「いろはが足りないぃ……」
いつもより大事な一人の分が足りない二人分の洗濯物を畳みながら、ぽろりと心の叫びが漏れた。彩葉が足りない。ヤチヨの靴下をまとめながら、ちらりと時計を確認する。彩葉はそろそろ学会が終わってホテルに戻る頃かな。
実のところ、三人で暮らしている私たちだけど二人ですごす時間が一番長いのはかぐやとヤチヨのペアである。同一の私たちをペアと呼ぶのか? という疑問は一旦置いておくとして、というのも私たちの恋人である酒寄彩葉という人は激多忙な超天才科学者なのだ。平日は基本酒寄研究所で働いていて、他にもやれ学会だのスポンサー様との会食だのと引っ張りだこ。今も先週末から遠方での学会に加えて同じ地方にある医療機器メーカーの研究所に「ぜひ技術提携を」ということで呼ばれている。今回も転げまわって駄々をこねたけど連れて行ってもらえなかった。飛行機の距離はダメっぽい。流石に貨物として載せられるのはかぐやも嫌なので、今回は諦めた。予定では来週半ばまで出張の予定なのでほぼ二週間も彩葉に会えない。今日は木曜日だから、あと一週間くらいはヤチヨと二人きりだ。
だからといって特になにが起きるでもなく、配信したり歌ってみたの収録をしたりコラボの打ち合わせしたりグッズのサンプルを確認したりとそれなりに忙しく、でもごく普通に生活している。いや多少揉めたりもしたけどね、どっちが彩葉の部屋で寝るかとか。妥協案で一緒に寝てるけどまあ彩葉がいない夜は毎度のことだからやっぱりなにも起きてないな、うん。
二人ですごすと言っても各々ライバー業、ヤチヨは加えてツクヨミ管理人の仕事もあるのでそこまで顔を合わせているわけでもないんだけど、ご飯だけは一緒に食べている。食事は誰かと食べるとより一層美味しいというのは彩葉と暮らした二か月間で知ったことで、隣に座るのがヤチヨであっても変わらない。
でも私たちが並んでご飯を食べる時は必ず彩葉が目の前に座るから、空いた空間が寂しくてタブレットに撮り貯めた秘蔵の彩葉写真アルバムを流している。二人がそれぞれ撮影して厳選しているので、色々な表情の彩葉が見れてとてもいい。ご飯がもっと美味しくなる。ただ、たまにどう考えてもカメラじゃなくて電脳体で見た映像を切り抜いているようなものが混ざるのは御愛嬌。寝ぼけながら歯磨きしてる彩葉の写真、真後ろから撮ってるのに明らかに鏡に彩葉しか映ってなかったもん。なにやってんだヤチヨ。
今日もそんな感じで画面の中の彩葉を眺めながら夕ご飯をすませて、ヤチヨが洗い物をしている間に洗濯物を畳んでいたわけなんだけど。ぴこんと勝手に立ち上がったスマホのアシスタント機能、聞こえてきたのはヤチヨの声だ。今拭いていたお皿を落としかけてお手玉してる方じゃなくて、彩葉のスマホに常駐してるアシスタントAIの方。
「やあやあかぐや、ご機嫌いかが?」
「彩葉に会えなくて超ブルー。彩葉は元気してる?」
「うん、今日も『勉強不足で申し訳ありませんが……』とか『素人質問で恐縮なのですが……』って感じで研究者さん達と楽しくお話してたよー」
「そっかぁ」
それ学会の恐怖ワードじゃん。「今から首を取りに行きますがよろしいですか?」の丁寧な学会的表現じゃん。楽しいのって彩葉だけな気がするなあ。他所の人たち大丈夫かな、今夜魘されたりしない?
