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彼は僕のものだから

まきのまきの

3136ラブラブ絶頂期のスタゼノです。 スを信頼しているからこそ嫉妬や束縛についてあまりピンときていなかった合理厨のゼ先生に心境の変化があったお話です。 陽くんと名前のない無害なモブ(ゼの同僚女性)が出てきます。

スタンリーを一晩貸してほしい、という奇妙な申し出にゼノは首を傾げていた。貸すも何も彼はゼノの所有物ではないし、ゼノは彼の保護者でも雇用主でもない。確かにスタンリーがゼノの頼みを断ることなど滅多にないが、彼の身の振り方の決定権はあくまでスタンリー自身にある。だからゼノにはその依頼に応えることなどできないが、依頼主の上井陽は今にも泣き出しそうな顔でゼノに縋り付いてくる。
 彼はスタンリーの数少ない友人の一人であり、門前払いで無碍にあしらうのはさすがのゼノでも憚られた。現在警察官として働く陽が科学者チームのラボに寄りつくことは珍しく、今日はゼノに会うためだけにわざわざここまで足を運んでくれたのだ。彼の計画そのものはゼノにとっても悪い話ではなく、ゼノはひとまず概要だけでも聞いてやることにしたのだった。
 陽が計画しているのは、男女の出会いを目的とした所謂マッチングパーティーだった。彼は数ヶ月前まで娯楽施設の警備員として働いていた経歴があり、生来の社交的な性格もあってか若者達の間で顔が広いらしい。そんな彼の人脈により複数の男女が集まって、明日の夜、総勢数十名のパーティが催されるとのことだった。
 そして主催者の一人である陽の要望は、そのパーティーにスタンリーを招待することだった。しかし本人にはすでにアプローチ済みで、何度も断られているらしい。だからこそゼノを経由して彼に出席を促したいようだが、ゼノとしてはこのパーティーの存在すらも初耳だったので驚いていた。

「Mr.上井、君の計画は僕も素晴らしいと感じたよ。そのパーティーの開催はストーンワールドの復興にも大きく貢献することだろう」
「陽でいーよ。それにそんな大それた計画じゃねえんだけど……」

 陽曰く、当初は少人数の合コン形式で開催する予定だったのが、主催陣で話が膨らんだ結果いつの間にか規模が大きくなっていたらしい。最終的には龍水財閥が経営するホテルのレストランを貸し切ったパーティー形式での開催となっていて、会場代などの諸経費を賄うため、最低でも五十名ほどの参加者を募る必要が出てきたのだ。

「スタンリーが来るって噂流したらファンの女の子もいっぱい来てくれんだろ? あいつ男のファンも多いしさぁ、確実に人が集まるんだよ」

 このストーンワールドにおいて、スタンリーは英雄の一人として老若男女から讃えられていた。圧倒的なビジュアルに加えてパイロットという華々しい役職、さらに代表を務めるタバコブランドはすでに軌道に乗っており、特に若い女性からの人気といったら他の追随を許さない。陽はそんなスタンリーを餌にパーティーの参加者を募りたいらしく、ゼノはふむ、と顎を触りながら項垂れる陽を眺めていた。
 パーティー開催の動機は不純かもしれないが、ゼノの立場から考えてみてもこれは賞賛すべき計画だった。このストーンワールドでは現在も復興活動が続いていて、各々が自らのやるべき仕事に向き合い日々懸命に働いている。多忙な彼彼女らが恋愛に避ける時間は石化前と比べても限られており、人間関係の構築だって石化前のようにはいかなかった。男女の出会いの機会が失われ、子を成す夫婦が少なくなれば、当然人口減少に繋がっていく。マンパワーの解決だけなら石像を復活させるだけで叶うものの、何十年先の未来を思えば次世代の育成は不可欠なのだ。ひいてはストーンワールドの復興のため、マッチングパーティーの開催自体はゼノとしても概ね賛成だった。
 このストーンワールドにおいて、月へ行った四人の飛行士達にはそれぞれファンクラブが存在する。この四人をゲストとして招待すれば自然と参加者は集まるため、最低人数の五十人どころか百人は固いという算段だった。
 しかし陽曰く、スタンリー以外の男性二人にはすでに断られているらしい。多忙を極める千空には「興味ねえし時間もねえ」と一蹴され、最も興味を示しそうな龍水には国外出張の先約があった。なんとか同情を買うことでコハクには頷いてもらえたものの、やはり女性参加者を募るためには男の英雄を巻き込む必要があるのだとか。

「一つ確認したいんだが」

 ゼノはスッと片手を上げ、淡々とした口調で疑問点を口にしていく。

「スタンにはすでにパートナーがいる……隠すまでもないが僕のことだ。決まった相手がいる場合、このパーティーには参加できないのでは?」

 そう、スタンリーはすでに運命の相手を見つけてしまっている。二人が交際を始めたのは半年ほど前のことになるが、ゼノは彼が生涯のパートナーになることを少しも疑っていなかった。二人は強固な絆で結ばれており、この先二人が道を分つことは万に一つもあり得ない。いついかなる美男美女が現れようと、二人の間に入る隙など無いのである。確かに婚姻関係こそ結んではいないものの、そんな絶対的な恋人がいるスタンリーに男女の出会いを目的としたパーティーへ参加する権利はあるのだろうか。

「そこがミソなんだよ」

 しかしゼノの質問に対し、陽はむしろ同調するように熱弁した。このパーティーに参加できるのは未婚の男女に限られるが、未婚であれば恋人の有無は問わないらしい。ただしあくまで入場可能と言うだけで、パーティーの最中に催されるマッチングイベントにはフリーの者しか参加できない。つまり未婚であればカップルでも会場を訪れることは可能だが、出会いのチャンスという点に関しては制限されるというルールだった。

「スタンリーがフリーだったら女の子全員そっちに持ってかれちまうだろ?」

 つまりスタンリーはあくまで客寄せパンダであり、陽は彼に参加者の女性達を当てがうつもりなどないらしい。

「俺はみんなの参加のきっかけ作りがしてえだけなんだよ。スタンリーに会いたくて来た子達も、パーティーで出会った他の男に恋に落ちるかもしんねーじゃん」

 確かにスタンリーはあまり表に出たがらず、これまでファンへのサービス精神などは皆無であった。とはいえハリウッドスター並みの美貌と肉体を持ち合わせた奇跡の美丈夫なのだ、一目会いたいと願う女性は星の数ほどいるに違いない。そして彼にはすでに確固たるパートナーがいて、他の参加者の男性陣にとってライバルにはなり得ない。そういった意味では千空や龍水よりもむしろ適任であり、陽としてはどうしてもスタンリーに首を縦に振ってほしいらしい。

「でもスタンリーの奴、『俺にはゼノがいっから』って……そんなん百も承知で頼んでんだっつーの!」

 ゼノはふむ、と当時のスタンリーの思考を推測する。明日の夜、スケジュールだけの話で言えばスタンリーの予定は空いているはずだった。仕事が終わり次第ゼノを迎えにラボを訪れ、ゼノと暮らす愛の巣へ二人で帰り、二人で作ったディナーを囲んでゆっくりと過ごす何の変哲もない一日になることだろう。しかしスタンリーにとってはそれすらもかけがえのない日常であり、ゼノと過ごす毎日は豪華なパーティーよりも貴重で大切な時間なのだ。

「だからよぉ、ゼノに許可貰えたらスタンリーも頷いてくれるんじゃねーかと思ってさぁ」

 陽曰く、スタンリーは当日その会場に滞在するだけで構わないらしい。パーティーの最中に挨拶やスピーチをさせられるわけでもなく、参加者から握手やサインを求められたとしても嫌なら断ってしまえばいい。もちろんゲストなので参加費は無料であり、パーティーで美味しい食事を摂って腹が膨れたら途中で抜けてもいいとのことだ。あくまで集客が目的なので、なるべく多くの参加者が集まった時点でスタンリーの仕事は終了する。

「悪い話じゃねえだろ?」

 だからこそ、陽にはスタンリーの気持ちが理解できないらしい。確かに一般的な感覚からすると陽の意見が多数派なのかもしれないが、生憎スタンリーという男の優先順位は良くも悪くも凡人とはかけ離れている。

