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また、会いに来てね

七瀬七瀬

実装前 ローエン夢 幻想みてる 言葉で愛を表す夢主と行動で愛を表すローエン 嘘だろこれでつきあってないんだぜこの人たち がちでモンドのなんやかんやの設定わすれてるから許してほしい。ディルックがめったに店に立たなかったことだけはたぶん覚えてる多分。ファルカはまじであったことないから空想でかいてる許して。

モンドでは、恋の噂ほど風に好かれるものはない。

誰かがひとこと落としただけで、それは石畳の路地を抜け、噴水広場を渡り、酒場の扉の隙間から入り込む。人は他人の恋ほど、勝手に甘く煮詰めたがる。
その日のエンジェルズシェアにも、そんな噂があった。
○○は、ディルックに恋をしている。
根拠なら、客たちにはいくらでもあった。
ディルックがカウンターに立っているとき、○○の声は少しやわらかくなる。
頬に色が差し目元がほどける。
仕事中のきびきびした横顔が、ふと年相応の娘のものになる。

あれは恋だろうと誰かが言った。
相手がディルックさんなら仕方ないと誰かがうなずいた。
ディルックはカウンターの内側でグラスを磨いていた。
聞こえていない顔をしていた。実際には、よく聞こえていた。
彼は磨き終えたグラスを棚に戻し、次のグラスを手に取る。
○○がああいう顔をするのは、ディルックに見惚れているからではない。
彼の口から、ある男の名前が出るからだ。

ローエン。

その名を聞いた瞬間、○○は簡単に表情が変わる。
「今日、ここに来る道中でローエンを見かけた」
そう言えば、ぱっと顔を上げる。
「本当ですか?」
「ドラゴンスパイン方面へ向かったらしい」
そう言えば、眉を寄せる。
「怪我はしていませんでしたか」
「彼なら問題ないだろう」
ディルックがそう返すと、○○は一応うなずく。けれど、指先はエプロンの端をぎゅっとつまんでいる。
「ローエンは、すぐ無茶するから」
呆れているようで、誇らしげでもある声。
ディルックはそれを何度も聞かされていた。
だから客たちの噂がどれほど的外れかも知っていたが、訂正はしなかった。訂正したところで、今度は「なぜディルックがそこまで知っているのか」という別の面倒が生まれるだけだ。

その夜、エンジェルズシェアはよく賑わっていた。
杯が鳴る。笑い声と注文の声が重なり、扉が開くたびに冷たい夜風が流れ込む。
○○は忙しなく働いていた。
注文を聞き、空いた皿を下げ、酔った客の軽口に笑って返す。盆を片手に人の間をすり抜ける姿は慣れたもので、動きに無駄がない。扉が開いたのは、夕暮れを少し過ぎたころだった。

「邪魔するぞ」
先に入ってきたのはファルカだった。その後ろに、ローエンがいた。
酒場の音が、ほんの一瞬だけ薄くなる。
珍しい顔だった。
ファルカが来るのは珍しくない。騎士団の者が酒を飲みに来ることもある。けれど、ローエンが誰かに連れられて酒場に現れる姿は、そう頻繁に見られるものではない。
○○はちょうど、空いた皿を盆に載せていた。
何気なく扉の方を見る。

最初に目に入ったのは、ファルカの大きな背だった。
その向こうに立つ影を見た瞬間、手元の皿の重みも、客に呼ばれていたことも、一瞬だけ遠のいた。
ローエンだった。
酒場の灯りの中にいるだけで、そこだけ空気が変わったように見えた。
見慣れているはずなのに、会えたと思うたび、胸の奥が先に反応してしまう。
その瞬間、彼女の表情がほどけた。
忙しさも、周囲の目も、客に呼ばれる声も、全部どこかへ飛んでいったようだった。瞳がまっすぐ彼だけを映し、頬が明るくなる。
「いらっしゃいませ、ローエン!」
声が弾んだ。客に向ける仕事用の声ではない。
少し高く、甘く、やわらかい。抑えようとしても抑えきれなかった声だった。

