Novel9 days ago · 1.1w chars · 1 pages

眩しいくらいに

あやあや

霊が見える霊感少年平良×幽体離脱状態の清居 清居が幽体になって、初めて互いに向き合って言葉をかわし、互いを深く知ることになる。 こんな時なのに清居とのひと時はどうしても心地よくて、楽しいと思ってしまう平良だった。

その夜はカップラーメンを二つ平らげた。
冷静になって考えれば、清居が口にするのは湯気だけなのだから、冷めて湯気を立ち上らせなくなったラーメンは残る。平良も清居に別の味を楽しんで欲しくて、カップ麺を二つ作っていた。
食べられないものは廃棄するしかない。しかも冷めてびろびろに伸びた麺だ。食べ物を無駄にしないためには平良が食べるしかないと言うことに、二人とも思い至らなかったのだから、テンションが上がっていて後先のことを考えていなかったと言うのが正しいだろう。
清居は水に濡れた猫のように見るからにしゅんとしてしまった。さっきまで美味しいものを味わって笑ってくれたのに、平良に負担をかけると思い至り、途端に現実に戻ってきてしまった。
だから平良はのびたラーメンを全部平らげた。途中で満腹になったけれど、平良だって育ち盛りの高校生男子だ。カップラーメンを二つ平らげることは難しくはなかった。腹はいっぱいになったし、のびた麺は美味しくはなかったけれど、だけど好きな人と食卓を共にした初めての思い出だ。どうせなら清居の美味しい顔を覚えていたい。
(なんかごめんな……)
「気にしないで。明日の朝は量を調節してみようよ。パックのご飯があるからそれを電子レンジで温めて、今日買ったスープを作ろう。コンビニでハンバーグを買ったよね。清居が選んでくれたやつ。」
片付けをするために二つのカップ麺の容器と割り箸を手に立ち上がれば、清居もそれについてくる。ふわふわと浮かず、歩いている姿を見れば肉体を持つ、生きている人間そのものに見えるのに、その気配はどこか希薄だった。
「ホットレモネードが飲みたいな。すっきりしたい気分かも。」
(ホットレモネード、飲んだことないかも。)
「じゃあ、一緒に飲もう。」
割り箸とカップ容器をざっと洗い、ゴミ箱に捨てる。電気ケトルでお湯を沸かせば、しゅんしゅんと噴き上がる湯気に顔を寄せ、清居はそれを味わった。
(特に味はないけど、あったかくて美味い。)
「それは白湯の括りでいいのかな……」
(普通の生活してたら白湯なんて飲まねぇもん。でも今は美味く感じる。)
「そうだね。俺も白湯は飲まないかも。」
マグカップを二つ取り出し、お湯を注ぐ。その中に適当な目分量でレモンジュースを注ぎ、蜂蜜を垂らす。スプーンでくるくるとかき混ぜて、ひと啜り味見をする。レモンが強い気がするので、蜂蜜をもう少し足した。
「こんな感じでどうかな。」
(レモンのせいで顎の付け根がキュッてする。でも甘くて美味い。)
「ちょっとレモンを多く入れ過ぎちゃったね。」
マグを手に再び茶の間に戻り、ローテーブルに置いた。どうぞ、と清居に勧めれば、ちょこんと座り込んで手に取れないけれど、マグを抱えるように手を添えて湯気を吸う。味わって、とろりと緩む横顔は、去年一年間で知り得なかった清居の表情だった。
(あったかくて酸っぱくて甘くて美味い。)
「気に入ってくれて良かった。母さんがよく作ってくれたんだ。子供の頃は風邪を引きやすかったから、ビタミンを取りなさいって。蜂蜜は滋養にいいから。だからうちにはしょっちゅう生のレモンがまるごとごろごろしてたな。」
(言われてみりゃ、生のレモンってそんなに身近にないかも。)
「実は母さんがレモンが好きだってだけだったのかもしれないけどね。」
清居は約ひと月ぶりに誰かと話をすることが出来たせいか、饒舌だった。平良の霊感の話や祖母の昔話を聞きたがった。
何事も起こらなければ、清居とはもう二度と会話をすることもなく卒業を迎え、そして二度と会わない人になっていたのだ。
今ここに清居がいる奇跡が胸を締め付ける。学校のどこかで清居の姿を目にすることが出来るだけで、それだけで充分だと思っていたけど、それは確かな平良の真実で、だけどそれだけでは全然足りなかったのだと思い知らされた。
(霊が視えて、怖い思いとかした?)
「うん。視える姿も様々でね、本当にその辺を歩いている人と変わらない姿をしていることもあれば、亡くなった時の姿をしていることもあるんだ。」
(俺は?血とか出てる?)
「ううん、清居は綺麗だよ。いつもと変わらない。これは憶測なんだけど、多分、清居自身、あそこから転落したことを認識していないんじゃないかな。」
