頃は3月下旬。
私はトレーナーさんと二人並んで、トレーニング場へと続く桜並木の下を歩いていた。
時折ヒラリ、ヒラリと舞い落ちる花びらが、恋の行方を暗示しているようでハッとなる。
私はトレーナーさんのことが好きだ。
そのことに気づいたのは、いつの頃だったろう? 一緒にレース界を駆け抜け、苦楽を共にしてきて、気がつけばこの人のことを好きになっていた。
自分の気持ちに気づいてからは、それなりにアピールしてきたつもりだ。なのに、トレーナーさんはちっとも振り向いてくれない。
「なぜでしょう?」
気がつけばそんな言葉が勝手に口から出ていた。隣を歩いていたトレーナーさんが不思議そうにこっちを見てる。
「えっ? どうかした? グラス」
「いえ、なんでもありません。少し考え事をしていて…」
「そうか。でも考え事しながら歩くと危ないよ。俺なんかこの前、階段から落ちそうになった」
人の気も知らないで、ハハハッとおかしそうに笑うトレーナーさんを横目で見つつ、私は彼をちょっと揶揄ってみたくなった。
「ねえ、トレーナーさん」
「ん?」
「トレーナーさんは、私のこと、どう想っていますか?」
「なんだ、いきなり」
「ほら、私とトレーナーさんも、なんだかんだで結構長いお付き合いじゃないですか。それで、どう想ってるのかなぁ、なんて思いまして」
トレーナーさんは顎に手を当て、少し悩んでから答えた。
「そうだなぁ、君は俺の大事な担当バだ。未熟な俺についてきてくれて、しかも結果まで残してくれて、本当に感謝している。ありがとう」
真剣な口調で語るトレーナーさんに、思わず顔が熱くなる。こうして面と向かって感謝の言葉を告げられると嬉しいけど恥ずかしい。
けれど、私の期待してた回答はこれじゃない。
心の動揺をなんとか鎮めて、もう一歩踏み込んでみる。
「それだけですか?」
悪戯っぽい口調で彼に聞いてみる。
「そうだなぁ……」
再び難しい顔をして思案するトレーナーさん。
しばらくして口元にニヤリと笑みを浮かべて彼は言葉を紡ぎ出した。
「それに……」
「それに?」
「それに、グラスは俺の大切な愛バだ。いつも大切に想ってる」
その言葉を聞いた瞬間、私の世界が止まった。
言葉の意味をうまく咀嚼できずに立ち尽くし、ひとりで前に歩いていくトレーナーさんを呆然と目で追い続ける。
自分が望んでいた答えなのに、本当に与えられるとは思ってなかったので、頭が真っ白になってしまう。
「なんて、冗談だ。驚いた? グラス……あれっ、グラス?」
ようやく一人で歩いていることに気づいたトレーナーさんが振り向く。
「冗談……?」
頭が混乱し、トレーナーさんが何を言っているのか今ひとつ理解できない。
でも、何故か目から涙が溢れてきた。
私の様子に気づいたトレーナーさんが慌てて駆け寄ってくる。
「ごめん、グラス。泣かすつもりは…」
「冗談…………なんですか?」
頬を伝う涙を拭いもせずトレーナーさんの目を見上げると、彼は心底慌てたように両手を振ってみせた。
「あぁ、いや、冗談って言ったけど、それも冗談で……っていうか、冗談のようで冗談じゃなくて! あぁっ、もうっ! 何言ってるんだ、俺!」
「どこまでが冗談で、どこからが本当なんですか?」
「んぐっ………」
「トレーナーさん?」
「それは…」
「それは?」
トレーナーさんは軽く頭を振って、何かを諦めたような顔をした。
「君には敵わないよ、グラス。本当にごめん。悪かった」
私は潤んだ瞳のまま続きを待つ。
「でも、君を大切に想ってることは本当だよ」
私は瞳を閉じ、言葉の意味を噛み締める。温かい感情が胸の奥に流れ込んでくるのがわかる。
「………女の子を泣かせた罪は重いですよ、トレーナーさん?」
「はい、承知しております」
「もう泣かさないでくださいね?」
