全てを捏造しています。
なんでも許せる方のみお進み下さい。
────ヒーロー殺し事件から、一夜明け。
一時入院することとなった緑谷、轟、飯田の三人は大部屋にまとめられていた。個室をとらないといけないほどの重傷者はいない。昨日のうちに受けた検査も大きな問題はなく、後遺症も残らないらしい。もう普通に動けるということもあって、騒ぐタイプでもない三人の部屋には穏やかな空気が満ちていた。
そんな病室を訪ねてきた警察署署長────面構犬嗣署長から、個性無許可使用の叱責、勇気ある行動への称賛、共に平和を守る人間としての感謝を受けた後。「今回の件はエンデヴァーの功績として報道されるから、くれぐれも他言無用だワン」と念を押された瞬間、緑谷は「あっ!」と声を上げた。
「どうしたワン?」
「あの……それって、エイドはどうするんですか?」
「確かに、エイドは個性使用の規則違反には当たらねぇな。むしろ正真正銘の功労者だろ」
「ああ、彼には昨日のうちに話したんだが……そういう事なら自分の名前も消しといてほしいと、そう言って帰って行ったワン」
「エ、エイドらしい……」
微笑み混じりにそう告げる彼は容易に想像できた。すぐさま帰路に着く姿も。エイドがプライベートでも周囲との接触を控えているのは、ヒーローオタクの間では有名な話なので。
やっぱりあの話は本当だったんだ、と脳内メモに書き込んだ瞬間。「それにしても、まさかエイドが来てくれるとはね」と飯田の指導ヒーローであるマニュアルが告げた言葉に、轟が不思議そうな顔で反応した。
「? エイドは保須市ヒーローと連携とってたんじゃ?」
「いやまさか!そもそもエイドがこの件に関わってるなんて思ってもみなかったよ」
「彼は公安委員会からの要請で来てくれたんだワン。脳無出現直後の連絡だったから、私たちが彼のことを把握したのも全てが終わってからだったがね」
「そう、ですか」
「たまたま近くにいたのかもしれないが、彼が来てくれて助かった。おかげで君たちの怪我も重症化せずにすんだワン」
それからマニュアルは飯田に、グラントリノは緑谷に一言二言告げて、大人たちは病室を後にした。
面構署長の「くれぐれも安静にしとくんだワン」という言葉に従って大人しくしているが、そうなると自然とお喋りが多くなる。当然、話題は彼のこと。
「やはり、エイドは既に帰宅済みだったか」
「みたいだね。あぁー…お礼言いそびれちゃったよ……!」
「俺もだ。腕に後遺症が残らないのは、エイドが切れた神経を繋げてくれていたおかげらしい」
「そんなことまでできんのか? あの一瞬で?」
「ああ、俺も驚いたよ。だが実際、なんの問題もなく動かせるようになるとのことだ」
「僕もエイドに治してもらったことあるよ。粉砕骨折した骨を全部元の位置に戻してくれてさ」
「……そんなことまでできんのか」
「うん。エイドの治療技術はすごい、きっと相当な経験を積んできたんだ」
自分の腕に視線を移す。たくさんの傷跡が残っていて、けれど指先一本に至るまで歪な部分は無い。ボロボロなのに綺麗な形を保っている。彼の卓越した治療技術の証明だった。
「俺はエイドのことあんま知らねぇんだが。どっか事務所に入ってるのか?」
「いや、エイドは無所属だよ。ただ、リカバリーガールの助手として活動してるから……大元は雄英ってことになるのかな?」
「じゃあパトロールとかはしないのか」
「聞いた事はないなぁ。エイドみたいな治療系個性は本当に希少なんだ、だからそう簡単に表には出ないようにしてるんだと思う」
「へぇ……」と生返事をする轟は、なんだか納得のいっていないような、何かを考え込んでいるような顔をしていて。「どうしたの?」と聞けば少し視線をさ迷わせてから口を開く。彼は体育祭以降、周囲への態度が柔らかくなった。
「まぁ、なんつーか……。エイドはどうやってあそこに辿り着いたのかと思ってな」
「どうやって、って?」
「俺があの路地の住所を言ったのはエンデヴァーとそのサイドキックだけだった。てっきりサイドキックが保須市ヒーローに情報共有してエイドが来たのかと思ってたんだが……連携はとってないって言ってただろ」