さて、AIヤチヨはなにをしにきたんだろうか。このヤチヨが手ずから分身として生み出しスマホに入れるくらいにスマートにしたAIヤチヨは基本的に彩葉のスマホから離れることはないんだけど、たまに私たちのスマホまで出張してくることがある。大抵は彩葉絡みの面白い事の報告とか、エナドリ買いまくってるから怒ってとかそんな連絡が多いんだけど。
「彩葉はね、今日も無事にお部屋についたよ。予定通りかな、会食までちょこっと時間があるから今は休憩してるんだけど」
「うん」
「面白いお買い物してたからご連絡~、チャットアプリをご確認あれ~」
「ほえ?」
しゅいんとアシスタント機能が消えて、チャットアプリが勝手に立ち上がった。アシスタントAIのヤチヨを通して彩葉のスマホの情報はかぐや達には筒抜けだけど、わざわざ言いに来るって事は間違いなく私たちに関係するものだ。かつ、別に私たちに知られても良いもの。本当に隠したいものは一切の電子機器から遠ざけるからね、彩葉は。どれどれ。送られてきたURLをタップしてみると、オタク的には見慣れたUIの、いわゆる同人作品を扱ったサイトだった。
あー、また買ったんだ薄い本。まだアバターボディの開発途中だった頃、一度ヤチヨに見つかってから開き直ったのか普通に買うようになったんだよね……「ナマモノだからヤチヨは見ちゃダメ!」って言ってたけどヤチヨの薄い本をナマモノ扱いするのは彩葉だけだと思う、世間一般にはAIキャラクターだからねヤチヨは。いやそんな話はいいんだよ。
表示された表紙のイラストは可愛くって、彩葉が好きそうだな、なんて思う。思うんだけどさ。
「かぐや、片付け終わったよ……? ずいぶんと難しい顔してますなぁ」
「いや、さぁ……AIヤチヨが教えてくれたんだけど、いろはがまた薄い本買ってる」
ありゃ、なんて言いながら私のスマホの画面をのぞき込んでくるヤチヨはとても楽しそうだ。ヤチヨは人の作り出すものを愛しているからよくこういうサイトも見ているし、ツクヨミに投稿された作品は欠かさずチェックしている。ただ彩葉が買うものといったらまあ、私たち関係の作品な訳で。躊躇いなく覗き込んできたけどちょっとエグめのやつとかだったらどうするんだろ。どうもしないか、ちょっと「これ私たちにしないよね?」って思うくらいで。
「かぐや? ヤチヨ?」
「……ヤチかぐ」
「およ?」
ぱちりと目を瞬かせたヤチヨが見ているのは、可愛いくてポップな絵柄で私とヤチヨが見つめあってる表紙の薄い本。私たち関係の作品というか私たちのカップリング作品だった。いろPとのやつだけ買えばいいじゃん、と思わなくはないんだけど私とヤチヨ関係だと割となんでも読むんだよね彩葉。なんならいろP絡みの本より買ってる。でもヤチかぐか。ヤチヨが左、かあ……。
「ぬぁんでヤチヨが左なの!? 弱々じゃんヤチヨ!」
「そんなこと言っちゃうんだ、へぇ?」
不満げな声に事実じゃんと視線だけで返せば、すっと細められたヤチヨの目が光る。カーンと脳内でゴングが鳴った。おもむろにテレビの前に移動したヤチヨがテレビ接続も出来る携帯ゲーム機三代目のスイッチを入れた。ぽいっと投げられたコントローラーを受け取って、ヤチヨが選択したゲームを確認する。赤い帽子の配管工のレースゲーム最新作だ。かぐやも配信でやったことある。指の骨を鳴らすジェスチャーをする私と、首の骨を鳴らすジェスチャーをするヤチヨ。アバターボディの金属骨格は鳴らないから雰囲気だけ。
「CPUなしVSで五本勝負、三本先取で」
「りょーかい、コース先に選ばしたげるよ」
「おやおや随分と余裕ですなあ? なら遠慮なく」
