前略:
紅桜は海の藻屑と消えました。
環境汚染も破壊の一部。きっとたぶん絶対そう。
・キャラの濃いオリジナル夢主
※一人称・名前変換可能
※高杉晋助妹(一つ下)
※その他濃いめに設定豊富
※松下村塾夢・鬼兵隊夢といえるのかもしれない
・珍しくキャラ→夢主の恋愛要素があります
・なにもかもすべて捏造
・特に高杉家と今回は真選組出身地に関して強めに捏造
⚠ふんわりと残酷描写があります⚠
⚠原作程度の犯罪行為の描写がありますが真似しないでください⚠
⚠その他あなたの苦手要素が含まれるかもしれません、諦めてください⚠
天人と同盟なんてただでさえ反感を買いやすく、加えて紅桜の大暴走が大損害すぎて士気が最悪だった。本艦の修理と負傷者の治療が一段落ついてすぐ、パーッと宴を開催した——わかりやすいご褒美ってだいじなんですよ。幹部陣は慰労会として別建てで飲んだ。酔っ払った河上さんが兄上とわたしに三味線の弾き語りデュエットを強要し始めたあたりで慌てて解散した。あのひとって本当自由人。
それはそれとして、紅桜計画の総責任者はわたしである。村田さんが指示を無視して岡田さんが暴走して、まあ、そういう暴走を抑え込めなかったのはわたしの責任に値する。
「一回日野あたりまで退いてろ」
で、兄上から下された沙汰がこちらである。
「……左遷……?」
でも左遷にしては江戸にかなり近くない……?
「ついでに湯治でも受けてこい。あのあたり源泉あっただろ」
「黒湯温泉の話されてます?」
「たぶんそれ」
ウン左遷じゃないなこれ、なに? 湯治推奨される左遷とはいったい?
兄上は面倒そうに煙管を指先だけで水平に回している。灰きちんと落としてから回してますよね? さもないと灰がそこらじゅうに飛びますよ。
「沙汰は下さねえと示しがつかねえ」
「さいですね」
なんせ久々に派手なやらかしなもので。本艦破損に死傷者累計数十名出しておいて、なにかしら処分が降りないまま放置となると、周囲から反感を買うどころではすまない。下手するとわたしか兄上が刺される。兄上の部下は兄上のように血の気が多い人々ばかりなので。
「が、もともと似蔵の紅桜計画参加はおまえが渋ったところに俺が許可を出している。村田ももとは連れてきたのは俺だ」
それはそうなんですけど、そういうの含めて任された以上はコントロールするのが管理職の務めというか……。
あとたぶんあそこで許可が出ようが出なかろうが、どっちみち似蔵さんは紅桜かっぱらってでも町に繰り出そうと目論んだかも、みたいな……。
「似蔵はおまえをやっかんでいた。村田もあいつァ妹を良くも悪くも軽く見る傾向があった。己よりも劣っており、己が導き、守らねばならないものであると、まァその是非はさておき」
兄上がふと目を伏せる。最終的に、己が丹精込めて作った紅桜から、妹の鉄子をかばって死んだ——……わたしたちがその死にとりたてて何を言うことはない。
「……ともあれ、どちらもおまえとは元来相性が悪かった」
「そ・そうなんですけれども……」
「ンであいつらは独断専行中によりにもよってヅラをつついて銀時を出した。功を奏した部分もあったにしろ、今回の一連の騒動は明らかに異常事態だ。これでいちいち真面目な沙汰下してたら回るモンも回らねえ」
藪をつついて蛇を出すかのごとく。
わたしは反論をいろいろと考えて、考えあぐねて、少し唸った。兄上の目が鋭くとがり、あぐらをかいていたうち右足が動いて膝を立てる。
「オイ素直に受け入れろ。指示だぞ」
「ですけれども……総額■■■■億ですよ」
おおよその内訳は、まず基礎費用として材料費・人件費・設備費・電力費・隠蔽費・維持費。前述の基礎費用をデータ収集時のシミュレーション用の仮想設備でもういっちょ二倍三倍、あと諸々雑費も込みでざっくり倍ドン、というかんじ。
新技術を用いた軍事開発ってとってもたいへんなんですよね。じつは。
「どうせ稼げる」
兄上は突き放した。そういう問題じゃなくてね。
いえもちろんのことじっさいに、現在の鬼兵隊ならばパトロンからの資金供給と後ろ暗いお仕事と最近では春雨との提携も本格的に始まった。それこそ稼げばするだろう。
本当にそういう問題じゃなくてね。
「兄上しかし」
「ピーチクパーチクうるせえな。空元気もここまで来ると見るに耐えねえ」
鋭く指摘されて、わたしは肩をすぼめた。
「……無闇矢鱈、気づかれるようなへましてません」
「あァ俺以外はな。それはそれとして、おまえが? 俺に? 隠し事? できるとでも? 寝言は寝て言え」
兄上は鼻でせせら笑った。
髪の隙間からのぞく、ひとつきりになってしまった目が冷たくひかる。
「——それとも本当に処してやろうか」
煙管を回していた指が止まる。
とたんに、部屋の空気が重苦しく感じた。錯覚だ。兄上はそういう、己の存在とすこしの言動の取り回しだけで場を支配することに、とても長けていた。
「ぐだぐだ喚いて食い下がりやがって。てめえはよく知っているだろうがな、俺ァ気が長い方でもねえんだ。降格、懲戒、やくざに倣って指でも落とすか……除名でもありか? あァ良い案だな、そうすりゃおまえも晴れて鬼兵隊じゃあなくなる」
兄上はほんの少しだけ身を乗り出した。さり、と着流しがこすれる音。わたしを覗き込むように顔を近づけ、翠眼はわたしをほとんど睨んでいる。
「今からでも泣きつきゃ、あいつらは昔っからてめえに甘い、アッサリ迎え入れるだろうよ。なァ?」
