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兎の巣穴、蛸の潜窟。

カルネカルネ

獣人の子供🐰🐙と高校生🦊さんの話、第五話。 彩葉を看病するかぐヤチの話は至高だって古事記にも多分書いてましたよ。ご査収ください。

玄関の扉を開けた瞬間、私はそのままソファへ倒れ込んだ。

「つかれたぁ……」

 鞄が床へ落ちる。制服のまま、靴下も脱がず。私にはもう動く気力すら残っていなかった。

 学校。バイト。家事。そして最近は、かぐやとヤチヨとの生活。
 毎日が慌ただしくて、気が付けば一週間が過ぎていた。

「もう一歩も動けない……」

 思考をシャットアウトするようにソファに顔を埋める。
 その瞬間だった。

「いろはーっ!」

 ばたばたばたっ。
 聞き慣れた足音が近付いてくる。

「ん……」

 反応する間もなく。
 ぽすっ。
 何かが背中に乗った。

「おもい。」
「重くないもん!」

 かぐやだった。
 私の背中に抱き着いたまま、楽しそうに私の体を揺さぶってくる。

「遊ぼ!」
「今日はもう無理……」

 即答だった。

「えー!?」

 かぐやが不満そうな声を上げる。

「やだ!」
「やだじゃないよぉ……」

 私は半分溶けながら答える。

「今日ほんと疲れたの……」
「でも彩葉いつもどっか行ってて全然遊んでくれないじゃん!」

 その言葉に、私は呆れたように返事をする。

「学校なんだから仕方ないでしょ……」
「……それは分かってるけど。」

 かぐやは腕を組んでむすっとした。

「いろは全然遊んでくれない。」
「そんなことないよ……」
「ある!」

 びしっ。
 指を差される。

「あるもん!」

 ぷんすか怒るかぐや。
 その様子を見ていたヤチヨが、ソファの背もたれから顔を覗かせた。

「かぐや。」
「なに。」
「彩葉もう死にそうだよ。」
「別にそこまでじゃないけど……。」

 私は即座に否定する。

「疲れてるだけだよ。」
「顔色悪い。」
「そう?」
「どう見ても悪い。」

 断言だった。
 私は思わず頬を触る。確かに疲れてはいる。でもそれだけだ。多分。

「大丈夫大丈夫。」

 そう言って笑う。
 しかしヤチヨは納得していない顔をしていた。

「ちゃんと寝てる?」
「寝てる寝てる。」
「昨日は何時に寝たの?」
「えっと……」

 彩葉の視線が泳ぐ。

「二時、とかだっけ?」
「寝てないじゃん。」
「寝てるって。」
「流石に二時は寝るの遅すぎ。」

 ぐうの音も出なかった。
 そんなやり取りをしている間にも、かぐやは不満そうに頬を膨らませている。

「遊びたい。」
「うぅ……」

 そのかぐやの寂しそうな表情と、今にも消え入りそうな声を前にして、私は弱々しく唸った。
 少しだけ考える。
 そして。

「……分かった。」
「!」

 かぐやの耳がぴこんと立つ。

「ほんと!?」
「うん。」

 私はゆっくり身体を起こした。

「明日は休みだから。」
「うん!」
「学校も無い。」
「うんうん!」
「バイトも無い。」
「うんうんうん!」

 かぐやの目がキラキラ輝いている。

「だから明日は一日中暇。」
「!」
「多分ずっと遊べるよ。」

 その瞬間。

「やったぁぁぁぁ!!」

 かぐやが飛び跳ねた。

「ホント!?」
「ホント。」
「絶対!?」
「絶対。」

 この前の時と全く同じ確認の仕方だった。
 私はそれに気付いて少しだけ笑う。

「だから今日はもう休ませて……」
「やったー!」

 かぐやはもう聞いていなかった。
 部屋の中をぐるぐる走り回っている。

「明日遊ぶ!」
「うん……」
「いっぱい遊ぶ!」
「うん……」

 私は再びソファへ沈んだ。もう身体が鉛みたいに重い。
 そんな私を見ながら、ヤチヨが小さく笑う。

「彩葉も大変だね〜。」
「ホントにね……」

 力なく返事をする。
 窓の外では、夕日がゆっくりと沈み始めていた。
 明日は休み。久しぶりに目覚まし時計を気にしなくていい日だ。
 ゆっくり眠って、三人でどこかへ出掛けるのもいいかもしれない。
 そんなことを考えながら、彩葉は重くなっていく瞼を閉じた。

