ボニファティウスは、独りで悩んでいた。考えて考えて、考え抜いたが、どうにも理解出来ず、さりとて息子や甥に訊ねても佳い答えが返ってくるとも思われない。第一、それは何か、こう、はっきりとはしないが、悔しい気がする。
リンクベルク家の祖として、してはならない気がしていた。
邸の主人であり、リンクベルク家の長であり、一線から退いてかなり経つ身でありながら未だ武勇の誉れ高き元騎士団長は、日々を悶々としながら費やしていた。
事は一人の、将来ある者の命に関わる問題なのだから、間違えたでは済まされない。そのあまりの難しさに、ボニファティウスは消耗した。
とうとう見兼ねた筆頭側仕えに、エルヴィーラへ相談してはどうか、と進言されるまで。
エルヴィーラは、北のハルデンツェルを治めるギーベ一族の出で、自身の長男カルステッドの第一夫人である。三人の男孫を産み育てた経験は頼もしい限りだが。ボニファティウスは息子本人を飛び越えてまでなどと渋った。
それでも、と側仕えは言う。
エルヴィーラ様は母御でいらっしゃいます、父には解らずとも、母には解る事も在りましょう、と。
そしてボニファティウスは義理の娘を茶会に招待した。
北の森林を思わせる深緑の髪に、硬質な輝きを持つ漆黒の瞳。上級貴族の中でもその気品と優雅さは比類なく、文官としても優秀、されどその佇まいには騎士団すら膝をつく。
そう評価される一方で、エルヴィーラを現領主の第一夫人を操る毒婦、礼儀知らずな北の田舎者と腐する者も多い。
敵対派閥からの悪口雑言は拍手喝采、とばかりに本人は平気な顔でやり過ごすが。
凛とした、文官よりは騎士に近い姿勢で、エルヴィーラは応接室へと入った。
「呼び出して済まんな、エルヴィーラ。」
「いえ、嬉しゅうございますわ。お義父様がわたくしをお呼びになる事など、今まではあまりございませんでしたから。」
義父と義理の娘は挨拶を交わし、席に着いてボニファティウスが茶菓子と茶を一口ずつ口にして見せ、通例通りに情報を含まない会話を少々。
それぞれの側仕えが茶を淹れ替えたところで、ボニファティウスが出した盗聴防止の魔術具を、絶やさぬ微笑のままエルヴィーラが受け取った。
「実は相談したい事が有るのだ。」
「わたくしで宜しいのですか?」
「うむ。カルステッドでは難しいのではないかと思っておる。」
「まあ。わたくしでお役に立てますかどうかは存じませんが、お聞かせ下さいませ。」
エルヴィーラの笑みが深まる。
「その、な、どうも私は、こう、な?」
ボニファティウスの名には、「豪快」であるとか「単刀直入」であるとか、実に武人らしい枕詞が付く事が多い。それが今は、まるで想い人を前にした貴族院の学生の様に躊躇っていた。
「その、何だ、剛力が過ぎると言うか、不器用と言うか、な?」
エルヴィーラは黙って意味の有る発言を待っていた。
「これでも、妻に触れる際には気を付けていたのだぞ? でなければ華奢な女性など、ひとたまりもない事は知っているのだが、な?」
エルヴィーラは驚きの声も表情も押し隠した。
異性に触れる、それは閨での行いに直結する意味を含み、口にすべき言葉では無い。それが貴族の常識であるからだ。
「エスコートも問題無く熟していたのだと言うのにだぞ?」
ああエスコートでしたか、と安堵の息も表情もまた押し隠す。
「それなのにだぞ? あの子の周りの者が皆、私が触れては高みへと送ってしまうと言うのだ!」
「はい?」
流石のエルヴィーラも、声を上げてしまった。
「だからとばかりに、あの子を撫でてやる事も、高く放り上げてやる事も止めるのだ! どうやって褒めたら良いのだ!!」
「お義父様?」
「エルヴィーラ、私はあの子を褒めてやりたいのだ! ただそれだけなのに、フェルディナンドもユストクスも、触れるな近寄るなと言い、遮るのだ!」
フェルディナンドの名にエルヴィーラの瞳が煌めいたが、ボニファティウスにはそれどころでは無い。
「エルヴィーラ、私はどうしたら良いか、教えてはくれんか?」
「お義父様、そのお子様は、もしやフェルディナンド様の?」
「ああいや、そうでは無い、あの子は事情が。」