重苦しい沈黙がしばらく続いた。それから、わたしは細く長く嘆息した。
「兄上の、そういう……たちの悪い冗談や試し行為のようでいて、実際わたしが肯定したらばすぐさま突き放す算段をつけているところ、かなり、とても、心底、嫌いです」
煙管を回していた指はいまだ止まったままだ。
「今度こそ、ついてくるかと尋ねたのはあなたなのに」
すっかり拗ねた声が出た自覚はあった。
「……俺についてくるってのはそういう話だろ」
兄上もまた嘆息し、姿勢をもとの位置に戻すついで、立てていた膝を再度崩した。煙管を煙草盆に伏せて、がりがりと後頭部をかく。
「休暇とでも思って調子を整えろ。どうせ然程も経たねえうちに呼び戻す。そん時ゃ馬車馬のように働くことになるだろうな」
「馬車馬のように働くのはそれはそれでいやかも……」
「てめえそろそろ大概にしとけよ……」
そんなわけで。
わたしは日野に向かうことになった。
湯治、すなわち温泉療法である。血行促進・交感神経の緩和・解放感によるプラセボ効果、等々……。
「……兄上にこそ必要なのでは?」
わたしは半眼で独り言つ。
たまに眼球があったところを抑えていらっしゃるの、存じておりますからね。そういうときはたいていセットで、わたし含めて幹部すら誰もまともに近寄らせないほど荒れてもいるので、申し上げる機会を常々逃し続けているけれど。幻肢痛なのか神経痛なのかさておき、湯治も効きそうじゃあありませんか。
もっとも、兄上はここにはいらっしゃらず、他の方々も各々兄上の悪巧みのために行動中。わたしに直属の部下はいない(紅桜の件でお借りしていた人材はいたけれど、紅桜がおじゃんになったので、解散)。不意の暇で放り出されたわたしだけが単独日野行という実情だ。
鬼兵隊内では〝処分でしばらく僻地行き〟とだけ伝わっており、また子さんに心配されてわたしはあいまいな笑みで濁すしかなかった。もうほとんどだましている気分である。
『次は、日野——日野——お出口は、右側です——』
日野までの電車が開通したのがついこの間。日差しを避けるついでもあり、笠をかぶってホームに降り立つ。
江戸から日野まで、直線距離およそ三十㎞。かつての我が国のもっぱらの移動手段は徒歩となり、だいたい、片道七時間かけていた距離である。
なお電車を使えば一時間未満。本当にすっかりと、世の中は利便になりましたね。日帰りどころかちょっと足を伸ばしてお出かけするだけの距離だ。処分とか建前レベルで近い。
実際建前だし。
「ご予約の高杉ヒカリ様でいらっしゃいますね」
今時戦争孤児で苗字がない、新しく作った、等はざらにある。高杉という苗字自体はそこまで奇抜なものではない。なにより、わたしは兄上と違って顔と名前が知れわたっていない——兄上に妹がいることもまずろくに知られていない。
加えて〝高杉家の高杉ヒカリ〟の記録を万一実際に辿ったとして、残っている公的な記録は〝幼少期に失踪〟〝十六の頃に高杉家に帰還、養子との輿入れが予定されていたがこれまた失踪〟あたりになるだろう。かつての事件が露見してほしくないのは、わたしではなく高杉家である。がんばって隠蔽したんでしょうね。とってもたいへんそう。ご苦労さまです。
ともあれ結果的に、攘夷浪士の幹部が素顔・本名で宿帳に記録される暴挙が実現している。これはこれでなかなか。兄上はお茶目でいらっしゃる。
「お部屋には備え付けの露天風呂もありますので、ご存分にお楽しみください」
「……はい。ありがとうございます」
……わたしの聞き間違えでなければ、今備え付けの露天風呂と仰いました?
沙汰を下した兄上が宿まで勝手に予約していたので、宿の位置以外なにも知らないままここに来たわたしの笑みが半端に凍る事態に陥っている。どういう部屋予約してるんですか兄上。
まァ背中に裂傷の痕跡・変色した痣・火傷痕、エトセトラがのこっている人間、大浴場などには到底入れない。それはわかる。それだけはわかる。湯治といってもせいぜいが部屋の浴槽使うくらいですよね、のつもりでいた。
……備え付けの露天風呂……?
「ほ、ほんとにある……」
なにしてるんですかあのひと。なんなら部屋も最上階である。ただでさえそこそこグレード良さそうな宿なのに。なにしてるんですかあのひと(二度目)(恐怖)。
安宿で妥協する金払いの悪い兄上も、なんというか、ありていに言っておおよそ解釈違いでこそある。けれどもこう、その、わたしはなんだかんだで小心者なので、まあまあに気後れする。まあまあとっても気後れする。
いやまあいただけたものは使いますけれども……。
「……」
湯に浸かりながら、それにしても温泉っていつぶりだろうなー、と、ぼんやり考えた。
高杉家にいた頃のわたしには、鞭打ちの跡があったので、温泉には入ったことがなかった。すっかり傷も治った松下村塾時代にごくたまに〝先生〟が奮発して二、三度、というくらいだ。
旅館の仕事に慣れ始めたくらいでどこぞのクソ野郎殿と遭遇し、監禁☆拷問のころはもちろん温泉どころかお風呂にも入れなかった。遊郭時代はお風呂こそ解禁されていたけれど、見苦しいものお客様に見せるわけにはいかず、さすがに仮にも商品を野放しに温泉旅行に行かせる館はない。鬼兵隊に入ってからは、まあふつうに隠密行動を徹底していたので……。
……十年ぶりくらい……?
しかも、多くても人生で四度目……?
