『月100万モラ』
脳内に浮かび上がった文字に、思わず「は?」と声を漏らす。
昼下がりの草原での事だ。
そよ風が気持ちよくて、きっと春だななんて現実逃避をした。
何故私はこんな所に居るのだろう。そう考えるより先に確認したのは、自分の肉体の安否である。
脳か精神に以上が無ければつい数秒前、私は暴走した2トントラックに撥ねられて宙を舞っていた筈だ。
それなのに身体はピンピンしている。擦り傷の一つも無い。視界に入ったのはコンクリートではないし、アルプスの草原かくやの青々しい野原ですらある。
いやどういう事だよと言いたい。
もしや此処が所謂天国なのか、とも思ってしまった。
「何これ…」
というか100万モラって何だ。
脳内にポップに踊るよく分からない単位に驚いていれば、気が付けば手に何かを握り締めている。どう考えても先程まで見当たらなかった物であるが、色々と情報量が多すぎてツッコミは放棄した。
手には虚空から現れた小袋。
中身を見ていいものか、と日本人気質な遠慮が顔を覗かせるが、ここでアクションを起こさない内にはどうにもならない。
ここまで来たなら仕方がない、どうにでもなってしまえ。
半分くらい投げやりで麻の組紐を解けば、中に覗いていたのは金色だった。
私は黙って袋口を閉じた。
いやいやいや。
恐る恐るもう一度開き、その一枚をおっかなびっくり手に取る。
それは多分、貨幣だった。RPGとか異世界で言うところの金貨。一枚一円とかそんなレベルでは無い、とんでもなさそうな価値を孕んでそうな代物。
神様がこの世に存在するなら多分今わらってる。大爆笑してる。
私は暫定貨幣をエビの尻尾でも持つように摘んで、全方位から観察していた。
で、どうしよう。
私は金貨を袋に仕舞い、震える脚を叱咤してその場に立ち上がった。
何が何だか分かりやしないが。十中八九異世界転生でもしたような状況に、これ以上混乱していてもキリが無いと思ったのだ。
とりあえず、死なない。それが最優先事項。
本当に此処が異世界だと言うのならば、アッと驚くような風貌のモンスターがいてもおかしくないのだから。
そう自分を激励して歩き出し、一先ずの目標に向かって歩き出した。
少し離れた先にあってもわかる程、大きな古めかしいお城に向かって。
「中世ヨーロッパみたいだ」
■
それなりに歩いた末に、ようやく私は城へと続く巨大な石橋の前へと辿り着いた。
城は湖に囲まれていた。私は景色にある建物に向かえば水に阻まれたもので、コンチクショウ!と思いながら水辺に沿って脚を動かし続けていた。ようやっと着いた城下町への一本道を突き進み、いざ行かん文明へと心を踊らせる。
「お嬢ちゃん旅行者?」
心は沈んだ。門番に呼び止められたからだ。
そりゃそうだ、と納得しつつも感情はそう行かない。この人もそれが仕事だし、こんな草臥れた制服の女なんぞ怪しさ満点だろう。
それはそうと、あからさまに訝しげな視線を向けられて、許せるかと言われるとそうでも無い。
だが此処は暫定異世界。
騒ぎを起こすのも本意では無いので、私は甘んじて不審者に成り下がった。
「あの、この先に入るには身分証明などが必要ですか」
「そうだな。でもそんな難しい事でも無いよ、モンドに知り合いなんかはいるか?」
「居ません。すみませんありがとうございます、お手数お掛けしました」
「うん?」
「また日を改めます。ありがとうございました」
頭を下げて門兵の人に礼を述べる。
身分など存在しないし、戸籍がある訳も無いのでこの街には入れないと早々に決断付けた。目立ちたくないこの身、無理を言ってお偉いさんを呼ばれるなど言語道断だろう。
モンド、というのは今居る国の事だろうか。
それとも街自体の名前なのだろうか。
分かるはずもないし、知識を得るのにも人が居なければ何も成し得ない。
早速困ってしまって、私はとぼとぼと歩いて橋の右端に寄った。
「お姉さん、旅行者?」
そこで先程聞いたような声を掛けられ、顔を上げれば小学生程の異国の少年がいる。いや、異国風に見えるのは私の方か。
少年は鳩を屯させて立っていて、みすぼらしい私を興味津々に観察していた。
「お姉さんは何処から来た人なの?スメール?」
「うん?えーと、遠い所かな」