「無理だね。仮に僕が彼に参加を促したとしても、彼は絶対に譲らないだろう」

 そう。ゼノをこよなく愛するスタンリーが、せっかくのゼノとの時間を犠牲にして出会いの場へ行くなどあり得ない話だった。もちろんゼノとてスタンリーとの時間は大切だから、彼がそのような選択をしたことに不満もなければ文句もない。とはいえ陽の計画するマッチングパーティーを応援したい気持ちもあり、ゼノは最も合理的かつ現実的な解決策を提案した。

「僕も一緒に行くのはどうかな?」
「えっ、ゼノも来てくれんの!?」

 ゼノの質問に対し、陽はむしろ嬉しそうに声量をあげた。

「そうでもしないとスタンは首を縦に振らないよ。そもそもどうして僕には声を掛けなかったんだい?」

 参加条件に年齢制限でもあるのだろうか。三十代前半以下の集まりなら、確かにゼノだけが対象外だ。

「年齢制限なんてねえよ。スタンリーにキレられたからに決まってんだろ」

 陽曰く、当初スタンリーを誘った際にゼノの名前も出しているらしい。二人で一緒に参加するのはどうかと提案したところ、かつてないほど恐ろしい形相で『ふざけんな』と凄まれたとのことだ。

「なるほど。彼は僕をとても愛しているからね、わざわざ僕を男女の出会いの場なんかに行かせたくはないのだろう」

 ゼノだって恋愛市場ではかなり需要の高い男だった。高身長、高学歴、高収入というスペックに加え、このストーンワールドにおいても科学者としての実績はトップクラスだ。四人の英雄に負けずとも劣らぬ知名度があり、洗練された佇まいとミステリアスな相貌には他者を惹きつける魅力がある。
 そして行き先は若者達が集まる場だ。いくら出会いが目的とはいえ、当日は欲に塗れた愚かな人間や酒に酔って暴れる者が出てきてもおかしくないだろう。幼少期から上流階級の人間達に囲まれてきたゼノにとって、そういった場所で同世代の若者と交流する機会は少なかった。決して安全な場所だとは言い難く、そういった意味でもスタンリーはゼノに参加させたくないのだろう。
 だとしても、だ。ゼノはやれやれと首を横に振り、ここには居ないスタンリーに思いを馳せた。

「スタンは本当に可愛いね。僕が浮気なんてするわけがないのに」
「スタンリーを可愛いなんて言える奴、ゼノだけだぜ」

 陽はげんなりと青ざめているが、ゼノからするとスタンリーほど可愛らしい成人男性はこの世に存在しない。ゼノにはスタンリーがいるのだから、他者に目移りすることもなければこの身に危険が及ぶこともない。何かあればスタンリーが守ってくれるのだから、何も心配する必要はないのである。
 経験上、これまでゼノが危険な目に遭ったのは隣にスタンリーがいない時だけだった。例えばスタンリーが少年科学団を制圧中、司達に城へ攻め入られた時のように。だから今回のパーティーへの参加について、ゼノは何の不安も感じていなかった。

「協力するよ。僕が自発的に行きたいと言えば彼は止めないだろうからね。そして芋蔓式で彼もついてくるわけだ」
「すげえ自信だな……」
「想定される事実を言ったまでさ」

 ゼノはフフンと鼻を鳴らし、陽の前でピンと指を突き立てた。

「ただし、僕から一つ条件がある」

 その条件の内容をゼノが端的に伝えていくと、陽はむしろキョトンとした顔で不思議そうに首を傾げていた。

「俺は全然構わねえけど。むしろナイスアイデアじゃね?」
「それでは物品は僕の方で用意させてもらおうか。あとは当日に……」
「ゼノ」

 二人の間で話がまとまろうとした時だった。ラボの入り口から凛とした声でゼノの名前が呼ばれたため、ゼノと陽は口を噤んで声の主を振り返る。そこにはパイロットスーツを身につけたスタンリーが佇んでいて、ここに陽がいることに対して驚いている様子だった。

「何してんだあんたら」
「おいでスタン、話がある」

 おそらくは本日のフライトを終えてゼノを迎えにきたのだろう。ゼノはそんな甲斐甲斐しい恋人に手招きして、こちらに歩み寄ってきた最愛の男を正面からぎゅっとハグしてやった。
 視界の端で陽が固まっている気配が伝わってくるが、そんなのは知ったことではない。これは対スタンリー専用の交渉術の一つであり、このようなスキンシップを積み重ねることで成功率は高まるのだ。
 事実、ゼノにしか分からないほどのわずかな変化だがスタンリーの顔は赤く染まっている。しかしその表情は複雑で、今からろくでもない話が待っていることを彼は察してしまったのだろう。

「明日、一緒にパーティへ参加しよう」
「んなことだろうと思った……」

 案の定、スタンリーは深い溜め息をついていた。

「水臭いじゃないか。そんな素敵なお誘いがあったのに僕を同伴に誘ってくれないなんて」
「家であんたとメシ食う約束があんだよ」

 ハグをしたまま見つめ合い、今にもキスしそうな距離間で二人の話し合いは進んでいく。

「龍水財閥のホテルレストランだぞ。きっと豪勢な食事が振る舞われるだろう」
「あんたの手料理ん方が美味いよ」
「それはどうもありがとう。でも明日の僕はちょうど外食したい気分なんだ」
「他ん店行こうぜ。パーティーは人がたくさん集まんだろ、あんた人混み好きじゃねえじゃん」
「ああ、だが君がファンに囲まれる光景を眺めてみるのも悪くない。僕も君の恋人として鼻が高いよ」

 お互いに、そう易々と譲るつもりはなさそうだった。二人の周囲には緊張感が張り詰めて、巻き込まれた陽は気まずそうに固唾を飲んでいた。

「……俺が嫌だって言ったら?」
「無理にとは言わないよ」

 スタンリーは少し唇を尖らせて、拗ねたような口調でゼノの反応を試してくる。これはスタンリーが恋人になってから見せてくれるようになった貴重な言動であり、ゼノにはそれが可愛くてたまらなくてついつい甘やかしたくなってしまう。

「でもね、スタン」

 大した目的がなければ折れてやっても良いのだが、ゼノは先ほど陽に協力を約束したばかりだった。このままゼノのワガママを突き通すなら、スタンリーにとっても利のある条件を提示してやる必要がある。

「明日のパーティーに参加してくれるなら、今夜僕を君の好きにしていい」

 そう言った途端、明らかにスタンリーの目の色が変わった。恋人に甘える男の表情が、獲物を仕留めるオスのそれに様変わりする。いつの時代もゼノファーストのこの男は、ゼノの真意を探るようにじっとこちらを見定めてきた。

「……本気で言ってんの?」
「もちろんさ。明日の夜、君が約束を守ってくれるならね」

 ゼノはスタンリーの耳元に顔を寄せ、彼にしか聞こえないくらいの小さな声で囁いた。

「僕の足腰が立たなくならない程度に、手加減してくれるかな?」

 ふふ、と微笑んだ弾みで耳に唇が触れてしまったが、むしろナイスなハプニングだ。ゼノのことが大好きなスタンリーはこれで陥落してくれるに違いなく、ゼノは自信たっぷりの笑顔でスタンリーの返事を待つ。

「……やっぱりヤダ」

 しかしスタンリーの返事は意外なもので、ゼノの身体は彼の腕によりぎゅうっと抱きすくめられてしまった。
 思っていたよりも頑固で強情で、ゼノは意外な反応に驚いていた。さらには人前であるにもかかわらず素直に甘えてくるほどで、予想以上の可愛らしさに絆されてしまいそうになる。しかしゼノはスタンリーの扱い方など熟知しており、形の良い頭を撫でてやりながら最終手段を用いることにした。

「では僕だけで行こうかな」
「あ゛?」

 案の定、先ほどまでの甘えん坊はどこに行ってしまったのか、スタンリーは地を這うような声をあげてゼノの肩を両手で掴んだ。そして真正面から睨みつけられ、もしも今ここに居るのがゼノでなければ恐怖に縮み上がっていたことだろう。

