ライダー陣営の仮拠点『マッケンジー家』
その家の古めかしい居間は、およそ聖杯戦争の最中とは思えないほどの、奇妙な熱気と混沌に包まれていた。
ウェイバー・ベルベットが施した、「暗示」の魔術。それによって、この家の主であるグレン・マッケンジーとマーサ・マッケンジーの老夫婦は、目の前にいる規格外の面々を、『最愛の孫であるウェイバーが連れてきた「賑やかな学校の友人たち」』として何一つ疑うことなく受け入れていた。
ライダー「ガハハハハ!美味い、美味いぞグレン!この東洋の美酒は、喉越しは清涼でありながら、腹の底にじんわりと熱い火を灯す。実にもって佳境の逸品よ!!」
巨体を窮屈そうに椅子の上に預け、どこで手に入れたのか「Admirable 大戦略」と大書された白いTシャツをパツパツに引き絞っているのは、征服王イスカンダルだった。
その丸太のような腕で湯呑みを掲げ、グレンが勧める日本の安酒を、まるで極上の神酒であるかのように豪快に煽っている。
グレン「そうだろう、そうだろう!いやあ、ウェイバーがこんなに体格の良い、話の分かる友人を連れてくるなんてな。ほら、まだまだあるから遠慮せずに飲んでくれ!」
グレンもお気に入りの熱燗の徳利を手に、白髭を揺らして実に嬉しそうに笑っている。暗示の力があるとはいえ、イスカンダルの持つ圧倒的なカリスマと人懐っこさは、老人の孤独を瞬く間に溶かし去っていた。
一方、その喧騒から少し離れた席では、純白のドレスを纏ったキャスター――アナスタシアが、上品にフォークを運んでいた。
アナスタシア「……素晴らしいわ、マーサ。この『ミートローフ』というの? お肉の旨味がしっかりと閉じ込められていて、ソースの酸味とのバランスが見事だわ。ロシアの宮廷で出されるものにも引けを取らない優雅な味ね」
マーサ「あらまあ、そんなに褒めてもらえるなんて嬉しいわ。可愛いお嬢さん、お代わりならたくさんあるからね」
マーサは顔をほころばせ、異国の美しい少女に次々と料理を勧めている。
アナスタシアは小さく微笑み、どこかおてんばな皇女の面影を残しながらも、実に優雅に舌鼓を打っていた。
しかし、そのさらに隣。そこだけは、言葉通りの意味で「異様な光景」が繰り広げられていた。
彦斎「――っ!?!?な、何よこれ……ッ!!!」
ガタタッ、と椅子を鳴らして立ち上がったのは、アサシンこと河上彦斎であった。
彼女の目の前にあるのは、並々と盛られた白いご飯と、そこにかけられた茶褐色のとろりとした汁――カレーライス。
幕末の世に生き、およそ現代のスパイス文化とは無縁だった人斬りにとって、それは未知の遭遇を通り越した「概念の暴力」だった。
彦斎「辛い……!?いや、ただ辛いだけじゃないわ、この奥深いコクと旨味、それに何種類もの香草が複雑に絡み合うこの風味は一体……!!お米との相性も恐ろしいほどに抜群じゃない……!!!」
一口食べた瞬間、彦斎の切れ上がった瞳が限界まで見開かれた。
普段の冷徹な人斬りの面影はどこへやら、彼女はスプーンを持つ手を止められなくなっていた。
彦斎「美味い……!美味すぎるわこれ……!!日の本の料理もここまで進化していたというの……!!?はぐ、もぐ……っ、おかわり!!マーサ、これのおかわりを頂戴ッ!!!」
バクバクと、凄まじい勢いでカレーを平らげていく和服の少女。その食べっぷりは、ある意味でライダー以上の迫力があった。
そんなサーヴァントたちの、あまりにも緊張感の欠片もない宴会の様子を、居間の隅で完全に魂が抜けたような顔で見つめている少年がいた。
ウェイバー・ベルベットは、頭を抱えて激しく小刻みに震えていた。
ウェイバー「コイツら……ただでさえサーヴァント3騎の同盟ってだけで、一気に他の全陣営を敵に回したんだぞ……? 明日には、時計塔のロードであるエルメロイ一派や、アインツベルン、遠坂、挙句の果てにはあの不気味なバーサーカーまで、一斉に僕たちを殺しにくるかもしれないっていうのに……!呑気にも程があるだろ……ッ!」
魔術師としての経験が浅い彼にとって、現在の状況は「世界の終わり」のカウントダウンが始まっているようにしか思えなかった。
そんな彼の肩を、ポン、と軽い手応えで叩く者がいた。
小町「まぁまぁ、ウェイバーくん!明日からは本格的に忙しくなるんだからさ、今のうちに食って飲んで鋭気を養うのも悪くないでしょ? ほら、小町特製のトッピング用チーズも持ってきたから、暗い顔してないで食べなよ!」
小町は、持ち前の快活な笑みを浮かべ、マーサの手伝いとして持ってきた粉チーズの容器をウェイバーの前に差し出した。
彼女のマスターとしての魔力量はアナスタシアを維持するのに十分なものであり、その精神的なタフさは、兄の八幡譲りの「修羅場への慣れ」を感じさせた。
ウェイバー「あのなぁ!これはお祭りや合宿じゃないんだぞ!? 命がけの聖杯戦争なんだ!」
小町「分かってるってば。でもさ、追い詰められた時こそ、美味しいもの食べて笑っておくのがうちの鉄則なんだから!はい、これお兄ちゃんの分ね!」
小町はウェイバーを軽く窘めながらも、流れるような動作でサーヴァントたちの輪へと入っていった。
「アナちゃん、これ入れるとマイルドになって美味しいよ!」「彦斎さん、福神漬けも忘れてもらっちゃ困ります!」と、瞬く間に場に溶け込み、宴会の中心地をさらに賑やかにしていく。
ウェイバーはその様子を呆然と見送り、それから、いつの間にか自分の隣に腰を下ろしていた男に視線を向けた。
比企谷八幡は、湯気の立つ緑茶を少しずつ啜りながら、小町が笑っている姿を静かに見つめていた。
その目は相変わらず腐っていたが、どこか深い安堵のようなものが混ざっている。
ウェイバー「……お前の妹、緊張感ってものがないのか?」
ウェイバーの不機嫌そうな問いかけに、八幡は自嘲気味な笑みを浮かべて肩をすくめた。
八幡「いや、あんなんでもあいつなりに気を張ってんだよ……俺も小町もさ、親を亡くしてからは、こんな風にみんなでワイワイ、和やかに過ごすこともなくなっちまったからな」
どこか寂しげにそうポツリと呟く八幡の言葉に、ウェイバーはハッとして言葉を詰まらせた。
夜の倉庫街で聞いた、彼らの目的。
魔術師殺し――衛宮切嗣への復讐。
彼らの両親は、魔術師たちの勝手な都合と戦いの巻き添えになって命を落としたのだ。
八幡「あいつらの前じゃ絶対に言わねえが……あの征服王の馬鹿げた豪快さも、あの人斬り娘の呆れるほどの食いっぷりも、あの皇女様の場違いな高貴さも……今の小町にとっては、少しだけ、救いになってるんだと思う。だからさ……ウェイバーだっけか。今くらいは……羽目を外させてやってくれよ」
八幡はそう言って、残りの茶を胃に流し込んだ。
その横顔には、年相応の少年としての弱さと、復讐を誓ったマスターとしての冷徹な覚悟が同居していた。
ウェイバーは、何とも言えない感情が胸の奥から突き上げてくるのを感じた。
自分は、時計塔の連中に自身の才能を認めさせたいという、極めて自己中心的な理由でこの戦いに参加した。
しかし、目の前の兄妹は、奪われた日常の代償を、命を懸けて取り戻そうとしている。
ウェイバー「……フン。勝手にすればいいさ。僕の知ったことか」
ウェイバーはプイと顔を背け、何とも言えず大きいため息をついた。
だが、その手は先ほど小町が置いていった粉チーズの容器へと伸び、自身の取り皿のカレーに少しだけ振りかけていた。
ライダー「おい、坊主!八幡!何を隅でコソコソと湿気た面をしておるか!宴の主役は若者ぞ!こっちへ来て余と盃を交わせ!」
イスカンダルの雷鳴のような声が、二人の静寂を容赦なく踏み荒らす。
ウェイバー「ちょ、ちょっと、おい引っ張るなよライダー!!」
小町「ほらほら、ウェイバーくんもこっちこっち!」
小町とイスカンダルに左右から腕を引かれ、ウェイバーは成す術なく混沌の渦へと引きずり込まれていく。
八幡もまた、彦斎から「八幡、このカレーっていうの、食べないなら貴方の分も奪っていいかしら!?」と刀を抜きかねない勢いで詰め寄られ、「おい待て、それは俺の飯だ…」と、否応なしにその輪に加わることになった。