一拍遅れて、隣の男にも気づく。
「ファルカさんも、いらっしゃいませ!」
「俺はついでか」
ファルカは笑ったが不満そうではなかった。むしろ、目の前であまりにも正直な反応を見せられて、面白がっている顔だった。
○○はちゃんと彼にも挨拶をしたけれど、声の熱はもうローエンへ戻っている。視線も、頬に残った明るさも、次の言葉を待つような間も、全部。
ファルカはそれを見て、肩をすくめた。○○は聞いているようで、たぶん聞いていない。もうローエンを見ていた。ローエンは驚きもしなかった。彼女の声が変わることも、顔が変わることも、最初から知っていたような顔で受け止める。

「ひさびさだな、○○」
何でもない一言だった。
けれど、その一言だけで○○の頬はさらに明るくなる。
「ええ!今日も好きよ、ローエン。明日も明後日も、ずっとずっとあなたが好きよ!」
酒場が止まった。

杯を持ち上げていた客の手が、そのまま宙で固まる。
カードを切っていた男が札を落とす。
誰かが小さくむせた。
数秒遅れて、ひそひそ声が卓から卓へ広がる。

(今、何て言った?)(好きって言ったよな)(ローエンに?)(ディルックさんじゃなくて?)

○○だけが、その異様な空気に気づいていなかった。ローエンも気づいていないふりをしていた。ローエンは周囲の視線などどうでもいいという顔で、空いている席を見つける。
「酒二つ。つまみは任せる」
「はい! 少々お待ちください!」
○○は嬉しそうにうなずき、カウンターへ向かった。背中まで浮き立っている。歩いているだけなのに、今にも歌い出しそうだった。
ローエンはその背中を見送ってから、席につく。ファルカは向かいに腰を下ろし、酒場の空気を眺めた。客たちは露骨にこちらを見ないようにしている。けれど、耳だけは完全にこちらへ向いている。ファルカはまだ酒も来ていないのに、すでに少し疲れた顔をした。

「お前、聞いてただろ」
「何をだよ」
ローエンは椅子の背に片腕をかけ、何でもない顔をしている。
何でもない顔をしているくせに、視線はカウンターへ向いたままだった。○○がディルックから皿を受け取り、身を乗り出して何かを確認している。たぶん味付けの話でもしているのだろう。真剣な顔をしているのに、時折ちらりとローエンの方を見てしまう。
そのたびに、ローエンの口元がほんの少しだけ動いた。

「○○がディルックに惚れてるって噂だ」
「ああ」
「やっぱり聞いてるじゃないか」
「聞こえただけだ、誘ったのはあんただろ、団長殿」
ファルカは目を細めた。
「俺のせいにするな」
「事実だろ」
「お前が珍しく二つ返事でついてきた時点で、予感はしていた」
ローエンは笑った。
低く、短い笑いだった。けれど、その奥にある機嫌のよさまでは隠せていない。
「勘がいいな」
「隠す気がないだけだ」
ローエンは否定しない。
その代わり、またカウンターを見る。○○が盆にジョッキと皿を載せ、こちらへ歩いてくるところだった。
ファルカはそれだけで、もう大体察した。

ローエンは噂を聞いて、腹を立てたのではない。
不安になったわけでもない。
ただ確認しに来たのだ。
○○が自分を見たとき、どんな顔をするのかを。
そして今、彼はひどく満足している。
○○はジョッキを二つと、皿をいくつか載せて戻ってきた。

「お待たせしました!こちらがお酒と……」
ファルカの前に一つ。ローエンの前に一つ。
それから、ローエンの前に皿を置く手だけが、ほんの少し丁寧になった。
「あのね、ローエン。このおつまみ、私が作ったの!気に入ってくれると嬉しいな…!」
声が小さくなる。
さっきまでの明るい声ではない。少し照れて、けれど期待を隠せない声だった。

