あらゆるものを捏造しています。
全てを許せる方のみお進み下さい。
放課後。明日の授業の準備をしているところに、スマホが小さく振動した。すぐさま確認してチャットを表示する。
─────次のお休み、お時間ありますか?
珍しいわね、と顔には出さずカレンダーを確認する。彼女にしては用事の分からない言い回しだ。何か用がある時は、その内容まで丁寧に伝えてくるのだけれど。
しかし丁度よく空いている時間があったのでその旨を返信する。そこから続けて送られてきた内容に、香山は思わず瞠目した。
───── 一緒に、お菓子を作ってもらえませんか
それはかつて、少女が香山に告げた言葉と、相反するものだった。
***
教員寮に併設されている客室は、客室とは名ばかりの優良物件だ。特に成実が引っ越した部屋なんかは2LDKの送迎付き。リカバリーガールもここで寝泊まりしているので、引越し前とさほど変わらない風景が広がっている。
「香山さん、いらっしゃい」
そこに時折香山が訪れるのも、以前とさほど変わらない。成実から招くのも最近ではよくあることだった。
「こんにちは、成実ちゃん。お邪魔するわね」
「はぁい。と言っても、雄英の施設には変わりないんですけどね」
「お隣さんだし」と笑う成実の言うとおり隣の教員寮からやって来た香山は、しかし普段よりよっぽど気合を入れて準備してきた。完璧に準備しすぎて13号に「デートですか?」と確認されたほどだ。派手な露出もメイクもしてないのにそう勘違いされるくらい、香山は緊張の面持ちで時計を見つめていた。
「ごめんなさいね、午後からしか空いてなくて」
「そんな、全然! 今日はクッキー作る予定なので。待ち時間も難しい作業も無くて、すぐできます」
香山をキッチンへ通した成実は早速エプロンを渡し、テキパキと器具の準備を始めた。それを見ながら香山は微笑みを取り繕う。客室には少女以外の姿は見えなかった。リカバリーガールは近隣の病院へ手伝いに行っている、けれど。
「今日、範太くんは?」
「後で来ます。香山さんがいるの見たら驚くかも」
成実の笑みが一瞬固まったのを、香山は見逃さなかった。同時に自分の鼓動が速くなったのを自覚する。「お菓子作りなんていつぶりかしら」と緊張を誤魔化した。
使う材料はバター、粉砂糖、卵黄、薄力粉と至ってシンプル。それらを全てボウルに入れ、へらでサックリと混ぜる。できた生地を棒状に成形してラップで包み冷蔵庫へ。充分時間冷やしたら、一センチの厚さに切って予熱していたオーブンで焼く。
「────これを、切るのね?」
「はい」
生地を成形するまでは、想定通りの和やかさで進んだ。前提として成実と香山が険悪な雰囲気になったことは無い。……ただ一度を除いて。
香山はあの日を思い出していた。出会ってから三ヶ月ほど。アルバムを見せてもらった時に初めて見た、当時十歳の少女の怒り。
『母親が、最初にお兄ちゃんを刺したの』
『だからね、香山さん』
『絶対、キッチンに入らないでね』
兄を守るための健気な牽制。
外見が母親に似ている香山がキッチンに立たないように。包丁を握らないように。兄の傷を刺激しないように。そのための覚悟を、香山は一度も翻すことなく尊重してきた。
「私が、切っていいのね」
「はい」
それが今。
少女の中で、何かが変わろうとしている。
*****
兄が、この世の全てを疑い始めた。
それを成実は言われずとも理解していた。兄のことなら大抵は分かる。兄がどういう行動をとるのか、兄が何をどう感じるのか。それから、兄がどれだけ妹のことを大切に思っているのか。
その愛情は、成実にとって疑いようもない安寧であると同時に、小さな肩にのしかかる責任にもなっていた。
─────トン。
香山がキッチンで包丁を握っている。
その様子を、成実は静かに見守っていた。
─────トン。
