お父様が話してくれる御伽噺はいつも、こう始まる。
『我らは昔、竜だった。』
私はその御伽噺が大好きで、大陸全土を巡る多忙を極めたお父様が家にいてくれるときにベッドに潜り込んでは、何度同じ話をねだったのだろう。
『竜の末裔、獣の民。ようこそ、我が一族へ。お前にドラコニアの名を与えよう。』
夜の帳、お父様の落ち着く低音を聞いて微睡めば、辿り着く夢は決まっていて。
『我らはドラコニア、いつの日か竜へ戻るのか、それとも人の────』
繭とも、結晶とも。その中でおおきな体を丸め眠りにつく、不完全な竜の夢だ。
セバスチャン、人間一年目がすぎましてよ!?
「……かわいらしい鳥が一羽、迷い込んでおりますわね?」
「!?」
凄まじい速さで振り返られたので首を傾げる。何故そんなに驚かれて、ああ、そうか、気配を徹底的に殺し近づいたせいか、僅かに遅れて気づいた。その者は武器を構えていないが油断ならない相手を目にした眼差しをしていて、こちらも目を細めてしまう。場を侵すピリついた雰囲気はまるで戦場だ。
「誰のお客様かしら、おもてなしをしなくてはお父様に叱られてしまいます。」
「……我はある方に呼ばれこの地に足を踏み入れた。お前に危害を加えるつもりはない。」
「そのようなこと……誰からも聞いておりませんわ。」
そもそもこの屋敷で生活している身内は、外に血縁者がいようと関わりを持たないと決めた者が殆どだ。さまざまな事情を持った人間がいるものの、身内に会いたいと願う者は少数で、いたとしても彼や彼女らの血縁者が生きていないことも多い。
生きていて後ろ暗くない身内がいるのであれば本人の意思によってはその家に帰すこともあるのだが、そういった状況になったこともない。
うちに足を踏み入れれば、外よりもずっと楽だと笑ってくれて、ここにいたいと縋ってくるものばかりだった。
この家を気に入り集団で生活をしている我らに、外から訪ねてくる人間がいるわけがない。
話を聞いていないと言えば驚愕しているが、この者、只者ではない。まるで私に武術を教え込むセバスチャンのような気配がしている。人ならざる者、そう思わされるほど研ぎ澄まされた武人の気だ。単純な武術では勝てない、かも。だが、この屋敷で私より強い者はお父様やセバスチャンぐらいだ。お父様は今日も留守にしており、セバスチャンは鳥の散歩に行った。セバスチャンの散歩は地味に長い、時間の許す限り広大な敷地を練り歩く。私の朝支度を終えた彼は朝食まで帰ってこないだろう。
この屋敷にはまだ幼い子たちもいる、敵は排除しなくては。
入りたてのメイドがしまい忘れたであろうモップを手に取り、構えた。そんな私を見ては眉を寄せ、武人であろう少年はため息を吐く。
「せっかくですもの。一手、御指南しては下さらない?」
モップを槍のように扱い身構えれば、彼も、す、と構えをとる。その手に武器はない。傷つけるつもりない、ということだろうか。構えから見て彼も、セバスチャンのように槍を得意としているのだろう。仕掛けるのは、此方から。一歩踏み込んだ私は少年の後ろから現れた琥珀色に、その少年に叩き込もうとしていたモップを寸前で止めることとなる。
「もう来ていたのか。」
「て……しょ………セ、セバスチャン様。遅れてしまい申し訳ありません。」
「セバスチャンの知り合いでしたら先に言ってほしかったですわ……客人が来ることも聞いてはおりませんでしたもの!」
「口が過ぎるぞ人間、お前はセバスチャン様の何なんだ。」
「この女人はお嬢様だ。現在俺が仕えている者であり、今からお前が潜入する組織を潰すため、尽力する真っ当な人間でもある。」
まったくそのような話は聞いていません。そういった顔で困惑している腕が立つ少年の手をとり、案の定説明が足りていない執事に叫ぶ。セバスチャンは真っ当という意味を調べ直すべきだ。暗殺の術を知る私が真っ当な人物のわけがない。