(そうかも。だって俺、気がついたらあそこの高台に立ってて、誰も俺のこと、見えなくて、話しかけても全然気付かれなくて、触ろうとしたらすり抜けちゃって……)
清居は自分の両手をじっと見つめた。だけどその手は透き通っていると言うことはなく、生きている人の手そのものだった。だけど触れることは出来ない。事実、清居の手はマグカップをすり抜ける。
(移動は出来たから、家に帰ったりとかしてたんだ。親が病院に行くのに着いてって、自分の体を見たりとか。何とかして体に戻ろうと思ったんだけど、上手く入れなくて……)
「それは体が拒んでいるってことなのかな……」
(って言うよりも、なんて言うんだろう、定着できないって感じ。体が家だとすると、鍵はかかってないし、玄関から中に入ることが出来るんだけど、馴染まないって言うか……体がしている呼吸があわなくて、じりじりと抜け出ちゃった感じ。)
「それはどうしてだろう……体と魂が馴染むための接着剤的なものが必要ってことなのかな。だとしたら、それは何だろう……」
清居は何かが欠けているような気がしたと言っていた。その欠けているものが何なのか、それを見つける。清居のためだけど、清居のためだけじゃない。この世に清居が生きていてくれること、二度と会えなくなっても、清居という存在がこの世で息づいているならば、それが平良の生きる理由になる。
「清居は頑張って何が欠けているのかを思い出してみて欲しいんだ。すごく難しいと思うけど、欠けているものに思いを馳せて、呼びかけてみて欲しいんだ。」
(分かった。やってみる。)
「おばあちゃんがいたらなぁ……」
祖母は豪快に蠅叩きを振り回す人だったが、それは理屈が通らない相手にだけだ。時に霊の話を聞いてやり、心残りを取り払ってやったり、彼らが欲するものをできる限り見つけてやったり、霊を恐れるだけではなく、寄り添うことの出来る優しい人だった。だからこそ纏わり付かれることも多かったのだけれど。
だけど祖母はもういない。カズくんは優しいから必要以上に霊に関わってはだめよ、と何度も言い聞かせられた。祖母が清居を目にすれば、清居の欠けているものが何なのか、分かっただろうか。
その夜は宿題をし、風呂に入って自室に引き上げた。
清居は平良が教科書を広げるのを興味深げに覗き込み、入れるなら入ってみる?と勧めた風呂に消えていった。十分ほどして、なぜか髪が湿った様子の清居が風呂から戻ってきた。制服を着ていたはずが、ラフな部屋着になっている。大きめのだぼっとしたTシャツにハーフパンツの無防備さが可愛くてときめきがすごい。
(風呂に入れた!)
「えっ、本当に!?」
(いや、入ったって言うより、湯気浴びた感じ。さっぱりした!)
「サウナみたいな感じかな。服も替わってるよ。それ、家で着てるやつ?」
(めっちゃくちゃプライベートだな。寝る時に着てるやつ。風呂に入った時、制服が消えて裸になって、湯気浴びてさっぱりしたらこの服になってた。)
「霊体って本人が持つイメージが左右するんだっておばあちゃんが言ってた。清居はイメージ力が高いのかも。」
清居は眠らなくても大丈夫だろうけれど、平良は眠らなければ明日に響く。明日はまだ平日、学校がある。
「俺はそろそろ部屋に戻ろうと思うけど……清居はどうする?」
(ここにいてもいいか?)
「もちろん。この家の中、どこでも好きに使って。」
(じゃあ、おまえの部屋、行く。)
「えっ」
清居が家に来た、と言うだけでものすごいことなのに、それに加えて自室に来るだなんて。清居の部屋着じゃないけれど、超絶プライベートの塊だ。
(あ、ごめん。調子乗った。やだよな、ぐいぐい来られたら。)
「い、いや、そんなことはないよ!ぜひどうぞ!面白みのない部屋だけど……」
(なんか俺、おまえにすげぇ甘えてる。いやだったら本当に言ってくれ。)
清居は約ひと月の間、誰とも会話をすることなく、自身の状況もよく分からず、孤独に不安を募らせていたのだろう。たまたま平良が清居の孤独を和らげるのにちょうどいい存在だった。それだけだ。
だけど今回のことがあって、今まで何のためにこんな能力があるのか分からなかったけれど、清居の力になれるならば、今までの苦労も苦悩も何もかもが報われたように感じられるのだ。
「本当に、心の底から清居を歓迎するよ。いやだなんて思いもしなかった。清居がこの家に来てくれて、一緒に食事をして、話をして、ごめん、こんな時なのにすごく楽しいと思ってしまった。」
触れられたら良かった、と衝動的に思った。清居に触れたい。
