※注
・捏造しかない。
・100億回は見た事あるネタ。
・夢主は審神者ではありませんが、ある意味審神者です。
・不穏な始まりですが8割りギャグです。
・なんでも許せる方向け。
もう一度言います。捏造しかありません。
好き勝手書いてます。恋愛要素のない審神者愛されです。
なんでも許せる方向けです。
時間ある時のお暇つぶしにしてください。
「単刀直入に言おう。あなたは明日、日の出と共に事故で死ぬ。──俺たちはその歴史を守るためにやって来た」
これは、わたしが推しに言われた言葉である。
◇
その日は、仕事がとても忙しくてお昼もろくに食べられない日だった。
というのも、勤めている会社が繁忙期に入り、5日前から食べる暇なければ家に帰る暇もない激務におそわれていたのだが。
そのあまりの過酷さに、後輩の1人が体調不良で脱落してしまったのだ。
繁忙期に戦力が欠けるというのは、会社によっては笑い事ではない大事件である。
しかも、ちょうど繁忙期に入る5日前に同僚の1人が産休に入っていたので、わたしの所属する部署は深刻を通り越した絶望的な人手不足に陥ってしまっていた。
「も、無理。メール見るのこわい。急ぎと確認と訂正あったら終わる……」
隣の席の同僚は頭を抱えながらそう言っていた。
わたしも同じ気持ちだった。
しかし見ないわけにもいかないので、カチッとメールをクリックして確認する。【訂正お願いいたします】という件名を見付けてガッと額を机に打ち付ける。
だが、気落ちする時間すら惜しかったのですぐに起き上がってメールを開いた。
隣の同僚も、いつの間にか冷却シー○を額に貼り付け無の境地の顔でメールの確認作業に移っている。誰がどう見ても止まれなくなった限界の現場だった。
「(訂正は✕○日まで…なら、先に午前中に取りに行った書類を確認した方がいいかも)」
頭の中でタスクを優先順に並べながら、持ち帰ったファイルを鞄から取り出す。と、ちょうどファイルに挟まっていたのか、スマホがゴトッと床に落ちる。
「あっ」
思わず声が零れた。
柔らかいシェイカーケースに入れているので大きな音は鳴らなかったが、画面側から落ちてしまったのだ。
慌てて電源を入れて画面に異常がないか確認すれば、ロック画面に見慣れた通知が入っているのが目に入る。
「(あ、とうらぶ遠征終わってる…)」
きっと、昨日の昼過ぎに遠征に行ってもらっていた子たちが帰ってきたのだろう。
とうらぶ──刀剣乱舞。
わたしが、生きる糧としているゲームだ。
いつもは、忙しくても食堂でご飯を食べる時にログインだけはするようにしているのだが。
今日はご飯を食べに行く余裕もなかったので、ゲームを一度も開けていなかった。
「(今日、日付跨ぐまでに仕事終わるかなぁ…)」
スマホをしまってからチラッと時計を見やる。
現在、時刻は夜の7時過ぎ。
退勤時間の6時を1時間ほど過ぎた時間である。
この時点でもう残業は確定だが、ここ数日に関しては普通に午後10時過ぎまでみんな残っていたので、今日もそれくらいの時間になると覚悟した方がいいだろう。
「(すまん…遠征に行ってる子たち…)」
今日もまた、迎えが遅くなりそうだ。
あぁ…昨日の昼に8時間の遠征に行かせた子たちが本丸の前でドアの鍵が開くの待ってるというのに…。24時間行かせた子たちが、クタクタになりながら玄関先に座ってるというのに…。
そんな妄想をしながら、わたしは終わる様子のない仕事にため息を吐いたのだった。
◇
3時間後。
午後10時。
さすがに時間が時間だからか、仕事に目処を付けて帰り支度をはじめる人達がチラホラと出てきた。
中には、泊まる覚悟を決めて上司に「仮眠室借りれますか」と聞きに行っている人もいる。
すると、眠眠○破を片手にファイルを見ていた上司が「もうそんな時間か……」と死にそうな声で呟いた。
「今日はもう切り上げよう。仮眠室は明日点検工事が入るから使わないでくれ。泊まりたい人は俺がビジネスホテルに送ってく。現地払いになるから領収書もらうのを忘れるなよ」
言いながら、上司は椅子から立ち上がった。
凝り固まった体をほぐすように伸びをしている。
しかしその左手には、未だに眠○打破が握りしめられている。
「あんたはどうすんの? 今日」
額と手首に冷〇シートを付けた同僚が、書類を片付けながら聞いてきた。
他の人達も、上司に続いてノロノロと退勤準備を始めている。わたしも、途中まで進めていた書類に付箋を貼って額のシートをペリペリと剥がした。
「今日は帰るよ。明日ゴミの日だから、ゴミ出したいし」
「あー…そっか。あんたのマンションは指定日に持ってかなきゃいけないのか」
「うん。…駐車場があって1階に警備室があるのは有難いんだけどね」
「善し悪しあるね。どこも」
ダラダラと会話をしながら、カバンにスマホやらファイルやらを詰め込む。
それから、同じく家に帰るという同僚と共に廊下に出る。エレベーター乗り場へ向かう。
「そういえば、さっきラジオのニュースで流れてたけど、○○駅前のコンビニでまたひき逃げ事件があったんだって」
「え、また?」
「そうそう、これで2件目よ。誰も亡くなってはないみたいだけど…犯人は未だ逃走中だって」
「えぇ…」
「なぁんか、いいニュースないよね最近。物価は高騰、抽選は落選、仕事は繁忙期って」
「…なんか失敗したラップみたいな言い方だね」
「ほっとけ」
そんな中身のない会話をしていると、エレベーターの扉が開いた。
先に待っていた同僚達が乗るのに続いて、私と彼女もそれに乗る。エレベーター特有の無言の空気を感じながら、1階に着くのを待つ。
すると。
ガタッ。
「……え?」
突然、エレベーターが音をたてて止まった。
かと思えば、フッと内部の電気も消える。
「え、」「な、何?」「地震か?」真っ暗な空間から、社員たちの困惑した声が聞こえてくる。
だが、それは一瞬ですぐにパッと電気はついた。
同時にエレベーターも動き出し、4階から3階へ光が移っていく。
「? …え、今のなに…?」
「さ、さあ…」
ものの数秒の出来事にエレベーター内は狐につままれたような空気が流れたが、ピンポーンと開閉の音が鳴って扉が開くとみんなは首を傾げながらも外に出て行った。
「なんだったんだろ…」「不具合かなぁ?」「一応警備員にも伝えとくか」そんな会話が、前から聞こえてくる。
「びっくりした…閉じ込められたかと思って一瞬心臓止まったわ」
「ね。…でも、ほんとなんだったんだろ。非常電源に切り替わって動いたって感じでもなかったし」
「いやもうシャレになんないって…仮眠室点検する前にエレベーター点検してもらった方がいいよ」
ゲンナリと数分前より疲れた顔をした同僚が玄関ホールに向かっていく。
…確かに、閉じ込められてたらシャレにならなかったな。あまりにも一瞬の出来事で、夢でも見たような気持ちでいたけど。
もしあのまま閉じ込められていたらと考えたら、今更のようにゾッと寒気がした。
「(明日はあのエレベーター使うのやめとこう…)」
何かちょっとした不具合でああなったのだとしても、一度そんな事を経験してしまうと信用できなくなってしまうのは、わたしという人間の性である。
とりあえず、今日はもうさっさと家に帰ってしまおうと、先を行く同僚を追って玄関ホールに出る。
警備室の警備員に社員証を見せるために、カバンを開く。
「……あっ」
「ん?」
「……車の鍵忘れた」
と。
そこでようやく、外回り用のカバンに車の鍵を入れっぱなしだった事を思い出したのだった。
「………」「………」
立ち止まった同僚とわたしの間に、てんてんてんとなんとも言えない間が落ちる。
「……ご愁傷さま」
疲れきった顔に、哀れみの色を乗せた彼女が囁くような小声でそう言う。
「うぅ…」
「早く取りに行った方がいいよ。泊まり組が部屋出たら8階に入れなくなるだろうし」
「ううぅぅ」
冷静な同僚に促され、わたしはトボトボと来た道を戻って行った。
つら…さっきあのエレベーターは使わないぞって誓ったばっかりなのに。
しかし、鍵がなければ帰れない。
わたしの住むマンションは都心から離れており、最寄りの駅から歩いても20分はかかる。
正直、残業続きのこの体にそんな距離を歩いて帰るだけの体力は残っていない。
「…エレベーター、もう一個の方使おう」
2階くらいの距離なら階段を使うが、残念ながらわたしの部署は8階にあるので、階段を使うという選択肢は無い。
「(これ、こっちも不具合あったりしないよね…?)」
一抹の不安を覚えながらも、わたしは8階のボタンを押してエレベーターを待った。
すると、それほど待たずしてピンポーンと音が鳴る。扉が開く。…念のためスマホは手に持っておこう。そう思い、わたしはスマホをカバンから取り出して恐る恐るエレベーターに乗った。
カチッ。閉のボタンを押す。
特に異常もなく、エレベーターはゆっくりと2階へ上がって行く。
3階、4階。先程止まった位置を通り過ぎる。…どうやら止まる様子はなさそうだ。
「(良かった…)」
ホッと息を吐いて、連絡の必要なスマホをカバンにしまおうとした。
しかしその時、ふと思いつく。
「(そうだ、今のうちにとうらぶのログボ受け取っちゃおう)」
一応、社内でも休憩時間はスマホを触っていいルールになっているが、わたしの顔は推しを見ると無条件で緩んでしまうので、食堂以外ではできるだけ開かないようにしている。
けど、今はもう退勤時間だ。周りにも誰もいないし、ログインボーナスを受け取るくらいはしてもいいだろう。
そう思い、わたしはスマホの電源を入れて刀剣乱舞のアプリを開いた。
ピンポーン。
「……え?」
瞬間、エレベーターが音をたてて止まる。
…え、もう着いたの?
数字を見ると、8の数字がピカピカと点滅していた。おかしいな、さっき5階の数字が光ってるの見てから数秒くらいしか経ってない気がするんだけど…。
困惑しているとさらに、スッと目の前の扉が静かに開く。
「………エッ」
だが、そこは真っ暗闇だった。
エレベーターの光で、その廊下が確かに8階の廊下であることは確認できるのだが。
顔をのぞかせて外を見ても、人気もなければ、廊下にも部屋にも電気がついていなかったのである。
「え…なんで?」
おかしい。
確かに、このテナントビルはその階数を使っている人がいなくなると電気が消える仕組みになっている。
なってはいるが、それにしたって人が居なくなるのが早すぎるだろう。エレベーターを使っているのはこの階の人達だけじゃないのに。
たった数分で、誰もいなくなるなんて。
「(…………階段使ったのかな)」
究極に楽観的に考えるならそういう方法もあるが、さすがにそれに納得できるほどわたしはお気楽ではない。
…でも、じゃあ何で電気が消えて誰もいなくなってるんだろう。
分からない。
だが、とにかくここが8階で、鍵がないと家に帰れない事は確かなので、わたしは恐る恐るエレベーターから下りた。
すると、扉が閉まってあたりは真っ暗闇に包まれる。慌ててスマホの電源を入れれば、ロック画面に刀剣乱舞の通知が入っているのが映る。
「…?」
あれ、わたし何か通知が入るようなことしてたっけ…?
一瞬違和感が過ぎったが、正直いまはそれどころではないので、ロックを解除してライトを付けて足早に部署に向かった。
「───を──…た」
ら。
どこからか、微かに人の声が聞こえてきた。
男の人の声だ。
だが、小さすぎて誰の声なのか分からない。
声をかけてみようかとも思ったが、もしかしての可能性がよぎって口を閉ざす。
「(まさか、泥棒じゃない…よね?)」
ここは8階で、1階には警備員がいる。
だから誰にもバレないように侵入するのは不可能なはずだ。…でも、じゃあそれなら、この真っ暗な中電気もつけずに声を発している同僚は誰なんだって話になる。
「………」
これは…つまり、あれだろうか。
霊現象的な、科学で説明できない事象が起こっているのだろうか。
突然浮かび上がってきた第三の可能性に、わたしの心臓はバクバクと激しく音をたて始める。
とりあえず、泥棒か幽霊だったら明かりを付けて居場所をバラすのはまずいと、どこか冷静な自分が判断を下してスマホの電源は落とした。
壁伝いに物音をたてないよう、ゆっくり、ゆっくり声に近付いていく。
この時点では、まだ同僚の誰かである可能性が僅かにあったからだ。
が、しかし。
「──ああ、日付はあっている。場所も寸分の狂いもない」
ドッドッドッと、未だかつて無いほどわたしの心臓は激しくなった。
何故なら──聞こえてきた男の人の声は、同僚の誰のものでもなかったからだ。
うちの部署は喫煙者が多いので、男性もハスキーな声の人が多い。こんな、涼やかで凛とした声の人はいなかった、はず。
「(……?)」
…というか、あれ? わたしこの声聞いた事がある気がする。
え絶対知ってる。どこで聞いたんだっけ…?
喉元まででかかった記憶に首を捻っていると、声が続ける。
「今夜、主はここに車の鍵を取りに来る。藍月班は屋上で待機してくれ。俺はここでしばらく待つ」
聞こえてきた内容に、わたしは悲鳴をあげそうになった。
だって車の鍵って……わたしのコトじゃん!!
な、なんで? なんでこの声のいい泥棒さんわたしのこと待ってるの?!
「、」
さすがにこの内容を聞いては、引き返す他なかった。
震える呼吸が聞こえないよう、口を手で押さえながら足を引いて後ろに下がっていく。
すると、トンと背中がなにかにぶつかった。
固くも柔らかくもない何かだ。その感触に、はてそんなもの廊下に置いてあっただろうかと、わたしは訝しげに思いつつも後ろを振り返った。
「…え」
ら。
そこには、黒いモヤモヤがいた。
…何を言ってるのか分からないと思うが、それ以上に的確な表現方法が無かったのだ。
それは、不気味な様相をした“ナニか”だった。
形は人型だが、顔はなく、色もない。
輪郭は煤が集まったようにサワサワと揺らめいていて、時々一部が欠けたりしている。
だが、そんな恐ろしい光景よりももっと目を引くものが、その手には握られていた。
「ぁっ、あ…」
ギラリ。
暗がりの中で、ソレは鈍く輝きを放つ。
冷たく、硬質で、無慈悲な輝きを。
──そう。バケモノが握っていたのは刃物だった。
もっと正確に言うと、刀だったのだ。
銃刀法という法律ができて久しいこの現代で、どうやって持ち歩いてきたのか分からないほど立派な大刀である。
「っ、」
わたしは恐怖で息を乱しながら、黒いもやから一歩身を引いた。
逃げようとしたのではなく、無意識の行動だった。
刀という恐ろしい武器と、科学では説明できない未知の存在に、頭の中はパニックに陥る。
こ、れは、なに…? ゆうれい? 悪霊? …それとも幻覚?