 休日の朝。
 カーテンの隙間から差し込む朝日が、部屋をゆっくりと照らしていた。

「……ん。」

 私は薄く目を開ける。
 時計を見る。

「……六時。」

 休日にしては随分早い起床。
 だが、不思議と二度寝する気にはならなかった。
 学校の日も、バイトの日も、最近はずっとこの時間に起きている。
 体に染み付いた習慣というのは恐ろしいものだ。

「せっかく休みなのになぁ……」

 小さく呟きながら体を起こす。
 その瞬間。

「……あれ。」

 少しだけ視界が揺れた。
 頭が重い。体も妙にだるい。肩に鉛でも乗っているような感覚だった。

「うーん……」

 額に手を当てる。
 熱は……多分無い。
 多分。

「疲れてるだけかな。」

 昨日も疲れていた。
 その前の日も。
 そのまた前の日も。
 だから今日も同じだろう。
 そう結論付ける。
 何より、今日は休日だ。
 久しぶりの。本当に久しぶりの休日。
 そして。

『明日は一日中暇だから。』
『ホント!?』
『ホント。』

 昨日の約束を思い出す。
 かぐやはすごく嬉しそうだった。
 今日こそはいっぱい遊ぶと、そう決めていた。

「よし。」

 彩葉は気合いを入れる。

「まず朝ご飯作ろ――」

 立ち上がった瞬間だった。
 ぐらり。

「あ。」

 視界が傾き、足元が消える。
 次の瞬間。
 どさっ。
 体が床へ倒れ込んだ。

「いたた……」

 受け身は取れた。
 だが、予想以上に体に力が入らない。
 すると。

「いろは!?」

 寝室から大きな声が響いた。
 ばたばたばたっ。
 私が倒れる音を聞いて、勢いよく飛び出してきたのはかぐやだった。

「大丈夫!?」
「だ、大丈夫だよ。」

 彩葉は慌てて笑う。

「ちょっと転んだだけだから。」
「ほんと?」
「ほんとほんと。」

 その時。
 寝室からヤチヨも姿を見せた。
 そして。

「……。」

 じっと彩葉を見る。
 数秒。

「大丈夫じゃない。」
「えっ。」
「顔真っ白。」
「そ、そうかな?」
「そう。」

 即答だった。
 彩葉は苦笑する。

「いやいや、本当に平気だって。」
「平気じゃない!」

 かぐやが叫ぶ。

「今倒れてたもん!」
「転んだだけだよ。」
「倒れた!」
「転んだ。」
「倒れた!!」

 私の主張はかぐやの大声にかき消された。
 私は視線を逸らす。
 でも本当に大したことはないと思っていた。
 少し疲れてて、少し体がだるいだけ。
 それに、今日は約束の日だ。
 また約束を破るなんて、そんなのは嫌だった。

