晩秋の風は庭の木々から葉を奪い取り、あちらこちらへと思うままに翻弄するが、もうどの枝にも得るべき宝は殆ど無い。シュツェーリアの力は尽きかけているのか、ちらほらとエーヴィリーベの尖兵たる粉雪が駆け抜け踊る時もある。
その秋最後の土の日、ローゼマインとの朝食を終え談話室に移ると、フェルディナンドは範囲を指定する盗聴防止の魔術具を起動させ、何時も通りにユストクスだけを残した。
「ローゼマイン。今日はギルベルタ商会を訪れると良い。」
静かな深い声が膝上にちょんと座る存在に告げた。
「え、えっえっ、良いのですか!?」
僅かな戸惑いの後に幼子の笑顔は歓びにきらめく。
「良い。ギュンター達を安心させて来なさい。」
いやっふう、とローゼマインは両手を差し上げ奇声を上げた。
「祈るでない!」
「祈りではありません、歓びの表現です!」
すぐさま空の魔石を額に当てて来たフェルディナンドに抗議しながらも、ローゼマインは唇を尖らせる事も無くふにゃふにゃとした笑みを続けて居る。
「今から興奮しては倒れるぞ。」
「それは困ります。」
フェルディナンドが淡い黄色に染まった魔石をちらりと見せ、膝に降りた手の甲を軽く叩くと、ローゼマインは大きく息をついた。
「下町の一角から祝福の光が溢れた場合。」
ギルベルタ商会がどの様な不幸に遭うか。その一言は出さずとも、ローゼマインは理解していた。
「解っております...。」
ふしゅん、と笑顔が萎れる。
「一応、対策は考えた。」
「お守りですか?」
ユストクスは大中小三つの木箱をローゼマインの前に並べ、蓋を開けた。
大と小の箱には大きさの違う腕輪状の魔術具がひと組ずつ、中の箱には首飾りが入っていた。どれも黒の魔石がずらりと並び、地金部分には繊細な模様が刻印されていた。
黒の魔石は魔力を吸い取る。意図的に魔力を抜いた空の魔石との違いは、魔力であれば属性やそれを持つものが何であれ関係なく吸い取る事、大きさの割に多くの魔力を注いでも飽和しにくい事が挙げられる。
「多少はお守りの機能も持たせてある。しかし、見ての通り、これは君の魔力を吸い上げる事を主眼として調合した。君が本気で魔力を放出すれば一溜りも無いであろうが、予期せぬ出来事であれば、一度は耐えると思われる。二度目を全て受け止められるとは考えず行動する様に。
両腕と両足は直に、首飾りは必ず留め具から下がる部分を服の下に入れておかねばならない。ヴィルマ等にはユストクスから伝えさせるが、君も気を付けておきなさい。」
つらつらと注意点を述べ、フェルディナンドは箱をユストクスの方へと押しやった。
「はい。きちんと装着出来ているか確認します。」
「秘密裏に行動せねばならない。木箱に隠れた君をユストクスに運ばせる。長い時間では無いと思われるが、その間、決して声を出さず、物音も立てない様に。ギルベルタ商会には既に連絡済みだ。
...次は春になるだろうが、我慢出来るか?」
「あの時とは違いますもの。辛くなったらフェルディナンド様がぎゅーして下さるでしょう? そうしたら寒くありません。」
「ならば良いが。
君は家族に、前の生を夢で見た事だと話したのだったな?」
「はい。」
「内容は詳しく語らぬままだと。」
「はい。」
ふむ、とフェルディナンドは濃紺の流れをローゼマインの肩を支える右手の指で弄び、空いた左手で柔らかな頬を撫でながら、暫し思考を組み上げた。
「では、事柄のひとつひとつは大まかに、余り衝撃を与えない程度に語りなさい。」
「むう、加減が難しいですね。」
「例えば、神殿での襲撃は省き、身食いであるから神殿の私を通じ貴族の実子として洗礼式をした、で良かろう?」
「もっと省略してもいいかも。全部ひっくるめて、悪い人に酷い事をされたとか? いや、それじゃダメだ。されそうになったくらいかな? それを助けてくれて、わたしの面倒を見てくれたのがフェルディナンド様。うん、これでいこう。」
不意に顔を上げたローゼマインは、そこに「言いたい事は解るな」とはっきり表情に出した魔王を見た。
フェルディナンドとの、ローゼマイン曰く「作戦会議」を終え、ローゼマインは三階の自室へと向かう。下町の建物よりも天井が高い貴族の邸に、案の定途中で息を切らせ、抱き上げられてしまったが。
入室してローゼマインを座らせ、扉の前でこちらにお召し換えをとユストクスに渡された衣装を広げて、ヴィルマとロジーナは眉を顰めた。