いずれにしても、刀を握っている時点でわたしに害のない存在とは思えなかった。
すると、その黒いモヤが突然刀を鞘のようなものにしまった。かと思えば、顔らしき部分をわたしに向けて、黒い手のひらをこちらに伸ばしてくる。
ザワザワと粒子が蠢く手が、眼前に迫る。
その瞬間、わたしは自分でも驚くような行動に出た。
「い───ヤダーーーっ!!」
そう。
泥棒の声のした方に、走り込んで行ったのである。
…あとから思えば、もし泥棒も凶器を持ってたらどうするつもりだったんだと思ったけど。
でも、とにかくこの時は刀を持った明らかホラーのモヤモヤよりも、現実的な説明のできる泥棒の方が100倍マシだったのである。
…というか、怖すぎたからもう泥棒だろうが誰でもいいから人に会いたかった。
わたしは絡まる足で無様に走りながら、ガラッと声の聞こえてきた部屋──わたしの部署の扉を開けて中に飛び込んだ。
「!」
すると、すぐ近くに人がいた。
おそらく、わたしの悲鳴を聞いて外を確認しようとしたのだろう。
「な、」と驚いたような声がその人から聞こえてきたが、そんな事より後ろのモヤだったわたしはその人を後ろに押して逃げようとする。
「、きみ」
「う、後ろ! 後ろオバケいるから!!」
「──は?」
「扉閉めて扉!」
言いながら、わたしは自分で扉を閉めた。
人に閉めてと言っておきながら。
完全にパニックの人の言動である。
それから、泥棒の方を振り返る。
「──え?」
と。
そこには、“神様”がいた。
そう。
わたしにとって、神に等しい推しであり───刀の付喪神という二重の意味でも神である、そのものである。
彼は宝石のような蒼い瞳を大きく見開き、わたしを見下ろしていた。
閉じたブラインドの隙間から差し込む月明かりが、その美しいかんばせと白皙を照らしている。
「──…」と、息を飲んだような音ともに、銀色の髪がサラリと揺れて頬にかかる。
「──やま、」
その銘を、わたしが愕然とした顔で呼ぼうとした。
瞬間だった。
ハッと、彼はひとつ瞬きをすると表情を変えた。
鬼のような形相で刀を抜くと、左手でわたしの肩を抱き寄せる。
え!? と、驚く間もなく後ろから扉の開く音がして、バリンと窓ガラスが割れる音が続く。
「っ!?」
「動くな」
驚いていると、低い声が上から降ってきた。
──山姥切、長義の声だ。
おそらくわたしにかけられたであろうそれに、石像のごとく身を固める。すると、山姥切長義の手がわたしの後頭部を押さえ、顔を自身の肩口に押し付けた。
「、」
「ハッ。なまくらでも、ナリが立派であれば俺に勝てると思ったのかな」
《─…ジ──ィィ》
「浅はかな」
吐き捨てるような声と共に、ブンと何かを振り落とすような音が聞こえてくる。
──キンッ。
聞きなれない、固いものと固いものがぶつかるような音が後ろから聞こえてきた。鍔迫り合いの音だ。本能的に不安を煽るような、冷たい音をしている。
思わず身を固めて彼のマントを掴めば、分厚く上質な感触が手のひらに伝わってきた。
「藍月班。聞こえるか」
『んーなになに? どしたどした』
「敵が現れた。彼女も一緒だ」
『──えッ!?』
「今からそちらに行く。脇差と短刀がいるかもしれないから警備を固めておいてくれ」
あれ、今の声も知ってるぞ。
刀剣乱舞の誰かだ。誰だっけ、この声…。
考えていると、山姥切長義がわたしの体を庇うように背に移動させた。
「わっ、」わたしはふらつきながらなんとか体勢を正して後ろに下がり、彼の背中越しに黒いモヤモヤを見やる。そしてギョッとした。
「(で…でかっ!)」
そのモヤモヤは、山姥切長義よりずっと背が高かったのだ。
多分、2メートルは超えていただろう。腕も丸太のように太く、まさしく武人というような体躯をしている。
「(こ、これはまずいんじゃ…)」
モヤは上からのしかかるように刀を振り下ろしていたので、その重さも加わって山姥切長義は明らかに劣勢に見えた。
…の、だが。
《あ…ア"ァ》
信じられないことに、パワー的には山姥切長義の方が勝っているようだった。
その証拠に、鍔迫り合いの刀が震えているのは黒いモヤだけで、山姥切長義の刀身はピクリとも動いていない。
「──時間の無駄だな」
そう言うと、山姥切長義は煤の刀を振り払い、「ふっ!」と黒いモヤを蹴り飛ばした。……蹴り飛ばした!?
その勢いは凄まじく、モヤはうめき声のような音をたてて壁にぶつかる。
ドガッ。壁の一部がけたたましい音を立てて穴を空けた。その光景に、わたしは思わず「ひぃ」と悲鳴をあげる。
「か、壁が……」
「逃げるぞ」
「ガラスが……え?」
「早く!」
刀をしまった山姥切長義が、険しい顔のまま手を差し出してくる。わたしは、何が何だかさっぱり分からないままその手を掴んだ。
瞬間。彼に体を引き寄せられ、背中に腕を回される。さらに少しだけ屈んだかと思えば、膝裏を持ち上げられて体を抱えあげられる。
そう──俗にいう、お姫様抱っこの体勢である。
「え、……ひぃッ!?」
なにこれ!? …いやナニコレ!!?
もはや何を現実として見たらいいのか分からなくなって顔を動かしていると、ふとこちらを見下ろしていた山姥切長義と目が合った。
「オ"ァ"」
その瞬間、わたしは人間とは思えない声を発して固まった。
眼前に迫った山姥切長義のかんばせに脳を破壊されたのである。
す、すごぃ。ビジュが良すぎる。
いや、ビジュなんて俗っぽい言い方をするのが申し訳ないくらいお顔が国宝してる。
あと今更だけど、この山姥切長義さん修行に出てる。格好が極の姿だ。すごい…美しさもカンストしてる…。
「? どうした」
「な、ナンデモ…」
訝しげに片眉を上げられ、わたしはサッと目をそらした。
…というかちょっとあの。わたしこの距離に山姥切長義の美貌があるの耐えられないかもしれない。犯罪を犯しているような気持ちになる。
こんな、残業続きで草臥れきったオタクの顔を国宝に近付けるなんて。許される所業じゃない。
そんなオタクのキモい内心など知らない彼は、数秒わたしの顔を見るとフッと顔を上げた。そのまま開いていた窓──多分、山姥切長義が入って来た窓だ──に駆け寄ると。
「捕まって」
と短く言い、そこからわたしを抱えたまま躊躇なく飛び降りた。
「へ? ──ひ!!?!」
これにはさすがに、引き攣った悲鳴が喉から出た。
堪らず彼の首にしがみ着けば、さらに背中と脚をきつく抱えられる。あっという間に地面が近付く。
(えこれどう──)
すんの、と。
わたしが疑問に思うより先に、スタっと。
山姥切長義は軽やかに地面に着地した。
重力なんて一切感じさせない動きだった。
「、え…?」
『おいおいおい…! 驚いたな、今窓から飛び降りたのが見えたぞ。彼女は無事なのか?』
「ああ、平気だ。今そちらに向かう」
バクバクと鳴る心臓を押さえていると、山姥切長義の耳元から声が聞こえてくる。
あ、今の声は分かる。鶴丸国永だ。驚いたなって言った声が完全に聞いた事ある声だった。
…というか、今更だけど山姥切長義耳にインカムしてる。刀剣乱舞の世界ってインカムあるんだ。
あいや、雲生さんや雲次さんがそれっぽいのしてたっけ。
そんなことを考えながら、わたしは足を地面に下ろそうとした。だが、それより先に山姥切長義が路地裏を走り出す。「うわっ 」と驚いたわたしの体を抱え直してため息を吐く。
「ところで鶴丸国永。あなたは藍月班ではなく、白羽班ではなかったか」
『堅いこと言いなさんな。どうせ奴さんたちはその子を狙って来るんだ。俺がここいる事だって、あながち間違っちゃいないだろう』
「なら紅影班を呼んでくれ。ただでさえ短刀と脇差は数が少ないんだ。夜戦は俺達に分が悪い」
『ご安心を。わたくしはここにおります』
『俺もいるよ! 桜繚班も!』
『藤花班もいる』
『黄明班も!』
『でっかい倶楽部班もイる』
「、おい、どういうことだ。全班いるじゃないか!」
『安心しろ、全刀じゃないぜ。ただ、夢にまで見た──っと、悪い。あとは君たちが来てから話そう』
プツッと、回線が切れるような音が聞こえてくる。
な、なんだなんだ。何事なんだ。なんかいっぱい刀がいたぞ。何が起こっているんだ。
あと何か班の中で一つものすごく気になる班があった。何でっかい倶楽部班って。誰がいるの。あの声誰の声だ?
考えていると、バッと山姥切長義がビルの室外機の上に飛び乗った。ガゴッと大きな音が鳴る。
だが、それが二人分の体重で壊れるより先に彼はさらに上の雨避けに飛び乗り、上へ上へと登っていった。
そうしてたどり着いたのは、とあるホテルの屋上だった。
高いフェンスで囲まれたそこには、室外機が均等に並べられており、そこから流れ出た水や雨水でコンクリートが変色している。
そして壁の隅には、風で飛んできた葉っぱやビニール袋などのゴミが溜まっている。
その中でも、1番汚れの少ない室外機のそばに山姥切長義はわたしを下ろしてくれた。
「(紳士だ…)」と感動しながら彼にお礼を言えば、「ああ」と短い返事をしてインカムに手を当てる。
「──こちら山姥切長義。でっかい倶楽部班、聞こえるか」
「(山姥切長義がでっかい倶楽部って言ってる…!)」
『──こちら道誉一文字。聞こえている』
でっかい倶楽部班は道誉一文字だった。
……そりゃ確かにでっかいわ。うん。
「悪いが、彼女を迎えに来てくれ。俺では屋上に抱えて上がるのに時間がかかる」
『オーケー。すぐに向か』
『ボクが行くよ』
『…なに?』
『これでも長さはあるからね。それに、女性にも関わりがあるし』
『おい! お前は班が違うだろう! 後家兼光!』
『班はね。でも、この体ならでっかい倶楽部でもやっていけそうじゃない?』
『おっ。それを言うなら俺だって刃渡り2尺はあるぜ?』
『ふむ。その理論ならば、俺もでっかい倶楽部班ということになるな』
『あんたは別格だろう! 三日月宗近!』
『えぇ、ズルい! 俺でっかくないけど女性を抱えるくらいできるよ!』
どういう仕組みなのか、インカムからザワザワとたくさんの声が聞こえてくる。
…会話や声を聞いた感じ、たぶん後家兼光と道誉一文字、それから三日月宗近と信濃藤四郎もいるようだ。というか、まさかと思うけど信濃くんわたしのこと抱えようとしてるんじゃないよね…?
『ふむ、面白い。ならば僕も名乗りを挙げさせてもらっていいかな。…ちなみに彼女の体重はいくつだい?』
『駄目だよ南海先生。女性に体重を聞いたら後ろから刺されるんだって』
『おや、それは物騒だね』
『あの、それより早くおふたりを迎えに行ってさしあげるべきでは』
『ノー! だから俺が行くと言っているだろう!』
『つうか、身軽さでいうなら短刀か脇差、打刀の方がいいんじゃねえか?』
『あれ、肥前くんも迎えに行きたいの?』
『そうは言ってねえよ』
『だが、彼女の重さによっては筋肉量がないと身体能力に影響が出る可能性がある。そもそも、安全に登ることが最優先だからね。安定を重視するなら、彼女の重さは聞いておくべきだ』
『ああ…なるほど』
『一理あるな』
やばい。
わたしの体重を聞く流れになってるかもしれない。
そう思って冷や汗を流していると、インカムに手を当てていた山姥切長義が盛大なため息を吐いた。
「…もういい。俺が連れて行く」
そう言って、ブツっと回線を切る。
顔はしかめっ面で、コメカミには青筋が浮いていた。
「(キレてる…)」
「…念願、か」
「…え?」
「なんでもない。さあ、もう一度俺に捕まってくれ」
右手をこちらに差し出しながら、彼がそう言う。
このままだとまた(山姥切長義にとって)地獄のお姫様抱っこの時間が始まりそうだったので、わたしは「あのっ」とここに来て初めて意思を持って彼に声をかけた。
「ん? なにかな」
「あなたは──山姥切長義なのですか?」
月を背に立つ彼に、恐る恐る聞いてみる。
あなたは、本当にわたしの知る山姥切長義なのか。
もしそうなら、何故、刀剣乱舞のキャラクターである彼がここにいるのか。
先程のモヤモヤは何なのか。
これは本当に、現実なのか。
とにかく頭の中が疑問でいっぱいで、誰でもいいから答えを教えて欲しかったのである。
「──えっ」
すると、何故か。
こちらを見据えていた山姥切長義から、ブワッと桜の花びらが溢れ出てきた。
比喩ではない。
本当に、本物の桜の花びらが彼の体から舞い出ててきたのだ。
ギョッとして山姥切長義の顔を見れば、彼は口元を押さえてふいっと顔を背けた。
わたしから見て左を向いたので、その表情はサイドの髪に隠れて見えなかったのだが、一瞬細められた青色の瞳と、真っ赤に染まった耳が視界に入る。
「ど、どしたの」
「……なんでもない」
驚きで敬語も忘れて問い掛ければ、先程までの凛とした口調が嘘のように弱々しい返事がかえってきた。
いや、なんでもなくはないだろう。
エフェクトみたいに花びら出てきてるんだから。体から。
「(これ、あの編成の画面の桜なのかな…)」
分からないが、確かあの桜は刀剣男士の気力が高ければ表れる仕様だったはずだ。…いやでも、今の会話のどこに気力が上がる要素あった?
