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あたらしい学校

りすけりすけ

【ミドルスクール編】第1話 少し角が取れてきたスタンリー少年と、将来の右腕の扱いを心得てきたゼノ少年。 11歳って、まだまだ子供なのよね…。

九月の朝は、夏の名残をまだ少しだけ抱えていた。
窓の外では、庭木の葉がやわらかく揺れている。眩しいほどではないけれど、白く澄んだ光がカーテン越しに部屋へ差し込んで、ナマエの机の上に置かれた真新しいノートの角を照らしていた。
エレメンタリースクールで使っていたものより、少し分厚い教科書。昨日まで空っぽだったバックパック。母と一緒に揃えたスクール用品。どれも新しくて、どれも少しだけよそよそしい。

今日から、ミドルスクール。

エレメンタリースクールを卒業して、少しだけ大人に近づいたような気がする。新しい校舎、新しい教室、新しい先生。知らない顔もきっとたくさんいる。

ナマエは鏡の前で、黒髪を軽く手で整えた。日本からアメリカへ来たばかりの頃では考えられないほど、英語はずっと自然に口から出るようになった。知らない場所に入っていく怖さも、前よりは少しだけ減った気がする。

それでも、新しい学校の初日というものは、胸の奥を落ち着かなくさせる。
教室はどんな雰囲気なのだろう。先生は怖くないだろうか。クラスメイトとは話せるだろうか。ちゃんと迷わずに教室まで行けるだろうか。
考え始めると、心配は小さな雪玉みたいに転がっていく。
けれど、その雪玉が大きくなりきる前に、ナマエはふと机の上の小さな紙を見た。

それは昨日、ゼノの家から帰ってきてから見つけたもの。
サンドイッチを食べて、空になったバスケットの中に、そっと入っていた小さなメモ。
メモには、小さく一言。

『明日もいつも通り、学校が終わったらうちへおいで』

それを見た瞬間、胸の奥にあった緊張が、少しだけ解けた。

いつも通り。

この言葉が、今日のナマエには救いだった。
変化していく日常の中でも、今までと変わらないものもある。
そう思うと、新しい学校の輪郭が少しだけ柔らかくなった。
ナマエはメモの横に置いていた弁当箱に目を向ける。

ミドルスクールに上がったらやると決めていたこと。
それは自分でお弁当を作ることだった。
アメリカのランチボックスではなく、幼い頃、日本にいた頃、お母さんが作ってくれていた、日本のお弁当を。

まだ簡単なものしか作れないし、母に手伝ってもらうこともある。ナマエはそっと、弁当箱を引き寄せた。
中身は、おむすびが二つ。少し甘い卵焼き。夕食の残りを少し分けてもらった鶏の唐揚げ。茹でたブロッコリーとミニトマト。
母が「初日だから、無理しなくてもいいのよ」と笑ってくれたけれど、ナマエは自分で作りたかった。

