春。桜が咲き誇る麗らかな昼下がり。
世界は光に溢れ、木漏れ日が踊るように地面を揺らしている。
爽やかな空気の中、人々は頭上を見上げながら思い思いの時間を過ごしていた。
そんな中、今日の授業を終え外に出かけようとしていた少女は、校門の前でふと立ち止まる。
彼女の視線の先には、自身のトレーナーが見知らぬ女性と話し込んでいる姿があった。
遠くから、親しげに話す二人の姿を見て、綺麗な眉根を寄せて立ちすくむ。
見た感じ、ただの知り合いというわけではなさそうだ。
嫌な予感がして、胸の奥が騒めく。
少女が一歩も動けずに固まっていると、そのうち女性は男に軽く手を振ってその場を立ち去った。
別れ際、女性がチラリと自分のことを見たように少女は感じた。
男が振り返り少女を見つける。
その視線を受けて少女の呪縛は解け、タタタッと男のもとに駆け寄った。
「トレーナーさん!」
「やぁ、グラス。お昼ご飯でも食べに行くのかい?」
「………いま話していたヒト誰ですか?」
少女は男の問いには答えず、逆に質問を投げかける。
常に大和撫子を規範としている彼女にしてはやや不躾な質問だったかもしれない。
男は少し逡巡したのち、なにか諦めたように苦笑した。
「ああ、あのヒトは元カノ。最近、仕事の都合で近くに引っ越してきたんだって」
「元カノさん………」
「で、また、たまに遊ばないかって言われた」
「へぇ………」
少女の不安が夏の雨雲のように急速に大きくなる。
心臓が早鐘を叩くように脈打ち、息が止まる。
それでも聞かずにはいられなかった。
「それで何とお答えしたのですか?」
「断ったよ。今更だし、忙しくてそんな暇はないからね」
男の答えはあっさりとしたものだった。
それを聞いて少女は思わずほっと息を吐き出し、そっと胸に手を当てた。
「そうですか…」
「気になる?」
男の言葉には少し意地の悪い響きが含まれていた。
少女にはそれがちょっと癪に障ったが、それよりも男の過去を知りたい興味のほうが勝った。
で、さりげなく探りを入れることにする。
「いえ、そんなことは………でも、彼女さんがいらしたのですね」
「まあ、学生時代にちょっとね」
「綺麗な方ですね?」
「そうかな?」
「どうして別れたのかお聞きしても?」
「うーん、些細なことで喧嘩して疎遠になって、そのまま就職して離れ離れになって、そのまんまって感じ。まあ、過去の話だよ」
「トレーナーさんが浮気したとか?」
「まさか」
男は思わず笑ってしまう。
真実は全くの正反対だったが、わざわざ少女に言うことでもない。
頭上の桜を見遣って続ける。
「見てわかるように、そんな甲斐性ないよ」
「トレーナーさんはカッコいいですよ?」
「そんなこと言ってくれるのは、グラスだけだよ」
そう言って男は「ははっ」と自嘲気味に笑う。
男はどうも自己評価が低い傾向がある、と少女は思う。
背は高く、顔も悪くない。
仕事では有能で、稼ぎもまずまず。
たまに口が悪くなるのが玉に瑕だが、基本的に優しく紳士的。
仕事はきっちりするのに、日常生活では少し抜けたところがあり、それがむしろチャームポイントになっている。
つまり、ほっとけないのだ。これでモテないわけがない。
母性本能をくすぐる何かを持っている。
そう考えを巡らせ少女は少しムッとするが、むしろこの際この流れを利用しようと考えた。
「そんなことはないと思いますが、それならそれで私としては好都合です」
「どうして?」
「ライバルは少ないほうがいいですから」
「言うね。俺のことが好きだって聞こえるよ?」
冗談かと思ったのか、男は可笑しそうに笑う。
しかし少女は澄ました顔で言い返す。
「そう言っているのですよ?」
男は少し驚いた様子で少女を見返す。
「マジか…」
「マジです」
「でも俺はトレーナーで、君は俺の担当だよ? 歳も結構離れてるし」
「トレーナーさんは素敵な男性で、私は普通の年頃の女の子です。歳の差なんて関係ありません」
「まあ、そうなんだけどさ。大人には色々都合ってもんが…」
「トレーナーさんは私のことお嫌いですか?」
「…ズバっと言ってくるね。正直に答えなきゃダメ?」
「はい。覚悟はできてます。本当のことを教えてください」
男は目を細めて少女の様子を窺う。
しかし少女は男を真っ直ぐ見て、決して視線を逸らさなかった。
やがて、男は諦めたようにふうと大きく息を吐き出した。
「グラスには敵わないな。じゃあ、本当のことを言うね?」
「はい…」
「俺は…」
「はい………」
「俺は君のことが好きだよ」
「っ! 本当ですか?」
少女の心臓がトクンと脈打つ。
先程とは違った意味で息が苦しい。
「もちろん。こんな関係じゃなかったら、とっくに告白してるくらいには好きだ」