外の闇では、衛宮切嗣をはじめとする他の陣営が、この最悪の同盟を崩壊させるべく冷酷な牙を研ぎ澄ませている。
しかし、このマッケンジー家の小さな居間に流れる温かな灯火と、響き渡る笑い声だけは、確かに彼らの絆を、そして狂い始めた聖杯戦争の運命を、誰も予測し得ない方向へと加速させていた。
賑やかだった宴の余韻を残したまま、マッケンジー家の老夫婦が二階の寝室へと引き上げると、一階の居間には途端に張り詰めた空気が舞い戻ってきた。
障子が閉め切られた和室の中央、座卓の上に広げられたのは、ウェイバーが用意した冬木市の詳細な地図と、小町が手際よく書き込んだ各陣営の目撃情報が記されたメモである。
先ほどまで大真面目にカレーのおかわりを要求していた河上彦斎は、すでに人斬りとしての鋭利な気配を取り戻し、壁際に音もなく佇んでいる。
アナスタシアもまた、膝の上のヴィィを撫でながら、その凍てつくようなオパールの瞳を地図へと落としていた。
八幡は、冷めかけた緑茶の湯呑みを指先で弄びながら、腐った目をさらに細めて口を開いた。
八幡「――よし、それじゃあ今後の作戦を詰める。まず、結論から言うが……ランサー陣営は、今はまだ完全に放置でいい。指一本触れるな」
ウェイバー「なっ……放置だって!? おい八幡!何を言ってるんだ! ?あのランサーはセイバーを追い詰めたかなりの強敵だぞ!二本の魔槍に、あの身のこなし……早めに叩いておかないと、後々面倒なことになる……!それに、ランサーのマスターは、時計塔のロード、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトだぞ!? 魔術戦においてあの男の右に出る者なんてそういない! あんな危険な陣営を野放しにするっていうのか!!?」
ウェイバーが座卓を叩かんばかりに身を乗り出す。時計塔で散々その威圧感に怯えさせられてきた彼にとって、ケイネスは恐怖そのものだった。
しかし、八幡は鼻で小さく笑い、首を横に振った。
八幡「落ち着けよ、ウェイバーくんよ。戦場の状況を俯瞰で見ろよ。あの倉庫街の戦いで、ランサーの黄槍――『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』は、確実にセイバーの左手を貫いた。あれは受けた傷の治癒を完全に阻害する呪いの宝具だ。だろ?」
ウェイバー「あ、あぁ……それはそうだけど、それがどうしたって言うんだ?」
八幡「つまり、今のセイバーは左腕が満足に動かせない、決定的な弱体を喰らってる状態だ。そしてその呪いは、ランサーが生存している限り、あるいはあの槍が存在している限り絶対に解けない……もし今、俺たちがランサーを親切丁寧に倒してやったらどうなる?」
八幡の問いに、ウェイバーは言葉を詰まらせ、それからハッと目を見開いた。
ウェイバー「………呪いの供給源であるランサーが脱落すれば、セイバーの左手の呪いが解ける……!?」
八幡「その通り。あの騎士王様が万全の状態で暴れ回る方が、俺たちにとっては遥かに都合が悪い。ランサーをやるのは、セイバーを完全に潰した後だ……これに異論がある奴は?」
八幡が視線を巡らせると、イスカンダルは面白そうに髭を撫で、彦斎はフッと口元を綻ばせた。
彦斎「ふふ、相変わらず性格が悪いわね。でも、戦理としては完璧よ。武人の弱みを逆手に取るなんて、幕末の長州の奇兵隊でもそこまで徹底していなかったわ」
八幡「褒め言葉として受け取っておく……で、次だ」
八幡は地図の一角、アーチャー陣営がいるであろう遠坂邸のある場所をトントンと叩いた。
八幡「問題は、あの黄金のアーチャーと、漆黒のバーサーカーだ。初戦の小競り合いを見た限り、あの二騎の火力は桁が違う。特にアーチャーのあの無限の宝具掃射は、正面から相手にするにはリスクが高すぎる……三同盟で総力を挙げれば押し切れるかもしれないが、そんな消耗戦は御免だ。だから、万が一の保険を打つ」
ウェイバー「保険……? あいつを相手に、どんな保険があるって言うんだよ」
八幡「バーサーカーのマスター、『間桐雁夜』と接触する。そんで、彼とも手を結ぶか、あるいは――奴の弱みに漬け込んで、バーサーカーの主導権をこっち側に引き渡させる」
その冷酷な提案に、ウェイバーは椅子から転げ落ちそうになった。
ウェイバー「ば、馬鹿な!!?間桐と言えば、この冬木の霊脈を管理する御三家の一つだぞ!? そんな一角の魔術師が、僕たちみたいなのと同盟を組むわけがないし、ましてやサーヴァントの主導権を渡すなんて――!!」
八幡「……いや、何とかなるかもしれない」
八幡はウェイバーの言葉を遮り、懐から一枚の古びた、しかし詳細に調べ上げられた間桐家の調査資料を座卓に放り出した。
八幡「俺と小町は、この街に来てから衛宮切嗣の足取りを追う過程で、冬木の魔術師連中の身辺を徹底的に洗った。その過程で、間桐の現状も掴んでる……あそこの現当主のジジイは狂ってるが、今代のマスターである間桐雁夜って男は、魔術の世界を嫌って一度は出奔したド素人だ。それが何故か、今回の聖杯戦争の直前になって実家に戻り、急造のマスターとして仕立て上げられた」
小町「そうそう! しかもね、あのバーサーカーのマスターの魔力供給の波形、めっちゃくちゃ歪んでるの!まるで自分の命をガリガリ削りながら、無理やり狂戦士を繋ぎ止めてるみたいに……あのおじさん、もう長くは持たないよ」
小町が真剣な表情で付け足すと、アナスタシアも静かに頷いた。
アナスタシア「ええ。あれは魔術師の契約というより、呪いによる強制的な使役ね。彼の肉体はすでに限界を迎えているわ。精神的にも、何か強い執着……あれは憎しみか、あるいは誰かを救いたいという狂信に囚われている。そこを突けば、容易に揺らぐはずよ」
八幡「素人が、命を削ってまで戦場に立ってる。そこには必ず、交渉の余地になる『弱み』がある。最悪、奴の目的を俺たちが代わりに叶えてやるという条件でもいいし、肉体の限界を盾に脅してもいい。バーサーカーという最強の鉄砲玉を味方に引き入れるか、少なくともアーチャーにぶつける駒としてコントロールできれば、アーチャー陣営への最大の対策になる」
ウェイバーは、八幡の淀みない、そして徹底して『人間の弱点』を突く戦略に、背筋が寒くなるのを禁じ得なかった。
これが、ただの『執念』だけでここまで這い上がってきた人間の思考なのかと。
ライダー「ハッハッハ! 泥臭くも確実な策略だな、八幡よ! 王の戦いとしては些か陰湿に過ぎるが、奇策としては上々よ。余は一向に構わんぞ!」
イスカンダルが豪快に八幡の肩を叩く。八幡は顔をフンッしかめながらも、地図のアインツベルンの広大な森へと視線を移した。
八幡「……よし、外堀の埋め方は決まった。となれば、まずは真っ先に潰すターゲットを確定させる――狙うのは、手傷を負い、万全ではないセイバーだ」
その言葉に、居間の空気が一気に張り詰めた。
ウェイバー「っ……!やっぱり、そう来るか。だ、だけどさっきも言っただろ!? いくら手傷を負って左腕が使えないかといっても、相手は『最優』と称されるセイバーのクラス、しかもあの騎士王だ!それに、僕たち3同盟が結託したことで、アインツベルン側も当然、警戒を最大級に強めて防衛陣地を固めてるはずだ!それに……」
ウェイバーは一度声を潜め、怯えるように八幡を見つめた。
ウェイバー「……お前たちの本当の標的である、あの魔術師殺し――衛宮切嗣が、背後から僕たちの首を狙って潜んでる可能性だってあるんだ!そんな三重苦の状況で、どうやってセイバーを誘い出してどうやって仕留めるつもりなんだよ!?」
魔術師としてのセオリーからすれば、敵の本拠地であるアインツベルンの森に正面から攻め入るなど自殺行為でしかなかった。
しかし、八幡の唇は、邪悪とも言える不敵な弧を描いていた。
八幡「誘い出す必要なんてないさ、ウェイバーくん。向こうが籠城するつもりなら………その上から、『こっちの城』で完全に包み込んで押し潰せばいいだけの話だ」
「……は?『こっちの城で包んで、押し潰す』……?」
