ATTENTION
ワンドロお題「闇落ち」で書いたお話です。
様々な地雷があるかと思いますので、下記の注意書きをご確認のうえ、問題ない方のみご覧ください。
・壬氏皇帝ルートで猫猫を解き放っています。
・猫猫は西方に留学、現地に残るために現地の医者と婚約してます。(肉体関係なし)
・いわゆるセックスしないと出られない部屋話です。
・上記に伴い、「すこしふしぎ」系の要素もあります。
・お題が「闇落ち」なので、二人ともだいぶ病んでます。性格違くない?と思われましたらブラウザバック願います。
・皇帝ルートですが、壬氏くんは後宮を休止して、猫猫の○と同衾してます。
・登場人物が、相手に薬を盛って部屋の脱出条件を解除したことを示唆する描写があります。そういう展開が許せない方は、このまま画面を閉じてください。
・壬猫両想いで共に暮らせるし他の女はいないハピエンです。闇落ちたるもの、バッドエンドかメリーバッドエンドしか許せない方、後宮を休止するなんてご都合主義の極みすぎて許せない方も画面を閉じてください。
以上、問題ないわと思われましたら、次ページよりご覧ください。
目が覚めた。
薄ぼんやりと明るい室内に、違和感を覚えて飛び起きる。
寝る前に灯りは全て消したはずなのに。
蝋燭はこちらでも貴重品だ。
無駄遣いをした覚えはないのだが。
周囲を見渡す。
どこかで見たことがある部屋だが、壁には窓がない。
広めの寝台の隣には、誰かが横を向いて丸くなって寝ていた。
緩く結わえてある絹糸のような黒々とした髪に見覚えがあった。
まさかと思って顔を隠す髪を払う。
「壬氏さま……!?なぜ私と同じ寝台に……?」
今はもう無関係になった人。
かつて愛した、いや、今も忘れられない男がいた。
箱庭夢戯
「壬氏さま、伽を致しましょう。」
「いやだ。」
「私ではその気になれないなら、春画でも取り寄せましょう。」
「いらん。俺だって、こんな場所でないならお前を今すぐにでも抱きたい。ほら……。」
ごつごつした手に手を取られて、壬氏さまの脚の間へ導かれる。
かつて『そこそこの蛙』と称したものが、そこそこでは済まない大きさで、こちらへ熱を伝えてくる。
「こんなにして、苦しいでしょう?楽にして差し上げますから。」
「お前まで有象無象の女と同じことを言うな。俺はここでお前を抱かん。」
「私でその気になれないのも理解できますから、たわわな方の絵でも見て気分を盛り上げてください。」
「たわわは嫌いだし、俺が抱きたいのはお前だけだ。」
「なら、なぜ抱いてくださらないのです?」
「なぜお前はそんなにも、『ここ』で抱かれたいのだ?」
「『ここ』だからです!」
答えながら、壁を指差す。
白い漆喰の壁には、『伽をしないと出られない部屋』と大書された紙が貼ってあった。
伽をしないと出られないと謳う胡散臭い部屋に閉じ込められて、もう十日ほどになる。
こんなやり取りをもう三十回は繰り返した。
いや、十日が正しいのかも分からない。
この部屋には窓もなく、時計もない。
部屋の灯りは、天井の一部分が薄ぼんやりと明るいことで確保できている。
しかし、ずっと同じ明るさを保っているため、蝋燭や窓の光のように時間の経過が分からない。
そのため、三回の食事をしたら一日が経ったと見做して記録しているが、実際にどれほどの時間が経過したのかはわからない。
この部屋の説明書が部屋の隅の卓にあったが、その書によると、部屋の外とこの部屋の時の流れは同じなのだという。
つまり、部屋の外でも十日ほどが経過しているはずで、私たちは二人で十日も行方不明になっているということなのだ。
この部屋には外に繋がる扉がない。
壁をぶち破れないかと毎日試しているが、体当たりしても衝撃が壁にぼよんと吸収されてしまい、壁に穴をあけることもできない。
火をつけて、命からがら脱出することも考えたが、湯殿には暖かい湯があるのに火種がない。
本当に、伽をする以外に出る方法がないようだ。