兄はその姿を見たところで、何も怖くはないのだろう。
怖いのは成実の方だった。兄のためなんてフリをしておいて、その実自分の安寧のためだけに大人を牽制した。成実はそういうズルくて弱い人間だった。
─────トン。
弱い自分では、兄を守れないことは分かっていた。
「……香山さん」
「なぁに」
「私ね。言ってないことがあるの。修善寺さんにも言ってない、私とお兄ちゃんの秘密。誰にも言わない内緒のこと」
「そうなのね」
「でも私は弱いから。お兄ちゃんみたいに一つを守れるほど強くないし、割り切れるほど潔くない。ひどい人間なんです」
自分のせいだ、と思った。
『嫌いって言ってた人を好きになったっていい』と成実を諭した兄が、クラスメイトの話を楽しそうにしていた兄が、その全てを無かったことにするように一線を引いたのは。兄妹にとって根底の脅威である父親が出てきた以上、兄は成実を守るためにそうするしかなかった。成実以外を躊躇なく切り捨てた。
「私は、生かしきれなかったし、手放せなかった」
一度 ”進化” を使ってしまった兄は、神野で本当に死んでいたかもしれなかった。
誰が味方かも分からない中で、信じたいという想いを捨てられなかった。
「お兄ちゃんが唯一なのは変わらない。一番大切で絶対になくせない。……でも、私、香山さんたちも大切になっちゃった」
「、成実ちゃん」
「言えないこともあります。ごめんなさい。でも生きててほしい、死なないでほしい。それは本当なの。信じてもらえなくてもいいから、それでも……」
グッと拳を握りしめる。
それは自分勝手な願い。不誠実の覚悟。
兄だけを選べもせず、大切な人たちを信じ切ることもできず。それでいてどうか兄を守ってはくれないかという打算もある。中途半端で、利己的で、我儘で。けれど確かに踏み出した一歩。
「私に、あなたを信じさせてください。私にも、守らせてください」
病院で眠る兄の姿に、ホッと息をついた時。
隣で手を握ってくれている香山を見て、もしこの人が死んでしまったらどうしよう、と恐れた時点で。成実のとるべき選択は決まっていた。────たとえそれが、兄の想いを裏切ることでも。自分一人では、きっといつか、兄を失ってしまうから。
「信じるわ」
瞬間、皮膚に爪が食い込むほど握りこんでいた成実の手がそっと包まれる。
驚いて視線を上げた先、膝をついた香山が成実の両手に触れていた。
「え、」
「あなたのこと、信じます。それで範太くんのことも私が、私たちが守る。あなたのことも、あなたの大切なものも。一緒に守るわ」
ポカンと呆けた成実の目を、香山は真っ直ぐ見つめた。
今の話を聞いて香山が理解できたのは、この兄妹に大きな秘密があることだけだ。その内容も、それがどう守ることに繋がるのかも、何も分からない。それでも香山は少女を信じた。彼女の覚悟を、踏み出した一歩を、尊重した。
「ありがとう、成実ちゃん。私を信じてくれて。一緒にお菓子作りをしてくれて。本当に嬉しいわ」
「………香山さん。何があっても、絶対、生きて戻ってきてね」
包まれた両手を翻して、逆に包み返す。
成実の小さな手に対して香山の両手は大きい。精一杯指を広げて、力を込めて、涙をこらえて──────………初めて、兄以外の人に、実をつける。
出来上がったクッキーは少し歪な形をしていたけれど、不思議なほど美味しかった。
「ただいま〜。成実、もしかして香山さん来てる? 玄関に見たことある靴、が……」
「おかえり、お兄ちゃん」
「ご明察! お邪魔してるわよ、範太くん」
それは、一目見ただけで分かった。
「…………………言ったの?」
「えっ?」
「つけたでしょ。知らなかった、俺にも分かるんだ。それで、言ったの? それとも言わされた?」
「ち、がう。違うの、私が呼んだの。それに、何も言ってない、から……」
「ああ、そう……」
─────どうして今、そんなことを!!!