呆然とするウェイバーの横で、それまで静かに紅茶を嗜んでいたアナスタシアが、いたずらが成功した子供のような、酷薄で美しい微笑を浮かべた。
アナスタシア「ええ。私の宝具――『残光、忌まわしき血の城塞(スーメルキ・クレムリ)』。これを使えば、アインツベルンの広大な城ごと、空間をそっくりそのまま私の『城』で上書きして、隔離することが可能よ」
八幡「それだけじゃない」
八幡は不敵に笑う。
八幡「さっき、ここに来る道すがら、ライダーから教えてもらっただろ?アンタの隠し玉……数万の英霊の軍勢を召喚する固有結界――『王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)』を」
ライダー「うむ!我が覇道を共に駆けた、我が不滅の軍勢よ!!」
イスカンダルが胸を張る。
八幡「その2つの宝具を、完全に噛み合わせる
……アナスタシアの『城塞』によって、セイバーを外部の支援(遠隔地にいる衛宮切嗣の狙撃)から完全に遮断し、孤立無援の閉鎖空間を作る。そして、その『城塞の内側』という限定された戦場に、ライダーの『王の軍勢』を容赦なく展開するんだ」
八幡の提示した複合戦術の全貌に、ウェイバーは目を見開き、言葉を失った。
ウェイバー「な、な、な、な………なんだよそのデタラメなハメ技は……!?!?そんなことをされたら、あの最優のセイバー、騎士王でも……左手の怪我で碌に剣が振えない状態で、キャスターの城とライダーの固有結界の二重の檻の中で、数万の兵力の前に一歩も動けずに圧殺される……!!!」
八幡「そう、最優の英霊を相手に、まともに騎士道精神でお付き合いしてやる義理はない。徹底的な物量と空間支配で、指一本動かせさせずにハメ殺す……それが俺のやり方だ」
八幡は冷酷に言い放ち、それから、湯呑みをテーブルの上に置いた。
その腐った魚の目の奥に、かつてないほどの、ドロドロとした濃密な「殺意」が陽炎のように揺らめく。
八幡「それに……セイバーをその複合結界にハメて圧殺するのも目的の一つだが……俺たちには、衛宮切嗣を確実にヤる一手として、もう一つ、同時に仕掛けるべきことがある」
ウェイバー「も、もう一つ、仕掛けるべきこと……?」
ウェイバーがいぶかしげに八幡を見る
八幡は立ち上がり、窓の外、衛宮切嗣が潜んでいるであろう冬木の街の闇を睨みつけた。
八幡「奴は『魔術師殺し』だ。サーヴァント同士のまともな正面衝突の裏で、必ずマスターの命を搦め手で狙ってくる。だったら――その奴の『本質』を、こっちもそっくりそのまま逆手に取って、致命的な罠に変えてやるのさ……」
比企谷八幡の冷徹な宣戦布告が、マッケンジー家の居間に重く響き渡る。
復讐の歯車は、標的たる衛宮切嗣の首筋へと、確実にその狂った狂気の手を伸ばし始めていた……
〜数日後〜
冬木市の北西に広がる、昼なお昏い鬱蒼とした原生林。
その最深部に鎮座するアインツベルンの古城は、この極東の地に持ち込まれた西欧の歪な異界そのものだった。
だがその日、静寂を切り裂いて飛来した神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)の轟音と共に、アインツベルンの広大な結界はその前提からひび割れることとなる。
紫色の雷光を撒き散らしながら前庭へと着陸した戦車から、巨体を揺らして降り立ったのは征服王イスカンダル。その傍らには、半ば白目を剥いて戦車の縁に縋り付くウェイバー・ベルベット、そして、現世のコートを羽織りながらも、その瞳に昏い復讐の炎を隠し持った比企谷小町と、純白のドレスを翻すキャスター――アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァが静かに佇んでいた。
城の重厚な鉄扉が開き、姿を現したのはアインツベルンのホムンクルス、アイリスフィール・フォン・アインツベルン。そして、その前に立ち、風を纏う見えない剣を構えて鋭い眼光を放つ、藍色のドレスの騎士王――セイバーであった。
セイバー「ライダー……!!キャスターを伴って、わざわざ我が拠点にまで攻め込んできたか!!」
ライダー「そう硬くなるな、騎士王よ。今宵は刃を交えに来たのではない。ただな、聖杯を求める王ともあろう者が、互いの器も知らぬまま殺し合うのはいかにも無粋。故に、どちらが聖杯を手にするに相応しいかを決める『宴』――すなわち『聖杯問答』の誘いに参ったのだ」
セイバー「聖杯問答、だと……?」
ライダー「然り。美味い酒と、王としての言葉を交わそうという腹づもりよ。まさか、受ける度胸もないとは言わんまい?」
イスカンダルがドサリと足元に置いたのは、どこかで掠め取ってきたであろう大きな酒樽だった。
あまりにも無礼、かつ戦場にあるまじき暴挙。
だが、セイバーはその傲岸な提案に眉をひそめつつも、王としての誇りからそれを無視することはできなかった。
セイバー「……よかろう。その誘い、受けて立つ」
アイリ「セイバー……!」
心配そうに声を上げるアイリスフィールを宥めるように、セイバーは頷いた。
満足そうに頷くイスカンダル。しかし、その傍らに佇んでいた純白の皇女――キャスターのアナスタシアが、冷ややかな視線でアインツベルンの古城を見上げ、不満げに小さなため息を漏らした。
アナスタシア「……それにしても、随分とまぁ、陰気で趣味の悪いお城ですこと。いくら格式だけは立派でも、これでは『宴の舞台』には到底ふさわしくありませんわ」
アイリ「な、何ですって……!?」
アイリスフィールが気色ばむよりも早く、アナスタシアは静かに自身の繊細な指先を虚空へと掲げた。その膝の上で、異形のぬいぐるみ――ヴィィが、その悍ましい魔眼をぎらりと見開く。
アナスタシア「……だから、少しだけ私好みに『模様替え』をさせてもらうわ。――集え、我が怨嗟。凍てつけ、我が血脈。顕現せよ――『残光、忌まわしき血の城塞(スーメルキ・クレムリ)』」
きぃん、と空間が凍りつくような清澄な音が森全体に響き渡ったーー次の瞬間
アインツベルンの古城を取り囲む大気が、一瞬にして絶対零度の吹雪へと変貌する。
アイリスフィールが「これは……結界の上書き!!?」と驚愕の声を上げた時には、すでに遅かった。
アインツベルンの城が、堅牢な魔術工房の壁が、内側からボロボロと崩れ落ちるように変色し、代わりに、圧倒的な威容を誇る、凍てついたロシア帝国の「城塞」へと姿を変えていく。
白銀の雪を戴く尖塔、血のように赤いレンガの壁、そして室内に張り巡らされた、見る者を圧倒する豪華絢爛な調度品。
それは、アナスタシアがかつて過ごし、そして命を落とした、ロマノフの象徴たる城そのものであった。
セイバー「くっ……宝具の展開か!謀ったな、キャスター!!」
瞬時に臨戦態勢をとるセイバー。だが、アナスタシアは両手に持つヴィィで口元を隠し、クスリと妖艶に微笑んだ。
アナスタシア「滅相もない、宴の席でそんな無粋な真似はしないわ。この城塞は、ただ私たちが心地よく過ごすための庭園に過ぎないもの。それとも……かの高名な騎士王陛下は、この程度の演出に臆して、一歩も動けなくなってしまわれるのかしら?」
あからさまな挑発。
騎士としての矜持を激しく刺激され、セイバーの頬が怒りで赤く染まる。
セイバー「……っ!臆するなど、有り得はしない!良いだろう、貴殿の用意したその舞台、踏み越えて見せよう!」
そう言って、セイバーは不安げなアイリスフィールを伴い、自ら進んで城塞の奥へと足を進めていった。
その背中を見送りながら、比企谷小町はふっと、気づかれないように唇の端を吊り上げた。
小町「(……うん、お兄ちゃんの作戦通り。完璧に罠にハマってくれた。やっぱりプライドの高い王様って、ちょっと小突つくだけで簡単に釣れて……せいぜい、その高いプライドのまま、絶望してね?)」
小町の瞳には、快活な少女のそれとは全く異なる、昏く冷徹な「復讐者」の光が宿っていた…
白銀の城塞の中庭。
氷のテーブルを囲み、イスカンダルが豪快に木杓で酒を汲み、セイバーの器へと注ぐ。アナスタシアはその傍らで、優雅に硝子の杯を傾けていた。
