Novel2 months ago · 4.2k chars · 1 pages

言えない想いは、焼き菓子よりも甘く

ClosureClosure

放課後のトレーナー室の前で立ち止まるメジロドーベル。 伝えられない想いと、不器用な優しさが交差する夕暮れの一幕。 「……ずるい。そんなの、好きになるに決まってるじゃない」 まだ「好き」とは言えないけれど、ページをめくる前の、栞を挟んだような二人の時間のお話。

夕暮れの学園は、少しだけ世界の輪郭がやわらかくなる。

赤く染まった窓。廊下に伸びる長い影。
グラウンドから聞こえてくる掛け声も、昼間より遠くて、夕暮れの中に溶けていくようだった。

メジロドーベルは、文庫本を胸に抱えたまま、トレーナー室の前で立ち止まっていた。

「……はぁ」

小さく息を吐く。
ノックをしようとして、手を引っ込める。もう一度上げて、また止まる。

――別に、用事なんて大したことじゃない。
今日のトレーニングメニューの確認とか、明日の予定とか、そういうのでいい。
そういうので、いいはずなのに。

「……なんで、こんなに緊張してるのよ……」

自分で自分に呆れて、ドーベルは唇を尖らせた。

恋愛小説なら、こういう場面で主人公はもっと潔い。
意を決して扉を開けるとか、震える声で名前を呼ぶとか、そういう“らしい”ことをする。

でも現実は、そんなにうまくいかない。

好きな人の前では、本のページをめくる指先みたいに、気持ちよく進めないのだ。

「……やっぱり、今日はいい」

小さくそうこぼして、踵を返しかけた、そのとき。
がちゃり、と背後でドアが開く音がした。

「……入らないのか?」

「ひゃっ!?」

背後から声がして、ドーベルは肩を跳ねさせた。
振り向けば、書類の束を抱えたトレーナーが、少しだけ目を丸くして立っていた。

「ト、トレーナー!?」
「悪い、驚かせた」
「び、びっくりするに決まってるでしょ……!」

頬が熱い。
絶対、今の変な声も聞かれた。

トレーナーは困ったように笑って、肩をすくめた。

「立ち話もなんだし、入るか?」
「……うん」

促されるまま部屋に入り、椅子に腰かける。
見慣れた机、見慣れた棚、見慣れた空気。
なのに、二人きりだと思うだけで、どうしてこんなに落ち着かないんだろう。

「それで、どうした?」
「え……っと、その……」
「相談か?」
「相談っていうか……確認、というか……」

しどろもどろになりながら、ドーベルは持ってきたノートを差し出した。
本当は口実だ。明日のメニューなんて、もうだいたい頭に入っている。

トレーナーはノートを受け取って、真面目な顔で目を通し始めた。

「うん、問題ないな。むしろよく整理できてる」
「そ、そう」
「自主トレの量だけ少し気になるけど。詰め込みすぎると、今の時期は逆効果だ」
「……わかってるわよ、そのくらい」

わかってる。
わかってるけど、走っていないと落ち着かない日がある。

勝ちたいから。
期待に応えたいから。
……それだけじゃなくて。

少しでも、隣に立って恥ずかしくない自分でいたいから。

「ドーベル?」

名前を呼ばれて、はっとする。

「な、なによ」
「今日は少し元気がないなと思って」
「別に。普通よ」
「そうか?」

そう言って、トレーナーはじっとこちらを見る。
その視線はやさしいくせに、妙に鋭い。ごまかしを見抜くのが上手いのだ、この人は。

ドーベルは視線を逸らして、窓の外を見た。

「……トレーナーってさ」
「うん?」
「誰にでも、そうやって優しいの?」

言ってから、しまったと思った。
あまりにも、拗ねた言い方だった。

トレーナーは少しだけ考えるように黙ってから、手を顎に当てた。

「どうだろうな。仕事だから、というのはある」
「……ふうん」
「でも、担当にはちゃんと向き合いたいと思ってるよ」

担当。
その言葉が、胸の奥にちくりと刺さる。

もちろん、わかっている。
自分は“担当ウマ娘”で、トレーナーは“トレーナー”だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
少なくとも、今は。