皿の上には、薄く焼かれた小さな円い生地が並んでいた。
縁はこんがりと色づき、薄い生地の上には白いソースが塗られている。香ばしく焼けた玉ねぎと、細く切った燻製肉。仕上げに散らされた香草が、湯気と一緒にふわりと立ちのぼった。
ピザというには生地が軽く、菓子というには塩気がある。
酒のつまみにするには、ちょうどいい。
ローエンは皿を一目見ただけでわかった。自分の好みに寄せてある。
以前、何気なく言ったことを覚えていたのだろう。
○○は、それをたぶん何度も思い出した。
本人は、それを特別な努力だと思っていない。
ただ、ローエンにおいしいと言ってほしいだけだ。
ローエンは皿を見て、次に○○を見た。
「へえ」
たった一言で、○○の背筋が少し伸びる。

「○○、こっちも頼む!」
奥の席から声が飛ぶ。○○ははっと振り返った。
「はい、すぐ行きます!」
それからまた、名残惜しそうにローエンを見る。
「あとで感想聞かせてね」
「ああ。さっさと行け。皿落とすぞ」
「落とさないよ!」
言い返す声は明るい。
ローエンに軽く扱われても、彼女は傷つかない。むしろ、その雑さの中に自分だけが知っている温度を見つけたみたいに、嬉しそうに笑っていた。

○○がホールへ戻ると、ローエンは皿に手を伸ばした。
一口食べる。
表情は大きく変わらない。
ただ、噛む速度が少しだけ遅くなった。味を確かめるように。二口目に手を伸ばすまでの間は、短かった。
ファルカはそれを見て、何も聞かなかった。聞かなくてもわかる。気に入っている。
ローエンは褒め言葉を大げさに並べる男ではない。けれど、気に入らないものをわざわざ食べ続ける男でもない。
皿の中身が、正直に減っていく。
「どうだ、ファルカ」
ローエンが皿から目を離さずに言った。
「何がだ」
「いじらしいだろ。俺の○○は」
ファルカはジョッキを持つ手を止めた。
言い方があまりに自然だった。当然のものとして「俺の」と言った。

「お前なぁ……」
ファルカは深く息を吐く。
「まだ付き合ってないんだろ?」
「俺のだからいいんだよ」
「よくない。順番がおかしい」
「順番なんか、あとで整えりゃいい」
「そういうところが悪いと言っている」
ローエンは笑った。
その笑い方に、周囲の客がまた少しざわつく。ローエンが酒場でそんな顔をするところを見た者は、ほとんどいない。
ファルカは呆れながらも、もう少しだけローエンを観察した。
○○が近くを通るたび、ローエンは皿の位置を少しずらした。盆を置きやすいように。
客が不用意に腕を伸ばせば、軽く睨んで引っ込めさせる。
通路にはみ出した椅子があれば、話しながら足先で押し戻す。

○○は気づかない。
気づかないまま、危なげのない足取りでホールを回る。
注文を聞き、酒を運び、空いた皿を下げ、呼ばれればすぐに笑顔で振り返る。忙しい時間帯でも動きに乱れはなく、誰かの手を借りなくても、彼女はきちんと仕事をこなしていた。
ローエンはそれを見ている。
助けるためではない。手を出さなければできないと思っているわけでもない。
ただ、見ている。
彼女が通る場所に余計なものがあれば、先にどける。笑って客に応じれば、その声を聞く。ローエンの席の近くを通るたび、ほんの少しだけ歩幅を緩めるのも、見逃さない。
ファルカはその一連を見て、ジョッキを傾けた。

「惚気てないと言ったな」
「まだな」
「それでまだなら、聞かされる側の身にもなれ」
ローエンは鼻で笑う。
「ファルカが誘ったんだろ」
「それはもう聞いた」
ファルカは諦めたように酒を飲んだ。
やがて、彼のジョッキが空になったころ、○○が新しい酒を持って戻ってきた。