「この部屋でなら、暮らしていけるだろう。紙に欲しいものを書いてあの引き出しに入れれば、頼んだものが隣の引き出しに出てくる。食事も暇つぶしの道具も薬もだ。湯殿の湯もいつも綺麗なものが熱々に保たれている。厠も綺麗で臭いもない。なぜ出ていく必要がある?」
「でも、時計など頼んでも出てこないものもあったじゃないですか。それに、壬氏さまを待つ方がいらっしゃるでしょう?」
「俺自身を待つ人間などそうは居るまい。」
「皇帝たる壬氏さまがいらっしゃらなくても国が回るほど、今の茘に皇族がたくさんいらっしゃるようには思えないのですけどね。」
「そうだな。西方にいたお前は知らんかもしれないが、主上はもう長くはない。」
「成人皇族は、壬氏さまだけになりますね。」
「そうだな。」
「幼い東宮さまはどうなります?外戚がいらっしゃるにしても、皇帝として君臨するにはまだまだ幼すぎるでしょう?外憂を招きかねないのでは?壬氏さまは、東宮さまへ皇位を繋ぐために……。」
口が渇く。
口にしたくない。
だが、言わなくてはならない。
「私を捨てたのでしょう?」
見据えた先、壬氏さまの瞳に涙が盛り上がっていく。
「俺は、猫猫を手放したくなどなかった!!」
「ならば、そばに居ろと命じればよかったのです。」
「そうやって、お前を縛りつけ、お前の本質が変わっていくことを俺は恐れた。四方八方から叩きのめされて形を矯められる場所に、俺のせいでお前を置きたくなかったんだ。」
「壬氏さまは、かつて、私を解き放つことを選ばれた。西方に留学もさせてくださった。私をご自身から遠ざけたのは壬氏さまですよ。」
「お前はあのとき、妃として入内しろと言ったら納得したか?」
「壬氏さまが御心のうちを今のように全て話してくださったなら、頷いたかもしれませんね。」
「それをなぜ、今になって言う!?」
悲痛な叫びとともに、寝台に引き倒された。
肩と膝を手と足で押さえられ、身動きができない。
壬氏さまの長い髪が落ちてきて、私の身体を囲うように帳を成す。
「あの夜の壬氏さまに聞かれませんでしたから。」
「ぐっ……。」
「あの夜の壬氏さまはもう、私を解き放つと決めておられたでしょう。決意されたのであれば、私が申し上げることはございません。」
「猫猫……。あの夜、身も世もなく懇願すれば、お前は俺の隣にいてくれたのか?」
「そうかもしれませんね。それくらいには想っておりましたから。」
「過去形か。それなのに、お前は俺以外の男と婚姻するのか?国の金で行った留学のくせに?」
「それは申し訳ありません。ただ、壬氏さまと私のことをご存知の方は宮廷に多いでしょう。国を発った時点で戻るつもりはありませんでした。」
「それで、俺の居る茘へ戻らず、西方で婚姻するとな。相手は医の師だと言ったな。」
「ええ、そうですね。」
壬氏さまの顔が近付いてくる。
もしまだこの人に私への情が残っているのであれば、このまま抱いてくれればいいのに。
「どんな男なんだ?」
「金髪碧眼の中年男ですよ。研究に没頭しているうちに婚期を逃したと言っていますが、おそらく、性癖が先々帝と似ているのではないですかね。西方の国では、私はまるで少女にしか見えないようですから。外国人の私をわざわざ娶る意味は、きっとそういうことでしょう。」
「そんな結婚でお前が幸せになれるわけがないだろうが!!」
「納得の上です。それでも私はこの国に残る権利が欲しかった。向こうは特殊な性癖に合う女が欲しかった。利害の一致です。」
「せめて、愛し愛されの結婚をして欲しかったのに。」
「それは壬氏さまに捨てられた時点で諦めましたから。皇族だけでなく、平民の結婚も取引(ビジネス)ですよ。互いに利のある結婚が良い結婚なのです。」
壬氏さまの顔が歪む。
ああ、言葉選びを間違えたな。
壬氏さまの中に燃え上ろうとしていた欲情の炎が消えたのが瞳の色でわかる。
「お前にそんな結婚させたくないからな。お前を抱かない。お前はここで俺とずっと朽ち果てるまで共に居れば良い。」
「おやめください。重篤な病に罹ったらどうするんですか?」