ウェイバーと小町は、そしてアイリスフィールは、それぞれのサーヴァントの背後に控え、張り詰めた空気の推移を見守っている。
そして、遂に『聖杯問答』が始まり、セイバーが、まず口を開いた。
セイバー「ライダー、貴様は聖杯を『手に入れる』と言っているが、万能の願望機たる聖杯に、一体何を願う?王たる者の欲の形、まずは聞かせてもらおう」
ライダー「……受肉だ」
セイバー「……は?受肉、だと……?」
ライダーが、自らの聖杯にかける願いをあっさりと口にした瞬間、セイバーが信じられないものを見るかのように目を細める。
ウェイバー「お、お前!?望みは世界征服じゃなかったのかよ!!?」
ライダー「馬鹿者。幾ら魔力で現界しているとはいえ、所詮我等はサーヴァント。余は転生したこの世に一個の命として根を下ろしたい。身体一つで我を張って、天と地に向かい合う……それが、征服という行いの全て!そのように推し進め、自らで成し遂げてこその、我が覇道なのだ!」
ライダーのその豪快な言葉に、アナスタシアも自身の細い指先で杯を弄びながら、静かに、しかし確かな意志を込めて続けた。
アナスタシア「私も征服王のその願いには共感出来るわ。征服王の世界征服に付き合う傍ら、様々な世界を見て周り、写真に収めるのも悪くはないもの。それに……私の死後、今のロシアが、私の愛した祖国がどんな歴史を築いてきたのか、この眼で確かめてみたい……だから私も、同じく『受肉』を願うわ」
彼女の願いには、かつて若くしてすべてを奪われた少女としての、切実な、しかし一国の王族としての誇りが混ざり合っていた。
だが、2人の言葉を聞いたセイバーは、深い失望を隠せないように首を振った。
セイバー「……そんなものは、王の在り方ではない」
セイバーのその瞳には、私欲のために万能の願望機を欲する二騎への、明確な蔑みが含まれている。
ライダー「ほぅ?では貴様の胸のうちを聞かせてもらおうか?」
イスカンダルが促すと、セイバーは凛とした威厳を以て、胸を張り、自らの聖なる誓いを口にした。
セイバー「私は………我が故郷の救済を願う。万能の願望機を持ってして、ブリテンの滅びの運命を変える」
セイバーが、自身が聖杯にかける願いを口にした瞬間。
白銀の城塞を吹き抜ける風が、一時に止まったかのような静寂が訪れた。
イスカンダルの顔から、そしてアナスタシアの顔から、先ほどまでの穏やかさが綺麗さっぱりと消え失せる。
そこに残されたのは、圧倒的なまでの『失望』と『落胆』だった。
ライダー「……なぁ騎士王?貴様今、運命を変えると言ったか?それは過去の歴史を覆すと言うことか?」
イスカンダルの声音から、明確な覇気が引いていく。
それは、目の前の存在を「対等な王」と認めることを辞めた証左だった。
セイバー「そうだ、たとえ奇跡を持ってしても、かなわぬ願いだろうと、聖杯が真に万能であるのならば必ずや……!」
アナスタシア「……セイバー。貴女、よりにもよって自らが歴史に刻んだ行いを否定するというの?」
今度はアナスタシアの、底冷えするような声が響いた。氷の皇女の瞳には、哀れみすら混じっている。
セイバー「そうとも、何故訝しがる?」
セイバーは激昂し、立ち上がって眼前の二騎を睨みつける。
セイバー「剣を預かり、身命を捧げた故国が滅んだのだ。それをいたむのがどうしておかしい!?王たるものならば、身を挺して、治める国の繁栄を願うはず!」
彼女の掲げる理想は立派だ。
しかし、理想は理想である。
追い求めるのもよいが、追いつけばそれは地獄を生み出す事にもなる。
征服王であるライダーが、騎士王の理想を正面から斬り伏せた。
ライダー「いいや違う。王が捧げるのではない。国が、民草がその身命を王に捧げるのだ。断じてその逆ではない」
イスカンダルの苛烈な一喝が、氷の空間を震わせる。
セイバー「何を……それは暴君の治世ではないか!」
ライダー「然り、余は暴君であるが故に英雄だ。だがな、セイバー。自らの治世をその結末を悔やむ王がいるとしたら、それはただの暗愚だ。暴君よりなお始末が悪い」
己の願い、民や国に自身を捧げる生き方や考えを否定されたセイバーが立ち上がって噛みつく。だが、ライダーは一切動じず、自分の掲げる王としての在り方を淡々と騎士王に告げる。
セイバー「イスカンダル、貴様とて世継ぎを葬られ、築き上げた帝国は3つに引き裂かれて終わったはずだ!」
セイバーは食ってかかり、さらにその矛先をロマノフの皇女へと向けた。
セイバー「それに、アナスタシア、貴女も……!その結末に、貴様達は何の悔いもないというのか!?」
問われた二騎の答えは、寸分の狂いもなく重なった。
ライダー「ない」
アナスタシア「ないわ」
あまりにも短い、断固たる拒絶。
ライダー「余の決断、余に付き従った臣下達の生き様の果てに辿り着いた結末であるならば、その滅びは必定だ。悼みもしよう。涙も流そう。だが決して悔やみはしない」
セイバー「そんな……」
呆然と立ち尽くすセイバーに、イスカンダルは冷酷なまでの現実を突きつける。
ライダー「ましてやそれを覆すなど!そんな愚考は、余と共に時代を築いた全ての人間に対する侮辱である!!」
彼の語る決意と潔さ、何より臣下に対する彼の考え方がセイバーとは大きく違ったのだ。彼の気迫にセイバーは少し押される。
セイバー「滅びの華を誉れとするのは武人だけだ!」
だがセイバーは声を荒らげ、自らの理想を叫ぶ。
セイバー「力無きものを護らずして、どうする!?正しく統治し、正しく尽くせ。それこそが王の本願だろう!!」
ライダー「……それで、貴様は正しさの奴隷か」
セイバー「それでいい。理想に準じてこそ王だ」
ライダー「……そんな生き方は人ではない」
ライダーが心底呆れた様子を見せ、セイバーがさらに自身の王道を熱く語る。
何故相手はそれを理解しないのか、それは自分も相手を理解していない事に気が付いていない騎士王。
イスカンダルの言葉に、セイバーは侮蔑を込めて言い放った。
セイバー「王として生きるなら、人の生き方など捨てねばならない。征服王よ、高々わが身の可愛さのあまり、聖杯を求めるという貴様には分かるまい。あくなき欲望を満たすために覇王になった貴様などには!!!」
ライダー「無欲な王なぞ飾り物にも劣るわいッ!!!!」
イスカンダルの怒号が、城塞の氷壁をびりびりと震わせた。
彼女の言葉は、ついにライダーの怒りにも触れたらしい。威厳溢れる声を荒げ、騎士王であるセイバーに征服王の持論を正面からぶつける。
ライダー「セイバーよ、理想に殉じると貴様は言ったな。なるほど往年の貴様は清廉にして潔白な聖者であったことだろう。さぞや高貴で侵しがたい姿であったことだろう。だがな、殉教などという茨の道に、いったいだれが憧れる? 焦がれるほどの夢を見る? 王とはな、誰よりも強欲に、誰よりも豪笑し、誰よりも激怒する、清濁含めてヒトの臨界を極めたるもの。そう在るからこそ臣下は王を羨望し、王に魅せられる。一人一人の民草の心に、我もまた王たらんと憧憬の灯が燈る!」
彼の語る王は、セイバーの語る王とは別物だ。
セイバーの掲げる王とは、正しき行いをする理想の王。ライダーの掲げる王とは、憧れの象徴。
騎士王は理性によって統治し、征服王は欲によって征服する。
そんな生き方の違う二人であれば、話がまとまる筈はない。
激しい征服王の言葉の余韻の中、アナスタシアが静かに立ち上がり、ドレスを揺らしてセイバーの前に歩み出た。
その瞳は、絶対零度の冷徹さと、自らの歴史を背負った重みで満ちていた。
アナスタシア「……セイバー、貴方のその歪んだ理想主義には、反吐が出るわ…」
セイバー「何だと、キャスター……!!?」
アナスタシア「自らの治世を、歴史を、無かったことにしたい?――ふざけないで。確かにわたくしだってね、革命によって使用人共々、一家虜囚の身となったわ……そして、たった17歳で、暗い地下室で、理由もなき私刑によって家族全員惨殺された……悔しかった、悔しかったわよ!私はただ、大切な家族と幸せに暮らしていたかった、ただそれだけなのに!どうして私たちがこんな目に遭わなければならないのかと、神すらをも呪ったわ…!!」