………なんて、言うわけないけどね。
すぐに平常心を取り戻す。そうだ、俺がそんなこと言うわけがない。予想外ではあったけど、だからって妹を責めたりするものか。天地がひっくり返ったって有り得ない。
「お、お兄ちゃん、」
「あーごめん、ごめんな、嫌な言い方して。でも大丈夫。言ったでしょ、俺は成実が何を選んだって絶対守るし、何をしたってずっと大好きだよ」
不安げな顔をした成実をぎゅうと抱きしめる。
許すとか、許さないとかじゃない。それは必然。俺は成実のために存在してるんだから。この子がどんな選択をしたって尊重するし、それを最終的に正しかったことにする。守りきった上で完遂する。それが俺の存在意義。
「どうも、香山さん。休みなのに来てくれたんスね」
「え、ええ。お菓子作りに誘ってもらって」
「えッ! マジか、一緒に作ったんだ! しかもそのクッキー包丁使うやつじゃん。うわ、嬉し〜。ありがとうございます、また来てくださいヨ」
へらり、と笑う。いつも通りの微笑み。違和感なんて一つもない、俺がよくする表情。「さて、じゃあ夕飯はサッパリ食べれる素麺にしとこうかな。香山さんも食べていきますー?」と準備を始めれば部屋の空気は元通りになった。手伝いを申し出てくれる二人に甘えて簡単な作業をお願いする。
お湯を沸かしている香山さんは、自分に実がつけられたことは分かってないだろう。知覚できるのは実が割れる瞬間だ。そもそもそれが何なのかも知らないらしい。でも、どうだろう。全貌が未知の個性、いつか突然仕様が変わったって不思議じゃない。それがもし利用されたら? …………まぁ、別にいいか。
楽しげに話す二人を見て、思わず口角を上げる。距離が縮まったようで何より。
もし香山さんがダメになっても、俺が排除すればいいだけの話だ。この子の脅威になるものは全部。ヒーローも、ヴィランも。……あの男など、言うまでもなく。
死穢八斎會所有地、地下。
「殺風景な事務所だな」
「ゴチャついたレイアウトは好みじゃないんだ」
若頭・治崎廻が待ち受けるそこに、死柄木とファームは訪れていた。複雑な造りの道のりを長時間歩かされた死柄木は「蟻になった気分だ!」と悪態をつく。その後ろでファームはニコニコ笑っていた。
「お付きは一人だけか?」
「本当は俺だけで来るつもりだった。こいつが勝手についてきたんだ」
「そう言うなよ死柄木。大事な仲間のマグネを殺した人のところに、ウチのボスを一人で行かせるわけにはいかないだろう?」
「ハッ、思ってもないことを」
付き人を疎ましく思っている様子を隠しもしない死柄木を見て、治崎は内心「ガキだな」と評価を下した。先日血で血を洗う全面戦争一歩手前といった状況で大人しく退いた時は、冷静な判断ができる人間だと思ったのだが。
期待はずれ。ペストマスクの下で口角を下げた治崎に代わって入中が本題を切り出す。
「でだ! 先日の電話の件、本当なんだろうね。条件次第でウチに与するというのは」
「都合のいい解釈をするな。そっちはヴィラン連合の名が欲しい、俺たちは勢力を拡大したい。お互いニーズは合致しているワケだろ」
「死柄木、テーブルに足を乗せるのは行儀が悪いよ」
「おまえは黙ってろ」
ファームに指摘された時点で死柄木が足を下ろすことはなくなった。そのまま連合側の条件として、提携という形をとること・治崎の言う計画の開示を挙げる。「もっとも……」と懐に手を入れた瞬間、待機していた玄野と入中が死柄木を押さえつけた。
「調子にのるなよ。自由すぎるでしょう色々」
「さっきから何様だチンピラがぁ!!!」
「そっちが何様だ? ザコヤクザの使い捨て前提肉壁とこっちのオカマ、その命は等価値じゃないぞ」
銃口を突きつけられた死柄木は、しかし一歩も退かない。先日の初対面、治崎の言動にキレたマグネが先に手を出して治崎に殺され、治崎を狙った死柄木の左手は盾役の下っ端に防がれた。おかげで連合内におけるヤクザの評価は下の下を突っ切っている。仲介したトゥワイスなんかは「責任とらせろ!」と騒がしいくらいだ。
「まぁ、少し落ち着こうよ。そんなに怒ったっていい事はないだろう?」
そんな連合内で唯一、少しも態度が変わらない男がいる。
「そう言うてめェだって、あん時ゃ若頭に手ェ出したよなあ!!」
「でも、俺のツタが割り込まなきゃミスターの腕がパン!ってなってただろう? あれのおかげで数的損失は同じになった。お互い良かったじゃないか」
「彼はマジシャンでね、手はとっても大切なのさ」と宣うファームは、何かが明確にズレていた。治崎はそれを意識的に行っている撹乱だと判断した。入中がさらにキレる前に「下がれ」と声をかける。
「話が分かるね、若頭」
ファームはニコニコと笑っている。
本心が読めない。ボスよりよっぽど優秀な付き人だな、という内心は表に出さず、治崎は話の続きを促した。
────それが誤りだと気づいたのは、交渉が終盤になった頃。
「将棋の面白いところは、相手から奪った駒を使えるところにある。……黒霧にトガ、分倍河原をウチに入れる。好きに動かれちゃこちらも不安だ」
「便利なやつばかり……動きは削ぐってか。ウチの要だそいつらは! そんなにやれるか」
「信頼を築こう。今はまだ遺恨を残している。こっちは計画の全貌を差し出した、次はそっちの番だ」
