【2013年5月11日】
雨の音が聞こえる。暗い空から落ちてくる雨粒は私をすり抜けて、透明な水たまりを作っていく。覗き込んでみても、映るのは鈍い色の空だけだ。 ぱしゃ、ぱしゃ、水たまりを雨粒が叩く音に合わせてステップ。雨の匂いを思い出す。湿った土と、アスファルトのちょっと油っぽい匂い、けどいつもより埃っぽくなくて、どこか澄んでいて。でも今の季節に降る雨は、夏の雨とは違う香りがするんだろうな。
今日は全国的に雨らしい。この東京から遠く離れた京都でも、きっと空模様は同じだ。晴れてくれたら良かったのに。でも、晴れたら太陽に嫉妬しちゃったかも。
「……お誕生日おめでとう、彩葉」
2013年5月11日。今日、この空の下で産声を上げたあなたに、寿ぎを。お誕生日、聞いていて良かった。「お祝いできなかったから、次はぜえったいに、お祝いするから!」って言ったのに、一番初めのお祝いが18歳の彩葉ではなくて、0歳の彩葉に向けてになるなんて想像もしていなかった。
……本当は、直接伝えたい。インターネットが普及して、調べようと思えばいくらでも、彼女の両親については調べられるはずだ。でも、もしも。世界中を探して、あなたがいなかったら?
それがどうしようもなく怖い。私がいたことで、わずかでも未来が変わらなかったなんて言いきれない。もしあの時、私が手を伸ばすことができれば助けることが出来た誰かが、彩葉に繋がる誰かだったなら? 私は、長い時の中でどうしようもなく臆病になってしまった。
雲の上、遠い遠い空の向こう側。今日が満月だったら、私は運命を信じてあなたに会いに行けたのかも、なんて夢想する。ああ、でも、今日から月は満ちていく。彩葉の成長と一緒に月は満ちて、欠けて、月日を繰り返していく。私の月は、今日生まれた。なんて、おばあちゃんなのに少女趣味がすぎるだろうか。
「彩葉、いろは」
彩葉。何度も呼んだ名前を繰り返す。そうすれば、どれだけあの二か月間が遠くなってしまっても、真っすぐで、凛として、でもどこか寂しい翡翠の瞳を思い出せる。まだ何も知らない無垢なあなたが、今日この日から、楽しい思い出も辛い出来事も苦しい日々の全てを強さに変えて、あの彩葉になっていく。
……私の歌は、届くだろうか。いや、届けなくちゃいけない。ヤチヨは絶対に、彩葉の支えになるのだから。だから、どうか。
「あなたの人生が、少しでも多くの幸いによって照らされますように」
苦しくて、辛くて、立ち止まってしまってもいい。少しでも、あなたの歩こうとする人生の道行きに光がありますように。それが、私であったなら、とても喜ばしい事だけど。もっとたくさんの人と出会って、繋がって、彩葉を支えてくれますように。
祈りを込めて、もう一度、空を見上げる。雨はまだ止まない。
【2041年5月11日】
「うっはー、めっちゃいい天気!」
「ちょっとかぐや、転ばないでよ! あんたお弁当持ってるんだから!」
「だいじょーぶ、おおっと!?」
「ちょ、言ったそばから、もう!」
芝生に足を滑らせかけて、なんとかバランスを取ったかぐやに向かって彩葉が呆れたように駆け寄って、バスケットを取り上げた。
「ほら、好きに走ってきていいよ」
「かぐやちゃん犬DOGEじゃないんだが?」
軽快な二人の言葉に笑いながら、空を見上げる。雲一つない、とは言わないけど、いい天気だ。風も強くなくて、絶好のピクニック日和。
彩葉の誕生日会は、今日の夜に皆が私たちの家に集まって開催する予定だ。料理は張り切ったかぐやが昨日までにほとんどの仕込みを終わらせて、あとは仕上げと盛り付けだけ。部屋の飾りつけは私がほとんど終わらせてしまって、ぽかっと昼の時間が空いてしまった。
だからだろうか。「めっちゃ晴れてるし、ピクニックしよ!」とかぐやが言い出したのは寝起きでぼんやりした彩葉と私がソファでコーヒーを啜っていた時の事だ。昨日は大分夜更かししたのにかぐやは朝から元気で、あっという間に軽食をバスケットに詰めて私達を連れ出した。