「ふむ……。彼はヒーロー殺しの対策をしていた。事前に出現場所やタイミングの目星もつけていたんじゃないか?」
「あっ、ありそう。僕もそうやってしらみ潰しに探したし」
言われてみればたしかに。あの時点でエイドが応援に駆けつけたのは、偶然とするには少し不自然だった。暴れていた脳無の方より先に、存在の報告すらなかったヒーロー殺しの元に来れた理由。それが対策と予測の結果なのだとしたら納得がいく。……けれど。
「エイドは一人でヒーロー殺しを確保するつもりだったのかな……」
「どうだろうか。だが、エイドが本当に一対一だったのなら勝機はあったのかもしれない」
「俺らがいてもギリギリだったのにか?」
「転がっていた俺が言えることではないが……。エイドは俺たちに怪我をさせないことを第一に動いているように見えた。人数が多い分火力は増すが、同時に彼が意識する対象も増えていたはずだ」
「ああ、それは分かる。……守られてる、って感じがした」
気がつけば、常に彼の背中を見ていた。
言葉巧みにヘイトを稼いでいる時。鋭い剣先から庇われた時。脳無から引き離された後、ヒーロー殺しとの間に立ち塞がってくれた時。いつだって自分たちの一歩前にいて、それでいてほんの少しだって退かなかった。
数多いるヒーローの中でも特別大きいわけではない。けれど、安心感のある、もう大丈夫だって思える背中。
沈黙が落ちた病室で二人と目が合う。きっと彼らも同じことを考えていた。
「……すげぇな、エイド」
「うん……。あんな風に、みんなを守れるヒーローになりたいね」
「ああ、そうだな」
『あんたはヒーローじゃないんだよ! それを分かってんのかい!』
「ハイッ、スミマセンッ!!」
好き勝手した人間は怒られる。世の常識ね、コレ。
『はぁ……、順調に職場体験してるかと思えばこれだ。あたしはちゃんと行きたいところに行きなさいって言ったはずなんだがね』
「アッ、イヤ。ジーニアス事務所さんには本当にお世話になりたいと思った上で選ばせてもらいました」
『それでいて保須に出動したって?』
「ハイ。スミマセン」
『しかもなんだい。怪我人救助ならともかく、ヒーロー殺しと交戦したらしいじゃないか』
「ハイ」
『……わざとだね?』
「………………」
『範太』
「…………………………ハイ」
画面の向こうから特大のため息が聞こえる。なんならハイスペックPCで画面付きのお説教なのだが、俺は頭を下げているのでリカバリーガール先生の顔は見えない。
『……それを事後報告で知ったあたしの身にもなっとくれ。心臓が飛び出るかと思ったよ』
「すみませんでした」
『何に対して謝ってるのか言ってみんさい』
「先生に黙って要請の事前受諾をして、ご迷惑をおかけしたことです」
『……それから?』
「そ。れから……………………ご心配、を。おかけしました」
『それが分かってんなら及第点だね』
『顔を上げな』と言われて大人しく姿勢を戻す。正座している椅子は非常にお高い品なので少しも音はしなかった。
『全く……怪我してないかい』
「いつも通り動けます」
『つまり怪我はしてるってことだね』
「…………軽い打撲と切り傷くらいは」
『処置前の状態は?』
「あー……ステインの個性対策で糸繰傀儡して……関節脱臼を七ヵ所ほど。でも即はめ込んだので全然動けます」
『そういう問題じゃないんだよ』
またため息。今度は額に手を当てている姿がよく見えた。その反応をされるのが分かってたからぼかしたのに……って、こんなことやってるから信じてもらえないんだよな。自業自得すぎた。
『痛みは?』
「ほぼ無いです。打撲した背中が少し」
『職場体験は続けれそうかい?』
「えっ。できます! 本当、ちょーっと痛いだけなんで! 全然普通に問題なく!」
『分かった分かった。中断はしないから落ち着きな』
ヤバいこれ自業自得が祟って職場体験中止させられる!? と思って慌てて元気アピール……しようとした所で窘められる。あ、中断はしない? なら良かった。プロヒーローの動きから学ぶことは多いから。