「ならっ!」
「でも、グラスのことが好きすぎて、君をもっと大切にしたいんだ。恋は卒業してからもできるけど、ウマ娘としての君の輝きは今しか見れない。俺は君のトレーナーだ。その輝きを曇らすわけにはいかない。わかってくれる?」
「…………………」
「トレーナーさんは、卑怯です。そんなこと言われたら、引かざるをえないじゃないですか」
「大人は卑怯に出来てるんだ」
「その言い方も卑怯です」
「ははっ」
したり顔の男だったがしかし、恋の駆け引きに関しては少女の方が一枚上手だった。
「……でも、女の子は我儘な生き物なんですよ?」
「ん?」
「私がいつもおとなしいとお思いでしたら大間違いです…」
「えっ、ちょっ、グラス!」
不意ににじり寄り密着してくる少女に、男は思わずドギマギしてしまう。
「トレーナーさん。私もトレーナーさんのことが大好きです。出会った時からずっとお慕いしておりました…」
「待って、少し離れようか」
「ダメです。女の子の心を弄んだ罪は重いです」
「弄んだなんて、人聞きの悪い…」
「だから、今回はキスだけで許して差し上げます」
「待て待て、誰かに見られちゃ不味いだろ?」
「そんなの今更です。男女がこんなに密着しているのですよ? キスしようがしまいが、もはや手遅れです」
「……………………」
「…ほんと、君には敵わないな。」
「当たり前です」
「おでこでいい?」
「唇に……」
「ほっぺとか?」
「唇です」
「ほんとに?」
「ほんとです」
男はこの場をどう切り抜けようか迷ったが、そもそも男は少女のことが好きだった。
さきほど少女に告げた言葉に嘘はなかった。
それ故、少女を抱き止めた時点で勝負は決まっていたのだ。
「どうなっても知らねえぞ?」
「覚悟はできてます」
「ええいままよ!」
男のガサツな唇と、少女の柔らかな唇がふわりと重なる。
「………………」
「………………」
「満足した?」
「まだ足りません。もう一度お願いします」
「欲張りだな?」
「女の子は欲張りな生き物なんです」
頬を染めながらも、いたって真面目な様子で言い返す少女に思わず笑ってしまう。
こんな可愛い生き物が他にいるだろうか?
「ふっ、しゃーないな。大人のキスを教えてやる。覚悟しろよ?」
「はい…」
男は少女を抱き寄せ、その唇に二度目の口づけをした。
先ほどの触れ合うだけのキスではなく、お互いを求め合うような濃密なキス。
少女の体がビクリと震え、男の背中をぎゅっと抱きしめ、爪を立てる。
舌がそっと絡み合い、お互いの感触を確かめ合う。
溶ける。
と少女は思った。
刹那が永遠に感じるほどの、圧倒的に官能的な瞬間。
「あぅ♡」
飛びかけた意識が現実に戻ると、既に唇は離れており、愛しい彼が少女を見つめている。
「どうだ? 満足した?」
「トレーナーさん……」
「ん?」
「私、立ってられません……」
「お、おい、グラスっ! もう、世話の焼ける奴だな。ほら、抱えるぞ?」
「はい………トレーナーさん、大好きです」
男が辺りを見回すと、遠巻きにウマ娘たちが二人の様子を見守っていた。
ある者は頬を赤らめ、またある者は口に手を当てて隣の友達とヒソヒソ話をしていた。
「ほら、見せ物じゃないよ、どいてどいて!」
「トレーナーさんのお家に連れて行ってくれるのですか?」
「馬鹿言え。お前の寮だよ」
「遠慮しなくても…」
「遠慮じゃなくて、自分を守るためだよ」
「甲斐性なし」
「ほっとけ」
軽口を言い合いながらも、少女は男の首にまわす手にぎゅっと力を込める。
「トレーナーさんの腕の中はとっても暖かいです。ずっとこうしていたいくらい…………」
「まあ、大人になったら嫌になる程してやるから、今はこれくらいで勘弁な」
「大好きです…トレーナーさん……」
愛する男の腕に抱かれて、少女はスゥと意識を手放す。
「ったく、しょうがない奴だな………ま、可愛いからいいかぁ」
舞い散った桜の花びらが風に乗って少女の頬に着地する。
絵になる。と男は思う。
今後のことを考えると頭が痛かったが、後悔はしてなかった。
なるようになるさ。
男は黄色い歓声と揶揄い半分のヤジの中、少女を大事そうに抱きかかえながら寮に向けてゆっくりと歩きはじめた。
翌日、学園中がグラスワンダーとそのトレーナーの話題で持ち切りになったのは言うまでもない。
また、そのトレーナーがたづなさんにこっぴどく叱られたのもまた、言うまでもないことなのである。
それでもなお、この少女が幸せの絶頂にいたことは、言を俟たない。























前作に続き甘々なグラトレ ご馳走さまでした。 素晴らしい! 更なるご活躍を…。