「胡蝶、そろそろ行こうか。」
「えっ!?副社長!?」
表彰式の日、しのぶを迎えに来たのはなんと副社長の義勇だった。ということは、エスコートするのは…。
「あの、大丈夫なんですか?」
しのぶは彼を女嫌いだと思い込んでいたから、仕事とはいえ可哀想だな、と憐れみの視線を向けた。
「…大丈夫、だ。マナーについてはちゃんと勉強している。」
「そ、そうですか。無理はしないで下さいね…。」
疑いの目を向けつつ、それでも御曹司であり副社長という立場。さらに年齢も30を越えている立派な大人の男なのだから、エスコートくらいは出来るだろうと自分を納得させた。
まずは着替えるためにドレスショップへ行く事になっていた。その費用も全部会社が持ってくれるというのだからありがたい事だ。今回はしのぶ個人に対する招待なのに。
なぜか用意されたリムジンに副社長と共に乗り込み、目的地へと向かう。無言で窓の外を見つめる副社長の横顔にチラリと視線を向けたしのぶ。
この人、顔はほんっとにいいのよねぇ。女嫌いなんて勿体ないなぁ…。
まるで映画のワンシーンのように絵になる姿に、しのぶは小さくため息をついた。
大通りから1本裏通りに入ったセレクトショップに連れてこられたしのぶは、優しげな店員の女性に促されるまま、個室で用意されたドレスに着替えた。着替えて鏡を見てから気付いた。
ファッション誌を眺めながら、今取り組んでいる実験の成果があがったら自分へのご褒美として買おうと決めていたブランドのドレスだった。が、その色だけはどこにも載っていない色。
「あの、これって、Aquaの新作ですよね…?」
店員の女性はドレスに合わせてアクセサリーを選びながら微笑む。
「はい、こちらAquaの新作ドレスの限定色です。デザイナーでもあるオーナーよりこちらを用意するようにと仰せつかりました。」
「そうなんですか…とっても素敵ですよね。」
「ありがとうございます。胡蝶様もとてもお美しいですよ。」
店員は嬉しそうにしのぶにネックレスを合わせる。
「どうだ?用意は出来たか?」
ドアの向こうから義勇が控えめに声を掛けてきた。
「義勇さん。もう少しお待ち下さい。女性の支度には時間がかかるものですよ。」
店員は少し笑いながらきっぱりとそう言って、また支度を続ける。
「副社長とお知り合いなんですか?」
しのぶとは全く違う対応にそう尋ねると、店員は頷いて驚くべき事実を告げた。
「義勇さんはAquaのデザイナーである蔦子さんの弟さんです。」
「えっ!?ということは、社長の奥様がAquaのデザイナーの蔦子さん!?」
「はい。そうなりますね。胡蝶さま、髪はどうされますか?アップにしますか?それとも下ろします?」
「あ、えっと…下ろそうかな。」
驚きすぎて半ば呆けていたしのぶに反し、店員はどんどんしのぶを仕上げていく。
「はい。いかがでしょうか?」
「わ…凄く素敵です。嬉しいです!」
店員の手によって見事にドレスアップされたしのぶ。憧れのドレスに身を包み、アクセサリーもどうやらAquaのオリジナルのもののようだ。
「義勇さーん。もう入ってもいいですよ。」
「…失礼する…。」
店員がドアを開けると、義勇がゆっくりと部屋へと入って来た。が、しのぶの姿をみるなりその場に呆然と立ちつくした。
「お待たせしました…まぁ!副社長!凄く素敵ですね!」
振り返ったしのぶは、ドレスと揃いのスーツに身を包んだ義勇の姿に感嘆のため息をついた。
いつも無造作にハネる髪はしっかりと整えられている。軽く眉も整えたのだろうか?社を出る時の何倍も洗練されたその姿に、しのぶの胸は高鳴る。
「…義勇さん。胡蝶様、素敵でしょう?」
店員のため息交じりの言葉に、義勇は我に返った。
「あ、あぁ。その、とても…その、き、綺麗だ。胡蝶は、いつも綺麗だけれど…今日は特別綺麗だ…。」
見開かれていた瞳がゆっくりと細められる。思いの外熱の籠もった視線に、しのぶは耐えきれずに俯く。
「綺麗だなんて…褒めてくださってありがとうございます。この素敵なドレスのおかげです。馬子にも衣装ですね!」
照れ隠しにそう言って笑うが、義勇の視線はしのぶに注がれたままだ。
「いや、胡蝶が素敵だからそのドレスも数倍素敵に見えるんだと思うよ。正直、他の誰にも見せたくないな。」
「えっ!?あ、あはは。もう、副社長ったらお上手ですね!」
この人、女嫌いじゃなかったっけ!?