そこでふと、治崎は死柄木の背後に目をやった。交渉中、ファームは時折口を出しては死柄木に遮られていた。それでも笑顔を崩さず数分後には再び口を開く胆力。先に述べた三人は事前に決めていた奴らだが、もう一人引き抜いても良い人間を見つけた。
「……黒霧は無理だ。別件で手が離せない」
「そうか。なら、そこの……ファームでもいい」
「はァ?」
「使えそうだ」
治崎が指をさした先、ファームは驚いたように目をパチパチと瞬かせ、すぐに笑みを深くした。
「ご指名かい? 嬉しいな」
「ああ、こいつはいいぜ。好きに持ってけ」
「なんだ? 随分と素直に、」
「俺はね、君ととぉっても話をしたかったんだ」
そこで初めてファームが前に出る。「若頭が話してンだろォ!?」と喚いた入中など眼中にも入れず、治崎だけを真っ直ぐに見た。
「なぁ治崎、若頭。お願いがあるんだ。それさえ叶えてくれれば喜んで手を貸そう。な、すごく簡単なことだ。君の個性を使って欲しい子がいる」
「……ほぉ。誰を治して欲しいんだ?」
分解と修復。外傷だけでなく持病まで治癒できる治崎の個性を切望する者は多い。こいつもその手の奴か、と僅かに失望が混ざる。
「治すなんてとんでもない!!」
ダンッ!!とテーブルに置かれた足が、その失望を吹き飛ばした。
「キミの、その、分解のほうだ。壊してほしいんだよ。俺は息子がいてね、あの子は本っ当に特別なんだ。タダじゃ死なない。何をしても死なない! すごい子だ!! 俺はあの子の死なないところが好きだ。いくら刺しても生きているのが一等愛おしい。でもね、そう、俺だけじゃダメなんだよ。俺は刺してかき混ぜてぐちゃぐちゃにするばかりで、あの子のすごさをちィっとも引き出せない! だから気になるんだ、もしあの子がマグネのように弾け飛んだら、弾け飛んでも、あの子は死なないでいてくれるのかな。是非キミに試してほしい」
テーブルに乗り上げてクルクルと回るファームの足が将棋盤を落とす。盤面はとうに滅茶苦茶になった。だが、誰もがそれを止めようという思考にならなかった。
「死なないはずだ! だって、あの子は特別なんだから!!!」
この男の前に敵も味方もない。
己の快楽だけのための、純粋な執着。捻れ歪んでいるはずのそれは、しかしどこか微笑ましくもあった。たくさん遊ぶのだと走り出す無垢な子ども。自分の憧れが勝つと信じてやまない純朴な子ども。主人公の活躍に目を光らせるような、無邪気な子ども。
それを見て、誰が力ずくで止めようと思えるだろうか。どうして手を差し伸べずにいられようか。もはや自分には無い純粋さは眩しいほどの珠玉である。
問題はただ一つ。
その天真を、この歪み切った男にまで感じてしまえていることだった。
「おっと、すまない。テーブルに乗るのは行儀が悪かったね」
「ホラ、好きに使えよ」
「………………前言撤回だ。トガと分倍河原だけでいい」
こうして死柄木は、三人要求されたところをノーリスクで二人にすることに成功した。
「気狂いもたまには役に立つな」
「お役に立てたなら良かった。俺は死柄木もあの子に崩壊を使ってくれたら嬉しいよ」
「お前のキショい趣味に巻き込むな」
「あれ……成実ちゃん?」
「緑谷さん」
紆余曲折ありつつ無事サー・ナイトアイ事務所へのインターンが決まった緑谷は、教員寮の入口で成実と出くわした。「こんにちは」と会釈する彼女は今まさに玄関を出ようとしていて、けれどその後ろに兄である瀬呂の姿は無い。
「今からお出かけ?」
「学生寮に行くんです。八百万さんの勉強会に呼んでもらって」
「そうなんだ! じゃあ一緒に行こうか、僕もちょうど戻るところなんだ」
そうして学生寮までの舗装された道を、二人は並んで歩き出した。自然と緑谷の視線が下がる。年齢の割にしっかりしている成実は、けれど身長は平均よりはるかに小さい。
「緑谷さん、どこか出かけてたんですか?」
「うん。ちょっとインターンの申し込みにね」
「あ、聞きましたよ。一年生のインターンは限られた所しかできないって……緑谷さん、すごいですね」
「え!? あ、いや! これはほんと、たまたまというか……先輩のおかげというか……!」
緑谷はワチャワチャッ!と腕を動かした。同年代の女子ともあまり話したことがなかったのに、年下の女の子となんてもっと少ない。突然褒められてどう反応したらいいものか。
「運が良かっただけだよ。さっき報告した相澤先生にも驚かれたし……」
「運も実力のうち、でしょ? お兄ちゃんのことも助けてくれたし、緑谷さんはすごい人です」
「え、へへ……そうかな……。あっ、そ、そう言えば、今日瀬呂くんはいないのかな!?」
照れ臭さの天元突破。話の舵を思いっきり切った。当然そのことに成実は気づいたが、指摘することなく流れに乗る。
「お兄ちゃんも朝から出かけてて。詳しくは聞いてないんですけど、色々忙しいみたいです」
「あ、そっか。色々……」
『連合捜索にエイドとして加わることがある』、入寮した時に言われたことを思い出した。それらの情報は当然機密事項だ。今までそんな素振りを一切見せていなかった瀬呂に、さすがだなぁと感服する。
無意識のうちに上がっていた視線を戻して、そこでハッ!と気づく。成実が僅かに浮かない顔をしている、ような気がした。慣れない引越しの上、兄は休みも外へ出突っ張り。寂しいのは当然だ!
