どうして、とローゼマインは思っていた。
どうしてそう、他人の生命を簡単に消してしまえるのだろう。封建社会なんてそんなものだと知ってるし、もう、ユルゲンシュミットで過ごした時間の方が日本での時間より長いけれど、やっぱり納得出来ない。
何故してはいけないのか、同族殺しなんてどの種でもある、人間だけ駄目だと言うのは何故か、その問いにはきっと明確な答えなんか無い。だけど私は嫌だ。殺したく無いし、殺されたく無い。させるのも怖い。
フェルディナンド様にさせるのはもっと嫌だ。
獣や魔獣、魚に虫、人間以外の事なら理屈をこねて納得出来る。お肉になっていればそれは「食べる物」だし、襲われたら自分を守る為だし。
でも、どうしても。どうしても、敵対派閥だから殺す、自分の方が上位だから殺してもいい、は解らないよ。
「ローゼマイン。」
頭上から、僅かに厳しさを含んだ声に呼ばれ、ローゼマインは顔を上げた。
「顔色が悪い。」
フェルディナンドの表情にも視線にも、気遣いが垣間見えた。
「そう、ですね。ご心配をおかけして」
「謝るな。」
言葉を遮ったフェルディナンドに抱き込まれ、ローゼマインの視界は閉ざされた。
「謝らなくて良い。君を心配をするのは私の権利だ。」
「権利なのですか?」
暖かい両腕の檻の中、ローゼマインが問いかける。
「当然だ。私は君の庇護者なのだぞ。」
「義務ではなくて?」
「権利だ。」
しかもその権利は既に侵害されている、執行の機会は逃さぬ、と続けたフェルディナンドの声に厳しさよりも苦々しさを感じ、ローゼマインの眉がぴょんと跳ねた。
はい? ちょっと待って、それ、どうしてそうなるの!?
ローゼマインはぺちぺちとフェルディナンドの胸元を、掌で叩いた。
「フェルディナンド様?」
「ボニファティウス様は君を養子とし、説得を成せばエルヴィーラとカルステッドが両親となり、君には親が三人と実の兄が三人も出来る。」
「そうですね?」
「これが権利の侵害で無くて何だと言うのだ。」
「義務の分散だと思いますけど?」
「権利の侵害だ。」
不機嫌で拗ねた声は、まるで子供の様な響きで降り積もる。
あれ、もしかしてフェルディナンド様、落ち込んでる? あの二人と産まれる筈だった子供を助けようと、何か準備してたのかも知れない。そりゃ落ち込むよね。わたしはハイデマリーさんを知らないけど、側近だったみたいだもん。その人が亡くなって、助けられなかったんだから。
本当に、不器用で、解りにくいけど優しい人だよね。
ローゼマインの唇が柔らかな笑みを浮かべた。
「フェルディナンド様、わたくしを助けて下さるのはフェルディナンド様しか居ませんよ。」
ふわりとした声音でローゼマインが告げる。
「ユルゲンシュミットの中でただ一人、フェルディナンド様だけです。フェルディナンド様を頼らなければ、わたくし、生きていられません。」
魔法の呪文は、後悔の炎に焼かれ自己嫌悪の永久凍土に封じられた魔王を、真夏の浮世へと救い出した。
何故だ、とフェルディナンドは考えていた。
何故だ、何故、今なのだ。納得出来る理由は考えつくが、それでも疑問は残る。以前は星を結んで後、ハイデマリーが懐妊してから起きた事で、エックハルトも高みへ送られるところだった。
今回は星結び前、ハイデマリーは父親と共に遠ざけられた。
以前と違う部分は他にも有る。
まず、私がローゼマインと会った時期と場所。
ジルヴェスターがローゼマインを知った時期と性格。
ボニファティウス様がローゼマインに会った時期と態度。
全てが以前よりも早く、状況も違う。何か理由が有り、こうなったのか? それは何だ?