「セバスチャン、まずはお茶にしましょう!」
少年は私が掴んだ手を振り払おうとしているが、私は敷地内に侵入していたうねる魔物の魔の手からセバスチャンを救い出し、青褪めていた哀れなセバスチャンを拘束する触手を素手で引き千切る女、こんな力ではびくともしない。
「お嬢様。彼をもてなすため、璃月の茶を淹れてくるので少し時間が欲しい」
「あなたの少しはおかしいもの、日が暮れてしまいます。私がお茶を淹れて差し上げますから我慢なさって。」
「お前はそれでも構わないだろうか?」
「我に茶は不要です」
「まあ、私のお茶が飲めないと!?」
なんなんだこいつ。そんな顔を向けられようと私はめげない。セバスチャンが選んでくれた部屋に茶器一式と目当ての瓶を持ってきた私は、少年の目の前でお茶を淹れ始めていた。氷の神の目を外しテーブルに置く。視線を感じているが気にせず、手を添えてちょうど良い温度まであたためた透明なガラスのティーポットの中に二種類の瓶から分量を変え、花とつぼみと茎を入れる。熱々で持ってきた別の器のお湯が良い温度になってから注ぎ、しばらく待つとお湯に色が薄らとつく。良い香りがしてきたところで三人分の器に茶を移し、出来上がる。
「お口に合えば嬉しいわ、セバスチャンもどうぞ。」
「俺が先にいただこう。」
彼らの前に置き、自分の器を持ち席に着く。セバスチャンが香りを楽しんでから口をつけると、少年は口をつけた。一口飲めば僅かに見開かれた目が伏せられる。安らぐようにその者は息をつき、肩の力が抜ける。
清心とスイートフラワーの花薬茶は、璃月から足を運んでくれた少年の口にあったらしい。私も一口飲む、今日も美味しくできた。ほのかに甘く清々しい。私はヴァルベリーとラズベリーのダブルベリーティーが好きだが、璃月の特産品が混ざったこちらを選んで良かった。モンドではハーブティー、璃月では花薬茶と呼ばれることもある、一種の万能薬である。あまり出回ってはいない、というか葉や花や茎を煎じて飲むものがあっても、つぼみで茶を淹れようという者が少ないとお父様が言っていた。
それから、今回計画したある組織の壊滅作戦を話す事になった。実はこの前、暇を持て余し足を運んだチャリティコンサートで怪しい動きをする貴族がおり、連れていた養子が気になったのだ。私の目を惹くということは身内となる者なのだろう。平和に暮らしていれば良いが、今まで平和に暮らせている一族に会ったことがない。月を思わせる青味がかった銀の髪、月白色の子は育ちの良い少年の服に身を包んでいた。己の肩を抱く父になったであろう男の手に、ぎこちない笑顔を浮かべていたのがどうも引っかかる。
薄々感じている嫌な予感に従い調べれば案の定出てくる余罪、余罪、余罪の嵐。この糞が。かき集めた情報を纏めた紙を机に放り投げ、下衆しかいない、糞が、そう呟く私に、口が悪いぞ、とセバスチャンが小言を紅茶に添えるので、お糞様ですことよ!?と吐き捨てたりもした。
少年少女を食い物にしている変態の集団。金銭のやり取りだけではなく人身売買にも手を出している。少年少女が人間以下の扱いを受けているであろうことも明白。ただの犯罪者に関わる気はないが、身内となる者が関わっているならば話は別。私たちは同族意識がクソ高い。身内が虐げられているのは体をほじくり回されているようで気に入らない。同じ祖を持ち、血よりも濃い繋がりを持つ子を放っても置けない。だが、明日のお父様とのディナーまでには終わらせたかった。現在朝の四時。奴らの集まりは夜。敵が食いつくであろう見た目をした人物は身内にいるが、出来る限り身内を巻き込みたくないので困っていると、これも契約の内か、と口にしたセバスチャンが紹介してくれたのがこの少年というわけだ。