「お前がいるだろう。3年も西方に留学した腕利きの医官だ。それに、お前に看取ってもらえるなら本望だ。」
「まだ医官ではありません。医官付き官女です。玉体を診る資格はございません。」
「お前が戻ってきたら、医官に叙するつもりだった。」
「それはありがたいですけれども、もう戻るつもりはありません。留学費用は羅の家から国庫へ返納してもらうつもりだったのです。」
そう言ってから、覆いかぶさる壬氏さまの顔を見上げた。
「それとも、身体でお返ししましょうか?」
「そうだな、茘に戻ったら頼もうか。」
「戻るためには、ここで抱いていただく他はないのですけれども。」
「それは困るな。茘へ戻ったら、お前を俺から引き離そうとする輩がいるかもしれん。それなら、お前と永遠に共に在れるここで朽ちたい。」
満足げに笑った壬氏さまが、私の隣にどさりと横たわった。
深いため息が聞こえる。
だめだ。
早くここから出してやらないと、この人は生きたまま腐ってしまう。
遠大な目標を達成するために泥臭い努力を厭わなかった壬氏さまが、破滅を前にしても微笑んで何もしないことを選ぶとは、だいぶ弱っているようだ。
自暴自棄など、壬氏さまには似合わないのだから。
私本人には茘に思い入れや恩義がさほどあるわけではない。
だが、壬氏さまが大事にしてこられた国が、私が育ち壬氏さまと出会った国が揺らぐことは、本意ではない。
私に、私だけにできることをしなければ。
ここでずっと過ごせるとしても、その先に待つのは破滅だ。
生きたまま身体が徐々に鈍って機能を失っていくのが先か。
それとも、精神を病むのが先か。
それは誰にも分からない。
私自身も、少々不調を感じている。
重怠い身体と、時折頭に走る痛み。
何かがおかしいのに、それが何だかわからない違和感。
「もう、猫猫がいない茘など俺には必要ないんだ。こんな腑抜けた俺も、茘からすれば要らない存在だ。不要な権力者は殺されるのが、この国での運命だ。ならば、お前と一緒にここで朽ちるまで過ごしたい。」
「そんなことはありません。壬氏さまは、茘を立派に統治されていると西方にも聞こえてきておりました。壬氏さまの不在で国が今どうなっているのか心配です。早くお戻りになり、国を安定させないと。」
「いいんだ。本当はあの夜、猫猫を連れて逃げたかったんだ。逃げればよかった。やった後悔よりやらない後悔の方が強いとは聞くが、本当だな。毎晩猫猫とあの夜国を捨てて出奔する夢を見ていた。だから、なぜか会えた今こそ、お前とこうして引き籠りたい。」
「皇帝がそんなざまで許されますか。後宮にお渡りになれば気も晴れたでしょう?」
「俺が伽をするわけにはいかんからな。後宮は休止させた。公式にも非公式にも俺の手付きになった娘はいない。俺が毎晩抱いているのは、羅半から譲ってもらった、お前が残した服だけだ。宮廷では不能とでも思われているんだろうな。」
「不能、ですか。こんなにお元気なのに。」
隣に寝そべる男の脚の間に触れる。
固い感触は、度重なる補充を経ていつの間にか手に馴染んでいた。
滝壺で初めて触れたときは、あれほど生々しくおぞましい感触だったのに。
「お前だからだ。猫猫相手じゃなきゃこうならない。強い媚薬を使ってでも勤めを果たせと言う者もいたがな。俺は所詮は中継の帝だから子は要らぬ。兄上の子を盛り立てるのみと主張してすべて退けた。」
「そうだったんですね。」
「抱くなら猫猫がいい。猫猫だけがいい。他の女など、俺たちの間には不要だ。二人だけ、いや、俺たち二人と俺たちの子だけがいればいい。」
「そうですか。」
「猫猫はこんな時も冷静だな。少しは俺といられて嬉しい素振りを見せてもくれないのか?」
「再びお会いすることはないと思っておりましたから、会えたのは僥倖でございました。こんな形だとは思ってもおりませんでしたが。」
本心だ。
壬氏さまに中てられたのだろうか。
もう二度と会うつもりはなかったが、顔を合わせてしまえば、心の中に暖かいものが溢れ出してくる。
