び、ままごと、積み木やお絵かき、この歳になって一通り経験したけどもう飽きてしまった。
だけどせめて先生や親の目が薄れる小学校高学年くらいになるまでは大人しくしておいた方がいいと踏んでいる。そう、目指すはモブ、一般市民。前世の記憶がちょーっとあるだけでギフテッドじゃないし天才でもヒロインでもないのだ。
そして一つ気づいたのだけど、この世界で見る夢は心なしか解像度が高い。泣いている緑谷を慰める猫とか、猫に逃げられてムキになる爆豪とか、膝を抱えてぼーっとしてる死柄木に寄り添う猫とか。見たい映像が鮮明に視え、妄想が捗るのだ。なんで猫かって?私の趣味だね。
綺麗になった海岸で緑谷とオールマイトの周りを駆ける無邪気な犬は見てみたいな。後はそうだな、ホークスと並んで空を飛ぶ鷹とか、轟の火傷を心配する猫とか……また猫に戻ってきちゃった。まあそんなわけで、今は暇があれば妄想をして時間を潰しているのが現状である。
あぁ、早く大人になりたい。大人になったらなったで子どもの頃に戻りたいと思っていたのにな。そういえば前世は幾つでどんな終わり方をしたんだっけ。うーん、思い出せない。まぁいいか。必要だったらそのうち思い出すだろうから。今日も一人、微睡みに身を任せて意識を落とした。
◇
爆豪勝己はキレていた。
「おいクソ猫!」
「にゃあ」
「ひったくってんじゃねぇぞカス!」
事の発端は取り巻きと歩いていた下校途中、途中にある公園に寄り道をして遊んでいた時間へ遡る。今の流行りはヒーローモチーフのカードゲーム。デッキを組んで戦うことも然り、全種類集めてコレクションするのも楽しいこのゲームは老若男女問わず人気のコンテンツになっている。
勝己はもちろんカードゲームへの適応能力も高いので同級生の間では全勝していた。しかし今日は勝負よりも見せたいものがあった。
「見ろよ!オールマイトのレアカード!」
「えー!いいなかっちゃん!それ手に入れたの!?」
「最強カードじゃん!ますます勝てなくなっちゃうよ!」
勝己が見せびらかしたのはオールマイトのSSR。バトルでも最強だしコレクターがこぞって欲しい高tierのカードである。ランダムパックから見事自引きした勝己は取り巻きの反応を見てより悦に浸っていた。
「もっと自慢するべきだよかっちゃん!」
「そうそう、こんなレアカード滅多に見れない……って、あれ?あそこに歩いてるのは緑谷?」
興奮気味の取り巻きがそう言い公園の出入り口を見る。勝己も釣られてそちらを見るといつものように背中を丸めて歩くランドセル姿の幼馴染がいた。
「おいデクゥ」
「かっちゃん……こんなとこで寄り道?どうしたの」
「うっせ。それより見ろよ、お前が手に入れられないカードだ」
勝己は羨ましいだろ、と言わんばかりに出久の顔の前にSSRを見せつける。すると出久は途端に目をキラキラさせて語り出した。
「かっちゃんもそれやってるの!?ヒーロー一人ひとりがめちゃくちゃかっこよく撮られてていいよね。しかもオールマイトSSRカードだ!×年前の○○災害の時の画だね。あの時のオールマイトもかっっっっこいいんだよねぇ!僕はそれ持ってないけど、AR(アートレア)なら出たよ。2年前にハンバーガーのCMに出た時のオールマイト!ボリューミーなハンバーガーを食べるオールマイトもエネルギッシュでかっこいいんだぁ」
「……ARだと?どこにあンだそれ」
「そりゃもう僕のランドセルのポケットにお守りとして大事に……って、いくらかっちゃんでもあげないからね!」
「うっせぇデク!さっさと寄越せそれ!」
悉く、勝己の地雷を踏むのが上手い出久である。
勝己が掴みかかった瞬間取り巻きも加勢するいつもの図。出久がこの後の展開を予想して諦めた時だった。
「ナァー……」
「あ?野良猫かよ」
「しっぽが緑っぽい。ここらじゃ見かけない猫だな」
「……!かっちゃん!あれ!カード盗られてる!」