考えていると、「んん」と。不自然に咳払いした山姥切長義が、ほのかに赤みの残った顔でわたしを見据えてくる。
「…そうだな。俺達に協力してもらう為にも、先にあなたには説明すべきだろう」
「は、はい」
「では、単刀直入に言おう。あなたは明日、日の出と共に事故で死ぬ。──俺たちはその歴史を守るためにここにやって来た」
そして、冒頭に至るというわけである。
「……へ?」
当然、わたしは気の抜けた返事をした。
だって、いきなり現れたゲームの推しがお前は死ぬって言ってきたのだから。
そりゃ、こんな返事になってしまうのも仕方ないだろう。
「まず、先程のあなたの問いの答えだが──確かに、俺は山姥切長義だ。あなたの時代でそう呼ばれている刀で間違いない」
「そう、ですか…」
「俺は……俺達は、歴史を守るために顕現された。──きっと、あなたは知っていると思うが」
そう言われて、ドキリとする。
…これは多分、わたしが刀剣乱舞のユーザーである事を指しているのだろう。
確かに、わたしは知っている。
彼らが、刀剣男士と呼ばれる存在であることも。歴史を守るため、審神者なるものと歴史修正主義者達と戦っている事も。
「今回の俺達の任務は、あなたが死ぬという歴史が変えられるのを阻止する事だ。…本来であれば時間遡行は六振り編成でしか行えないが、今回は例外でね。六振り編成、七部隊でここに来ている」
「お、おぉ…」
ってことは、四十二振りもここにいるのか…。
めちゃくちゃ大所帯だ。遠征よりも多い。
「そういうわけで、あの煤に歴史を変えさせないためにも、あなたには我々に協力してもらいたい」
「はあ…あれ、さっきのモヤモヤって時間遡行軍ではないのですか?」
煤と呼んでいるからには違うものなのかもしれないが、やろうとしている事はまんま歴史修正主義者と同じ事だ。
すると山姥切長義は「違う」と首を振って片手を上げる。
「あれは怪異のようなものだ。本来物質として存在しないものが、とある力を得て実体を得ている。…忌々しいことにな」
「…?」
「だが、実体があるからには歴史を変える力がある。その力を使って、アレはあなたが死ぬ未来を変えようとしている」
「そ…れを聞くと、わたしの敵はあなた方のように聞こえるのですが…」
別に、彼らを“悪”と思っている訳じゃないが。
ただ、わたしが死ぬ歴史を守ろうとする彼らと、その歴史を変えようとする煤の、どちらがわたしにとって正義かといわれたら、それは向こうな気がしたのだ。
「…確かに、俺達はあなたの死を望んでいる。アレはその歴史を変えようとしている。どちらがあなたにとって害かは明らかだ」
「………」
「だが、過去は変わらない。俺達の世界ではあなたは明日、夜明けと共に亡くなった。これは覆せない事実だ」
「あの…いや、納得がいかなくて言うってわけじゃないんですけど。その、わたしが死ぬ事ってそんな大事なんですか?」
正直、こんな有り触れた社会人が一人死んだところで、歴史なんて大層なものが動くとは思えないんだけど…。
「、…」
すると、僅かに山姥切長義の表情が動く。
だが、その感情を確認するより先に彼はわたしに背を向けて顔を隠してしまった。
「…?」
「悪いが、仔細は語れない。あなたの心が変わって、煤になびかれても困るんでね」
「は…はあ…」
「ただ言えるのは───俺達がそれを阻止しなければいけないほど、その歴史は重要であるということだ」
う、ううん…。
よく分からないが、わたしが死ぬ事は歴史を守るために顕現された彼らが動くほど重要という事らしい。
…ってことは、これは現実で、刀剣乱舞のゲームのキャラクターだと思っていた山姥切長義がここにいるのも現実なのか…。
にわかには信じ難いが、今のこの状況を夢だとも思わない。…でもそうなると、わたしの本丸に班名を『でっかい倶楽部』って付ける子がいるのも現実になるのか…。
「ええっと、はい。分かりました」
何はともあれ、わたしは明日事故で死ぬらしい。
…実感が湧かないから、こんな他人事な言い方になってしまうけど。
でも、山姥切長義が嘘を言うわけないから、多分それは本当に起こってしまう事なのだろう。
「、……」
すると、顔を背けていた山姥切長義が何かを言おうとこちらを振り返った。
だがわたしの顔を見た瞬間、眉を寄せて口を閉ざす。間を空けて、何かを諦めたように目を伏せる。
「? …あの」
「……いや、なんでもない。協力感謝する」
「い、いえ。……あ、あとすみません。もう一つお聞きしてもよろしいですか?」
これも確認しておきたかったので聞いてみれば、彼は「俺が答えられることなら」と顎を引いた。
「その、あなたは──」
「…?」
「わたしの本丸の…山姥切長義さん、ですよね?」
瞬間、ピタッと山姥切長義の動きが止まった。
何かに意識のすべてをもっていかれたような、不自然な止まり方だった。
…あれ。もしかして違った…?
不安になってオロオロしていると、訝しげな顔をした彼が腕を組む。
「──何故、そう思った」
「え?」
「俺はあなたが死ぬ未来を守るためにここに来たとしか言っていないはずだ。それに、一度もあなたを主とは呼んでいない」
「そ、それはそうなんですけど…」
「では、何故?」
険しく歪んだ美貌で問われ、わたしはダラダラ汗を流しながら口を開く。
「その……イメージと言いますか…」
「…イメージ?」
「わたしの想像していた山姥切長義さんよりも、あなたはわたしに対して親しげだったので…」
「した、……親しげ?」
そう。ここにいる山姥切長義のわたしに対する態度は、とても気安いのだ。
砕けているというか、取り繕った感じがしないというか。さっき逃げる時も、肩を引き寄せたり姫抱きするのにまったく躊躇がなかったし。まああれは状況的にそんな事言ってる場合じゃなかったのかもしれないけど。
ただ、山姥切長義は「失礼」とひと声掛けて行動に移すイメージがあったから、この躊躇のない行動にもなんとなく気安さを感じたのだ。
「…別に親しくしたつもりは無い。そもそも、あなたが主ならば俺はそれ相応の態度をとっている。近侍が主君に気安いのは無礼にあたるだろう」
「いやでも…山姥切長義さん、わたしの事一回あるじって呼んでますよね?」
「…え?」
「ほら、さっきの会社の部屋で言ってたじゃないですか。【主】が車の鍵を取りに来るって」
「、」
「あと、わたしあなたの事を一度も“近侍”だなんて言ってませんよ」
確かにわたしは、自本丸で山姥切長義を近侍にしている。…だが、そんな話はここまでで一度も出していない。
その、誰も知らないはずの設定を彼が知っているということは、つまり──そういうことなのだろう。
「あっはははは!」
すると、どこからともなく笑い声が聞こえてきた。
山姥切長義じゃない。
彼はやらかした…という顔で、額を押さえ俯いている。
わたしはギョッとして辺りを見渡した。
右を見て、左を見て。そして、山姥切長義の奥にあるビルの屋上を見たところで、そこに複数の人影がある事に気が付く。
「いやはや、お見事。さすが俺達の主だ!」
「墓穴を掘ったな…山姥切長義」
雲ひとつない夜空を背景に、愉しげな笑みを浮かべた鶴丸国永。次いで、ゆらりと身体を怪しげに揺した地蔵行平が冷たく言う。
「…弁明の余地もないよ」
山姥切長義はため息を吐いてそう言った。
「まあでも、いいんじゃない? 情が移っちゃうから、俺達が大将の刀っていうのはナイショにしようかって話だったんだから」
「ノー。情など、物と持ち主という関係になった時点で確立している。今更身分を隠したところで消えるものでもないだろう」
落下防止のフェンスの上でヤンキー座りした信濃藤四郎と、そのフェンスを背にした道誉一文字が腕を組みながらそう言う。
「澱み うつろい 廃れ ……星よりも眩いこの景色が、どうしてこうも昏く感じるのでしょう」
「陽のあたる場所が善とは限らない。暗闇に浮かぶ蝋燭の方が、眩いと感じる事もあるからね」
虚ろな眼差しで、ビルの軒下にたむろする若者を見つめるのは古今伝授の太刀。
そして、キラリと輝く眼鏡越しにわたしを見つめるのは南海太郎朝尊だ。
「ふむ。…それにしても不思議な気分だ。今まで声も顔も知らなかった主が目の前にいるというのは」
「、」
「約束通り、迎えに来たぞ。我らが主よ!」
「それにしては人数が多いんじゃないか?」
高い位置に立つ彼らを、わたしの隣に並んだ山姥切長義が半目で見上げた。
対して道誉一文字は片眉を上げ、威圧的に体を起こす。ハンと鼻で笑って目を細める。
「無論、迎えは俺だけだ。他のものは──」
瞬間、フェンスの上にいた信濃藤四郎がガシャンとそこを飛び降りた。
同時に、隣の山姥切長義がハッとしたようにわたしを抱き寄せ身を翻す。
利き手で刀の柄を取る。だが。
「ふっ!」
彼が抜刀するより、こちらに飛び移った信濃藤四郎が“ソレ”を切るほうが早かった。
カンカラカン。
何かが落ちる音が耳に届く。
視界の端で、信濃藤四郎の赤い髪が揺れる。
刀が月光で鈍く輝く。
そうして喉元を穿たれた煤は、血飛沫のように黒い粒子を撒き散らし、音も立てずに消えていった。
「──…」
「……まあ、こういう事だ。子の刻が近付くにつれて、奴さんの動きも活発になってきたんでね。俺達は移動の護衛ってわけさ」
「…なるほど。だが、それにしては班がバラバラのようだが」
「みんな大将を見に行きたがってたからねぇ。ジャンケンして誰が行くか決めたんだ」
刀についた煤をはらいながら信濃くんは言った。
「じゃんけん…」
思わずわたしがそう口を挟めば、「そう!」と、彼は無垢な天使みたいに笑う。
「そうだとも、主。驚くなかれ、俺達は二十振りの中から選ばれたじゃんけんの精鋭五振りだ!」
バサッと、白い戦装束を羽のようになびかせながら誰かが屋上に着地する。
鶴丸国永だ。彼はその儚げな美貌に、ニンマリと不敵な笑みを浮かべてそこに立った。
…すごい。このビルと隣のビル結構距離あるのに。
しかもまあまあ高低差もあるのに。
信濃くんも鶴丸国永も、段差飛び越えるくらいの軽さでこっちに飛び移って来た。かっこいい。
でもそれで言うのが「じゃんけんの精鋭」なのは、ちょっとどういう情緒で聞いたらいいのか分からないな。
「(というか、それで来たってことは、地蔵くんと古今さんと南海先生もじゃんけん参加してきたのか…)」
じゃんけん、知ってるんだな…。
失礼だけどそう思ってしまった。
「…もうなんでもいい。とにかく、敵がいるなら皆のいるビルに移動しよう」
色々考えて遠い目をしていると、わたしを庇ってくれていた山姥切長義が頭痛が痛いみたいな顔で後ろに下がった。
「あ…山姥切長義さん」「…なにかな」「庇ってくださってありがとうございます」そんな彼にお礼を言えば、その蒼い瞳がこちらに向けられる。
そして、フッと片眉を顰めて笑みを浮かべると、「当然のことだよ」と片手をあげてわたしに背を向けた。かっこよ。特殊部隊みたい。…いやまあ、ある意味で特殊部隊なんだろうけど。
「よし。じゃあ俺も偵察に行ってこよっと」
「あ、信濃く…信濃藤四郎さん」
「…え?」
「さっきは、あの煤から助けてくださってありがとうございました」
危ない。素が出かけた。
それを隠して彼にも頭を下げれば、信濃くんはキョトンと目を丸くした。
かと思えば、ぶわわっと。頬が赤く染まって、その小さな体から桜の花びらが溢れ出てくる。
「えっ」
「も───もっかい!」
「わっ、え?」
「もう一回! 大将、もう一回俺の銘を呼んで!」
キラキラと輝く碧色の目に迫られ、わたしは咄嗟に両手を上げた。ギョッと瞬きをする。
な、名って…名前のこと? 名前を呼ぶの? …なんで?