ましてや、皇帝になった壬氏さまの閨に侍る女がいないだなんて聞いてしまったら、心のどこかが綻んでしまう。
おそらく、これが愛おしさというものなのだろう。
壬氏さまが私の方へ寝返りを打ってくる。
「そうだな、あの夜ならば、お前に手を付けて后にできたのにな。」
寂しそうな表情で、こちらの顔を覗き込んでくる。
「西方へ留学し、現地の者と婚約までした女です。もう妃にはできませんね。生娘ではないと見做されるでしょう。」
「中継の帝ではあるが、生娘云々程度の批判ならば退けるだけの力はあるぞ。過去にも息子の妃を己の妃にした皇帝がいるくらいだ。やりようはある。」
「その妃に溺れた結果、その王朝は滅んだのではなかったですか?」
「良く知っているな。」
「官女試験で覚えたものですから。」
そうだ。
壬氏さまに命じられて受けた、医官付き官女になるための試験だ。
阿保らしい顛末だったから、妙に記憶に残ったのだ。
「でも、壬氏さまのような賢君にそのような暗君の如き振る舞いは似合いませんよ。」
「俺は賢君などと呼ばれる器ではない。愚帝の一歩手前でなんとか踏みとどまっている程度の凡人だ。」
「あれだけ傅かれて育ちながら、己を凡人と見做せる謙虚さは、壬氏さまの美徳だと思います。」
「その言葉、あの頃に聞きたかったな。」
「すみません。」
あの頃の私は言葉が足りなかったのだろう。
もっと本心を伝えていたら、今も私は壬氏さまの隣にいられたのかもしれない。
身分の差を理由に、本心をすべて飲み込んでいた。
高貴な方に話しても許される範囲を探りながら本音を伝えていたら、今、こうして壬氏さまが苦しむこともなかったのかもしれない。
既に、いろいろなことが手遅れになっているのは理解している。
だが、間に合うこともあると思うのだ。
不敬を承知で本音をぶつけてみれば、得られるものもあるはずだ。
少しでも壬氏さまの心を動かせればよいのだが。
身体を起こし、寝台の上に正座する。
「壬氏さま、もしも、私が茘へ戻り、壬氏さまの側女になると誓ったら、今ここで抱いていただけますか?」
「……猫猫?」
「婚約した経験のある私にはもう妃になる資格がないのは理解しておりますが、もしも壬氏さまが望んでくださるのであれば、壬氏さまの側付きの女としてならば閨へ侍ることも可能でしょう。そうしてお側に置いてくださるならば、私は茘へ戻ります。」
言い切り、壬氏様の顔を覗き込む。
私だけが壬氏さまのためにできることだ。
帝となる壬氏さまから自由の身になれたとて、壬氏さまが幸せでなければ私も幸せではないのだ。
互いに不自由になると分かっていても、壬氏さまには私だけでないとしても、隣にいることで得られる幸せもあるだろう。
一度離れた今ならそう思える。
壬氏さまは、目を瞬かせながら、こちらを見ていた。
その瞳に嫌悪の色はない。
ならば、醜い本心を口にしても受け入れてくれるのかもしれない。
「茘へ戻らないと決めたのは、宮廷医官として壬氏さまのお妃さまの御子を取り上げるのが辛かったからです。周産期の医術を学んだ女性医官の一番の役目は出産介助でしょうから。」
「猫猫……。」
「今も、壬氏さまの妃の御子を取り上げると考えれば胸が痛いですが、私も壬氏さまの寵を賜われるならばその痛みも飲み込める気がします。」
「猫猫……嬉しいが、お前が俺の子を取り上げるのは無理だろうな。」
優しく微笑みながら断られて、胸がズキンと痛む。
仕方ない。
帝の御子を取り上げようとする女性医師が帝の寵愛を受けていたら、寵妃と子に害を成すと見做されても無理はない。
西方で学ぶ分野は、女性だからと出産周りのことにせよと上に決められた。
学んだことを後悔する気はないが、この人と別れてからの時間を壬氏さま本人に否定されたようで、辛い。
捨てられた夜でさえ泣かなかったのに、熱いものが込み上げてくる。
「そんなに信用していただけませんか?壬氏さまのお妃さまや御子を害するかもしれないと?」