「あっ、あの、いつでも学生寮においでよ! 大体誰かは共有スペースにいると思うし、みんな大歓迎だ!」
「え、? ああ、……ふふっ。私が一人で寂しい思いをしないように言ってくれてるんですか?」
「ヘッ!? いやっ……って言うのも違うな、でもそんな、本当にいつでもウェルカム! で!!」
再びワチャッッ!と奇怪な動きをする緑谷に、成実は思わず笑った。口元を押さえてくすくすと。随分静かに笑う子だな、と緑谷は頭の片隅で考える。
「ありがとうございます。……たしかに寂しい気持ちもありますけど、今はそれ以上に……心配で」
「し、しんぱい」
「お兄ちゃん、私のためならなんでもやろうとするし、できちゃうから」
歩みを止めない成実を見て、緑谷はふと気がついた。
静かだ。笑い方だけじゃない。声も、足音も、気配も。静かな子だった。もう少ししたら景色に紛れてしまいそうなくらい。……そういう隠れ方をするコツを、緑谷は最近瀬呂に教えてもらって。それで、一朝一夕で身につくものではないと唸ったりした。
「もう、傷ついてほしくないのに」
少女の瞳は静かに。けれど明確に、見えない何かを恐れていた。
「ギャアッ!」
「なっ、なんだァ!?」
「コンビニ強盗犯、二名確保しました」
「あっ、こ、こいつ!」
「クソっ……てめェ、なんでこんなとこいやがる!」
「「白衣の救世主、エイド!!!」」
「警察の方、こちらです」
***
「また事件……? 最近多いなぁ」
「えっ、待って見て! エイドだ!」
「うそっ! エイドってこの辺で活動してんの!?」
「写真写真!!」
「失礼、お騒がせしました。皆さん良い一日を」
捕まえたヴィランを警察に引き渡し、エイドは野次馬に一声かけてからその場を離れた。宙を飛び、ビルの間を抜け、全ての視線を切って路地裏へと。そこに停めてある車に乗り込む。
「お待たせしました」
「ここは地区ヒーローのパトロール経路です。あなたが行く必要はなかったのでは?」
「すみません。自分が行くのが一番早かったので」
標は運転席で小言を並べつつ、扉を閉めると同時に急発進した。追いかけてくるかもしれない野次馬を警戒してのことだ。特集テレビの頻度は一時期より落ち着いたが、今やエイドの名前は全国に知られている。
「それで、調査の方はどうでしたか」
「空振りですね。もうこの付近にはいないかと」
エイドは答えながらタブレットにも同じ内容を打ち込む。
予定のない週末、行っているのはファームの調査だ。神野以降に増加した男子高校生殺傷事件、それがファームの犯行であると考えてエイドが現場調査に出向いている。個性の痕跡と気配から居場所を探し当てるためだが、今日は生憎の不発だった。
「そもそも、奴が事件現場付近に留まるかどうか……単純でも馬鹿ではないはずですから」
「無駄足ということですか」
「見つかる可能性がゼロではないというだけでやる価値はあります。……よし、報告完了しました」
車がゆっくりと停車する。「荷物を持ってください」という標の言葉に首を傾げつつエイドがコスチュームケースを持った瞬間。
ポン。
「お疲れ様でした」
────言葉を返す暇もなく、周囲の景色は変わっていた。
「………ありなんだ、これ」
雄英ヒーロー科教員寮の裏口。隣を見上げれば、そこには ”止まれ” の赤い逆三角の標識があった。ロクな道路もないここには不要な物だ。触れた人物を止まれの標識まで飛ばすことができる個性 ”標識” は、それっぽいものなら私有地に設置されたものでも大丈夫らしい。
帰るだけなのにわざわざ個性使わなくてもなぁ、と思いつつ裏口から入る。帰宅時には教員寮に報告に来ることと決められていた。
***
「エ! エ、エェ、エッ……エイドだぁ!?!!?」
