Novel19 days ago · 9k chars · 1 pages

黄泉竈食ひ信仰

スイセイスイセイ

テイワットの食事を避ける女の子の話

ふわりと宙を浮くような眩暈がして、よろめいた。例えるならそう、船揺れの様な眩暈。とっさに地面に膝をつき、倒れなかったはいいものの、ずっと頭がふわふわしていて立ち上がれそうにない。先ゆく仲間に声をかけようとしたが、唇さえももたついて言葉を上手く発せなかった。

 フー、と自分を落ち着かせるため細く息を吐いた。こんなにしんどくなったのはいつぶりだろうか。少なくともこちらの世界に飛ばされてからは、1度もなかったと思うのだけど。普通に油断していた。
 現在地は璃月、帰離原。目的地は層岩巨淵。璃月国内とはいえ、あそこにたどり着くには半日はかかる。今の体調ではそれ以上の時間を要するだろう。前をゆく仲間の背を見つめ、ゆっくり瞬きをした。

 彼の黒い外套が風に揺られてはためいている。金色の髪が光を集め、キラキラとまたたいて。暗闇がいっとう似合う人だと思っていたが、考えを改めるべきかもしれない。彼の格好が璃月の青空によおく映えているものだから。数百年も共にいるのに、気づくのが今更とはおかしな話だ。元から端正な顔の人であると知っていたのだけれど、改めて感じるものがあるというか。

 病人らしくまとまらない思考でぼんやりしているうち、彼、ダインスレイヴの背中はどんどん遠ざかっていった。声もかけていないのだから置いていかれるのは仕方がない。口を開かないのは声が出せないほどの倦怠感が1番の理由であるが、それはそれとして、昔から彼の背に声をかけるのが苦手だった事もある。
 1度わたしのそういう行いについて苦言を呈されたし、かつての旅仲間の女の子にもやんわり嗜められたものだが、だからといって治るわけもなく。

 新芽の匂いが風に乗って駆けていく中、わたしは殆ど倒れているような姿勢でのそのそ動き、近くの石段に背中を預けた。旅の途中、しばしば足取りを乱す遺跡がこんな時に役立つとは思わなかった。ゴツゴツしていて肌あたりはとても悪いけれど、ないよりはマシである。文明のなごりって素敵!

 体の力を抜くと少し楽になる気がする。彼が振り向かなかったなら、その時はその時だ。この辺りは千岩軍も巡回していることだし、ここで眠ったとしても何とかなるだろう。
 気の抜けたあくびをして、燦々と降り注ぐ陽の光に目を細めた。吟遊詩人曰く、世界のどこにいても空は繋がっているという。テイワットという異世界においてその言葉は何の慰めにもならないが、弱っている今、故郷と変わらぬ青空を見るとどうにも涙が出そうになった。草の匂いが幼少期の記憶を呼び起こし、花の匂いが故郷の春を思い出させる。———ああ、家に帰りたいなぁ。

 500年求め続けても叶わない願い。帰り道の手がかりすら見つからない。他人であれば誰しもが「諦めろ」と助言するだろうに、わたしはまだ。
 瞼の裏に浮かぶ母を見つめ、そのままうとうとしていると、ザッと砂を踏む音がして頭上に影がさした。

「おい、どうした」
「...ん」

 わたしがいない事に気がつき、戻ってきたらしい。ダインは眉を顰めてこちらを見ている。これは怒っているのではなく心配している顔。いや、ちょっとは怒ってるかもだけど。

「調子が悪いのか」
「んー...」

 返答をしようにも声にならず、無意味な音だけがこぼれる。彼は膝をつき、手袋を外して、わたしの額に手を当てた。

「熱は...ないな。どこが辛い?」
「倦怠感が、酷くて」

 それと眩暈。そう付け足すと、ダインはふむと考え込んだ。どう考えても彼に気を使わせているし、現在進行形で足を引っ張っている。別に、わたしの事なんて放っておいてもいいのにな。

「...先に行ってて。大丈夫だから」

 1分の遅れがアビスにチャンスを与えてしまうと、彼は以前そう言っていた。ならばわたしの体調不良如きで彼の足を止める訳にはいかない。背を向けるようにキュッと小さく丸まり、それからサムズアップをしてみせた。

「貴様は.....まったく」

 だというのに、ダインは本当に呆れたようにため息をついた。グイッと腕を引かれて、わたしのアルマジロみたいな防御体制は一瞬で崩れた。「うわっ」と間抜けな声が出る。ピチピチ暴れようとも武人の腕力に敵うはずもなく。
 彼はこちらの抵抗などお構いなしでわたしを俵担ぎにし、片手で地図を開いた。