しのぶの頭は大パニックである。義勇から向けられる視線は女嫌いとはほど遠い。むしろ恋人に向けるそれである。
「さ、さ、お待たせしました。もう行かないと遅刻しちゃいますよ。宇髄さん達も会場で待ってるんでしょう?」
わざと大袈裟にそう言って、時計を見る。
「…そうだな。行こうか。」
義勇はしのぶに一歩近づいて右手を差し出す。
「え…?」
わけがわからず戸惑うしのぶを見て、義勇の頬がゆるむ。
「エスコート。宇髄から頼まれている。」
初めて見る微笑みに、しのぶの心臓はまた忙しなく動き出す。
「あ、はい、エスコート、はい。ありがとうございます。」
ギシギシとぎこちない動きで義勇の手を取ったしのぶ。
「さぁ、いきましょうか。お姫様。」
優雅な仕草で身体を反転させた義勇は、流れるようにしのぶの手を自分の腕へと回させる。
「いってらっしゃいませ。」
これまた優雅に礼をして送り出してくれる店員に、しのぶはぺこぺこと何度も頭を下げながら、蔦子の店を後にした。
先ほどまでの優雅な振る舞いはどこへやら。リムジンに乗り込んだ後、義勇はまた窓の方へと顔を向けて、ひと言も喋ることはなかった。時々しのぶが視線を向けると、慌てたようにそっぽを向く。いつもは髪で隠れている耳は、これでもか、と赤くなっていた。
副社長は女性が嫌いなんじゃなくて、苦手なのね。
しのぶは一人納得した。嫌い、ではないのだろう。きっと恥ずかしがり屋さんなのだ。恐ろしいほどに恵まれたスペックをもちながら、何とも残念というか…。とはいえ、そんなギャップがちょっと可愛らしいと思って、慌てて否定するように首を横に振る。今朝までの義勇に対するイメージがことごとく崩れていくのを感じながら、この不器用な御曹司に俄然興味がわいたしのぶだった。
さて、15分ほどして車は会場となるホテルへと到着する。同じく表彰式に出るのだろう。見知った顔がホテルへ入っていくのが見えた。
「到着でございます。」
車を停めた運転手が振り返ると同時に、ドアマンが流れるような動作でドアを開けてくれた。
「よし、行こうか。」
どうやら義勇はまた王子様モードに入ったようだ。颯爽と車を降りると、しのぶをエスコートするために手を差し出した。
「はい。ありがとうございます。」
店では戸惑ったしのぶだったが、今度は躊躇なくその手を握り、ドレスの裾を踏まないように気をつけて車を降りた。
義勇のエスコートで会場へ入る。一瞬場内がハッと息を飲んだように静まり返ったが、すぐにまたざわめきが戻る。だが、参加者達の視線はしのぶと義勇に注がれていた。
「副社長…私たち、なんか、見られてません?」
しのぶは多くの視線に耐えきれず、義勇を見上げた。
「胡蝶が綺麗だからだろ。見たい奴には見せておけばいいさ。」
さっきは他の誰にも見せたくないって言ってたのに…
いつもどこか落ち着きのなかった義勇が、今は真っ直ぐに注がれる視線を受け止め、全く意に介した様子もない。堂々とした自信に溢れるその姿に、しのぶは見惚れた。
思えば、今日は普段と違う義勇の姿や行動に何度もときめいてしまっている。これが所謂ギャップ萌えというやつか。ともかく、義勇のこんな姿は今日限定だろうからと、しのぶは王子様義勇を楽しむことにした。
「やぁ!久しぶりだね!しのぶちゃん!ノミネートおめでとう!凄いね!」
会場中ほどまで来たしのぶに声を掛けてきたのは、鬼舞辻󠄀グループの研究所の責任者である童磨氏。このコンペティションの審査員の1人であり、しのぶが表彰式に出たくない最たる理由の張本人である。
童磨氏も若くして数々の成果を上げており、世間的には権威と呼ばれる研究者だが、なぜかしのぶに異常なまでの執着を見せていた。