その悲痛な過去の告白に、アナスタシアの激しい感情の吐露に、セイバーもアイリスフィールも息を呑む。
だが、アナスタシアの言葉はそこでは終わらなかった。
アナスタシア「………でもね騎士王。どんな国も、どんな英雄や偉人、王族でも、いつかは滅びる運命にあるのよ。それが例え、どんなに理不尽で残酷な末路であろうとも………それにね。帝国が滅んだ後も、ソビエトとなり、今のロシアとなり、我が故国は強く誇り高い国として今も激動の歴史を生き残っている。そのロシアが歩んだ軌跡、私たちロマノフ家が滅んだ後民たちが血を流して築き上げてきた歴史を……私個人の、たかが一人の女の『やり直したい』、『なかった事にしたい』という身勝手な願いのために無碍にするというの? ……征服王の仰る通り、そんなものは、ロシアという国そのもの、そしてそこで生きて、死んでいったすべての人々への、最大の侮辱だわ!!!」
アナスタシアの苛烈な言葉は、セイバーの胸に深く突き刺さる。
セイバー「キャスター……貴女は、怨恨すらも肯定するのか……!!」
アナスタシア「肯定ではないわ、誇りよ。歴史を背負う覚悟もない者が、王を名乗るなど片腹痛いわね」
アナスタシアが冷たく言い放つと、イスカンダルは完全にセイバーへの興味を失ったように、深くため息をついた。
ライダー「騎士どもの誉れたる王よ。たしかに貴様が掲げた正義と理想は、ひとたび国を救い、臣民を救済したやも知れぬ。それは貴様の名を伝説に刻むだけの偉業であったことだろう……だがな、ただ救われただけの連中がどういう末路を辿ったか、それを知らぬ貴様ではあるまい?」
セイバー「それは……」
ライダー「貴様は臣下を救うばかりで、導くことをしなかった。王の欲の形を示すこともなく、道を失った臣下を捨て置き、ただ独りで澄まし顔のまま、小綺麗な理想とやらを想い焦がれていただけよ。故に貴様は生粋の王ではない。己の為でなく、人の為の王という偶像に縛られていただけの……小娘にすぎん」
それは決定的な一撃だった。
セイバーは言葉に詰まり、二の句を告げない。
セイバーの頭に浮かぶ情景は、己が滅びの象徴であるカムランの丘。そこで自身と共に戦った騎士たちが殺し合い、屍が積み上がった光景。
自身の理想に殉じた結果、理想とは真逆の滅び。
イスカンダルは立ち上がり、腰のスパタの柄に手をかける。
「……セイバーよ。宴の最後の問いだ……そも、王とは孤高なるや否や?」
セイバーは、それでも自らの剣を握り直し、プライドを振り絞った。
セイバー「……王ならば、孤高であるしか……ない!!!」
震える声で、それでも自らの生き様を肯定しようと叫ぶセイバー。
しかし、ライダーは深く、深く落胆したように首を振った。
ライダー「………駄目だな。全くもってわかっておらん。そんな貴様には今ここで、余が真なる王の姿を見せつけてやらねばなるまいて…!!!」
ライダーが拳を握りしめ、魔力を爆発させる。
アナスタシアの『城塞』の空間が、内側から激しく歪み、熱い砂交じりの風が吹き荒れた。
ライダー「ここは、かつて我が軍勢が駆け抜けた大地。余と苦楽を共にした勇者たちが等しく心に焼き付けた景色だ。この世界、この景観を形にできるのは、それが我ら全員の心象であるからだ」
オデオンの鐘が鳴り響くかのように、大気が完全に上書きされる。
気がつけば、セイバー、ライダー、そしてウェイバーの三人は、どこまでも続く遮るもののない大砂漠――固有結界の中に立っていた。
ライダー「見よ。我が無双の軍勢を!!肉体は滅び、その魂は英霊として世界に召し上げられて、それでもなお余に忠義する伝説の勇者たち!!彼らとの絆こそ我が至宝!!我が王道!!イスカンダルたる余が誇る最強宝具、王の軍勢(アイオニオン・ヘタイロイ)なりいいいいいいいいいいいいいいいいッッッ!!!!!!」
「「「おおおおおおおおおーーーーッッッ!!!!!」」」
地平線の彼方から湧き上がる、地鳴りのような足音。
現れたのは、数万、数十万に及ぶ、マケドニアの誇る不滅の英霊軍勢であった。
その一人一人がサーヴァントに匹敵する霊格を持つ、圧倒的な数の暴力。
ライダー「王とは!!誰よりも鮮烈に生き、諸人を魅せる姿を指す言葉!!!」
軍勢「然り!然り!!然り!!!」
ライダー「すべての勇者の羨望を束ね、その道標として立つ者こそが、王!故に!王は孤高にあらず!!その偉志は、すべての臣民の志の総算たるが故に!!!」
軍勢「然り!然り!!然り!!!」
砂漠の真ん中で、一人取り残されたように立つセイバー。
彼女の眼前に広がるのは、自分が最も否定された、そして最も羨望せざるを得ない「王と臣下の完璧な絆」の具現であった。
「孤高」を貫き、最後は臣下に裏切られて滅んだ自分。
「暴君」と罵られながらも、死してなおこれほどの臣下に愛され、共に駆ける征服王。
その圧倒的な差に、そして先ほどまでのライダーとアナスタシアによる自身の願いへの烈しい否定に、セイバーの心はメリメリと音を立てて、完全に折れる一歩手前まで追い詰められていた。
ガチガチと、絶望で奥歯が鳴る。風王結界を纏う剣を握る手が、かつてないほどに重い。
ライダーは、そんな満身創痍の、憐れな少女にしか見えなくなった騎士王を見つめ、静かに告げた。
ライダー「さぁ始めるか。騎士王よ。見ての通り我らが具象化した戦場は平野。生憎だが数で回る此方に地の利はあるぞ。加えて、貴様は今ランサーによってその左手に決して癒えない傷を負い、満足に剣も振えぬ身………貴様に勝算は何一つない」
セイバー「……く……あ……」
ライダー「………なぁ小娘よ……いい加減にその痛ましい夢から醒めろ。さもなくば貴様は……英雄としての最低限の誇りさえも失う羽目になる。貴様の語る王という夢は、いわばそういう類いの呪いだ」
それは、最後の警告であり、降伏を促す憐れみの言葉でもあった。
しかし、セイバーの瞳の奥の、騎士としての残り火はまだ消えていなかった。
絶望に打ちのめされ、震える身体を必死に支え、彼女は血の滲む唇を噛み締めながら、見えない剣を真っ直ぐに構え直した。
セイバー「……私は……ブリテンの、王……!!たとえそれが呪いであろうとも……叶わぬ望みであろうと………この身が果てる、最期の一瞬まで……私は、我が道を違えはしない……ッ!!!!!」
その頑ななまでの意地に、ライダーは寂しげに目を細め、そして無慈悲に右手を振り下ろした。
ライダー「………この筋金入りの頑固娘が………蹂躙せよオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!」
「「「―――オオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!!!」」」
数万の軍勢が、たった一人の孤高で孤独な騎士王へ向けて、怒濤の如く押し寄せたーー
一方その頃――。
『王の軍勢』の固有結界によってライダー、ウェイバー、セイバーの三騎が消失した、凍てつく『スーメルキ・クレムリ』の大広間。
そこには、アイリスフィール、小町、そしてアナスタシアの三人だけが残されていた。
アイリ「セイバー……!!!」
胸の前で手を組み、消え去ったセイバーの身を案じて悲痛な祈りを捧げるアイリスフィール。
しかし、そんな彼女の背後に、ゆっくりと、冷酷な足音が近づいてくる。
アナスタシア「……そんなに心配しなくても、直ぐに終わるわ。手負いかつ精神的にも参っている騎士王様が、征服王に敵うわけがないのだから」
冷え切った声に、アイリスフィールはハッとして振り返った。
そこには、先ほどまでの「ロマノフの皇女」の面影は一切なく、凍てつくような殺意を瞳に宿したアナスタシアが立っていた。
さらに、その隣に立つ小町もまた、いつもの快活な笑顔を完全に消し去り、底寒狂おしい冷笑を浮かべていた。
小町「それに……貴方はサーヴァントの心配をするよりも……自分自身の心配をするべきじゃないですか?」
アイリ「え……?な、何を、言って……っ!!?」
不穏すぎる空気に、アイリスフィールは一歩後退りする。
小町「まだ分からないんですか?