「はい、ファルカさん、おかわりですよ!」
「助かる」
ファルカの前にジョッキを置いたあと、○○はそわそわとローエンの前の皿を見た。
ほとんど空になっている。
○○の目が丸くなった。
「……食べてくれたの?」
「食った」
ローエンは口元を拭いながら答える。
○○は胸の前で両手を握る。
「お口に合った?」
声は明るいのに、少しだけ不安が混じっていた。
褒めてほしい。でも、無理に褒めてほしくはない。ローエンの本当の感想がほしい。そんな気持ちが顔に出ている。

「すげえ俺好み」
その瞬間、○○の顔がぱっと明るくなった。
「本当!」
「ああ。前に言った俺の好み、よく覚えてたな」
そこまで言われるとは思っていなかったのだろう。○○は目を瞬かせる。そして、みるみる頬を染めた。
「覚えてるよ」
声が少し小さくなる。
「ローエンの好きなもの、ちゃんと覚えていたいもの」
店内の何人かが、はっきり聞き耳を立てた。

○○は気づいていないがローエンは気づいている。
気づいた上で、ほんの少し口元を上げた。
「じゃあ次も頼む」
「うん! 作る! もっとおいしく作るね!」
「期待しとく」
「大好き、ローエン!」
言い残して、○○はまたホールへ戻っていった。
その背中は、さっきよりさらに浮かれている。

隣の卓で、誰かが低く呟いた。
「……あれで付き合ってないのか」
その疑問は、その場にいたほとんどの人間の胸に同じように浮かんでいた。
ファルカも例外ではない。
ただ、彼はそれを口にする前に、ローエンの顔を見た。
ローエンは、○○の背中を見ていた。
軽薄な笑みではない。勝ち誇った顔でもない。
○○が別の客に呼ばれて振り返る。
仕事の顔に戻る。
けれどローエンの席の近くを通るときだけ、少しだけゆっくりになる。

「お前にしては、ずいぶん気が長いな」
ファルカは結局、そう言った。
ローエンはすぐには答えなかった。
ジョッキを持ち上げ、残っていた酒をゆっくり喉へ流し込む。
いつもの彼なら、ここで軽口のひとつでも返しただろう。面倒くさそうに笑って、適当な言葉で煙に巻いて、それ以上踏み込ませない。
けれど、そのときだけは違った。
ジョッキを卓に戻す音が、酒場のざわめきの中で小さく沈む。ローエンの視線は、相変わらず○○の方へ向いていた。忙しなく働く彼女を見ている。客に呼ばれて笑い、盆を持ち替え、誰かに礼を言われて明るく返す。そのどれもが仕事の顔なのに、こちらの席の近くを通るときだけ、ほんの少しだけ空気が甘くなる。
ローエンはそれを見届けてから、ようやく口を開いた。
「急がせても逃げるだろ、あいつ」
からかうような調子ではなかった。低く、静かで、どこか確信に近い声だった。追えば捕まえられる、などとは少しも思っていない声。むしろ、捕まえるだけなら簡単だと知っているからこそ、そうしない男の声だった。

ローエンの視線の先で、○○が客に笑っている。明るく、素直で、誰に対しても感じがいい。けれど、ローエンが名前を呼ぶと、きっとすぐに崩れる。
「好きだの大好きだの、言うだけならいくらでも言うくせに」
ローエンは低く続けた。
「こっちが本気で受け取ると、たぶん抱えきれなくなる」
ファルカは○○を見る。
確かに、そうかもしれない。
彼女は好きと言うことを怖がっていない。
けれど、好きだと言ったぶんだけローエンから返されることには慣れていないように見えた。
ただ、それは初々しさとは少し違う。好きだと口にするたび、彼女の中では感情が外へ流れていく。けれどローエンがそれを受け取って返すと、流したはずのものが、もっと熱を持って戻ってくる。受け取ってもらえたぶんだけ、好きが増える。増えたぶんだけ、言葉が追いつかなくなる。そんなふうに見えた。

「わかってるなら、もう少し優しくしてやれ」
「してるだろ」
「どこがだ」
「皿は残してねえ」
「基準がおかしい」
ローエンは少し笑った。
「十分だろ」
ファルカは呆れたように息を吐く。
けれど、それ以上は何も言わなかった。
ローエンのやり方が丁寧かどうかは別として、雑ではない。
少なくとも、○○に関してだけは。