あたたかいお湯のなかで足を存分に伸ばしながら、それにしてもこれでは単なる慰安旅行では? とわたしはしみじみ思った。いいんですかこんな待遇受けて。存分にだらけますよ。甘ったれの末っ子なので。
左遷先でも体内時計は滞りなく、わたしはあくびをひとつこぼして、布団を畳んで起床した。朝食をもくもくと食べながら思案する。お仕事もないのでわりと暇だ。三味線も琴も、荷物になるので置いてきてしまった。
どこにでも行けるけれど、さァて、それにしてもどこへ往きましょうか。すこしばかり散歩をしてみてもよいのかも。
「コホッゴホッゲホッ」
「……お姉さん、大丈夫ですか?」
旅館から出て十分未満で倒れかけの人を目撃して介抱する。人生そういうこともあるでしょう。散歩コースは解散しました。次回集会は未定。
線の細いおんなのひとは「ごめんなさ、」と謝ろうとして、さらに咳き込んだ。彼女が自らの口元を押さえ込んだハンカチ、その布地に、じわりとあかくにじむ。……色合いからして鮮血。……吐血ではなく喀血だろうか。患部は呼吸器の可能性が高い。喉。気管支。肺。
「すみません、ごめんなさい……」
結核——にしては、彼女はマスクをしていない。そもそも感染る病気なので出歩いてはならない。あれは天人の技術が持ち込まれた現代、抗生物質を半月ほど投与しておとなしくしていれば九割九分治る病気だ。一方で結核に限らず、感染症の肺疾患はたいてい空気感染が主なので、最低限マスク、無菌室に隔離されることが多い。
咳込んでつらいだろうに、途切れ途切れにうつろな謝罪が落ちる。慣れを通り越して日常と化しているからだ。口からこぼれる血に驚いた様子もなく、つまり、少なくとも喀血もこれが初めてではない。おそらく長く患っている。もしかしたら肺がん……。
「はーいはい、大丈夫ですよぉ。ゆ〜っくり呼吸してくださいね」
わたしはお姉さんの背をさすった。「こちらベンチ、はいどうぞ。お水取ってきましょうね。それにしてもいい天気ですねえ」適当申し上げながら、お姉さんの肩を支えて数歩先のベンチにご案内し、自動販売機に硬貨を投入して天然水を手に入れた。いやはやまったく便利な時代である。
「今日日差しつよいですものね。身体がびっくりしてしまったのかもしれせん」
天然水のペットボトルをお姉さんの横に置き、自分の笠をお姉さんにかぶせて、わたしは指先だけで自分の襟を直した。インナーにタートルネックを着ているともはや襟がはだけた程度でどうということはなく、それこそ背中を裂かれるでもしなければ顕になることはないのだけど、まァ、癖づいた習慣というものがある。
「ごめんなさい……ご迷惑を、おかけして」
「いいんですよ、わたし暇ですからね。お礼のほうがうれしいかも」
本当に暇です。お仕事ないし。
お仕事となればそれこそ、わたしとて日野一帯焼き払ったりするのかもしれない。けれど日常にまで破壊を勤しむほど破壊に生きているわけでもない。それこそ兄上でもあるまいし。
隣に勝手に腰を下ろしたわたしを見て「ありがとうございます」お姉さんは弱々しく微笑んだ。わたしよりもすこしだけ彼女の方が背が高い。
「ン〜それにしてもお姉さんずいぶん顔色白いですね、血行ちょっとよくないかも。帯苦しいですか? ゆるめて……これだとわたしが痴女ですね……」
兄上に痴女と罵られては全力で暴れていたけれど。本当に痴女かもしれない。おののいているわたしに、お姉さんはかすかに笑って「大丈夫ですよ」と言った。声はかすかにかすれている。
「お気持ちは、ありがとう、ございます」
「……お姉さんなにか、本日、大事なご用事でした? お送りしましょうか」
先程抱えたお姉さんはとても軽かった。非力なわたしでも背負ってそこそこの距離歩けそうだ。
一方でお姉さんは、明らかに他所行きのお着物でもあった。いわゆる訪問着である。わたしは本日普段着の小袖なので、お姉さんと並ぶとだいぶん場違いでもあった。
「その……」
わたしが渡したペットボトルを両手で握って、お姉さんは眉尻を下げた。
「デートで」
「デート! 素敵ですね。ちなみに、おうちデートに変更するご予定などはございますか?」
ついさっき血を吐いた体調でデートするくらいなら、さすがに帰った方がいいと部外者のわたしとしては思います。
「大丈夫、休めばすぐに良くなりますから……」
お姉さんは首を横に振った。わたしはすこし眉をひそめた。
その体調で来る方を歓迎する恋人、あるいは来られないことを怒る恋人とは、別れるべきだと思いますがね。せめて迎えに来なさいよと思うでしょう。単なる畦道だって二人で歩けばデートじゃあありませんか、ねえ?
……また子さんくらいに仲良しであればとっくに申し上げている。また子さんはそういう男に引っかからないか、引っかかったとして自分で怒って卓袱台ひっくり返してくれそうなので、これは無意味な仮定でもある。かわいくてつよい御人だ。鬼兵隊で可愛がられるのもよくわかりますね。
それでも御本人がめちゃくちゃお忙しくて、今日だけはお会いしたいとか。普段はおうちデートでせっかくなんだからお出かけしたいとか。お姉さんの意思を尊重してあえて、だとか。そういう話かもしれない。わたしには具体的な内情はわからない。初対面ですしね。
「わかりました」
ぱん、とわたしは手を打った。
「デート先までお送りしましょう」
「えっ」
「わたしじつは日野には初めて来たので、温泉以外になにがあるのか把握できていないのです。お送りする道すがら、教えていただけたりしませんか? そう、つまりこれは下心の提案ですね」
お姉さんのお顔は戸惑い顕である。そうでしょうね。客観的にこんな提案、不審者ですからね。
「もちろん、お相手のいらっしゃる美人さんにはナンパなんてご迷惑でしょうけれども……」
わたしはこれでも見れた方である顔を駆使して、わざとらしいほど哀れっぽい顔をつくってみせた。
「そんな、その……いいのかしら」
「わたしこそ、貴重なお姉さんのお時間をいただくなんてよろしいのかしらと思っているくらいです——そういえば、わたしはヒカリと申します。お姉さん、お名前はなんと仰るのでしょう?」
パッとベンチから立ち上がり、お姉さんに手を差し伸べる。お姉さんはすこしだけためらっていたけれど、けっきょく、わたしの手をとった。
「ミツバといいます。沖田ミツバ」
ミツバさんの恋人さん——蔵場さんは、柔和に眉を下げた。
「ずいぶん待ったよ、まさか、また倒れていたのかい?」
「ごめんなさい蔵場さん」
「いや、君が無事ならいいのだけれども……ああ、あなたも申し訳ない。ミツバがご迷惑をおかけしたようで」
わたしはニコッと微笑んだ。
「こちらこそ、すてきなお姉さんのお時間をいただいてしまって」
しょうじき、ヤですね、このひと! 待ったことを先に口にするところとか。取ってつけたような心配の言葉とか。なんならわたしへの謝罪もいやです。
けれど、これらはどちらかというと坊主憎けりゃ袈裟まで憎く、嫌という第一印象がすべてに波及しているだけともいう。難癖みたいだと思うならば、それはつまりどんぴしゃり正解というわけだ。
わたしの感想はわたしのもの。わたしが礼を失したとして、失われるのはわたしを連れてきてしまったミツバさんの面子である。道すがら丁寧に、日野にある目ぼしい観光地に加えて、食堂やレジャー施設、本屋に団子屋といろいろと紹介していただいたのだ。余計な口は叩かないに限りますね。
こちらをうかがうミツバさんに片目をつむり「それではごきげんよう」わたしは軽く挨拶して、踵を返す。
「ミツバさん、そちらお貸しいたしますね。どうか一日、楽しんで」
「——あっ」
ミツバさんはハッとした様子で、背中に提げた笠に手で触れた。店内に入る際、頭から外して首にかけるかたちになっていた笠だ。わたしは呼び止められる前にさくっとのれんの外へ出た。
日差しはそこそこ照っているけれど、わたしは先程の彼女と違って、日当たり程度では体調を崩すことはない。足取り軽く、まずは——どうしようかな。どうやらこのあたりに近いらしい、金剛寺とかでどうだろう?