それはどんな風に触れたいのかまでは分からなかったけれど、手を取りたいのかもしれない、抱きしめたいのかもしれない、その他の、もっと互いの心に深く踏み込んだ触れ方だったのかもしれない。それはまだ分からなかった。だけど清居に触れたくて、触れたくて仕方がなかった。
「俺が学校に行っている間、清居はここにいたかったらここにいていいし、どこか別の場所に行ってもいい。帰って来たくなったらいつでもここに帰ってきて。おまじないは俺が閉じない限り有効だから。」
(………うん)
清居はくちびるを噛んで俯いた。髪で顔が隠れる。表情が読めない。項垂れたその首の線の美しさに目眩がしそうだった。なめらかな肌にくちづけたいという衝動に喉が鳴る。
清居のために自室に布団を一組用意した。今の清居では使えないだろうその布団は、それでも清居がここで休むために用意しておきたかったのだ。
案の定布団は今の清居の役には立たなかったけれど、清居は喜んで布団に触れようとしてすかすかと手を通り抜けさせていた。
(そう言えばおまえって、俺以外にも視えてるんだよな?)
ベッドに横になって明かりを落とした部屋で、清居はそっと声を潜めて話しかけてきた。眠たくなるまで話をしよう、と提案すれば、嬉しそうにあれやこれやと聞かせてくれたのだ。
その中に清居の家族構成の話もちらりと出てきた。幼い日、両親が離婚して、母子家庭となり、母が暇なく働くようになったこと、そのせいで鍵っ子のさみしい時間を過ごしたこと、母が再婚し、立て続けに弟妹を授かったこと。
その端々に清居のさみしさが滲むようで、あれだけ人に囲まれていたのは、もしかしたらさみしさを感じなくするためだったのだろうか、と去年見知った清居との思い出を振り返ったりもした。
「うん、視えてるよ。」
(どんな風に視えてんの?)
「霊によるかな。本当に生きている人と変わらない様子の人たちもいるし、亡くなった時のまま姿の人もいる。霊によって様々だよ。透けてる人とかもいるし。清居ははっきりしているタイプだね。」
(自分じゃよく分かんねぇんだよな……)
「俺もよく分からないけど、思いの強さじゃないかなぁ。もうすぐ消えてしまうんだろうなって人はどんどん薄くなっていくし。」
それよりも平良が困るのは、生きている時と変わらない姿で漂っている霊だ。そう言う連中は大抵面白がって、生きている人間を装って平良にちょっかいをかける。生きている人間だと思うから返事をしたり対処したりしていると、他の人には霊は視えていないので、平良は突然話し出したり変なことをしたりするやつと言うことになる。
「だからなるべく気付かれないように息を潜めて生きてきたんだけど……まあ、ちょっかいをかけてくるのはそう言う霊ばかりじゃないしね。血みどろの霊に追い回されて泣きながら逃げ回ったこともあるよ。」
(うわぁ……それ、トラウマになるやつ……)
「うん、だからホラー映画は苦手。映画そのものはどうってことなくても、怖かったことを思い出しちゃうから。あと、時々本物が紛れ込んでるし。」
(それ、やべぇな。)
「おばあちゃんが生きていた時には、すぐさま蠅叩きで追い払ってくれたなぁ。」
小柄な可愛らしい雰囲気の女性だったけれど、蠅叩きが唸る様は頼もしかった。もう大丈夫よ、と泣きじゃくる平良の背中を撫でてくれた。
「俺がどれだけ蠅叩きを振り回しても、何も起こらなかったなぁ……俺には祓う力はないみたいだ。」
だから息を潜めてスルーするに限るのだ。そして平良が大人しくしていれば、霊も平良に気付かない。そうやって祖母が亡くなってからの日々をやり過ごしてきたのだ。
あふ、と欠伸が出てくる。清居もそれに気付いたようで、おやすみ、と短い囁きの後、部屋はしんと静まりかえった。
妙に心地のいい沈黙は柔らかく、いつの間にか平良は眠りに落ちていた。
翌朝、清居は変わらずにそこにいた。
布団の中に潜り込むことは出来なかったようだが、敷いた布団の上に横たわり、眠っているように見えた。
そろりとベッドから起き上がれば、気配を感じたのか、清居はぱちりと目を開いた。
「お、おはよう……」
(うん、おはよう。あー、なんかちょっと寝てたっぽい。布団、すげぇわ。)
霊も眠るんだ、と思うとちょっと面白かった。清居は完全な霊体ではなく、おそらく魂が肉体から弾き出された生き霊に近い存在だろう。だから肉体がある状況下のイメージがしやすく、余計に肉体がある時と同じような行動を起こすのだろう。
平良が顔を洗って着替えて茶の間に戻れば、清居も既に制服に着替えていた。