『あとはちゃんと職場体験に集中すること。公安から何か来ても断るよ』
「あー……はい。あの、今回は俺から打診したんで向こうの責任ってわけじゃなくて……」
『子どもの申し出を断らない大人も悪いんだよ』
「きびし……」
ごめん公安委員会、俺らウィンウィンかと思ったけどそっちちょっとマイナスかも。まぁ高校入ったら活動減らす予定ではあったし、しばらくはどっちも大人しくしてよう。でもごめん。
一、二回会ったことのある公安委員長の顔を思い浮かべて心の中で謝っていれば、画面の中で先生の視線が動いた。正面の俺から、少し斜め上にズレた位置へ。
『というわけで。ジーニスト、あとは頼んだよ』
「お任せ下さい。職場体験生として変わらず受け入れますとも」
最後に『贔屓はしなくていいからね』と残して、先生との通話は終わった。今度はこっちがため息をついて、すぐ背後に視線を移す。
「…………なにもわざわざ、お説教ガン見しなくても……」
「私はリカバリーガールから聞いていてほしいと言われたまでさ」
「何故……???」
朝一で所長室に呼ばれたまでは良かった。そこから急にビデオ通話が始まった瞬間「あれ??」とは思ったけど。まさか、終始後ろで見られるとは。
「昨日彼女から聞いたが、君は案外ヤンチャな性分のようだ」
「いやいやいや、俺は結構聞き分け良い方すよ?」
「だがヒーロー殺しを目的に独断で保須へ向かったんだろう? 特定個性使用許可には、ヴィラン退治での個性使用は含まれていない」
「治療活動しに行ったところでヴィランが襲いかかってきたんです。自衛なら個性を使っても違反にはならないでしょ?」
「……屁理屈だな?」
「屁理屈もこねれば理屈のうちっスよ」
「大体、今更それで違反とってたら色んな人が困っちゃいますって」……と続けようとした口をすんでのところで閉じる。やべやべ、煽りモード入りかけた。無駄なことは言わないに越したことはない。
まぁでも、過去エイドがヴィラン制圧作戦にチームアップさせられてる時点でお察し。こっちからの同意があったとはいえ戦闘のド真ん中に放り込まれてる。つまり、自衛という名目を利用してるのは上の人間も同じってワケ。
「……ま! なんにせよ無事に帰ってきたんで!」
「脱臼七ヵ所が無事と言えるかは疑問だが……。そう言えば、個性対策の糸繰傀儡とはどういったものなんだ?」
「え、よく覚えてますね」
あえて軽い調子で言葉を続ければ、ベストジーニストは別の話題が気になったらしい。ウーン……まぁ、言ってもいいか。昨日はこっちの都合に合わせてもらったし。
立ち上がって「知ってます? ステインの個性」と聞けば、彼は記憶を辿るように目線をさ迷わせた。
「たしか、動きを止めてくる個性だったな。詳細は不明だが」
「ですね。個性くらったヒーローによると、首から下に力が入らない、でも目や口は動く、呼吸はできるし触覚も生きてるって感じで……統合して、体性運動神経から骨格筋への神経伝達を阻害する個性なんじゃないかと思って」
「…………なるほど?」
「つまり自分の意思で四肢の筋肉が動かせなくなるってことです。で、これがまた俺に相性が良くてですね」
さて、どう説明したものか。殴るふりとかしてもらえれば一発なんだけど、今のお説教聞いててそういうのしてくれなさそうだし。
とりあえずベストジーニストに向き合って、右手を差し出す。握手待ちの形。様子を伺うように見られてもそのまま黙っていれば、彼は手を握ってくれた。はい、ぎゅっ。
「これは?」
「この握手、俺は握り返そー!と思って力入れてるわけじゃないんすよ」
「……?」
「俺の体ん中には常に繊維糸があって、今はそれを筋肉の代わりに引っ張ったり緩めたりしてるんです。個性使って筋肉そのものに働きかけてる形っスね。こうすると本来の神経を介さずに体を動かすことができる」
握手している指をウネウネ動かす。第一関節だけ曲げてみたり、交差させてみたり。ちょっと気持ち悪いなこれ。
