宇宙飛行士が龍水くんから隊長さんに変わろうと、私のすることは変わらない。当初の予定では千ちゃんだけだったのが、その千ちゃんの体力面が少しずつ向上してることを理由に宇宙飛行士全員分になろうとも、生活面のサポート及び健康管理に努めるだけ。
鍋に張ったお湯でゆで卵を作りつつ、トマトを輪切りにする。
(苗、もらってきておいてよかった)
アラシャを発ったときは、別にここまで想定していたわけじゃない。ただ食材は豊富なことに越したことはないからと、トマトの苗を分けてもらっていた。
(あぁ、けどそれを言えばフランソワさんに感謝、かな)
何せ私は世界1周について行ってない。アラシャと日本の往復だけじゃ到底手に入らない食材も、フランソワさんのおかげで手元にある。
その内の、オーストラリアから来たキウイを潰し、スペインから来たレモンを絞ったレモン汁とはちみつをよく混ぜる。
「あとは……」
カセキのお爺ちゃんに作ってもらった装置から取ってきた炭酸水を注ぎ、同じく作ってもらったガラス瓶に分けて入れる。
(ペットボトルはまだないからね)
コルクで蓋をして、今は出番のほとんどないニューペルセウスに設置された冷蔵庫ーー千ちゃん、いつの間にそんな便利なものを……ーーに入れる。
「さて」
続いてゆで卵の殻を剥いて輪切りにし、トマトと合わせたサンドウィッチを作る。
続けて豚肉の生姜焼きサンドーー生姜もフランソワさんがインドから持ってきてくれてた。ありがとうございますーーを作ってバスケットに詰め、ほどよく冷えたガラス瓶を冷蔵庫から取り出す。
「ん。……そろそろかな」
凄腕時計技師のジョエルくんはまだアメリカだ。だから時計なんて便利なものはまだない。まぁこっちに来てたとしても、彼にはリザレクション・ウォッチのほうが優先事項だし。
けど私も、アラシャでの生活で太陽の位置から大体の時間は読めるようになってる。
千ちゃんたちの着衣水泳訓練もそろそろ終わる頃だろうと、バスケットを手にキッチンを出発した。
*****
到着はどうやらジャストタイミングだったらしい。
着衣水泳が行われてる海域、その海岸っぺりに着く頃、訓練を終えた隊長さん、コハクちゃんがザバッと上がってくる。
(千ちゃんは……)
「気張んなっ、千空! あと20メートルだよ!」
近づいてくる小舟からニッキーの激励が聞こえて、見れば千ちゃんが必死に泳いでるのが見えた。
「千ちゃん、ファイト!」
海の中にいるのだから聞こえないだろうとは思いつつ、コハクちゃんらに飲み物を渡しながら、あの体力ミジンコな千ちゃんが頑張ってるんだからと私も応援する。
やがて。
「ゲホッ、エホッ、……ゼー、ハー」
もう息も絶え絶え、何とかギリ這い上がったって感じではあったけど、千ちゃんも岸に上がってきた。
でも訓練を始めたばかりの頃は泳ぎ終わった後、自力で岸に這い上がれず、下から龍水くんが押し上げ、上からコハクちゃんが腕を引っ張っていたのだから、大した進歩だ。
「っ、はーっ! 前のすぽおつドリンクとやらも美味だったが、これはまた格別だな! 五臓六腑に染み渡るとはまさにこのことだ!」
「そう言ってもらえると作った甲斐があるわ。あ、こっちも食べてね。軽食だけど疲労回復に効くから」
「ん……、っ! これもまた美味だな! フランソワの照り焼きとはまた違う、このピリッとした感じがたまらん!」
「生姜焼きね。気に入ったんならまた作るわ。……千ちゃん、無事?」
見れば、千ちゃんは岸に上がってくることで最後の体力を使い果たしたらしい。両手両足がプルプルと生まれたての子鹿みたいになってて、四つん這いから体勢を変えようにも変えられなくなっている。
「ゼー……、……お゛ー、なん、とか……、な」
そうは言ってもこのままじゃドリンクを飲むのも難しい。効果を発揮させる、プラス水分補給のためにも早急に飲んでほしいのが正直なところ。
なので。
「ほら千ちゃん、お尻ついて背中こっちに向けて」
千ちゃんの頭側に移動して、とりあえず座らせる。辛うじて反転はできた千ちゃんを、そのままもたれさせ、持ってきたタオルで頭を拭きつつ、その手に最後のガラス瓶を持たせる。
「髪は拭いてあげるから。その間に千ちゃんはドリンク飲んで」
「お゛ー……、おありがてぇ。……んっ、あ゛ー……、さすがは姉貴。キウイとはちみつの炭酸レモンとはな」
「ほぅ? やはり飲んだときに思ったが、前とは材料が違ってたのか。それでその、キウイやレモン? とは何がいいのだ? 炭酸はゲンのコーラとやらに使われていたものと記憶してるが」
「ククッ、キウイとレモンは簡単に言やぁ乳酸、つまりは疲れを速効分解する。はちみつでエネルギーチャージもできるとなりゃ、回復効果はさらに跳ね上がりやがる」