「璃月港に不卜廬という薬屋があった筈だ。そこに向かおう」
「ね、ちょっと...」
「貴様を預けた後、俺は層岩巨淵に向かう」
「あの、聞いてる?」
「いいから大人しく寝ていろ」
「この体勢で...?」

 もの凄く胃が圧迫されているというのに無理を言う。幸いな事に、食事を取らなくても平気な体質であるため、胃の中は空っぽで出るものなど何もなかったが。気持ち程度の小さな抵抗をしていると、ダインがわたしを抱えている方の手でトントンとわたしの脇腹を叩いた。さながら、言うことを聞かない幼子を宥めすかす様に。

 それが普通に気恥ずかしかったので抵抗をやめた。断じてその手つきに落ち着いたわけではない。モチモチの脇腹を撫でられてこしょばかったわけでもない。断じて、本当に。
 少し騒いだせいで、かろうじて残っていた体力も使い果たしてしまった。運ばれる揺れが思いのほか心地よくて、背中に太陽を受けながら、トロトロと眠りに落ちた。

◾️

 夢を見た。久しぶりに母が出てきたから、これは夢だと悟った。今まで何度も期待をして、その度に泣いたから、もうわかっている。夢に出てくる母が本物だった事はない。
——でも、それでも。

「お母さん」

 毎度のように母に声をかける。あえてそうするのに、大した理由はなく。偽物や、記憶が生んだ幻像でも良いから、わたしを見て欲しいだけだった。
 こちらを振り向いた彼女はニコリと笑って、何かを呟いた後、煙の様にかき消えた。母の声がわたしに届かないのは、きっとわたしが彼女の声を忘れてしまったから。これもいつもの事だった。

 いつもと違ったのは、その後。何もない真っ白な空間が突如、波紋の様にひずんで、景色が変わった。青々とした芝生に、ガーデンパラソルが立っている。丸いテーブルと椅子が2つ。奥の方にはよく見知った女の子が立っていた。

「素敵な夢の邪魔をしてごめんね」
「邪魔なんかしてないよ。ちょうど今、居なくなっちゃった所だから」

 だから気にしないで、蛍ちゃん。わたしがそう言うと、目の前の彼女は眉を下げて笑った。ふわふわのスカートを揺らして、彼女は席に着いた。そうして軽やかに手招きをしてみせる。わたしは導かれた通り椅子に座り、彼女と同じテーブルを囲んだ。

「どう、元気にしてた?」
「うーん、まあまあかな」

 そう答えて、ティーポットに手を伸ばす。テーブルに置かれたティーセットは2組。わたしはその片方だけに紅茶を注いで、蛍ちゃんに差し出した。

「お砂糖も入れて」
「どのくらい?」
「3つ」
「わかった」

 わたしの友人。アビスのお姫様。そしてかつての旅仲間である彼女は時々わたしの夢を訪れて、こうしてお茶会を開く。ポトポト角砂糖を落とし、再度蛍ちゃんに差し出すと、彼女はそれをスプーンでゆっくりかき混ぜた。

「今日はどうしたの?」
「少し疲れたから、貴方の顔を見にきた」
「あは、存分に眺めていいよ」

 俗世から離れ、地下でアビスと共に生きるようになったとはいえ、いくらか人たらしの面影は残っているようだった。彼女はカップに口をつけ、一口飲み込んだ後「思ってたより甘かったな」という顔をしてソーサーに戻した。今度は自分でティーポットを手に取り、差し湯をしている。
彼女の手元からたちのぼる湯気を眺め、独り言のようにぼやいた。

「目が覚めたらわたし、きっとダインに怒られちゃう」
「どうして?」
「調子が良くないのを黙ってたから」
「ああ、それは貴方が悪いね」

 別に隠そうと思った訳ではなく。ただ、言いにくかっただけだ。嫌いだなんて事は絶対になくて、なんていうかその、私事で彼を引き止める事に対して、妙な気恥ずかしさがあるだけで。彼女はわたしのモゴモゴした言い訳を聞きながら、カップのふちをそっとなぞりながら口を開いた。

「私がいなくなった後、何か食べた?」
「なんにも」
「いい加減、栄養を摂らなきゃダメだよ」

 “いなくなった後”とは、彼女がダインと決別した後の事を指す。あの時わたしはどちらも選ばなかった。大事な友人達が、互いに背を向けるのをただ黙ってみていただけだった。だって、わたしの目的はあくまでも家に帰る事であって、彼らに猫の手を貸すことではないから。