「ほら、今日は遊ぶ約束だし――」

 立ち上がろうとする。
 ふらっ。

「わっ。」

 再び体が傾く。
 その瞬間。
 ぎゅっ。
 かぐやが彩葉の腕に抱き付いた。

「ダメ!」
「かぐや?」
「今日は遊ばなくていい!」
「え?」
「だから寝て!」

 泣きそうな顔だった。
 私は言葉を失う。
 そこへヤチヨが近付いてくる。

「立てる?」
「立てるよ。」

 立とうとする。
 ふらっ。

「立ててない。」
「うぐっ。」

 反論できない。

「寝室行くよ。」
「いやでも――」
「寝てて。」

 静かな声だった。

「でも。」
「寝てて。」
「……はい。」

 私の主張はまた通らなかった。

 数分後。
 彩葉はベッドの上にいた。
 しかも。

「逃げないでね。」

 かぐやが隣にいる。

「逃げたりなんてしないよ……」
「ほんと?」
「ほんと。」

 信用されていない。
 その間にヤチヨはどこかへ行っていた。
 そして。

 数分後。

「持ってきたよ。」

 体温計を手に戻ってきた。

「えっ。」
「測る。」
「い、いやいや。」
「測る。」
「そこまでの事じゃ――」
「測る。」

 圧が強い。
 結局、私は観念した。
 体温計を脇に挟む。
 数十秒。妙に長く感じる時間だった。

 そして。
 ぴぴっ。
 電子音が鳴り、ヤチヨが体温計を取り上げる。そして画面を見る。

「……。」

 無言。
 かぐやも覗き込む。

「何度?」

 ヤチヨは無言のまま体温計を私へ向けた。
 そこには。
 37.8℃
 と表示されていた。

「……。」

 彩葉が固まる。
 かぐやも固まる。
 ヤチヨだけが冷静だった。

「熱じゃん。」
「……熱だね。」
「じゃあ寝てて。」
「……はい。」

 ぐうの音も出ない。
 完全に証拠を突き付けられてしまった。
 さっきまでの『疲れてるだけ』という理論が音を立てて崩壊していく。
 彩葉は諦めたように布団へ沈む。

「……ごめん。」

 ぽつりと呟く。
 約束を守れなかったし、心配も掛けた。そんな気持ちだった。
 しかし。

「謝んなくて良いから。」

 ヤチヨはそう言った。

「なんかいる物ある?」
「え?」
「飲み物とか、ご飯とか、薬とか。」

 彩葉は少しだけ目を丸くする。
 今まで、こういう事を聞くのは自分の役目だった。
 聞かれる側になるのは初めてかもしれない。

「いや、別に……」
「ダメ!」

 かぐやが割り込む。

「何も食べなかったら死んじゃうよ!?」
「し、死なないって。」

 本気で心配している顔だった。
 彩葉は苦笑する。そして少しだけ考える。

「……じゃあ。」

 二人を見る。

「ちょっと、お使いしてきてくれる?」

 二人が同時に顔を上げた。

「おつかい?」
「うん。」

 彩葉は枕元のメモ帳を手に取る。
 さらさらと文字を書き始める。
 薬局で買う物。コンビニで買う物。簡単な昼ご飯。
 そして。
 二人でも迷わないように細かな説明。
 書き終えたメモを、ヤチヨが受け取る。