朝食は昨日言っていたとおり、パックご飯とハンバーグを温め、お湯を沸かして清居が選んだスープを作った。昨日の反省を活かし、今日は食事は一人前、スープだけは二種類用意した。
「いただきます」
(いただきまーす)
様々に湯気を上げる料理の数々に、清居はすうっと深呼吸をした。
(あー、すげぇ美味い……)
平良が食事を進めても、湯気さえ上がっていれば味わえるようだ。
清居がじっくり味わえるように、いつもよりも時間をかけて食事する。清居と一緒に食べているんだと思えば、何もかもが美味しくて、感動するほどに楽しい時間だった。
「今日、清居はどうする?俺は学校に行って、放課後、もう一度高台に行こうと思ってるんだけど……」
(あそこなぁ……家に帰ったりとかいろいろうろついてたりもしたけど、なんかあそこに戻っちゃうから、多分あそこに何かあるんだと思う。でも正直な所、ずっと一人であそこにいたから飽きてるんだよな。おまえにくっついてていい?)
どきんと心臓が跳ねる。清居の傍に、少しでも近くにいたいと願って侍った去年を思えば、夢みたいな申し出だった。もちろん清居は平良しかまともにコミュニケーションが取れる相手がいないから、だからこうして傍にいてくれるのだ。そこは勘違いしてはならない。
「も、もちろん。学校にいる間はあまり返事が出来ないけど……」
(見えてない俺と話してたらおまえがやばいやつだと思われるしな。)
それはもう今更だ。生きている人に擬態した霊に絡まれて反応してしまい、周囲の人たちにドン引きされると言う、平良にとっての日常は既に学校でも何度も経験している。おかげで平良はしゃべり方は吃音でおかしいし、挙動も不審という、役満で不審者という括りになっている。
食べ終えた朝食の後片付けをし、歯を磨いて家を出る支度を調える。清居にとっても久しぶりの学校だ。今まで一度も学校には来なかったね、と言えば、だってめんどいし、と返ってきた。
(あんなとこ、好き好んで行く場所でもないだろ。会いたいやつとか親友とかいないし。)
清居はいつでも人に囲まれていた。例えそれが清居がもたらす恩恵のおこぼれに預かろうと群がる醜い欲望の結果だとしても、清居はそれを突き放しはしなかったし、かと言って進んで受け入れているわけでもなさそうだった。清居はいつでもニュートラルで、その中立さはどこか薄情にも感じられた。
「清居は……」
言葉にしようとして、その言葉が詰まった。清居をこんな風に自分が分析してもいいものなのか。それは清居に対する冒涜かもしれない。
だけど清居は途切れた平良の言葉を促した。見逃してはもらえなかったようだ。
(途中で言いたいこと、止めんなよ。なんかもやもやするから全部吐き出せ。)
「う……ご、ごめん。なんて言うか、清居は人に囲まれている時が一番……さみしそうだなって思ってた……見当違いなことを言ってると思うけど」
ああ、と清居は気のない声を上げた。やはり自分ごときがこんな、清居を分析して理解しようとするなんて間違っていたのだ。
(おまえ、結構鋭いな。)
「え?」
(正直、誰といてもつまんないし。俺に群がってくるやつらって、結局の所俺のことは客寄せパンダくらいにしか思ってないからさ、俺がその場にいるってことが重要なわけ。だからあいつらも上っ面の付き合いしかしないし、俺も上っ面だけつるんでる。)
清居は取り巻きたちとちっとも馴染んでいなかった。それは清居自身が心を開いていなかったからだけではない。取り巻きたちも清居に心があることを省みていなかったのだろう。清居の上っ面だけを誘蛾灯に仕立て上げ、恩恵を受けようとしていたのだ。
(結局一人でいるのがいやなんだよ。トラウマって程じゃないけど、ガキの頃、鍵っ子で独りぼっちで家の中にいるのがいやだったって言う、あの時の気持ちがずっと残ってるんだ。)
だからそこに心が伴っていなくてもいい。周囲で騒ぎ立ててくれれば、一人の静けさを味わわなくて済むから。
(あいつらは俺じゃなくてもいいんだよ。俺もあいつらじゃなくていいんだし。)
その顔はどこかさみしげだった。だけどそこには割り切った強さのようなものも見え隠れする。清居は自分の脆さを知っている。それは強さでもある。
「お、俺は……俺は、清居じゃなきゃいやだ。」
言葉は無力だ。特に平良のつっかえて吃るこの不自由な言葉では。
それでも伝えたい言葉がある。今、伝えなければならない。清居がもう一度この世界で生きていくために、清居のために、自分のために伝えたかった。
この先二人の行く末が別々の道であっても、平良にとって清居がこの世界に生きていてくれればそれだけで生きていけるように、清居にもこの言葉で清居を想う誰かがこの世界のどこかにいると知っていて欲しかった。