「し、信濃藤四郎さん?」
戸惑いつつも言われた通りそう呼べば、彼は「っ〜〜!!」とさらに感極まったように目を輝かせて頬を綻ばせた。
そして、堪らないと言わんばかりに鶴丸国永にガバッと抱き着く。「おっと」彼はその小さな体を慣れた様子で支える。
「(と、尊…)」
「ねえ聞いた鶴丸さん!? 俺大将に銘を呼ばれたよ!」
「ああ、聞いたぜ。まさかこんな日が来るとはなぁ」
「えへへ…タイショー!」
「え、あっはい!」
「俺、偵察行ってきます。大将のこと、きっと守ってみせるからね!」
「(ぐぅかわ)あ、ありがとうございます!」
そうして信濃くんはブンブンとわたしに手を振ると、忍者のような動きでビルからビルへ飛び移って行った。
すごい。ギャップだ。キャワかっこいい。
というか、さっき鶴丸国永に抱き着いてるのがめちゃくちゃ可愛かった。本丸で仲良いのかな。それとも一期一振がいないから彼に抱き着いたのだろうか。とにかく尊…。
そんな気持ちで、去っていた信濃くんに手を振り返していると。
「主」
「ひえっ」
真後ろから、平坦な声が聞こえてきた。
冷たい雪をかけられたような、ヒヤッとした声だ。
驚いて声をあげて振り返れば、いつからそこにいたのか無表情の地蔵行平が立っていた。
透き通った水晶のような瞳が、ジッと瞬きをせずにわたしを見つめている。能面のような無表情が、月明かりに照らされている。
「は、はい。なんでしょうか」
「そなたは、運命を受け入れたのだろうか」
「…運命?」
「夜明けの話を。山姥切長義から聞いたのだろう」
言われて、山姥切長義との会話を思い出す。
──明日の朝、事故で死ぬと言われたあの言葉を。
「…、」
わたしは思わず口を噤んだ。
地蔵行平は表情の読めない顔でわたしを見続けている。何もかもを見透かすような瞳に、わたしの困惑顔が映っている。
「ええっと、はい。お話は、聞きました」
「……そうか」
「……はい」
「……」
「……」
「……」
「…、」
「……無は」
「え?」
「誰にでも、平等に訪れる。…だが、その足音が聞こえているのは恐ろしくはないか?」
その問いかけに、わたしは「へ?」と間抜けな声を発してしまった。
だって、この浮世離れした神秘的な刀に、いったい何を言われるのだろうとずっと身構えていたから。
なのに、かけられたのが明らかにこちらを気遣うような言葉だったから。なんというか、肩の力が抜けるみたいにふっと気が抜けたのである。
「(そういえば、彼は地蔵菩薩の加護を背負う刀だったっけ…)」
祖母が真言宗だったので、わたしも少しだけその言葉には馴染みがある。
菩薩は慈愛に満ち、古くから人々を苦しみから救う存在として信仰されていた。
だから彼の言葉は多分、そういう意味なのだろう。
「ええっと…」
「……」
「その、これはあまり深刻に捉えないでほしいんですけど」
「……」
「死ぬのは…恐いです。死にたくないとは思います」
「ある、」
「でも、じゃあ皆さんを振り切って逃げてまで生きたいかといわれたら…そこまでの意思も、わたしにはないのです」
そう。
確かにわたしは、死にたくないと思っている。
それこそ、あの煤から必死に逃げようとするくらいには。
でも、じゃあ生きたいかと言われたら、それにすぐ頷けるほどの理由も今のわたしには無いのだ。
「きみ…」
「だが、君の命は尊いものだ。その存在を素晴らしいと思うものは大勢いる」
いつの間にか近くに来ていた南海太郎朝尊が言う。
その隣には、道誉一文字と古今伝授の太刀も並んでいて、山姥切長義もビルの縁で足を止めてわたしの話を聞いていた。
わたしはその言葉に、どんな表情を浮かべていいか分からず苦笑いを浮かべる。
「でも、わたしが身軽なのは確かなんです。こうして一人で全てを決めてしまえるくらいには」
「…?」
「わたしにはもう、家族がいません。両親はわたしが幼い頃に亡くなり、親代わりだった祖母は数年前に病気で他界しました」
誰かが息を飲む音がする。
わたしは食い気味で続けた。
「で、でも家族がいないからって、自分が死んでいい存在だとは思いません。わたしはわたしなりに、“わたし”という人間を大事にして生きてますから!」
確かに過去には、両親のいないわたしを憐れんでくれる人がたくさんいた。
大変だったでしょう。可哀想に、と。
だが、わたしは子供が親から教わることを、祖母からちゃんと教えられて育ってきた。
決して不幸ではなかったのだ。
それに、おばあちゃんがわたしをどれ程大切に育ててくれたかはよく分かっているので、わたしは絶対に【わたし】という存在を蔑ろにするつもりは無い。
「……」
「だから…ええっと、うまく説明できないのですが…死んでもいい存在とは思っていないんです。でも、絶対に死にたくないとも思ってなくて。…多分、まだ色々受け入れられてないんだと思います」
曖昧な答えで申し訳ないが、今はこれが精一杯の答えだ。
自分でも、色々混乱していて本当の気持ちがよく分からない。だから、こう言うしかない。
…あと、もうちょっと本音を言うと、2.5次元とも違うリアルに動く刀剣男士を見て、「いやもう明日死ぬとかどうでもいい! 生きててよかった!!」という、オタクによくある情緒不安定ハイテンション状態に陥っているというのもある。
だってすごいよ。今のわたしの周り。
どこ見ても美形がいる。360度美形だ。
こんな状態になったら、多分世の女性のほとんどは『明日死ぬ。それはともかく、今は美形』って思うと思う。最悪な五七五だけど。
「そうか。……嗚呼」
すると、わたしの向かいにいた地蔵くんが静かに目を伏せた。
憂えげに眉を寄せている。そんな顔にさせたのが自分ということが申し訳なくて、わたしはアワアワと手を動かした。
ら。
彼の隣にいた古今伝授の太刀が、その肩にそっと手を添えた。一歩わたしに近付いてくる。
その、夜空に浮いたような美しい色の瞳が、まっすぐわたしを見据えた。
「あるじさま」
「ハッ。…はひ」
「わたくしたちは、あなたさまの刀。…この仮初の器の物語は、すべてあるじさまのために」
「お……」
「誓いましょう。決して、あなたさまをひとりにしないと。──さいごまでお傍で御身をお護りする事を」
「オ゜」
「主」
「はひ」
「俺達は君の刀だ。君の選んだ生を遵守する。───だが、忘れないでくれ。君の命を君より大切に思う存在がいることを」
「 」
「主」
「待って無理死ぬムリこれ以上はッ」
「…え?」
「は?」
「止まろう。みんな。いっかい」
じゃないとわたしの中のオタクが死んじゃう。
死因︰刀剣男士で。刀に別の意味で殺されちゃう。
ていうかなんでみんなこんな顔も声も知らなかった主に優しさカンストしてるの?
おかしくない?(パニック)
「オーケー。よく分からないが、止まったよ。レディ」
「ありゃとう」
「では、まいりましょうか。皆の元に」
律儀に動きを止めてくれた刀剣男士達にお礼を言って、わたしは歩き出した。
しかし、数歩進んだところで「ん?」と立ち止まる。
足元でキラリと光るものを見つけたから。
「…?」
それは、刀だった。
刃こぼれひとつ無い、美しい刀だ。
だが、近くに鞘はなく、刀身が剥き出しになっている。
「……」
そういえば、さっき信濃くんが敵を倒した時にカンカラカンッて音がしてたな。あれはこの音だったのだろうか。
…それにしても、妙に目を引かれる。
わたしは刀に詳しくないので、これが太刀なのか打刀なのかすらよく分からないのだけど。
でも、これは……
わたしはそれを、引き寄せられるようにして拾おうとした。
「駄目だ」
だが、その手首をパシッと掴まれる。
「!」ハッと我に返って顔を上げれば、険しい顔をした山姥切長義がわたしを見据えていた。
「あ…」
「それに触るな」
「え? …で、でも」
「道誉一文字」
「俺に命令をするな」
瞬間、後ろからわたしの脇の下に手が回った。
かと思えば、軽々上に持ち上げられる。
背後から高い高いされる。
「ひ、いぃっ!?」
堪らず悲鳴をあげれば、わたしの体はストンと道誉一文字の片腕の上に乗せられた。
太く、たくましい腕がおしりの下に敷かれる。
わたしの足を容易に掴んでしまえそうなほど大きな手が、膝を押さえる。
そう。──俗に言う、片腕抱きである。
「な、…な」
「参るぞ、審神者よ」
「え。……どこに?」
この体勢で行けるとこある? と思いながら言えば、道誉一文字はその道のひとしか浮かべないような笑みを浮かべて、言った。
「無論、上だ」
◇
「あ、ジャンケン組だ。おかえりぃ〜」
十分後。
血の気の引いた顔で道誉一文字に抱えられていると、気だるげな声が聞こえてきた。
わたしは閉じていた目を開く。ぐったりしていた顔を上げる。そして声の方を見ようとしたが、それよりも道誉一文字が「お姫!」と声を発する方が早かった。
「やかあしっ」
「ファンタスティック! まさかお姫直々に出迎えをしてもらえるとは…!」
「道誉くん迎えに来たんじゃねぇーよ。…つか、はやく下ろしてあげて? 顔真っ青だしぃ」
「おっと、すまない。下ろすよレディ」
「あい…」
子供を抱っこから下ろすみたいに、その場に優しく下ろされる。
し、死ぬかと思った…。本当に。
この十分間、絶叫を通り越した恐怖マシンに乗っていたような感覚しかなかった。
いやまあ、抱えられた下半身の安定感はめちゃくちゃあったんだけど。
ただ、ここに来る途中で何度かあの煤が出てきて道誉一文字も戦ってくれたりしたから。
支えのなかった上半身がね…うん。何回か耳元でビュオッて刀振る音とか聞こえたし。
「(というか、あれだけ頭上で悲鳴あげたのによく道誉一文字はキレなかったな)」
東京湾に沈められてもおかしくない所業だったと思うけど。
そんな事を考えていると、「よっと」と低く軽い語調の声が聞こえてきた。鶴丸国永の声だ。
次いで、靴がコンクリートを蹴る音がいくつか聞こえてくる。おそらく、護衛をしてくれた他の刀達もここに来たのだろう。
「ふぅ……あるじさまがいるわりには、敵はあまり襲って来ませんでしたね」
「だが、俺が相手をした時よりも強度が上がっていた。───おそらく、馴染めば馴染むほど力をつけていくのだろう」
「図に乗るタイプか。…厄介な」
「…?」
「じゃあ主。僕たちは班に戻るよ」
「あ、はい…ありがとうございました。南海太郎朝尊さん」
声的にそうだと思い、呼びながら後ろを振り返る。と、キョトンと眼鏡越しに目を丸くする南海太郎朝尊の姿があった。
驚いたような、不意をつかれたような顔だ。
かと思えば、その目尻が僅かに赤くなる。
ハラハラとどこからともなく桜の花びらが出てきて舞い始める。
「え…?」
「南海太郎朝尊?」
「いや──うん、これは」
「誉だろう。正しく」
インカムを押さえた山姥切長義がボソッと言う。
その姿を目で追っていると、わたしを抱えてくれていた道誉一文字が乱れた髪を整える姿が視界に入ったので、わたしは「そうだ」と彼にも声をかけた。
「道誉一文字さん」
「──!」
「すみません、お礼を言うのが遅くなりました。ここまで連れてきてくださってありがとうございます」
瞬間、大きく見開かれた空色の目がわたしを見下ろした。
…わ、キレイな目の色。改めてその人ならざる美しさに感動していると、またどこからともなく桜の花びらが落ちてくる。
「──ハッ」
同時に、くしゃっとその厳しい表情が綻んだ。
「ハッハァ! なるほど、誉か! 至言だな」
「…?」
「あるじさま、わたくし達も」
「あるべき班にもどり、偵察任務を遂行する。…そなたの言葉が聞けてよかった」
「あ、はい。ありがとうございました。地蔵行平さん、古今伝授の太刀さん」
途端、ふたりからも花びらが溢れ出てきた。
「─…」と声とも息ともつかない音が、彼らのその唇からこぼれ落ちる。
だが、すぐに口をとざすと、ふたりはハラハラと花びらを夜空に舞わせながら、ビルから飛び降りて行った。
その様子を見て、わたしはようやくはたと気づく。
……あれこれ、もしかしてわたしがみんなの名前呼んだら桜出てる…?