「いや、違う!!誤解だ!さっきも言ったように、俺は誰にも手を付けていないしこれからもお前以外に手を付ける気はないからな。お前が茘へ戻ってくれたら后となったお前だけが俺の子を産む女になる。いくらお前が腕利きの医官でも、自分の子を取り上げることは無理だろう。そういう意味だ。お前が戻ってきてくれるのに、他の女を抱く必要も意味もない。俺は中継の帝だからな。お前に子ができなくても、俺が他の女と子を作る必要もない。お前は俺のそばに居てくれればいいんだ。」
早口で言い募る壬氏さまに、胸が熱くなる。
だが。
「恐れ多いです。一度は他の男に嫁ぐと決めた身です。帝の妃になれる身ではありません。」
「実際のところはどうなのだ?」
壬氏さまが眉を寄せて辛そうな声で聞いてくる。
「生娘かという意味でしたら、間違いなく生娘ですよ。西方では婚前交渉は厳禁とされているらしいので。」
「そうか……。」
壬氏さまが噛みしめるように言葉を紡ぐ。
その表情はとても明るい。
ここに閉じ込められてから見た中で、最も生気ある顔をしていらっしゃる。
婚約者に求められたことはない。
あったとしても、婚儀までは断っただろう。
婚約者に、私を女として求める熱のようなものは感じたことはないのだが。
「ええ。」
「ぎりぎり間に合ったということか。お前、ここで目覚めたときに『明日が婚儀だ』と言っていただろう。」
「ええ、そうですね。なので、偶然守られた純潔の証を、壬氏さまへ捧げることをお許しくださいませんか?」
「猫猫、ありがとう。嬉しいし、今すぐ抱きたいが、もう少し考えさせてくれないか?」
「この期に及んで何を考えることがあるのですか?」
「お前が生娘だと客観的に立証できれば、お前の立場をより盤石にできるのだろう。何か方法はないだろうか。それを考えるため、もう少し時間が欲しい。」
そんなことを考えるより、一生縛られてやると誓ったのだから、とっとと抱いて茘へ戻ってほしい。
そう思っているのに、壬氏さまは私に背を向けて目を閉じてしまう。
すぐに、寝息が聞こえてきた。
寝台に腰かけて、頭を整理する。
ここ数日、感じていた違和感。
だんだんと悪くなっていく壬氏さまの顔色。
時折、鋭く痛む頭。
そして、壬氏さまが紡ぐ、私に都合が良い言葉たち。
おそらくだが、この部屋は私の未練が作り上げた柔らかな監獄なのだろう。
私と壬氏さまは、目が覚めたらこの部屋にいた。
おそらく、私たちは夢の中に囚われているのだ。
いや、本当にこの夢に囚われているのは私であり、壬氏さまは私の未練が創り出した幻なのかもしれない。
皇帝となり私を解き放った壬氏さまが後宮を休止させたと言うのも、私を妃にと望んでくれるのも、解き放たれた私が胸の奥底にしまい込んだ願望なのだ。
第一、いい歳の男が別れた女の衣と同衾するだけで済むわけがないだろう。
『この部屋を出たくないから、私を抱かない』と頑なな壬氏さまも、目が覚めたら西方の男との婚儀が待っている私の願望。
そう、この部屋は、私に己の罪深い野望が創り出した箱庭なのだ。
私の最大の未練は、あの夜、壬氏さまに抱かれなかったことだ。
優しい壬氏さまのことだ。
あの夜、一夜の情けを望んだら、私の未練を残さないようにと抱いてくださっただろうに。
小娘のちっぽけな矜持が、その言葉を口にすることを拒んだ。
別の男の妻になると決めた今になって、壬氏さまに純潔を捧げればよかったと後悔が募った。
私のこれまでとこれからの人生で、壬氏さま以上の男性に出会うことはないと断言できる。
だから、この部屋を創り出し、幻の壬氏さまに望む言葉を言わせて現実逃避していた。
この部屋を出る鍵を壬氏さまとの閨事としたのも、きっと、別の男に嫁ぐ前に壬氏さまに身を捧げたかったから。
気付いたのならば、この箱庭での遊戯を終わらせなければならない。
この箱庭で、己が作り上げた壬氏さまと戯れているわけにはいかないのだ。
茘へ戻ったところで、壬氏さまはきっと数百人の妃を後宮に囲い、すでに何人かのお子を得てらっしゃるのだろう。
聞いていたように、壬氏さまの善政で国も安定しているはずだ。