「で、上手いことやると全身でできるんで。体内完結型操り人形、糸繰傀儡の完成ってわけです。……この説明で分かりました?」
「…………君がとてつもなく高度なことをしているのは伝わったよ」
「アハハ! そんな大したもんじゃないっスよ!」
握手していた手をパッと離す。これは昔、無意識のうちに筋力補強していたやつの改良版だ。馴染み深いものだからそう意識しなくても自然に動かせる。
「これをわざわざステイン対策で?」
「や、元々できたことが偶然。読み通り神経伝達を阻害する個性だったんで特攻でしたね。さすがにあのレベルで操るのは初めてでちょこちょこ可動域超えましたけど」
「それで脱臼か」
「っスね〜」
重複効果を受けるのは誤算だった。まさか血を舐められるごとに全身固まっていくとは……おかげで普段の感覚でやると関節がポコポコ外れたんだよな。
未だ興味深く見てくるベストジーニストに、サービス精神で指を動かして見せる。傍から見たら俺が普通に指遊びしてるのと大して変わらないけど。顔面に向かってくる拳を瞬きせずに見つめるとかやると分かりやすいんだけどな、そういう反射も止められるから。
「ふむ……」
「そんな面白いすか? これ」
「ああ。人の努力の結果を目の当たりにするのはいつだって感動するものだ」
「大袈裟だなぁ」
「君は自己評価が低いことも聞いたよ」
俺の知らないうちに先生は色々話したらしい。ベストジーニストに正体バレしたとは伝えてたけど、そんなに話してて面白いことでもないでしょうに。
ちょっと呆れたような、けれどどこか暖かい視線を向けられて、……咄嗟に話を切り上げる。そういう風に見られるのは、なんだかむず痒い。
「とにかく! 今日は普通に職場体験参加させてもらうんで!」
「ああ。何か不調があればすぐに申告するように」
「はーい。よろしくお願いします!」
「おい! そっちに逃げたぞ!!」
「クソッ、すばしっこい……!」
「ケケケ! やっぱ偽モンはおっせぇなぁ!」
一人の男が街中を走っていた。腕には二、三個のハンドバッグ。白昼堂々逃走するひったくり犯は、しかしスピードには自信があるようでヒーローの脇を次々に抜けていく。
「俺の電光石火には誰も追いつけね、ぇ……?」
さてあとは直線で振り切るだけ……と駆け出そうとしたところで。ふと、何かが足に巻き付いている感覚。
気がついた時にはもう遅い。そのまま後ろに引っ張られて、体が宙に浮き。
「ちょこまかと鬱陶しぃンだよクソがッッ!!!」
顔面への強烈な衝撃と共に、男の意識は一瞬で刈り取られた。
***
「ナイス確保だ、二人とも。お手柄だな!」
「ありがとーございます!」
「ケッ」
爆豪の粗雑な言動を気にもせず、今日の担当ヒーローは「警察に引き渡してくるからちょっと待っててくれ」と駆けて行った。さすがプロヒーロー、小生意気な子どもにもすっかり慣れている。
「せっかく活躍したのに。喜ばねーの?」
「あんな雑魚相手に勝って何がうれしンだよ」
「あ、そういうね」
相も変わらずストイックマン。でも今の連携は良かったくない? 咄嗟に爆豪の方に飛ばせたのは我ながらよくできたと思う……と、爆豪に視線を移した瞬間。カチリと目が合う。うん、なんか見られてるなって思ってた。
「なに? どした?」
「体調管理もできねーなら出てくンなや」
「…………はい?」
「風邪だかなんだか知らねぇが移したらコロス」
そのまま離れていく爆豪の背中を、呆然と見つめる。………えっ。
「ちょっ、待って爆豪! なんで風邪!?」
「動きがワンテンポ遅ぇ。あの程度のヤツならもっと早く確保できんだろ」
「…………うわ……よく見てんねお前……」
そうだ、普段の態度で忘れがちだけど。爆豪ってめちゃくちゃ成績優秀なんだった。
体育祭だってただの力押しだけで一位になれるわけじゃない。相手をよく見て、分析して、対応する能力がないと。爆豪はそのへんのセンスがずば抜けて高い。……の割に、クラスメイトの名前覚えてなかったりするけど。
「いや、まぁ、風邪じゃねーよ。昨日背中強めに打っちゃってさ、青あざできてんだよね。ほら、俺途中で帰ったじゃん? あの後にちょっと事故みたいなもんで」