確か、そう。
山姥切長義の時も、山姥切長義かと聞いたら桜がでてきていた。…えじゃあ、わたしが呼んだらみんなの気力が上がってるってこと? そんなコスパいい事ある? このストレス社会の世の中で。
「主」
「!」
「俺も行くぜ。何かあったらすぐに君を守りに来る。大舟に乗ったつもりでいてくれ」
「あ、ありがとうございます。……鶴丸国永さん」
恐る恐る呼んでみる。
と、鶴丸国永は金色の瞳を見開いて息を飲んだ。
ハラリ。その目尻を、桜の花びらが掠めて落ちていく。まるでその色が移ったように、そこがほんのり赤くなる。
「お…驚いたな」
「え?」
「あーいや…そうだ。俺は君の鶴丸国永だ」
「、」
「銘を呼んでくれてありがとう。良ければ他の刀達も呼んであげてくれ」
言って、ニカッと快活に笑った鶴丸国永もバサッと装束をなびかせてビルから飛び降りてった。
……今更だけど、このビル30階超えた超高層ビルなんだけどな。みんなフツーに飛び降りて行ってる。階段の段差降りるくらい躊躇ない。凄すぎる刀剣男士。
因みに上がってくる時も、おおよそ人間わざではない動きでここまで来ていた。
多分、パルクールと言ってもギリ信じて貰えない動きだったと思う。
偵察で先行してくれていた信濃くんは、某ゲームの壁ジャンみたいな事をして上にのぼっていたし。
わたしを抱えた道誉一文字ですら、軽々ビルからビルへ飛び移っていたのだから。
みんな本当に人間じゃないんだナァ…と、わたしは現実逃避しながら道誉一文字にしがみつくしかなかった。閑話休題。
「というか、このビルって屋上も監視カメラついてませんでしたっけ」
前に高層ビルの和風庭園ってテレビで紹介されたから知っている。
このビルには、高層ビル特有の映えスポットの他に、最新の防犯技術が組み込まれていて、屋上にも防犯カメラやベル、スプリンクラーなどが設置されていたはず。
そうでなくとも、今わたしがやっているのは紛うことなき建造物への不法侵入である。
…これ、夜明けで死ぬより先に社会的に死なない? わたし。
「問題ない。すべて細工してあるからね」
「問題しかないよ。それは」
「ともかく、主が気にする事じゃない。先程の君の職場の破損もこちらで対処しておく。安心してくれ」
「う、うん…ありがとう」
安心はできないけど…。
心の中でそう付け加えていると、山姥切長義はインカムを押さえながらどこかに歩いて行った。
どうやら彼は飛び降りないらしい。という事は、彼はこのビルの上の警護が担当なのだろう。
「ねー。終わったぁ?」
そんな事を考えていると、すぐ傍から声が聞こえてきた。
ビクッと肩を跳ね上げ振り返ればずっとこちらを傍観していた姫鶴一文字が、背を屈めてわたしの事をジッと見つめていた。
サラリと長い銀髪が揺れる。アクアマリンの宝石のような瞳がパチッと瞬く。ひっ、顔近っ。ビジュ強っ。
「………」
「、な、なんでしょう」
「…おなのこだ」
「え?」
「ねぇ、おれのことも呼んでよ」
「?」
「めい。…だめ?」
のんびりした声で、甘えるようにこてんと首を傾げながら言われ、わたしは「喜んで」と即答した。
居酒屋ぐらいハッキリした声だった。
「姫鶴一文字さん」
瞬間、眼前の無表情が驚いたようなものに変わる。
「、」
と息を吸う音がする。はらはらとまた桜の花が舞い落ちてくる。
あ、やっぱりそういう仕組みなんだ。
そうわたしが納得すると同時に、ガバッと。
目の前の姫鶴一文字が、上から覆い被さるようにわたしに抱き着いてきた。
……え。
「え?」
「うわむりぃ…なにこれぇ…」
「? ??」
「かあいぃ…それに柔ぁ…」
「やわ、」
瞬間、ゴッとものすごい音がして姫鶴一文字が消えた。
…いや、消えたんじゃない。沈められたのだ。
愕然とするわたしの視界に入ったのは、いつ戻って来たのか人一人殺してきた顔で刀の柄を突き立てる山姥切長義と、瞳孔ガン開きでかかと落としのポーズで宙に浮かぶ太閤左文字くん。
そして、姫鶴一文字の片腕を固め、プロレス技をキメている九鬼正宗くんだった。
「ちょ、痛っいたぁいって」
「御用だ御用だー!」
「え、えっ」
「任せときぃあんた! うちがきっちり海に沈めとくけぇ!」
「海に…?」
「その時は両腕を切っておけ。二度と主に触れられないように」
「えぇ、やだぁ。やぁらかくてきもちぃかったのに」
「口も縫っておけ。二度と喋らないように」
目元にどす黒い影を落とした山姥切長義が、そう言った。
「ノォ〜…。お姫、お痛が過ぎたね…」
「うわむり、道誉くんに渡すくらいなら折って海に沈めて川に投げ入れて」
「だいじょうぶ! それよりもぉっと地獄行きだから!」
「それだいじょうぶじゃないよぉ太閤くん」
「まとめ役の元に連れて行け」
「! やだやだやだやだぁ!」
そうして、姫鶴一文字は道誉一文字と太閤左文字くんと九鬼正宗くんに連れられて、その場を去っていった。
…まとめ役って誰だろう。一文字則宗かな。山鳥毛かな。分かんないけど多分、ムショみたいなところに連れて行かれたんだと思う。
「(でもなんか…すごい、白檀みたいな香りしてた。姫鶴一文字)」
あと髪サラサラだったし、めちゃくちゃ力が強かった。道誉一文字と並んでると分からないけど。姫鶴一文字もムキムキだった。
…ってこんなこと考えてる変態(わたし)がムショに連れて行かれるべきだな。絶対。
「主」
「ハイ!(敬礼)」
「一つ連絡の取れない班がいる。俺はそちらの確認に向かうから、君は紅影班と共にいてくれ」
「わ、分かりました」
邪な感情を振り払って、山姥切長義の隣に並ぶ。
そして受電設備の横を通り過ぎようとしたところで、ふと疑問が過ぎった。
「あの、山姥切長義さん」
「なにかな」
「先程あなたは、六振り編成の七部隊でここに来てると言っていましたが…誰がここに来ているのですか?」
「ああ…そういえば、説明していなかったか」
山姥切長義はコツッと足を止めた。
横から流れ込むビル風に髪を押さえると、「まず」と遠くを見ながら口を開く。
「俺達は、部隊に班名を付けて行動している。白羽、藍月、紅影、桜繚、藤花、黄明。……でっかい倶楽部だ」
最後だけ、かなり間を空けて不本意そうにそう言った。
「……その、でっかい倶楽部って誰が付けたの?」
どうしても気になったので聞いてみれば、山姥切長義はため息を吐く。「道誉一文字、人間無骨、小烏丸、実休光忠、孫六兼元。部隊長は大包平」
「その内の誰かだ」
「いや、あの……でっかくないひともいない?」
「元は黒鋼班という名を付けるつもりだったからね。…だが、班ごとの部隊長決めの後に提出してもらった書類には、既にでっかい倶楽部という名が書かれていた」
「……」
「まあ、誰がこの班名にしたのかは大方想像がつくが」
誰だろう。大包平かな。
分からないけど。でも、この中なら大包平な気がする。
「次に藍月班。部隊長は三日月宗近、続いて七星剣、丙子椒林剣、童子切安綱、大慶直胤、そして俺の六振りだ」
「おぉ」
すごい。班名とリーダーがしっくりきてる。
「三つ目、白羽班。部隊長が鶴丸国永、隊に姫鶴一文字、地蔵行平、雲生、雲次、大千鳥十文字槍」
「ふんふん」
「四つ目、紅影班。ここは短刀と脇差でかためている。部隊長に信濃藤四郎、隊に京極正宗、火車切、倶利伽羅江、肥前忠広、泛塵」
「うん」
「五つ目、桜繚班。部隊長に大典太光世、隊に後家兼光、大倶利伽羅、九鬼正宗、笹貫、八丁念仏」
「急にごった煮ったな」
育成中のわたしの編成みたいだ。
…というか、泛塵くんと九鬼正宗くん位置逆じゃない? 泛塵くん髪と目の色桜な感じしてるけど。九鬼正宗も正宗カラーだし。京極令嬢も向こういるし。なんで急にそうなったの?
「六つ目、藤花班。部隊長に数珠丸恒次、隊に抜丸、古今伝授の太刀、水心子正秀、源清麿、南海太郎朝尊」
「…なんか、ちょいちょい班バラバラになってるひといますね。南海太郎朝尊さんと肥前忠広さんとか、地蔵行平さんと古今伝授の太刀さんとか」
「人数過多で移動になったりしたからね。花はとくに人気があった」
「そうなんだ…」
藤花班、人気だったんだ…。
…まあ、同じ班名でもでっかい倶楽部はちょっといやか。
わたしは好きだけど。
「最後、黄明班。部隊長に鬼丸国綱、隊に一文字則宗、古備前信房、太閤左文字、獅子王、面影」
「(面影さんだけ色違いだ…)」
「こんなところかな。以上が、今夜の任務を担当する刀達だ」
「分かりました。…なんか、最近本丸に来た刀が多いんですね」
今の編成の中に、初期刀と呼ばれる五振りや初期からいる粟田口の短刀はほとんどいなかった。
でも、かといって新人で固めているのかと言われたら、大倶利伽羅や獅子王などわりと初期からいてくれたひとたちもいる。
不思議な組み合わせだ。
「まあ…色々都合があってね」
すると山姥切長義は、歩き出しながらそう言った。
「だが、主に興味があるのは皆同じだ。決してあなたを蔑ろにしたわけじゃない」
「それは…なんとなく分かります」
だって、みんな名前呼ぶだけで気力を上げてくれるから。こんな、モブAの取り巻きのモブPみたいな声なのに。明日には声どころか存在も忘れるような存在なのに。
それでも呼んで欲しいと言ってくれるのだから、彼らにとって如何に「主」が重要であるかは痛いほど伝わってきている。
「そうか」
前を行く山姥切長義が言った。
わたしも後を追う。
すると、ちょうど彼の隣に並んだところで視界が開け、人工芝の敷かれたキレイな庭園が目に入った。
「わ…」
すごい。これは。
高層ビルだから本物の木などは無いが、ところどころ鉢に植えられた梅や盆栽が置かれ、一角には固められた玉砂利が敷かれている。そこに長椅子もいくつか置かれていて、休憩場所のような感じになっていた。
中でもとくに目を引いたのは、玉砂利と芝生の間に掛けられた太鼓橋だ。
色鮮やかなそれは、この庭園の中でも一際目立っている。
だが、わたしの目を引いたのはそれだけが理由じゃない。
その、太鼓橋の上。
そこに、キラリと装飾を輝かせながら立つ刀がいたからだ。
「──おお。来たか、主よ」
白く、美しい月を背に、厳かな戦装束が風に揺れる。
金色の三日月の浮いた瞳がわたしを見据える。
「─…」
多分、この時のわたしは息も動きも生命活動も止めていた。
もう、それくらいの迫力だったのだ。
生で見る三日月宗近の神々しさは。
それこそ、人が思う“神様”を目の前にした時と同じくらいに。
「…君」
すると、隣にいた山姥切長義が呆れたような小さな声を発した。
生命活動をやめたわたしの頬を、黒い手袋をした指先が触れる。スッと表面をなぞられる感覚がして「ハッ」と我に返る。
「い、いま意識飛んでた…」
「この俺が隣にいるのに、他の刀に目移りするのかな」
「…え?」
キョトンと彼の方を見たら、冴えた氷のような美貌に不敵な笑みが浮かんだ。
それに見蕩れるまもなく顔が寄せられる。サラリと揺れた銀糸の髪が彼の目を隠す。
「──ほら、あなたが傍に選んだ刀だよ」
そして、この上なく甘美な声が静かに囁いた。
「ヒュッ」
や、やめろ。やめてくれ。
めろ過ぎて死ぬ。オタクが死ぬ。
山姥切長義の存在は普通に人が死ぬんだぞ!?
そんな軽率にとき○きメモリアルされたら心臓発作起こすわ!!
と、真っ赤な顔で身を引きながら意味の分からない半ギレを心中でしていると。
「はっはっは」
軽やかな笑い声と足音が聞こえてきた。
見れば、いつの間にここまで来たのか三日月宗近が立っている。
夜空のような髪をなびかせながら、うっそりと目を細めて袖口で口元を隠している。
う、うつくししゅぎる…
「悋気か。山姥切長義よ」
「戯れを。ここに男と女はいない。ただ、刀と主の関係があるだけだ」
「左様。…だが」
サクッと、芝を踏みしめる音が近付いてくる。
見上げるほど背の高い神様がわたしを見下ろしてくる。
「、…」
「ふむ。まさか、俺達の主がこれ程までに愛らしい娘だったとはなぁ」
「ヴォッッフォ」
「…ん?」
「いえ。あなたにそう仰っていただけるなんて光栄です。三日月宗近さん」
オタクのシマウマみたいな声を誤魔化すために、キリッと背を伸ばしてそう言う。
と、三日月宗近は大きく目を見開いて固まった。
ひらりと、どこからともなく桜の花びらが舞い落ちてくる。それを目で追っていると、ふわっと花がほころぶように彼の顔に笑顔が浮かぶ。
先程の妖艶な笑みとは違う、くしゃっと音が鳴りそうな親しげな笑い方だった。…かわよ。
「ははは…! ああ、これはこれは。よきかな、よきかな…」
「ど、どうも…」
「うむ。では主よ」
「はい」
「仔細は耳栓で聞いた。この俺のことも、存分にこき使ってくれ」
「ありが…耳栓?」
「それで、あなた以外の刀はどこにいるんだ?」
「紅影班は向こうにいる。他は──」
瞬間、三日月宗近の目付きが変わった。
その手がわたしの体に伸びる。隣の山姥切長義が刀を抜く。
そして、トンっと顔が三日月宗近の装束に押し付けられたかと思えば、後ろからザシュッと何かを切る音がした。
『…ル……ィ』
次いで、低くうめくような音が聞こえてくる。
どうやら、またあの煤が現れたらしい。
「…だいぶ固くなってきているな」
「数も増えてきている。これより先は、捨てる覚悟も必要だろうなぁ」
「…?」
「無論、最初からそのつもりだ。だが、俺達は負けるわけにはいかない」
「その通り。俺達の負けは、主の恥だ。──たとえ折れようとも、それだけは許されないぞ」
低く上から聞こえてきた声に、バクッと心臓が大きく跳ねる。
──そうだ。
こうして、敵を前にして戦っている以上、彼らは折れる可能性だってある。
二振りとも極でカンストしているから、余程のことが無い限り折れる事はないと思うが。
だが、ここには初の姿の刀が大勢いる。
全員カンストはしているが、システム的に性能はどうしたって極に劣ってしまう。
習合や連結をしてもだ。
それに、短刀達は刀装も一つしか付けれないし、盾兵も付けられない。どうしたって心もとなさがある。
もちろん、お守りはみんなに持たせているけれど。
でも、あれの効果は一回限りだし。この世界では、無くなったからってゲームのように買って渡せるわけじゃないし。
そもそも、お守りが効くのかも分からない。
「俺も偵察にまわってくる。あなたは主を紅影班の元に連れて行ってくれ」
「あいわかった」
「や、山姥切長義さん!」
靴音で彼が去っていくのが分かったので、わたしは慌てて三日月宗近から離れてその名を呼んだ。
すると、利き手に刀を持った彼が立ち止まる。顔だけこちらを振り返る。
「あの、お守り持ってますか?」
脈略のない変な宗教勧誘みたいな聞き方になってしまったが、仕方ない。どうしても気になったのだ。
「…おまもり?」
山姥切長義は一瞬訝しげな顔をした。
だが、わたしが必死な顔をしていたからか、真剣な表情で考え込むと「…ああ」と。マントをバサッとめくって腰元の武具を見せた。
「これの事かな」
「あっ」
「どこに着けてもいいと言われたんでね。皆、武具や鞘、衣服などにくくっているよ」
そう言う彼の黒い武具には、始めた当初、初期刀重傷出陣でメンタルをこてんぱんにやられたわたしが買いだめした極のお守りがくくられていた。
…よかった。ホッと息を吐く。
だが、すぐに別の不安が湧き上がってきた。
「そこ、落ちない?」
揺れるお守りを見ながら言えば、山姥切長義はキョトンと目を丸くした。呆れ顔で頬を引き攣らせる。
「…。…落とすわけないだろう」
「切られない…?」
「切られない。そもそも、今までの出陣で無くしたことは一度もない。あなただって知っているだろう」
「ポケットないの?」
「ある。けど、俺はここがいい。あなたがくれた物が、すぐに見える位置が」
……それはズルい。
そんな、…そんなん言われたらもう「あんた剥き出しじゃなくてポケット入れときなはれや」なんか言えないじゃん。絶対。
「…じゃあ、お気をつけて…」
「ああ。…主」
「はい」
「安心してくれ。これがなくとも、俺は一度だって折れるつもりはない」
言って、彼はバサッと装束をなびかせて駆け出し、ビルから飛び降りて行った。
やだ…去り際めちゃくちゃかっこいい。…やってる事ビルの飛び降りだけど。
「(わたしはどんな情緒でいたらいいんだ…)」
「うむ。では行くか、主よ」
「はい…あ、三日月宗近さん」
「三日月宗近でいい。俺は主のものなのだからな」
「あ………………ハイ。…えっと、三日月宗近はお守り持ってます?」
「ああ、もちろんだ。そら」
微笑んだ三日月宗近が、左手の袂を持ち上げる。と、彼も腰の武具の紐にお守りが括り付けられているのが目に入る。
「修行からもどった際、骨喰がくくりつけてくれてな。主をそばに感じられて、気に入っている」
「あ、ありがとうございます…」
いやだからそんな…、そんなん言われたらもう「袂とか服の下に結びつけません?」って言えないじゃん。
もういっそお守りの紐の部分チェーンにしようよ。
もしくは服に縫い付けたい。
だって落としたらライフ一つ減るようなもんなんだぞ。メタ発言で言わせてもらうけど。
そんな事を思いながら、わたしは三日月宗近と並んで紅影班のいる場所に向かった。
◇
「…あ、来た」
はたして、連れてこられたのは庭園の玉砂利が敷かれた一角だった。
そこにはいつの間にか人影が増えていて、ぼんやりと月を眺めていたり、休憩用の椅子に座っていたり、壁際で刀を抱えて座っていたり、丸いふわふわの生き物と戯れていたり、そのふわふわをじっと見つめていたりと、各々好きに過ごしているようだった。
「さて、では俺も巡回に行ってくる。あとは任せたぞ」
「…はい」
「分かりました」
「……おう」
「……」
「……」
…かわいい。
いや、かわいいは違うかもしれないけど。
なんだろう。ちゃんと返事した子と、返事しない子がいるのがなんか…うん、かわいい。かわいいわ。
この空間。
そう思いながら、わたしは三日月宗近にお礼を言って彼を見送った。
「………」
「………」
「………」
「………」
ら。
呼吸音だけが響く沈黙が落ちた。
…いや違うな。火車切くんのふわふわだけがふみゅふみゅ謎の音をたてている。無邪気に跳ねて彼の髪で遊んでいる。
癒しだ。
この無言の気まずさを払拭するほどの癒しがそこにある。素晴らしい。
「立ってないで、座ったら?」
「あ、はい。…失礼します」
そのふわふわをじっと観察してた倶利伽羅江が目線でベンチを指したので、わたしは京極令嬢の座るベンチの隣にある、もう一つのベンチに腰を下ろした。
因みに私は頭の中で京極正宗を一生京極令嬢と呼んでいる。彼の麗しの令嬢感が大好きだからだ。
もちろん、口に出したら失礼にあたるだろうから、心の中で言うだけだが。
とにかく、わたしの中で京極正宗くんは京極令嬢となっているのである。
「ふふ。あるじさま、そんなにかしこまらないで?」
すると、隣で花のように淑やかに座っていた京極令嬢がふわっと微笑んでそう言う。
「ア、は、はひ」わたしは面接の時よりもどもりながら、こくこく頷いて背筋を伸ばした。
「あ、いた!」
「おーい、あんた!」
瞬間、どこからか覚えのある声に呼ばれる。
「ん?」と辺りを見渡してみると、ブンブン手を振る九鬼正宗くんと太閤左文字くんがこちらに走り寄って来てきた。
「あ…九鬼正宗くん。太閤左文字くんも」
「はいこれ! お届けもの!」
「あんたのじゃろ! これ!」
ハラハラと桜の花びらをまといながら、二振りはわたしに身を寄せてくる。そのうちの九鬼正宗くんが、ニッと笑いながら何かを差し出してくる。
「あっ」
それを見て、わたしは思わず声をあげた。
彼が差し出したのは、わたしが会社で落として忘れてきた通勤カバンだったのだ。
「これ…」
「へへ。あった方がいいかなって」
「わぁ、ありがとう。助かったよ」
「そうじゃろ、そうじゃろう! あっ、なぁんも盗んでないけぇ、そこは安心せえ!」
「ふふ、うん。ありがとうね」
受け取ったカバンを膝に乗せながら言えば、ふたりは満足そうに頷いた。
かわい…頭撫でてもいいかなぁ。
この感じだと多分許してくれそうだが、彼らにも好き嫌いの感情はある。
だから、ソッと。
彼らに向かって手を伸ばしてみたら、ふたりはキョトンと同じタイミングで瞬きをした。
だが、すぐにわたしの意図が伝わったらしい。
先に動いたのは太閤くんだった。彼は仕方ないなぁと言わんばかりにニンマリ笑うと、わたしに頭を下げる。
わしゃっと撫でる。…ふわっふわだ!