「それは一番ねえだろ」

 やはり釣れたか、と我が恋人ながらその単純さが愛おしくなる。やはりスタンリーの弱点はゼノであり、彼と交渉するならゼノを人質にするのが最も効果的なのだ。もちろんこれはゼノだからこそ実践できる手段であり、命が惜しい者にはおすすめしない。

「大丈夫だよスタン、僕には君だけだ。出会いを求めに行くわけではなく、あくまで社会勉強のためなんだ」
「分かってんよそんなんは。危ねえだろ、あんた一人でんなとこ行ったら」
「今の日本はそこまで物騒じゃないさ。それにいざとなれば、そこに居るMr.陽が責任をもって僕を守ってくれることだろう」

 スタンリーの鋭い視線がゼノから陽へと移っていく。陽はヒィッと悲鳴をあげ、部屋の端で理不尽な威嚇に震えていた。可哀想だが致し方あるまい、言い出しっぺは彼なのだから。

「ダメだ、行かせねえ」
「僕の自由を制限するのかい?」

 ゼノの鋭い指摘に対し、スタンリーはピタリと固まってしまう。
 恋人という関係になってから、スタンリーはこのようにゼノに対する独占欲を垣間見せるようになった。ゼノとしては満更でもないのだが、おそらくスタンリーは自らの心境の変化に今もまだ葛藤があるのだろう。
 ゼノの幸せがスタンリーの幸せであり、スタンリーはこれまでゼノの決断に対して決して口を出すことはなかった。ゼノがどんなに険しい道を歩もうとも必ずそれに同行し、その道を少しでも進みやすくなるよう邪魔者を排除するのがスタンリーの使命なのだ。
 そんな献身的なスタンリーでさえも、恋人という立場を手に入れると私欲が出てくるみたいだった。彼のそんな人間らしい心境の変化をゼノは愛おしく思っているが、当のスタンリー本人は未だに受け入れたくないらしい。
 さっさと諦めてしまえばいいものを。確かにゼノは縛られることを何よりも嫌うが、世界で唯一スタンリーだけはゼノにとっての特別なのだ。スタンリーのワガママならいくらでも耳を貸してやりたいし、彼の要望はなるべく尊重したいと思っている。しかしはっきりと口にしてもらえない以上、今回はその揺らぎにつけ込ませてもらうことにした。

「君も来るんだ。二人で行こう。それで万事解決じゃあないか」
「……」

 こうしてゼノの提案にスタンリーは渋々了承し、交渉は無事に成立した。

 ◆

 パーティーの開始時間を改めて確認し、涙を流しながら感謝する陽を見送って、ゼノはスタンリーと共に二人の家への帰路についていた。

「そんなに怒らなくてもいいじゃないか」

 その日の晩、スタンリーはずっと不機嫌だった。最低限の会話や礼儀は通してくれるものの、いつものような軽口の応酬やスキンシップが皆無なのだ。いつもだったら廊下ですれ違うたびにキスしてくるような男なのに、今日は一緒にシャワーを浴びようと誘ってもすげなく断られてしまった。夕食に手料理を振る舞っても機嫌は戻らず、ゼノは途方に暮れていた。スタンリーと喧嘩したいわけではなかったのに、どうしてこうなってしまったのだろう。
 スタンリーと険悪な雰囲気のまま一夜を過ごすことなど耐えられず、ゼノはシャワーから出てきたスタンリーの手を引いてリビングへと連行した。そして強引にスタンリーをソファに座らせて、改めて二人きりでの話し合いの場を設けていた。

「怒ってねえけど」
「けど何だい? 僕に不満があるのだろう?」
「……」

 スタンリーは少しだけ迷った後、喧嘩腰の口調でゼノに断言した。

「俺、明日は絶対ぇあんたんそばから離れねえから」

 そのセリフを受け、ゼノはぽかんと口を開けて拍子抜けした気分だった。

「僕もそのつもりだが?」
「え、一緒にいてくれんの?」
「もちろん。何を言っているんだ君は」

 ゼノだってスタンリーと同じ時間を過ごしたい。パーティーで振る舞われる食事は一緒に楽しみたいし、ゼノの身に危険が迫れば守ってほしい。何よりスタンリーに悪い虫が寄ってきたらゼノが守ってやらねばならないので、会場内で別行動だなんてまったく考えていなかった。

「俺はあんたのだって隠さなくてもいいん?」
「隠す必要なんてないだろう?」

 マッチングパーティーに参加し、会場内でずっと二人で過ごすというのは、自分達はカップルであると参加者に周知させるようなものだった。
 このストーンワールドにおいて、トップ科学者であるゼノと飛行士の一人であるスタンリーを知らない人間はほとんどおらず、その認知率はそれぞれ九割以上と推定される。この二人が親しい仲であることの認知率はおよそ七割、恋人同士であることの認知率は約五割といったところだろうか。この残りの五割に二人の関係性が知れ渡ったとして、ゼノはまったく問題ないと考えている。
 そしてこうしたやり取りのおかげなのか、スタンリーの機嫌は徐々に回復してきたようだった。

「じゃあ、ずっと手ぇ繋いでてもいい?」

 スタンリーはじっとこちらを見つめ、探るような視線を送ってくる。しかしここは慎ましい文化圏の日本であり、それはさすがに無用な注目を浴びてしまうのではないだろうか。調子に乗りすぎだと思われてしまうかもしれないし、参加者からのスタンリーの好感度も不必要に下げたくない。

「……ダメだ」

 スタンリーと手を繋ぐことは好きだけれど、みんなの前では少しだけ恥ずかしいし。照れたゼノがふいっと視線を逸らすと、それがまたスタンリーの機嫌を損ねてしまったようだった。

「じゃあ行かねえ」
「は?」

 今度はスタンリーの方がプイッとそっぽを向いてしまい、ゼノは慌てて身を乗り出してスタンリーの意向を確認する。

「おいスタン、行くことはすでに約束しただろう?」
「ゼノは嫌じゃねえの?」
「何が?」

 今日のスタンリーは頑固な子供みたいだった。いつもはゼノを保護者のようにとびきり甘やかしてくれるのに、今日はなんだか意地悪で強情で節々にトゲを感じてしまう。

「陽から聞いてんだろ、俺は女どもの客寄せパンダだって。俺が他ん奴らに囲まれてても良いんかよ」

 ゼノは頭の中で想像を巡らせる。もしもスタンリーが単独でパーティーに参加したら、彼は会場で女性達に囲まれ握手やサインをせがまれるに違いない。スタンリーは元来、異性から好奇の目を向けられることをあまり快く思っていない。自身の功績が認められることは素直に喜べる男であるが、彼が生まれ持った美しい容姿はむしろコンプレックスでもあるらしい。そんなスタンリーが初対面の女性に囲まれ楽しい時間を過ごせるはずもなく、ゼノはそんな彼を救うために自らの同伴を提案したのだ。
 スタンリーを生贄に捧げるのではなく、スタンリーを守るためについて行く。それはゼノが嫌だからではなく、スタンリーが嫌がるだろうと想定されたからだった。むしろゼノは横から首を突っ込んだ部外者であって、嫌だと口を出す権利もないのである。

「君が嫌がるならともかく、僕が嫌がる理由はないだろう」

 ゼノが首を傾げながらそう答えると、スタンリーは目を丸くして固まっていた。

「君が本気で嫌なら僕も無理強いするつもりはないよ。とはいえ参加することで会社の宣伝効果もあるだろうし、君にとっても悪くない話だと思ったんだ。僕のことは気にしなくていい」

 スタンリーの忍耐力は異次元である。パーティーでそれなりに愛想を振り撒くだけで会社の収益にも繋がるなら、スタンリーにとってその程度の我慢は苦ではないと思ったのだ。
 しかし、ゼノのこの発言はスタンリーの逆鱗に触れてしまったらしい。スタンリーはソファから立ち上がり、黙ってゼノに踵を返した。

「……スタン?」
「もう知らねえ、寝る」
「えっ?」

 スタンリーが寝室へと歩いていくので、ゼノは慌ててそれに続いた。二人は同じベッドで眠るため、いつもなら一緒に寝室へ向かうはずなのに。
 スタンリーはベッドの端に横たわると、こちらに背中を向けて寝る体勢を整えてしまった。