まず最も重要な条件は、敵の好物である見目麗しい絶世の少年であり。
第二に、組織を潰すためある程度の腕前、不利な状況下の一対多数の戦闘に優れ。
第三は希望でしかなかったが、悲惨な現場を目撃しようが怯まない人材が欲しい、と。
有能すぎるセバスチャンに愚痴を溢したのは昨日の夜だった。一晩で悩みを解決してくれるセバスチャンは最高の執事である。
「紹介しよう、お嬢様。俺の古くからの知り合いで一対多数の戦闘に優れている。彼は今回の仕事に適任だ。名を、魈と言う。」
「私はあなたを何と呼べばいいのかしら。」
「セバスチャン様が仕えている者であれば我はどのような呼び方であろうと気にはしない。……魈で構わない。」
「では、魈。あなたの名を預けられたのだから、こちらも名乗りましょう。我が名はベアトリーチェ、これから私の目の前に現れた外道を討ち滅ぼすものの名であり、あなたと共に戦う人の名です。」
美しい少年の見目をした魈が花薬茶を飲み終えたところで席から立ち、璃月に伝わる古い作法で挨拶をする。魈は、ベアトリーチェ、と覚えるためにか私の名前を小さな声で呼んだ。今はそのように挨拶をするものはあまりいない、と寂しそうに言っていたセバスチャンと似た眼差しをしていた。何かを懐かしむものの目だ。
「そして、私のことはお嬢様と呼びなさい、魈。私たちは潜入するのよ。私があなたを飼っていることにしなくては。」
「我を……飼う……?」
「手筈は整えてある」
「流石ね、セバスチャン……!」
唯一状況についてこれていない魈の首に、首輪はつけられた。
セバスチャンに人間ではない知り合いがいたなんて、流石ですわセバスチャン、と口にしなかった私を誰か褒めて欲しい。セバスチャンが有能すぎて辛い。
◇ ◇ ◇
「覚えていろ、お嬢様……我にこのような仕打ち、断じて許されるものではない……!」
「その可愛らしい囀りをおやめになって。あなたも“人間一年目”なの?これはお仕事よ、我慢して。」
「グゥ……」
言われた通りお嬢様と呼ぶあたりものすごく素直なひとだな。私も心苦しいのよ、わかってちょうだい。そういう表情を作り、内心ノリノリで美少年の首につけた首輪、そこから伸びる手綱を引っ張っている。四つん這いにしなかっただけありがたいと思ってほしい。貴族の少年のように身なりを整えた彼はこの世のものとは思えぬほど美しいのでよしとする。璃月の仙獣に首輪をつけたと岩神に知られたらこの首を落とされそうだが、岩神は亡くなられたと聞いたし恐らく大丈夫だろう。
裏の人間もしくは裏に通じる者しかいない仮面舞踏会。
すれ違うものは皆、少年や少女を連れた貴婦人や紳士だ、この場には腐敗した貴族や商人しかいない。飼っている人間を四つん這いで歩かせている者もいれば、衣服を身につけさせていない者もいる。殆どの貴族は着飾ることを好むので、宝石で飾られ笑顔を貼り付け続ける少女に、稲妻の着物を妖しく纏う少年もいた。
「……この悪臭は何だ、お嬢様に害はないのか。」
「鼻も効くのね、私やあなたには効かないものよ。欲をさらけだしてしまういやらしいお薬。」
ぎょっとしている魈に、にっこり笑う。この場に来る前に魈にも私と同じ鳥を模した仮面をつけてもらった。それでも表情がわかりやすいのだから随分と可愛らしい仙獣様である。
無駄口を叩く唇に人差し指を当て言葉を封じるため、ダメ押しとばかりに肌に触れそうで触れない距離でリップ音を鳴らす。この子をいたく気に入ってると誰の目にもわかる振る舞いをする。今回の獲物が主催のパーティーに乗り込み、釣り糸を垂らす。
「初めて見る、お美しい方だ。」
ほら、光に集まる羽虫のように下衆が釣れた。チャリティーコンサートであの養子を連れていた輩だ。
「……腐った臭いがする」