学生時代から数々の研究成果を出してきたしのぶは、今回のようなコンペティションや、研究発表会などによく招待され、何度も参加した事があった。始めは優しげな物腰で、世間的にはイケメンと呼ばれる童磨氏に話しかけられて、ちょっとだけ嬉しかったりしたのだが、そのうち妙にボディタッチをしてきたり、連絡先を聞かれたり、前の職場では接待を強要されたり(食事会程度だが)。極め付きは、当時しのぶが一人暮らしをしていたマンションの隣室に引っ越してきた事だったのだが、とにかくしのぶに対しての執着が常軌を逸しており、最も会いたくない人物であった。世間ではそれを『ストーカー』と呼ぶのだが、なにせ前職では強く出られない立場だったため、しのぶはひたすら童磨氏を避けることしか出来なかった。転職を決めた理由の1つでもある。
「ありがとうございます。失礼します。」
しのぶは儀礼的に頭を下げるが、すぐにその場を離れようと義勇を促した。
同じく軽く会釈だけして歩き出した義勇。
「おっと!つれないなぁ。久しぶりに会ったんだし、少しお話しようよ。」
すれ違いざまにしのぶの腕を取った童磨氏。
「ひっ…!」
すぐに全身に鳥肌が立つ。
小さな悲鳴と共に、義勇の腕を掴むしのぶの手にぎゅっと力が入る。慌てて振り向くと、童磨氏に腕を取られて青ざめるしのぶの姿があった。
「失礼。女性に許可なく触れるのはどうかと思いますが?」
義勇はすぐさましのぶと童磨氏の間に割って入ると、童磨氏の腕を払い落とした。
「あぁ、君はもしかして冨岡製薬の御曹司君だね?これは驚いた。人嫌いで有名な君が公の場に来るのだけでもびっくりなのに、俺のしのぶちゃんをエスコートしてるだなんて!」
天を仰ぐように大袈裟に驚く童磨氏。よく通るその声に、会場の注目はますます集まってくる。
「胡蝶は我が社の大切な社員です。社員を守るのは会社として当然の事です。」
依然として対応する義勇。だが、しのぶはその内容に少しだけがっかりしてしまう。
今日はずっとお姫様のように扱ってくれていた彼に、少なからずときめいていたのに、それが上司としての義務と言われたのだ。
「立派な事だね。でも君は何か勘違いしているよ。俺としのぶちゃんはもっと深ーい仲なんだ。ほらしのぶちゃん。恥ずかしがらずにこっちおいでよ。」
また伸びてきた手にしのぶは義勇の背後に隠れて、しっかりとスーツの裾を握った。
「…深い仲とは…?恋人同士ということか?」
義勇は後ろに回した手で、スーツを掴むしのぶの手を上からそっと握る。
「いいえ、違います。向こうが勝手に言ってるだけです。」
震える声でしのぶはスーツから手を離して、義勇の手を握った。
「やだなぁ。しのぶちゃん。俺達何度もデートしたじゃないか。」
義勇の後ろに隠れるしのぶを覗き込むように回り込もうとする童磨氏。
「してません!あなたが勝手に絡んできただけでしょう!」
そう言えば宇髄がしのぶに妙に絡んでくる輩がいると言っていたのを思い出した。そうか、これがそいつか。
義勇はしのぶの手をしっかりと握り返すと、童磨氏を正面から睨み返す。
「胡蝶はあなたとは話したくないそうだ。申し訳ないが、人を待たせているので失礼する。」
義勇はしのぶの手を引いて自分の右側に立たせると、腰に手を回して抱き寄せた。
「それから。胡蝶は将来私の妻となる人だ。悪いが諦めてくれ。」
驚いて何も言えないしのぶを抱き上げんばかりの勢いで、義勇はさっさとその場を後にする。
「えっ!?どうゆうこと!?ねぇ、しのぶちゃーん?しのぶちゃーん!!」
ホールの中央に取り残された童磨氏は、しばらく呆然としてしのぶの名を呼び続けた。
「よし、ここまでくれば安心だな。」
会場の奥、事務局に近い場所までやって来て、ようやく義勇の腕が腰から離れる。
「あ、ありがとうございます…。」
あまりにも怒涛の展開にしのぶの頭は未だにパニックだ。先程の義勇の『妻』発言の真意を聞きたいが、本気だとしても唐突過ぎるし、童磨氏から守るための嘘だとしても何だか傷つく。色々な事が一度に起きすぎて、何が何だかわからない。
とりあえず飲み物でも飲んで落ち着こうと、ドリンクコーナーに向かう。
「お、胡蝶来たな!なかなかいいじゃねぇか。ドレス似合ってるぜ!」
そこには既に何杯か飲んだらしい宇髄がニヤニヤしながら立っていた。
「…宇髄さん…。もしかして酔ってます?」
ジト目で見つめるしのぶにも動じず、やはりニヤニヤするばかりの宇髄。