「今夜は僕を好きにするんじゃなかったのかい?」
「もういい」

 スタンリーに冷たく突き放され、ゼノは呆然としたままスタンリーの隣に膝をついた。

「……どうして?」
「今手ェ出したらひどくしちまうから」
「君が僕に? 絶対にないよ」
「どうだかね」

 スタンリーはこちらを振り向くこともなく、じっと壁を睨んでいる。ゼノが隣に横たわっても反応はなく、同じシーツに包まれているはずなのに間には分厚い壁があるみたいだった。
 スタンリーがここまで拗ねるのは珍しかった。スタンリーと喧嘩したことなど何度もあるが、どちらかというとゼノの方が感情的になることが多かった。スタンリーはその日のうちに謝ってくれるし、ゼノに非がある場合でも大抵のことを許してくれる。ましてやひどく抱かれたことなど一度もなく、ゼノに触れる彼の手つきはいつだって優しくて紳士的だ。

「今夜は君の気が乗らないなら仕方ないが、約束は約束だよ。明日のパーティーには行くだろう?」

 さすがのゼノも動揺して、拒絶を示す広い背中に震えた声で問い掛ける。しかしその確認がますます彼を不快にさせてしまったようで、スタンリーはこれ以上の会話を拒むようにきつい口調で吐き捨てた。

「あんたもさっさと寝て明日に備えんだな」

 つまり、スタンリーも明日の約束は守るつもりらしい。言葉の裏側のメッセージは伝わってきたものの、ゼノの心境はすでにそれどころではなくなっていた。
 スタンリーがゼノを振り向いてもくれないなんて、前代未聞の出来事だった。ゼノが『スタン』と名前を呼べばいつも隣に寄り添ってくれて、『なに?』と甘く微笑みながらどんな望みでも叶えてくれたのに。ゼノは彼を本気で怒らせてしまったことを理解して、スタンリーの背中に縋りついた。

「スタン」

 ストーンワールドの復興のため、そしてスタンリーの会社のため、良かれと思って取った行動だった。しかし結果的にスタンリーを不快な気持ちにさせてしまい、それどころか彼を傷つけてしまったのかもしれなかった。ゼノにとって一番大切なものはスタンリー自身であり、復興よりも会社よりも彼を優先してやるべきだったのに。
 それでも、恋愛経験の乏しいゼノには彼が何を求めているのか分からなかった。選択を誤ったことは理解できても、どうしたら彼を振り向かせることができるのかゼノには見当もつかないのだ。ゼノはこんな時でも自分のことばかり優先して、こちらを見てくれないスタンリーに対して寂しいと感じてしまっている。スタンリーの気持ちを理解することはできないくせに、自分の気持ちにはとことん正直で我慢することができなかった。

「おやすみのキスをしていない……」

 スタンリーの背中にぶつけたささやかな不満は、思いのほか情けない声になってしまっていた。いつもの傍若無人な男はどこへやら、いくら元NASAの叡智といえどこの状況で平静を繕うことはできなかった。
 ゼノの珍しく気弱な態度にスタンリーも耐えかねたのか、彼はしばしの逡巡の末にようやくこちらを振り返ってくれる。その目は今も怒りの色を宿していたけれど、ゼノを抱き寄せる腕の力はいつも通り優しかった。

「スタ……んンっ」

 むちゅ、と強引に口付けられ、お互い目を開いたまま至近距離で見つめ合う。少し離してまたくっつけて、唇を舐めたり吸ったりしながら何度も口付けを交わし合った。
 スタンリーはきっと怒っている。だけどその瞳にははっきりとゼノへの愛情が映し出されていて、ゼノは安心すると同時に降り注ぐキスにのめり込んだ。完全な仲直りとは言えないのかもしれないし、最後にカプッと唇を甘噛みされたのはスタンリーなりの反抗心の現れなのかもしれないが、それでもゼノは嬉しかった。

「おやすみ」
「……おやすみ。スタン」

 キスと挨拶を済ませた後、スタンリーはすぐに寝返りを打って再びゼノに背中を向けた。やはりまだ許してはもらえないようで、ゼノはしゅんと肩を落として彼の背中をじっと見つめる。
 ゼノがどんな無茶を言ってもスタンリーは期待に応えてくれたし、ゼノがどんな迷惑をかけてもスタンリーはすべて許してくれた。スタンリーはゼノのことが大好きなはずなのに、よりにもよって今回はどうしてこんなにも頑ななのだろう。
 スタンリーの怒りは随分根深いような気がしていたが、恋愛経験の乏しいゼノにはそれが何故なのか理解できなかった。

 ◆

 ◆

 翌日のラボにて、ゼノはたまたま同僚の女性科学者達とランチタイムを過ごしていた。
 タイムマシン計画が始まってから、日本のラボは増築や改修を経て当初よりもかなり拡大されていた。敷地内にはいくつかの建物が存在し、その中には食堂や売店も併設されている。
 食堂の営業は平日のランチタイムのみ、メニューも日替わりランチが3種類だけ。切り盛りしているのは近所に住んでいる主婦達で、暇つぶしとお小遣い稼ぎに丁度良いと言ってくれている。食堂内にはお弁当の持ち込みも許されており、今ではラボの職員のほとんどがこの食堂を愛用していた。
 ゼノがいつものように食堂へ赴くと、四人掛けテーブルの一つにプロジェクトチームの女性陣が三人座っていた。その中の一人に「一緒に食べましょうよ」と声をかけられ、ゼノは断る理由もなくその言葉に甘えさせてもらっていた。
 ゼノは普段、一人で食事を摂るか、もしくは千空やクロム、スイカ達とテーブルを囲むことが多かった。とはいえ現在は他の科学者達とも概ね良い関係性を築けており、特に年配の女性陣からは我が子のように可愛がられている。ゼノとてすでに三十六歳という立派な大人の一員であるが、生まれつきの童顔や少々頑固でひねくれた性格が彼女達の母性をくすぐってしまうらしい。

「最近スタンリーとはどうなの?」

 誘ってくれた女性陣の中にはゼノよりも遥かに年上のお局職員も居て、ずけずけと遠慮なく私生活について探ってくる。スタンリーとの関係をこちらから公表した覚えはないのだが、ラボのチームメンバー達にはすでに把握されてしまっていた。『近くで見ていれば誰でも分かる』とのことであるが、今のところ人前でのスキンシップはハグとチークキスだけに留めているはずなのに。とはいえ隠すつもりも毛頭なく、彼女達の質問に対してゼノは恥じることなく返答できる。

「それが、昨晩少し険悪な雰囲気になってしまったんだ」

 これは良い機会なのではないだろうか。彼女達も立派な研究者だが、少々浮世離れしているゼノと比べればよっぽど一般的な恋愛観を持っている。ゼノにとっては大切な同僚だがスタンリーとは顔見知り程度であり、ここで赤裸々に私情を語ったとしても彼の名誉を傷つけることにはならないだろう。案の定新人の女性科学者からは『喧嘩したんですか?』と質問が飛んできて、この場はその言葉を皮切りにして恋愛相談会の雰囲気になってしまっていた。

「ゼノ、あなた彼に何をしたのよ」
「待ってくれ、どうして僕に非がある前提なんだ」
「あなた達の痴話喧嘩は毎回そうじゃない」

 ベテランのお局から厳しい指摘を喰らい、ゼノはぐぬぬと口を噤んだ。心当たりがないわけではなく、確かに二人の喧嘩は内訳の九割がゼノのワガママによるものだった。とはいえ今回はまったく自覚がなく、ゼノは第三者の意見を取り入れるため昨晩の出来事を説明していく。
 そして一通り話を終えた後、満を辞してお局の女性が口を開いた。