ゼノにご飯を食べてほしいと思って、おむすびを作った、あの幼い冬の日から、ナマエにとって料理はただの食べ物ではなくなった。

それは誰かのことを想う時間に変わっていた。

お腹が空いていないかな。疲れていないかな。少しでも元気になってくれるかな。

そんなことを考えながら手を動かすと、不思議と胸があたたかくなる。今日の弁当は自分のためのものだけれど、頑張って作ったそれを見ていると、ほんの少し勇気が湧いた。

「ナマエ、そろそろ出ないと」

階下から母の声がした。

「はーい」

ナマエは慌てて弁当箱を鞄に入れ、階段を下りた。キッチンでは母がマグカップを片手に微笑んでおり、父は新聞を畳みながら娘を見た。

「ミドルスクールか、早いもんだなあ」
「お父さん、それ昨日も言ってたよ」
「ん、そうだったか?」

父が真面目な顔で言うので、ナマエは思わず笑った。母はそんな二人を見ながら、ナマエの髪の乱れを指先でそっと直す。

「緊張してる?」

母に聞かれて、ナマエは少しだけ笑った。

「うん。ちょっとだけ」
「ちょっとだけなら大丈夫さ」

父が穏やかに言う。

「本当に困ったら、先生に聞けばいい。分からないことは、分からないって言えばいい」
「うん」
「それにスタンリーくんも同じミドルスクールなんでしょう?」

母がそう言うと、ナマエはぱっと顔を上げた。

「うん」
「なら、少し安心ね」
「でも、クラスが同じとは限らないし……通学も、スタンは家がこっちじゃないから、スクールバスのはずだし」

ナマエが少しだけ不安そうにそう答えると、母は少しだけ意味ありげに笑った。

「あら、そうなの?」
「うん。たぶん」

そう答えながら、ナマエは昨日のことを思い出す。
昨日も、三人はいつものようにゼノの部屋にいた。ゼノは大学で聞いてきた講義の内容を、ナマエにも分かるように噛み砕いて話してくれ、スタンリーはソファに座ってロリポップを咥えながら、ときどき横から短く口を挟んでいた。

明日からミドルスクールだね、とナマエが言った時も、スタンリーは「ふうん」としか言わなかった。

全く興味がないわけではないのだと思う。ただ、何かを素直に楽しみにしている顔を、スタンリーはあまり人に見せない。少なくとも、ナマエにはそう見える。

「スタンと同じクラスだったらいいな」
「そうね」
「スタン、すごくしっかりしてるから」
「あら、頼もしいじゃない」

母はふふと笑いながら「ほら、そろそろ行かないと」と声をかける。父も立ち上がって、玄関まで見送りに来た。

「無理しすぎないこと」
「うん」
「困った時は、一人で抱え込まないこと」
「うん」
「放課後はゼノくんのところへ行くのね?」
「うん。いつも通り」

それを聞いて、両親は安心したように目を細めた。

「いってらっしゃい」
「うん、いってきます!」

両親に見送られ、ナマエは家を出た。
数歩歩いたところで、向かいの家を見る。
二階の窓を見上げた。ゼノの部屋だ。
今はもう家を出ているのかもしれない。大学の講義は日によって早かったり遅かったりするけれど、ゼノは時間に関してはかなり正確だ。研究に没頭して食事を忘れることはあっても、講義や実験に遅れることはまずない。

「ゼノも、ちゃんと朝ごはん食べたかな……」

ぽつりと呟いてから、ナマエは小さく首を振った。
今日は自分の初日なのに、結局ゼノのご飯の心配をしている。
そう思うと、少しだけおかしくなった。

学校までの道を歩き始める。ゼノのメモを頭の中で思い出しながら、角を一つ曲がろうと足を進めた、その時だった。

数軒先の角に、金色の髪が見えた。

朝の光を受けて、横に流れるような髪が淡く光っている。まだ幼さの残る顔立ちなのに、目元は僅かに鋭さがある。片手をポケットに突っ込み、バックパックを背負う姿すら妙に様になっている。口には、いつものようにロリポップキャンディ。

「……スタン?」

ナマエが驚いて足を止めると、スタンリーはゆっくりこちらを見た。
スタンリーはロリポップを口の端に寄せ、なんでもないことのように言った。

「遅え」
「え、もしかして、待ってたの?」
「別に」
「でも、どうしてここに?」
「通り道だかんね」
「いや、スタンの家、こっちじゃないよね……?」
「……体動かしたい気分だったんよ」
「それでわざわざこっちに来たの?」
「……まあ」

少し歯切れの悪い返事だった。
スタンリーの家は、ナマエやゼノの家から少し離れた場所だと聞かされていた。だからミドルスクールへ行くならスクールバスだろうと思っていたし、まさかここまで歩いて来るだなんて思ってもみなかった。
けれど、彼があまりにも当然のような顔をしているので、ナマエはそれ以上深く追及しなかった。

「そっか。待っててくれて、ありがとう」

そう言って笑うと、スタンリーは何か言いかけて、やめた。
スタンリーは壁から背を離す。

「行かねえの?」
「あ、うん。行く」

ナマエは慌てて隣に並んだ。
二人で歩き出す。
エレメンタリースクールの時は、ゼノが隣にいることが当たり前だった。けれど今、隣にいるのはスタンリーだ。並んで歩くと頭一つ分近く差がある。ナマエが早足でついていくと、スタンリーがわずかに歩調を緩めた。本人は気づいていないようだった。