コスチュームのまま相澤への報告を終え、着替えに一部屋借りようとした時。背後からやけに興奮気味に名前を呼ばれてエイドは振り返った。
「はい。エイドです。お邪魔しています」
「ハッ! あ、いえ! そのっお気になさらず! え、えと、何かお飲み物でも……!」
「? いえ、報告を終えたらすぐに戻るので……」
「そっ、そうですよねっ!? すみません!! そっか、あの、調査お疲れ様です!!」
「ありがとうございます。13号さんもお仕事お疲れ様です」
ワタワタと両手を振ったり、勢いよく頭を下げたり、そのまま何故か崩れ落ちたり。なんか様子がおかしい13号の隣で、相澤がアチャーという顔をした。遠くで見守っていた他の教師陣も「やったな」「やっちゃいましたね」「タイミング良く帰ってきたなー」と言いながら近づく。
「あの……?」
「アー、いや。悪い。気にするな」
「そう言われましても……」
「な、名前……呼ば、れた……? 認知、されてる……?」
「しっかりしろヨォ13号! 担当科目あンだから知ってるに決まってんダロ!」
「重症ダナ」
「アイドル的人気のあるヒーローにこういうファンがいるのは知ってますけど」
「まさか同僚で実物を見ることになるとはな」
「オールマイトなら見たことあるんじゃないですか?」
「あはは……まぁ、たまにね」
「………気には、なりますね」
「だよな……。もう言っちまうか。13号はエイドのファンなんだよ」
「ファン、ですか」
「過激めの」
「過激めの……」
「なんてこと言うんですか先輩!!」
ガバっ!と顔を上げた13号は、しかしエイドを見た瞬間再び崩れ落ちた。「目の前にいる……これは、夢……?」と呟くその姿にエイドは既視感を覚えた。なんだか遠い遠い過去の記憶にある限界オタクの姿に似ているような気がしなくもない。もうすっかり朧気になってしまったが。
なにはともあれ、ここで素知らぬふりをして帰るわけにもいかない。蹲っている13号の前に膝をつく。
「13号さん、お久しぶりです。エイドでお話するのは一昨年の冬以来ですね」
「えっ。お、覚えて……?」
「もちろん。大規模な土砂崩れ現場での救助活動でした。13号さんのおかげでスムーズに活動できたことを覚えています」
「ミ”ッ」
限界オタクって、難しいな。
奇声を上げた13号に「しっかりしろ13号。生徒だぞ」と相澤が告げる。13号の教師としての尊厳を気遣ってのことだ。
エイドとして居る時に生徒って言われると変な感じするなぁ……と他人事のように思ってるエイドの肩に腕が回される。後輩のためにフォローに回ったマイクだった。推しが身近にいる生徒だったと知らされた時の13号の姿を脳裏から消し、口を開く。
「13号もな、ちゃーんと自制はしてたンだぜ? でもマ、その姿だとガマンできなかったみてーだナ! ソーリー、リスナーボーイ!」
「いえ、最近 ”白衣の救世主” で慣れたので。少し人前に出ればすぐに言われます。自分の手に余る大層な異名ですが」
「オイオイ、それはチット謙遜がすぎるゼ。お前のおかげでどれだけの人が救われたと思ってンだ?」
「自分が救えるのは目の前の一人だけですよ」
「何を言ってるんですか!?!!?!?」
「わっ、」
当たりを引いた黒ひげの玩具のように、ビョンッ!と13号がエイドの手を握った。握られた本人は咄嗟に自動防御のスイッチを切る。あやうく思い切り弾くところだったので。
「一人だけだなんてとんでもない!! エイドがこれまでどれだけの人を救ってきたと!!?」
「あ、あの、」
「オイ、13号」
「僕たちレスキューヒーローは、いつも誰かを救えない!」
その言葉に、相澤も、マイクも。そろそろ諌めようとした全員が動きを止める。13号の言葉が単純な好意だけからくるものではないと、その場の全員が察した。