 唯一わたしがあの時選んだのは、2人の内どちらに着いていくかではなくて、この先地上で過ごすか、地下で過ごすかという事のみ。田舎育ちの心情としてはお天道様なしで生きていける気がしなかったので、そういうわけで今もダインと一緒に行動している。
 あと何よりわたしがどちらに着こうとも、片方に対する脅威にはなり得ないという点。ここが1番大事。実際、蛍ちゃんが普通の顔してお茶会をしに来ているところなので、この話の信憑性は増すと思う。

「これはただの推測なんだけどね」
「うん」
「貴方のいた世界とテイワットでは、時間の流れが違うんじゃないかな」
「...うん?」

 突拍子もない話である。わたしが首を傾げると、目の前の彼女はスプーンを置き、真剣な顔で人差し指を立てた。さながら注釈をつける様に。

「普通の人は貴方みたいに500年も飲まず食わずで生きられないよ」
「それは確かにそう」

 本当にそう。突拍子もないのはわたしの方だった。彼女曰く「貴方のその体質は見たことがある」と。彼女が双子の兄と旅をした世界に、長命な異世界人が存在していたのだとか。その人もわたしと同じ境遇。わたしとは違って、彼は数日から数年に1度は食事をとっていたそうな。

 しかし、そうは言っても。その人はその土地に骨を埋める決意をしていた。対してわたしはお家に帰りたいので、迷信にだって縋らなくちゃいけない。よって、前提条件が異なるため解も異なる。証明終。
わたしが話を逸らすようにそっぽを向くと、彼女は身を乗り出し、わたしの頬をつまんだ。

「いたい」
「今は平気だとしても、いつかは限界がくるでしょ」
「さっき来たもん。もうすぐ死んじゃうかもね」

 わたしがヘラっと笑ってそう言うと、彼女は眉を顰めて怒った顔をした。彼女の指にグッと力が入って、わたしの頬を餅のごとくみろーんと引き伸ばして。

「いひゃい、いひゃい」
「面白くない冗談はやめて」
「ごひぇん」
「もっと自分を大事にして」
「う、叱らないで」
「もう」

 わたしのほっぺが!
 パッと離された頬の様子を確かめるためにモチモチ触った。よかった、モチモチだ。蛍ちゃんはこちらに乗り出した身体を元の場所に収め、ハァと大きなため息をついた。そしてそのまま椅子に体を預け、ぼんやりと空を仰いだ。

「...貴方が私達をずっと心配している様に、私達も貴方を大事に思ってるって、どうして伝わらないんだろう」
「?」
「...ううん、なんでもない」

 何やら諦めた顔で独り言を呟いていた彼女は、席を立ち、彼女の瞳と同じ色の宝石をわたしに握らせた。

「あげる」
「...これは?」
「持ってて。何かあった時貴方を守ってくれるから」
「探知機能とか、」
「しないよ。ダインならすぐ気づくでしょ」

 とりとめもない会話をしながら、ゆったりと意識が薄れていく。周りの景色が絵の具を拭き取った様に滲んでいって、風景を描いていた色彩達は真白な空間にカラフルな水滴だけを残して消えた。今回のお茶会はこれで終わりらしい。いつも不定期に開催されて彼女の気分次第で終わるので、今更何を言うこともないけれど。

 残されたテーブルを気持ち程度に整えて、ふわぁとあくびをした。お茶会の終わりは夢から覚めることを指すのではなくて、これからわたしがノンレム睡眠に入る事をさしている。つまるところ、とても眠い。

 目の前の蛍ちゃんは仕方なさそうに笑って、わたしの垂れた横髪を掬い取り、耳にかけた。

「待ってて。私がきっと、貴方の帰り道を見つけてあげるから」

◾️

「栄養失調と貧血ですね」

 目を覚まして少し経った後、白朮と名乗る薬師が診察に来てそう言った。わたしはダインの言った通り、璃月港の不卜廬に運び込まれ、空き部屋のベッドに寝かされていたらしい。眠っている間に丸1日はすぎていた様で。独特のお香の匂いにボーッとしていると、薬師は困ったように首を傾げた。

「随分重たい栄養失調のようですが、いつから食事を摂っていないのですか」

 500年間何も食べていない、なんて言えるわけがない。

「...しばらく」

 背中に鋭い視線を感じる。振り返ったら死ぬ。
 起き抜けの頭で薬師の質問に答えて「水は?」「飲んでないです」「食欲は?」「あるにはありますけど、そこまででは」「倦怠感はいつから」「割と、ずっと...」いたのだけど、どうしよう。質問に答えれば答えるほど、背後から突き刺さる視線の鋭さが増していく。