朝の住宅街は、同じように学校へ向かう子どもたちの声で少し賑やかだった。エレメンタリースクールへ向かっていた頃より、行き交う子たちの背は高く、声も少し落ち着いている気がする。ナマエは無意識に鞄の紐を握りしめた。

「緊張してんの」

隣から、スタンリーがぽつりと言った。

「え?」
「顔。わかりやすい」

ナマエは両手で自分の頬に触れた。

「そんなに?」
「かなりね」
「そっか……」

少し恥ずかしくなって、ナマエは視線を落とした。するとスタンリーが、横目でちらりとこちらを見る。

「別に、エレメンタリースクールと大して変わんねえじゃん」
「でも、校舎も大きいし、知らない人も多いし……」
「ゼノの話を二時間聞ける奴が、学校くらいでビビんのかよ」

その言い方があまりにぶっきらぼうで、ナマエは思わず笑ってしまった。

「それとこれは違うよ」
「変わんねえっての。ゼノの話んがよっぽどハードル高え」
「ゼノの話は楽しいもん」
「……あんた、ほんと変わってんね」

その言葉は、以前のように小馬鹿にする響きではなかった。
呆れてはいる。けれど、突き放すような冷たさはない。ナマエはそれが少し嬉しくて、隣を歩くスタンリーの横顔を見上げた。

「スタンも、緊張してる?」
「ないね」
「ほんとに?」
「緊張するほどのことじゃねえんよ」

即答だった。
確かに、スタンリーの表情はいつもと変わらないもので、ナマエはそんな堂々としたスタンリーが少し羨ましくなる。

ミドルスクールの校舎が見えてくると、ナマエの胸はまた少し緊張した。エレメンタリースクールより大きい。生徒の数も多い。入口には、同じように新しいバックパックを背負った生徒たちが集まっていた。服装はみんな自由で、ジーンズやパーカー、シャツ、ワンピース、スポーツブランドのジャケットまで様々だ。
制服がない分、誰がどんな子なのか、少しだけ見えやすい気がした。

「人、多いね」
「ま、こんなもんだろ」
「スタン、ほんとに緊張しないの?」
「ああ」
「すごい」
「何が」
「私、どんどん緊張してるから」

ナマエは胸に手を当ててから、一度深呼吸をした。
スタンリーはそんなナマエをちらりと見る。

「ナマエ」
「なあに?」
「迷子になんなよ」
「え、それはさすがにならないよ!」

緊張を忘れ、不服そうに見上げてきたナマエに、スタンリーは少しだけ口の端を上げた。

ミドルスクールの昇降口は、想像以上に賑やかだった。
新入生と上級生が入り交じり、廊下は人の波でごった返している。ナマエは人の波に埋もれながら、自分のクラスの掲示を探した。小柄なせいで視界がどうしても塞がれる。気がつけば、隣にいたはずのスタンリーの姿もない。

「ど、どうしよう」

人混みを回避しようと体をよじるも、アメリカの同年代の平均身長より圧倒的に小さなナマエの体では、残念ながらそれも叶わず。
仕方なく、なんとか背伸びをして掲示板を見ようとしたが全く見えそうにない。
もう一度、思い切り背伸びをしようと、限界までつま先立ちをした瞬間、人混みに押されてナマエの体は後ろにふらついてしまう。

「あ」
「あぶね」

後ろに倒れそうになったところを、誰かが背後から受け止めてくれた。
頭上から声が降ってきて、ナマエは思わずそのまま見上げると、そこには見知った金髪が怪訝な表情でこちらを見下ろしていた。

「ったく、何やってんよ」
「スタン!」

倒れそうになったナマエを背後から支えてくれていたのは、スタンリーだった。
不安が霧散し、一気に安堵するナマエ。
その表情の変化がわかりやすかったのか、スタンリーは思わずフッと笑ってしまう。

「やっぱ迷子じゃん」

頭上から笑うスタンリーに、返す言葉もないナマエは、ぐぬぬという表情で返す。
その反応が面白くて、スタンリーの目元がまた少しだけ緩んだ。
金色の髪、切れ長の鋭い目。頭一つ抜きん出た人目を引く容姿。すでに周囲の何人かの視線を集めていることに本人は気づいていない。
スタンリーは掲示板のある方向を顎でしゃくった。