カウンターの奥で、ディルックが壁の時計を見た。
混雑の山は過ぎている。○○はよく働いた。今日はもう、彼女がいなくても店は回る。ディルックはグラスを置き、ホールに声をかけた。
「○○」
「はい!」
「今日はもう上がっていい」
○○は驚いた顔で振り返る。
「え、でも、まだお客さんが」
「問題ない。明日も早いだろう」
「でも……」
「帰りなさい」
静かな声だったが、決定事項の響きがあった。
○○は少し迷ったあと、素直に頭を下げる。
「ありがとうございます、ディルックさん」
ディルックは返事の代わりに、ほんのわずか視線をローエンへ向けた。
目配せと呼ぶには短い。
だが、ローエンには伝わった。

彼は席を立つ。
ファルカが横目で見る。
「出番だぞ」
「言われなくても行く」
「酒は?」
「飲んだ」
「一杯だけだろ」
「十分だ」
「俺はまだ飲むぞ」
「好きにしろ。ファルカなら一人で帰れるだろ」
「ひどい部下を持った」
ローエンは返事をせず、扉の近くへ向かった。
ただし、先に外へ出るわけではない。
○○が奥から戻ってくるのを待つ。
その姿を見て、ファルカはもう何も言わなかった。

○○は奥へ入り、しばらくして戻ってきた。
エプロンを外し、外套を羽織っている。
仕事中のきびきびした空気が少し抜けて、嬉しさを隠しきれない顔になっていた。
それでも、ローエンの方へ歩くにつれて、少しだけそわそわし始める。
ローエンは扉を開ける。
「送る」
○○の表情がほどけた。
「えっ、でもローエン、飲みに来たんじゃ……」
「もう用は済んだ」
「用?」
「お前の顔見て、つまみ食って、帰り送る。今日の用はそれで全部だ」
○○は一瞬、言葉を失った。

酒場ではあれほど簡単に好きと言える。
けれど、ローエンからまっすぐ返されると弱い。
それは照れているだけではなかった。
嬉しさが胸の奥で膨らんで、そこに愛おしさが重なって、どうしようもなくなるのだ。言いたいことはある。嬉しい。好き。大好き。そんなふうに言ってくれるローエンが、もっと好き。けれど言葉にする前に、胸がいっぱいになる。

「……そういうこと、さらっと言うのずるい」
「好きだの大好きだの言うやつに言われたくねえな」
「私は本当のこと言ってるだけだもの」
「俺も本当のことしか言ってねえよ」
○○は口元を外套の襟で隠した。
店内の何人かが、また固まっている。
ファルカはもう笑っていた。
ディルックは何も言わず、グラスを磨いている。
扉が閉まると、酒場の熱とざわめきが背後に遠ざかった。

夜のモンドは涼しかった。
石畳に月明かりが淡く落ちている。風車の羽がゆっくり回り、遠くで誰かの笑い声がする。酒場から漏れる灯りは二人の足元を少し照らし、数歩歩くうちに扉の向こうへ消えた。
○○はローエンの隣を歩いた。肩が触れそうで、触れない距離。酒場にいたときより静かで、近い。
「今日、来てくれて嬉しかった」
「見りゃわかる」
「そんなに?」
「店中に伝わってた」
「……恥ずかしい」
「今さらだろ。あんだけ好きだの何だの言っといて」
「それは本当だからいいの」
「じゃあ顔に出るのも本当だからいいだろ」
「そうだけど……」
○○は外套の襟に口元を埋める。