「いただきまーす」
兄上がとったプランは最上階の個室露天風呂に加えて朝餉・夕餉つきだけれども(兄上はわたしに大概にしろと説くけれど、わたしは兄上こそいい加減にしてほしい)つまり昼食は決まっていないということでもある。
本日は定食屋。目の前にはカツ丼。美味しそうですね。
「お隣よろしいかしら」
「どうぞ」
カウンター席なのでね。
す、と腰掛けるお隣を他所に、わたしは割り箸を割って、カツをひときれ箸でつまんで齧りつく。サクサクの衣、はじける肉汁、ちょっと筋が硬くてそれもまたいとおかし。だいぶん俗な清少納言なものの、そもそも清少納言はわりと俗なのでこれでよし。
「ここのどんぶりは、七味も適量かけるともっと美味しいの」
「むぐ、なるほど、ためしてみま」
横の丼に山盛りの七味がかけられていて「……」わたしは一瞬、言葉を失った。ウーン。適量の七味。そうですね。人には人の適量。彼女にとっての適量は、この山盛りの七味になる。のかもしれない。
わたしはとりあえず、そうですね、少量から試してみようかな。慎重を期すタイプです。
「それと、笠、ありがとうございました。あとでお返しするわ」
「いえいえ。体調は大丈夫ですか?」
「今日は調子が良くて」
ミツバさんは微笑んだ。本日は彼女もさっぱりとした小袖である。帯、窮屈そうでしたからね。それくらいがちょうどいいと思いますよ。
「ヒカリさんは、そういえば日野にはご旅行かしら」
「だいたいそうですね。羽を伸ばしに……」
僻地に島流しと、慰安旅行で羽を伸ばすのは、そう案外と変わらない話なのかもしれない。
「このあたりは空気がきれいでいいですね。わたしはここのところは温泉を満喫しきっています」
「ふふ。そうでしょう。自慢の故郷ですから」
天人の襲来と開国により、江戸を中心に社会も技術も二段飛ばしで急速に発展した。一方、土地自体の開拓はそこに暮らす人・棲み着いている生物たち・いずれもそんなに迅速に処分できるものではない。江戸から少し外れると街並みよりも自然豊かな地域が多く、日野はそのうちひとつに数えられた。日野からは奥多摩三山もよく見える——まあこちらは言うほど近くはないけれど。
「最近では動物園もできて。うっかりしちゃうと、近藤さんが間違えられて捕獲されてしまうから、気をつけてくださいねって御手紙を……」
「ほかく」
「ああ、いえ、こちらの話」
何。
明らかに動物ではなく、人名への脈絡のない発言に面食らったものの、ミツバさんはニコニコと微笑んで流してしまった。まァ。そういうこともあるんですね。あるかな?
「ヒカリさんが歴史に興味があるなら、史跡もありますから、そちらに行ってみても良いかも」
「どちらにあるんですか?」
「ええとね、地図を描いてあげるわ。少し待ってね……」
ミツバさんが地図を描いてくださる間に、わたしはカツ丼を完食して、おやつまで注文した。この定食屋には団子があるそうですね。わたしはよもぎ団子が好きですよ。よもぎはない? ではそうですね、あんこで。……あんこもない? すみません、団子表いただいてもいいですか? なにがあるのか確認をしたくて……生チョコ・きんとん・いちご大福……? ラインナップの揃え方が斬新すぎる。
生チョコ団子をもくもくと食べていると(まあ、これはこれで、けっこうあり)ミツバさんが「こうよ」と地図を示してくださった。
「この赤い線を辿るように行けば」
「ミツバさん地図描くのお上手ですね……」
わたしは思わず感嘆の声を漏らした。
浪士たちはなにぶん農村出身だとかの方々も多く、そうなると寺子屋の数も限られていて、字も読めないという人は珍しくない。まともに地図を描けるどころか読める人材もけっこう希少だったりする。策を講じてお勉強会なんかも開いてはいるものの、どうしても慣れってあるのでね。
「あ、あら、そう? ありがとう。ええと、とにかく、けっこう近いと思うわ」
ミツバさんははにかむように笑った。
「ミツバさんもお団子食べますか。生チョコ味なのだそうです」
「いいの? そうね、ひとつだけ……」
ミツバさんはおしとやかに「失礼します」と団子をひとつだけ箸ではずして、取皿に盛りつけ、流れるように七味をふりかけた。山盛りに。団子のすがたは七味のなかに消えた。
しょうゆとか海苔のおかず系じゃなくて、がっつり甘いのだけれども。わたし生チョコって申し上げましたよね? 逆にそれはいいんですか?