「あっちだぜ、クラスの掲示」
「え、嘘」
「ほんと世話が焼けんね、あんた」
「う……」

スタンリーはやれやれといった様子でナマエの腕を引いた。
人混みから彼女を庇うように、器用に進んでいくスタンリーと、引かれるがまま足を進めるナマエ。
やがて人混みを抜けたところで、ナマエは大きく、はあと息をついた。

「ありがとう、スタン。ほんとに助かったよ」
「いくらチビだからって、人混みに埋もれすぎだろ。かくれんぼでもしてんのかと思ったぜ」
「仕方ないじゃない……気付いたら、ああなってたんだもん」
「ゼノが過保護んなった理由、なんとなくわかった気がすんよ」

そう言うと、スタンリーは「こっち」と廊下を進み始めた。
言い返したいことはごまんとあるが、実際スタンリーに助けられなかったら、あのまま人混みに倒れてめでたく窒息させられていたであろうナマエは、反論を引っ込めるしかなかった。

「もしかして、同じクラスだった?」
「そ」

短い返答だったが、それだけでナマエの胸に安堵が広がる。

「ほんと?嬉しい」

先程までの不服そうな表情が一変し、安心したようにふにゃりと笑うナマエを見て、スタンリーは少しだけ口角を上げた。

教室へ向かう廊下は騒がしかった。ロッカーの開け閉めの音、先生の呼びかけ、生徒たちの笑い声。ナマエは何度か周囲にぶつかりそうになり、そのたびにスタンリーがさりげなく前を歩いたり、横へ寄ったりして、流れを作ってくれた。

教室へ入ると、もう半分近く生徒が入っており、席も自由ということだった。
ナマエがどこに座ろうか迷っていると、スタンリーが窓際に二つ並んだ席の窓側の席へ荷物を置いた。

「ここ」
「えっ、いいの?」
「あんたがいいなら、いいんじゃねえの」
「ありがとう、スタン」

ナマエは促されるまま、その隣に座った。
新しい机。新しい椅子。知らない顔ばかりの教室。けれど隣にスタンリーがいるだけで、少しだけ呼吸がしやすくなった。

授業は、初日らしい説明が多かった。学校のルール、教室移動、ロッカーの使い方、課題の出し方、カフェテリアの使い方。ナマエはノートに一生懸命書き込んだ。英語はもう分かる。それでも、大事なことを聞き逃さないように、少し緊張していた。
隣のスタンリーは、ほとんど表情を変えずに聞いている。時々、ナマエが聞き取れずに首を傾げると、小声で短く説明してくれた。

「今の、明日までにこれ持ってこいって話」
「そっか、ありがとう」
「ん」

気づけばスタンリーも、なんだかんだとナマエの世話を焼いてしまっていた。

***

午前中の授業が終わり、昼休みになると、皆一斉に各々好きな場所へと散り始める。
二人はひとまずカフェテリアへと向かったが、そこは想像以上に広かった。生徒たちはそれぞれトレイを持って並んだり、家から持ってきたランチボックスを開いたりしている。外へ出て食べる生徒もいるようだったが、初日なのでナマエはカフェテリアの端の方に座ることにした。
スタンリーは何も言わずについてきて、当然のように隣へ座った。

「スタンはランチ買うの?」
「持ってきた」

そう言って、スタンリーは紙袋から簡単なサンドイッチとリンゴを取り出した。

「ナマエは?」
「私は、お弁当」
「弁当?」
「うん」

ナマエは、布で包んだ弁当箱を取り出した。淡い色の布を解き、蓋を開ける。
中には、丸いおむすびが二つ。卵焼きに、鶏の唐揚げ、ブロッコリーと、隙間に小さなトマト。
こちらではあまり見慣れない、箱に詰められた彩り豊かなおかずたち。
カフェテリアのざわめきの中で、そこだけ少し違う色をしているように見えた。
隣のスタンリーが、じっと弁当箱を見下ろしている。