取り巻きの声でその猫をよく見るとたしかにその口にオールマイトのSSRが咥えられている。「ね、ねこさん!?」と小さく叫ぶ出久を突き飛ばして、勝己は泥棒猫を追いかけ始めた。
そして冒頭へ戻る。
「おい、大人しく渡せば片耳トばすだけで許すぞ」
「……」
「無視すんなカス猫」
「ニィー……」
塀の上に登りゆらゆらしっぽを揺らしながら見下ろしてくる猫に勝己は何度ブチギレているか分からない。勝己は怒られない程度に個性を使いながら追いかけるも、猫は一歩先で捕まらない速度を保ち、勝己の様子を見ながら走るのだ。猫の高度な煽りスキルに耐えられるほど勝己は大人じゃなかった。
加えて猫のカラーリングも気に入らない。ロシアンブルーの気品高い顔つきにエメラルドグリーンの瞳。出久の緑に比べればもっと白みの強い青磁色のような瞳だが、勝己にとっては忌々しい色に変わりなかった。
「いーから返せよ。お前じゃ価値わかんねぇだろ」
「にゃあ」
「俺のオールマイトだぞ。おい…………」
「みゃー…………」
「もー……返せよ早く…………」
勝己は半ば諦めモードでしゃがみこむ。取り巻きを置いて追いかけた大事なカードだ。噛まれてぼろぼろだろうが唾液に塗れようが、勝己が自引きしたオールマイトは憧れの象徴なのだ。
半べそを掻いた様子を見かねたのか、猫は塀を降り、てくてく近づいて勝己の手にカードを差し込む。
「……!オールマイト、俺の……へへっ……」
「みゃあ」
「お前、次やったらゆるさねぇからな。……つーか、咥えられてたのに綺麗だ」
「にゃん」
「うぉ、わ、っ、お前!俺を踏み台に行くなボケカス!!」
返ってきた綺麗なカードに気を取られていた勝己は、その猫が勝己の頭を中間地点に再び塀の上へ逃げることを許してしまった。ギャンと怒鳴るも猫はやはり動じない。緑みを帯びた尻尾を垂らし、目元を緩ませてヒゲを揺らす。それは挑発にも、デクに掴みかかったことを窘めるようにも見えて勝己は何とも言えない感情に襲われた。
猫が塀の反対側へ降りるように姿が見えなくなると、木々の揺れる音だけが聞こえ次第にそれも聞こえなくなった。勝己は取り戻したオールマイトのカードを握りしめ、荷物を置いてきてしまった公園を目指して歩き始めた。
◇
あれから数年、歳を重ねて変わりなく生活しております。毎朝どこかのヒーローがフォーカスされるニュースにも慣れ、ランドセルを背負う日々も折り返しを迎えました。
勉強の内容はおおよそ前世の記憶と変わらなくて安心しています。一部個性を持っていることが前提で進むものもあるし、多少学ぶタイミングが前後しているものもあると思うけど、総じて復習なので楽しく受けている。ただ社会、ないし歴史は記憶とズレる物事が多いからそこだけ注意。前世も歴史は苦手だったんだよね……今回は頑張るか―。
そんで育ってから気づいたんだけど、犯罪が多いねこの世界。某見た目は子どもな名探偵もびっくりだよ。無個性は無個性で超常社会のコミュニティからはじかれるけど、授かった個性によっては生きづらいと感じる人が少なからずいるみたい。だからヴィラン連合ができたわけだし。『個性』という進化を遂げている中でも価値観が尺度を持つあたり、漫画に落とし込まれたリアリティを感じる。前世には職業ヒーローはおろか、異能もない世界だったけど、差別、侮蔑、排他の思想はどの社会も変わらないのだなと腑に落ちた。いっそ無個性が絶滅危惧種に認定されれば生きやすいのかな、なんて。
自分は無個性を悲観的に見ていないつもりだ。前世の『個性のない世界』が自分の基準で当たり前だったから。だけど、一番身近な人たちはそう受け入れられることではなかったみたい。
「無依ちゃん、ご飯よ」
「はあい。ありがとう」
コミュニケーションはほどほど。虐待に走らないでいてくれるのは救いだった。どうやら世の中には子供が『無個性』なだけで捨てたり虐待が起きたりするらしい。生命より市民権を得ている『個性』怖すぎる。