だから、茘へは戻らず、西国で骨を埋めよう。
婚約者が望むならそのまま嫁ぎ、婚約破棄されるならひとりで生きていこう。
部屋の片隅で筆を取る。
西方の麻酔薬と媚薬の名前を書き、引き出しに入れる。
現れた二つの小瓶を手に取り、寝台に戻った。
「はあっ……!!」
最奥を濡らす生温かいものに安堵して、腰を下ろした。
屹立に深く貫かれて、痛みに声が漏れる。
閉じていた目を開ける。
伽に『使われた』男は、目を閉じたままだ。
薬の分量を間違えたかと口許に手を翳すと、仄かに温かい風が手のひらを撫でる。
良かった。
秤がなかったが、生命に問題ない適量を使えたようだ。
ぎいい、と重いものが軋む音がする。
辺りを見回すと、寝台の反対側の壁に見覚えのある扉が現れていた。
かつてよく通った壬氏さまの私室から出る扉だ。
ああ、やはりこの部屋は、皇弟宮の壬氏さまの私室に似ているのだ。
閂が外れているのか、扉は内に外にゆらゆらと揺れている。
寝ている壬氏さまに麻酔薬を嗅がせて、己と壬氏さまに媚薬を塗ってことを成した。
かつて『そこそこの蛙』と称したものは、全くもって「そこそこ」ではなかったと痛感させられた。
我ながらよく成せたものだと、感心してしまう。
酷使に震える脚をなんとか動かして、屹立を抜いた。
流れ出る寵と鮮血を、濡らした手拭いでふき取る。
最初で最後の睦み合いは、呆気なく終わった。
壬氏さまは無断で寵を搾り取られたことを怒るだろう、なんて思ったけれども。
この壬氏さまはきっと、私が創り出した形代だ。
怒ってもくれないだろう。
形代なら、玉体に痕を残しても許されるだろうか。
かがみ込み、壬氏さまの右脇腹を何度か吸う。
かつて文に記していた肉球の模様のようにしたかったけれども、出来上がったのは、ただのいびつな吸い痕五つだった。
初めてのことだから、仕方ない。
愛おしい男はまだ目覚めない。
軽く衣類を整えてやっても目は開かない。
寝台から扉までは十尺(3メートル)程度。
体重が倍ほどある男を、私が自力で運ぶことはできない距離だ。
「壬氏さま……。」
呼びかけても返事はない。
まだ眠っているようだ。
仕方ない。
頭から引きずり下ろし、脚を引っ張って扉の前まで連れていく。
腹の奥がずきずきと痛む。
狼藉を働いても、男の瞳は開かなかった。
それでも、首に手を当てると力強く脈打っている。
だから、大丈夫。
万が一、この男が私が創り出した幻ではなかった場合は、ここで最後に起こったことは知らぬまま生きてほしい。
扉を開く。
眼前には黒々とした闇だけがあった。
下を見下ろしても、闇が渦巻いている。
これが出口なのか。
扉の内側に佇み、闇を見下ろすこの期に及んで気付いた。
この部屋の名前は『伽をしないと出られない部屋』だ。
伽をして扉が開いたが、部屋を出られるだけで元いた場所へ戻れるとは書いてない。
つまり、この闇に身を投げても、元の場所へ繋がっているとは限らないのだ。
このまま、奈落の底へと堕ちていくだけの可能性が高い。
そうだとしても、この部屋で、この箱庭に引き籠る選択肢はない。
奈落の底へ堕ちた後で、命があるならば元の場所へ帰れるよう足掻けばいい。
帰れないなら、いつか死を迎えるその時まで、なるべく快適に生き抜けるよう知恵を絞ればいいのだ。
それが私だ。
壬氏さまを巻き込んでしまうのは申し訳ないのだけれども。
だが、この人となら奈落の底へでも飛び込める気がした。
眠る美しい顔を見つめる。
「さようなら、壬氏さま。お元気で。」
元の場所に戻れたら、もう二度と見える(まみえる)つもりはない。
別の男に嫁ぐ前に、最後に会えて良かった。
心残りをなくせて良かった。
この箱庭で壬氏さまからもらった言葉は、一生の宝として心の中で温めていく。
かがみ込み、茉莉花の香りがする唇を奪った。
西都からの帰りの船以来の口付けだった。
観音開きの扉を両方とも開く。
壬氏さまの身体を転がして突き落とし、己も闇に身を投げた。
滝壺に飛び込んだときを彷彿とさせる浮遊感に身を任せる。