「……お前、体育祭ん時も家の事情っつって帰っとったろ。ンな何回もあんのかよ」
「丁度バタバタしてる時期なんよなー。でもたぶんもう無いはず。……ごめんな? 昨日一人で寂しかった?」
「キメーこと言うなクソが!!!」
ボンッ!と真隣でした爆発音にカラカラと笑う。冷静なのに単純なヤツ。ごめんごめん、と頭を低くして謝れば舌打ちとともに破竹の勢いは収まった。
「なぁ、昨日俺が帰ったあと何してた? 何か面白いことあったり?」
「なんもねーわ。……ジーパンが保須に行くかもっつって待機しとった」
「ああ、ヒーロー殺しのね」
そう。世間は昨日からステインの話題で持ちきりだ。
脳無を制圧した瞬間が撮られていたらしい。SNSで拡散されているその動画は削除が追いつかないほど。昨夜「このあとは動画削除の仕事に合流ですよ……」と嫌そうに呟いていた標さんの苦労が偲ばれる。
「爆豪さ、あれ見た? 動画」
「見た」
ほら。もうね、ネットサーフィンとは無縁そうな爆豪まで知っちゃってんだから。しばらくは燃え広がるだろうな。
「今日やけにヴィランが活発なのもそのせいだろーね。さっきのも偽物がどーとか言ってたし」
「ハッ。それで俺らに捕まるたぁとんだマヌケだな。そもそも何が偽物だよ、ヒーローはヒーローだろが」
「俺はちょっと分かるけどな〜。実際いるじゃん、自己犠牲どころか人を助けすらしないヒーローとか」
「ア? ……ンだそれ、見たことあんのかよ」
「いんや、聞いた話だけど」
「チッ。自分で事実確認してねーことをさも本当のことかのように話してんじゃねェ」
「リテラシー高っ」
そこで遠くから声がかかる。「お待たせ、後処理終わったから帰ろうか!」とヒーローに呼ばれて、爆豪は一人さっさと歩いて行った。その後ろに付かず離れずの距離を保って続く。
今日の収穫。素早い相手に追い込み型トラップが使えたこと。ステインの影響がしっかりヴィランに出ていること。爆豪はああ見えて意外と鋭いこと。
それから、普通に生きてたら偽物のヒーローには会わないらしいこと。
俺も実際に会ったことはない。助けてくれなかったって人づてに聞いただけ。たしかに事実確認はしていないけど、状況証拠は揃っていた。涙まじりの嘆きが脳裏に蘇る。母さんが俺を刺した日だ。あの日ヒーローにもロクなのがいないことを知った。わざわざ確認しなくたって良かった。疑う余地もなかった。
『おにぃちゃん、ごめんッ、ごめんなさぃ、』
『ヒーロー、たすけてくれなかった……っ!』
この世界で何よりも信じられるあの子がそう言っていたから。
それだけで、漫然と抱えていた憧れを捨てるのに躊躇いはなかった。
『うそ……うそ、うそよ……そんなはずない……』
譫言のように繰り返す女。
当時の成実がその背に飛びかからずにいられたのは、女に構っている暇などなかったからだ。
寝室の扉が閉まると同時。成実は走り出した。血の繋がった自分の子どもに包丁を突き立てておいて、茫然自失とした様子で部屋に引っ込んだ女に怒鳴る労力も惜しい。己の無力に泣く時間すら無駄だった。
この時の判断を未来の成実は褒め称える。よく走り出した。よくぞ動き出してくれた。守られるだけだったあの頃で、初めて兄のためにできたことだった。
当時五歳。まともな両親ではなく、保育園にも行かず。三つ上の血の繋がらない兄だけが成実の世界だった。成実は兄に抱かれて安心して眠れる夜を知ったし、兄が連れ出してくれるおかげでアパートの外の世界を見た。父が帰ってきた時は必ず一歩前に出てくれて。初めは一緒に怯えていたはずの兄は、いつからか成実を守る絶対的な要塞になっていた。この世で唯一の味方。何よりも大事な成実の世界。
そんな兄に致命傷を負わせた女が、何よりも憎くて仕方なかった。
血が繋がっているくせに。たったそれだけで兄から沢山のことを許されているくせに! 守っても助けてもくれない母親を、それでも『今は悲しみでいっぱいなだけだから』と責めないでいる兄のことを知らないくせにッ!