「ごほん、ごめんなさいね。私の鳥は他に懐かないの」
「躾に困っておられるのですか?私は躾が得意ですよ。」
「私の鳥が欲しいだけでは?」
魈を後ろから抱きしめ、見せびらかすように可愛がる。魈はピクリと反応をしたが、耳元で良い子にして、と念を押したおかげか我慢してくれている。目は遠くを見ていた。唐突に虚無らないでほしい。怪しまれる。
「気の強いお嬢さんだ。……かわりのものをいくらでも用意させていただきましょう。珍しいものもありますよ。」
「あら、私の鳥よりも珍しくて美しいものがあるの?」
魈を抱きしめたまま嘲笑う。目を閉じ艶かしい接触を我慢している少年があまりにも魅力的だったのだろう、ゴクリ、と唾を飲み込み、早口で続けた。
「一度見ていただくだけでも構わないのです、どうか。」
「見るだけなら、そうね……構わなくてよ」
想像よりもす、と簡単に応じた私に、魈から視線を外さない今夜の獲物は、私に商品を見せるよう付き人に言いつけ私と魈を引き離すようだった。計画通りだ。魈の手綱を外し、首輪をつん、とつつく。
「私の小鳥さん」
「……お嬢様。」
「可愛がってあげてね。」
二人きりになったら、潰してもいい、と伝えてある。その後、身を隠してもいい、とも。鼻息荒い紳士が魈とどこかへ消えていく。あの獲物がどんな目にあうのかが楽しみだ。私は獲物と組織を潰すよりも先に目的のものを見つけなくては。付き人についていく。セバスチャンは予定通り馬車を用意できただろうか。
「まだつかないのかしら」
「地下になりますので」
「そう」
言葉を返し、足を進める。死角から、影が手を伸ばしてくる。暴れるのは得策ではない。何故ならばその方は、私の幼馴染みであるから。
「また会ったな。」
声を出さずに沈黙で返す。付き人から引き離すように私の腕を引き、カーテンの裏、その後バルコニーへと連れ去った男はいた。バルコニーの柵に両手をつき私を閉じ込めた月下の美丈夫は仮面をつけ、黒い衣服を身に纏う。どこかで歌われる怪人のように現れる。
「今夜は何が目的だ?」
これにも沈黙を。仮面のおかげで正体はバレていなさそうだが、声でバレそうだと危惧している。彼は今日も暗殺の仕事だろうか。お忙しい幼馴染みに心の中でエールを送っておく、がんばってディルック様。
「君はどうして、僕の前に現れる」
いえ、あなたが偶然そこにいるからです。狙って現れたように見えるだけですね。そこになければないです。
クロークと呼ばれる袖なし外套、マントよりもゆったりと全身を覆うようなもので、暗器を隠すにも敵の目を覆うのにも使い勝手がいい。私の体ごと隠すように覆いかぶさる彼のどこを蹴り上げるか、どこを踏もうか、悩んでいる。
「……温かいな」
何かを確かめるためだろう。ドレスとお揃いの繊細な白い手袋に触れたディルック様に、ヤッベと目が泳ぐ。バレてる?まだバレていない?背後にいる彼に顔が見えていないからできる仕草である。手袋を脱がしにかかる幼馴染みに心は震え、指に触れられる。体温、脈、どちらか。どちらも意識すればおかしくなることはない。こういった場所は身体検査をしている場合があるので氷の神の目はセバスチャンに預けてある、それがなくては戦えないわけでもない。何より、もしもの可能性。神の目を持っている者は目立つ。顔見知りがいればバレる要因の一つだろうと身につけてこなかったのは正解だった。
「冷たくはない、か。」
そっと持ち上げられ、指先に唇が触れる。ホッとしたように溢された安堵を感じる。
「君は、僕のことを知ってるのかい。」
助けてセバスチャン、ハニートラップかけられてる気がする幼馴染みが大変気まずいよ。今後の関係にとても響くよ。だがしかし、そんな都合よくセバスチャンが現れてくれるはずもなく、体を反転して向かい合えば想像よりも近い。屈めば口づけすらできそうな距離。動揺するなと言い聞かせ、笑みを浮かべる。