下に手を伸ばすと、滑らかな布に触れた。
壬氏さまだと迷わず掴んだ。
ブツっと音がして、感覚が消える。
そのまま意識が闇に呑まれた。
ふっと意識が浮上する。
奈落の底なのかと思うが、その割には瞼の裏が明るい。
目を開けると、見覚えのある懐かしい女が覗き込んでいた。
「猫猫さん猫猫さん、お目覚めですか。」
「ち、雀さん?!」
「猫猫さん、本当に良かったですぅ。」
「何でここに?」
雀の後ろに見える天井は、見慣れた宿舎のものだ。
ただし、茘ではなく留学先の病院の宿舎なのだが。
「我が主が、『俺の猫が西方で婚姻する夢を見た』と言い出しましてね。調べさせたら本当のようなので、慌てて妨害しに参りました。」
「何でそれを……?雀さんの主って、もう私とは関係ない方じゃないですか。妨害する権利なんて……。」
「主はそうは思っていないようですよぅ。」
「留学費用は倍にして羅の家からお返ししますし、その方向で羅半に手続きを進めさせているはずで……。」
「猫猫さん、その左手に持っている布、見せていただけますか?」
言われて手を見下ろすと、確かに何かをぎゅっと握りしめていた。
見覚えがあるというより、つい先ほどまで見ていたものだ。
壬氏さまの夜着の袖だ。
堕ちる私が掴んだもの。
まさか、あれは夢ではなく、本当にあったことだったのか?
いや、夢だとしても、壬氏さまが私と同じ夢を見ていたというのか?
「主がよく着ているものに似ていますね。主は、しばらく寝込んだ後、夢から目覚めたら猫の足跡があったともおっしゃっていました。心当たりはありますね?」
「そんな……。」
「猫猫さんも流行り病で婚儀直前に寝込まれたとのこと。婚儀はまだだそうですから、今ならまだやりようはあります。茘へ戻り、后として入内してくださいますね?」
「婚約破棄して入内など、道理が通りませんよ。」
「後宮も休止させ、即位前に別れた娘の着物と毎夜同衾する帝がやっと女に興味を見せたのです。側近としては、この機を逃すつもりはないのですよぅ。」
どこかで聞いた話に身体が固まる。
いやいやいや、まさか本当に私の服を抱きしめて寝ていたというのか、あの粘着男は?
「えっと、戻るとしても、私は医官として戻るのでは?」
「医官の資格を授与した後、后として召し上げられます。既に玉葉后は皇后宮をお出になりました。猫猫さんのためです。」
「ええっ?玉葉后が?なぜ?」
「猫猫さんが皇后になられるからですよ。今までは、主には皇后がおられないし、太上太后の宮を増設するのも手間だからと玉葉さまと安氏さまにはこれまでの宮におられたのです。」
雀の言葉に固まった。
入内するにしても、「妃」じゃなかったのか。
「そんな……。男児どころか子もいないのに、皇后だなんて。」
「主の言は天の声。そうなさりたいのであれば、無理を道理として通すのが側近の務めです。」
「壬氏さまがそんなことなさらなくとも、私は側女の一人として……。」
「一人も何も、猫猫さんが、主がお側に置く初めての女性になりますから。主が他はいらぬから皇后にしたいとお望みであれば、そのようにしても構わないでしょう。猫猫さんの生まれもご本人の功績も皇后の位に不足はありません。
「でも……。」
「表面上はお見せになりませんが、主は猫猫さんの不在が相当堪えておられました。生きながらに魂を少しずつ抜かれているかのように。側近一同としましては、猫猫さんのご無事のお帰りを首を長くしてお待ちしていたのですよぅ。」
「あの、本気で私にここから帰れとおっしゃるんですか?」
「勅命ですからね。茘のお金で留学している以上、戻らないという選択肢はないですよ?」
「本気ですか?」
「本気です。我が主も、その父君も皆が猫猫さんのお帰りを待ち望んでいるのですよ。」
衝撃に身体を起こそうとして、頭痛が走る。
「何日も寝込んでおられたのです。いきなり動かない方が良いですよぅ。」
懐かしい間延びした口調の茘の言葉を聞き、頬を熱いものが伝う。