恋愛小説みたいに、特別な視線が交わされるわけじゃない。
意味ありげな沈黙が、すぐに答えになるわけでもない。

むしろこの人は、そういう曖昧さに流されない。
ちゃんと線を引く。誠実なくらい、きっちりと。

……だから好きになったのに。
だからこそ、苦しい。

「ドーベル」

また、名前を呼ばれる。
今度はさっきより少しだけ静かな声だった。

「何か、あったか?」
「……ない」
「本当に?」
「……っ」

そんなふうに聞かれたら、揺らぐ。
言いたくなる。
言ってしまいたくなる。

好きだって。
あなたのそういうところが、ずるいくらい好きだって。

でも、言えない。

もし困らせたら。
もし今の関係が壊れたら。
もし、やっぱり“担当として大事だ”なんて、やさしい言葉で返されたら。

それはきっと、どんな失恋よりも痛い。

「……トレーナーはさ」

絞り出すように、ドーベルは言った。

「わたしが……その、レースで勝ったら、嬉しい?」
「もちろん」
「じゃあ、わたしが頑張ってるの、ちゃんと見てる?」
「見てるよ」

即答だった。
迷いもなく、まっすぐに。

それだけで、泣きそうになる。

「……そっか」
「ドーベル?」

「じゃあ、それでいい」

笑えたかどうか、自信はなかった。
でも、これ以上ここにいたら、本当に何かこぼしてしまいそうだった。

視線を落とし、ドーベルは腰を浮かしかける。
そのとき。

「それでいい、って顔じゃないな」

やわらかい声に、ドーベルの動きが止まる。
顔を上げると、トレーナーの真剣な瞳がこちらを見つめていた。

「……なによ」
「無理に話さなくていい。でも、一人で抱え込むな」
「抱え込んでなんか」
「抱え込むタイプだろ、お前は」

図星だった。
悔しくて、少しだけ睨む。

トレーナーは苦笑して、机の引き出しを開けた。
中から小さな包みを取り出して、ドーベルに差し出す。

「これ、今日の差し入れでもらったやつ。甘いもの、好きだろ」
「……子ども扱い?」
「慰めようとしてる」
「余計なお世話」
「そうかもな」

そう言うくせに、引っ込めない。
ドーベルはしばらく迷ってから、そっと受け取った。

包みの中身は、小さな焼き菓子だった。
可愛らしい花の形をしている。

「……こういうの、反則」
「何が?」
「なんでもない」

ふと、包みを留めていた店のシールが目に入る。
学園の近くにある、小さな洋菓子店のものだった。
以前、ドーベルが“ここの焼き菓子、かわいいのよね”と何気なく口にしたことがある店だ。

「……これ」
「ん?」
「ほんとに、もらいもの?」
「……さあな」

顔を上げると、トレーナーはわずかに視線を逸らした。

こんなの、好きになるに決まってるじゃない。
そう思って、また胸が苦しくなる。

トレーナーは少しだけ姿勢を崩して、穏やかに言った。

「ドーベル」
「……なに」
「お前が頑張ってるのは、ちゃんと見てる」
「さっき聞いた」
「レースだけじゃない」

少しだけ語気の強まった言葉に、ドーベルは小さく息をのむ。

「不器用なところも、意地っ張りなところも、でも本当は誰より真面目なところも。そういうの、ちゃんと知ってるつもりだ」
「……っ」
「だから、焦らなくていい」

その言葉は、まるで見透かしているみたいだった。
言えない気持ちも、届かないかもしれない不安も、全部。

「今、答えを急がなくてもいいだろ」

どくん、と心臓が鳴る。

「……それ、どういう意味」
「どういう意味だと思う?」

珍しく、少しだけ意地悪な返しだった。
ドーベルは思わず顔を上げる。

トレーナーは笑っていた。
いつもの穏やかな笑み。でも、その奥に、ほんの少しだけ照れた色が混じっている気がした。

「ずるい」
「お互い様だろ」
「わたしはずるくない」
「この部屋の前で十分くらい悩んでたのに?」
「見てたの!?」
「たまたま窓に映ってた」

最悪、と言いながら、ドーベルは顔を覆った。
恥ずかしい。消えたい。
でも――

「……じゃあ、放っておけばよかったじゃない」
「それはできないな」
「どうして」
「担当だから」

一瞬、胸が冷えかけて。

次の言葉で、また熱を取り戻す。

「……それだけじゃ、たぶんないし」

静かな声だった。
断言ではない。けれど、ごまかしでもない。
曖昧な優しさで期待を持たせたりもしない。
ちゃんと考えて、ちゃんと向き合おうとする。

ああ、本当に。
そういうところが、好きなのだ。

ドーベルはそっと、包みを握りしめた。

「……待たせる気?」
「かもしれない」
「ひどい」
「でも、待ってくれると助かる」
「……勝手ね」
「うん」

素直に頷かれて、毒気が抜ける。

しばらく沈黙が落ちた。
気まずくはない。むしろ、くすぐったい。
夕暮れの光が部屋を満たして、世界を少しだけやさしく見せていた。

ドーベルは小さく息を吐いて、焼き菓子の包みを見つめる。

「……じゃあ」
「うん?」
「その代わり、ちゃんと見ててよ」
「もちろん」
「レースも、それ以外も」
「了解」

その返事が、あんまり自然で。
ドーベルはとうとう、少しだけ笑ってしまった。

「なによ、その顔」
「いや。やっと笑ったなって」
「……うるさい」

でも、嫌じゃない。

たぶん今日、恋は成就していない。
はっきり“好き”と言えたわけでもないし、“付き合おう”なんて言葉もない。

それでも。
ページをめくる前の、栞を挟んだみたいな時間だと思えばいい。

終わっていないからこそ、大事にできる一頁もある。

「トレーナー」
「ん?」
「……ありがと」
「どういたしまして」

そのやり取りが、妙にあたたかくて。
ドーベルは胸の奥に残っていた切なさが、少しだけやわらぐのを感じた。

今はまだ、隣に立つための途中。
でも、きっと悪くない。

トレーナー室を出る前、ドーベルは振り返って言った。

「次のレース、絶対勝つから」
「ああ」
「そしたら……また、話くらいは聞いて」
「いくらでも」

その答えに、今度こそちゃんと笑えた。

「約束だからね」
「約束だ」

扉を閉めて、廊下を歩く。
さっきまであんなに重かった足取りが、少しだけ軽い。

手の中の小さな焼き菓子は、まだ食べていないのに、もう甘かった。

夕暮れの窓に映る自分の顔は、少し赤くて。
でも、ほんの少しだけ ―― 幸せそうだった。

— End —

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Sakuria
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