まず、刺繍も布も質が低い。以前に仕えていた主人は中級貴族で在ったが、その衣装と比べてもまだ低い。その上、使う布の量も少なく、とても貴族令嬢の衣装とは思えない。
これは何かの間違いだろうか、ユストクスに確認すべきかと二人で迷っていると、あら、とニコラが声を上げた。
「何時ものお召し物より、ずっとあっさりしてますね。まるでわたくし達の服みたいです。」
「ニコラ!」
モニカがニコラの袖を引く。
「え? でも、そうですよね?」
「ニコラは間違っていませんよ。」
椅子に座っていたローゼマインは、くすくすと、実に嬉しそうに笑いながら言葉をかけた。
「この衣装は、そうですね、秘密の任務の為の物なのです。ですから他言無用でお願いしますね。」
「ローゼマイン様がその様に仰るのでしたら。」
洗礼式もまだ先であるのに任務と告げられ、ヴィルマの眉が僅かに下がる。
「だから、こちらのお守りも必要になるのです。わたくしはまだ小さいですし、機敏に動く事も不得手です。それを案じたフェルディナンド様が、両腕と両足に装着する物と、更には首飾りまで作って下さったの。肌に触れていないとダメなのだそうよ。」
「こちらの首飾りもですか?」
「それは後ろの金具だけで良いそうです。」
「首飾り以外は随分と大きい様ですが、工夫をしなければならないのではありませんか。」
「魔術具ですから、身に着ければぴったりになります。」
「へぇっ、魔術具って便利なのですね!」
「ニコラ...。」
なんとも複雑な顔でモニカが呟いたが、口許を手で隠し笑い続ける主の前で、ニコラもにこにこと笑顔で首を傾げた。
薄い詰め物を施した箱に忍び、無事にローゼマインはギルベルタ商会へと届けられた。箱へ入る前に下町への潜入方法を訊ねたが、秘密ですとユストクスは笑った。
「マイン。何か大事な話があるんじゃないの?」
ローゼマイン、この場ではマインの顔を見た途端、エーファは言った。
やっぱり母さんは母さんだなあ。今回はわたしが出てすぐに離れたけれど、この人達はわたしの家族なんだ。前と同じに。
軽く息をついて、マインは答える。
「うん、ある。」
「何だ? 何かあったのか? 大丈夫か?」
ギュンターもマインの顔を確かめるように覗き込み、席に着く。
「大丈夫だよ、父さん。でもね、うん、とりあえず質問は全部聞いてからって約束してくれる?」
「あまり良い話じゃ無さそうだな。」
「ん~、どうだろう? 途中は色々とあるけど、最後は幸せになるから、そこは安心して。」
嘘じゃない。その色々が、とてつもなく大変だっただけで。
大変だったあれやこれやがマインの奥底から滲み出す。
「色々あるのね、やっぱり。」
トゥーリが、まるで大人の様に言った。
「トゥーリまでそんな顔しないでよ。言ったでしょ?最後は幸せだって。ちゃんと『そして二人は幸せに暮らしましたとさ』で終わるから。」
「なぁに、それ。」
「幸せで終わるお話の、決まり文句。」
「へぇー。」
「さ、母さん達はちゃんと聞くから、話してちょうだい。」
用意していた茶を卓上に並べ、エーファが座った。
あの記憶の中と同じ並び順だね。
ほわりと胸の内に温もりがともる。
「うん。ええとね、わたし、女神様に夢を見せて貰ったって話したでしょ。」
「熱を出してる間の事だな?」
「そうだよ。でも父さん、質問は後にして。わたし、洗礼式で貴族の子になる予定なのね。それですぐに、別の貴族の養子になって、領主一族になる。だけど、夢の中じゃ別の人の養子になってたの。」
「別の人の養子? どういうことだ?」
「だから質問は後にして、父さん。その夢だと、わたしね、悪い人に酷い目に遭わされそうになったり、領主にこき使われたりしたけど、全部フェルディナンド様が助けてくれてた。」
少し眉尻が下がる。
「貴族のお勉強も教えてくれて、今みたいに色々と面倒みてくれて、厳しいけど優しくしてくれて。」
あの頃って、下町の家族と離されて辛いと思ってたけど、結構楽しくて穏やかだったなあ。
苦いだけでは無かった時を振り返る。
「でもね、やっぱりわたしは平民だから、貴族らしくない事をいっぱいしちゃって、目立って、それでこの領地を欲しがってる人にフェルディナンド様を取り上げられちゃうの。別の領地に連れて行かれて、敵ばっかりの中で、味方は二人だけで、監視されて仕事を押し付けられて。
ほら、フェルディナンド様は頭が良くて強いから、ここに居ると邪魔なんだよ。」
ほんとに辛かったのはここからだ。顔に出ないように気を付けなくちゃね。出でよ、アウブ時代の仮面!