「やっぱりあなたが悪いわよ」

 厳しい感想に対し、ゼノとしては納得いかない気持ちと、やっぱりそうなのかと反省する気持ちが半々だった。

「仮に発端は僕だとしても、今朝スタンは僕に行ってきますのキスをしてくれなかったんだ。その罪は重いだろう?」
「むしろ毎朝キスしてるの?」
「えー、羨ましい……」

 お局からは呆れられ、新人からは羨ましがられたが、今は惚気を披露している場合ではない。今夜にはパーティーが控えており、相談に使えるランチタイムは一時間と限られている。ゼノの何がいけなかったのか客観的な意見を求めてみると、これまで黙って話を聞いていた同世代の科学者が口を開いた。

「ゼノは嫉妬しないのね」
「嫉妬?」

 想定外の単語にゼノは首を傾げていたが、質問の内容に疑問を抱いたのはこの中でゼノだけのようだった。女性陣は三人とも口を閉ざし、ゼノの返答を待っている。

「……嫉妬する場面などあったかな?」

 ゼノが恐る恐る確認すると、三人は一様に項垂れながら深い溜め息をついてしまった。理解していないのはゼノだけらしく、そうなるとやはり悪いのは自分のような気がしてくる。

「スタンリーさん、すっごく格好良くてモテるじゃないですか。パーティーなんて行ったらきっとモテモテで困っちゃいますよ」

 一番若い二十代の科学者が、やや興奮気味に語り出した。彼女はプライベートで陽と面識があり、今夜のパーティーにも誘われているらしい。

「僕も君と同意見だ。彼の長所は外見だけではないが、あのエレガントな美貌は僕ですら未だに見惚れてしまうことがあるからね」
「いや、そうじゃなくて……」

 女性陣が揃って頭を抱えていて、ゼノは訳もわからず首を傾げる。才色兼備のスタンリーが女性から人気なのは当然のことなのに、自分は何かおかしなことを言っただろうか。

「自分の恋人が他の女の子達からチヤホヤされるの、ゼノ先生は嫌じゃないんですか?」
「べつに嫌だとは思わないが」
「目移りするんじゃないか心配になって、束縛したくならないの?」
「ならないよ。スタンが僕以外を選ぶことなどあり得ないから、束縛なんてする必要がない」

 いっそ笑えてくるほどあり得ない話で、ゼノは自信満々に言ってのけた。ゼノは合理的な人間だから、必要性がないことにわざわざ時間や労力を割いたりしないのだ。
 女性陣は絶句して顔を見合わせ、驚きを通り越えて感心している様子だった。

「すごい自信ね」
「まぁ、いつものお二人を見ていると説得力がありますね」

 ゼノとスタンリーは強い絆で結ばれていて、その信頼関係が揺らぐことはない。しかしお局の女性科学者は困った顔で眉尻を下げ、頬に手を当て目を細めながら深く溜め息を吐いていた。

「でも、誰だって恋人にはヤキモチを妬いてほしいものよ。信頼されて送り出されるのも嬉しいけれど、嫉妬されて引き留められるのも嬉しいのよ」

 彼女は研究者としての歴も長く、現在進めているプロジェクトでも欠かせない役割を担っている。仕事柄、彼女もゼノと同様に合理的な人間だと思っていたのだが、恋愛においては違うのだろうか。

「行くかどうかの判断基準はそれに見合う価値があるかどうかだろう? そこに無関係のパートナーが感情論で口を出すのは非合理的ではないのかい?」

 ゼノの発言によって一瞬テーブルの時が止まったが、その静寂を切り裂いたのはやはりお局の彼女だった。

「ゼノ、あなたモテないでしょう」
「な、なんなんだその反応は」

 ゼノにはすでにスタンリーがいる。だからモテるとかモテないとかは心底どうでもいいことだが、とんでもない論理の飛躍にゼノは困惑してしまっていた。
 とはいえ彼女はこの中の誰よりも人生経験があり、長年連れ添った年下の夫とつい最近成人したばかりの娘がいる。科学者としての功績に関してはゼノが圧倒的であるものの、人間関係を円滑に築く方法についてはどう考えても彼女の方が詳しいだろう。

「普通、恋人にそんな態度を取られたら愛されているのか不安になるわ」
「そういうものかい?」
「逆の立場で考えてみなさいよ」

 彼女のアドバイスに従って、逆のパターンを想像してみる。陽が最初に声をかけてきたのがスタンリーではなく自分だったとして……いや、その時点で設定にかなり無理がある。陽とゼノが交流するときは大抵スタンリーを介しているし、いくら陽でもゼノに対してマッチングパーティーにおける集客力を期待することはないだろう。ゼノが客寄せパンダを務めた場合、会場に集まるのは未来ある若者達ではなく意地汚い衆愚達になってしまう。するとパーティは醜いディベート会場と成り果てて、男女の素敵な出会いの場には到底なり得ないのである。
 まあ、そんな前提条件の矛盾は一旦頭の隅に置いておこう。陽が何故かゼノに可能性を見出して声をかけてくれたと仮定するが、おそらくゼノは彼の提案を快く承諾したに違いない。そもそもゼノは復興の観点から陽の催しに賛成の立場であり、断る理由が無いのである。むしろ自分の方からスタンリーに同行を依頼するだろうし、彼もゼノの護衛を志願してついて来てくれるに違いない。スタンリーはゼノに一人で夜道を歩いてほしくないみたいだし、ゼノはスタンリーに一人寂しく夕食を摂らせることに抵抗がある。二人の選択肢は『二人とも行く』か『二人とも行かない』の二択であり、ゼノが行きたいと言い出した場合スタンリーはそれに従うだろう。特に揉めることもなく二人でパーティーに参加して、レストランの美味しい食事で腹を満たした後、二人は仲良く手を繋いで同じ家に帰るのだ。
 めでたしめでたしの大団円であるが、今求められている想像の内容はこれではないような気がしてきた。

「どう?」
「まったく異なる物語になってしまった」
「なんでそうなるのよ」

 そんな難しく考えなくていいのに、と女性陣は呆れていた。
 ゼノとスタンリーは似ていない。価値観も考え方も違うから、二人の立場を入れ替えると違う物語になってしまう。それなのに彼の隣は居心地が良くて、彼もまたゼノに対してそう思ってくれている。やはり二人は結ばれるべくして結ばれており、ゼノはますますスタンリーと出会えた奇跡に感謝するのであった。

「僕はスタンを不安にさせてしまったのかな」

 似ていないからこそ相性が良くて、似ていないからこそすれ違ってしまうのだろうか。二人の信頼関係は絶対に揺らがないと思っていたが、それはゼノの慢心だったのかもしれない。

「あなた、具体的に何と言ったの? スタンリーがあなたに対して不安になるなんてよっぽどのことよ」

 女性達には先ほど昨晩の出来事について説明済みである。スタンリーをパーティーに連れ出そうとしたこと、交渉の末に一緒に行く約束を取り付けたこと、その結果言い争いになって気まずい雰囲気になっていること。しかしスタンリーとの会話の詳細までは打ち明けておらず、要点だけの説明では理由がはっきりしないのだろう。
 あの時、スタンリーはゼノに尋ねてきた。ゼノは嫌ではないのかと。そしてゼノははっきりと答えたが、スタンリーの態度が変わったのはそこからだった。

『君が嫌がるならともかく、僕が嫌がる理由はないだろう』

 そしてスタンリーに気を遣わせたくなくて、『僕のことは気にしなくていい』とも補足した。良かれと思っての発言だったが、そこまで話を終えた時点で女性達から深い溜め息が聞こえてきた。

「それじゃない!!」
「絶対それですよ!!」
「何がいけなかったんだ? 僕は真実を言ったまでだ」
「言い方ってもんがあるでしょう!?」
「言い方?」

 三人から詰められ圧倒されて、ゼノはスプーンをテーブルに置いた。今日のランチは人気メニューであるジャパニーズカレー定食だが、怒り心頭の女性陣に囲まれとても食事を続けられる雰囲気ではない。

「『僕は嫌だけど我慢するよ』とか、『君を信頼しているから行ってもいいよ』とか、そういう言い方はできなかったの?」
「なんだいそのまどろっこしい言い草は。話し合いは簡潔かつ的確に行うべきだろう?」
「これだから効率厨は……」