次いで九鬼正宗に手を向ければ、彼は承知した! と言うように海賊のような帽子を取って頭を下げた。……さ、サラッサラだ!
「…へへ! じゃあ、また偵察に行ってくるね。主」
「用心しときぃよ」
「うん、ありがとう」
ふたりはブンブン手を振って去っていった。
…あ、お守り持ってるか聞くの忘れちゃった。
でも、太閤くんのフリンジにくくられてたあれ、お守りだった気がする。
九鬼正宗くんも、腰のところに金色のがちらっと揺れてるのが見えたから、多分あれがそうだったのだろう。
「…そういえば、ここにいるみんなはお守り持ってるの?」
ちょうどいいので、思い出したついでにここにいるみんなにも聞いてみた。
「ええ、ありますわ。こちらに」
すると、隣のベンチにいた京極令嬢が一番に答えてくれる。
彼は自身の腰の装束の下に隠すようにくくり付けてくれているようだった。一見では分からないオシャレな付け方だ。
次いで、月を見上げていた泛塵くんを見やる。
「泛塵くんは?」
瞬間、彼は目を丸くした。「、」と息を飲むような音が聞こえてくる。
そして、やはりというかハラハラと桜の花びらを舞わせながら、困り眉でわたしの方を向いた。
「…ここにある」
言って、手を入れていたポケットからお守りを取り出してくれる。
わ、わあ…! 初めてちゃんとポケットに入れてくれる子見た! 感動していると、彼はそそくさとそれをしまってわたしに背を向けた。
でも、桜はずっと舞い続けている。
「倶利伽羅江くんは?」
立膝で自身である刀を眺めていた彼に聞けば、訝しげな顔が向けられる。
暗がりの中、瞳の中の赤い光がキラッと炎のように輝く。
「…それ、聞いて何の意味があるの」
「わたしが安心する」
「…は?」
「こんな夜なんだもの。…なんでもいいから、ちょっとでも安心したいよ」
苦笑いで続ければ、彼はその無表情を困り顔に変えた。少し悩むように目をそらす。
「…あるよ」間を空けて、素っ気ない声が言った。
「見せて」身を乗り出してそう言えば、ため息と共にポケットから金色のそれが取り出される。
ハラリ。
どこからとも無く落ちてきた桜の花びらが、お守りに乗る。倶利伽羅江はそれを眉を寄せて払い落としていた。
「火車切くん、」
「ある」
「おれもある」
もはや言わずとも流れでわかったのか、火車切くんと肥前くんから同時に返事が返ってきた。
しかも、どちらもわたしを見る目が半目だ。反抗期の少年みたいな眼差しである。
すると、火車切くんのふわふわがフードの中に飛び込んだ。しばらくモゾモゾと動いて、金色の何かを咥えて出てくる。おま……うそだろ。
「フードに入れてんの?」
「コイツが気に入ってるから」
「(ふわふわはお守り咥えて飛び跳ねている)」
「………」
「つうか、別に落としたところで無くさねえよ。お守りは審神者の渡した刀剣男士の元に必ずあるようになってる」
「そうなの?」
「おまえ…近侍にでも聞いとけよ」
「いや…近侍ビルから飛び降りて行っちゃったから…」
さすが元政府刀。詳しい。
肥前くんは心底呆れ顔でわたしを見つめていた。
「因みに、ひぜ」
「ある」
「見せて」
「チッ…」
キレイな舌打ちをして、彼は着崩した服の中から紐がぐちゃっと絡んだお守りを取り出してくれた。
…なんか、存在忘れて数回一緒に洗濯機に入れちゃいました感があるけど。
大丈夫? それ水濡れしても効果ある?
その心配の感情が出ていたのか、「…一回血で汚れたのを洗っただけだ。使っちゃいねえよ」と肥前くんはため息混じりに言った。
なら、よし。
「ありがとうございます。おかげで安心しました」
わたしは見せてくれたみんなに改めて頭を下げた。
彼らはハラハラ桜を舞わせながら、「ん…」や「いえ」といった短い返事をくれる。かわいい。
まるで思春期の少年のような返答に菩薩顔をしていたら、「ねえ、あるじさま」と。
ジッとわたしの方を見ていた京極令嬢がこちらに体を傾けて声をかけてきた。
「なあに?」
「わたくし、あるじさまにお願い事がありますの」
「…お願い?」
きょとんと問い返す。と、彼はふわりと微笑んで「ええ」と頷く。
「あるじさま。どうかそのお声で、わたくしの銘も呼んでくださいませ」
ソッと自身の胸元に手を当てた京極令嬢が言う。
その頬はほんのりと赤らみ、瞳は上目で期待するようにわたしを見上げている。
当然、京極令嬢にこんな事を言われたら返答は一つしかない。
「喜んで」
わたしは本日二度目の居酒屋になりながら、咳払いをして口を開いた。
「京極、正宗くん」
危ない。
ちょっと京極令嬢って言いかけてしまった。
しかし、彼には伝わらなかったようで、きょとっとその薔薇のような瞳を丸くすると、「うふふ」と口元を隠して微笑んだ。
び、美〜〜〜!!! 美過ぎ〜〜!!
「あるじさまの声、すてき」
「ありがとうございます。至極幸甚でございまする」
「あら」
そんな事初めて言われたわ…と思っていたら、突然京極令嬢がフッとその顔から表情を消した。
ビュン。
刹那、わたしの横を風が切る。
ザシュッ。肉の切れるような音が後ろから聞こえてくる。
目の前には、離れた位置にいたはずの京極令嬢の真っ赤な装束があった。
『ア、ァァ…』
「──はしたないわ。わたくしたち、お話中でしたのよ?」
どうやら、わたしのすぐ背後にあの煤が近付いてきていたらしい。
ダラダラと汗を流して後ろを振り返れば、瞳孔ガン開きで口角を上げた京極正宗の悪役令嬢顔と、その短刀が既に形を失い始めていた煤の喉元に突き刺さっているのが横目に見えた。
「ふおぉ…」
「ご無事かしら。あるじさま」
「は、…はひ」
「短刀か」
「ええ。それも、とびきりお強い」
「ハッ。にしては一撃じゃねえか」
カタッと。
立て掛けていた刀を手に取った肥前忠広が、ゆらりとその場に立ち上がる。
次いで、ふわふわをフードにしまった火車切くんが抜刀しながら立ち上がり、さらに倶利伽羅江も気怠げに刀を取ってそこに立ち上がった。
「?、??」
「…十五体か」
「いや、十八だ」
「てめぇはそのまま審神者を守れ。デケェのはおれ達が片付ける」
「野蛮なお方。──でも、おまかせを」
「倶利伽羅江も審神者のそばにいて」
「なんで。 …俺がこの中で一番弱いから?」
「主が狙われてるから。さっきみたいに、背後に現れたりしたら短刀の方が始末しやすい」
「構えろ。──来る」
抜刀した泛塵くんが、暗がりを見据えた。
わたしにはまったくにも見えないが、彼の目は何かを追うようにゆっくりと横に動いている。
すると次の瞬間、ひときわ強いビル風が吹いて、暗がりから黒い人影が飛び出してきた。
「ひっ!?」
ギョッとわたしが肩を跳ね上げるのと同時に、倶利伽羅江がわたしを庇うように前に出てきた。
隣には、わたしの肩を抱いて周囲を警戒する京極令嬢がいる。
刀を持った手でインカムに手を当てている。
「──全班、応答せよ」
『───』
「こちら紅影班。敵の襲撃を受けている。応答せよ」
『───』
「…だめね」
「煤の粒子が霊波通信の妨害をしている。ある程度倒さないと、応援は呼べないだろうね」
冷静な倶利伽羅江が言う。
その間も、暗がりからどんどん敵が出てくる。
中には薙刀や槍などの大物を持った敵もいる。
傍目には、どう見ても絶体絶命としか見えない光景だった。
だが、倶利伽羅江はなんて事ないように続ける。
「まあ、」と。
しかし、彼がその先を言うよりも、泛塵、肥前忠広、火車切の脇差達が走り出す方が早かった。
「ふっ!」
彼らは一気に敵との間合いを詰める。
そして、先頭を走っていた火車切くんが下から薙刀を振りかぶる煤の腕をザンッと切り落とした。
カンカララン。
刃物の落ちる大きな音が響く。
それを飛び越えて、泛塵くんが薙刀の後ろにいた大刀を構える煤の顔に刀を突き立てる。
『ァ、アァ』
「その薄汚い口を閉じろ。──塵が」
人影は粒子となって消えていった。
するとその後ろから、今度は短刀を持った小さめの煤が三体現れる。
立ち塞がったのは、抜き身の刀を肩に乗せた肥前忠広だ。
彼は目元に暗い影を落としながら、歪に口角を上げ、凶悪にわらっていた。
「おら、まとめてかかって来いよ。クズ共が」
瞬間、人影は声ともつかない音を発して肥前忠広に飛びかかった。
そのうちの一体を、彼は身を屈めて腹部を真っ二つに切り裂く。
次に、短刀を振りかぶって飛びかかって来た煤を刀で受け止める。そして横に振り払うと、「ふっ!」と煤を思いっきり蹴り飛ばした。
…蹴り飛ばした!?