怒りで涙が出ることを初めて知った。それでも成実は走った。声もなく蹲った兄に駆け寄りたいのを堪えて、アパートを飛び出して、滲む涙を拭いながら走った。『何かとーっても困ったことがあったら、ヒーローに助けてって言うんだよ』って、兄が言ってくれていたから。じゃあ、それなら、今がその時だと思って。
ここで誰でもいいから大人に助けを求めていたら、と後になって思う。けれども当時はまだ幼くて、世間知らずで、今まさに世界の全てを失いかけている子どもで。ヒーローを探さなきゃって、それだけしか考えられなかった。
そんな哀れな子どもに、神は一度だけ微笑んだ。
『ッ、ひっ、ヒーロー……!!』
振り向いたその顔は黒塗りでよく見えない。中肉中背のヒーローだったことだけは覚えている。
『ひーろー、はぁっ、……たッ、たすけて、』
もう大丈夫だ、と思った。助かったと思った。だって、ヒーローは助けてくれるって。そう兄が言っていたから────………。
『親とはぐれたのか? 悪いけど、今急いでるんだ』
────そこから、一体どうやって帰ったのか。
気がついたら倒れ伏す兄に縋り付いて、声を上げて泣いていた。
『おにぃちゃん、ごめんッ、ごめんなさぃ、』
『ヒーロー、たすけてくれなかった……っ!』
床には血溜まりができていた。それが兄から流れているものだと分かって、余計に涙が溢れた。恐ろしくて仕方なかった。怒りを原動力に動いていた身体は、そこからちっとも動いてくれなくて。ただただ恐怖に身を固めていた。目の前で、世界が静かに終わっていくのを見ていることしかできなかった。
『なるみ』
呼ばれた声は小さかった。触れた手は冷たかった。閉じかけた瞼は震えていた。
それでも、兄は笑っていた。
『ぉ、にい……ちゃん、』
『だい、じょうぶ。だいじょうぶ、だから……』
きっと。確証があったわけでも、何か策があったわけでもない。せめて泣きじゃくる妹を慰めたかっただけかもしれない。
けれど、兄が成実に嘘をついたことは、一度もなかったから。
『お兄ちゃん……おねがい、生きて』
その手を、強く。強く握り込む。
置いていかないで。ここにいて。ずっと私のそばにいて。それ以上なんて望まないから、どうか、どうか生きていて────……。
─────これは、後になって得た解釈だけれど。
植物は成長し、大きくなり、果実になり、種を残す。その種が芽を出し、成長し、また大きくなる。過酷な環境下、それは進化を伴うこととなる……否。進化せず、環境に適応できなかったモノから息絶える。
逆説。生き残らせたいのならば、常に成長と進化を遂げさせれば良い。
今にも折れてしまいそうな枯れ木の先、大事に大事に熟れさせた果実の中。そこに新たな可能性を詰め込んで。弾けた実から飛び出した金の種は、その生き物の ”生” を意味する。
『お兄ちゃん、死なないで』
『しなないよ』
──────パキッ
『ァ”』
あの日。
無理矢理に実った果実から、起死回生の種が零れ落ちた。
「ヒーロー殺しの動画、見たよ」
『見たか〜〜』
『マ、そりゃそうだよなぁ』と電話越しに聞く兄の声は普段と変わりなく、それにホッと息を吐く。一週間泊まり込みの職場体験。毎日少しでもとっている連絡は、昨日だけは返ってこなかった。
「学校でも話題になってたから」
『さもありなん。皆なんて言ってた?』
「ダークヒーローみたいでかっこいいって」
『そっかぁ。……成実は? どう思ったの?』
「……言ってることは分かる、けど。それが人を殺していい理由にはならない」
これを教えてくれたのも兄だった。この世の善悪も、常識も、全部兄が教えてくれた。兄のおかげで成実は ”普通” に溶け込むことができている。
「でも、……でも、やっぱり。偽物は許せない。ヒーローなんてみんな嫌い。本物の英雄なんて、どこにもいない」
『うん。そうね、俺もそー思う』
「……本当?」
『ほんと。だって、俺たちが危ない時に駆けつけてくれるヒーローはいなかったでしょ?』
「…………、うん」
一瞬。脳裏に全身真っ黒な姿のヒーローが浮かんで……すぐに打ち消した。あの時危なかったのは成実たちじゃなかった。あの人が来て一命を取り留めたのは成実に刃を向けてきたヴィランだった。……それに、あの人は ”大丈夫” じゃないから。