「任せて。」

 その言葉は不思議と頼もしかった。
 彩葉は少しだけ笑う。

「……ありがとう。」

 かぐやも胸を張る。

「かぐやも頑張る!」

 彩葉は頷く。そして気付く。
 自分は今、この二人に頼っているのだと。
 少し前までならそんな事は考えられなかった。
 でもなぜか今の二人なら大丈夫だと思えた。

「いってきまーす!」
「いってきます。」

 玄関の扉が閉まる音がする。
 部屋に静けさが戻り、私は天井を見上げた。
 心配はあるけど、不思議と不安はなかった。
 だから。

「少しだけ……寝ようかな。」

 そう呟いて目を閉じる。
 すぐに眠気が押し寄せてきた。
 そして彩葉は、久しぶりに何も考えず、その身を休息へと委ねた。

 アパートを出た二人は、彩葉から渡されたメモを握り締めながら歩いていた。
 かぐやは少し早足。ヤチヨはそんなかぐやに合わせるように隣を歩く。

「急がなきゃ!」

 かぐやが真剣な顔で言う。

「うん。」

 ヤチヨも頷く。

「彩葉が待ってるし。」
「いろは死んじゃうかもしれないし!」
「そこまではいってないと思う。」
「でも熱あった!」
「それはそう。」

 ヤチヨも否定はしなかった。
 体温計に表示されていた数字を思い出す。

 37.8℃。

 人間のことは詳しくないが、少なくとも元気な状態ではないのは確かだった。
 だから二人は足を速める。
 そして。

「着いた。」

 彩葉のメモを頼りに歩いていると、目の前に薬局が現れた。
 自動ドアが開く。
 かぐやは迷わず店内へ飛び込んだ。

「すみません!!」

 近くにいた店員へ一直線。

「はい?」
「いろはが死んじゃいそうなんです!!」

 店員が固まった。

「えっ!?」

 周囲の客までこちらを見る。

「熱があって!ふらふらで!倒れて!」

 かぐやは半泣きだった。

「ご飯も食べてなくて!」
「え、えっと!救急車は――」

 店員が慌て始める。
 その横からヤチヨがひょこっと顔を出した。

「風邪薬はどこにありますか、って聞きたいみたいです。」

 沈黙。

「あ。」

 店員の動きが止まる。

「そ、そういうこと!?」

 ほっとしたように胸を撫で下ろした。

「びっくりした……」
「でも死んじゃいそうだもん!」

 かぐやは真剣だった。

「流石にまだ死なないと思う。」

 ヤチヨも真顔で返す。

「たぶん。」
「たぶんなの!?」

 かぐやがさらに不安そうになる。
 店員は苦笑しながら薬売り場を指差した。

「風邪薬ならあちらですよ。」
「ありがとうございます。」

 ヤチヨはぺこりと頭を下げた。
 その後も、彩葉のメモを見ながら必要な物を集めていく。

『風邪薬』
『冷却シート』
『スポーツドリンク』
『ゼリー飲料』
『喉飴』

「いっぱいある。」

 かぐやが棚を見上げる。

「どれ買えばいいの?」
「分かんない。」

 ヤチヨも正直だった。
 二人でしばらく悩んだ結果。

「また店員さんに聞こう。」
「それだ!」

 実に平和的な解決だった。
 店員の助言を受けながら買い物を進めていく。
 そして。

「あ。」

 かぐやの目が輝いた。

 チョコレート。
 クッキー。
 ポテトチップス。
 魅惑のお菓子コーナーがふと視界に入る。

 かぐやはそっとチョコレートを手に取る。
 そして、こっそりカゴへ入れた。
 しかし、ヤチヨの目を誤魔化せる訳もなく、無常にもチョコレートはカゴから取り出されてしまった。