「このくらいで俺様が派手に酔うわけねぇだろ?で、どうだった?副社長のエスコートは。」
少し離れた所で飲み物を選んでいる義勇にチラリと視線を向ける。
見れば見るほど、惚れ惚れするようないい男である。顔の造形はもちろんのこと、スラリと高い背。しっかりとよく鍛えられた体躯。周囲の人たちと比べても、脚の長さが尋常ではない。恐らくしのぶのドレスと揃いであろう洗練されたスーツは彼の魅力をさらに何倍にも引き立てている。
「…なんか…凄い王子様でした…。」
先ほどまでの義勇の言動を思い出して、しのぶは頬を染める。
「そうか。副社長から離れるなよ。また変な輩に絡まれるといけないからな。」
どうやら上手くいったようだと内心ほくそ笑みながら、宇髄は義勇の元へとしのぶを促した。
「副社長、良かったら、これ。」
「あ、あぁ、すまない。ありがとう。」
しのぶから差し出されたシャンパンのグラスを受け取りながら、義勇はちらっと彼女の様子を窺う。先ほどはしのぶの童磨氏に対する怯え様に、ついカッとなって『私の妻』などと宣言してしまった。本来なら一定期間の交際を経て口にすべき言葉である。まだただの上司と部下。加えてしのぶには避けられている自覚もあるのに…。うっかりだ。いや、うっかりでは済まされないかもしれない。初恋なのに。いやいや、初恋どころではない。多分、人生で唯一の恋。この恋が実らなければ、義勇はこの先女性に惹かれることはないだろうと断言出来る程の想いだ。
どうやってリカバリーすればいいのか。いかんせん経験が少なすぎる。
そんな風に悶々としている義勇の腕をしのぶがつんつん、と突く。
「あの、先程はありがとうございました。凄く…その、助かりました。」
「い。いや、俺のほうこそ。勝手に妻などと…すまない。」
「あ…えっと…その、どうして、妻だなんておっしゃったんですか?」
しのぶは義勇のスーツの袖口を指先で掴んだまま、彼を見上げた。シャンパンのせいだけではないほんのりと薄紅色に染まった頬と、潤んだ瞳は破壊力抜群だった。
「そ、それは、それはだな…その…なんというか…。」
恋愛経験ゼロの魔法使いにはあまりにも刺激的なしのぶの様子に、義勇はパニックになる。
「胡蝶…俺は…。」
意を決して義勇はしのぶの手を取った。見つめ合う2人。しのぶは義勇の熱い眼差しにゴクリと唾を飲んで、二の句を待った……のだが…。
「年間最優秀研究者は……胡蝶しのぶさんです!!」
いつの間にか始まっていた受賞者発表に名前を呼ばれ、しのぶは驚いて義勇の手を咄嗟に振り払ってしまった。
「…す、すまない…。」
それを拒否だと思った義勇は、少し青ざめてしのぶから距離をとる。
「ちがっ…副社長!違います!あの…!」
『胡蝶さん。どうぞ壇上にお上がり下さい!』
しのぶはすぐにでも誤解だと伝えたかったが、司会者と周囲の人々に遮られて、壇上へと上がることになってしまった。
「おめでとうございます!胡蝶さんは3回目の受賞ですね!」
司会者にインタビューされている間も、しのぶはステージ脇で静かに自分を見守っている義勇から視線を外せなかった。
「では、審査員の童磨様より、記念品の贈呈です。」
やはり来た。としのぶは思った。過去の受賞でもしのぶの所に来るプレゼンターは決まって童磨だった。この後記念品を渡され、祝福のハグを受けるのだ。男性審査員が女性受賞者にハグするなど、日本では問題になりそうなのだが、童磨氏に関しては他の受賞者に対しても性別関係なくハグをするし、海外生活が長いせいで、誰も違和感さえ感じていなかった。
「しのぶちゃん、おめでとう!君は本当に凄いよ!」
ニコニコしながら童磨が記念品を差し出す。しのぶは警戒しながらそれを受け取った。次の瞬間両手を広げて近付いてきた童磨からサッと距離を取る。
「あれ?あれれ?どうしたの?祝福のハグさせてくれないのかい?」
童磨はニコニコしながら首を傾げる。司会者も何も言わないが、目が『早くハグしろ』と訴えていた。
会場が気まずい空気に包まれようとしていた時、しのぶは受賞者用のマイクを手に取った。