「わたしはわたしで、領主よりずっと偉い人達にまで目をつけられて、自分のお嫁さんにならないとフェルディナンド様がどうなっても知らないぞ、って脅されて。」
あ、駄目、怒りも抑えないと!
怒りと共に膨れ上がる魔力も抑え込み、箱にしまう。
「しかも、フェルディナンド様が連れて行かれた先で死んじゃいそうになってる、ってわかったから、わたし、他の人達を引き連れて、そこへ攻め込むの。だって、フェルディナンド様が危険だなんて黙ってられないもの。」
待って待って、トゥーリ、その目は何!? 解ってるけど、多分そう思ってるんだろうけど、何!?
あの、戦と戦の間の二日間、更にその中で慌ただしく行われた衣装の仮縫い。その際に見せたのと同じ生暖かいトゥーリの目に居たたまれない気持ちになりつつも、ローゼマインは先へと言葉を紡ぐ。
「どうにかフェルディナンド様を助けて、エーレンフェストも守って。」
フェルディナンド様が無事でなけりゃ、その後の幸せって無かった。
「もっと偉い人達も黙らせて、わたしね?」
そこで言葉を切ったマインは、ぐるりと家族を見渡した。
「そこの領主になっちゃった! で、成人して、フェルディナンド様をお婿さんにして、子供も出来て孫も生まれて、歳とって。」
そりゃまた色々はあったけどさ。そんなの、生きていれば普通にある色々だもん。普通じゃ無い事も有ったけど、ね。
「幸せにくらして、穏やかに死んだの。」
道連れにしたのはフェルディナンド様だけ。他の石は殆ど返して、二人で高みへ行ったっけ。なのに。
「とーこーろーが! 女神様が出て来て、今見た事を上手い具合に出来たらいいわよねって言うの! フェルディナンド様と頑張って、もっと良くしてねって! で、気が付いたら五歳なの! どーしよ、えええ、今までの苦労をどうしてくれるのよ、って気持ち、わかる?」
あっ、抑えてた怒りが解放されちゃう! でもこればっかりはメスティオノーラ様のせいよね、仕方ないよね? 仕方ないけど解放するのはちょっとで我慢しなきゃ。
「女神様が見せた、すごく長い夢みたいなものなんだろうけど、本当にあった事みたいに感じたんだもん。それが全部やり直し、って無いわ~!! そう思うよね!」
あの瞬間の絶望感は、筆舌に尽くし難いってこういう事かと思ったんだから!
「だけど、同じようにその夢を見たフェルディナンド様が、すぐに来てくれたでしょ。で、気付いたの、ああやっぱりフェルディナンド様は頼りになる、大好きなフェルディナンド様が来てくれたから大丈夫だ、って。」
「へぇ~、大好きなんだ? フェルディナンド様が?」
「あら、そうだったのね。」
トゥーリとエーファが含み笑いで言葉を挟み込む。
「え? あっ、えっ? そこ、聞き流して! 言わないで!」
「そのフェルディナンド様の養女になるのか? 確か、領主様の弟だったよな? だったら領主一族だろう? お嫁さんじゃなくて娘なのか?」
父さん、その複雑な顔は何!? 娘を嫁に出す父親の悲哀って奴!?
慌てて、上級貴族で騎士団長であるカルステッドの娘として洗礼式を上げるだろう事、そして、領主の伯父ボニファティウスが養父となるはず、とフェルディナンドと決めた計画を説明してから、マインは冷めた茶で渇いた喉を湿した。
「だからね、洗礼式の前くらいから、ここには来られなくなると思う。その先、何年も何年も、父さんにも母さんにもトゥーリにも、家族としては会える回数がほとんど無くなると思う。貴族と専属としてなら、顔は見られるけど、おしゃべりはできなくなるかもしれない。」
ふくりとトゥーリの目に、涙が珠となる。
「それは...大丈夫なのか? マインは。」
たった一人で貴族の中へ入って往く娘を案じる父親の、静かで硬い声。
「すごく辛いよ! すごく、すごく、辛くて悲しくて寂しいよ! でも、貴族って、平民なら何をしてもいい、って考えだから、わたしの所為でみんなに何かあったら、そっちの方が辛いもん。我慢出来なくなっても、フェルディナンド様が辛い気持ちを全部聞いてくれるから!」
大きく、肺も心も張り裂けそうになるまで大きく、マインは息を吸い、吐き出し、決意の笑顔を見せた。
「だからわたしは大丈夫。」
この言葉に嘘は無い。まるっきり、無い。何せフェルディナンド様と一緒だもの。
会心の笑みが自然と浮かぶ。
が、そこで急に、マインはあっと声を上げてほかりと口を空けたまま、一瞬固まった。
「忘れるとこだった! ねえ、前のうちの近所に、ルッツって男の子、居た?」
突然の話題変更に、家族は少し戸惑ってから、ルッツが誰であるか気付いた。
ぽつりぽつりとこぼれたトゥーリの涙に次は続かなかった。
「ディードの息子か?」
「うん、そう、ディードおじさんとカルラおばさんとこの末っ子。わたしと同い年の。その子、これからベンノさんの商会に入って、立派な商人になって、わたしの考えた物をたくさん作って売りまくってくれるの。」
トゥーリと結婚する、とまでは言わない方が良い。言ってさっきの仕返しをしたいけど!