捕まり、彼に口付けられていた人差し指を私の唇に。ちらりと上目遣いで様子を伺い、そのあと彼の唇に、そうっと触れる。彼が私の指先を持ち上げるよりもやさしい力で。言葉ではなく態度と沈黙を渡す。彼の問いには、答えられない。細められた目に滲んだのは怒りだろう、息遣いだけが聞こえる。
「答えられないなら、その唇で塞いでくれ……それでも君は口付けてはくれないのだろう。とても、意地悪だ。」
屈まれると触れ合ってもおかしくない。かちり、と互いの仮面がぶつかる。私たちの唇の間には私の人差し指だけがある。逃げるため、しゃがみ込もうとすれば太腿の間に足を入れられた。体を逸らし逃げようとした私の頬に、何も纏わない右手の親指と人差し指が触れる。
「君の目を、きちんと見たいんだ。この仮面を取っても?」
いいえ。そう口にしようと取る気だ。言っても言わなくてもやばい。負けじと私も彼の仮面に手を伸ばせば、彼が軽く身を引いた。
その時、木々の間から放たれる一筋の矢。
それは的確にディルック様の眉間を狙い、かなり殺意高いな。どうしたセバスチャン、何があったんだ。矢はディルック様の仮面に当たり、素顔が月下に晒される。ディルック様は反射的に顔を手で隠し、次々と放たれる矢を避け続ける。その矢は私を狙ってないと気づいたのか、姿なき刺客と私から距離を置きそのまま逃げたようだ。
この猛攻、容赦のなさ。腕に自信があるなら教えてちょうだいと頼み込んだのは出会ったばかりの頃、大抵の武器は扱えると口にしたとんでもない執事の仕業に、やれやれだぜ、と声をかける。
「セバスチャン……?」
「セバスチャン様はまだ到着していない。」
音もなく木から降りてきた魈にあら、と声が出る。殺意が高いのも頷ける方だった。彼は弓も扱えたのか。
「もう潰してしまったのね。」
「苛烈な。気絶させただけだ。」
「そう……ここでしてよ!月を見ていましたの!」
乱れてはいない服装から目を離し、付き人の人を探している呼びかけに答える。バタバタとした足音が近づくのに姿を消そうとした少年に魈、と呼びかけると此方に視線を向けた、眉間の皺がひどいことになっている。
「怪我はなくて?」
「……我を凡人と一緒にするな、あるはずもない。お前はなぜここまでする?」
「私は、悪の敵でしてよ。……我らは群れの意識が強いの、祖を同じくしているから。」
目を逸らし屋敷内へ戻る。付き人に笑顔を振り撒き地下室に急ぐ。
神の目という外付けの魔力器官と異なる力、元素に近しい生物がこのテイワットには存在している。スライムや大きなトカゲといった生命体に、七神は存在そのものが別格としても。モンドの東風、璃月の巨龍、稲妻の巨蛇、古代の元素生物。神々の時代から生きる者たち。
我らもそうなのだ、と男は言った。
器は人、流れる血に混じるは祖。お前は特に濃い。生まれつき纏っている力を使いこなさなければ早死にするだろう、とも言われた。いつからか手に持っていた神の目とは異なる力を一族の者は持つ。我らは、人でありながら人ではない。血の繋がりはないが、何よりも深く、濃い絆を持つ。
とおいむかし、ちいさいとき。その男に、ようこそ、と言われたことがある。狂喜に浸された瞳を生々しく私は、覚えている。
「ごめんあそばせ」
地下室にたどり着いた。付き人の腹を殴り気絶させ、横に転がしておく。数人の子どもたちはいるが目当ての者が見つからない。子どもたちは騒ぎに乗じ逃すか、騎士団の目のつくところに放置で良いとしても、と、一番奥だ。檻の大きさが違う。檻に閉じ込められている影もそれなりだ。少年少女以外の別の生き物。その生き物の影に隠れ上手に息を殺す、小さくとも強い気配。
「あなたも、空を見たいのかしら。」