「レスキューは、常に死と隣り合わせです。それはヒーロー自身もそうだし、なにより被災者の命が。僕たちの目の前で消えていきます。無事救助できてもその後すぐに息を引き取ることだってある。それが……どれだけ覚悟してても、どうしようもなく、恐ろしい」
「13号さん、」
「それでヒーローを辞めてしまう人も少なくありません。でも僕たちは光でないといけない、だって人々にとってはヒーローが希望なんだから! そうやって自分に言い聞かせてきて……あの日、間に合わないと思われた人を君は救った」
掴む手に力がこもる。それは13号の想いの強さだった。目の前で赤から黒に変わっていく、今はまだ生きているヒト。13号にはどうにもできないその患者を救った彼の姿は、思い出す度に輝きを増していった。
「エイドは、僕たちレスキューヒーローの光。希望なんです。この腕の中でこぼれ落ちていく命をただ眺めるだけじゃなくなった。君が現場に来てくれた瞬間のなんと頼もしいことか。どれだけの人を救えるようになったか……本当に、感謝してもしきれません」
もはや声を震わせる13号を……エイドは、自分でも不思議なほど冷静に見つめていた。あの頃はどんな気持ちで治療していたんだっけ。たしか、当時はまだ、純粋に助かってほしい気持ちも持ち合わせていたような?
「………ハッ! ご、ごめんなさい、困っちゃいますよね! 急にこんなこと言われても……」
「13号さん」
ゴーグルとヘルメット越しに、目が合ったような気がした。レスキューヒーローに相応しい、純粋な気持ちで誰かを救う人の目だ。エイドにはそれが眩しく見えて仕方なかった。
「きっと、あなたのような人が多くを救うんでしょうね」
「え?」
「……自分が現場ですぐ治療に移れるのは、先に安全確保してくれている方々のおかげです。レスキューは一人ではできない。自分にとっては皆さんが光です。これからも、よろしくお願いします」
エイドは笑った。それは癖でもあったし、本心を隠すための擬態でもあった。眩しさに細めた目を誤魔化すようにグッと近づけた顔に綺麗に塗りたくられた微笑みは……致死量のファンサービスとなる。
「ミ゚ッッッッ」
つまり、オタクは死んだ。
***
「部屋お借りしましたー。んじゃ、おれ客室よってから寮戻るんで。13号先生にもよろしく言っといてくれます?」
「ああ、分かった。お疲れ」
「お疲れ様でーす。お邪魔しました!」
「………なんと言うか……瀬呂少年は、凄まじいな」
「着替エタ瞬間、アアモ切リ替エラレルノカ」
「俺は未だに信じられませんよ、彼があのエイドだなんて」
「グルル……匂いも違った。一体どうやっているのか……」
「何っ、そんなことまでできるのか!?」
「……どうだ、13号は」
「ノゥグーッド、ファンサを真正面から受けた衝撃が強すぎたみーてだナ」
「……ウッ……まぶしい……」
「はァ……しっかりしろ、俺らはあいつ含めた生徒を守る教師だぞ」
「あい……」
「────やっぱすげーなぁ、ヒーローって」
自分のためになることが結果的に万人を救うことだっただけの俺とは、大違いだ。
「ダメじゃないか、ヒーローに迷惑かけちゃあ」
インターン初日。
その瞬間、緑谷の息が止まった。
「帰るぞ、エリ」
パトロール前に見せてもらった写真。ナイトアイが追っている死穢八斎會というヤクザ者、その若頭・治崎────……特徴的なペストマスクが、今、目の前にいた。
「うちの娘がすみませんね、ヒーロー。遊び盛りでケガが多いんですよ。困ったものです」
緑谷は反射的に腕の中を見る。路地から飛び出してきたところにぶつかってしまった少女。エリというらしい。この子が娘? 治崎には子どもがいたのか?