なんとなく反応が気になって、先程お団子表をくださった店員の小母様にこっそり目を向けた。彼女は遠い目をしていた。よくよく考えたらばこの定食屋を教えてくださったのは先日のミツバさんで、つまり、いつものことなんだこれ。
いつものこと……なんだ……?
「それで……こちらが笠ね。あと、お水も買ってくださったでしょう。百円……」
「いいですよ。それはミツバさんの上手な観光案内で相殺ってことで」
ミツバさんが眉を下げた。
……あー。……んー。
そうか。そっかあ。
「それじゃあおまけに、ね、ミツバさん本当に今日って調子は良いのですか?」
「え? ええ」
「今後のご予定は?」
「お夕飯を作るくらいかしら……」
「アラつまり、夕方まで空いていらっしゃいますね。それでは、わたしとデートしましょう。あっ小母様! お会計お願いしますね」
店員の小母様は「あいよー!」と張りのある声を返した。ミツバさんは、頬に七味をちょこんとつけたまま、パチパチと目をまたたかせる。
「でーと」
わたしはミツバさんの頬についた七味を手ぬぐいでぬぐって、返していただいた笠を再度、ミツバさんの頭にかぶせる。椅子に座ったままだったからかんたんだった。
「つまり、お出かけです。お近くの史跡まで」
わたしはよく知っている。無力だからとやんわり遠ざけられる寂しさを知っている。囲いを作られてそこに守られる苦しさを知っている。それと同じとまでは言わないけれど——なんていうか。
そうかもなあと思ったので。
ミツバさんのやさしい声による案内に耳を傾けながら、白魚と呼ぶにはあかぎれの目立つてのひらに引かれ、わたしはその日一日を満喫した。
ミツバさんは、案内の他にもいろいろとお話してくださった。わたしが旅の者で、このあたりの人間ではないから、話しやすいというのも確実にあっただろう。旅の恥はかき捨て、とまでは言わないけれど。弟がいらっしゃること。近藤さんというゴリラに似た知り合いがいること。二人に加え、土方さんというひとともよく交流があったこと。
彼らは皆江戸に出てしまい、ミツバさんは残ることになったこと。
「古今東西、殿方はやたらと置いていくものなんですかねえ」
「置いていかれたことがあるの?」
「むかーしむかしの話です。兄上とお友達に」
「似てるわね。私たち、きょうだいひっくり返したみたい。……好きな人はいた?」
ミツバさんはふいに思いついたように目を輝かせた。わたしは少し首を傾げてから「ミツバさんはいらっしゃったんですか?」話をすり替えた。
「どうでしょう。当ててみて」
「んー。そうですね。近藤さん?」
「あら」
ミツバさんの笑顔は、口元に手を当て、上品なものだ。それでいて可憐に見える。
「残念。はずれ」
すっかり日も暮れる頃合いである。
わたしは宿の夕餉の時間に間に合わせるため、ミツバさんもまた、お夕飯を作る時間のために帰路についた。
「楽しかったです! ありがとうございました!」
「こちらこそ」
ミツバさんは夕焼けに目を細めて「返しに来たのに。けっきょく貸していただいてしまったわ」笠を外して、わたしの頭にかぶせた。ミツバさんよりわたしは少し背が低く、被せやすいのかもしれない。
「こんなに楽しかったのは、本当に、久々……」
かみしめるような言葉。
「それはよかった」
わたしはかろやかに言った。久々なんだ、とも思った——つい昨日、蔵場さんとデートなさっていたのに。気合の入ったお洒落までして。
お洒落とは、誰かに見せる意図もあるだろうけれど、自分を鼓舞する意図もあると思う。今日を楽しもうと気合を入れる人の心持ちを表している、と、わたしは思う。けれど……よほど気心知れた人とならばまた別だけれども、きちんとその日を楽しむには、楽しむ心持ちの他にも、楽しませてくれる人がいないとなかなか難しい。
「ミツバさん、好きな人、近藤さんという方ではないと仰いましたね」
「ええ」
「それでは、土方さんという御方ですか? それももしかして、まだ好き?」
ミツバさんは口元を引き上げるようにして微笑んだ。
「もう振られてるの」
夕空の下、影は長く伸びている。
「危ない仕事に就くって、知ってた。それに……私、もうおばさんで、こんな身体だもの。なかなか、そうね、結婚なんてもとより夢のまた夢。蔵場さんがもらってくださるのが、奇跡かも」
ミツバさんの言葉は、途切れ途切れに続いている。肺を押さえるような仕草をするのでわたしは立ち止まった。すこし背中をさすると「……ありがとう」と、笑みではあるものの、どこか自嘲に近いそれを浮かべた。
「いつもこうなの。それでも、本当に今日は調子が良かったのよ。いつも……だから、結婚して、総ちゃんを安心させてあげないと」
立ち止まっていたらば、少し落ち着いたらしく、ミツバさんは首を横に振り、わたしの手を下ろすような仕草をした。わたしも彼女の背中から手を外し、また歩き出す。
「蔵場さんのことは好きですか」
「……好きになれたらいいなと思っているわ」
「そうですか」
わたしは頭から笠を外して、くるくると指先で回す。そうか。そうね。なるほど。うーん。
そうですねえ。
「あのひと攘夷浪士と組んでますよ」
しょうがないので言った。
「……攘夷浪士」
「蔵場さん。蔵場当馬さん。転海屋の若旦那さんですよね。お顔は存じております——うちのパトロンのひとりなので」
ミツバさんが立ち止まった。
「まァしょうじきちょっとケチなのと、うちの兵を単なる数字としてカウントするので、わたしはあんまり好きじゃないんですけどね。コスト計算はだいじですが、度が過ぎればそれはひとでなしと同義でしょう。兄上もそろそろ切りそう」
「……うちの兵?」
「それで、たぶんなんですけれども、ミツバさんの弟さんって沖田総悟ですね? 真選組一番隊隊長——沖田ミツバさん、弟さんの総ちゃん。加えてお知り合いに、土方さん、近藤さん。いやはや、そういえば日野かあこことは薄々思っていたんですが」