檻に手を突っ込んだ私に、苛立ちを隠さない魔物が尾を振り上げる。でかい尻尾を叩きつけられるが少ない動きで避ける。
「自由な風はお好き?」
先程、手癖の悪い手で鍵を外した檻は開け放たれた。中の魔物は勢いよく飛びかかってくるが、氷の神の目がないおかげで力は有り余ってる。さらに距離を詰め魔物の横っ面をぶん殴る。魈につけていた手綱を首に巻き付けぎちりと一度強く締め上げるが、緩めもする。
「運動不足なラギアクルスの良い遊び相手になりそう。そうだ、このクソデカネコチャン持って帰ろ。」
お転婆がすぎるぞ、お嬢様。イマジナリーセバスチャンの声が聞こえた。末期だ。
「あなたの名前は────ナルガクルガ。遊んであげるナルガクルガ。」
背に乗る人間を振り落とそうと暴れる魔物の手綱をひきながら、乗りこなす。どちらが上か、教えてさしあげなくては。
「頭を垂れなさい、王の帰還よ。」
手綱に蒼白い光を纏わせ、暴れるクソデカネコチャンを暴力に相応しい力で押さえつけた。
「お願いそれ以上傷つけないで!彼女はともだちなんだ!」
飛び出してきた、今の今までお上手に隠れていた少年の服を着た子どもに、ええ、もちろん。あなたが素直に誘き出されてくれてよかった、と思いながら月白色に輝く髪を見下ろした。出来るだけ優しく、口元を緩ませる。
「自由をあげる」
「自由……どうして?」
「あなたは同胞だから」
「どうほう」
「家族みたいなもの」
「……かぞく。」
月白色の髪の子が目覚めているかはわからないが、片手に蒼白い光とも炎ともとれる生命エネルギーをかき集める。元素とは異なる力に、こぼれ落ちそうなほど目を見開いている。
「初めまして、竜の末裔、獣の民。ようこそ、我らが一族へ。我らはドラコニア。あなたが望むのなら我が名の元に生きることを許しましょう。さあ、徒人の呪いが解ける時間よ、私の手をとりなさい“お姫様。”」
彼女と呼んだナルガクルガに近づく少年の服を着た女の子に、手を差し出し躊躇う手を引っ張り上げる。私の前に乗せ、魔物をぽん、と叩いた。
「外に出るわ」
クソデカネコチャンの彼女には不満げに唸られたが、私たちを振り下ろすことはしなかった。
◇ ◇ ◇
飛べぬトカゲはただのトカゲだ。
セバスチャン曰く龍であるラギアクルスの咆哮が会場を恐怖と混沌に染め上げる。逃げ惑う人々、目障りだと言わんばかりに放たれた雷光はいなびかり、地を舐める。当たった人間はバタバタと倒れていく。人が塵のようだ。ラギアクルスの上、仁王立ちになり現れた魔王にしか見えないセバスチャンに声を張り上げた。
「セバスチャン、“人間一年目”がすぎましてよ!?」
「俺はまた何かを間違えたのだろうか?丁度良い馬がいなかったんだ。……お嬢様もお転婆がすぎるぞ。」
馬がなければ龍に乗れば良いというものでもない。しかも仁王立ちになるか普通。ナルガクルガに跨る私を見て、セバスチャンは物言いたげに琥珀色の目を歪めた。そんな目で見ないで。喜びなさい、我が家にペットが増えるよ。
「一人残らず潰そう、セバスチャン。」
ナルガクルガの上から降り、執事服のセバスチャンを片手でおいでおいでと呼ぶ。背を預けるにあたり、これほど心強い相手もいない。どこからともなく現れた少年は面を被り槍を持っていた。
「……あとで茶を淹れろ、飲んでやってもいい。」
「寛大なお心遣いに感謝いたしますわ。」
目礼をし、ナルガクルガと月白色の子に少し離れてるように伝える。
この身は蹂躙が得意だが、殲滅は不得意だ。一つ一つ潰すのがあまりにも下手。丁寧に殺そうとすると取りこぼしは多く、我慢できず全てを灰燼に帰す私を見かねたお父様が暗殺の術を覚えるよう言いつけたのは、我慢と力の使い方を覚えるためだったのだろう。
子供の頃からよく言われた。氷の神の目もうまく使い、頭と体をよく冷やせ、なんて酷い。