「まーたフードとマスク外れちゃってるぜ。サイズ調整ミスってんじゃないのか!?」
驚愕と疑念。突然の邂逅に表情を取り繕う余裕のなかった緑谷を、通形がフォローした。治崎はナイトアイが追っているホシだ。ここで下手なことをして怪しまれるわけにはいかない。
二人の所属を聞き出そうとする治崎を躱して、早々にこの場を離れようとする。「では我々、昼までにこの区間を回らないといかんので! 行くよ!」自然な流れ。緑谷は返事をして膝を浮かせた。治崎は明らかに警戒している。これ以上の接触はマズい、今は最善の行動を……、
「いかな……いで……」
縋り付いてくる少女に、とるべき最善は一つだった。
「娘さん……怯えてますけど」
治崎の眉間にシワが寄る。
「叱りつけた後なので」
「いやぁでも、遊び盛りって感じの包帯じゃないですよね……」
「よく転ぶんですよ」
「こんな小さい子が声も出さず震えて怯えるって、普通じゃないと思うんですけど」
通形が「デクくん、無難にやり過ごすんだ!」と耳打ちをする。だが緑谷は少女を抱き寄せた。外を出歩くには質素な服装、その下から覗く手足に巻かれた包帯、コンクリートで傷ついた素足……これをやり過ごす? その方が不自然だ。緑谷たちは既にヒーロー科の学生だと名乗った。
「この子に、何してるんですか?」
ヒーローが怯えた子どもを、やり過ごすわけがない。
「………ふう。全く、ヒーローは人の機微に敏感ですね。わかりました」
治崎は両手を広げた。「恥ずかしい話ですので」と背後の路地へ踏み込む。見れば周囲にはポツポツと野次馬が形成されていた。ナイトアイ事務所としても、ここで目立つのは本意ではない。
緑谷と通形はアイコンタクトを交わした。少女をつれて治崎の後ろに続く。
「実は最近エリについて悩んでまして。何を言っても反抗ばかりで」
「子育て……ですか。大変ですね……」
「ええ、難解ですよ子どもは。……自分が何者かになる・なれると、本気で思ってる」
治崎がグローブへ手をかけた。その動きを見逃さなかった二人は治崎を警戒して……だからこそ、腕の中から飛び降りた少女への反応が遅れる。
「え……!?」
「なんだ……もう駄々はすんだのか?」
駆け出した少女が治崎の隣に並ぶ。彼女は一言も発さず、頷きだけで治崎の言葉を肯定した。
「え、あの……エリ? ちゃん……?」
「いつもこうなんです。すみません悩みまで聞いてもらって。ご迷惑おかけしました。ではお仕事、頑張って」
「待って! 何で……」
治崎が少女の手を引いた。二人は先の見えない路地の闇へ溶け込んでいく。
「エリちゃん!」
僅かに振り向いた少女。その瞳の色に、緑谷は見覚えがあった。
『もう、傷ついてほしくないのに』
泣くことも、声を上げることもせず。ただ静かにジッと身をすくめて────見えないものを、恐れている目だ。
*****
────パッ!
デスクライトが照らす室内、新たな光源となったスマホ画面が連絡受信を知らせる。最近新調したものだ。私用のスマホと違い、こちらは限られた人間からの連絡しかこない。
「………結構早かったな」
ペンを置いて連絡内容を読み込む。しばらくしてから再び教科書に向かい合った。きっと忙しくなる。先の範囲までやっておかないと。新しい医学書も読み込んでおきたい。
【チームアップ要請】
詳細な日時が記されたそれは、ナイトアイからエイドへの出動要請だった。
瀬呂兄
妹が大人に進化の実をつけていてびっくり! 「なんてことを」と頭の奥で響いた声は握り潰した。よく妹を抱きしめるのはそれが安心すると知っているのと、内心を隠しきれているか分からない目を見せないため。
瀬呂妹
兄が全方位疑心と無差別の警戒に振り切ったのに対して、たった一人でも心から信じる道を選んだ懸命な妹。自分たちだけではいつか手に負えなくなることを分かっている。
香山睡
瀬呂妹からの信頼をついに勝ち取った執念の女。ただ待つだけの4年はとても長かっただろうに待ち切った。
成実の個性も実をつけられたことも知らない。
13号
良識ある過激めのファン。神野後にエイドの正体を告げられた時は背中から倒れた。
緑谷出久
兄妹の異質さを感じ取り始めている。
前作最後〜今作の時系列は結構バラバラです。大体二日間を行ったり来たりしてますが、正確に把握しておく必要性は全くないので雰囲気で流してください。
インターン編入ると予告しましたがまだプロローグに留まりましたね。冒頭に成実の話を入れたので相対的に後ろが削れました。色々動くのは次回以降ですが、死穢八斎會編が案外長くなりそうなのでいつ終わるのか分かりません。エリちゃんと兄妹の親和性の高さとヴィラン連合のあれそれをこねくり回してます。上手いこと着地するといいな……。



