そこでボニファティウスは言葉を切り、ぎゅうっと口を噤んだ。
しかしエルヴィーラが追及の手を緩める筈が無い。
エルヴィーラは、フェルディナンドに昔から注目していた。飛び抜けて美しく優秀で、お披露目で初めて聴いた時の歌声は今でも十分に覚えている程に。
長男エックハルトが名を捧げ、側近となった時には、表向きはどうあれ心中では大手柄だと褒めちぎった。
エルヴィーラの黒い瞳は、狙いと定めた魔獣を見る騎士の如くに鋭い輝きを湛え、確かな戦果を期待する凄絶な微笑を彩る。
「お義父様、詳しい経緯を知らなくては、助言の女神 アンハルトゥングとて権能を振るえませんのよ?」
斯くして、哀れな獲物は追われ暴かれ、全ての情報を曝け出す以外に術は無かった。
「まあ、では、そのご令嬢は。」
春の出来事から始まり、ローゼマインの身の上などを一通り引き出してから、エルヴィーラが問いかける。
「大層愛らしくてなぁ、しかも、この上なく優しいのだ。それだけでは無いぞ。あの年齢で挨拶も完璧、賢さも同年代の追随を許さぬだろう。」
先程の躊躇いなど忘れたのか、ボニファティウスの反応は早い。
「今、フェルディナンド様が養育なさっているのですか?」
つるりと逃げる獲物の行き先を正すのは慣れていた。
「うん? そうだが。」
「来年には洗礼と仰いましたよね。」
「そうだ。」
「フェルディナンド様が親として立たれるのですか?」
「それがなぁ。」
「やはりご自身と同じ境遇にはなさりたく無いのですね。」
「いや、それだけでは無い。ローゼマインはフェルディナンドと星を結びたい、と言うのだ。」
その言葉で、狩人の獲物が増えた。
勇猛な大獅子の後ろに隠されていたシュミルの仔が。
そしてその仔シュミルは、眉目秀麗にして唯一無二の獅子に繋がりを持つ。
「左様で御座いますか。フェルディナンド様は如何仰っていらっしゃいますの?」
ぎらり。瞳は漆黒の業物。
「フェルディナンドもそのつもりだと言っている。」
シュミルを適切に手懐けさえすれば、その後ろからあの獅子が着いてくる。そう確信した貴婦人は、シュミルの行方も見逃してはいけないと決めた。
「では、お義父様が洗礼式を?」
何気ない一言は通り道に仕掛ける罠。
「それはフェルディナンドに断られた。両親となる者が揃って居なければならぬのも道理だ。だが、私の養子となるのは良いらしい。」
「フェルディナンド様はローゼマイン様を大事になさっておいでなのでしょう。」
「うむ、それは確かだ。気に入らんが、ローゼマインもフェルディナンドを大事にしておる。あんなにも小さくて軽くてか弱く可憐なのに、大男で頑丈で壊れそうにも無いフェルディナンドを庇うのだ。」
「まあ。まあまあ。」
華やいだ声は獲物を追い込む雄叫び。
「フェルディナンドの膝にちょこんと座ってな、小さく華奢な身体で真っ向から私を睨み、虐めたら許しませんよと言うのだぞ。」
「まああ。」
狩人の意気は上がる。
「うむ、あの心意気こそリンクベルクに相応しい。」
小さく弱いシュミルでも自衛の為の毒爪を持つ。その爪を獅子にすら振り上げるとは育て甲斐がある、と狩人はにんまりと目を細めた。
「フェルディナンド様は洗礼式をどちらで挙げるおつもりなのかしら。」
思わずと言った体で零した言葉で四肢を切り飛ばし。
「私は、其方とカルステッドが良いと思う。フェルディナンドとローゼマインも否やは唱えまい。」
「そうですわね、わたくしも娘を持ちたいと思っておりました。」
殊勝に首を差し出す獲物に振り上げる、留めの一太刀。
「では。」
一匹目の獲物の命運は決した。
だが重要なのはシュミルの方だ、そう考えたエルヴィーラの脳内では、シュミルを穏便に、そして心地良く捕らえる為の環境を整える術が展開していた。
「カルステッド様と相談致します。」
晴れやかな笑顔でエルヴィーラは辞去したが、翌朝起きるまで、自身の抱える悩みには何一つ助言されなかった事にボニファティウスは気付かなかった。




























ボニ爺。まずはね、放り投げちゃダメなんだよ。 それを誰か言語化して伝えてあげて~