織地が解かれた、とローゼマインは言っていた。機織りの女神 ヴェントゥヒーテが織り直しているから違うのだろうか。だが、ヴェントゥヒーテは前の織地を気に入っていたのではないか? だから切れた私の糸を引き抜かず、時の女神 ドレッファングーアを通じ態々神の世界へローゼマインを呼び出し、私の糸と結び、過去へ送って修復をさせた筈だ。
時の女神 ドレッファングーアが糸を紡ぎ、機織りの女神 ヴェントゥヒーテがその糸を使い、歴史を一枚の布として織る。それは広く知られた神話だが、紡ぐのは時間では無く、人間そのものだったのだ。「実際、わたくしは糸に変えられました」とローゼマインが言っていた。
その織り柄を変えたのは、ユルゲンシュミットの存続を願うからなのか。単に織り続けたいだけかも知れぬ。神々は我々とは違う。
理が違うのだ。
織り続けたいのでは無く、織り続けなければならない可能性もあるか。司るものと否応無しに結び付けられ、それを支配するのでは無く、ユルゲンシュミットを現在させる為に存在し、役割を担う者が神だとしたら。
いや、これ以上を考えるのは無駄だ。仮定としては、神々の側に理由が有り以前とは変えた、で良かろう。その理由が問題だが、それを考える事こそ無駄と言うものだ。存外、彼の英智の女神の私への嫌がらせかも知れぬ。老木の件で恨みを買った故な。
前回、私が平民のマインと出会ったのはマインの洗礼式。
ジルヴェスターがマインと初めて会ったのは、年が明けて春の祈念式。
そうだ、あの時も祈念式へと出立する日の朝にジルヴェスターが押しかけて来て、自分も同行すると言い出したのではないか。そしてその後すぐ、領主会議の時期にマインは襲われ、私が実の家族と引き離し、領主一族とした。
あの襲撃も早まると考えねばならぬな。アーレンスバッハとの境界門の在るガルドゥーンに誰かを派遣すべきだ。
ユストクスが適任だが駄目だ。下町との連絡、ハルトムートの躾、あれには手を放せぬ仕事が多い。却下。
ラザファムでは危険だ。ヴェローニカ派の誰かが気付き、害される恐れがある。却下。
残るはエックハルトだが。
ふむ。
フェルディナンドは考え続けていた。
カルステッドの邸で、余人を、それこそ親も側仕えも排して、フェルディナンドはエックハルトと話しをした。
ハイデマリーを助けられず、後悔している事。
ローゼマインがエックハルトの心の有り様に思いを寄せ、沢山の言葉をくれた事。
その言葉を理解し、今、自分が珍しく細かな情報を渡している事。
決してヴェローニカを許さない事。
その為にはエックハルトが必要な事。
それだけでは無く、エックハルトが自分に必要な事。
ゆっくりと、そして深い声でフェルディナンドは語る。
「石に命じて下さい。」
フェルディナンドが語り終えると、静かにエックハルトは言った。
「お傍を離れるなとお命じ下さい。私はフェルディナンド様に名を捧げた騎士です。フェルディナンド様にお仕えしたいと望んで名を捧げましたが、時折、シュタープでは無い刃物を探す自分がおります。」
エックハルトの声は、深い湖の冷え切った底の淀みから、煌めく水面を見上げて踠く苦しみを滲ませていた。
シュタープを変化させた刃物では、その持ち主に傷をつける事が出来ない。自身の魔力が自身を損なうのは、抑えきれずに暴走した時だけである。
そのシュタープでは無い刃物を探す。
衝動的に自身を害する欲求が有ると言う告白に他ならない。
「ハイデマリーの待つ高みへ行くには、時の女神 ドレッファングーアの糸紡ぎが足りぬと、私の心に刻んで下さい。」
「良いのか。」
「あの女を高みへと上げたいとの思いは消えないでしょう。ですが、あの女の所為で何もしていない弟達まで高みへ連れて行くなと、母上に頼まれました。何も出来無いままでは苦し過ぎます。」
青い瞳には、小さな気力の光が点っている。
「せめてあの女を封じる手伝いをしたく存じます。」
「策は有る。」
エックハルトは湖底を蹴って浮上した。
自死は許さぬ、私と共に在れ、とエックハルトへ名捧げ石を介して命令をし、フェルディナンドは動いた。
専属の商会へ、女児の採寸表と共に数点の衣服の注文を出す。商会は直接の採寸をと願ったが、フェルディナンドは認めなかった。
エックハルトになにか大きな荷を運ばせた時には、必ず灰色神官を部屋から出し、鐘ひとつ分の時間を過ごす。
それまでは殆ど購入しなかった蜂蜜やクラッセンブルク産の蜜、多種多様な果物を幾つも納入させる。
刺繍糸と白無地の手巾を発注する。
それらは全て、フェルディナンドの邸に居る筈が無い洗礼前の女児の存在を匂わせた。
ユストクスは密かに蔓延する噂に、新たな文言を加える。
高きご身分の方は幼い娘にご執心だが、その御母堂様もやはり至極若い男子がお好みだ、だがそのご要望を幼くして毅然と退けた者にローエンベルク山の如く怒りの火を吹いたのだ、と。
噂が遂に届いたのか、それとも「洗礼前の女児」の存在が気を引いたのか。神殿でも貴族街でも、フェルディナンドをそれとなく注視する視線が増えた。
その視線には、彼らの主の怒りと憎悪とが伝播していた。


























某女神サマの悪意の虞れ… チェーンソー・アーティスト爆誕の予感😠