何でライダーは、『私とアナちゃん、そして貴女を、あの固有結界の中に引き入れなかった』のか……」
アイリ「…………っ……あ……」
その言葉に、アイリスフィールの脳内で、全てのピースが最悪の形で噛み合わさった。
数日前の作戦会議。八幡が企てた計画。
最初から、ライダーがセイバーをその固有結界(アイオニオン・ヘタイロイ)で隔離することは決まっていたのだ。
そして、その結界の中に、あえてアナスタシアと小町、そしてアイリスフィールを『入れない』ことも。
アナスタシアの宝具「忌まわしき血の城塞」によって、アインツベルン城は外部から完全に遮断されている。切嗣の遠隔狙撃も、罠による支援も、ここには絶対に届かない。
そして、最優先の護衛であるセイバーは、ライダーの結界の中に閉じ込められ、助けに来ることは不可能。
つまり………現在のアイリスフィールもまた、完全なる孤立無援。
そして、これこそがこの計画の真の目的。
八幡が言っていた「衛宮切嗣への復讐」――。
魔術師殺しを最も絶望させ、その魂を破壊するための最短ルート。
それは、彼の最愛の妻であり、この聖杯戦争の根幹である『小聖杯の器』を奪い去ることに他ならない。
アイリ「……最初から……最初からこれが狙いだったのね……!!私を、セイバーから引き離して、ここで……!!!」
小町「ごめんなさいね、アイリさん。貴女個人に恨みはないの。でも、貴女の旦那は、私たちの全てを奪った………だから、今度は私たちの番」
小町の瞳に、ドロドロとした憎悪の炎が静かに揺らめく。
アナスタシアが指先を鳴らすと、アイリスフィールの足元の石畳が急激に凍りつき、彼女の自由を完全に奪った。
アイリ「……いや……いやああああああああああああああーーーッッッッッ!!!!!!」
隔離された城塞の中に、アイリスフィールの悲痛な悲鳴だけが虚しく響き渡る。
仕組まれた完璧な罠の歯車は、騎士王の敗北と、小聖杯の陥落という最悪の結末へ向けて、完全に噛み合って回り始めていた…
冬木市の暗がりに潜み、他の陣営の動向を偵察していた衛宮切嗣は、その瞬間、全身の血液が逆流するような強烈な悪寒に襲われた。
切嗣「――っ!!?」
肺腑を抉るような喪失感。
脳裏を直撃したのは、サーヴァント――セイバーとの間に結ばれていた魔力パスの、唐突かつ完全な途絶だった。
それだけではない。切嗣が驚愕のままに自身の右腕へ視線を落とすと、皮膚に刻まれていたはずの聖杯の誓約――三画の令呪が、まるで最初から存在しなかったかのように、跡形もなく掻き消えていた。
切嗣「……バカな……セイバーが……脱落したというのか!!?あの騎士王が、これほど呆気なく……!?!?」
すぐさま懐の無線機を掴み、アインツベルンの城に待機しているはずの妻、アイリスフィールへの通信を試みる。
……しかし、スピーカーから返ってくるのは、不気味な雑音(ノイズ)だけだった。連絡がとれない。
最悪の事態が起きている。
切嗣の冷徹な合理的思考が、瞬時に無数の仮説を弾き出す。
セイバーの消滅、アイリの危機。
何者かがアインツベルンの本拠地を急襲したのだ。
焦燥に突き動かされるように、切嗣は偽装施策を施した車へと飛び乗り、アクセルを限界まで踏み込んでアインツベルンの森へと急行した。
車を走らせ、昏い原生林の境界へと差し掛かったその時、ダッシュボードの無線機からザーッとノイズ混じりの音声が飛び込んできた。
先行して城の周辺を警戒させていた、彼の忠実な右腕――久宇舞弥からの通信だった。
舞弥『……切嗣、聞こえますか!? 異常事態です……アインツベルンの結界が内側から破壊され、城が……城が丸ごと、別物へと変貌しています……っ!!!』
切嗣「舞弥!!何があった、アイリは無事か!!?」
舞弥『分かりません!!魔術的な妨害が酷く、内部の様子が窺えない!ですが、これは……極寒の、巨大な城塞が、アインツベルンの城を上書きしたように顕現しています!!……切嗣。一刻の猶予もありません!これより、マダム……アイリスフィール・フォン・アインツベルンの救出を試みま――』
切嗣「待て、舞弥! !罠だ、不用意に近づくな!!!」
切嗣の制止が届くよりも早く
通信の向こうで引き裂くような衣服の擦れる音と、舞弥の短い、しかし鋭い「悲鳴」が響き渡った。
舞弥『――あぐっ……ぅ、あ……っ!?!?』
プツリ、と。
無慈悲な静寂がスピーカーを支配する。通信は完全に途絶えた。
切嗣「舞弥……!!!舞弥――っ!!!!」
応答はない。
切嗣の顔が鬼気迫るものへと変貌する。
長年、自らの影として、手足として戦場を共にしてきた相棒の危機。そして愛する妻の危機。
これほどの規模の魔術を瞬時に展開できるのは、あのキャスター陣営をおいて他にない。
だが、これほど完璧にアインツベルンの防衛網を出し抜くなど、通常の聖杯戦争のセオリーでは有り得なかった。
狂っている。何かが、根本から狂い始めている。
心臓を早鐘のように脈打たせながら、切嗣はようやくアインツベルンの前庭へと辿り着き、車から転がり出るようにして飛び出した。
だが、彼の目に飛び込んできたのは、かつて見慣れた美しい白亜の古城ではなかった。
そこにあったのは、白銀の雪を戴く尖塔と、血のように赤黒いレンガの壁。圧倒的な威容で周囲を威圧する、凍てついたロシア帝国の魔城――『スーメルキ・クレムリ』。
そして、その禍々しい城の入り口前で、切嗣は足を止めざるを得なかった。
切嗣「……っ、あ……」
冷たい石畳の上に広がる、どす黒く、まだ生暖かい湯気を立てる大きな血溜まり。
その中心に横たわっていたのは、胸を深く切り裂かれ、虚ろな瞳のままピクリとも動かなくなった、久宇舞弥の亡骸だった。
切嗣「……舞弥……嘘、だろ……」
凄惨な相棒の死に、切嗣の胸に激しい動揺が吹き荒れる。プロとしての仮面がひび割れ、視界が恐怖と怒りで歪む。
しかし、彼に感傷に浸る時間など一秒も残されていなかった。一刻も早く、アイリスフィールを助け出さなければならない。
切嗣は血の凍るような感覚を必死に抑え込み、愛銃であるトンプソン・コンテンダーを右手に構え、最大限の警戒を払いながら、凍てつく魔城の中へと足を踏み入れて行った。
城の内部は、外観以上に異様だった。
廊下の至る所が氷で覆われ、吐き出す息は一瞬で白く染まる。静寂だけが支配する不気味な空間を、切嗣は気配を完全に消して進んだ。
やがて、重厚な扉の先にある大広間へと辿り着いた瞬間、切嗣の息が止まった。
広間の中央。そこに、彼の愛する妻がいた。
だが、アイリスフィールは、精緻な結晶を湛えた分厚い氷柱の中に閉じ込められ、完全に氷漬けとなった状態で佇んでいた。ピクリとも動かず、その美しい顔は生気を失っている。
切嗣「アイリ……!!!アイリィィィィッ!!!!」
冷静さを失い、取り乱した切嗣が氷柱へと駆け寄ろうとした、その時。
広間の奥、豪奢な玉座の影から、鈴を転がすような、しかし心底楽しげな少女の声が響いた。
小町「あはは! 凄ぉい、本当に顔色変えてやってきた!こういう『冷酷な人間が必死になってる顔』って、いかにも傑作で大好きだなあ!!」
姿を現したのは、比企谷小町。
その傍らには、純白のドレスを纏い、冷徹なオパールの瞳で切嗣を見下ろすキャスター――アナスタシアが控えていた。
切嗣「お前たちは……キャスターとそのマスター……!!?何が目的だ!!アイリをどうするつもりだ!!!セイバーはどこにいる!!?」
狂乱する切嗣を嘲笑うように、小町はふっと唇の端を吊り上げ、更なる絶望を宣告した。
小町「セイバー? セイバーはもういないよ。ライダーがとっくに、あの固有結界の中で踏み潰しちゃったから。魔力パスも、令呪も消えたんだから、あんたが一番よく分かってるでしょ?」
切嗣「……な……っ」
切嗣は膝から崩れ落ちそうになるのを、辛うじて踏みとどまった。
最優のサーヴァントであるセイバーが、戦いの初期段階で完全に消滅した。
頼れる盾も、矛も、彼にはもう残されていない。
茫然自失となり、目の前が真っ暗になりつつも、切嗣は血の滲む唇を噛み締め、消え入りそうな声で問うた。
切嗣「……なぜだ……時計塔のロードでもない、遠坂でもない……何が目的で、ここまでして僕を狙う……!!君のような子供が、なぜ僕を……!!!」
その問いを聞いた瞬間、小町の顔から、先ほどまでのふざけたような笑みが綺麗さっぱりと消え失せた。