 話にならない、と同世代の科学者は肩をすくめて力なく首を振った。彼女は非常に仕事熱心で真面目な性格であり、良くも悪くも正直者で歯に衣着せぬ物言いをする。

「あなたって本当に可愛げがないわ」
「なんだって? それはおかしい、スタンは毎日のように僕のことを可愛いと言ってくれるのに」
「そういうことじゃないのよ」

 スタンリーの言葉責めはベッドの中だと特に顕著となる。『可愛い』なんてシンプルな褒め言葉は序の口で、恥ずかしくて耳を塞ぎたくなるような甘い賞賛を絶えず浴びせてくるのだから。

「スタンリーさんはゼノ先生に『嫌だ』って言ってほしかったんじゃないですか?」

 新人の女性は小さく右手を挙げて、恐る恐るゼノに問いかけてくる。彼女は現在恋人を募集中らしく、今晩のパーティーで良い出会いがあることをゼノも同僚として願っていた。

「でも僕は嫌だと思っていないんだ。彼に嘘をつくことになってしまう」
「『嫌ではない』には条件があるでしょう?」

 お局の女性に指摘されてハッとする。ゼノが一瞬息を呑むと、彼女はこの場を和やかにさせる穏やかな笑みを浮かべてくれた。

「あなた、『仮にそのパーティーに行ったとしてもスタンリーは浮気なんて絶対にしないだろうし、これからもゼノを一途に愛してくれると信じているから』、嫌ではなかったのよね?」
「……まあそうだね」
「それをそのまま伝えたらいいのよ」

 その言葉の通りだった。そしてその前提が揺らぐことはないと思っていたから、条件として挙げる必要もないと思っていた。

「スタンなら言わずとも分かると思っていた……」
「言われなくても分かることでも、言ってもらえたら嬉しいのよ。あなただって彼から可愛いって言ってもらえて嬉しいんでしょう?」
「……たしかに」

 そうか、ゼノの言葉足らずが原因だったのか。ふと昨日の陽との会話を思い出し、ゼノはようやくすれ違いの原因を理解していた。
 どうしてゼノに声を掛けなかったのか尋ねた時、陽は『スタンリーにキレられた』からだと教えてくれた。それを聞いて、ゼノは確かに嬉しかったのだ。スタンリーがゼノのことをとても愛していると実感して、要らぬ心配をするスタンリーのことを本当に可愛らしいと思った。何事もなくとも彼のことを愛しているけれど、その情報が得られた瞬間はますます愛おしく感じられたのだ。

「僕は彼に謝るべきかな」

 ゼノは考えを改めていた。一度スタンリーと話をして、必要があれば謝罪しようとも思っていた。ゼノは彼に対して決して無関心なわけではなく、まったく心配をしていないからこそ胡座をかいていただけなのだ。

「謝るよりも甘えてあげた方が喜ぶんじゃない?」
「甘える?」
「ハグしてキスして行かないでって引き留めたら、すぐに仲直りできるわよ」

 ゼノは想像しようとしたが、そんな幼稚な振る舞いをする自分がかなり痛々しくて断念した。そもそも行けと言ったのはゼノの方で、当日になって行かないでと引き留めるのはあまりにも自分勝手すぎるだろう。そもそもゼノがそんなことをすればスタンリーは絶対に会場へ行かないので、今晩のパーティーには二人揃って欠席することになってしまう。それでは本末転倒じゃないか。

「彼にパーティーへ参加してほしいのは事実なんだ……」

 うーん、と科学者四人で頭を悩ませることになった。今晩のパーティーには予定通り参加しつつ、スタンリーが抱いた心のわだかまりを上手に解消する術はないだろうか。ゼノがスタンリーを心底愛していることを証明し、彼の不安を取り除き、彼を喜ばせてあげられる方法は何だろう。ゼノにはプレゼント攻撃しか思いつかないが、物欲のないスタンリーが欲しがるものなど煙草以外に思いつかない。二人でタバコブランドを立ち上げたおかげで煙草はいくらでも入手できるようになってしまったし、ゼノだけがスタンリーに与えられる特別なプレゼントなど今はもう思いつかなかった。
 そんな時、新人の女性が何かを閃いたように指を弾いた。彼女は若い研究者らしく、独特な視点と突拍子もない発想が魅力的な長所の一つである。クロムに通ずる部分もあり、ゼノもチームのメンバーとして彼女に一目を置いていた。
 そんな彼女は笑顔を携え、人差し指をピンと突き立てゼノに向かって口を開いた。

「じゃあいっそ、みんなの前で見せつけちゃうのはどうでしょうか?」

 ◆

 その日の夕方、仕事を終えたスタンリーはいつも通りゼノをラボまで迎えに来てくれた。その顔は普段と変わらぬ無表情だが、付き合いの長いゼノからすると少々ムッとしている感じは伝わってくる。

「ありがとうスタン、こちらも今終わったところだよ。ここから会場へ直行でもいいかな?」
「いいぜ、何でも」

 このパーティーにドレスコードの指定はなく、ゼノ達は新しい出会いを求めに行くわけでもない。着飾る必要は特にないので、お互い普段の仕事着のまま会場へ赴くことになった。
 会場はラボから徒歩二十分の所にあり、このまま歩いて迎えば開場と同時に到着できるだろう。

「スタン、これを君にプレゼントしよう」

 二人で並んで歩く道すがら、ゼノは白衣のポケットから二本の怪しげなプラスチックチューブを取り出した。これは本日の昼にこっそりクラフトしたグロースティックで、パキッと折ってリング状にするとカラフルに光るブレスレットとなる。一つは自らの右手に、もう一つはスタンリーの左手に装着すると、スタンリーはされるがままに「何よこれ」と尋ねてきた。

「ケミカルライトブレスレットさ。チューブの中で蛍光色素が化学反応を起こして発光する。案外仕組みは簡単なんだ」
「へえ、んで目的は?」
「僕達がカップルであることの証だよ」

 ゼノが堂々と言い放つと、スタンリーは驚いた様子で口を噤んだ。

「昨日君がラボに来る前、僕からMr.陽に提案していたんだ。今回のパーティーの目的は出会いのきっかけ作りだからね、すでにパートナーが存在する者はそれを開示すべきだと」

 マッチングパーティーの趣旨は恋人候補を見つけることであり、参加者のほとんどが出会いを求めて来場する。しかし今回はパートナーが存在する者も入場資格が与えられ、ゼノとスタンリーもこれに該当していた。売却済みの人間はマッチングイベントへ参加できないとはいえ、その会場内に滞在するだけでもフリーだと勘違いされて声をかけられることはあるだろう。それは双方にとってメリットがなく、出会いを求めてやって来た若者達の邪魔をすることになってしまう。こちら側から開示するのが最低限のマナーだと思ったため、ゼノは陽に提案してブレスレットの製作を引き受けたのだ。
 このブレスレットは他にもたくさんクラフトしていて、それらは昼のうちに会場内へと搬入されている。入場受付の際にパートナーの有無を確認し、該当者には装着を義務付けるルールにしてもらっていた。

「カラーパターンもさまざまだよ。カップルで参加する場合は僕達のように同じ色を付けてもらうんだ」

 ゼノ達の色はイエローとオレンジの中間色で、スタンリーの瞳のアンバーカラーをモチーフにして調合した。とはいえあの美しさを人工物で再現するのは困難を極め、ゼノとしては満足のいく出来栄えとは言い難いため製作秘話については伏せておく。このブレスレットは蛍光色素を使用しており、会場内の照明が仄暗くなるほどむしろ目立つ仕様となっていた。
 そうこうしているうちにホテルに到着し、受付を済ませてレストランの中へ足を踏み入れる。広間には円形テーブルが一定の間隔でたくさん配置され、椅子は壁際に並べられて立食パーティーの形式を取っていた。会場内にはすでにたくさんの人々が集まっていて、各々がグラスを握りながらすでに交流を始めている。賑やかな雰囲気に圧倒されながら隣に立つスタンリーを見上げると、彼はいつもの無表情でゼノのことだけを見つめていた。