「だめ。」
「なんで!?」
「今は彩葉の買い物。」
「ちょっとぐらいいいじゃん……」
「彩葉が死んじゃっても良いの?」
「ヤダ!!」

 即答だった。

「じゃあメモに書いてあるやつ探してきて。」

 ヤチヨがメモを渡す。

「このスポーツドリンク。」

 かぐやはメモを見る。
 そして。

「分かった!」

 かぐやは勢いよく走っていった。
 角を曲がって見えなくなった辺りでコケた音がしたけど、多分気のせいだろう。

 薬局を出る頃には袋が一つ増えていた。
 二人が次に向かったのはスーパーだった。ここでも彩葉のメモが活躍する。

『玉ねぎ』
『鶏肉』
『豆腐』
『ネギ』

 など、メモに書かれた必要な食材を一つずつカゴへ入れていく。
 その途中。

「ヤチヨ!」
「なに。」
「これも必要じゃない?」

 かぐやが持ってきたのはアイスだった。

「彩葉、熱あるし。」
「……まぁ、確かに。」

 自分の案が採用された事、今度は怒られなかった事に対して、かぐやが嬉しそうに笑う。
 ヤチヨは三人分のアイスをカゴに入れた。

 レジを終えてスーパーを出る。

 ヤチヨの両手には袋。
 おつかいは大成功だった。しかし、かぐやには心残りがあるようで、その表情は少し暗かった。

「お菓子買いたかった……」

 まだ言ってるの?、とヤチヨは苦笑しながら彩葉のメモをもう一度確認した。

 そして。

「あ。」

 足が止まる。

「え?」

 かぐやが覗き込む。
 メモの一番下に、小さな文字が書かれていた。

『頑張った二人にご褒美』
『近くに駄菓子屋があるから好きなの一人三つまで』
『迷ったら半分こすること』
『ちゃんと仲良くね』

「……。」

 ヤチヨはしばらく黙った。
 その文字をじっと見つめる。

 彩葉は寝込んでいたはずなのに。
 それでも、二人のことを考えていたらしい。
 その事にヤチヨは小さく息を吐いた。

「彩葉ってさ。」
「うん?」
「変な人だよね。」
「そう?」

「……彩葉がお菓子買っていいって。」
「えっ。」

 かぐやの耳がぴんっと立つ。

「ホント!?」
「ホント。」
「やった!!!」

 その場で飛び跳ねる。
 近くを歩いていた人がびっくりしていた。

「じゃあ急ご!」
「転ばないようにね。」
「分かってるよ!」

 言った直後。
 勢い良くつまずいた。

「わっ。」
「……ほら。」
「これはノーカウントだから!」
「何が?」

 ヤチヨは呆れながらも少し笑う。そして二人は並んで歩き出した。
 彩葉が教えてくれた駄菓子屋へ向かって。
 その先にある、小さな寄り道へ向かって。

 駄菓子屋はスーパーから少し歩いた先にあった。
 昔ながらの小さなお店。
 色褪せた看板。店先に並ぶカラフルなお菓子。開け放たれた引き戸の向こうから、どこか懐かしい匂いが漂ってくる。