「はいはい。解説できるくらい回復したんなら、ちゃんとサンドウィッチも食べて。千ちゃんに合わせて量は減らしてあるから」
「お゛ー……」
ドリンクで多少なりとも回復した千ちゃんに、コハクちゃんの半分ほどに切ってあるサンドウィッチを咥えさせれば、モゴモゴと咀嚼し始める。
その間に千ちゃんの髪を拭けば、おひたし状態だったのがいつもの髪型にモルンモルンと戻っていく。
「はい、拭けた。……次、行けそう?」
「お゛ー、あと少し休みゃ何とかな」
「ん。私はこの後フランソワさんのとこ寄るけど、ニッキーは……」
「あたしはこの後畑仕事だね。他の連中に水持ってかなきゃだし、そのついでにコレは片付けておくよ」
「了解。じゃ、頑張ってね」
もたれさせてる千ちゃんの肩をポンポン叩いて起き上がらせる。
(ん、本人の申告通り、もう大丈夫かな)
この後すぐ走れそうなコハクちゃんほどじゃないにしても、千ちゃんもそれなりに回復傾向。
もう大丈夫だろうと、空っぽになったバスケットを手に、フランソワさんのもとへと向かった。
「宇宙飛行士の任、よろしく。Mr.スナイダー」
そう言って手を差し伸べられたとは言え、完全に受け入れられたと思えるほど御目出度い頭はしてねぇ。
任に必要だから、それは分かってる。
ただーー。
「頑張ってね」、そう言い残して例の執事のもとへ駆けていく後ろ姿を、言葉もなく見送る。
手にしてるのはジンジャーとポークのサンドウィッチ。さっきのボイルエッグとトマトのやつといい、疲労回復効果に特化してるもんだ。
……食っていいもんかどうか、迷わなかったと言や嘘になる。
が、「量は減らしてるから」と、半分に切られたのを元々あまり量を食わねぇ千空と、着衣水泳してねぇ分俺らよりかは体力消耗してねぇニッキーに渡してんのを見りゃ、残りが誰の分として作られてんのか察すんのは、慣れ親しんだ弾道の計算よりも遥かに容易で。
「……」
口に入れ咀嚼すれば、慣れ親しんだジンジャーの風味とポークの甘みが広がり、あっという間になくなっていき。
「……美味い、な」
あんとき、船では思っていても決して口にできなかった言葉が、自然と零れ落ちていた。
「……へぇ?」
不意に声がかけられたのは、そんなとき。
見ればこの中で唯一、俺と高さの合う目がこちらを見ている。
「何よ?」
「いや? アンタもンな顔すんだね」
「は?」
ニッキー、俺やブロディ相手でも物怖じしないこいつは、どうやらマヤと似たタイプらしい。ま、俺としても。変に怖がられるより話のできるやつが訓練補佐要員してるほうが楽でいいんだが。
「……あの娘に惚れたのかい?」
「……」
前言撤回。マヤはンな機微に富んだやつじゃねぇ。誰だこいつをマヤと同じタイプだなんて言ったのは。……あ、俺か。
「……そんなんじゃねぇよ」
言いながら、海岸っぺりに置いといた荷物から、いつものようにタバコを取り出す。
口に咥え、いつものように火をつけようとして。
「……」
何となく、口に残るサンドウィッチとドリンクを消したくなくて、ライターの蓋を閉じる。タバコもシガレットケースに戻し、いつもの紫煙の代わりにドリンクを口にする。
「ただ千空に甘すぎなんじゃねぇかって思っただけだ。こいつももういい歳だろ?」
「ほう? スタンリー、君ともあろうものがずいぶんと雑な誤魔化しをするものだな?」
おいコラ、コハク。こういうときは変に突っ込んでくんじゃねぇ。
この遠慮のなさ、チェルシーとかいう地質学者といい勝負なんじゃね? とか思ってたら、何か思うところがあったのか、ニッキーが苦笑いでコハクのフォローに回った。
「……ま、彼女の指針は百夜さんだからね」
「百夜?」
聞き慣れない名だ。音からして日本人ぽいが、ンな名前のやつは会ったことねぇはず。
「石神百夜。名前から想像つくだろうけど、千空の親父さんで、光子の異母兄にあたる人さ。3700年前の宇宙飛行士にして、コハクたちの遠い御先祖様でもあるね」
そいつは……。
「……偉大な人間ってわけか」
「あぁ、そのとおりだ。創始者たる百夜の残した百物語がなければ、私たち石神村の住民は3700年もの間、命を繋ぐことはできなかったろうな」
(なるほど。……分が悪すぎるどころの壁じゃねぇな)
たった6人だけで地上に戻り、無人島からスタートした生活。抗生物質もねぇ、怪我が元での破傷風や、現代じゃなんてことはねぇはずだった肺炎すら死に直結する環境。
不幸中の幸いか、その島にゃコヨーテだのグリズリーだのはいなかったから、獣に襲われる心配は薄かったらしい。が、何もねぇ原始の生活で、子を産み、育て、生きるための知恵や術を伝え、教え導いた。現代知識を有する者として。