「何なん、それ」
「えっと、お弁当。日本の定番のお昼ごはんみたいな感じ、かな」
「それ、ライス?」
「うん、おむすびだよ」
「ふうん」

スタンリーは興味がなさそうな声を出した。けれど、視線は弁当箱から離れていない。

「こっちんは?」
「卵焼き。ちょっと甘いの」
「卵が甘いん?」
「うん。ゼノも好きなんだよ」
「へえ」

スタンリーはそう言った次の瞬間、何の前触れもなく、ナマエの弁当箱から卵焼きを一つ摘まんだ。

「あっ」

ナマエが声を上げるより早く、スタンリーはそれをぱくりと口に入れてしまう。

「……」

無言のスタンリー。というより、動きが止まっている。
普段と違うスタンリーの様子に、ナマエは瞬きをした。

「……スタン?」

スタンリーは何も言わない。
味わっているのか、口に合わなかったのか、それとも何か別のことを考えているのか、さっぱり分からない。いつも鋭い目元が、ほんの少しだけ動きを止めている。

「お、おいしくなかった?」

不安になって聞くと、スタンリーはようやく卵焼きを飲み込んだ。
三秒ほど沈黙してから放った第一声。

「……もう一個食っていい?」

あまりにも真剣な声だったので、ナマエは一瞬ぽかんとしてしまったが、すぐにふわりと笑った。

「いいよ」

スタンリーは今度は許可を得てから、もう一つ卵焼きを取った。さっきより少しだけ大事そうに口へ運び、また黙る。

「もしかして、気に入った?」
「……まあ」
「よかった」
「これ、あんたが作ったん」
「うん。唐揚げを揚げてくれたのはお母さんだけど、味付けは私がやったし、それ以外も私が作ったよ」
「へえ」

スタンリーは何でもないような顔をしようとしていた。けれど、目は明らかにお弁当の中を見ている。

「唐揚げも食べてみる?」
「いいん」
「うん。いいよ」

スタンリーは唐揚げを一つ取った。
今度は固まらなかった。ただ、黙って食べたあと、サンドイッチの包みを見た。それから、もう一度ナマエの弁当箱を見た。

その視線があまりにも正直で、ナマエは思わず笑ってしまった。

「スタン、お弁当気に入ってくれたんだね」
「別に」
「おむすびも一つ食べてみる?」
「あんたの昼メシ無くなんじゃん」
「大丈夫だよ。帰ったら何か食べるから」
「……」

興味はあるのだろうが、ナマエの発言には少し不服そうなスタンリー。ナマエは少し考えて、折衷案を出してみる。

「じゃあ、スタンのサンドイッチ、一切れもらってもいい?」
「一切れでいいんかよ」
「うん」

ナマエが笑顔で答えると、スタンリーは少しだけ考えてから、サンドイッチをスッとナマエの方に寄せた。
ナマエも同じように、弁当箱をスタンリーの方に寄せる。
そのまま、二人は並んで昼食を食べた。
スタンリーは思いのほか弁当を気に入ったようで、口数こそ少ないが、表情がとにかく分かりやすかった。おいしいものを食べた時のそれである。
唯一、ブロッコリーだけは少し顔をしかめていた。

「野菜も一緒に食べないとだめだよ」
「親みたいなこと言うのな」
「ゼノにもいつも言ってるからね」
「あー……ゼノも、野菜食わなそうだな」
「食べてって言ったら、食べてくれるよ」
「言わねえと食わねえってことじゃん」
「……まあ、そうかも」

ナマエが真面目に考え込むと、スタンリーは短く笑った。
その笑い方は、初めて会った頃の小馬鹿にするようなものとは違っていた。まだ少し意地悪で、ぶっきらぼうで、尖っている。けれど、そこにはもう相手を突き放す冷たさは無い。

昼休みが終わる頃、ナマエの弁当箱はしっかりと空になっていた。

結局、半分はスタンリーが食べてしまった。
ナマエはそれを見て、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。自分の作ったものを、こんなふうに食べてもらえるのは嬉しい。
ゼノが無言でおむすびをもう一つ手に取った時と、少し似ている。けれど、スタンリーの場合はもう少し分かりやすい。言葉は素直ではないのに、食べ方と表情が正直なのだ。
ナマエは心の中でひそかに思った。