代わりにその瞳に宿ったのは、この世のあらゆる熱を奪い去るような、ドロドロとした濃密な憎悪だった。
小町「………何が目的、だって……? よくそんな言葉がその口から出るね、衛宮切嗣……あんたさ、数年前、ある組織から依頼を受けて『魔術師殺し』をやったよね。ターゲットを確実に仕留めるためなら、周囲の一般人が何人巻き添えになろうが知ったこっちゃない……そうやって、あんたが冷酷に切り捨てた『巻き添え』の中に、誰がいたか覚えてる…?」
小町の身体が、激しい怒りで小刻みに震え始める。
小町「私の………お父さんとお母さんだよッ!!!!!」
切嗣「……あ……」
切嗣の脳裏に、かつて処理したいくつもの戦場の光景が、最悪の形でフラッシュバックする。
正義のため、多数を救うために切り捨てた、取るに足らないはずの「少数の犠牲」。
小町「……お父さんとお母さんを……あんたは顔一つ変えずに巻き込んで殺したんだ……!!!この聖杯戦争に私が参加したのも、サーヴァントを揃えてあんたの前に現れたのも、全て!!あんたに復讐する為だよ……!!!」
切嗣は驚きを隠せなかった。
聖杯という万能の願望機を巡る、魔術師たちの至高の闘争。
その舞台に、ただ一人の男への、個人的な恨みによる「復讐」のためだけに参入し、サーヴァント3騎の同盟というデタラメな状況を作り上げて自分を追い詰めたというのか。
切嗣「……僕への、復讐……?たったそれだけの、個人的な私怨のために、聖杯戦争を利用したというのか……狂っている……!!!」
小町「………たったそれだけ……?」
小町の目から、大粒の涙が溢れ落ちた。それは悲しみではなく、限界まで煮詰まった怒りと憎しみの雫だった。
小町「あんたにとっては、たったそれだけのことかもしれない!!でも、私にとっては、これだけが今の自分の全て! !この日の為だけに、私は死ぬ気でずっと生きてきたんだ!!!」
ありったけの怒号が、大広間に響き渡る。
その魂の叫びに触発されるように、傍らに立つアナスタシアもまた、絶対零度の冷徹さで切嗣を射抜いた。
アナスタシア「……この城に足を踏み入れた時点で、貴方にはもう、どこにも逃げ場はないわ。衛宮切嗣。多くの無辜の民を犠牲にしてきたその罪……大人しく、黙って断罪を受けいれなさい」
四方から迫る、圧倒的な殺意。
だが、衛宮切嗣という男の本質は、追い詰められた絶望の淵でこそ、最も冷酷に、最も獰猛に牙を剥く「獣」であった。
切嗣「(……まだだ……まだ終わらせない……!!!)」
セイバーはいない。舞弥も死んだ。
だが、一か八かの賭け。
自身の血脈を流れる時間操作魔術。
ここでその魔術を発動し、一瞬でキャスターのマスターである小町を殺し、アイリを奪還して脱出する――それしか、この地獄を覆す手段はない。
切嗣は魔術回路を限界まで駆動させ、心臓の鼓動を爆発的な魔力へと変換した。
切嗣「――『固有時制御・三倍速(タイムアルター・トリプルアクセル)』――ッ!!!!!」
世界が、急速に引き延ばされていく。自身の肉体だけが、時間の流れを置き去りにして加速する。
小町の脳天へ向けて、コンテンダーの銃口を跳ね上げようとした――
???「――遅い」
静寂の世界を引き裂いて、背後から放たれたのは、冷徹な女の声。
そして、加速された世界の中でさえ認識できないほどの、圧倒的な速度で奔る「一閃」。
切嗣「――ガ、あッ……!?!?」
世界が正常な時間へと引き戻された瞬間、凄まじい衝撃と共に、切嗣の右腕が肘のあたりから綺麗に斜めに切断され、トンプソン・コンテンダーを握ったまま床へと転がった。
さらに、彼が痛みに叫ぶよりも早く、流れるような二撃目が彼の両脚を正確に捉える。
ザシュッ、という肉を断つ嫌な音が響き、切嗣の両足の腱、そして膝から下が容赦なく斬り捨てられた。
切嗣「あああああああああああああああッッッ!!!!!!」
支えを失った切嗣の身体が、激しい血溜まりを作って床へと崩れ落ちる。肉体を焼き尽くすような激痛に悶え、床をのたうち回る魔術師殺し。
そんな彼の前に、影の中から音もなく姿を現したのは、和服を纏ったアサシン――『河上彦斎』だった。
その刀身には、切嗣の血が一切残らぬほど見事な血振りが施されている。
そして、その奥からゆっくりと歩み出てきたのは、アサシンのマスター、比企谷八幡だった。
八幡は、床に這いつくばって苦悶する切嗣を、自らの腐った魚のような目で、ゴミ屑でも見るかのように冷酷に見下ろした。
八幡「……焦るあまり、アサシンの事を頭から忘れていた。あんたの負けだ、衛宮切嗣」
切嗣「……アサ……シン……っ!!……がはっ……!!!」
切嗣は口から血を吐きながら、執念だけで八幡を睨みつける。
だが、八幡の目は、そんな彼の視線など一顧だにしないほどに冷え切っていた。
彦斎が切嗣の首筋に刀の切っ先を向け、八幡の合図一つでいつでもその首を刎ねる準備を整える。
死を目前にした切嗣を見つめながら、八幡はふと、気まぐれのように口を開いた。
八幡「……なぁ、最後に一つだけ聞いてやるよ。あんたみたいな、目的のためなら手段を選ばない冷酷無比な人殺し様が……一体、聖杯にどんな大層な願いをかけるつもりだったんだ?」
切嗣は、薄れゆく意識を必死に繋ぎ止め、血に濡れた歯を食いしばりながら、自らが人生の全てを捧げてきた、あの歪んだ理想の形を絞り出した。
切嗣「……『戦いの……根絶』……『恒久的な……平和の実現』……それ、だけ……だ……」
その言葉が、静まり返った大広間に虚しく響く。
それを聞いたアナスタシアは、心底呆れたように、そして憐れむようにフッと鼻で笑った。
アナスタシア「……ふん。騎士王も騎士王だけど、主も主。似た者同士、つまらない夢に溺れて哀れな最期を迎える事になったわね。この世のすべての悪を自分が背負うとでも言いたげな、独りよがりの薄汚い偽善だわ…」
八幡もまた、深い嫌悪感を露わにして床に唾を吐き捨てた。
八幡「……聞いた俺がバカだった。心底反吐が出る遺言だ。正義の味方ごっこなら、あの世で一人で勝手にやってろ………彦斎…………やれ」
彦斎「御意」
彦斎の瞳に、人斬りとしての冷徹な光が宿る。
切嗣「(……ああ……アイリ……イリヤ……)」
死の間際、切嗣の脳裏を急速に灯馬灯のように光景が駆け巡る。
氷漬けにされた妻との思い出。
そして、アインツベルンの本城で、自分とアイリが笑顔で帰ってくることを信じて待っている、幼い娘の姿だった…
切嗣『(……すまない、 アイリ……僕は、 結局、 君を救えなかった…………すまない、 イリヤ……約束……守れなくて……僕はもう、 君の元へは……帰れない……)』
届かぬ謝罪の言葉は、声になることはなかった。
幕末の人斬り、『ヒラクチの彦斎』の放った無慈悲な一閃が、冷徹な空気を切り裂き、さきほどよりも激しい血飛沫が上がる。
衛宮切嗣の、 歪んだ理想に捧げられた半生は、 かつて彼が切り捨てた「巻き添え」の遺児である兄妹の復讐という名の刃によって、 完全に、 無慈悲に、 その幕を閉じられたのだった……
ゴトリ、と重い音が白銀の大広間に虚しく響き渡り、それきり完全な静寂が訪れた。
かつて数多の魔術師界を震撼させ、正義という名の歪んだ理想に殉じた男――衛宮切嗣の命の灯火は、比企谷兄妹の執念が呼び寄せた刃によって、完全に、そして無慈悲に刈り取られた……
床に広がる赤黒い血溜まりを見つめたまま、比企谷小町はその場にへたり込んだ。
小町「あ……あ、あ……」
喉の奥から、言葉にならない声が漏れる。
数年間、ただこの瞬間のためだけに、すべてを投げ打って魔術の世界へと足を踏み入れてきた。
張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れた瞬間、胸の奥から数年分の怨嗟と、それ以上に巨大な安堵が、濁流となって込み上げてくる。
小町「う……あ、ああああ……っ……!!!」
両手で顔を覆い、大粒の涙を流して激しくむせび泣く小町。
それは復讐を成し、奪われた両親への無念を晴らし、呪縛から解き放たれた一人の少女の、剥き出しの慟哭だった。
そんな小町の小さな肩を、アナスタシアが静かに、そして優しく後ろから抱きしめた。
アナスタシア「……よく頑張ったわね、小町。もういいのよ。貴方の復讐は、終わったの。だから……今はただ、泣きなさい」