「ヤチヨー、シート持ってきてー」
「はーい」
大きく手を振るかぐやと、「あんまり大きい声で呼ばないの、身バレするから!」と慌てている彩葉の元まで歩み寄る。広げたシートは三人だと少し狭い気もするけど、このくらいの方がくっついて座れるから、とかぐやが選んだものだ。
彩葉を真ん中に、ぴったりと並んで座る。三人の間に置かれたバスケットをかぐやがにこにこと開けた。くるくるまかれたサンドイッチ、から揚げ、ハート型になった卵焼き、小さなカップに入ったポテトサラダと彩のプチトマト。全体的に量は少なめだけど、今夜のご馳走を考えればちょうどいいくらいだろう。
「わ、美味しそう」
「ふふーん! ささ、本日の主役からどうぞー?」
「いただきます……超うまい」
「やったー!」
卵焼きを口に運んだ彩葉が蕩ける様に笑う。立ち上がって小躍りするかぐやを見つめる目が優しくて、ああ、彩葉は幸せになったんだとじわじわ胸が熱くなる。
「ヤチヨも食べてー、かぐやちゃんのおすすめはから揚げ~」
「いただきます。ん、美味しい。さすがかぐや、天才だねぇ」
「んふふー!」
すすめられるままから揚げに手を伸ばして、素直に称賛する。冷めてもサクッと軽やかな衣、じゅわっとした鶏肉のうま味。ううん、かぐやの料理の腕が留まるところを知らない。これは今夜の料理もとんでもなく気合が入ったものが出てくるだろう、楽しみ。
彩葉がにこにこ笑いながらサンドイッチを口に運んで、「うま……」と目を閉じて空を仰ぐのを笑いながら見つめる。今日が晴れてよかった。仕事柄いつも籠りがちな彩葉だから、時間が空いたら少しでも日光に当てよう、というかぐやの考えは正解みたいだ。
次のサンドイッチに迷う彩葉から芝生の広場へ目を移す。同じようにお弁当を広げるカップルや、元気に遊ぶ子供たち、並んで散歩する老夫婦と、たくさんの人がいる。この中にもしかしたら、遠い昔に私が出会っただれかの子孫がいるのかもしれない。あるいは、彩葉に繋がる誰かと、関わった人が。
ああ、良かった。ちゃんと、繋がっていた。
「んえ、ヤチヨ?」
「ん、なんだい?」
「ちょ、なんで、涙が……」
「え? あ、あれ?」
頬を触ると、本当に濡れていた。拭っても拭っても、後から溢れてくる。どうしよう、どうしてだろう。彩葉がいて嬉しいのに、涙が止まらない。
「うわ、えっと、あ、おしぼり!」
「擦っちゃだめよヤチヨ、赤くなっちゃうから!」
大慌ての二人が私を囲む。私の顔を拭ってるのは彩葉で、わしゃわしゃと頭を撫でているのはかぐやかな。下ろした髪がくしゃくしゃになるけど、その温かさが嬉しい。すり、と目元を彩葉の親指が擦る。心配そうな顔をさせちゃった。けどね、違うんだよ。
あの雨の日から抱え続けた臆病な私の不安が、やっと晴れたの。頬を撫でる彩葉の手に、自分の手を重ねる。温かい。彩葉がくれたもの。ずっとずっと、探していたもの。
「ね、彩葉。今、幸せ?」
ちょっと驚いたように目を開いて、けれど優しく、彩葉は笑う。
「うん。仕事は順風満帆だし、今日なんて私の誕生日をお祝いしてくれる素敵な仲間もいて。何よりここに、ヤチヨが、かぐやがいて。ハッピーエンド、これたなって思うよ」
「まだまだ終わりじゃないよ、もっともっと、ハッピーにするんだから!」
「ふふ、そうだね」
かぐやの言葉に笑う。もっとハッピーに、ハッピーエンドの向こう側、もっともっと幸せな場所に、私たちは進んでいくんだ。
「彩葉。お誕生日、おめでとう。生まれてきてくれて、ありがとう」
たくさん、たくさん伝えて来たけれど。何度だって、あなたに伝えたい。出会ってくれて、ありがとう。良かった。やっと現実の彩葉に、言葉として届けることが出来た。
「私こそ。ここまで一緒に来てくれて、ありがとう」
光の中で彩葉は、世界で一番幸せな女の子の顔で笑った。























感動系もかけるの強すぎません!??