夜風が二人の間を抜けていく。
○○は外套の襟元を少し押さえながら、ふと思い出したように口を開いた。
「今日のおつまみね、実は何回か失敗したの」
ローエンが横目で見る。
「最初は生地が厚くなりすぎちゃって。次は焼きすぎて端が硬くなって……ディルックさんにも少し見てもらって」
そこまで言って、○○ははっとした。
ディルックの名前を出した瞬間、酒場で聞こえていた噂が頭をよぎったのだろう。
歩く足が、ほんの少しだけ遅くなる。
「……もしかして、噂、聞いた?」
「聞いた」
「ディルックさんのことが好きっていう?」
「ああ」
○○は慌てて首を振った。
「違うよ! ディルックさんは尊敬してるけど、そういう好きじゃなくて、私はローエンが好きで、ディルックさんにはローエンの話を聞いてもらってただけで……!」
必死だった。
酒場で好きと言うときより、ずっと慌てている。
まるで、そこだけは絶対に誤解されたくないみたいに。
ローエンはその様子を横目で見る。

唇の端がわずかに上がった。
「知ってる」
「知ってるの?」
「お前、俺の名前出されると顔が変わるだろ」
「……そんなに?」
「かなり」
「うう……」
○○は両手で頬を押さえた。
「恥ずかしい……」
「今さらだって言ってんだろ」
「だって、知らないところで顔に出てたのは恥ずかしいよ」
「俺の前で好き好き言ってる方がよっぽどだろ」
「それはいいの。本当だから」
ローエンは笑った。今度は隠さなかった。
「ほんと、そういうところだよな」
「何が?」
「危なっかしい」
「どこが?」
「好きな男に好きって言いすぎるところ」
○○は少し考えてから、真面目な顔で言った。
「でも、言わないと伝わらないでしょう?」
ローエンの歩みが、ほんの少しだけ遅くなった。
○○は続ける。
「ローエンは強いし、かっこいいし、私が好きって言わなくても平気そうに見えるけど。でも、私はちゃんと言いたいの。今日も好きだったって。会えて嬉しかったって。ローエンがいてくれるだけで、私、すごく幸せだって」

夜風が、二人の間を抜けていく。
ローエンは何も言わなかった。
しばらく歩いたあと、○○の手首に触れた。
掴むというほど強くはない。けれど、離れない程度には確かだった。

「伝わってる」
低い声だった。
○○は息を止める。
ローエンは前を向いたまま言った。
「言われなくても、だいたいわかる。けど、言われたら悪い気はしねえ」
「……本当?」
「嘘ついてどうすんだ」
「じゃあ、言ってもいい?」
「今さら許可取るのかよ」
「だって、言いすぎかなって」
「もう手遅れだろ」
「ひどい」
「好きにしろ」
その言葉は、突き放すようでいて、どこまでも許していた。
○○は手首に触れているローエンの指を見た。
少し動けば離れられる。
けれど、離れたいとは思わない。

言ってもいい。好きにしろ。
それだけのことなのに、胸の奥がいっぱいになった。
好きと言うのは平気だった。本当のことだから。ローエンを見るたび、胸の中にあるものが勝手に言葉になってこぼれる。けれど、ローエンがそれを受け取って、しまい込むような言い方をすると、途端に何も言えなくなる。恥ずかしいからではなかった。ただ、愛おしさが増える。好きだと言ったのは自分なのに。返された瞬間、もっと好きになる。ローエンの声が。目が。手首に触れる指が。軽く流すようでいて、ひとつも捨てずに受け取ってくれるところが。どうしようもなく愛おしくて、胸がいっぱいになる。
ローエンはまた前を向き、歩き出す。手首にはまだ、彼の指が触れていた。家の前に着くころには、○○は少し静かになっていた。

話すことがなくなったわけではない。
むしろ、胸の中には言いたいことがいくらでもあった。
今日来てくれて嬉しかった。つまみを全部食べてくれて嬉しかった。好みだと言ってくれて嬉しかった。帰り道を一緒に歩いてくれて嬉しかった。手首に触れたまま歩いてくれたことも。
全部、嬉しかった。
嬉しいと思うたびに、好きが増える。好きだと言えば言うほど、胸の奥にあるものは軽くなるどころか、さらに熱を持って膨らんでいく。
○○はローエンを好きだと言うことが怖いわけではなかった。
むしろ、言わずにはいられない。