またすぐに別のヒーローが思い浮かんで、けれど、今度は端に追いやれない。凛と立つ綺麗な人。案外柔らかく笑う人。この世で一番嫌いな女と似た黒髪で、でもその姿はまるで違う……。
『でもさ、』
電話の向こうで兄が笑っている気配がした。
きっと兄は成実のことを全部分かっていて、それで笑っているのだ。声にあたたかさが乗っているのが証拠だった。それを慈愛と呼ぶことに、最近気がついた。
『でもさ、成実。人って変わるもんだから』
「……うん」
『だから、嫌いって言ってた人を好きになったっていーんだよ』
「…………」
『大丈夫。成実が何を選んだって絶対守るし、何をしたって、俺は成実のことが大好きだから』
『これだけは何があっても変わらないよ』と。そう言う兄に返す言葉を探しているうちに、電話の向こうが騒がしくなった。宿泊部屋にもう一人の職場体験生が戻ってきたらしい。二言三言挨拶をして、通話を終わらせた。
「…………」
シン、と静まり返った自室を抜ける。リビングのテレビをつけたらワイドショーが始まっていた。今一番話題の、ヒーロー殺し。
『ステインは英雄回帰を主張し、今のヒーローを偽物と評していたとのことですが……』
『何かそういうキッカケがあったんですかねぇ。運悪く良くないヒーローにあたってしまったとか。そんなのはそういないでしょ?』
「そんなのばっかりだよ、大人なんて」
だって、誰も助けてくれなかった。手を差し伸べてくれる大人はいなかった。気まぐれに殴ってきて、突然気を狂わせて、見て見ぬふりをして。五歳になるまでに出会った大人は全員ロクでもなかったし、あれ以降に出会った大人は全員敵だった。
『その個性のこと、誰にも……ヒーローにも。言っちゃいけないよ』と。兄が言ったから。『その分、俺がずーっと守るからね』と、ヒーローを目指し始めたから。
成実が生かした世界が、そう決めたから。
────ガチャ、
「成実、帰ったよ」
「、おかえりなさ……い?」
「こんばんは、成実ちゃん」
ああ、でも。どうしよう。
「え、なんで……香山さん?」
「ふふっ。あなたに会いたくて来ちゃった! お土産もあるわよ」
「あ、ありがとう、……ございます」
きっと、怒ったりしない。見捨てたりしない。
成実が何をしたって、兄は成実のことをずっと好きでいてくれる。
『過去ヒーローに救われなかったが故の犯行だという可能性も────……』
「もうこんなワイドショーやってんのかい。まだ調査中だろうに」
「成実ちゃん、番組変えていいかしら? もうすぐ映画が始まるのよ」
「う、うん。大丈夫……。ねぇ、どうして来たの? 修善寺さんも、今日は遅くなるって……」
だからこそ、踏み込まないようにしようって。隠し通さなきゃって。
成実のためにヒーローを目指している兄の努力を、無駄にしちゃいけないって。分かってるのに。
「こんな時に、大事な子どもを放っておくなんてできないよ」
「範太くんの代わりにはなれないけれどね。今夜は私たち三人で楽しく過ごしましょ!」
────ああ。どうしよう、お兄ちゃん。
私。この人たちのこと、信じたくなっちゃってるの。
瀬呂兄
繊維糸ができるようになったのは八歳の時。あの日以降突然できるようになった。実が弾ける音が苦手なのは大抵死ぬほど痛いから。
妹が大人に懐いていることを察知しているし、こっちもこっちで絆されかけている。優しい人を警戒し続けるのは難しい。
瀬呂妹
個性登録には「”成長”:植物を成長させる個性」とだけ記載されている。五歳以前に届出した内容のまま。
同じ家に住んでいただけの人間を母と呼んだことはないし、あの日以降世界一嫌いになった。同時にヒーローも嫌いになった。はずだった。
瀬呂母
以降寝室に籠ることが増えた。瀬呂兄は彼女のことを可哀想な人だと思っている。
香山睡
動画にエイドが映っているのを見て瀬呂妹が心配で来た人。妹から信頼を得るのはもうすぐそこ!
中肉中背のヒーロー
ありふれた人間。
「生物は生き残るために進化を遂げる」というのは厳密には違くて、「環境に適応した進化を遂げた生物だけ生き残る」が最近の通説らしいですね。おそらく。じゃあやっぱり一個体を生き残らせるために進化を遂げさせ続ければ最強なんだ!!!(無理矢理解釈)
などと言いつつまだ匂わせの段階です。これの匂わせしたのいつだ? と確認したら6話 (+10話) でしたね。だいぶ前すぎる。

