 問診を終えた薬師は、症状を書き留めた紙を眺めながら考えている。わたしもこれから必ず来るであろうお説教をどう回避するか考えている。本当にどうしよう。どこにも逃げ場がない!
 できる事なら薬師にずっとここにいて欲しいけれど、璃月港一の薬屋という立場ゆえ暇では無さそうで。彼は紙から目線をあげた後、柔和に目を細めた。

「今の貴方に効く最良の薬はよく食べ、よく寝ることですね」

 「食欲増進の薬を出しておきましょう。必要であれば随時服用してください」薬師はそう言って微笑み、机に置いた数々の道具を薬箱にしまって、さっさと部屋を出ていった。

  後ろにいたダインの様子を横目で伺うと、眉間に皺を寄せて目を瞑っていた。よかった、目が合わなくて。そう思ったのも束の間、彼の瞼が上がりかけたのを見て、慌てて前を向いた。
———気まずい沈黙が、部屋の中で重く漂っている。もう一度彼の方を向く勇気はなかった。そうして固まっていると、大きなため息が聞こえたのち、木製の扉を押し開く音が聞こえた。

「昼食を作ってくる。待っていろ」
「——ね、ダイン。わたしは大丈夫だからご飯はいらな」

 バタン。わたしが言い終える前に彼は出ていった。普通に無視された気がする。
 取り残された部屋で暇つぶしに手を握ったり開いたり、力を込めてみたり。手が少し震えた。栄養失調と貧血の他、低血糖もありそうだ。そして、特に意味もなくそのまま自分の手を眺めていると、ふと「あれ」と思った。———この間まで標準的な色だった肌が、雪の様に真っ白になっている。照明に手をかざすと動脈が透けて見えるくらいに。
 「おかしいな」と首を傾げて、またある事に気がついて、頭痛が痛くなる様な心地がした。グワンと視界も揺れている。なんというか、どうしようもない。“この間”とは一体いつの事だっただろうか。何年前?

 普通の人間に見合わない長い寿命を生きるうち、少しずつ時間の感覚が歪んできている様で困る。故郷に帰った後の80年(おそらく)があっという間に過ぎてしまいそうで不安だ。叶うかわからない未来を想像して肩をすくめた。あっちょんぶりけ!

 シーツに皺をつけながらモソモソ動いて、寝台から降りた。部屋に備え付けられている鏡の前に立ち、正面から自分の顔を見る。随分とまあ血の気がなくて貧相な。故郷では色白が美とされていたけれど、流石にこれは度を越している様に思う。まるで死人みたい。手慰みに髪を整えた後、鏡の中の自分にヘラリと笑いかけて、尋ねた。

「このまま死んだら帰れると思う?...なーんて」

 返事はない。虚像が答えるはずもない。頬に乗せただけの笑みを捨てて、ため息をついた。——自殺。何百年生きても勇気が出なかった方法である。自死は大抵苦しいものばかりだから嫌だった。けれども、このまま流れに任せて死ねるのならばそれはそれで悪くなさそう。涙の出ない、カサついた下瞼を撫でてそう思った。

 バタンと音がして、振り向いた。部屋に入ってきたダインが苦い顔をしている。わたしの独り言を聞いていたのだろう、本当にタイミングが悪い。咄嗟に笑顔を貼り付け、眉を下げた。

「......あー、冗談だよ。ごめん」

 ダインはゆっくりと——足が長いので5歩程度で——こちらに歩み寄り、わたしの手首を掴んでベッドに座らせた。彼の険しい表情をなんとかしたくて話を振ってみる「さっきの夢でまた蛍ちゃんに会ったよ」「そうか」「調査は無事終わった?」「ああ」「怪我してない?どこも痛くない?」「ああ」けれど、返事がいつになく単調である。.....これはもしかして、本当に。

「...あの、怒ってる?」
「貴様にそう見えるなら、そうだろう」

 “そう見えるならば”などと前置きしているが、どう考えてもそうだ。はっきり肯定しないのが尚更緊張を煽る。
 彼は持ってきた食事をミニテーブルに乗せ、わたしに蓮華を握らせた。手をグーに握りしめて抵抗したが、一本一本指を引き出されて普通に負けた。正面には湯気がたちのぼる、出来立ての茶碗蒸し。出汁の匂いが鼻をくすぐる。この2日間彼に迷惑をかけて、世話をさせて、今は食事まで作ってもらって。彼には感謝するばかりで。
——けれど、これだけはダメだ。どうしてもダメなのだ。