日野。日野だ。真選組局長近藤勲は、もともと道場に集った浪士たちを率いて、江戸を訪れたと噂に聞いていた。真選組の前身。中枢を成したひとびと——の出立点。おおよそ、このあたり。
「お節介な忠告になりますが、結婚は止めた方がいいですよ。たしかに一時くらいは安心できるかもしれませんが、たぶん、それこそ一時のしのぎにしかなりません。攘夷浪士とつるんでいることに仮に目をつむるとしても、アレはろくなこと考えていませんね。なにせ彼、わたしの顔を知ってるくせに一言も指摘しませんでした」
わたしの顔を知っていて、かつ攘夷浪士と結びつく人間は、かなり珍しいことである。わたしは基本的に顔が割れていない。攘夷戦争の時代に有名だったこともなく、交渉役として出張ることも早々なく、目撃者はたいてい全員斬り殺すか結果的に死んでいる。わたしってば拷問も上手いのです、なにせ実体験ベースでやられたら嫌なことよく把握していますからね。ふふ。
ともあれ、顔を知られていないことを利点としてあちらこちら飛び回るタイプの任務も多いので、兄上もまた、わたしの存在を積極的に喧伝しようとはしない。それこそ夏祭りの下見はそうだったし、河上さんが帰還する際にターミナルに穴を開けるのもわたしが担当した。
一方でわたしはつい最近までは紅桜とかいう大きなプロジェクトに携わっていたので、ごくたまに、ごくごくたまに、パトロンと直接顔を合わせることもあった。
蔵場さんはそのうちのひとりだ。
「フツー、人斬りが将来の妻と出歩いていたらば、つべこべ言わずに引き剥がすべきです」
わたしをなあなあにあしらって、裏で忠告でもするのかなあと思っていたけれど、どうにもそうでもなさそうだ。ミツバさんは本日もわたしに声をかけた——知っていたらば、しないでしょう。そんなこと。とびきり過激派な攘夷浪士一味の幹部、斬り殺した人数はおよそ三桁。江戸を戦場に叩き込みかねない危険なプロジェクトに携わっていた人間。
未来の夫から、なにひとつ、なんにもお話されてないのだ。未来の夫ねえ。どうかと思いますよ?
「ヒカリさん。それは……冗談?」
「いいえ」
ミツバさんの表情から既に笑みは抜け落ちている。視線を向けると、じりと彼女は身を抱えるような素振りを見せた。警戒の証だ。そうもなるだろう。わたしは肩をすくめた。
「もっともわたしの言葉を信じるか否かについては、ご勝手に、という感じです。もしかしたら惑わせるための言葉なのかもしれませんね」
「……どうして?」
「なにがです?」
「そうだとして、どうして教えてくれたの?」
ミツバさんの声はもはや震えていた。けれど眼差しはハッキリと、わたしを見据えていた。見つめていた、ともいえるだろう。
「どうして……今日一日、昨日も、あなたは私を攫うこともできたはずだわ」
「しょうじき、すこしは考えました。すこしだけですけれども」
わたしは頬をかく。
得物は持ってきていないけれど、そのへんの同心から掻っ払うくらいはわりとチョチョイのちょいである。ウン。兄上みたいにつよい人って、一般にはそうそういないので。いたとして弱い人を狙えばいいだけなので。
ミツバさんの体調も、ぶっちゃけ気にしなくていい。人質だとて死んだらそれまでである。残念でしたね。オワリ。一方生きている、あるいは生きていると誤認させることで、人質に取ったもうけがあれば、それはとってもうれしい。わたしたちはそういう組織で、真選組はふつうに邪魔で、たぶん彼らはミツバさんを彼らなりに大切に思っているので人質としても効果は抜群だろう。
そうでなければ。
……置いていったりしない。
「置いていく方もきっとつらいのでしょう。理由があるのでしょう。良い子にしていますから。安心できるように振る舞っていますから、と。そうやって自分だけに言い聞かせて、にがい心地をひとり飲み下すのは……あんまり推奨しません。不満をため込むのって身体に悪いですし」
すっかり空いてしまった距離を一息で詰める。思わずといったふうに後ずさったミツバさんの手を勝手に取って「なにせわたしはそれで死にかけたので」わたしはわらった。
「そうなるくらいなら、追いかけていって糾弾した方がたぶんすっきりしますよ。一周回ってお身体にも良いかも。マ人の勝手ですが」
すこし乾燥していて、あかぎればかりの指先だ。忙しなく動き続けてきた人の指先だ。数多のことを耐え忍んできたのだろう。あまねくことを飲み込んできたのだろう。
「自分の体調が悪いのに人を気遣って、デートにきちんとお洒落してきつく帯まで締めて、会えなくても仕方ない出会いなのにわざわざ笠を律儀に返しに来て、そういう人が、ひとりで苦しむのは……わたしはさびしいです。わがままですね、つまり」
手は取ったまま、強張ったままのミツバさんの表情を眺めて、ことんと小首をかしげてみせる。
「お家に帰りましょう。なにもしませんよ。今日はね」
ぎこちなく、彼女の足は動き出す。わたしが手を離さないので、振りほどいて逃げられないというのもあるだろう。指先は冷え切っていた。身体の弱い人にストレスかけてしまい、まことに申し訳ありません。
「……ヒカリさん」
「はあい」
わたしが言うのもなんだけど、このひとよくこの期に及んでわたしに声かけられるな。
「もしかしてあなた、好きな人は、いたの? ……いるの?」
「……ンー……」
わたしは、ミツバさんの指先の感触(いまだ冷えている。冷凍庫の食品を思い出すようなつめたさ)をすこしだけ確かめて、それから口を開いた。
「そうですね、仮に、たとえば、そういう方がいたとして。たとえば、あちらもわたしを好いてくださっていたとして」
たとえば、仮に、もしも。そういう話である。
そういう話でしかない。
「幼少期にはよくわからなかったこともありましょう。戦争の時期は、いつ死ぬかもわからない人に言えなかったこともありましょう。置いていかれてばかりで拗ねていたから、しらばっくれたのかもしれませんね? それで今は、そうですね、過去にはもう意味がないんです。なにもかも」
