FTSコーポレーションの事業部長を務めている私、嵯峨野拓彦は、社長である金井築雄の経理上の不正に数ヶ月前から気がついていた。もちろんこのことは社長にはっきり指摘すべきで、間違ったことは糺さねばならない。しかし私としても事を荒立てるつもりはなく、社長が誤ちを認めて改める姿勢を見せるのであれば、このことは表沙汰にしないつもりでいた。
ある日、私は金井社長と一対一での面会をすべく、秘書の高橋未華子に金井のアポイントを取るよう依頼した。ほどなくして彼女からメールで連絡が来た。三日後の○月△日の13時に、都内W区にあるQという旅館に来るよう社長から指示があったとのことだった。
当日、私は不正のエビデンスとなる数枚の書類と、各種データを格納したモバイルPCを持って、指定のQ旅館へ足を運んだ。21世紀のこの時代に、まるで戦前にタイムスリップしたかのようなこんな古めかしい旅館がまだ残っていたのか・・・ 私は半ば驚きながらも、旅館の引き戸に手を掛けた。中に入るとすぐに、女将らしき女性が静かに歩いてきた。やや地味な和服に身を包みつつも、女将の女らしさはフェロモンのように全身から漂っていた。
「嵯峨野様ですね。金井様が『艶の間』でお待ちになっています。スリッパをお履きになって、こちらへどうぞ」
案内された部屋の木製の扉も、今どきこんなものがまだ残っていたのかと思うほど古風なものだった。乱暴者が一突きしたらあっという間に破られてしまうのでは・・・と思うような、薄い扉だった。その割に建て付けが悪いのか意外と堅くて、少し力を入れて手前に引く。
金井は、窓際の障子に向かって、私に背を向けて立っていた。
「わざわざ足労いただいて済まんね。まあ、座りたまえ」
私は荷物を畳にそっと置いて、ゆっくりと座り、あぐらをかく。
「社長、私もあまり時間がありませんので、さっそく本題に入ってよろしいでしょうか?」
「ああ、でもその前に、君の名前をまず聞かせてもらおうか」
「は? 何をおっしゃっているんですか? 今さら私の名前を言えなんて・・・ 私はサガ、サ、サイ・・・斎藤麻由美に決まっているじゃないですか」
「ああ、そうだったね。で、斎藤君の役職は何だったかね?」
「私は社長に長年お仕えしてきて、その功績をお認めいただき、今はジギョ・・・、ジョ・・・ 女性秘書として社長のお側で働かせていただいております」
「そのとおり。君は有能な女性秘書として、私の身の回りのあれこれをサポートしてくれている。しかし斎藤君、君はなぜ、今日に限ってそんなダボッとした男物のスーツなんか着ているんだい? いつも女らしい斎藤君、いや麻由美ちゃんらしくないじゃないか」
私は社長に言われて、なぜかよりによって中年男のようなくたびれたスーツを着ていることに気がついた。いや、でも自分は、今までこういうスーツを毎日着て仕事をしていたはず・・・だ? だって私は男・・・ あれ? そんなわけないか。でも部長、って・・・? 私はそんな要職じゃないよね。わたしは社長秘書である女子社員なんですもの。
「す、すみません社長。わたし、なんて姿で社長にお会いしにきちゃったんでしょう・・・ 恥ずかしいです」
わたしは、あぐらをかいていたのを慌てて直して正座する。
「まあ、いいだろう。しかし麻由美ちゃん、さっきは怖そうな低い声で話していたけど、やっといつものような可愛い声に戻ったね。いったい何があったんだろうと心配していたんだよ」
「そうですか? わたし、そんな変な声を出してましたっけ? ああもう、本当に恥ずかしい」
「そろそろ気分も落ち着いたかな? じゃあ、改めて君の名前と役職を教えてくれ」
「もう社長、今さら何をおっしゃるの? わたしは女性秘書の斎藤麻由美です。社長のあなたに昼は秘書としてお仕えして、夜は愛人として築雄さんのお側におりますわ」
わたしは長い髪の毛先を指で弄びながら、社長を上目遣いに見つめながら答えた。