「スタン、左手を出してくれ」
「?」

 素直に差し出されたスタンリーの左手を、ゼノは右手で握り締める。そして指を絡めてしっかりと繋ぎ、彼の腕を抱き締めるように寄りかかった。

「会場内ではこれで過ごそう」
「……恥ずかしいんじゃねえの?」
「確かに少しばかり照れるがね。必要性があると気付いたんだ」

 少しどころかそこそこかなり恥ずかしいが、ゼノは無心を装いながらスタンリーから目を逸らす。スタンリーから「必要性?」と追及され、ゼノは事前に用意していたまっとうな理由を解説した。

「君の両手を自由にすると所構わず毒ガスを吸い始めてしまうからね。このホテル内は全館禁煙で、ここは未来のある若者達が集まる場だ。副流煙の被害に遭うのは僕だけでいい」

 ゼノはスタンリーを信じているから、嫉妬にも束縛にも必要性を感じない。しかしその一方で、必要性があると感じた場合はその行動にためらいはない。
 ゼノが悪戯っぽく微笑みかけると、スタンリーはフッと口元を緩めていた。

「なるほどね」
「それに君なら右腕だけでも僕を護衛することができるだろう?」

 スタンリーの左手はゼノの右手により拘束されている。しかし右手は自由なままで、いつでも銃を握ることが可能だった。

「できるよ」

 スタンリーは繋がれた左手を持ち上げて、ゼノの右手の甲にチュッと音を立てて口付けた。周囲から黄色い悲鳴が聞こえてきて、どうやらすでに参加者の一部から注目を浴びてしまっているらしい。
 しかしゼノにはスタンリーしか見えなかった。会場内の喧騒はすべて煩わしいノイズであり、お互いの声を聞き逃さぬよう二人はぴったりと身を寄せ合う。

「これは何のキスだい?」
「誓いのキス」
「なるほど、それは大切だね。必要性がある」

 ゼノの至って真面目な口調にスタンリーはとうとう笑い出した。先ほどまでのぎこちない雰囲気は嘘のように消え失せて、スタンリーはすっかり機嫌を取り戻してくれたようだ。

「スタン、テーブルを見てごらん。美味しそうだよ」
「俺ら片手でどうやってメシ食うん?」
「僕が取り皿を持つよ。君はフォークを」
「ああ、共同作業ね」

 まだ人が集まっていないテーブルに近付いて、ゼノは左手で取り皿を手に取った。ゼノが興味を示したのは前菜のサーモンのカルパッチョで、スタンリーは右手でトングを使って料理を取り皿に乗せてくれる。

「食べさせてくれ」

 ゼノが雛鳥のように口を開けると、スタンリーは肩を揺らしながら右手でフォークを使って食べさせてくれる。スタンリーの顔を見つめたままもぐもぐと咀嚼していると、スタンリーもまた愛おしさを滲ませながらゼノの顔をじっと見つめていた。

「どう?」
「ふふ、美味しいよ。一口分が大きいけどね」
「あんたの口が小せえんよ」

 ゼノの口の端についたオリーブオイルをスタンリーが親指で拭ってくれて、その指先をぺろりと舐めるとまたもや背後から黄色い悲鳴が上がっていた。今の二人は誰の目にも仲睦まじいカップルにしか見えないだろう。周囲には話しかけたそうにこちらの様子を窺っている女性もいたが、ゼノもスタンリーも二人の世界に完全に没入してしまっている。とても部外者が話しかけられる雰囲気ではなく、彼女達には少し離れた位置から見守ることしかできないのだ。
 二人は手を繋いだまま、テーブルに並ぶ他の料理も楽しんでいった。フランソワ監修のレストランなだけあってその味に文句のつけどころはなく、二人はずっと手を繋いだまま舌鼓を打って腹を満たしていく。パーティーはすでに開演しておりマッチングイベントも始まっていたが、壇上でパーティーを盛り上げる主催者達には正直何の興味もない。どうやらパーティーは盛況のようだし、二人の仕事はここに滞在するだけですでに完了しているのだから。
 パーティーは終盤に差し掛かり、マッチングイベント最後のビンゴ大会が始まるところだった。二人の周囲を取り巻いていた女性陣も少なくなってきた頃合いであり、ゼノは隣に立つスタンリーに対して意味ありげな視線を送っていた。

「スタン、口の端にクリームがついているよ」
「マジ?」

 先ほど食べたクリームパスタはバターが効いていて香りも良く、濃厚さと軽やかさを両立させた完成度の高い一品だった。二人ともその味が気に入ったので、スタンリーも片手でフォークを使って何度か口に運んでいた。

「取ってあげよう」

 ゼノはそう言ってスタンリーのネクタイを左手で掴み、彼の身体を引き寄せながら唇の端をペロリと舐めてやった。周囲にはまだ二人に注目していた女性がいたらしく、背後から「キャー!」と悲鳴のような歓声が湧き上がる。唇を離してスタンリーを見上げると、彼は口元をもにょもにょと動かしてなんとも言えない顔をしていた。

「……あんたわざとやってんな?」
「何の話かな。僕は右手が塞がっているんだ、こうするしかないだろう」
「ふうん?」

 スタンリーは照れているだけで、きっとものすごく喜んでいる。口角が上がっているのを隠しきれておらず、ゼノの前では嘘をつけない彼がますます愛おしくなってしまった。
 そんな彼からじっと見つめられ、何かの許しを乞われているような気がしてきた。今のゼノはスタンリーに対して何でも許せる気分であり、その詳細については曖昧なままでも迷いなくこくりと頷いてやる。するとスタンリーの端正な顔が自然な流れでこちらに近付いてきて、ゼノが目蓋を下ろすと同時に唇と唇がくっついていた。
 先ほどの歓声を上回る、「ギャー!!」という切実な悲鳴が会場内に響き渡る。さすがに異変に気付いたのか、今まで二人に注目していなかった参加者達もチラチラとこちらに目を配るようになってしまっていた。
 スタンリーめ、やってくれたな。
 ゼノはニヤリと不敵に笑い、上目遣いでスタンリーを挑発する。

「今のは何のキスかな?」
「『取ってくれてありがとう』のキス」
「ふふ、そうか。それは必要性があるね」

 ここ日本において、人前での過剰なスキンシップはあまりエレガントではないとされている。そんな慎ましい文化を尊重したい気持ちはあるものの、手を繋ぐのもキスをするのも必要性があるのだから仕方がないだろう。
 スタンリーが右手でゼノの腰を抱き寄せて、二人は正面から向かい合う。至近距離でお互いを見つめ合っていると、スタンリーの方から「ゼノ」と話しかけてきた。

「昨日、態度悪くてごめん」

 スタンリーの唐突な謝罪にゼノは思わず笑ってしまう。一時はどうなることかと思ったが、しっかりと二人の時間を作ったおかげでわだかまりを解消することができたらしい。

「本当だよ。僕は昨晩、君に抱かれる準備まで済ませていたというのに」
「……ゼノ……!」

 スタンリーからぎゅうっと力強く抱き締められて、ゼノはその背中をトントンと左手で叩いてやった。右手はスタンリーの左手と繋がれたままで、その手首にはお揃いのブレスレットが蜂蜜色に輝いている。

「僕もごめん。無神経だったね」
「何が?」
「何がって……拗ねていたのは君じゃないか」

 ゼノの恋人は一見完全無欠のようでいて、実際はこうして大きな犬のように甘えん坊な一面もある。彼の唯一の弱点はゼノであり、ゼノの一挙一動によって傷ついてしまうこともあり得るのだ。彼は結論を急ぐことも多いけれど、恋人同士の会話において話を遮られたことは一度もない。ゼノには気の利いた言い回しなんてできっこないから、せめて言葉足らずにならないように彼にすべてを共有すべきだった。

「正直に言うとね、僕は今でも君を束縛する必要なんて無いと思っている」

 ゼノはスタンリーの首に左腕を回し、いつもよりほんの少しだけ情けない顔をしているスタンリーを見上げてやった。

「でもそれは君が僕のことを深く愛していて、他に目移りなんてするわけがないと確信しているからなんだ」

 スタンリーが浮気したら、というのは発生確率0%の悲劇である。0%だと分かっている事象について考える時間は無駄であり、合理的で効率主義の天才科学者はそんなことに時間を割いたりしないのだ。