煤はものすごい勢いで壁にぶつかり飛散する。
そして最後に、ヒュンと。隙をついて顔に刀を突き立ててきた煤を、彼は僅かに首を傾けて避け、そのまま敵の首を一線で泣き別れにした。
「……」
わたしはあんぐり口を開けて固まった。
脇差三振りは横に三人並び、各々敵と戦っている。
最強の門番みたいな背中をしている。
そんな彼らに、言葉を言いかけてやめていた倶利伽羅江がボソッと続けた。
「──まあ、こっちは主がいるし。呼べなくても負けないだろうけどね」
◇
「──よし。終わり」
チャキッと、刀を鞘にしまった火車切くんがやれやれというようにそう言った。
すると、待ってましたと言わんばかりにフードからふわふわが出てくる。「!〜〜」と、声ならない音をたてながらビビビッと伸びをしている。
「お、おつかれさまです…皆さん、お強いですね…」
もう、そんなど素人丸出しの感想しか出てこなかった。
だって、動きがアクロバティック過ぎて何が起こってるのか全然分からなかったし。
一回わたしの近くに来た敵も、わたしが気付く前に倶利伽羅江と京極令嬢に喉と腕を切り落としていたし。あれは完全勝利Sだったと思う。
そんなことを考えていると、刀を鞘にもどした脇差達がゆっくりこちらに近付いてきた。
「あんた、怪我はない?」
「はい、おかげさまで。…みんなは?」
「ない」
「ありません」
「ない。練度は上がってきているが、取るに足らない。塵芥だ」
「でも、数は増えてきてる。明け方までに向こうも強くなってるだろうから、やっぱり応援は呼んだ方がいいかも」
「さっき他の部隊に連絡したら、戻れる刀だけこっちに来るって」
言いながら、倶利伽羅江がベンチから立ち上がった。
すると、入れ替わりで今度は火車切くんが隣に座る。その姿を見ていると、彼のフードに隠れていたふわふわとバチッと目が合った。
「あ」
「!」
途端、ふわふわはビビビッと毛を逆立てて瞳孔を細くし、ぴゃっとフードに潜り込んだ。
あまりの速さに、火車切くんの髪がなびく。そのままカーテンのようにフードにかかってしまい、ふわふわはまったく見えなくなった。
「(かわいい…)」
触りたいな。無理だろうけど。
なんか、猫じゃらし的な物とか持ってなかったかなぁ。わたし。
そう思い立ち、お腹に抱えていたカバンをゴソゴソと探ってみる。
「? 何を探している」
「えっと、猫の好きそうなもの」
「…ねこ?」
「あっ」
当然、猫じゃらしなんて都合のいいものはなかったが、買いだめしてた菓子パンやお菓子が出てきた。
仕事で泊まりになった時や、出るのも億劫になった時に食べようと今日の午前中に買ったものである。
「あちゃあ…忘れてた」
「あるじさま、そちらは?」
「パンとお菓子よ。今日お腹がすいたら食べようと思っていたんだけど…」
ガサッと中身を膝に取り出しながら言う。
と、下を向いていたわたしに影がかかった。
「?」
顔を上げたら、前のめりになる赤混じりの黒髪が目に入る。
肥前忠広だ。彼は片手に刀を持ちながら、ものすごく真剣な眼差しでわたしが膝に置いた非常食を見つめていた。
…これは、あれかな。
お腹すいてるのだろうか。
「食べる?」
かさっと惣菜パンを取り出して聞いてみれば、彼は「あ?」と片眉を上げてこちらを見た。
「…あんたの食いもんだろ。それ」
「でも、パンは早く食べないと駄目になっちゃうから。よかったら他のみんなもどうぞ。あ、お手拭きも」
好き嫌いあるだろうし、食べたくない子もいるだろうから、とりあえず空いているベンチに移動してお店を広げてみることにした。
菓子パン、惣菜パン、スナック菓子、グミ、飴、ラムネ。同僚に渡したりするために色々多めに買ってたから、数はそれなりにある。
すると、やはり真っ先にお店屋さんにやって来たのは肥前忠広だった。
次いで、カラフルなパッケージに惹かれたのか京極令嬢が近付いてきて、興味を惹かれたのか火車切くんも立ち上がる。
泛塵くんと倶利伽羅江くんは興味ないようで、二人でベンチに座ってぼんやりとこちらの様子を観察していた。
「わたし、クリームパン好きなの。だからそれ以外ならどれでも好きなのどうぞ」
「くりーむぱん」
「どれだ?」
「これ」
カサっとお気に入りのパンの袋を見せれば、肥前忠広は「ん」と当然のようにそれを取っていった。
おい。
「話聞いてた?」
「…あ?」
「わたし、クリームパンが好きなのです」
「だから、これが美味いんだろ」
「…?」
「あんたが好きだっつったんだ。なら、そいつがこん中で一番うまいに決まってる」
言って、肥前忠広はもう一つ空いたベンチにドカッと座ると、バリッとパンの袋を開けた。
わたしはポカンと口を開ける。
と、彼は袋からパンを取り出しガブッと齧り付く。口端にクリームをつけながら、むぐむぐとハムスターのように頬を膨らませている。
「うまい」
そして淡々と言われた言葉に、わたしはグッと胸元を掴んで俯いた。
そん、なズルい。
だってオタクは、自分の好きなものを布教してハマってもらえるのがものすごく嬉しいのだ。
だからもう、こう言われてしまっては好物を食べられた文句なんて言えるわけがない。
「よかったです。──肥前忠広くん」
しかし食べ物の恨みは恐ろしいので、わたしはこれまで呼んでいなかった彼の名をこれみよがしに呼んだ。
「っ、」
瞬間、肥前くんのパンに齧り付く動きが止まる。
ジトッとその目がわたしを睨み付ける。多分、わざと名前を呼んだのが伝わったのだろう。
しかし、結局は何も言わず、桜を舞わせながらそっぽ向いてパンを食べ続けていた。
「あるじさま、わたくしはこれをいただいても?」
「はい、ど……それコーラだよ?」
「? ええ、俗世の知識はあまりございませんが、文字は読めます」
「コーラ大丈夫…?」
「ええ。本丸でも、しゅわしゅわしているのをいただきました。とてもおいしかったですわ」
ニコッと笑って、京極令嬢はコーラのラムネを所望していった。
…炭酸、好きなのかな。意外とファンキーだ。
「火車切くんは?」
「……」
「…悩んでる?」
「ん…」
「どういう味が好き? 甘いのとか、辛いのとか」
「…甘いよりは辛い方がいい」
「じゃあ、カレーパンは?」
「かれーぱん」
「これね。ピリッとしてて美味しいよ」
カサッと袋を持ち上げながら言う。
本当は、ちょっとオーブントースターで温めた方が揚げたて感があって好きなのだが、この場ではどうしたって温められないので仕方ない。
火車切くんはしばらくカレーパンをジッと見ていたが、やがて「…じゃあ、これもらう」と言って両手でカレーパンを持って去っていった。
てっきりすぐ食べるだろうと思ってその様子を見ていたが、彼はベンチに座ったあとも袋を開けようとしない。
ただ、フードから顔をのぞかせたふわふわと共にジッとパッケージを見ている。
? 後で食べるのかな…。
分からないが、わざわざ取っていったということは食べる気はあるのだろう。
「泛塵くんと倶利伽羅江くんは? パンいらない?」
一応もう一度聞いてみれば、泛塵くんと倶利伽羅江くんはハッとして同時に首を振った。
だが、その手前に見ていたのがクリームパンを食べる肥前忠広だったので、まったく食べ物に興味が無いわけでもないのかもしれない。
ならばと、わたしは人一人分以上空けていたふたりの間に座った。
「?」泛塵くんは不思議そうに眉を下げ、倶利伽羅江くんは怪訝そうにわたしを見やる。
そんな彼らの前で、わたしはお手拭きで手を拭いてバリッとサンドイッチの袋を開ける。
「これね、サンドイッチっていうの。ふたりは食べたことある?」
「……知らない」
「…似たものなら」
「そっか。こっちはね、ハムとレタスが入ってて、こっちは卵ときゅうりが入ってるの。どっちもすごく美味しいのよ」
「……」
「……」
「はい」
言って、わたしはハムとレタスのサンドイッチを三等分し、両手で両隣の彼らに差し出した。これで断られたら、さすがに謝って自分で食べようと思いながら。
すると、ふたりはしばらく逡巡した後、恐る恐るというようにサンドイッチを受け取った。
それを確認して、わたしは自分のサンドイッチを食べる。シャクッ。レタスのみずみずしい音が鳴った。さらにひと口噛めば、ハムのしょっぱみが口の中でふわっと広がる。これは、美味。うん、ちょっとマヨネーズが入ってるのがアクセントになってておいしい。
「………」
ふたりはなんとも言えない不安そうな顔でわたしとサンドイッチを交互に見ていたが、やがて「いただきます…」と小さな声で言うと、うさぎのひと口みたいに小さくパンに齧り付いた。
「……」
「……」
「…あの、もうちょっとかじった方がいいよ」
ハムとレタスまで届いてないから。
微妙な顔のふたりに指摘すると、今度は大きめにがぶっとかぶりついてくれた。
「…!」
「!」
「美味しい?」
「…しょっぱい」
「ハムだね」
「…しゃきっとしてる」
「レタスだね」
美味しいとは言わなかったが、頬を赤らめ、桜を舞わせる姿を見るに、それなりに気に入ってくれたのだろう。
その後は、互いにひと口でサンドイッチを平らげた。さらにたまごサンドも三等分して渡せば、こちらはふたりとも「…ありがとう」と言って、ひと口で平らげる。早い。
「少なくてごめんね」
「いや…僕たちこそ、あなたの食事をうばってしまった」
「…ごめん」
「それを言うなら、こちらこそ。一緒に食べてくれてありがとう」
そう彼らにお礼を言って、わたしは自分のたまごサンドを食べようとした。
すると、「ねえ」と。いつの間に近づいてたのか、目の前に立った火車切くんがわたしの前で屈んでくる。
「? なあに」
「その、さんどいっちってやつ。こいつがちょっとほしいんだって」
言って、彼が体を傾ける。
と、フードの中からふわふわが出てきて、自分の存在を主張するようにふみゅふみゅと動いた。
「…え、きみこれ食べれるの?」
「(コクコク)」
「じゃあ…どうぞ」
どれだけ食べるか分からなかったので、とりあえず半分にして差し出してみる。
ふわふわは躊躇なくそれに噛み付く。
「……!!!」かと思えば、その大きな目をパァァというように輝かせた。どうやら気に入ったらしい。
そのままものすごい速さで咀嚼すると、わたしの指まで食べそうな勢いでパンにかぶりついてくる。
「(かわい…)」
ハムスターみたいだ。
そう思いながらポーっとふわふわを見ていると、はふっと。食べ終わった彼(彼女?)が満足そうに目を細めて息を吐き出した。
そしてパンくずのついた口周りをぺろぺろ舐める。
ついでというようにわたしの指先も舐める。(えっ)
スリスリとおでこや頬を擦り付ける。(なっ)
まるで、お礼でも言うように。
そしてポムポム跳ねると、またフードの中に戻っていった。
…………
………クラッ
「え?」
「っ、ちょっ、なに!?」
突然後ろに倒れ込んだ主の体を、両脇に座っていた泛塵と倶利伽羅江がギョッと支える。
なんてことは無い。
ふわふわの圧倒的なかわいさに、魂を抜かれたのである。
そうして安らかな顔で目を閉じる審神者を、火車切だけが変態を観る眼差しで見下ろしていた。
おそらく、何かが一つ食い違っていたら、そうなっていたのは【俺】だった。
この本丸に来た時もそうだった。
そこは俺の居場所であったはずなのに、当然のように山姥切の名を名乗るあいつがいた。
俺は、写しを名乗るニセモノがそこにいる事が憎かった。
当然のようにその名を呼ぶ者達が嫌いだった。
だが、それは結局、己の価値観を他者に擦り付けているだけだった。
何故、“ニセモノ”を山姥切と呼んでいるのかと。
幼子のような癇癪を、ただぶつけていただけだったのだ。
これを、「当然だ。あなたは本歌なのだから」と言う審神者もいれば、「自分の山姥切は国広だ」と言う審神者もいた。
きっと、どちらも間違いじゃない。
価値観は人それぞれだ。そこに正否はない。
時代はそういう風に移り変わっている。
己の価値は、己が認めなければ意味が無い。
俺は、俺の価値を他人が「山姥切」と呼ぶ事にだけ見出していた。
だが、今は違う。
俺は長義の打った傑作、山姥切だ。
それは誰に言われたでもない、俺自身が認めた価値だ。
何を言われようと、誰に否定されようと、決して揺らぐものではない。
「俺は今の主の刀だ」
最後まで。──最期まで。
「…いや」
きっと、彼女が忘れてもそう在るのだろう。
遠い昔に子供に忘れ去られたおもちゃも然り。
だって“物”とは、そうして死んでいくものなのだから。
◇
バサッと、後ろから重たい布のはためく音がして、わたしは顔を上げた。
持っていた飴の袋を置いて後ろを振り返る。と、刀を鞘にしまいながら、こちらに歩いてきている山姥切長義の姿が目に入る。
「おかえりなさい。山姥切長義さん」
そう声をかければ、俯き加減だった彼がこちらを向いた。
少しだけ目を丸くしている。けれど、すぐに柔らかく微笑むと「…ただいま」と、眉を下げて照れくさそうにそう言った。び、美可愛〜〜。
「すまない、戻るのが遅くなった。襲撃を受けたと聞いたが、怪我は──」
言いかけて、彼の言葉が不自然に途切れた。
見開いた目がわたしの両周りに向けられる。かと思えば、すぐにグッとその柳眉が顰められて地を這うような低い声が響いた。
「…これはいったい、どういう状況かな」
青い瞳が睨むようにわたしの周囲を見やる。
そこには、コンビニで買ってきた飴の包みを見下ろす人間無骨と小烏丸、実休光忠、孫六兼元。
そしてカラコロ飴を食べる大包平が立っていた。
そう──先程わたしを送り届けてくれた道誉一文字をのぞいた、でっかい倶楽部の皆さんである。
「ふム。どう…と言われてもな」
「見たままだ。主との邂逅をたのしんでいる」
人間無骨と小烏丸が、カサッと飴の小袋を閉じながらそう言った。
山姥切長義はこちらに近付いて来ながら、「それは?」と彼らの手元を見ながら問い掛ける。
「川柳だ」
「…川柳?」
「この飴玉を買った者達が、甘い、酸い、苦いと感じた経験を川柳にしているらしい」
「? …なんだ、それは」
「僕もよく分からないんだけど…見ると時勢を感じられて面白いよ」
ニコッと笑った実休光忠が、飴玉の袋を山姥切長義に差し出した。
彼は訝しげにそれを受けとる。それからジッと袋の側面を見つめる大包平を一瞬見て、同じように側面を見下ろした。
『アメ玉は 酸いも甘いも 好きに取れ』
「……」
「これもなかなかうまいぞ」
大包平が袋を渡してくる。
山姥切長義は半目でそれを受け取った。
『孫くれる 飴が大玉 喉心配』
「……これはうまいのか?」
「ああ。こーら味だ」
カラコロと飴を食べながら、大包平は言った。
その、噛み合っているようないないような、絶妙にオチのついた会話にわたしはふはっと吹き出す。
と、同じように袋を見ていた孫六兼元が「主人」と、わたしの持つ飴のパッケージを指さしてきた。
「はい」
「この、はーと味とは何の味なんだい?」
「えっと、これは桃ですね」
「…桃?」
「海外の言葉だろう」
「ふむ。つまり、海外では桃をはーとというのか」
「あ、いえ。ハートは心臓です。桃はピーチですね」
「しん…ぞう?」
「…珍妙だな。桃の味を臓物にたとえるとは」
「甘いのかな。心臓」
「甘くは無イだろう。どう考えてモ」
真剣な顔で呟いた実休光忠に、人間無骨が即答した。
わたしは続ける。「因みに、ひと袋に一個しかハート味はないので出たらラッキー…大当たりです」
すると、その場にいた刀剣男士全員がわたしに信じられない言葉を聞いたというような顔を向けてきた。
「…当たり、なのか? それは」
「はい。美味しいですよハート味。ハート型で可愛いですし」
「心臓型、だと…!?」
「なんと、まあ…父には理解出来ぬ感性だ」
「かわいいのかな、心臓」
「可愛くハない。絶対」
セールストークが良くなかったのか、結局男士たちはコーラ味を一つ食べた大包平をのぞいて、全員飴を袋に戻してしまった。
…美味しいんだけどな、ハート味。
しかし要らないならば仕方ない。わたしは飴をご自由にどうぞと書いたエコバッグの中にもどし、別のベンチの上に乗せた。
「そういえば、ここにいた紅影班はどうした。一振残らず居なくなっているようだが」
「ああ。どうやら、白羽班の方で問題が起きたようでね。偵察部隊がほしいってんで、俺たちと入れ替わりでそっちに向かってもらったんだ」
「問題?」
「“回収”の件だ。…まあ、もうじき藍月も戻ってくる。そうすれば──」
言いかけて、孫六兼元の言葉が不自然に止まった。
その視線がどこかへ向けられる。フッと口角が上がる。
「──ほら、噂をすればなんとやら」
その言葉に、彼の視線の先を辿れば、暗がりから誰かがこちらに歩いてきているのがうっすらと見えた。
あれは…誰だろう。
目を凝らして暗闇を見ていると、その姿が月明かりの下に出てくる。
「わあ…」
七星剣だ。
結んだ髪をなびかせ、星空のような袂を押さえながら、ゆっくりとこちらに近付いて来ている。
その半歩後ろには、長い髪をなびかせる丙子椒林剣の姿もあった。
わあ、すごい。あのふたりだけ空気が違う。
厳かな感じがしてる。“会う”というより“謁見”って感じだ。
その圧倒的なオーラに咄嗟に立ち上がって出迎えようとしたら、こちらに来ていたふたりの後ろからビュンと。
萌え袖をブンブン振りながら「あるじぃーー!!」と、陽気に駆け寄ってくる刀剣男士の姿が目に入った。
大慶直胤だ。
彼はほんのり頬を染めながらニコニコ笑顔で走って来ると、ガバッと。
ベンチを飛び越え、両手をこちらに突き出しながらわたしに向かって飛び込んできた。
……え。
「…えアイダッ!!!」
「おっと」
「おお」
当然、刀剣男士のジャンピング突進をただの一般女性が受け止められるはずもなく、わたしは後ろに倒れ込む。
幸い、近くにいた小烏丸と実休光忠が背中を支えてくれたので倒れることはなかったが、肺に思いっきりダメージをうけたわたしは衝撃でむせ返った。
大慶直胤は、そんなわたしの鎖骨あたりを掘削する勢いで頬ずりしている。
「すっごーい!! 本当に本物の主だ! 生きてる! 動いてる!」
「ゲッホ、ゴッホッ」
「…生きちゃいるが、アンタの突進がだいぶ致命傷になったみたいだな」
「えーうそ脆い! 本当に女性なんだねぇ。鋼の俺たちと全然違う! 柔いし、温かいし、良い香りがする!」
「カハッ」
「長義くん。これはまとめ役送りの方がいいんじゃないかな」
「そのまとめ役が、少年の姿ではね。…後で三日月宗近に正座させるように言っておくよ」
「えぇ、ヤダ!」
ガバッと抱き着いていた大慶直胤が離れる。
「やだやだ正座やだ!」と山姥切長義に縋っている。
なん、…なんだ、何が起こったんだ。
一瞬すぎて全然わかんなかった。
今わたしは大慶くんにハグをされたの? それとも肺潰して息の根を止められそうになったの? どっち?