その上、千空が所持してたプラチナは、百夜が島に流れる川から掻き集めたもんだと聞く。
量は試験管の先、精々1インチ強程度らしいが、元々プラチナは希少なはず。
(そんだけの量集めんのに、いったい何十年……)
途方もない道のりだったはずだ。
それでもいつの日にか。何十年、何百年、下手したら何千年先の未来になろうとも、千空やミツコが復活すると信じ、リスタートが切れるようにと集め続けた。
それがどんだけ過酷かつ長期戦を覚悟しなきゃなんねぇことか、待機に慣れてる俺でも気が遠くなりそうなミッションだ。
(なんつぅ御仁なんだか。しかも故人相手にどう勝てっつぅんよ)
あまりの壁の高さに、自分でもらしくないと思いつつ自嘲する。
「おい、スタンリー」
「?」
不意に呼ばれ、ガラス瓶に向けてた視線を上げる。いつの間に回復したのか、大抵のことは聞き流してる千空が、珍しく真っ直ぐにこっちを見据えてた。
「ホワイマン相手に悠長にしてられる余裕なんざ、1ミリたりともねぇんだ。……余計なノイズ混ぜんじゃねえぞ」
「……っ」
ノイズ、か。言ってくれんね。
また随分とデッケェ警告射撃ぶち込んできやがるもんだ。
(……が、まぁ)
ここで事を荒立てんのがあらゆる面で悪手だってのは、分かりきってんこと。
「フー……」
低く、深く、息を吐き出す。
瞬間的に頭に上った血を、瓶の持つ手に入った力を、逃がすように努める。
「……分かってんよ。ミッション完遂のロードマップにゃ従う。……それだけだ」
「ククッ、ミッションに私情持ち込まねぇんならそれでいい。……さてと。コハク、次はてめぇが好きな集中力訓練だ」
「むぅ……、あの複雑な迷路やら、真っ白なパズルとかいうものか。正直苦手なのだが、致し方あるまいな」
「そう言うんじゃないよ。コハクだって前よりかは時間短縮できるようになってんだろ? さ、アンタらは行きな。片付けはしとくからさ」
「おありがてぇ、頼むわ」
「うむ、すまないなニッキー。後は頼んだ」
差し出されたバスケットに、千空とコハクがガラス瓶を入れるのに、俺も残ってたドリンクを飲み干して続こうとしたーーそのとき。
「地球に帰ってきた後ならとやかく言わねぇ。モーションかけるなり好きにしやがれ」
すれ違いざまにかけられた思いがけない小声に、瓶を戻そうとした指が僅かに揺れる。
「ま、もっとも」
視線で千空を窺えば、奴はミツコに似た、それでも少し色合いの異なる赤の目に、挑発の色を強く乗せて見返してくる。
「テメェの勝率が何パーセントかは、知らねぇがな」
「……」
(「姉貴の1番は俺なんだからな」ってか?)
「へぇ、言ってくれんね」
端から分の悪すぎるゲームだなんてことは、分かりきってる。
こんだけ猫っ可愛がりしてる千空だけでも厄介だってのに、ミツコの周りにはデキる男が山のようにいる。おまけに人類の父たる百夜が指針とくれば、振り向かせんのは正直至難だ。
(ま、とりあえず)
今はこの、宇宙飛行士のミッションに集中すっかね。
元より、うつつを抜かしてどうにかなるようなミッションじゃねぇ。
それに生半可な覚悟で挑むなんざ、俺のプロ意識が許せそうにないんでね。
光子
面倒見るのが千ちゃんだけだろうが増えようが、やることは変わらないといつも通りに行動。
フランソワさんのもとで指導を受けた後は、ユズちゃんのところで縫製の手伝い。
他にもあちこちから手伝い要請が来てかなり忙しい日々だけど、可愛い千ちゃんがいてくれるから頑張れちゃう。
やっぱりモチベーションって大事だと思うんだ。
千空
普段なら人の色恋沙汰になんて(大樹と杠の数千年純愛カップル以外)絶対に首突っ込んだりしない。「ンな100億パー非合理なもん気にする余裕があんなら、ロケットのブラッシュアップしてるわ」とは本人談。
が、それも姉貴が絡むなら話は別と、ぶっとい釘をブッスリ刺してやった。
ま、どのみち姉貴の1番は、当分この俺だけどな?
スタンリー
宇宙飛行士訓練に参加するようになり、千空のおまけ、もしくはついでの扱いだが同じく面倒見られてる。
千空を猫っ可愛がりしてる様に内心ものすっごく複雑だけど、自分にどうこう言える資格なんてないので、今は沈黙。
が、帰ってきた後はーー。
ニッキー
科学王国1乙女なこの人なら、視線にこもる想いを察することもできるはず。恋バナだって好きだろうし。
けどそれが真剣な想いなら、絶対に茶化したり笑ったりしないだろう優しさも持ち合わせてる。
ヘビースモーカーなこいつがタバコより優先させたいと思うくらいには、本気ってことだろ?

