選択キャラは二人ともきのこ。「かぐや姫なんだからお姫様使ったら?」と彩葉には言われたけど、タケノコのライバルっていったらきのこじゃね、とこっちを使っている。可愛いじゃんこいつ。ヤチヨも思考は同じだろう。無言でカート選択も済ませて、さあて、かぐやちゃんのスーパーテクでヤチヨを解らせてやらないと。
この後めちゃくちゃレースした。完敗した。三タテされた。
かぐやが追い抜くタイミングを狙いすまして甲羅投げてくるしこっちが反撃しようとしたらガード固めてくるしジャンプの着地地点とかアイテムの手前狙ってバナナおいてくるし一から十までえげつない。いつもはお姉さんぶるくせしてこうやって本気出してくるあたり負けず嫌いの悪童がちらっと見えてる。今も渾身のどや顔で崩れ落ちた私を見下ろしてるし。
「かぐや、弱々だねぇ」
「んがぁあぁ! ズルしたヤチヨ!」
「はて、何のことやら」
「なんでもなにもないっしょ、なんで昨日配信始まったダウンロードコンテンツのショトカもう覚えてんの! かぐやだって他のコースは完璧に覚えてんのにぃ!」
「ヤッチョはツクヨミのトップライバーですから、最新情報のチェックは欠かしませんことよー」
「ぬがあぁむっかつくぅ!」
「はっはっはー!」なんてわざとらしく笑っている顔を忌々しく見上げていると、ぴろんとスマホの通知音が聞こえた。ちかっと画面を光らせたのはかぐやのスマホではなく、ローテーブルに置いていたヤチヨのスマホだ。もしかして彩葉……だったらタブレットの通話アプリに連絡くるよね。通知を確認したヤチヨはにまあ、と口角を上げた。わあ悪い顔だ。絶対彩葉の前ではしない顔。ヤチヨというよりもかぐやがひょこっとはみ出している。
「AIヤッチョからまた彩葉の薄い本情報が届きましてよ」
「お、何買ったの?」
「……」
すいすいと指を動かしていたヤチヨがぴたりと動きを止める。すぐに返事が返ってくるかと思ったのに、フリーズでもしたのかってくらいに動かない。不具合か?
ちょっと不安になるくらいの間が空いて、「ヤチヨ?」呼びかけるとちらりと私を見てからすうっと視線が逃げた。ちょっと頬が赤くなってる。この反応、もしかしてスケベなヤツだったり? いやでもかぐやは八千年の耳年増だったわけで、耳年増ではない経験もそれなりに重ねたわけで、今更戸惑うようなものって早々なくない?
私たちは同じ思考をしてはいるけれど、共有には接触が必要なので今ヤチヨが何を見ているかまではわからない。じっと眺めていると、視線が合わないままヤチヨが口を開いた。
「分身ヤチヨ×無限に攻められるかぐや本」
「……いろは……?」
またヤチかぐ本かとか、無限ってなにとか言いたいことは色々あるんだけど、彩葉はかぐやをどうしたいんだろうか。そういうのが好きなの? めちゃくちゃ気まずそうなヤチヨから見せられたスマホの画面にはばっちり18歳未満お断りマークが入ってる。とろっとろに蕩けたかぐや(ライバーの姿)が無数に伸ばされている手、ネイルの色とか細い形的にまあヤチヨの手なんだけど、にこう、無茶苦茶にされる三秒前みたいな表紙だ。一瞬見えたけどページ数めっちゃなかった? 少なくとも五十ページ超えてるっぽいんだけど。ちょっと戦慄した。薄い本の中のかぐやちゃんは一体どんな目にあってるんだ。
いや、ええ? 出張中になに買ってるの彩葉……私たちと離れているとだいぶ萎びて様子がおかしくなるのは研究所の職員さんから聞いているんだけど、今回はいつもよりも長いからか通話でも「寂しい」とか「かぐやとヤチヨのご飯が食べたい」とか日々言ってはいたけども。
これ彩葉帰ってきた時がちょっと怖いぞ。かぐやちゃんなにされちゃうんだろう本当に。薄い本はファンタジーだからね彩葉、ツクヨミなら彩葉も分身ワンチャンとかやめてね? いや彩葉なら並列思考も余裕そうだし月人式の分身できちゃいそう……これ以上考えるのやめとこ。碌な事にならない予感がする。