これは、作り甲斐があるな、と。

「スタン」
「あ?」
「明日から、スタンの分も作ってくるね」

スタンリーの手が止まった。
彼はゆっくりナマエを見た。

「……は?」
「今日、私の分だけだと足りなかったでしょ?だから、明日からはスタンの分も作ってくる」
「いや、別に頼んでねえけど」
「うん。でも、食べてくれたら嬉しいなって」
「……」
「嫌だった?」

ナマエが少し不安そうに尋ねると、スタンリーはぱっと顔を背けた。

「ナマエは、面倒じゃねえの」
「全然」
「ふうん」
「作ってきてもいい?」
「……好きにしな」

その耳が、ほんの少しだけ赤かった。
ナマエはそれに気づかなかった。ただ、嬉しそうに頷いた。

「うん。好きにするね」
「なんでそんな嬉しそうなん」
「だって、スタンがおいしそうに食べてくれるから」
「……変なやつ」

スタンリーはそれだけ言って、自分のサンドイッチの最後の一口を食べた。

***

午後の授業も、なんとか無事終わった。教室移動で迷いかけた時、スタンリーが「こっち」と短く教えてくれたし、ロッカーの番号を間違えそうになった時も、「それ隣」と指摘してくれた。
ナマエはそのたびに「ありがとう」と言い、スタンリーも「ん」とだけ返した。

放課後になり、ナマエはバックパックを背負い直してスタンリーに声をかけた。

「スタンも、ゼノの家行くよね?」
「行く」

スタンリーの返事は早い。

「レールガンの続き?」
「それもあんだろうけど、ゼノが昨日、大学の実験で面白いデータ取れたとか言ってたかんね」
「ゼノ、話したそうだったもんね」
「話し出すと長えんよな、ゼノのヤツ」
「でも、楽しそうなゼノ、私好きだよ」

何気なくそう言ったナマエを、スタンリーは横目で見た。

「……ふうん」
「なあに?」
「別に」

スタンリーはそれ以上言わなかった。
二人で学校を出て、いつもの道を歩く。
ナマエは今日あったことをぽつぽつ話した。先生の説明が少し早かったこと、ロッカーの開け方に手間取ったこと、教室が広くてびっくりしたこと。スタンリーは相槌らしい相槌をほとんど打たなかったが、聞いていないわけではない。時々、「それ、こっちの廊下使えば早い」とか「その先生、たぶん課題多い」とか、妙に的確なことを返してくる。

ゼノの家に着くと、玄関を開けたゼノの母が二人を迎えてくれた。

「おかえりなさい、二人とも。初日はどうだった?」
「楽しかったです」

ナマエが答えると、ゼノの母はにこりと笑った。

「そう、よかったわ。ゼノは部屋にいるわよ。今日は大学から戻ってきてから、ずっと何か書いているの」
「ご飯、食べましたか?」

ナマエが真剣に聞くと、ゼノの母は少し困ったように笑った。

「一応、サンドイッチは置いたのだけれど……半分以上残っていたわね」
「ゼノ……」

ナマエの声が少し低くなる。

「残りは冷蔵庫に入れてあるわ」
「了解です」

ゼノの母の言葉に、ナマエはしっかりと頷いて返した。
その様子に、スタンリーは横で小さく笑ってしまう。

「あーあ、怒られんね、ゼノ」

心なしか、楽しそうなスタンリー。
二階へ上がり、いつもの部屋の前に立つ。扉をノックすると、中からゼノの声がした。

「どうぞ」

ナマエが扉を開けると、ゼノは机に向かって何かを書いていた。シルバーヘアはいつものように後ろへ流され、黒い瞳はノートの上に落ちている。目元には年齢不相応な集中の色があり、口元には知性を感じさせる微かな笑みが浮かんでいた。