「あの、あなたも、戦うの?」
「ええ」
身軽な体だ。ぴょんっと飛び降り私に近づいた子を何気なく撫でようとした。屋敷にいる子たちと同じように。頭に置いた手、噛み殺された悲鳴。慌てたそぶりで謝罪を重ねられる。その目は怯えきっている。ああ、これだから、本当に、捨て置けない。月白色の髪から手を離し、にっこりと笑った。
「お前は離れていなさい」
同胞を汚した輩を生かしておく理由がどこにある。夜を照らすほどに明るい青白いエネルギーは直後、爆発的に燃え広がった。一瞬で地をえぐり、壁を這い、高い天井にすら到達する。
「我を燃やす気か!?」
「お転婆がすぎるぞお嬢様!」
「ごめんなさい魈、セバスチャン」
私は素直に謝れるお嬢様なので秒で謝った。セバスチャンが私へ投げた氷の神の目で、燃え焦がす蒼白いエネルギーを消し去り、私自身の頭と体を冷やした。
糞を一網打尽にし、首謀者を潰すついでに更生できないであろう一部の人間たちが二度と、生物にあらぬ欲を抱かぬよう完膚なきまでに雄にしか存在しない患部を擦り潰し、雌にはラギアクルスとナルガクルガで恐怖を植え付け、どうしようもない輩は纏めておき、少年少女をおまけで解放した。騎士団が着く頃には全てが片付いている。情報もおいとけば手柄にするだろう。貴族が絡んでいるから揉み消すかどうかは任せる。そこまでこの国の面倒を見る必要もない。目的は既に果たした、私は正義の味方ではない。
あとの諸々をお父様に頼んでおかないと。セバスチャンに命じると、セバスチャンは既に連絡していたようで一任されていると言った。さすがセバスチャンだ。用意されていた船に少年少女とどうしようもない輩を乗せる。前者はお父様の伝手で別の国へ逃すらしい、後者はお父様の気分次第だろう。少年少女は自由を掲げたモンドの地ではもう、生きていけなさそうであったから、その方が幸せかもしれない。
「帰りましょう、うちに。」
月白色の女の子の手を引く。衣服と役割を与えなくてはいけない。随分と身軽な子だ、庭師でも良いかもしれない。馬やナルガクルガの世話係も良いだろう。
「セバスチャン、ラギアクルスに乗ってきたの?」
「乗り心地は悪くなかったぞ。彼の良い散歩にもなっただろう。」
「“人間一年目”がすぎましてよ……」
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瘴気と妖魔に満ち溢れた時代の璃月にこの人あり、とまで言われた武人がいる。
その人間は璃月の外から流浪してきた者の一人であったが、妖魔のことごとくを屠る働きは夜叉にも並ぶほどで、もはやあいつは人間ではない、急には止まれぬかなしきモンスター、歩く天変地異、龍と三日三晩戦いしまいには食べた、通ったあとには花すら残らない、清心を根こそぎ集める習性がある。いまも様々な逸話が残るほど、人間らしからぬ人間だった、という。
一部のマニアックな考古学者には人気が高い、実在していたと信じられている人間である。
「我ら一族が大陸に残した話の一つだ。」
「とても素晴らしい方が居たんですね」
海で遭遇したついでに龍を連れ帰ってきたお転婆な愛娘の愛らしさにアマデュラは目を細める。彼女の賞賛の言葉を聞き、満足げに笑った、ともいう。皿の上の肉を上品に口に運びゴクンと飲み込んでは、昨晩も“お転婆”をしたであろう彼女を眺めている。
ワイングラスの中身、赤黒い液体の匂いを嗅いでから、ちろりと舌で味わい喉を潤す。黒い髪に赤い瞳、彼女とは肌の色や顔立ちも、似ても似つかない。血の繋がりがない、と一目でわかる容姿だった。しっとりとした夜の帳を思わせる気怠さで、愛娘を見るときだけ、眼光の鋭さが形を潜める。
「あのトカゲは食い意地が張って敵わん、海に戻す気はないのか」