「あの、せっかく作ってくれたところ申し訳ないんだけど」
「.....」
「...食べれないよ。貴方の料理が嫌な訳ではなくて、ただ」

 そっと蓮華を置いて、テーブルごとダインの方に押した。彼はそれを無言でジッと見つめ、何も言わずに壁際にあった椅子を引き寄せ、足を組んで座った。怖い。

「ヨモツヘグイと言ったか」
「うん」
「貴様の故郷では有名な話だったな」
「...そう、国の人ならみんな知ってる話」

 話は話でも、確か神話だったと思う。詳しくは覚えていないけれど、どこぞの神様が黄泉の国で食事をしてしまい、現世の夫の元へ帰れなくなったとかそういう感じの。

「.....まず始めに、ここは貴様の言う黄泉の国ではない」

 知っている。テイワットは故郷とは全く違う文化、風景であるものの、そこに住まう者たちは皆地球の人々となんら変わりない日々を送っている。こんな生命力に溢れた世界が、死後の国であるはずが無いから。

「次に。神話はあくまでも神話だ」

 知っている。そんな事くらいわたしだって。ただ、藁にもすがる思いでいるだけだ。

「それに先ほどの話だが、死んだところで故郷に帰れるとは限らないだろう」
「.....」
「ましてや迷信を信じ、食事を摂らずに死ぬなど愚か極まりない」
「.....う」

 そう淡々と言い募って、ダインはわたしの理由を丁寧に潰していった。“言われなくたって”と反発にも近い気持ちが湧き上がるけれど、実際のところ彼はこの500年、わたしの行動に対してずっと何も言わないでいてくれた。自分で言うのもアレだが、彼は見かけによらず情が厚い人で、その情の範囲にはわたしも含まれている。この詰め具合だって、わたしを思ってのことだ。今回ばかりは全部彼が正しくて、わたしが全て間違っている。
 いつもより口数の多いダインは、わたしが静かに俯いた事に気づいた様で、一拍置いて小さく息を吐いた。

「今貴様に出来るのは生きて帰り道を探すことだけだ」

 “わかるな?”と諭され、渋々頷いた。怒鳴られたわけではない。脅されたわけでもない。ただ諭されただけ。でも、どうしたって反論できる様な空気ではなかった。叱られた子供のような気分だ。親とはもう何百年も会えていないし、わたしももう少女ではないのに。

「食べろ」
「.....」

言われるがまま蓮華を手に取った。掬って、一口食べる。優しい出汁の味がした。

「...海老入ってる」
「好きだと言っていただろう」
「そうだっけ」

 全く覚えていない。言ったとしても随分昔のことだと思う。それこそ、蛍ちゃんがまだ旅の仲間であった時。
 代わりに、母がよくわたしが風邪を引いた時に茶碗蒸しを作ってくれたのを思い出した。食べたくないとぐずるわたしのためにわざわざ海老を買ってきて、少しばかり手間のかかる下処理をして。そうしたら、わたしが喜んで食べるから。
 あの味とわたしを見つめる母の瞳を思い出して、ポロリと涙が溢れた。水滴は何度拭おうとも、留まることを知らない様に頬をつたっていく。

「ダイン」
「なんだ」
「帰れなくなったら、どうしよう」
「...責任は取る」

 は、と吐息をこぼしてダインの方を見た。彼は形のいい眉をキュッと引き締めて、真剣な顔で。キザにも聞こえるセリフをそんな大真面目な表情で言うものだから、思わず笑ってしまった。
 嘘ばっかり。貴方だって、蛍ちゃんみたいにいつか何処かへ行ってしまうくせして。わたしは、貴方にそんな事を言わせたいんじゃないのに!
 慰めるのが下手な人だ。彼の覚悟を決めた様な表情が随分おかしく思えてケラケラ笑っていると、一度引っ込んだはずの涙がまた出てきてしまった。笑いすぎてしまったせいだろう。多分、きっとそう。

 “黄泉竈食ひ”なんて迷信が意味をなさないことなど、とうに知っている。現実を見たくなくて、ずっと目を背けていただけ。雷元素の神の目がポケットからまろび出てきた時に諦めなければならなかったのだ。わたしの存在はとうに世界樹に記録され、運命とやらの一部になってしまったのだと。

 ぎこちなくわたしの背を撫でる温度の低い手が、なんとも物悲しくてまた泣いた。
 「もう帰れないだろう」なんて、冷たく突き放してくれたらちゃんと嫌いになれたのに。でも、言わなかった。優しい人だから。

— End —

Comments 8

ごりん3 天前
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フランジパニ12 天前

文章が美しくてとても好きです…素敵な小説を読ませてくださりありがとうございます(love2)

ぬいぐるみ18 天前
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饅頭猫19 天前
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猫まんま19 天前
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ルリ19 天前
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Sakuria
Where every work blooms
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