物心ついてこの方、ハルトムートの心には「誰か」を求める想いが有った。「誰か」に従い、「誰か」に仕え、「誰か」を支えなければならない。でなければ、この世に生を受けた意味は無いと。
だが、何故そう思うのかは見当もつかない。両親の職を知った時にはその所為かとも考えたが、強い違和感を覚えた。
父レーベレヒトは領主第一夫人フロレンツィアの筆頭文官であり、母オティーリエは、今は子育ての為に職を辞しているが、元はやはり領主一族の側仕えだった。
違う。私は父母の様に領主一族の側近になりたい訳では無い。私は、「誰か」の側近になりたいのだ。誰か、ただお一人の方の。この気持ちはなんだろう?
母親にも打ち明けず、父親には相談など出来る筈も無く、長い間自問自答を繰り返していた。
ある日、母親が懇意にしている騎士団長夫人とその子供に会わせられた。
洗礼式を迎えるまで、外部の者には存在さえ知らされないのが貴族の子だ。礼儀作法を教えられてからは近しい親族ならば会う事もあるが、父親は第二夫人腹の上、どうも親族とは距離を置いているらしい、とはハルトムートも気付いていた。だが、親兄弟としか交流しないのは、教育上好ましくないと判断したのだろう。
子供の方は同性で、しかも同じ年齢だから母親達と同じように親しくなれるだろうと言われたが、何かが気に触る。
口調が気に触り、動きが気に触り、考え方が気に触る。有体に言えば、存在そのものが気に触る。仲良くなりたくは無い、と結論付けたが、母親同士の関係もあるので、適当に相手をした。
「誰か」にお仕えするには私自身が有能で在らなければならない。私の努力も時間も、その「誰か」の為に使いたい。きっとその方ご自身も並外れた傑物でいらっしゃる筈だ。付き従う者が無能では、何一つお役には立てまい。第一、お目に止まる筈が無い。
そう考えたが、生来の少々弄れた性格もあり、暇だからと嘯いて二人の兄から参考書を借り、側仕えの前では気怠げな素振りで読み込んだ。
この冬の始まりの宴では自身の洗礼式とお披露目とが城で行われる。雑多な挨拶の文言も、礼儀も、フェシュピールも覚えた。
必要だから覚える。ただそれだけだった。あとは当日、上級貴族としてそこそこ熟す事が出来ればよい、己の有能さを有象無象に披露する必要は無く、寧ろそれは悪手だ、と考えて。
しかし。
城の広間で作り笑いを絶やさず、太った神殿長とやらに、教えられた通りの返事と祝福返しを済ませた瞬間に、「誰か」の姿がはっきりと蘇った。
おお、我らの女神よ!夜になる寸前の空を映した御髪と上る望月の煌めきよ、歌えばキュントズィールが微笑み、聡明さはエアヴァクレーレンをも凌ぎ、その慈愛はフリュートレーネよりも深く、一度護ると決めたならばシュタイフリーゼをも超える素早さで動き、戦いにあってはアングリーフすらを従える、我らの女神よ!この世の何よりも誰よりも気高く、尊きお方よ!
ローゼマイン様、ハルトムートはここに居ります!!
声には出さず、最低限の祈りを捧げ、ハルトムートは立ち上がった。
さて。まずはフェルディナンド様に繋ぎをつけねばなるまい。
その顔に、作り笑いは存在しなかった。
子供部屋でユストクスとの接触を果たした日、夕食の席で、ハルトムートは両親に宣言した。
「私は貴族院で文官と側仕えコースを取ります。その為に、先達であるユストクス様の教えを乞います。」
まさしく、宣言であった。母はただ驚き、次兄は眉を顰め、長兄は無視し、父は面白くなさそうな顔をしてカトラリーを置いた。
「季節外の受講は許さん。」
「二コース共、正規の期間内に合格すれば宜しいでしょうか。では、努力致します。」
無邪気な自信を装って、ハルトムートは真面目な顔で頷いた。
「其方、子供部屋でユストクス様に会っていたな。」
父の声には一摘みの苛立ちが伺える。
この男でも隠しきれない苛立ちを引き出すとは、原因はユストクス本人か?それとも主の方か、両方と言う事もあるか。まあどうでも良い。
どうせ自分の動向は掴んでいるだろうと解っていたが、表情だけは驚いて見せながら、ハルトムートは刹那の興味を放り投げた。
「はい、あの方は少々変わっていますが、側仕えとしてだけでなく、文官コースも修めたと聞いています。両親の許しさえあれば、ご指導頂けると約して下さいました。」
今度は殊更の一歩手前の笑顔を浮かべ、まるで褒めろと言わんばかり。
「親の許可を得る前に、勝手な事を。」
「根回しが重要だと教えて下さったのは父上です。そのお言葉通りに、私の出来る範囲でとなると、直接伺うしかありませんでしたので。」
ふうと吐いた母の息は、多分ため息の代わりだろうと見当をつける。
「許さなければどうする。」
「私に考えつく限りを行います。」
ハルトムートは態と深い笑みを、深淵の底から湧き出す黒い笑みを見せた。
「何故、文官だけではないのだ。」
その言葉を待っていましたと、これには本心からの嬉しさを瞳にも口元にも表した。
「領主候補生の側近となるには、側仕えの心構えと技術、伝手も必要になるのではと考えました。現在、私より年上で、私を側近として下さるような歳の近い領主候補生はいらっしゃいません。ならば何かとお世話をする事もありましょう。また、違う立場での考え方、捉え方も、情報の収集に役立つのではないかと。」
「側近、か。」
動いていないはずの父の表情が、どこか動いた気がした。
目か。今、目が僅かに動いた。どうせ愚鈍の事でも考えたのだろう。誰があの様な愚物の下に就くものか。
「それに、騎士コースはさすがに無理があります。以上の観点から、側仕えも修める事にしました。」
子供にしてはよく考えたでしょう?と母に純粋な微笑みを向けてみる。
「ふむ。一、二年の優秀者となれば、許すかも知れん。」
レーベレヒトの指はカトラリーを拾い上げた。
「それでは間に合いません。」
「欲をかきすぎるのは悪手となるぞ。」
「かも、では困るのですよ、父上。私は側近になりたいのですから。」
ここを強調し過ぎるのは拙いな。単に側近と云う役職に憧れる幼い子供のふりをせねば。そう、私は昨日洗礼を受けたばかりの、頑是無い子供なのだ。しかし、少ない知識を存分に活用した面も見せるべきか。
そう判断したハルトムートは、言葉を継いだ。
「それに、側仕えには一年の訓練期間が必要なのでしょう。これまで側仕えとしての教育を受けて来なかった私は、今から動いておかねばなりません。しかも、教えて頂くのは身内でない方が良いとも聞きました。」
少しの間、レーベレヒトは考え、許した。
ただし、貴族院へ通うまでは火の日のみとする事、また、時間は三の鐘からでの五の鐘には辞する事とした。
ハルトムートは満足気な笑顔で礼を述べてみた。


