冷徹な氷の皇女の面影はなく、その声はどこまでも慈愛に満ちていた。
自らもまた、若くして全てを奪われ、理不尽な死を迎えた過去を持つ。だからこそ、小町の痛みが、その涙の意味が、誰よりも理解できたのだ。
アナスタシアはそっと小町の頭を撫で、その震えが収まるまで、温かく抱きしめ続けた。
八幡は、刀を鞘に収めた彦斎の横で、静かに妹の泣き顔を見つめていた。
その腐った魚の目の奥から、どろりとした殺意は消え失せ、年相応の、妹を案じる不器用な兄の目が戻っていた。
その時、大広間の入り口近くの影から、二つの足音が近づいてきた。
ライダー「ガハハハハ! 実に見事な幕引きであったな、若き復讐者たちよ!」
豪快な笑い声を響かせながら現れたのは、陰から一連の復讐劇を見届けていた征服王イスカンダル。そしてその傍らで、幽霊のようにおそるおそるついてくるウェイバーだった。
しかし、ウェイバーの視線が、床に転がる衛宮切嗣の無惨な亡骸、そしてその周囲に広がる大量の血溜まりへと向けられた瞬間、彼の顔線は一気に土気色へと変わった。
ウェイバー「ひ、っ……あ、うぐ、あ……っ」
時計塔の机上の空論ではない、本物の「人の死」。それも、徹底的に破壊され、命を奪われた人間の生々しい残骸を初めて目の当たりにした少年は、激しい目眩と凄まじい吐き気に襲われ、口元を両手で押さえてその場にうずくまりかけた。
今にも床に汚物をぶちまけそうになったウェイバー。
だが、その瞬間、彼の細い首筋に、凍りつくような冷徹な視線が突き刺さった。
アナスタシア「……ちょっと、そこのもやしっ子」
小町を抱きしめたまま、アナスタシアがオパールの瞳を極限まで冷たく細め、ウェイバーを睨みつけた。
アナスタシア「今この城は、仮初めとは言え私の居城よ? 格式あるロマノフの城内で、そんな汚物を床に撒き散らすなんて真似をしたらどうなるか……貴方のその貧相な頭でも、分かるわね……?」
ウェイバー「――っっっ!?!?!」
アナスタシアから放たれた、絶対零度のプレッシャーと物理的な凍気。
もしここで吐けば、胃の中身ごと全身をガチガチに氷漬けにされる――本能的にそう察知したウェイバーは、涙目になりながらも、必死に喉の震えを抑え込み、文字通り命がけで吐き気を胃の奥へと堪え切った。
そんな締まらない様子を見て、八幡は小さくため息をつき、それからライダーとウェイバーの正面へと歩み出た。不器用な男らしく、頭を軽く掻きながら、まっすぐに二人を見据える。
八幡「……ライダー、ウェイバー。今回のこと、改めて礼を言う。あんたらがアインツベルンの最大の盾であるセイバーを引き離して、完全にハメ殺してくれたからこそ、俺と小町はこうして仇を討つことが出来た……ありがとな」
八幡の、珍しく素直で真摯な感謝の言葉に、イスカンダルは丸太のような腕を組み、胸を張って豪快に笑い飛ばした。
ライダー「気にするな、八幡よ! 余はただ、あの頑固な騎士王に真なる王の姿を見せつけてやったまでよ!それに、臣下の願いを叶えるのを手助けするのも、王たる余の度量というもの。お前たちの執念、実に見事な勝利を呼び寄せたではないか!!」
八幡「……どうも。まぁいい。いつまでもこんな、血臭いところにいても仕方ねえ。聖杯戦争の『最優』と謳われたセイバー陣営が真っ先に脱落したんだ。遠坂も、時計塔のロードも、あの不気味なバーサーカーも、これを機に一斉に動き出す。 ……とっととずらかるぞ」
八幡がそう言って、マッケンジー家への帰路を促した時、ウェイバーがまだ少し青い顔をしたまま、戸惑いがちに声をかけた。
ウェイバー「……あのさ、八幡。ここまで来て、こんな事を聞くのもどうかとは思うんだけど……さ」
八幡「あ? なんだよ」
ウェイバー「お前たちの本当の目的は、その……魔術師殺しへの『復讐』だったわけだろ? それが今、完全に達成されたんだ。だったら……もう僕やライダーに付き合う必要なんて、ないんじゃないか……? 聖杯なんて大層なもの、お前たちは最初から求めてないんだし、ここで脱落して安全圏に逃げたって、誰も文句は言わないはずだぞ……?」
魔術師としての合理性、そして何より、これ以上彼らを危険な戦いに巻き込みたくないというウェイバーなりの不器用な気遣いだった。
しかし、八幡はフッと鼻で笑い、腐った目を少しだけ和らげた。
八幡「……バーカ。あんたらがいたからこそ、俺と小町は仇を討つことが出来たんだ。割に合わない泥を被ってまで、俺たちの我儘に付き合ってくれた。だったら、今度は俺たちがあんたらの、そのライダーの覇道とやらに付き合ってやるのが筋だろ。受けた恩をそのままにしてバックれるほど、俺も小町も不義理じゃねえんだよ」
小町「そうそう!」
いつの間にか涙を拭った小町が、アナスタシアの腕から抜け出し、いつもの快活な笑みを少しだけ取り戻して、小さく笑った。
小町「ここまでして貰ったんだもん、恩返しくらいちゃんとしなくちゃね! 小町的には、ライダーさんやウェイバーくんとここまで来たら、最後まで一緒に駆け抜けたいなーって思っちゃったり! これ、小町的にポイント超高いよ!!」
兄妹の、迷いのない言葉。
その強い意志の光に、壁際に佇んでいた彦斎も、小町の隣に立つアナスタシアも、深く頷いて異議を唱えなかった。
アナスタシア「ええ、私も異論はないわ。聖杯問答でも語ったけれど、私は征服王の世界制覇の道すがら、今の私の祖国や、まだ見ぬ異国をこの眼で見て、たくさん写真に収めるっていう夢ができたもの。そのためにも、まずはこの冬木の聖杯戦争を、このメンバーで勝ち抜かなくてはね」
彦斎「ふふ、私も同意見よ。八幡と小町と一緒にライダーに付いていくのが、一番面白そうだからね。それに……貴方の世界征服に付き合えば、これからもっと、あの『カレー』みたいに美味しい未知の料理と出会えるかもしれないしね。私も、アナスタシアやライダーと同じく、この現世での『受肉』を聖杯に叶えてもらうとするわ」
彦斎は、腰の刀の柄に手を当てながら、どこか悪戯っぽく、しかし確かな信頼を込めて笑みを浮かべた。
サーヴァント三騎、そしてマスター二人が、それぞれの思惑と、何よりこの奇妙な同盟への強い絆を以て、改めて最後まで共に戦うことを約束したのだ。
ライダー「ガハハハハハ! !聞いたか坊主よ! これほど心強い同志たちが、余の覇道に同行すると言ってくれておるのだ! いやはや、実に愉快!!実に壮快なり!!!」
イスカンダルが再び大音量で笑い、ウェイバーの背中をバシバシと叩く。
ウェイバー「痛っ、痛いってライダー! ……ったく、どいつもこいつも、ライダーに負けず劣らずに馬鹿で強欲だよ……」
ウェイバーは呆れたように肩をすくめ、小さくため息をついた。だが、その顔はどこか照れ臭そうで、胸の奥から湧き上がる嬉しさを隠しきれないように、小さな、しかし確かな笑みを浮かべていた。
小町「さあさあ! いつまでもこんな陰気で血臭いところにいないで、とっとと帰ろう! 戻ったら、みんなで盛大に祝賀会を上げようよ! 彦斎さんのために、カレーのおかわりも山ほど作ってあげるから!!」
小町の楽しげな大声が、凍てついた大広間の空気を完全に吹き飛ばす。その言葉に、今度こそ一同から、心からの笑い声が湧き起こった。
アインツベルンの森を後にし、夜の静寂へと歩み出す。
最優と称されたセイバー陣営を真っ先に打倒したとは言え、聖杯戦争はまだ中盤だ。
時計塔の至高と、それに使える二本の魔槍使い/ランサー。
圧倒的な宝具の物量を誇る、傲岸不遜な黄金のアーチャー。
そして、未だ底の見えない漆黒の狂戦士、バーサーカー。
これから先、さらなる難敵たちが自分たちの前に立ちはだかることは間違いない。
八幡「(…まともにやったら勝ち目のねえ化物揃いだが)」
並んで歩く小町の、そして文句を言いながらも前を歩くウェイバーや、豪快に笑うライダーたちの背中を見つめながら、八幡は心の中でそっと呟く。
八幡「(……だが、ここにいるみんななら、本当にその化け物どもを全員叩き潰して、成せるかもしれないな…)」
胸の奥に灯った、妙な、しかし絶対に揺るがない安心感を抱き締めながら、比企谷八幡は仲間たちと共に、温かな光の待つ帰路へと着くのであった。



















まあ、zeroのあの終わりに比べたらまだセイバーはマシっちゃマシ・・・いや、そうでもないかな? ただイリヤには罪はないんだよなぁって