「ゼノ」

ナマエが名前を呼ぶと、ゼノは顔を上げた。

「やあ。ナマエ、スタン、おかえり。ミドルスクール初日はどうだった?」
「ただいま。その前にね、ゼノ」
「何かな」
「お昼ご飯、たくさん残ってるよ」

ナマエは冷蔵庫から出してきたサンドイッチの皿をゼノに見せた。
彼女の顔は笑っているのに、纏う空気はちっとも穏やかでない。

「計算の途中だったので、やむを得ずだよ」
「うん。食べない理由として認められないかな」
「実に手厳しいね」
「ちゃんと食べようね、ゼノ」

ナマエはゼノの前に皿を置き、彼の隣に丸椅子を引き寄せた。スタンリーは既にソファへ腰を下ろしている。

「食べ終わるまで、今日のミドルスクールの話はしないからね」
「なるほど、君の交渉術の精度は、最近益々磨きがかかっているようだ」
「ゼノのおかげだよ」
「困ったものだね」

ゼノはそう言って、ようやくサンドイッチを手に取った。
一連の流れを見ていたスタンリーが、呆れたように口を開く。

「ゼノ、あんたホントに、ナマエの言うことには従順なんだな」
「おお、人を犬のように言わないでもらえるかな、スタン」
「ナマエに言われねえと食わねえの、どうなんよ」
「僕は必要な栄養摂取を忘れていたわけではないよ。ただ優先順位が一時的に変動していただけさ」
「それ忘れてんのと同じじゃん」
「厳密には違う」
「いんや、同じだね」

二人のやり取りに、ナマエはくすくす笑った。
ゼノはサンドイッチを食べ終えると、ようやく満足そうに手を拭いた。

「それで、ミドルスクールはどうだったんだい?」
「大きかったよ。人もたくさんいて、教室も広くて、ロッカーがたくさんあって……私、ちょっとだけ迷いそうになった」
「訂正しな。しっかり迷ってたぜ」
「ふむ。やはり予想通りだね」

スタンリーのつっこみに、納得したように頷くゼノ。
ナマエは少し恥ずかしそうに苦笑した。

「まあ、最初少し迷ったけど……でも、スタンが見つけてくれたから、大丈夫だったよ」
「ほう」

ゼノの視線が今度はスタンリーへ向く。
スタンリーはソファに沈み込みながら、ロリポップを咥え直した。

「たまたまな」
「ふむ。中々使い勝手の良い言葉だね」
「何が言いてえんよ」
「別に。ナマエが無事で何よりだという話さ」

ゼノは穏やかにそう言った。

「あとね、今日、お弁当持っていったの」
「おお、君が作ったのかい?」
「うん。お母さんに見てもらってだけど、ほとんど私が作ったよ。おむすびと、卵焼きと、唐揚げと、ブロッコリー」
「君も着実に料理の腕を上げているね。実にエレガントだ」
「ふふ、ありがとう。ゼノ」

ナマエが嬉しそうに笑うと、ゼノは満足そうに目を細めた。

「でね、スタンが半分食べてくれたの」

その一言で、部屋の空気が一瞬止まった。
ゼノがゆっくりスタンリーを見る。

「……ほう?」
「……何よ」
「スタン、君はナマエの昼食を奪ったのかい?」
「言い方。奪ってねえ。もらっただけだ」
「そもそも、なぜそのような流れになったんだい」
「スタンが卵焼きをつまみ食いしたのがきっかけかな」
「ナマエ……」

ナマエが素直に言った。

「あ……言っちゃだめだった?」

スタンリーは顔を背け、ゼノは楽しそうに笑った。

「なるほど。君もナマエの料理の価値を理解できるようになってきたわけだね」
「別に」
「否定するには、いささか食べ過ぎてしまっているのではないかな」
「うるせえな」
「それでね、明日からスタンの分もお弁当を作ることにしたの」

ナマエが構わずそう言うと、ゼノは少し驚いたように目を瞬かせ、それから静かに微笑んだ。

「それはいい。スタン、君は幸せ者だね」
「だから、別に頼んだわけじゃ」
「では、食べないのかい?」
「……そりゃ、あんなん、出されたら食うだろ」
「だろうね」

ゼノの声には、からかいよりも、どこか温かい響きがあった。
当のナマエはそれに気づかず、明日は何を入れようかと真剣に考え始めていた。

「明日は卵焼き多めにしようかな。スタン、卵焼き好き?」
「普通」
「普通?」
「……まあ、いいんじゃねえの」
「じゃあ入れるね」
「いいね。あの甘い卵は僕も大好きだ」
「ゼノにもまた作るね」
「おお、楽しみにしているよ」