好き。
大好き。
今日も好き。
明日も好き。

そんな言葉なら、いくらでも出てくる。ローエンを見れば自然にこぼれる。隠そうとしても無理だったし、隠したいとも思っていなかった。けれど、ローエンがそれを受け取ると、話は別だった。からかわず、逃げず、当たり前みたいに受け取って。そのうえで、ほんの少しだけ大事そうに返してくる。そうされると、○○の中の好きは行き場をなくす。
胸の中で何度も跳ね返って、また増えて、喉の奥までいっぱいになる。言葉にしたいのに、言葉にした瞬間、もっと溢れてしまいそうになる。

家の扉の前で、○○は足を止めた。
鍵を取り出そうとして、やめる。
終わらせたくなかった。
ほんの少しでもいい。
あと一言でもいい。
ローエンの前にいる時間を、引き延ばしたかった。

「送ってくれてありがとう」
「ああ」
ローエンは短く返した。
それだけで帰ってもよかったはずだった。
それだけでも十分すぎるほど嬉しかったはずだった。
けれど、○○は動けなかった。
外套の端を指先で握る。
夜風が頬に触れる。
○○はローエンを見上げた。酒場では、あんなに簡単に言えた言葉だった。人の目があっても、噂されても、少しも怖くなかった。

でも今は違う。
誰も見ていない。
誰も聞いていない。
だからこそ、この言葉はまっすぐローエンだけに届いてしまう。

「……すき」
小さな声だった。
ローエンは黙って聞いていた。
○○はもう一度、息を吸う。
「すきなの、ローエン」
言った瞬間、胸の奥がぎゅっと苦しくなった。何度言っても足りない。さっきも言った。酒場でも言った。それでも、今この瞬間の好きは、今言わなければ消えてしまう気がした。消えるはずがないのに。明日も明後日も、きっと同じように好きなのに。

ローエンは目を逸らさなかった。いつものように軽く流してもよかった。「知ってる」と笑ってもよかった。からかって、○○の熱を少し逃がしてやることもできた。
けれど、そうしなかった。
手を伸ばす。○○の頬に触れる。
夜風に冷えていた頬は、指先の下で少し熱を持っていた。
ローエンの手はあたたかかった。武器を握り、敵を倒す手。それが今、ひどく慎重に○○の頬へ触れている。
そのことが、たまらなかった。

ローエンが、親指で頬の熱を確かめるように、ゆっくりと撫でる。
その仕草があまりに静かで、○○は次の言葉を失った。
見上げた先で、ローエンの瞳が少しだけ細められる。
いつものように笑っているのに、いつもより近い。
からかわれているはずなのに、逃げ道を塞がれているような気がする。
けれど、怖くはなかった。
触れてほしい。見ていてほしい。受け取ってほしい。

そんな言葉が胸の奥で膨らんで、けれど唇までは上がってこない。
○○は、ただローエンを見上げていた。
逃げなかった。
それだけで、十分だった。
ローエンの手が頬から耳の後ろへ滑る。
髪に指先が少しだけ触れる。
○○の息が止まる。

「……目、閉じとけ」

囁くような声だった。
言われた通りにするより先に、ローエンが身を屈めた。
唇が触れる。
最初は、確かめるような触れ方だった。
○○が逃げないことを知っているくせに、それでも一度だけ確かめるように、そっと重なる。
それから、ほんの少しだけ深くなる。
息を奪うほどではない。
強引に押し込むようでもない。
けれど、ただの挨拶ではなかった。
今夜の終わりを告げるだけのものでもなかった。
受け取った、と言われている気がした。

好きだと何度も言ったこと。
料理に込めたこと。
会えて嬉しくて顔を輝かせたこと。
帰り道で、ずっと隣にいたかったこと。
全部。
ローエンは言葉にしない代わりに、触れることで返してくる。
それがわかった瞬間、○○の胸の中で、また好きが増えた。
「ん……」
小さな声が漏れる。
○○の指先が外套を握りしめた。
離れたくない、と思った。
でも、もっと近づきたいと思った瞬間に、自分の中の感情の大きさに少しだけ呑まれそうになる。