「でも、庭にいる彼は雷避けに丁度いいですし」
「ラギアクルスにそういう使い方があったとは……雷が当たれば俺とて、それなりに気に障る。」
喉を鳴らし肩を揺らすアマデュラの言葉に彼女は、私も当たれば落ち着かないですもの、なんて軽口を交わしあった。
「ところで見慣れないデカいネコチャンがいたな。愛しい娘よ。あれは何だ。」
「お父様の言う通りあれはただのクソデカネコチャンです。」
「そうか、あれが噂の……餌をやりすぎてふてぶてしく肥えた猫、平穏の権化と聞くクソデカネコチャンか。もはや魔物のようだな……想像よりもデカい。」
「そうです。だからクソデカネコチャンと呼ばれているんです。」
「あれは誰が世話をする」
「だいたいはセバスチャンが」
「そうか。」
アマデュラは七神に猫の世話を任せる娘にそれもまたよしと頷き、飲み切ってしまったワイングラスを置いた。
「……お前のいない夜は長くて敵わん」
「…………おじゃまします、あとで」
もごりと口元を動かした娘を見ては不作法にもテーブルを指先で叩く。
「邪魔だと思った覚えはない。モンドの夜は風が強く鱗もよく冷える、暖めに来い……御伽噺を聞かせてやろう。」
そんなことを言って娘をベッドに誘う父を見て、ベアトリーチェは思う。私を何歳だと思っているのか、嬉しいけどいつかお話ししてくれる日が来なくなるかもしれない。来なくなったらどうしよう、お父様のお話大好きなのに。そんな具合に。
何歳になろうとも、そのちっぽけな生き物が娘であることに変わりはないアマデュラは、ベアトリーチェが年老いたとしてもベッドで御伽噺を聞かせるつもりしかなく、そんなお父様のクソデカ感情を知らないベアトリーチェは瞳を伏せた。不安がっている娘の内を知ってか知らずにか、アマデュラは控えていた者にワイングラスのおかわりを求める。ボトルごと寄越せ。ないです。ダメです。お嬢様がグラスなら良いと。
「そればかりお飲みになって……最近ちゃんと食べてます?」
「俺はこれでいい。栄養が取れる。」
「ダメ。お肉ももう少し食べて。お野菜も。」
「草は清心しか好かん」
「食後にハーブティーを淹れますから。ね、お父様、お願い。」
「……氷なしのアイスティーか。」
「もちろん、お父様の体が冷えすぎないよう常温に戻しておきました。」
渋々、幾つかを口に運んで丸呑みにしていくアマデュラにベアトリーチェはくすくす笑った。ドライハーブティーも美味しいがフレッシュハーブティーも悪くはない。屋敷の奥まった庭に溢れている清心で初めてお茶を淹れてあげた日を思い出して、ベアトリーチェは緩みきった頬に手を当てる。
アマデュラの胡散臭そうな赤い目が、穏やかにほどけた日のこと。赤黒い液体で満たされたワイングラスしか傾けないお父様が、ときどき求めてくれるようになった清心のシングルハーブティー。
旦那様がマトモにお食事をなさるなんて明日は隕石が降る。料理長のアイルーに崇め奉られた幼少期が過ぎり、笑みが消えた。幼いベアトリーチェが駄々をこね、屋敷にいる日は一緒に食事を取るようになり、年々、口に物を運ぶ回数は増えた。カッツェレインの血を持つ小柄なアイルーの涙ぐんだ姿は嘘ではなかった。
このアマデュラ・ドラコニア。年齢不詳。妻はないが一族はめちゃくちゃ多い男。ベアトリーチェのお父様は食事をしなさすぎて、ドラコニアの屋敷の七不思議の一つになっている。
幼い者や若いメイドが中心となって噂されるドラコニア七不思議その一つ。
ワイングラスの中身と食事をしない旦那様。
真相を知るのは食事を用意する料理長アイルーと、口が堅く旦那様に信用されているメイド長のカガチ。そして御伽噺とともにさらりと教えてもらった愛娘のベアトリーチェだけなのであった。



