「本当に、あの方が私が帰って良いとおっしゃってるんですか?」
「猫猫さんも疑い深いですね。帰ってこないようならこの手紙を見せろと言われているんです。」
差し出された最高級の料紙からは、白檀が甘く香る。
壬氏さまの香りだ。
『梅の花が消えるまでに戻ってきてくれないか』
文字を視認した瞬間、頬が熱くなる。
梅の花とは、猫の足跡の喩えだ。
あの夢の中で、私が壬氏さまの右脇腹に残したのも、猫の肉球を模した紋だ。
大変いびつなものではあったが。
まさか、壬氏さまと同じ夢を共有していただなんて。
そして、私がしたことを覚えておられるなんて。
「あの方には合わせる顔がありません。国費留学なのに、地元の人と婚姻なんて、手討ちにされても文句は言えないでしょう。」
「ええ、ですが、猫猫さんのご帰還を我が主が首を長くしてお待ちです。本当であれば、ご本人がこちらへ来ようとしていたのですが、側近総出で止めました。寝ている猫猫さんをすぐに連れ帰れという命令だったのを、なんとか説得して回復の時間をもらいましたので、元気になったら茘へ戻りましょう。」
雀さんが長文で嗜めてくる。
あの男は、なぜこのような取るに足らない女に執着するのだろうか。
帝が国を留守にすることなどできるわけないのに。
「雀さん、見逃してくれませんか?」
「だめですよぅ。雀さんが馘にされます。それに、猫猫さんが目覚めたことは、虎狼がすでに早馬で伝えさせております。重大な事由がないのに二日以内に出国しない場合は、我が主が自らお迎えに上がるとおっしゃっておられました。」
「止めてください。」
「無理でしょう。あの方はやるときはやりますので。」
「……はい。」
半月後
茘に戻り、連れて行かれたのは懐かしの皇弟宮だった。
今は使われていないのだろう。
活気と人の気配がない宮の、一際広い部屋に通される。
「お帰り、猫猫。」
「壬氏さま……。」
数年ぶりに壬氏さまと対峙した。
「猫猫、俺はお前を后にする。」
「……御意。」
「あの部屋で二人きり、誰にも邪魔されずに生きるのも良かったと今でも思っている。だが、お前が俺の隣を選んでくれるなら、全てはこの部屋で始めたかった。いいな?」
「はい。」
頷くと、壬氏さまに抱き上げられた。
あの夜のように、寝台にふわりと下ろされる。
かつて、この人から解き放たれたこの部屋で、こうしてまた向かい合うことができるのだ。
胸が熱い。
高揚に任せて見上げた壬氏さまも、瞳を潤ませている。
「猫猫……。」
「壬氏さま。」
口付けられた。
荒々しく唇を割られ、舌を絡め取られる。
一度めの西都での夜を思い出させられる、技巧の上達がさほど見られない口付け。
それで嬉しくなる私も、結局は下に心のつく感情に囚われた愚かな女なのだろう。
「すべて、ここからやり直そう。それにしても、あの薬、なかなか面白いな。」
「あの薬?」
「お前があの部屋で俺に嗅がせたやつだ。身体は動かないのに、何が起こっているのかはわかる。動きたいのに動けないのは拷問かと思ったぞ。お前は勝手に別れる気になってるし。」
「ええっ?」
「お前が俺に何をしたのか、してくれたのかは全て覚えている。だから、今夜は俺に任せてくれ。」
いいだろう?と拗ねた顔で唇を尖らせる男の顔を呆然と見上げる。
嘘だろう。
行動が全て筒抜けだっただなんて。
「もう二度と手放すことはしないからな。あの部屋で約束してくれただろう?側にいてくれるって。」
二十代半ばとはとても思えない、幼い表情で言い募る男の顔が、みるみるうちに歪んでいく。
あの箱庭で思い知った己の願望は、どうやら叶えられるらしい。
箱庭の夢の続きをこの人と紡いでいくのだ。
頷いて、流れた涙を熱い舌が拭い取っていく。
かつて、この人に抱かれようと意気込んで乗り込んだのに拒絶されたこの寝台で。
終わらない夢が始まった。





















本当に心を打つ物語でした。とても美しく、感情が溢れすぎて涙が出ました。信じられないほど創造的です。心からの敬意と感謝を申し上げます。🤍