スタンリーはそのやり取りを、ソファから黙って見ていた。
気軽に互いの思いを言い合える二人。
ゼノとナマエの間に流れる空気は、スタンリーが入り込む前からそこにあったものだ。五歳から続いている、静かで、あたたかくて、少し不思議な距離感。

最初はそれが、なんとなく気に入らなかった。
でも今は、少しだけ羨ましく思ってしまう自分がいる。

「スタン」

名前を呼ばれて、スタンリーは顔を上げた。
ナマエがこちらを見ている。

「スタンは、嫌いなものある?」
「……別に」
「何でも大丈夫?」
「ブロッコリーは少なめでいい」
「あ、やっぱり苦手なんだ」
「別に苦手ってほどじゃねえよ。多くなくていいってだけだ」
「ふふ。分かった。少なめにするね」

ナマエが笑う。
その笑顔を見て、スタンリーはまた少しだけ落ち着かない気分になった。
けれど、それが何なのか今のスタンリーには分からなかった。

***

夕方、帰る時間になり、ナマエはバックパックを背負った。
スタンリーも立ち上がる。

「ナマエ。明日も、同じ時間に出んの」
「うん、そのつもりだよ」
「ふうん」

スタンリーは少しだけ間を置いて、再び口を開いた。

「明日」
「うん?」
「朝、今日の角にいっから」

ナマエはぱちりと瞬きをした。

「明日も、待っててくれるの?」
「通り道だっつったろ」
「……ふふ。そっか、そうだったね」

ナマエはそれが遠回りだと、分かっていた。
けれど、スタンリーがそう言うなら、そういうことにしておこうと、彼の優しさに素直に甘えることにした。
話を聞いていたゼノは何かを察したのか、ふむと頷いてから口を開いた。

「スタン」
「あ?」
「朝、うちまで自転車で来たらどうだい」
「は?」
「君の家からここまで、そこそこの距離だ。ここまで自転車で来て、それからナマエと登校するといい。そうすれば、放課後ここからの帰路も楽になるだろう。実に効率的じゃあないか」

思わぬゼノの申し出に、スタンリーが小さく頷いて返す。

「まあ、そりゃ確かにな」
「決まりだね。では、明日以降もナマエを頼んだよ、スタン」
「……ゼノ。あんた、ナマエのお守り役が欲しいだけだろ」
「お守りとはまた随分な言い方だね。僕はただ、ナマエが安心してスクールライフを送れるよう、少しでも手助けがしたいだけさ」
「俺はあんたの手駒かよ」

ゼノの言葉に、はあと肩を落とすスタンリー。
なんだか、いいように使われてしまっている気がするが、こういう時のゼノに反論しても飄々とかわされることは、この数カ月の付き合いでスタンリーも理解していた。
ゼノは満足げな表情でナマエに向き直る。

「というわけだよ、ナマエ。明日と言わず、これからは毎日スタンが一緒だ」
「私は嬉しいけど……スタン、毎朝ここまで来るの大変じゃない?」
「……別に大したことじゃねえよ」
「ほんとに?」
「ほんと」
「そっか」

ナマエは少し安心したように、ホッとした表情を浮かべた。

「じゃあ、これからも一緒に行こうね」
「……ああ」

うれしそうに笑うナマエから、少しだけ居心地が悪そうに視線をそらすスタンリー。
ゼノが机の前で、やれやれと言いたげに微笑む。

「しかし、まさか君の方からナマエを迎えに行くとはね」
「あ?」
「独り言さ。気にしないでくれ」
「なんか腹立つな」
「光栄だ」

ナマエは二人のやり取りを見て、楽しそうに笑った。

窓の外では、夕暮れの光が街を橙色に染めている。

新しい学校。新しい教室。新しい日々。
ミドルスクールのはじまりは、まだぎこちなくて、少し緊張していて、けれど思っていたよりずっと温かかった。

— End —

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sakana27 天前
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shouka28 天前
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Sakuria
Where every work blooms
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