「素晴らしい賞をまたいただけたこと、本当に嬉しく思います。これも私を支え、信じて下さった仲間、家族のおかげだと感謝しています…それから、童磨先生からのハグは遠慮させていただきます。今日は会場に私の婚約者が来ています。彼の前で他意はないとしても、他の男性とハグするというのはちょっと私には耐えられませんので。ごめんなさい。童磨先生。他の方にはぜひハグしてあげて下さい。」
しのぶはスラスラとそう言うと、マイクを置いてさっさと壇上から降りた。そして会場中の視線を集めたまま義勇の元へと真っ直ぐに向かう。
「どうですか?言ってやりましたよ。」
ドヤ顔で義勇を見上げるしのぶに対して、彼はなぜか青い顔で俯いていた。
「…婚約者がいたのか…。すまなかった。」
「えっ!?」
ふらふらとその場を後にする義勇。まさにしょんぼり、という言葉がぴったりな項垂れように、しのぶは驚くより呆れてしまう。
「ちょっ…!副社長待って下さい!勘違いです!」
しのぶはトボトボと去っていく義勇を追いかけて、その手を取った。
「胡蝶…?」
「婚約者とは、副社長のことです!だいたいあなたが私を妻になる人だって言ったんでしょ?」
「……いいのか?」
「…そうですね。確かに私、副社長のこと何も知りませんでした。でも、これからもっと知りたいなって思ったんです。普通はこういう時って、お友達からって言うと思うんですけど、まぁ、その辺はお互い大人なので。」
「…あぁ。そうだな。俺たちは大人だから。もう授賞式は終わったのか?なら、少し飲みに行かないか?」
思いの外スラスラと口から飛び出した誘い文句に、義勇は驚くとともに安堵した。数日前から宇髄による特訓を受けたかいがあった。
「えぇ、もちろんいいですよ。」
ニッコリと微笑んで腕を絡めてくるしのぶに優しく微笑み返して、ゆっくりと歩き出す。
まるで映画のワンシーンのように絵になる2人の姿に、会場中がうっとりと見惚れていた。
1人を除いて。
「俺のしのぶちゃんなのに…絶対に渡さないからな…。」
いつもの様に屈託ない笑顔を浮かべている童磨氏だったが、額には青筋が浮かび、くるくると手先で遊ばせていた扇子は、握った瞬間に音を立てて真っ二つに折れていた。
関係者達はどす黒いオーラを放つ童磨氏からそそくさと距離を取り、式典はいつもの何倍も早くお開きになったのだった。
ホテルの上層階。夜景の見えるバーのソファに2人並んで、グラスを軽く合わせる。
「それにしても驚きです。副社長は女性が苦手なのかと思ってました。」
会場で飲んだシャンパンの酔いも少し回って、しのぶは上機嫌で義勇の顔を覗き込んだ。
「苦手…なのかもしれないな。今まで特に興味もなかったからな…。」
「そうなんですね。なんか、もったいないですよね。副社長ルックスいいし、仕事も出来るし。」
「そ、そうかな…。」
照れくさそうに目線を外す義勇。そんな彼をかわいいと思ってしまう自分に戸惑うしのぶ。
だが、冨岡製薬に入社してからの事を思い出すと、義勇に対する印象は入社当時とはかけ離れたものになっている事に気付く。
無口で無表情。どこか冷淡な印象を受けた初対面の日。時折研究室にやってきては、ひと言ふた言何かを呟いて去っていく。思い返せば、どれもしのぶや社員を労ったり、遠慮なく研究に打ち込めるように促す内容だった。
今日もずっとしのぶをお姫様のように扱ってくれていた。別人のようなスマートさに驚いたが、どこか緊張しているようにも見えた。
不器用な人。
だけど、その不器用さの中に、一生懸命な想いを感じて、しのぶの心はほわほわと温かくなる。自然ともっと義勇の事を知りたい、彼に近づきたい、と思ってしまう。
「でも私、正直いつもの無愛想な副社長の方が好きですよ。」
「無愛想…。」
しのぶの言葉に少なからずショックを受けている義勇。
「だって。いつも今日みたいな副社長だったら、他の女性が黙ってませんもの。」
「え…?」
「副社長の良さは私だけが知っていればいいんです。」
ふふ、と微笑んでしのぶは義勇にもたれ掛かった。
柔らかな温もりと甘い香りに義勇の心臓は爆発寸前だ。
これは…オッケーのサインなのか…?