好き。
好き。
好き。

言葉にすれば簡単なのに、その中身は少しも簡単ではなかった。
ローエンが離れる。
近い距離のまま、○○の顔を見る。
○○はまだ目を開けきれずにいた。
頬が熱い。
唇に、今触れられたばかりの感触が残っている。
恥ずかしいのではない。
いや、恥ずかしくないわけではない。
けれど、それよりずっと、愛おしかった。
ローエンが愛おしい。目の前にいることが愛おしい。自分の「好き」を、雑に笑い飛ばさず、重くしすぎず、それでも逃げずに受け取るこの男が、どうしようもなく愛おしい。

○○は何か言おうとした。けれど、言葉が出てこない。
好きと言えばいい。
いつものように。
何度でも。
なのに、今はその一言では足りない気がした。
ローエンは、そんな○○を見て目を細める。
親指で頬を軽く撫でた。

「おやすみ、○○」
○○はぼんやりと彼を見上げる。
「……おやすみなさい」
声が少しかすれた。
ローエンは耳元に口を寄せる。
「いい子にして寝ろよ」
囁かれた声に、○○の肩が小さく揺れた。
胸の奥がまたいっぱいになる。
ローエンの声が好きだった。
意地悪で、でも自分をちゃんと家の中へ帰そうとする声。

「返事は?」
促されて、○○はようやく小さく息を吐いた。
「…いい子にしてる…だから」

そこで言葉が少し止まる。
ローエンを見る。
もっと言いたい。もっと伝えたい。でも、何を言っても足りない。それでも、足りないまま口にする。
「また会いに来てね」
その言葉だけは、甘えるようだった。
いつ会えるのか、次がいつになるのか、○○にはわからない。
それでも、来てほしいと思ってしまう。会いに来てくれるたび、同じように好きだと言ってしまうのだと、もうわかっていた。
ローエンはすぐには答えなかった。
代わりに、○○の頭に手を置く。指先が髪に触れる。
○○は息を止めた。
好きだと言うことは、あんなに簡単なのに。
こうして返されると、胸の奥で感情が何度も跳ね返って、言葉にならなくなる。

嬉しい。
愛おしい。
もっと好きになる。

それだけでいっぱいになって、もう何も言えない。
ローエンは、そんな○○を見て少しだけ目を細めた。
そして、髪を乱さないように、一度だけ撫でる。
それだけで、○○はまた何も言えなくなった。
扉の向こうへ入っていくまで、ローエンはその場を動かなかった。
細く漏れていた灯りが、少しずつ狭くなっていく。最後に、彼女の指先が扉の陰へ消える。
ぱたり、と静かな音がした。
夜風が通りを抜ける。
ローエンはしばらく、閉じた扉を見ていた。
好きだと、あいつは簡単に言う。

今日も。
次に会う日も。
その次も。
ずっと。

まるで息をするみたいに、惜しげもなく、こちらへ投げてくる。
そのくせ、受け取られると途端に黙る。返されたものを抱えきれなくなったみたいに、目を揺らして、言葉をなくす。
あれだけ好きだと言っておいて、まだ自分がどれほど愛されているのかを知らない。
厄介な女だと思う。
それでも。
ローエンは、頬に触れた指先をゆるく握った。
あの熱が、まだ残っている気がした。

好きだと言われるたび、悪くないと思う。大好きだと言われるたび、もっと言えばいいと思う。明日も明後日もと言われるたび、その全部を聞く場所に自分がいればいいと思う。
だから、あいつが帰る場所の前で、ちゃんと扉が閉まるまで見ている。
言葉で返せば、たぶん簡単だった。
けれど、まだ言わない。
今はまだ、あの女がこぼす好きの一つ一つを拾って、逃げられないくらい丁寧に積み上げてやる方がいい。
やがて灯りが完全に消えた。
ローエンはようやく踵を返す。
夜の石畳を歩き出しながら、ほんの少しだけ笑った。
次もも聞く。
声には出さなかった。
それでも、そのつもりだった。

— End —

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Sakuria
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