そして、ぴろんと追撃の音が鳴った。今度はなんだろう。一度スマホをひっこめたヤチヨがまたするする指を動かして、なんとも言えない顔をした。またヤチかぐ本ですか。視線で尋ねると、ふるふると首を振ってから画面を見せてくれる。
「……小さいヤチヨとかぐやのかぐヤチ本、かあ……」
あるんだ。エゴサしてるけど見たことないな。あれか、本人関係者ブロック済みってことか。まあ私、というかヤチヨには関係ないんだけどさ、ブロックとか鍵とか。インターネットの海はいつだってオープンセサミの腕一振りである。流石にペンタゴンとかはちょっと苦労するけどね。出来ないとは言わない。というかこのイラスト見た事ある気が……よくファンアート描いてくれてる人じゃない? へえ、こういうのも描くんだ。すいっと確認したサンプルページの漫画は全年齢向けでカップリングというよりは仲良し本みたいな感じらしい。ほお、小さいヤチヨを可愛がるかぐやの本なのか。肩車してる絵とか楽しそう。今度ツクヨミでやろっかな。
ん、ていうか。
「ねえヤチヨ」
「なに」
「これ、購入済みになってない?」
「……黙秘権はある?」
「別にいいけど物証が出ちゃってるからなあ」
無言で崩れ落ちていくヤチヨに近づく。うわ、耳まで真っ赤だ。「違うの」呻くような声でヤチヨがぶつぶつと呟く。
「大分前に出た本だから、買ってたとか忘れてたっていうか、この人のかくヤッチョが可愛いっていうか、かぐやと仲良くしてる本は集めてるとかそういうのじゃなくて」
「ヤチヨ、私のこと好きだねぇ」
「……」
ありゃ、黙っちゃった。ほとんど自白したようなものなのに黙秘権を諦めてないようだ。かぐやはヤチヨにいて欲しくって今こうして二人ともアバターボディを得たわけだけど、それはヤチヨにしてもおんなじことだ。全部知っているから今更なのに、恥ずかしいものは恥ずかしいらしい。乙女心ってやつですなあ。
「ね、ヤチヨ」
「なに」
「今日の配信突発コラボにしよ。ツクヨミ観光雑談配信! とかどう?」
「……じゃあ肩車して」
「んはっ、いいよぉ」
甘えることが下手になってしまった私だけど、上手に彩葉が溶かしてくれて、我儘だって言えるようになった。なのにたまに遠慮しいになる。もっとかぐやと遊びたいって言ってくれていいのに。私だってヤチヨと遊びたい。私と私でかぐやとヤチヨなんだから。
「じゃあ準備しなきゃ、一緒にお風呂入る?」
「うーん、どうしよっかな……あっ」
ぴろん。またしても通知の音。顔を見合わせてからとても躊躇いつつヤチヨの指がURLを開く。……さっきの無限の本、続編出てるんだ、そっか……。今度は手だけじゃなくてヤチヨの顔とかもガッツリ描いてある表紙だ。なんならちゅーしてる。ページ数も増えてるね。並々ならぬ情熱を感じる。神々すげえや。
揃って見下ろしていたスマホから顔を上げるタイミングはぴったり同じで、赤くなった頬もお揃いだった。なんとなく気まずくなって視線を逸らす。
「ヤッチョ、お風呂お先するね……」
「はい、どうぞ……」
彩葉、流石に開き直りすぎでは? あと一週間の間にもっととんでもないもの買い始めたらどうしよう。私たちは彩葉が帰ってくるまでは二人きりなんだけど? 変な空気になったらどうしてくれるんだ。いや今もちょっと変な空気ではあるんだけどさあ。
そんなことを考えながら、ちょっと跳ねるようなリズムでお風呂場に向かう銀色を見送った。






















キョーダイ会議ならぬシマイ会議だ…! 酒寄博士はその内自分でヤチかぐ/かぐヤチの薄い本描いてそうですね