気付いたら舞香のことばかり見ていた。
朝。
「衣織、コーヒー飲む?」
「飲む」
昼。
「お腹空いた」
「さっき食べたじゃん」
夜。
「今日疲れた」
「お疲れ」
そんな何気ない会話。
でも全部が心地よかった。
失った二年間のことは分からない。
それでも、今の舞香は優しい。
ちゃんと私を見てくれる。
ちゃんと隣にいてくれる。
だから、今までよりもっと舞香のことが好きになった。
休日。
久しぶりに二人で買い物へ出かける。
スーパーへ向かうだけなのに、少しだけ嬉しい。
「何食べたい?」
舞香が聞く。
「舞香が作るならなんでも」
「困るんだけど」
「じゃあハンバーグ」
即答すると舞香が笑う。
「子どもか」
その笑顔を見るだけで胸が温かくなる。
本当に私は単純だ。
買い物中、野菜売り場。
舞香が玉ねぎを選んでいる。
少し真剣な顔。
横顔を見つめる。
綺麗だなと思った。
昔から知っている顔なのに。
今さらそんなことを思う。
「何?」
舞香が振り返る。
「見てた」
正直に言う。
舞香が困った顔をする。
最近よくその顔をする。
「変な衣織」
「好きだから」
さらっと言う。
舞香が固まる。
「え?」
「だから見てた」
数秒。
完全に動きが止まる。
衣織は吹き出した。
「なんでそんな反応なの」
「いや……」
舞香が視線を逸らす。
耳が少し赤い。
それがなんだか嬉しかった。
帰宅後、二人で料理をする。
衣織は隣で野菜を切る。
舞香はハンバーグを作る。
「危ない」
包丁を持つ手を舞香が後ろから支える。
一瞬、体温が近付く。
心臓が跳ねる。
「ちゃんと見て」
舞香は気付いていない。
でも衣織は全然集中できない。
近い。
夜、ご飯を食べ終える。
テレビを見る。
いつもの時間。
いつものソファ。
舞香の隣。
衣織は自然と肩を寄せる。
昔からそうしていた気がする。
記憶はないけれど、体が覚えている。
「眠い?」
舞香が聞く。
「少し」
そう答えながら、本当は違うことを考えていた。
ー舞香が好きだな
そればかり。
映画が終わる。
部屋が静かになる。
時計を見る。
もう深夜だった。
「寝る?」
舞香が立ち上がろうとする。
その瞬間、衣織は無意識に袖を掴んだ。
「衣織?」
呼ばれる。
少しだけ恥ずかしい。
でも離したくなかった。
「どうしたの?」
舞香が優しく聞く。
その優しさがずるい。
どんどん好きになる。
もっと好きになる。
衣織は小さく息を吐く。
そして
「舞香」
「ん?」
「好き」
舞香が固まる。
またその顔。
最近よく見る。
泣きそうな顔、
嬉しそうな顔、
苦しそうな顔、
全部混ざった顔。
意味は分からない。
でも今だけは、考えたくなかった。
衣織は少し身を乗り出す。
舞香の目が見開く。
「衣織」
呼ばれる。
でも止まらない。
恋人だから。
好きだから。
ただそうしたかった。
唇が触れる。
ほんの数秒。
短いキス。
離れる。
静寂。
心臓の音だけが聞こえる。
衣織は照れて無理やり笑う。
舞香は何も言わない。
俯いている。
顔が見えない。
「舞香?」
返事がない。
「え?」
嫌だった?
まずい。
頭が真っ白になる。
「ご、ごめん!」
慌てて謝る。
「嫌だった!?」
顔を覗き込む。
その瞬間。
舞香が泣いていた。
衣織は完全に固まる。
「え」
涙が落ちる。
ぽろぽろと止まらない。
「え!?」
「ごめん!」
「ほんとごめん!」
「違う」
舞香が首を振る。
「違うから」
声も震えていた。
「じゃあなんで泣いてるの」
衣織は半泣きだった。
舞香は何も言えなかった。
幸せだった。
嬉しかった。
苦しかった。
後悔していた。
愛おしかった。
全部本当だった。
全部一緒に胸の中にあった。
答えられない。
答えられるはずがなかった。
「……分かんない」
掠れた声でそう言う。
衣織が目を丸くする。
「分かんないの?」
「うん」
舞香は少しだけ笑った。
涙はまだ止まらない。
「でも」
小さく息を吐く。
「幸せだから」
その言葉だけは間違いなかった。
衣織はしばらく舞香を見つめていた。
それから、ほっとしたように笑う。
「びっくりした」
「ごめん」
「ほんとだよ」
そう言いながらも、衣織の表情は柔らかかった。
その顔を見ていると、また涙が出そうになる。
だから舞香は慌てて視線を逸らした。
衣織はそっと舞香の手を握る。
舞香も握り返した。
温かい。
安心する。
この温もりを失いたくないと思った。
衣織は知らない。
この涙が幸せだけで流れているわけではないことを。
知らないまま、舞香の肩にもたれた。
今はただ、この時間が続けばいいと思いながら。
しばらくして、舞香の腕がそっと背中に回る。
離さないように。
確かめるように。
衣織も静かに抱き返した。
言葉はいらなかった。
互いの鼓動だけが聞こえる。
その夜。
二人は退院してから初めて、抱きしめ合ったまま眠った。



















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