「とはいえ僕も考えを改めたよ。必要性がなくとも、そうすることで君が喜んでくれるならどんどん主張はするべきだとね」
「ゼノ……」

 スタンリーに喜んでほしいという欲求は幼少期から常にゼノの心の中にあった。これまでゼノはスタンリーに対して数えきれないほどのプレゼントをクラフトし、世話焼き女房と揶揄われるほど身の回りのあれこれに口を出した。そして今回のプレゼントはゼノからスタンリーへの『束縛』で、これからは彼の交友関係についても積極的に口を出してやろうと思っている。

「だけどこれだけは覚えていて、スタン」

 繋いでいた手を解き、両手をスタンリーの頬に添える。キスをする直前の距離感で額を突き合わせ、ゼノはスタンリーの視界を独占した。

「僕はこれまで君から向けられる愛情を一度も疑ったことがないんだ。心から君を信じている」

 今までも、そしてこれからも。

「僕はこのまま、君を信じていいのかな?」

 聞くまでもない質問に対し、ゼノとスタンリーは二人同時にフッと息を漏らして笑っていた。

「ああ。俺を信じて、ゼノ」
「スタン……」

 そこからはもう胸のときめきが止まらなくて、ゼノはスタンリーとのキスに夢中になった。どちらからともなく唇を開き、舌を差し込み、貪るように絡め合う。ゼノはスタンリーにしがみついて隙間なくぴったりと密着して、スタンリーはゼノの頭を掴んで逃げられないように拘束した。息継ぎの合間に「愛してんよ」「僕もだよ」と愛の言葉の応酬を挟み、呼吸が整う前には次の口付けが始まっていた。
 もはや会場中が湧き上がり、壇上で発表されるビンゴの当選番号なんて誰も気にしていなかった。おそらくはスタンリーのファンだろう、泡を吹いて倒れる女性まで現れる始末である。さすがに申し訳ない気もしてきたが、これは仲直りのキスで必要性があるので今回ばかりは許してほしい。
 長い口付けを終えた後、ゼノは周囲の様子を窺いスタンリーに向き直った。

「そろそろ帰ろうか」
「え、いいん?」
「注目を集めすぎた。このままでは僕達のカップルショーになってしまう」

 そもそもこのパーティーの目的は若者達に出会いの機会を与えることであり、ゼノ達が彼彼女らの関心を奪っては本末転倒となってしまう。会場内の盛り上がりを見るに集客の目標人数は達成しており、すでにパーティーは宴もたけなわとなっている。スタンリーはゲストとしてあくまで名前を貸しただけで、彼の仕事は終わっていた。陽も途中退場で構わないと言っていたし、むしろこのままここに居座れば彼彼女らを邪魔してしまうだろう。
 ゼノは「それに」と言葉を続け、スタンリーの耳元で囁いてやった。

「昨晩のお詫びに、帰ったら僕を君の好きにして構わないよ」

 ゼノはスタンリーの首に回していた腕を下ろし、代わりに再び彼と手を繋いだ。いそいそと帰ろうと促すゼノに対し、スタンリーは何故か恐ろしい形相でじっとこちらを睨みつけてくる。

「……マジで言ってる?」
「ああ、大マジさ。昨晩は君に寂しい思いをさせてしまったからね」

 そして昨晩寂しい思いをしたのはスタンリーだけの話ではない。またもや同じ目に遭うのは御免だから、ゼノは今夜の確約を得るためもう一度スタンリーの耳元に顔を寄せた。

「たくさんお仕置きしてほしいな」

 これもスタンリーが喜ぶと思っての発言だったが、どうやらゼノの思惑通りまんまと煽られてくれたみたいだった。スタンリーはゼノの膝裏に腕を差し込み、その身体をブライダルキャリーで軽々と持ち上げてしまったのだ。
 さすがのゼノもこれは予想外で「うわっ!?」と悲鳴をあげたのだが、スタンリーは何も語らぬままにズンズンと出入り口へと歩いていく。参加者達は次々と二人のために道を開けてくれて、その光景はまるでバージンロードを歩いて退場する新郎新婦と招待客のようだった。
 滞在時間はおよそ一時間程度だが、壇上から陽も大きく手を振ってくれている。役割は十分果たしたので、二人は何の未練もなく会場を後にしたのだった。

 ◆

 ◆

「スタンリーを貸してくれ!」

 数日後のラボにて、最近どこかで聞いたことのあるセリフにゼノは首を傾げていた。依頼主はまたもや上井陽だが、今回の彼はむしろ笑顔を携えており前回ほどの切羽詰まった印象はない。どうやら先日のマッチングパーティーは大成功に終わったようで、彼にも良い出会いがあったらしい。集客も上場で会計的にも黒字となり、主催陣が企画したマッチングイベントによって複数組のカップルが誕生した。何よりストーンワールドで最もホットなカップルの乱入により参加者達に火がついて、自分も素敵な相手を見つけて幸せになりたいと熱狂的な盛り上がりを見せたらしい。第二回開催の声も多く、陽を始めとした主催陣で早速日取りを決めてしまったそうなのだ。そして第一回で火付け役となったカップルとはもちろんゼノとスタンリーのことであり、第二回のパーティーにも盛り上げ役として是非招待させて欲しいという用件だった。
 ゼノは背後を振り返り、後ろで控えているスタンリーと目を合わせた。前回と異なる点のもう一つは始めからここにスタンリーが同席していることで、陽は先日の件もあってか二人同時に頼むのが最善手だと気付いたらしい。本日はフライトの予定が無く、スタンリーは朝からずっと護衛と称してゼノの仕事に付き添ってくれている。
 ゼノが考え得る返答の選択肢は二択だった。二人でパーティーに参加するか、二人とも欠席するかの二択である。会場は前回と同じレストランで、確かにあそこで振る舞われる料理はどれも豪華で美味しかった。参加してやるのもやぶさかではないが、第一回が大盛況だったとしたらもうゼノ達の手助けは必要ないのではないだろうか。
 ちなみに言うまでもないが、どちらか一方だけが参加するというのは今のゼノにとってあり得ない選択肢だ。何故ならゼノは最愛のスタンリーと少しでも長く同じ時間を過ごしたいので、これは先日学習した嫉妬や束縛以前の問題だった。

『どう思う?』

 陽が居る手前、ゼノは瞬きのモールス信号でスタンリーとの会話を試みていた。さすがに短文にはなってしまうが、表情も組み合わせて解釈すれば意思疎通には困らないのだ。スタンリーからの返事の予想は『YES』もしくは『NO』の二択。YESなら二人で参加、NOなら二人で欠席することになるわけだが、スタンリーはフッと微笑んだ後で少々長文の返事をくれた。

『I LOVE YOU』

 いやいや、そんなことはとっくに知っているんだが。
 ゼノは驚きを通り越して呆れてしまい、ふざけているのかとスタンリーの顔色を窺った。しかしスタンリーはニコニコとご機嫌なままで、陽の話など最初から聞いていなかったのかもしれない。確かに彼は今日一日ゼノと一緒に過ごせて幸せそうで、いつも以上に笑顔が眩しく太陽のように輝いている。先ほどから陽には一瞥もくれずにゼノのことばかり見つめているし、なんだか水を差すのも可哀想なのでゼノは一人で結論を下すことにした。
 参考にすべきは前回の教訓である。会場から家に帰った後、当然のことながら二人は大層盛り上がりとても刺激的な夜となった。お仕置きと称した愛情表現はゼノの理性を奪い去り、翌朝は腰を庇いながらの出勤となったのはまだ記憶に新しい。第二回も同じ轍を踏む可能性は大いにあり、翌日の業務に支障をきたさぬためには欠席するのが合理的だろう。だから今回の招待に関しては丁重にお断りするとして、大切なのは言い方である。どうせ同じ結論ならば、愛しい人が喜ぶ言葉を敢えて選ぶのも悪くないと学んだのだ。
 そしてゼノは最適解を導き出し、ニヤリと口角を上げていた。

「貸さないよ。スタンは僕のものだからね」

 そう断言して振り返ると、背後で佇む男は花が綻ぶような笑顔を見せてくれた。

fin.

— End —

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