今日に備えて宇髄から猛特訓を受けていた義勇。しのぶから身を寄せてきたのなら、もうオッケーでいいんだよね?と恋愛の師匠に心の中で必死に確認する。だが、昨日も焦りは禁物と口を酸っぱくして言われている。とりあえず試しにしのぶの肩に手を回して軽く抱き寄せてみた。もしNGなら拒否されるはずだ。
「ねぇ副社長。2人の時は義勇さんって呼んでもいいですか?」
酔いも回っているのだろう。とろんと蕩けて潤んだ瞳が義勇を見上げている。息がかかりそうなその距離と、さっきより密着した柔らかな肢体が、義勇の理性を容赦なく奪っていく。
「も、もちろんだ。俺もしのぶと呼んでいいか?」
今すぐに押し倒したい!!生まれて初めての衝動に義勇はこっそりと太腿をつねって耐えた。こんなにも我慢したのは大嫌いな注射の時以来だ。
「嬉しい。義勇さん。」
しのぶはますます身体を押し付けて来る。それだけでなく細い指が義勇の身体の線をなぞっていき、最後には義勇の頬に添えられた。
至近距離で見つめ合う2人。ゆっくりと閉じられるしのぶの瞳。
キ、キス!?していいのか!?キス!!!
油断すれば荒くなりそうな呼吸を必死に逃して、義勇はまた心の中で必死に確認する。だが何度確認しても、心の中の宇髄の答えはGOだ。
震える手をしのぶの頬に当ててみると、閉じられていた美しい瞳が僅かに開く。嬉しそうに微笑んだまま、しのぶはキスを強請るように顔を上げた。
花に吸い寄せられる虫のように。義勇は甘い香りと美味しそうに熟れた艶やかな唇に、自らのそれを押し当てた。
柔らかい…。温かい…。甘い、いい香り。もっと、もっと深く触れたい…。
生まれて初めての感触に、義勇は夢中になってしのぶにキスを繰り返す。合間に彼女の唇から漏れる甘い吐息にますます脳が沸騰するような興奮を覚えた。
もう心の中の宇髄師匠はいなかった。ただ本能のままに、欲望のままに、しのぶの唇を堪能する。やがて僅かに開いた唇の合間から覗いた可愛らしい歯と小さな舌に、また酷く興奮して、喰むようにむしゃぶりついた。
「おー。義勇のやつ、やるじゃねぇか!」
「しーっ!静かに!ねぇ、部屋取ってあったわよね?」
「大丈夫。ちゃんとスイート取っといたよ。」
「さすが社長!」
「そうだわ、私、着替えを用意したのよね。宇髄君、これお願いしていいかしら?」
「もちろんです。奥様。じゃあ俺は諸々手配しています。」
「よろしく頼むよ。」
「ありがとう。」
柱の影。義勇としのぶの場所からは死角になっている席に陣取っていた『保護者』達は、魔法使いの思わぬ成長に思わず目頭を抑えた。
このまま無事に魔法使いを卒業出来るのを祈りつつ、全てが上手くいくように手筈を整えるのだった。
