「いだだきます。……お母さん、お父さん。来月の第三土曜日に運動会があるんだ」
「あら、そうなのね。……ごめん、外せない仕事の予定が入っているわ」
「すまない無依、俺も上長との付き合いが……」
「ううん!大丈夫。きっと忙しいと思ってたよ。その朝お弁当を作って家を出るから、うるさくしたらごめんね」
とまあこんな感じ。三者面談くらいは来てくれるけど、学校行事は十中八九来ないのだ。ネグレクトというよりは無個性に生んでしまったことに負い目を感じて、家庭以外の私を直視できない様子。私によそよそしいのはいいけれど、私のせいで夫婦仲が悪くなるのは嫌だなぁ。今も時々、夜更けに母は泣いているみたい。父は寄り添って何も言えずにいるようで。早く家を出て自立したら、やっと肩の荷が下りるのかな。
「お風呂入ったらそのまま部屋行くね。おやすみなさい二人とも」
「おやすみ、無依」
「おやすみ、無依ちゃん」
……ふぅ。切り替えていこう。お風呂でのんびりして、ドライヤーと歯磨きをさっさと終わらせて眠りに就こう。夢を見て寝れば、明日からもいつも通り過ごせる。
◇
相澤消太は疲れていた。
ヒーローと雄英高校の教師を兼任し始めて数ヶ月。アングラヒーローとして一般の露出が多いヒーローほど依頼が来るわけじゃないが、単純に仕事を2つこなしているのだ。始業より遥か早い時間に出勤しているが終わりそうにない。もう少し仕事に慣れれば改善されそうな気もするが、現状はもうひと踏ん張りといったところだ。
「……さすがに帰るか」
荷物をまとめ、警備員さんに挨拶をして校舎を出る。様々な施設を有する雄英高校は敷地外へ出るにも長い。
「……少し、寄り道をしよう」
空には星が瞬いている。この時間帯になれば帰宅時間が遅くなろうと10分も20分も変わらない。
相澤はいつもの道を通り、木々が茂る広場へ出た。
するとどこからともなく猫が集まってくる。この猫たちは雄英高校の敷地に住んでいる猫で、相澤も目をかけているかわいいもふもふ達だった。
相澤はポケットからネコ缶を取り出し、蓋を開けてそこに置く。集まった猫たちはその餌を分け合って食べ始めた。
「ほら、猫じゃらしだ」
相澤はまたもやポケットから道具を取り出す。ひょい、ひょいと揺らし遊びたがっている猫を誘う。あぁ、癒される。猫が懸命にじゃれる姿を見て笑みを零した。
そうしていた頃、暗がりから見かけない猫が1匹歩いてきた。ロシアンブルーの品のある顔立ちに色素の抜けたしっぽが月明かりを柔らかく反射する。
「……お前も遊ぶか?」
「なぁー」
相澤はその場で腰を落とし、その猫の前で猫じゃらしを揺らす。しかしその猫は相澤の動きに目もくれず、ただ顔を見続ける。
釣れないねぇ、と相澤が動作を止めると、猫は止めていた足を動かして相澤へ近寄った。軽やかに、肩へ登り、捕縛布の中に入ろうとする猫。相澤はその首根っこを掴んで自身の顔の前に寄せた。
「お前、見た目に寄らずやんちゃだね」
「にゃあ」
宙ぶらりんの猫は抵抗する様子を見せず相澤を見つめ返す。意味を分かっているのか、返事をしたそいつを地面に置くと相澤の足元をすりすりと歩き、寄り添って腰を落とした。
「人懐こいな。脱走中か?」
「……」
「今度は無視か」
見れば見るほどどこかの家猫だったのではと思うが、この時間から飼い主を探すほど体力はない。捜索依頼を見かけたら情報提供をしよう。
じんわりと足元に伝わる猫の体温が心地よい。このまま連れ帰って寝たい。目を瞑り、澄んだ空気を深く取り込んで吐くと足元の体温が急に離れた。
「行くのか」
「なー」
「またな」
「にゃー…………」
尻尾を揺らして暗がりに消えるそいつを見送ると、他にもいたはずの猫は居なくなっていて、綺麗に空っぽになった缶だけが置かれていた。
相澤はゴミになった缶を手持ちの袋に入れ、ゆるりと帰路に就いた。

























とても好きです、一気読みしてしまいました〜!!