「もちろんです」
「……近くに新しい和菓子屋さんができたんです。私、まだ行ったことがなくて」
「今すぐお連れしましょう」
「…………いいでしょう。許します」
「ありがとうございます!」
そんな形式ばった遣り取りがおかしくて、思わずクスッと笑ってしまう。つられてトレーナーさんも笑う。
ふたりで笑い合って場が和んだ頃、私は宣言した。
「でも、トレーナーさん?」
「ん?」
「今から2年後、私がこの学園を卒業する時がきたら……」
「うん?」
「必ずトレーナーさんを差し切ってみせますから。これだけは覚えておいてくださいね?」
その言葉にトレーナーさんは破顔する。心底楽しそうに。
「わかった。首を洗って待っておくよ」
。。。。
2年後、私は貰ったばかりの卒業証書を胸に抱いて、足早にトレーナーさんのもとに向かっていた。
トレーナーさんは2年前と同じ桜並木の下で待っていた。
「卒業おめでとう。グラス」
「ありがとうございます」
トレーナーさんはニッコリ笑ってから、ふと視線を別の場所に移す。
つられて私も彼の視線を追ってみると、風に吹かれて桜の花びらが一斉に舞い散る景色が視界に広がった。
「わぁ」
満開の桜が花びらを散らすその様子は、思わず声が出るほど美しかった。
「綺麗ですね」
「ああ、そうだな」
トレーナーさんは桜を見続けたまま続ける。
「グラスがもう卒業だなんて、早いものだな」
「本当に」
「君がいなくなると寂しくなるよ」
「…………」
わずかに憂いを帯びた彼の横顔に、胸が締め付けられる。
「トレーナーさん。私が2年前に言ったこと、覚えてらっしゃいますか?」
「ああ」
私は呼吸を整え、覚悟を決めて、2年間温めてきた想いを口にする。
トレーナーさんは真剣な面持ちで、それを黙って聞いていた。
私が話し終えると、静寂が二人を包み込んだ。
そよ風が私の髪をなびかせる。
「それで、トレーナーさんのお返事をお聞かせ願えますか?」
彼は一度視線を舞い散る桜に移してから、再び私を見つめなおして言った。
「この学園にいる間に君は本当に強くなった。数々の栄光を手にし、人間的にも成長した」
「君はもう俺なしでも十分やっていける。いやむしろ、君はもう俺の手には届かないところにいるよ。だから…」
自嘲気味に言う彼の言葉を遮って、思わず声音が低くなる。
「私が何のために……」
必死に感情をコントロールしようとしたが、それは無理な相談だった。
次の瞬間、抑えきれない感情が爆発した。
「私が何のために、これまで頑張ってきたと思っているんですかっ!」
「すべては、トレーナーさんと一緒に栄冠を勝ち取るため」
「すべては、トレーナーさんと一緒に喜びを分かち合うため」
「そして、トレーナーさんに私をもっと好きになってもらって、これからもずっと……」
「それなのに……それなのに、そんなこと言うなんて酷すぎます!」
「私は、私はっ!」
それ以上は言葉にならず、嗚咽とともに涙があふれだす。
「グラス……すまない」
大きな腕が私を包み込むのがわかる。
「ヘタレ加減にもほどがあります。もう二度とそんなことを言わないでください…」
私は彼の胸の中で泣き続け、その間トレーナーさんはずっと私の頭を優しく撫で続けてくれた。
彼のぬくもりに包まれて、嵐の大波のように揺れていた感情もやがて収まってくる。
顔を上げると、トレーナーさんの漆黒の瞳が私の紺碧の瞳を捉えた。
「グラス。すまなかった」
瞳を閉じ大きく息を吐いてから、彼は言った。
「俺は君が好きだ。これからも俺と共に歩んでくれるか?」
「もちろんです。私の望む未来は、ずっとトレーナーさんと共にあるのですから」
私は人生で一番の笑顔を彼に向けた。
風が吹き、桜が舞い散る。
私の未来は彼とともにある。






