「き、清居のためじゃなきゃ、去年、あんなに走ったりなんてしなかった。清居のために何かできることが嬉しかった。全部清居のためだった。清居のためだけだった。」
こんなことを言い出して、清居を困らせるだろうか。それでも伝えたかった。平良がどれほどまでに清居の存在に生きる力をもらったか。
「清居は俺にとって、燦然と輝く星だ。絶対に見失うことはない。」
この先の人生をかけて、指針となる存在。北極星が旅路を導くように、清居の存在は平良の中に輝き続ける。
(………きも)
そう言って清居ははにかんだ。そのセリフは去年、何度も聞いた侮蔑の言葉のはずなのに、なぜかひどく甘く、優しく響いた。
自転車に乗って学校へ向かう。清居はもう自由に飛んだり浮かんだり出来るのに、ちょこんと平良が漕ぐ自転車の荷台に座った。
(なんかおまえといると、いろんなことを感じるんだよな……。)
「いろんなことって?」
(飯、味わわせてくれたこともそうだけど、一人だった時には風が吹いてるとか、日差しがあったかいとか、匂いがするとか、そう言うの、全然感じなかった。でもおまえと昨日過ごして、そう言うのがはっきりと分かるようになってきた。)
それはおそらく清居がずっと一人だったから感じなくなっていたのだろう。平良の存在を得て、清居は霊ではなく人に戻りつつあるのだ。
(生きてるって感じ。)
「………じゃあ、それを本当にしないとね。」
そっと囁きかけると、耳元で清居が笑う柔らかな響きがした。
だけど楽しい気分でいられたのはその時までだった。ふいに背筋がぞくっとする。いつも通りがかる定位置に、女が立っているのが視えて、目をそらした。
女の首は不自然な角度を保っている。ぞろりと長い髪が顔を隠すのに、目だけが爛々と昏く光っている。ひび割れたくちびるがぶつぶつと何かを呟いている。
関わり合いにならないように、目をそらしたまま通り過ぎようとした時、女の目がぎょろりと平良をとらえた。
(ねえ、みえてるよね)
ざらざらしたひび割れたような甲高い声だった。
今までなら平良が気付かないふりをすれば、女も気付かなかった。だからやり過ごせていた。だけど今日は違う。今日は自転車の後ろに清居がいる。清居と一緒にいることで、平良には彼女が視えているとばれた。それは彼女だけではない。見ないふりをしてやり過ごしてきた霊たちが平良を見つける。
(おい、これって俺のせいか)
「き、清居のせいじゃないよ」
(でも、俺がいるせいで)
(ねぇぇぇぇ、みぃえてぇるよねぇぇぇぇぇ)
女がぐいと顔を寄せる。がくんと支えきれない頭が不自然に揺れてぐらぐらしている。その口元がひしゃげて大きくにたりと笑った。
「ひっ」
(あははははははは!ねぇねぇねぇ、おはなししようよぉぉぉぉぉ)
恐怖に強張った体が言うことを聞かない。べたべたと顔を触られて、通り抜けてしまうその手のいやな冷たさが肌を突き抜けて体の芯から冷えていく。
祖母の蠅叩きは今ここにはない。あちらが飽きるまで逃げるしかない。彼女はいつもここにいる。つまり、この場所に執着しているタイプの霊だ。そう言うタイプは長くはそこから離れられないことが多い。
(ねぇ、みて、みて、みぃぃぃてぇぇぇぇぇぇ)
バランスを崩して自転車ごと倒れる。無様に転んだ平良を見て、通行人たちは眉を顰め、あるいはだっさ、と笑いながら通り過ぎていく。経験則から言えば、こういう時に助けてくれる人はほとんどいない。
体がぎしぎしと痛んだけれど、何とか立ち上がり、自転車を引き起こす。女がけたけたと笑いながら顔を覗き込んできて、恐怖に息が詰まった。
(何やってんだてめぇ!平良から離れろ!!)
清居が声を上げる。女はぴたりと笑うのをやめて、ぎょろりと清居を見た。
「だ、だめ、清居、清居だけでも逃げて」
(うっせぇ!二度とこいつに近付くんじゃねぇ!)
そう言って清居は振りかぶって、何かを女に投げつけた。ぱっと花の香りが広がる。金木犀の香りだ。
(ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!)
「………え?」
女は悲鳴を上げ、顔を両手で覆ってよたよたと逃げ出した。周囲に集まって来ていた霊たちが花の香りに怯み、女の錯乱した様子に逃げを打つ。
よく見れば足元に、オレンジ色の小さな花がいくつも落ちていて、それは風に吹かれると消えてしまった。それなのに、かすかな金木犀の香りが漂っていた。