「おぉー……」

 かぐやが目を輝かせた。

「いっぱいある!」
「ほんとだ。」

 ヤチヨも思わず辺りを見回す。
 店内には所狭しと駄菓子が並んでいた。

 チョコレート。ラムネ。スナック菓子。ガム。グミ。見たことのない物まで沢山ある。

 かぐやは早速メモを取り出した。

『一人三つまで』
『迷ったら半分こすること』
『ちゃんと仲良くね』

 彩葉の字。

「ちゃんと守る。」

 かぐやは真面目な顔で頷く。

「うん。」

 ヤチヨも頷いた。
 そして二人は考える。
 三つまで。

 ……三つ。

 私達は三人いる。

「……。」
「……。」

 二人は顔を見合わせた。

「一個は彩葉のだよね。」

 ヤチヨが言う。

「うん。」

 かぐやも当然のように頷いた。

「だって彩葉いないし。」
「だからって彩葉だけ無しは可哀想。」
「うん。」

 その結果。
 自然と結論は出た。

 自分用二つ。
 彩葉用一つ。
 これなら三人とも二個ずつは食べられる。

「これで完璧!」
「うん、完璧。」

 二人は満足そうに頷いた。

 かぐやはすぐ決まった。

「これ!」

 チョコレート。

「あとこれ!」

 いちご味のキャンディ。

「はい、決まり!」

 早い。
 驚くほど早い。
 ヤチヨもそれなりに早かった。

「これ。」

 ラムネ。

「あとこれ。」

 小さなゼリー。

 こちらも終了。
 しかし、問題は。

「……。」
「……。」

 彩葉の分だった。
 二人はお菓子棚の前で腕を組む。

「いろは何が好きなんだろ。」

 かぐやが呟く。

「分かんない。」

 ヤチヨが即答する。

「聞いたことある?」
「多分ない。」

 それは事実だった。
 彩葉はいつも。

『二人は何食べたい?』

 と聞いてくれる。
 でも。

『私はこれが好き。』

 と言っているのは聞いたことがない。

「甘いのかな?」
「どうだろ。」
「それともしょっぱいの?」
「う〜ん。」
「じゃあ辛いのは?」
「風邪なのに?」

「あっ。」

 確かに。
 今は風邪だった。

「じゃあ辛いのはダメ。」

 即却下された。
 再び悩む。

「チョコ好きそう。」
「でもしょっぱいのも好きそう。」
「なんで?」
「……なんとなく。」
「なるほど。」

 納得するかぐや。

 でも決まらない。
 甘いのか。
 しょっぱいのか。

 分からない。
 だって彩葉は、いつも自分達の好きな物ばかり買ってくれるから。
 彩葉の好みなんて考えたこともなかった。

「難しい……」

 かぐやが唸る。
 すると。

「決めた。」

 ヤチヨが棚へ手を伸ばした。

「え?」

 かぐやが振り返る。
 ヤチヨの手には二つのお菓子。

 一つはチョコレート。
 もう一つは小さなスナック菓子。

「二個ある。」
「うん。」
「あと一個じゃないの?」

 ヤチヨは少しだけ考えてから答えた。

「私が買う分は甘いの。」

 チョコを持ち上げる。

「かぐやが買う分はしょっぱいの。」

 スナック菓子を持ち上げる。

「これでどっちも買える。」
「なるほど!」

 かぐやの耳がぴんっと立つ。

「どっちか好きかもしれない!」
「どっちも好きかもしれない。」

「天才!」
「でしょ。」

 少しだけ得意げだった。
 そして二人は顔を見合わせる。

「彩葉、喜んでくれるかな。」

 かぐやがぽつりと呟く。
 その声には少しだけ不安が混ざっていた。
 初めてだったからだ。誰かのためにお菓子を選ぶのは。誰かの為に何かを選んで贈るのも。
 しかも相手は彩葉。
 いつも自分達に色々してくれる人。だから失敗したくない。
 ヤチヨは手の中のお菓子を見る。
 それから小さく笑った。

「……どうだろ。」
「え〜。」
「でも。」

 ヤチヨは歩き出す。

「彩葉の事だし。」

 振り返る。

「大丈夫じゃないかな。」

 かぐやは少し考えて。
 それから笑った。

「うん!」

 そして二人はレジへ向かった。
 薬と食材と、少しだけ悩んで選んだお菓子を抱えて。
 家で待っている、大切な人のもとへ帰るために。

 夕暮れの街を歩きながら、かぐやは紙袋をぎゅっと抱えた。

「早く帰ろう!」
「走らないでよ。」

 ヤチヨが言う。

「転んだら大変だからって彩葉がよく言ってるでしょ。」
「むぅ……」

 かぐやは少しだけ頬を膨らませたが、ちゃんと歩く速度を落とした。
 彩葉に頼まれた買い物。

 薬も買った。
 食材も買った。
 お菓子も買った。
 だから今はもう帰るだけだ。
 アパートが見えた瞬間、かぐやは少しだけ嬉しくなった。

「いろは起きてるかな。」
「寝てると思う。」
「だよねぇ。」

 そんな話をしながら階段を上る。
 そして。

 がちゃり。

 静かに扉を開けた。
 家の中は静かだった。朝の騒がしさが嘘みたいに静かで、かぐやは思わず声を上げそうになる。

「いろは――」

 しかし。

「しーっ。」

 ヤチヨに口元を押さえられた。

「ふがっ。」
「彩葉寝てるかもでしょ。」

 小声。
 かぐやも慌てて声を潜める。

「ご、ごめん……」

 ヤチヨは買い物袋を置くと、そのまま寝室へ向かった。
 かぐやも後を追う。

 寝室。
 薄暗い部屋に、カーテンの隙間から差し込む夕陽。
 その中で、彩葉は静かに眠っていた。

「……。」

 かぐやは思わず足を止める。
 布団に埋もれた彩葉。
 少し赤い顔、額に浮かぶ汗。規則正しい呼吸。
 だけど。
 時々少しだけ苦しそうに眉を寄せる。

「……。」

 かぐやはじっと見つめる。

 そういえば。
 彩葉が眠っている姿を、こんな風に見るのは初めてかもしれない。
 彩葉はいつも起きている。
 夜遅くまで何かしていて、朝は誰よりも早く起きている。
 気付けばご飯が出来ていて。
 気付けば洗濯も終わっていて。

