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松田を困らせようとしたら自分が返り討ちに遭った話

千歳飴・千歳飴・

松田さん夢

警視庁捜査一課のオフィスには、いつも独特の重い空気が漂っている。私は、自分のデスクに溜まった書類を片付けながら、斜め前の席に視線をずらす。そこには、デスクに深く背もたれを預け、長い足を組んでネクタイを緩めている男、松田陣平がいた。
(……相変わらず、絵になる男だなぁ)
不機嫌そうに整った顔立ち、少し癖のある黒髪。
口を開けば憎たらしくて、態度は雑で、私のことはいつも「おい」とか「お前」としか呼ばない。だけど、いざ現場で危険な目に遭いそうになると、誰よりも早く私の前に立って、息をするように私を庇い、助けてくれる。
そんなアイツが、どうしようもなく好きだった。
だけど、私の片想いは一向に進展する気配がない。それどころか、普段の私は松田の格好の玩具だ。何かあるたびに「お前、またそんなヘマしてんのか」「もっと頭使えよ」とからかわれてばかり。
(悔しい。いつも私ばっかりドキドキさせられて……。たまには、アイツの余裕のない、困った顔が見てみたい)
そんな、ただの思いつきだった。時計の針は、夜の十時を回ろうとしている。オフィスにはもう、私たち二人しか残っていない。
「お疲れ様、松田。もう帰る?」
私はデスクの上の荷物をまとめ、自然な声を装って声をかけた。松田は、ポケットから煙草の箱を取り出しかけて、こちらに視線を向けた。サングラスの奥の瞳が、私を捉える。
「あぁ。ひと段落ついたしな。お前もだろ、さっさと帰る準備しろ」
そう言って、気怠げに伸びをする松田。いつもの、なんてことない仕事終わり。けれど、今日の私はそこで引き下がらなかった。私は荷物を抱え、松田のデスクへと歩み寄る。普段の「同僚」としての距離感を完全に無視して、松田のすぐ目の前まで歩を進めた。あと数センチで、お互いの吐息が触れ合いそうな、そんな距離。松田の伸びをしていた身体が、微かに硬直した。
「……何だよ、お前」
「じゃあさ、私の家で一休みしてく?」
上目遣いで、わざと甘ったるいトーンを意識して呟いてみる。あわよくば「はぁ!? お前何言って……っ」と、顔を真っ赤にして狼狽える松田が見られるんじゃないかと期待した。私の勝ち誇った笑顔で、「冗談だよ」と笑い飛ばす準備はできていた。が、松田は動きを止めたまま、怪訝そうに私を見下ろしている。松田の瞳が、じっと私の目を、唇を、そしてまた目を、ゆっくりと往復する。からかうような笑みもなければ、分かりやすく動揺した様子もない。ただ、凍りついたような静寂。
(……あ、やばい。やりすぎたかも)
急に背筋が寒くなった。心臓が嫌な音を立てる。あまりにも軽率な発言だったのではないか。急に恥ずかしさと後悔が押し寄せてきて、私は慌てて言い訳を作ろうと口を開きかけた。
「あ、今の、冗談」
「……お前、それ誰にでも言ってんの?」
遮るように落とされた声は、低く、少し掠れていた。さっきまでの気怠げな空気は一瞬で消え失せ、代わりにぞっとするような重苦しい圧。
「え、あ……」
冗談だよ、と笑い飛ばすはずだった言葉が、喉の奥に貼りついて出てこない。松田は組んでいた長い足をゆっくりと下ろし、深く背もたれに預けていた身体を起こした。デスクに肘をつき、組んだ両手の上に顎を乗せる。射抜くような視線がまっすぐに私を捉える。

「誰にでも、そんな顔して、そんな安っぽい誘い文句言ってんのかって聞いてんだよ」
静かな怒りを含んだ声。いつもからかってくる時の意地悪な笑みなんて、どこにもない。

「ち、ちがう……っ! 誰にでもなんて、言うわけないじゃん!」
焦りから、声が上ずった。その必死な言い訳を聞いた松田が「ふん……」と鼻で短く息を吐いた。少しだけ、張り詰めていた空気が緩んだ気がした。けれど、それは彼が「いつも通り」に戻ったわけではなかった。
「じゃあ、なんで俺には言ったんだよ」
松田はデスクから立ち上がった。ただでさえ高い体躯は威圧感がある。たじろいで一歩後ろに下がろうとした私の足は、自分のデスクの角に当たって止まった。逃げ場がない。松田はポケットに両手を突っ込んだまま、ゆっくりと距離を詰めてくる。私を見下ろす彼の影が、私の身体をすっぽりと覆い隠した。
逃げようと一歩下がった瞬間、腕を松田にがっしりと掴まれていた。
「痛っ……」
「痛くしてねぇだろ。……逃げんじゃねぇよ」
私は思わず視線を逸らした。
「からかうつもりだったんだろ。俺の慌てる顔でも見て、満足したかったか?」
「それ、は……」
図星だ。見透かされているのが悔しくて、でもそれ以上に怖くて、私はギュッと目を瞑って俯いた。
「ごめんなさい……。本当に、ただの冗談で……。もう二度と言わないから……」
消え入りそうな声で謝る私。そう思って、ぎゅっと拳を握りしめて次の言葉を待った。が、返ってきたのは怒号でも、冷たい突き放しでもなかった。
「……たく、反省すんのが早すぎて、調子狂うな」
頭の上から、小さく、呆れたような、だけどどこか悔しそうなため息が降ってきた。恐る恐る目を開ける。耳の付け根が、ほんのりと赤い。
「お前さ、自分がどんな顔してそれ言ったか分かってんのか?」
腕は掴まれたままだ。
「……あんな無防備なツラして、家に男連れ込むようなこと言うんじゃねぇよ。冗談でも、相手が俺じゃなかったらどうすんだ」
「え, 相手が、松田だから……」
「だから、それが気に入らねぇっつってんだよ」
松田は私を睨みつけるようにして言う。
「お前さ。俺がいつまでも、ただの『めんどくせぇ同僚』でいてやると思ってんの?」
掴まれた腕の力が、少しだけ強くなる。松田の顔が、ゆっくりと近づいてきた。
「お前がその気なら、俺はもう手加減しねぇぞ」
「あ……、あの……」
「……本気にすんぞ、馬鹿」
顔が火を噴くように熱くなり、心臓の音が松田に聞こえてしまうんじゃないかと本気で焦る。
「っ……、もう、離して!」
「嫌だね。言い出しっぺはお前だろ」
真っ赤になって俯く私を見て、松田はフッと、いつもの意地悪に笑う。
「……一休み、させてくれんだろ。だったら、途中で『冗談でした』なんて泣き言、絶対に認めねぇからな」
本当に余裕をなくして、困った顔をしていたのは私の方だった。

— End —

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