清居が投げつけたもの、それは金木犀の花だった。おそらく庭に植わっているあの木だろう。今は時期ではないので花は咲いていない。だけど清居はそれをどうやったのか、ポケットに入れて持ち運んでいたのだ。
(大丈夫か!?)
「え、あ、う、うん……き、清居、これは……?」
あるはずのない花だ。だけど確かに見た。香りを嗅いだ。花を投げつけられた霊は逃げていった。
(すげぇ、本当に効いた……)
投げた本人もどこか呆然としている。その手の中にいくつもの金木犀の花があった。
「清居、これは……」
(それより、怪我してないか?痛むところは?)
「全身痛いけど、だ、大丈夫だと思う……捻ったりとか、いやな痛みはなさそうだし……でも、清居、今のは……?」
(説明するからちょっとここから離れるぞ。人が見てる。)
「あ、う、うん」
よろよろと自転車にまたがって漕ぎ出す。自転車ごと倒れ込んだ体はあちこちが痛みに軋んだけれど、清居に伝えたように、折れたり捻ったりした痛みではない。ただの打ち身だろう。
何とか学校まで辿り着き、駐輪場に自転車を置き、こそこそと人気のない所を探した。誰もいない音楽室には鍵がかかっておらず、その中に滑り込んだ。
(今朝、ちょっと寝てたって言っただろ、俺。)
「う、うん、言ってた。」
(さっきまで忘れてたんだけど、夢を見てたみたいでさ。)
「ゆ、ゆめ?」
(ああ。蠅叩きを持ったばあちゃんと一緒におまえんちの庭で金木犀を見てた。)
蠅叩きを持ったおばあちゃんには心当たりしかない。何年も前に亡くなった祖母を思い出す。優しい笑顔も、美味しいおやつを作ってくれたことも、霊への対処方法を毅然と教えてくれたことも、平良を守るために振り回した蠅叩きが空を切るその鋭い音も。
(カズくんを守ってあげてって言ってた。この花を撒けば悪いものはカズくんに近付けないからって。)
目を覚ましたら忘れていたのに、制服に着替えた清居のポケットの中には金木犀の花が詰め込まれていたのだ。女の霊に襲われる平良を目の当たりにし、瞬間的にそれを思い出して実行に移した。祖母が言ったとおり、金木犀の花は平良を守ってくれた。
(葉っぱでも枝でもいいから、あの木、持ち歩けって。おまえには霊を祓う力はないから、寄せ付けないようにしなさいって。)
「そうだったんだ……」
清居が助けてくれなければどうなっていたか。今更ながらに安堵で力が抜け、そのままずるずると床に座り込んだ。ぶるるっと悪寒が全身を走り抜け、かたかたと震えが治まらなくなった。自分自身を守るようにぎゅっと縮こまる。自分の体に腕を回して、膝に顔を埋めた。
(平良……)
肩の辺りにすうっと冷たい気配が触れる。それはすかっと体を通り抜けて、冷たさが体に残った。それでも不快じゃなかったのは、清居が触れてくれたからだ。
(ごめん、俺のせいだ。おまえひとりだったら無視していられたのに、俺がくっついてたからあいつみたいなのに見つかった。)
ごめん、と清居はてのひらをぎゅっと握り込んだ。固く握られた拳を解きたくて思わず手を伸ばせば、やはり平良の手はすり抜けてしまった。
清居は平良を落ち着かせようと、平良は清居の手を解こうと、それぞれに触れようとしたのに、どうしても今のふたりでは触れ合うことは出来ない。
「俺はそれでも清居と一緒にいたい。」
体の震えはいつか治まる。触れられた冷たさも、平良は生きているからその内体温が戻る。怖かった記憶は完全に忘れるわけじゃないけれど、薄れていく。いつもその繰り返しだ。
だけど清居は違う。清居はまだ生きていて、体は今ここにはないけれど、触れることは出来ないけれど、それでも平良と言葉を交わして、笑って、平良を気遣ってくれる。平良を守ってくれた。
「それに、清居がおばあちゃんから対処方法を聞いてくれたじゃないか。俺ひとりだったら、きっとずっと知らないまま、気付かないままだった。ありがとう。」
(礼を言うのはこっちの方だし……)
平良のまっすぐな言葉が照れくさいのだろうか、清居は目をそらしてかすかにくちびるを尖らせた。その耳がかすかに赤くなっているように見える。とても可愛らしい。
「絶対に、絶対に清居を体に戻すから。それまでの間は、良かったら一緒にいてくれると嬉しい。」
清居本人を目の前にすれば、こんなことは死んでも言えなかった。突然降って湧いた非日常が、平良を大胆にさせた。
(うん、頼むぞ。)
そう言って笑う清居浮かんでいるのは紛れもない親しみと信頼で、この思い出だけでこれから先の人生を歩んでいけると思った。
夢のような時間が終わり、清居が平良を必要としなくなっても、生涯を喜びの内に生きていける。
今、この瞬間が眩しいくらいに愛おしかった。