「よかった、やっといつも通りの麻由美ちゃんに戻ったようだね。あとはその着心地の悪そうなスーツを何とかしてあげよう。たまたま、旅館の者が替えの服を一式用意してくれているんだ。ここで着替えてしまいなさい。いつもベッドで肌を合わせているんだから、今さら恥ずかしがる必要もあるまい」
そうよね、どうせわたしの裸なんて、ホテルのベッドでしょっちゅう見られているからいっか。でもやっぱりちょっと恥ずかしくて、わたしは渡された服を手にして、部屋の隅に向かい、社長に背を向けて着替え始めた。
小柄なわたしには大きすぎるメンズスーツを脱ぎ捨てると、その下にはランニングシャツとトランクスを着ていた。いやだ、わたし、下着まで男物を着てたなんて。それらもさっさと脱いで、ライトピンクのショーツに脚を通す。平らな股間と大きなヒップにショーツがぴったりとフィットする。そういえば股間といえばもっこりして・・・、って、女のわたしにそんなものあるわけないか。社長の立派なアレをいつも見てるから、余計なことを考えちゃった。続いて、ショーツとお揃いのブラジャーをおっぱいにそっと当てて、背中のホックを止める。なんか最近、また胸が大きくなったかなあ。社長ったら、いつも赤ちゃんみたいにわたしのおっぱいを吸うもんだから、身体が勘違いしてるのかもね。それからストッキング。少し光沢のある素材が好みなのよね。
下着を着け終わり、白いブラウスを着て、アイボリーにドット柄のロングフレアスカートを穿いて、ライトブルーのカーディガンに袖を通す。あ、お花みたいな可愛いヘアピンもあるから、着けてみよっと。小さなメイクポーチにはコンパクトやマスカラ、アイシャドウ、口紅などが入っていたので、鏡を見ながら手早くお化粧を直す。どうかな、これで変じゃなくなったかな?
「社長、お待たせしました。わたし、どこかおかしくないですか?」
「心配しないでいい。いつも通りの可愛くて綺麗な麻由美ちゃんだよ」
(あのクソ真面目で、いちいち小五月蠅い事業部長は、本当に目障りだったからな・・・ こうして従順な秘書の女の子になってもらえば、私に突っかかってくることもないだろう。立場の上でも、そして身体も支配して、私に身も心も捧げてもらうとするか)
「それにしても、君を見ているとついムラムラしてしまうな。さあ、立ちたまえ」
「しゃ、社長・・・ まだお仕事時間中なのに、何をなさるの?」
「判ってるって。夜のことは、お楽しみとして取っておこう。さあ」
「社長・・・ ん・・・」
わたしを優しく、しかしちょっと強引に立たせた社長は、わたしの唇を奪う。わたしは思わず目を閉じて、社長に身体を任せてしまう。
何というか、夢の中にいるような気分だった。この部屋に来た時は、何かわたしは緊張していて、社長と対峙しなければいけないような気がしていたけれど、何だったんだろう? わたしは社長のおっしゃるとおりにお仕事をこなすだけの秘書。そんなわたしが社長と何かを争うなんて、あるはずがないのに。
長いキスを終えて、社長はわたしをやっと解放してくれた。わたしは再び畳に座り込み、スカートの裾を直しながら脚を横に流して、社長をじっと見つめる。
「もう、社長ってば、いつも強引なんだから」
わたしは不満そうにそんな言葉を口にするが、わたしのこの身体は正直で、キス一つで女としてのスイッチが入ってしまった。顔にはつい、優しい微笑を浮かべてしまう。
「それにしても、君を見ているとつい、ビジネスライクに接することを忘れてしまうよ。君があまりに美しいので、見惚れてしまうんだ。その顔も、そのボディも、服装も、身のこなしも。すべてが美しい」
「そんな・・・ こと・・・ 社長に言われると恥ずかしいです」
「なに、君の顔を見ていると、ついそういう言葉が口をついて出てしまうんだ。まったく罪な女だな、麻由美ちゃんは」
「いやだ、もうやめてくださいよ、社長ったら!」