「でも、ディードおじさんは大工でしょ?」
「うん、大工の子だよね。でも、とっても頑張って、なりたかった商人になるんだよ。夢の中で、そうだったんだよ。」
あの時と同じなら、ルッツはもう、旅商人になりたいと思っているかも知れない。
「だから助けてあげて欲しいの。」
「助けるって、本当にルッツがどう思ってるか、聞いてみなくちゃ出来ないでしょ。」
エーファが先走る娘の手綱を引く。
「うん、そうだね、ルッツの話を聞いてから、ルッツがやりたいって言ったらだよね。」
うんうん。だけど、ルッツの希望だけじゃ駄目だ。
「夢の中で、ルッツ、ディードおじさんとちゃんと話ができなくて、ケンカしてたんだよね。ディードおじさんって、照れ屋さんなのかな? 職人だからかな? 怒ってるみたいな言い方、する?」
「ああ、そうだなぁ。ディードは昔から、素直じゃないって言うか、ぶっきらぼうと言うか、そんな感じだな。」
それでよく喧嘩になったもんだ、とギュンターが苦笑いする。
「あ、やっぱり。子供には解らないよ、それ。だから、ちゃんとルッツに解るように、別の大人が間に入ると言うか、おじさんの考えてる事を子供に解るように話しをさせてあげて。」
マインも苦笑い。
「わたしからカルラに話してみようかしら。」
「う~ん、男同士の方がいいかもね。でも、ベンノさんじゃ駄目だと思う。ほら、商人って評判悪いでしょ?」
「確かにそうねぇ。ギルベルタ商会はそれほどじゃないけど、広がるのは悪い話ばかりだもの。」
「解った。ルッツがその気なら、俺が話してみよう。」
「父さんなら安心! お願い! でないと、夢の中と同じように、フェルディナンド様が出てきちゃうもん。」
は? と三人が首を傾げる。
「何でそこにフェルディナンド様が出て来るんだ?」
「ええっと、ちょっと大事になっちゃって、わたしが心配してたもんだから、『双方から話を聞かねばならぬ』って事になっちゃったの。ディードおじさんとカルラおばさん、ルッツとベンノさんを神殿に呼び出して。認めないなら一度孤児院に入れてベンノさんの養子にするって脅したりして。まあ、丸くおさめてくれたんだけどね?」
孤児院に入れる件はわたしの発案だったけど、それを話すと長くなるし。
気楽にそう考えたが、家族三人は顔色を変えた。
「お貴族様に脅されたの!?」
「そりゃあまた、生きた心地がしなかったろう。」
「ギュンター、それは絶対に駄目よ!」
「そうだよね~、貴族の前で、なんておっかないもんね~。眉間に皺を寄せて、『詳らかにしなさい』とかいわれたら、もっと怖いよねぇ。」
「そういう問題じゃないでしょ、マイン! 相手はお貴族様なのよ!?」
エーファが叱る。
あ、とマインは気付いた。今の言い方だと、貴族が平民から子供を取り上げて他の平民に与えようとした、ととれるのだと。
「ごめん、わたしの言い方が悪かった。フェルディナンド様には、本当にそうする気はなかったのよ。ただ、おじさんがあくまで反対して、ルッツに住み込み見習いになってでも商人になりたいって夢があるなら、そういう手も使えるぞ、それでいいのか、嫌ならちゃんと話をしろって脅したの!」
マインが両の手をふりふり振って説明する。
「そうだったのね。もう、脅かさないでちょうだい。」
ほう、と四人でため息をひとつずつ。
マインはううんと声を出しながら、両腕を上げて伸びをした。
「ああ、スッキリした!」
スッキリしたじゃないでしょ、とエーファが笑う。
そうだよねぇ、とトゥーリも笑う。
まったくだ、とギュンターも笑う。
そうかなぁ、とマインも笑った。


























元巫女ズが優しい😭 家族の頭が柔らかい🙂