 だから。
 こうして眠っている彩葉は少し不思議だった。

「……寝てる。」

 当たり前のことを呟く。

「うん。」

 ヤチヨも小さく頷く。

「彩葉もちゃんと寝るんだね。」
「当たり前。」

 ヤチヨは少しだけ笑った。
 そして買ってきた冷却シートを取り出す。

「起こさないようにね。」

 ぺたり。
 額に貼る。
 彩葉は少しだけ身じろぎしたが起きなかった。

「おぉ……」

 かぐやが感心する。

「これで治る?」
「たぶん少し楽になる。」
「こんなので?」
「うん。」
「すごい!」

 二人は冷却シートに謎の信頼を寄せていた。

 やるべき事はまだある。
 二人は静かにリビングへ戻って、買ってきた食材を並べる。
 そして。

「ご飯作る?」
「作る。」

 彩葉のメモを広げる。
 そこには丁寧な字で書かれていた。

『おかゆ』
『お米半合』
『水多め』
『卵があれば卵おじやでも可』

「おじや?」
「分かんない。」
「じゃあおかゆ!」
「うん。」

 満場一致だった。

 炊飯器を使い、鍋を使い。二人は思った以上に順調に料理を進めていく。

 しばらくして。

「……。」

 ヤチヨはふと横を見て、手を止めた。

「どうしたの?」
「なんか。」

 ヤチヨは鍋をかき混ぜているかぐやを見る。

「かぐや、料理上手いね。」
「そう?」

 本人は不思議そうだった。

「うん。」
「えへへ。」

 かぐやは少し嬉しそうに笑う。

「いつも彩葉が作ってるの見てたからかな〜。」
「あぁ、そっか。」

 ヤチヨは納得した。
 彩葉は気付いていないかもしれない。

 でも。
 二人はちゃんと見ていた。
 毎日のご飯も。
 包丁の使い方も。
 味付けも。
 全部。

「彩葉に教えてもらってたんだ。」
「うん!」

 かぐやは得意げだった。
 その時だった。

「……ん。」

 何か良い匂いがする、と彩葉はゆっくりと目を開いた。
 頭はまだ少し重いし、体もだるい。
 けれど。
 とにかく空腹だった。
 それに。
 どこからか優しい匂いが漂ってくる。

「……?」

 ゆっくり起き上がる。
 すると、額に貼られた冷却シートに気付く。

「……。」

 誰が貼ったのかなんて考えるまでもなかった。
 彩葉は少しだけ笑う。
 そして、ふらふらと部屋を出た。

「あ。」

 最初に気付いたのはヤチヨだった。

「起きた。」
「えっ?」

 かぐやが振り返る。

「いろは!」

 ぱっとかぐやの表情が明るくなる。
 彩葉はそんな二人を見る。机の上には湯気の立つおかゆ。切られた果物。ゼリー。薬。
 そして。
 買い物袋から少しだけ見えている駄菓子。

「……。」

 彩葉はしばらく何も言わなかった。
 代わりに、二人の頭へ手を伸ばす。

「わっ。」
「ん。」

 ぽんぽん。
 優しく撫でる。

「頑張ったね。ありがと。」

 その一言だけだった。
 けれど。
 かぐやは嬉しそうに笑った。
 ヤチヨも少しだけ目を細める。

「うん!」
「頑張った。」

 どこか誇らしげな二人を見て。
 彩葉はまた小さく笑った。

 熱で少し重かった胸の奥が、不思議なくらい温かくなっていた。

「いただきます。」

 彩葉の言葉に、

「いただきます!」
「いただきます。」

 二つの声が重なる。
 いつもと同じはずの食卓。けれど今日だけは、少しだけ違って見えた。
 湯気の向こうで笑う二人を見ながら、彩葉は静かに匙を手に取った。

— End —

Comments 13

ハルマキ@イグニスター4 天前

何だこの優しい世界 尊すぎて㍋

蓮零(レンヤ)7 天前
Sticker
蓮零(レンヤ)7 天前

熱を出した彩葉さんのためにおつかいを頑張るかぐヤチの健気さと買い物中の二人の会話と…彩葉さんを思う気持ちがじわじわと心に染みました。彩葉さんの分のお菓子をそれぞれ選んで、おかゆも彩葉さんの普段の作る様子をしっかり見て覚えて…2人の成長が彩葉さんが2人に注いだ愛と優しさを感じました

放課後延長戦7 天前
Sticker
やぎ7 天前

彩葉のために頑張ってあげようとするかぐヤチとどんなに辛くても2人のことを想ってる彩葉さん最高っす!

C
chorimoto8 天前
Sticker
牧之原爽8 天前

素晴らしい…!あ、僕古事記とか日本書紀とかたまに読むんですけど、その僕の思想がキャプションに全力で同意してるのでそこにかぐヤチ看病回は正義って旨の内容が書かれてたんじゃないですかね。 ありがとうございます

名無しその38 天前

はじめてのおつかい大成功!

鍋枝8 天前

看病回は神回って相場が決まってるんだよね

しおん8 天前
Sticker
シロクロ8 天前
Sticker
唐辛子鷹の爪8 天前

現在進行形で風邪引いてるからかぐやとヤチヨを私にも下さい

Sakuria
Where every work blooms
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