— End —

Comments 12

S
SHINee4 天前
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海梟 ( seaowl )4 天前
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ゆいすず6 天前

ちょっとだけ夏目友人帳を思いながら読ませていただきました。 清居といることで、前は思わなかった触りたいと思う平良が良かったです。幽体になっても清居は可愛いです😊

8 天前

平良の「清居じゃなきゃ嫌だ」が効きます…😭清居少しは救われたかなぁ あやさん、更新ありがとうございます😊

あり8 天前

清居が幽体になって2人の距離が近くなる だなんて、これからの展開が気になり過ぎ ます!あと、お祖母ちゃんが蠅叩きで悪い霊を 追い払う姿はホラー感は無く、可愛いです。 続きも楽しみにお待ちしています。

けい8 天前

ファンタジックなお話で、素直な2人が初々しく♡続きが楽しみです☺お祖母ちゃんが清居を認めてくれて、なんか胸があったかくなりました🤭

J
jmilk8 天前
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おかき(のり)8 天前
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C
chacha8 天前

素直な清居だし💕ヒラの想いが報われる日は近いのでしょうか?🤭2人が触れ合える時が早く訪れます様に🙏あっ💦そしたらシリーズが終わっちゃう⤵うーん…

あじ8 天前
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N
nanana8 天前
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もんちっち8 天前
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Sakuria
Where every work blooms
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