「やめないよ。恥ずかしがる君の顔も好きだから、もっと見ていたい」
「もう!」
いつも優しい社長。でも時々、子供っぽいところも見せる社長。わたしは彼の、築雄さんの、秘書でもあり、愛人でもあり、そして時には母親のように接することだってある。奥様もお子さんもいる彼とのこんな関係は、二人以外には誰にも知られるわけにはいかない。
いつまでも二人きりでここに居たいけど、まだ就業時間中、この甘い時間もこのくらいで終わりかな。社長もおもむろに荷物をまとめはじめる。
「麻由美ちゃん、そろそろ社のほうに戻ろうか。あまり長い時間出先にいると、怪しまれないとも限らんからな」
「はい、社長」
「タクシーを呼んでくれ」
「わかりました」
スマホアプリでタクシーを手配する。10分ほどで迎えに来るようだ。玄関でパンプスを履いて、夢の世界のような旅館を出て、外に出る。何だか、やっぱりまだ夢を見ているような気がする。
微風にわたしの髪がなびき、スカートの裾がふんわりと揺れる。仕事もできる、人柄も穏やかな、頼もしいこの社長の背中を見上げながら、わたしはこの男性にお仕えする女で良かった、と改めて思うのだった。
「タクシーはまだ来ないかな。ここは人通りもあまりないし、もうちょっとだけ」
「あっ!」
わたしが驚く間もなく、社長は再びわたしの背中を軽く抱いて、くちづけをしてきた。誰かに見られるかもしれない、こんなところで・・・ 本当にこの人は強引なんだから、と思いながらも、思わず彼の首に腕を回して、受け入れてしまう。
タクシーで20分ほど走り、会社に戻ってきた。わたしは女子更衣室で制服に着替えて、社長室へ向かう。今日の後半と明日のスケジュールを社長に説明して、意識合わせを行うためだ。
「失礼します」
「ああ、斎藤君。どうぞ入りたまえ」
さすがに社長も社内ではわたしのことを「麻由美ちゃん」とは呼ばない。そういうところは抜かりがない男だ。
「本日のこのあとのスケジュールと、明日のご予定についてご確認をお願いします」
「わかった。続けてくれ」
「明日の朝一番でX社の社長と業務提携の打ち合わせが・・・」
もう、まだお仕事の途中なのに、社長がわたしを背後から抱き寄せる。わたしはいいんだけど、こんな光景を誰かに見られたらどうするのよ・・・
「社長、やめてください」
「抜かりはない。人払いもしてあるから、このあと定時までここに来る者はおらん」
「そうじゃなくって!」
「じゃあどういうことだ?」
「もう、社長ってば・・・」
「そうだ、秘書室のベテランの高橋未華子君のことを言ってなかったね。ぜひ、彼女に秘書としての心構えなどを教わってくれたまえ。彼女はキャリアも長いし、君に有用なアドバイスをしてくれるはずだ」
(高橋未華子は主人公と同じく、かつては男性社員だったが女性秘書に変えられた第一号だったのだ。かれこれ20年くらい前になるだろうか、今は落ち着いた雰囲気を持つ、初老の上品な女性社員、彼女もまた、当時は社長が重用し、そして愛情を注いでいた可愛らしい女性秘書だったのだ。もちろん今でも金井社長は彼女を信頼し、大切に扱っているが、性的な対象としてはあまり感じられなくなっている。そこで狙われたのが、斎藤麻由美だったのだ)
「そうなんですね。高橋さんにいろいろ教わるようにします。あの方の貫禄はすごいですよね。わたしなんか、まだまだだな、って思わされます」
「君だってそのうち、彼女のようなしっかりした秘書になれるさ。まあ、よく学びなさい」
そんな事を言いながら、社長はまたしてもわたしの身体を抱きしめる。もう、この男、どこまで色気があるんだか。そしてわたしの身体は、社長のせいでまたもやスイッチが入ってしまった。社長室を後にして総務課の席に戻る道すがら、廊下を歩いているわたしの身体はほてったままで、顔も赤くなってるみたい。




