わたしにとってはそうだ。
誰かはべつの解釈をするのかもしれない。それは違うと声を上げるのかもしれない。異論は否定しない。わたしにはわたしの感想。異論は認めるけれど、結論は変えない。
「結婚ゼロ日未亡人、とっくのとうに傷物で、あげくの果てにテロリスト。このフレーズ語呂が良くて気に入ってるんですが、しかし我ながらトンデモ不良債権ですね」
リズムに乗って唱えてみましょう、というやつだ。ろくでもない自覚はありますよ。
「ともあれ不良債権云々はあんまり重要じゃありません。わたしはもういいんです。過去に囚われてなんにもしなかったせいで、一回、なんにもなくなってしまったので。身から出た錆にこれ以上を望むのは些か強欲というものでしょう。……もちろん、たとえばの話ですがね」
お家についた。
ミツバさんの顔色はもはや蒼白で、彼女はわたしが掴んでいない方の手で胸のあたりをつよく握りしめていた。また肺が苦しいのかと思ったけれど、そういうわけでもなさそうだ。
パッ、とてのひらを離すと、ゆっくりと腕は下りる。取り返すように素早いかと思っていたけれど、意外。たんに体調が悪くなってしまって、俊敏な動作ができないだけかな。
「ふたつめの忠告です。攘夷浪士に知られた家に、あんまり長く住んでいると危ないですよ」
わたしはのんびり言った。
「お顔も分かっていますしね。観念して江戸の方にでも出て、昔馴染の方々に匿ってもらうがよろしいでしょう。それでは」
ヒラと手を振って、わたしは足取り軽く、宿に向かった。本日は山菜の天ぷらだとのこと。とっても楽しみですよね。
「ヒカリさん」
「……はあい」
「送ってくださって、ありがとう」
一度振り返る。
沈みゆく陽に照らされたミツバさんのお顔は、あかみがかった光の下でもわかるほど、いまだ蒼白だった。握りしめたてのひらは白く染まっていた。
「お大事に。そしてこれはみっつめの忠告になりますが」
わたしは笠を深くかぶった。
「わたしみたいなの気にかけてると、本当に早死にしますよ。いろいろ真に受けて謝罪やお礼など律儀に言ってないで、通り魔にでも遭ったと思った方がよろしい」
今後は宿から出ないでおこうかな。宿には併設のジムもあるみたいだし、ラウンジや、図書室も、なんなら室内プールまである。街歩きをしなくとも、暇つぶしには事欠かない。
「なんだか慌ただしいですね」
「それが……」
宿の周りがすこし騒がしい。何人かが裏口の方で応対している様子だ。わたしが声をかけると、仲居さんはちらちらと周囲をうかがい、それから声をひそめた。
「転海屋の旦那、ご存知ですか。最近このあたりに滞在していた商人なんですけれども……」
「ああ」
よく存じております。ええとっても。
「どうにも攘夷浪士と手を組んでいたようで。真選組が、はるばる江戸から」
「あら怖い……」
わたしは口元に手を当てた。「もちろん、お客様のお手を煩わせるようなことは、なにも」仲居さんは深々と頭を下げた。
「教えてくださり、ありがとうございます。お仕事頑張ってください」
さて、噂が出回っているのは、転海屋の旦那の話だけだろうか? ところでわたしは? うっかりがっつり本名を名乗っていたのだけれども。
立ち聞きやら聞き込みで、噂周りの確認をしたものの、わたしの話はチラとも出なかった。ミツバさん、些か、危機感が……大丈夫かな? わたしの忠告を本気で冗談だと思っていたらば、あんな顔はしないだろうし、そもそも転海屋の通報自体、しないだろう。では、何故? 極秘捜査されているのやも。そうかも。
露天風呂を満喫しながら、ここで討ち入りされたら間抜けな死に方ですね、とぼんやり考えた。でもあったかいよね……湯治の効能が古傷にどれだけ効くのかはさておき(どうせ傷痕はのこったままだ)支持される理由はわかる。兄上も来たらよかったのに。まあその場合、兄上こそさすがに宿から一歩も出られなかっただろうけれど。
特に何事もなく日々は過ぎた。いいのだろうか。すみませんここに攘夷浪士が潜伏しておりますけれども、なんてわざわざ申し上げることこそないものの、その、本当にいいのだろうか。いろいろと。旅館から出ないままとはいえわりかし満喫してしまっている。
まァ、いいならいいのかも……。
最上階は眺めもいい。ベランダにまで降りて、街並みを上から覗くと、人々は忙しなく行き交っていた。わたしは名目上の左遷がてら湯治に来ているけれど、当然、彼らはそうではない。日常に勤しんでいる。高い位置から見下ろしても、真選組の黒の隊服は特徴的で、すぐに判別がつく。それにしても本当にたくさんいらっしゃいますねえ。そんなに大事なら手元に置いといた方がいいですよ。わたしみたいなのにちょっかいかけられたら嫌でしょう。
なんとなく、ミツバさんの姿を探してみたけれど、どこにいるのかはわからなかった。この距離ではさすがに見分けがつかない。
——兄上から連絡が来たのは、日野滞在からざっと半月、昼時のことである。
わたしは宿備え付けの食事処で昼餉を取り、今は客室に引っ込んで、おやつを食べていた。八つ時はもう少し先だけれども、誤差の範疇といえる。
『そろそろ戻ってこい』
「……早くないですか?」
『〝どうせ然程も経たねえうちに呼び戻す〟つったろ』
「ええそのように聞き及んでおりましたけれども」
それにしても早くないですか? この期間は単なる長期旅行でしかない。総額■■■■億円のプロジェクトの責任を取らされた、という建前から、もはや建前自体が消滅しつつある。
『責任を取らせたはいいものの実際回るに回らなくて呼び戻されるほど有能……ッフ、くくっ』
「あの御自分で言い出しておきながらツボに入るのやめていただけませんか? わたしのことなんだと思っていらっしゃいます? そろそろ出るトコ出ますよ」
『ほお、楽しみだな。なにをどこにどう出るつもりだよてめえは』
いっぱいいろいろ頑張って、どうにか。