「あれ?じゃあ稲妻だ!あっでも、今サコク?してるってお母さんが言ってたなぁ」
「そこかもしれない…」
サコク。サコクって鎖国か。
まさか異世界に来て早々に江戸幕府みたいなワードを聞くとは思わず、変に少年の言葉を肯定してしまった。
もしかしたらイナヅマ…稲妻?とやらは日本モチーフのエリアなのだろうか。エリアというか、鎖国というなら稲妻は国名に違いないが。
少年はティミーと言うらしかった。ティミー君は鳩がとても好きらしく、毎日のようにこの場で餌やりをしているとのこと。
「ふぅん。じゃあお姉さんは、何処か宿を探してるの?」
「うんうん。観光に来たは良いんだけれど、どうにも泊まる所を予約してなくてさ」
私はお金だけ引っ掴んで自分探しに来たのだと嘘を着いた。もう少し言い様があるとは思うが、私の脳みそではこんな言い訳が精一杯だ。だってこんないたいけな少年に、詰まらない二流小説のような状況説明をしたいわけが無い。
なので私がとんでもねえじゃじゃ馬娘だと誤認されようが構わない。
あたおか扱いよりも百倍マシだ。
「うーん、此処から清泉町までは遠いと思うよ」
「他に町とか村は無い感じ?」
「うん。テイワット観光ガイド見てないの?」
「見てないなぁ…」
観光ガイドあるんだ、凄いな。
ティミー君は見ず知らずの私にも普通に話してくれて、最終的には「頑張って!」と快く旅路に送り出してくれた。あんまし役には立ってないけど心意気だけ嬉しいよ。
そうして清泉町とやらが歩くには遠くて、私の移動には向かない事だけが分かった。
「詰んだ」
城の正門前の橋を渡り切り、その橋のすぐ横の河原ならぬ湖原にぼんやり座り込んだ。
これからどうしろと?本当に分からない。
身分もねぇ、戸籍もねぇ、金だけあるけど使えねぇ。軽快なメロディで、オラこんな異世界嫌だと叫び出したい所存だ。そんな勇気があれば勇者にでもなれただろうが。
私はそんな少年誌みたいな勢いも無ければ、世界を救うような力がある訳でもない。
私はオタクだったからラノベ展開に順応した。陽キャだったら駄目だった。
順応しただけで、生きていけるのか?そう問われれば、否と答える以外に何が出来るだろう。お腹は減ったし、そのうち夜が来てしまう。屋根がある所でも探すべきだろうが、モンスターがこの世に存在するとして、それに私は太刀打ち出来るはずもないのだ。
どうしよう。
どうもできよう。
そんな落ち込む私に降ってきたのは、雨粒ではなく、明るい女の子の声だった。
「いた!よかった、見つけられた!」
顔を上げれば目に付いたのは、赤をモチーフとしたような焦茶の髪の女の子。石橋の手摺に捕まって私を見下ろしていて、大きく手を振っていた。
ロールプレイングゲームだったら確実に主要人物だろう。個性と愛らしさを纏った少女は明らかに私に用がある様で、そのまま橋を渡って私の方へと走ってきた。
「私、偵察騎士のアンバー!貴方がさっき城門に来て、モンドに知り合いがいないからって去った子で合ってるかな?」
「え、多分」
「あーよかった!ごめんね連絡が遅れて、貴方はちゃんとモンド城に入れるよ!」
うん。なにがあったよ。
てんで意味が分からなかった。偵察騎士とやらが何なのかも、こんな見ず知らずを国に迎えられるのかという疑問も、連絡とは何だという困惑も。
それが顔に出ていたのか、彼女は要点を掻い摘んで優しく話し出してくれた。
「門番の子がね、なんだか困ってる女の子がいるって騎士団に鳩を飛ばしてくれたの」
見たことの無い服を着た、清潔で育ちの良さそうな女の子だと形容されたらしい。うん恥ずかしい。
他国の者で、未成年で、お金は持っていて、でもモンド(この国の名前らしい)に知り合いがいる訳でもない。そんな怪しさはあの門兵の人にとって、どうやら哀れみと関心を寄せさせた様だった。
「それでね、もしかしたら異邦人じゃないかなーって話になって、それで私が貴方を探すことになったの」
「異邦人?」
「?うん。貴方は異世界から来た?それともテイワットのどこか?」
「うん?」
「え?」
私はぽかんとマヌケな顔でアンバーを見た。アンバーもあれ?と小首を傾げて私を見た。どっちも困ってるが、これにはどう答えたら正解なのか教えて欲しい。こんな軽率に「貴方異世界人?」なんて聞かれることある?