『戯言はともかく』
わたしの抗議を戯言扱いして、兄上は話を戻した。本当に出るトコ出ますよ。いい加減にしていただきたいものですね。
『最近真選組の意識が江戸から逸れてやがる。戻るにはなにかと都合がいい』
「あー……。んー……。そうですねえ……」
『……なにやらかした?』
「やらかした前提で聞くのやめていただいてもよろしいですか?」
やらかしたかどうかでいえばたしかにやらかしているけれど。
「蔵場当馬をちょっと……間接的に突き出したような……?」
『ああ転海屋の……まァあいつは俺たちにすり寄る一方、幕府にも情報売ってたから構いやしねえが。ついでにデコイ切っとくか。この際邪魔な膿は出し切るに限る……』
算段をぶつぶつとつぶやく兄上の言葉にしばし耳を傾けて、わたしはなるべく軽やかな声で言った。
「真選組にわたしの情報漏れていたらすみませんね」
『暴れ馬……』
「こんなにおしとやかな女に対して、言うに事欠いて暴れ馬とは……ねえ、兄上、鼻で笑う音入ってます」
『おっと失敬。ずいぶんおかしな言葉が聞こえたモンでね』
このひと本当にやかましいんですけど。
嘆息したわたしに、兄上はまたかすかに喉を鳴らした。
『休養にはなったかよ』
「はい? それはまあ、はい」
やたらとグレードが高いお部屋でしたしね。やたらと待遇のいいプランでしたしね。いったいあのお金ったらどこから出たんでしょうね。兄上のポケットマネーと言われたらわたしにはもはやなすすべがない。
聞かないでおこうかな。触らぬ神に祟りなし。
『出立前よりはずいぶん機嫌がいい』
わたしは首を傾げた。ご機嫌なのはそれこそ、通話越しの兄上のような気もするけれど。まったくもって妹で遊ばないでいただきたい。
「そうですねえ」
とはいえ、わたしの機嫌が上向いているのは本当だ。ありがとうございます、と言うべきか少し迷って、とりあえず飲み込む。いちおう、建前では処分ということになっている。もはや建前が半ば崩壊していようとも、一応だ。
「日野は楽しかったですよ。ご飯もおいしく、観光もできましたし、温泉は心地よかったですし……兄上も湯治とかどうです?」
『気が向いたらな』
「さいですか」
いったいいつになったら気が向くのやら。
『まァあとは一日限定のお友達ができました。もう絶交したのでホントに一日限定でしたね」
『おまえ本当になにやらかした?』
ウーン……。
ある意味では、なんにも……?
日野の駅にも詰襟の隊服が常駐していて、利用客たちはすっかり怯えているようだった。ヒソヒソと話し声すら聞こえる。ヤクザ警察、チンピラ警察、ゴロツキ警察、真選組は市井では散々な評判であるからして。
「おつかれさまです」
わたしは改札通るがてらにちょいと会釈して(戸惑った会釈が返された。怯えられるのに慣れ過ぎでは?)改札内のコンビニでおやつを買ったあと、ちょうどホームに到着した電車に乗り込んだ。席はまばらに空いていて、うちすぐ横に窓が見える位置に着席する。車窓からぼんやりと外を眺めていると、やがて発車ベルも鳴り終わり、扉も閉まって電車は動き出した。
日野駅のすぐ横にて。隊服姿の男三人と、亜麻色の髪のひとが話している。本日はタータンチェックの小袖のようだ。カンカンカンと近場の踏切の警笛が鳴り、音に驚いたのか、彼女は振り返る様子を見せた。
見開かれた目。視線はたしかにわたしを捉えていた。
一瞬のことだ。電車は加速して、踏切は一瞬で渡り切り、もはや彼ら四人の姿は車窓のどこにもない。
わたしはヒラヒラと無意味に手を振って、車窓から目を離した。駅のコンビニで裂けるチーズを買ったのです。一時間未満の移動時間、ゆっくり食べてしまいましょうね。
特に何事もなく江戸には着いた。攘夷浪士はこのように、顔が知られていないと悠々と公共交通機関の恩恵を受けている。なんなら顔が知られていても変装なりなんなりで恩恵を受けていることもある。
真選組の警備ってもしかして、ザル?
「ただいま帰りました」
「おかえり」
帰参場所として指定されたのは、攘夷浪士の息が掛かったお座敷だった。それにしても兄上直々のお出迎えとは、珍しい。
煙管が部屋を指すので覗くと「ヒカリ様! おかえりなさい」また子さんが嬉々として言った。
「ただいまです。お土産いりますか」
「うれしッス!」
「ここぞとばかりに甘やかす」
「これが女性陣の連帯というものですか」
「なるほど男性陣はお土産などご入用でない、と。それはそれは……」
「ヒカリ殿、長旅まことにご苦労様でした」
「ほれ、座布団など」
てのひら返したお二人を指さして兄上を振り返ると「揃ってじゃれるな」兄上は呆れ顔だった。なんですか。仲良きことは素晴らしいのですよ。
それはそれとして現金過ぎてどうなのという思いがあります。あとあの距離を長旅はさすがに一周回って嫌味。
「ところで晋助はヒカリには暇を出す一方、宇宙と地球を往復し京と江戸を往復した拙者には暇の余地も与えぬようだが」
「可哀想な河上さん……」
わりと真剣に同情した。しかも宇宙に向かったのはつまり春雨との交渉締結のためである。苦労することしか振られてない。本当に可哀想。
「よく囀るな」
兄上は言うほど気にした様子もない。横暴な上司を持つとたいへんだ。
「これが終わったら検討してやるよ」
「検討だけというオチやも」
「これが俗に言う〝ぶらっく・かんぱにー〟というやつ」
「……言いたいのはブラック企業のことッスか?」
兄上はわたしに次いで上がり込み、河上さんの背中を小突いたあと、上座に片膝で座った。口元から煙がこぼれ、眼差しはするどく、自然と空気は変化する。
「そろそろ伊東をけしかける」
うっすらと微笑んだ兄上の目は、依然としてつめたく、あやういひかりを帯びている。
「ごたついてんなら尚更ちょうどいい。幕府の犬どもの崩壊だ。せいぜい存分に、高みの見物と行こうじゃねえか」

