無言を貫いてアンバーという彼女を見るが、なんら私に鎌を掛けたり警戒している様子も無い。
騎士と言うくらいなのだから、きっと戦うことが出来るだろうし、私が危害を加えるとも思っていないのだろう。正確には、私如きにはやられないと確信しているのか。背に負った弓を私に向けることも、恐らく出来るのかもしれなかった。
それでも彼女から、私は敵意を見出す事は出来なかった。
「異邦人というのは、珍しくないの?」
「ううん、すっごく珍しい!けどね、この国の栄誉騎士は異界から来た旅人なの。だから貴方が異世界から来たとしても、私達は信じるし、出来るだけ手助けもして上げたいんだ!」
そう言って、きらきらと彼女の瞳が瞬く。アンバーは私の手を握った。とりあえず街に行こうと笑って、私の手を引いてあの石橋を指さした。
強引では無かった。それで振り払うことも出来たかもしれないが、私は決断として彼女に着いていく事も決めた。それはこの世界が全く分からない中で、なんとも輝く道標に思えたからだ。
私は立ち上がって埃を払い、アンバーの行くままに石橋をまた踏み始めた。
「お姉さん!モンド城下に入れそうなの?…それならよかった!またお喋りしようね!」
「おお!お嬢ちゃん、アンバーが居るなら大丈夫だな。ようこそモンドへ!」
会話をした二人は自分の事でも無いはずなのに、やたら嬉しそうに私を歓迎する。それが擽ったくて驚いて、私が怖がり過ぎていた事にようやく気がついた。人の優しさに触れた影響だ。暖かくて、涙が出そうになった。
アンバーに連れられ、もう関わらないと思っていた城門をあっさりと潜る。そこには見た目麗しい賑やかな街があった。まるでスペインやロンドンの市場を思わせる光景が広がっていたのだ。
「こっちだよ。騎士団本部はもう少し先かな」
「え、騎士団本部?」
「うん。あっ、言うのが遅くなっちゃったけど、貴方の出自とかについて調べさせて欲しくて!」
いや連行やないかーい。私は思わずつっこんだ。心の中で。
うん、やっぱり不審人物として扱われる事にはなるらしかった。それでも彼女は焦った様子で、私の身の安全の保証とかを約束してくれると矢継ぎ早に教えてくれる。別に怒ってる訳では無いから焦らなくても良いんだけどな。アンバーの真摯さが垣間見えて、私は思わず苦笑を漏らした。
「いいよ。アンバーなら、私に酷いことはしなさそうだし」
「!怖がらなくて大丈夫!私以外の人達も優しいよ、…優しいよ!」
「なんで二回言ったの?」
えへへ、と愛らしく笑う彼女にちょっぴり不安になる。しかしここまで来てやっぱり止めるは女が廃れるというもの。アンバーに免じて、私は幸先上等だと虚勢を貼って頷き返した。
長い階段を登った先。脚をパンパンにして心が折れそうになった辺りで、アンバーが「此処だよ!」と明るく大きな建物を指した。
「此処が、騎士団本部」
「うん!ちょっと待っててね、ガイア先輩達に報告に行ってくる!」
アンバーは気負い無く荘厳な建物に消えていった。私と言えば取り残されて、その建物の前の兵士さんに思わず助けを求める目線を送った。兵士さんはやさしかった。どうしたらいいか分からない私を不憫に思ったのか、少しの間だけ話し相手になってくれたのだ。
兵士さんの気に入りのキャバ嬢まで話が進んだ所で、騎士団本部の扉が再度開かれる。アンバーが顔を覗かせて、私に屈託も無く手を伸ばした。
「さぁ入って。ようこそ、騎士団本部へ!」























続き、楽しみです!