ゲホゴホ咳き込みながら考えていたら、「大丈夫カ」と人間無骨が背中をさすってくれた。やだ、優しい…。めっちゃ力強いけど。
おかげでわりとすぐに落ち着いてきたので、背後から支えてくれていた小烏丸と実休光忠にもお礼を言って、わたしは体を起こした。
「汝」
ら、横から声をかけられる。
ハッとして顔を向ければ、そこには赤い瞳と青い瞳を細めてわたしを見つめる七星剣と丙子椒林剣がいた。
「お……」
「お初にお目にかかる。おれは七星剣。そう呼ばれている。数多の時空を超え、こうして汝と相まみえた事、喜ばしく思う」
「きょ…恐縮であります」
「審神者様」
「はひ」
「俺は丙子椒林剣と申します。偶然か、必然か、運命か。…こうして貴方に出会えた事、心より嬉しく思います」
「ありがとうございます。わたしも嬉しいです。七星剣さん、丙子椒林剣さん」
丁寧な挨拶に、わたしも腰を低くしてペコペコ頭を下げる。
完全に取引先の相手を出迎える時のそれだった。
すると、下を向いた視界の端でひらひらと桜の花びらが散るのが見える。「お?」と顔を上げたら、柔らかく微笑んだふたりからひらひらと花びらが舞い落ちていた。
お、おお。このふたりでも名前呼んだら気力上がってくれるのか…。
「ね、ね! あるじ、俺は? 俺とあえて嬉しい?」
感動していたら、【反省中】という札を首からぶら下げた大慶直胤が萌え袖を合わせながらわたしに問い掛けてきた。
後ろには「ちょっとでも余計なことしたら処す」という顔をした山姥切長義と大包平と、後方腕組の孫六兼元と小烏丸がいる。
二段構えで大慶直胤を見張っている。
「う、うん。嬉しいよすごく」
「えへへ、俺も。主に会えてすっごーく嬉しい!」
「コケェ゚」
「え?」
「いえ、なんでも」
危ない。ニワトリみたいな声出た。
ていうか一瞬ニワトリになってた。人間をニワトリに変える大慶直胤のあざとさヤバすぎる…。
遠い目でそんな事を考えていると、コツっと。
暗がりから、足音がもうひとつこちらに近付いてきた。
「……ん? 童子切ではないか」
その正体にいち早く気付いた大包平が、少しだけ驚いたように言う。
すると、暗がりからゆっくりとそのシルエットが浮かび上がり、無表情の童子切安綱が月明かりの下に現れた。
「…大包平…」
「そうだ。今日は道に迷わなかったのだな」
「…建物を登るだけだった」
「ふむ、まあそれもそうか」
「敵には会ったかい?」
「数体…いずれも、三日月宗近が回収を」
「そうか」
拙く端的に伝えると、童子切安綱はゆっくり辺りを見渡した。
ビルの無機質な輝きを見、並ぶ刀剣男士を見。
そして、つい先程までニワトリになっていたわたしを見つけると、少しだけ目を見開いて息を飲んで固まった。
「あ」
「……」
「初めまして。童子切安綱さん」
無言だが、見られていたのでとりあえず挨拶をする。だが返答はない。桜も舞っていない。
ヒュルルと木枯らしのようなビル風が引き抜けていくだけである。
…完全にスベッてる。わたし。
これは、あれかな。
審神者として認識されてないのかな。それか童子切安綱はほとんど記憶を失っているようだから、名前を呼ばれたという感覚が無いのかもしれない。
「…審神者…」
すると、突然彼がボソッと口を開く。
「(あ、審神者の認識はしてくれた…)はい」
「……」
「審神者です」
「…あなたが、わたしの…」
「はい」
「………」
「………」
…めっちゃ見られてる。
わたしのモブP顔をめっちゃ見とる。
というか、童子切安綱のお顔とっても綺麗だなぁ。髪も綺麗。肌も綺麗。立ち居振る舞いも洗練されてる。
なんか人として憧れるな。
わたしも気持ち背筋とか伸ばしとこ。
そう思って、何となく淑女をイメージして指先を伸ばし、手を体の前で揃えていると。
「もー! かたいかたい! ガチガチだよ主!」
突然、横にいた大慶直胤がブンブン袖を振りながら(>△<)みたいな顔でそう言ってきた。
「え?」
「世に名高い天下五剣の中でも最古の名刀を前にして緊張するのは分かるよ? でも、もっと前のめりで見学しないと!」
「見学」
「見てよ! この優美で麗しい刀剣男士を!」
ジャジャンというようなポーズで、大慶直胤くんが童子切安綱の隣に並ぶ。
童子切安綱は困り眉でそんな彼を見ている。
…なんか、既視感を感じるな。
これは、あれだ。オタクの布教だ。 大慶くんからオタクのにおいを感じる。多分わたし、童子切安綱の布教をされてる。本人(刀)を前にして。…そんな事ある?
「童子切安綱は刀工安綱の傑作であり鬼を切ったと伝わってる。その刃は美術品としても実戦刀としても有名で隙がない! 時の人達に愛された格調高い刀剣! まさに、刀の中の愛され役! 愛され総受け!」
「違う。大慶くんそれは意味が違う。どこで知っちゃったの? その言葉」
「ね、主もそう思うでしょ!?」
「えぇ…」
身を乗り出して問われ、思わず口端が引き攣る。
いやまあ、童子切安綱綺麗だとは思うけど。
でも、わたしがそれ頷いたら意味変わっちゃわない? この流れの愛され総受けはもう、薄い本の方にいっちゃうよ。
そんな事を考えながら、わたしはちらっと童子切安綱の方を見やった。ら、彼もわたしの方を見ていてバチッと目が合う。
そして、何を勘違いしたのか、斜め下を向いて悩むような素振りを見せたかと思えば、腰にたずさえていた刀を取ってこちらに差し出してきた。
……………え。
「え?」
「…わたしには、語れる記憶がないので」
「…え、刀を見てもいいの?」
聞けば彼はこくりと静かに頷いたので、わたしは恐る恐る差し出された刀を見下ろした。
もちろん、鞘に収まった外装付きの状態だ。
しかしそれでも、触れるのを躊躇させるような、威圧感にも似た迫力が滲み出ている。
「(これが…本物の刀)」
銃刀法のある現代では、然るべき手順を踏まないと持っているだけで罪となる物だ。
同じ刃物でも、ナイフや包丁とは違う。
人を斬るためだけにつくられた道具。
なのに……こんなに目が離せなくて、美しい。
移りゆく時代の中で、数多の人間を魅了してきたその輝きは変わらない。
「きれい」
だから、そう言った。そうとしか言えなかった。
すると、童子切安綱の刀がカタッと揺れる。
「、」と息を飲むような音が彼から聞こえてくる。
「でしょう! ね、ね?」
「うん、本当に綺麗で素敵」
とても触る勇気はないので、目に焼きつけるつもりで刀を見ながらわたしは頷いた。
「フン。それで言うならば、俺ほど美しく艶やかな刀はいるまい!」
すると、離れたところにいた大包平が刀を見せながら参戦してくる。
わたしは「なんか来たぞ」と思ったが、大慶直胤はウンウンと頷いていた。
「もちろん! 奇跡の刀と呼ばれる大包平の作刀技術の高さ! 主もきっと驚くよ、彼の戦う姿を見ると。横綱と呼ばれるに相応しい力強さの中に、踊るような繊細さと身軽さがあるんだ!」
「大慶くんはわたしに刀剣の布教をしに来たの?」
「そうだとも! 主よ!!」
(声おっき!!)
「あの、いま夜中、」
「この刃には包平の技術の全てが詰め込まれている。まさに名刀の中の名刀。唯一無二の刀だ!」
「よ! 大包平! サイコー!!」
「はっはっはー!!」
ダメだ。わたしの声届いてない。
囃し立て役とお調子者のコントみたいになってる。
いや、大包平がすごいのは分かってるよ?
刀剣や日本の歴史に浅学なわたしでも。
でもちょっと…夜中にこのテンションは、主どうしたらいいか分かんないな…。
そう思って、苦笑いで様子をうかがっていると。
「…?」
ふと、視界の端にはらはらと桜の花びらが舞い落ちていった。…あれ、誰のだろう。
次々に落ちてくるそれを視線で辿っていけば、刀を片手で持って口元を押さえる童子切安綱の姿が目に入る。
その眉は相変わらず困り眉だったけど、何故か目尻はほんのり紅色に染まっていた。
「ど…どしたの?」
「…あなたが」
「え?」
「あなたの声が…きれいですてきだと。…それを聞いたら、花が勝手に」
ズドンッ。
心臓をショットガンで撃ち抜かれた音がした。
堪らず「ゔっ!!」と胸元を押さえてふらつけば、
「? どうした」と大包平が心底不思議そうに首を傾げる。
「な、なんでもない…刀剣男士、スゴイネ」
「何を今更。みな主の刀だろう」
「うん…大包平さん」
「む?」
「大包平さんも素敵だよ。…紅色、すごく格好良い」
見せ付けるように差し出された刀を見ながら、それを伝える。
月明かりで輝く紅い外装は、まさに彼の気高さを表したような高潔な色をしていた。
昔に聞いた事がある。赤は自信の無いものには纏えない色だと。
古臭い価値観かもしれないが、でもそれでも。
きっと赤が似合うひとというのは、大包平のような存在を指すのだろう。
「…って、ごめんね。こんなありふれた感想しか言えなうわっ!!?」
修行に出て自己肯定感爆高となった彼にかけるにはあまりにも陳腐な言葉だと思い咄嗟に謝れば、大包平はカッと目を見開いた。
かと思えば、尋常ではない量の桜の花びらがその体から溢れ出てくる。
すごい勢いだった。ほぼ雪崩だ。
おかげでわたしの体は桜吹雪の中に消える。
視界が薄紅一色になる。
「ふ、フン! 当然だ! 俺ほど紅の似合う刀は他にいるまい!」
「そ、そうだね…もう見えないけど」
「主、ここにちょうどよく僕の刀もあるのだけれど。見るかい?」
「何が都合よくダ。お前ノ本体だろう。それが」
「父のもあるぞ。反りもほとんどない、直刀とも違う稀な刀が。そら、見るか?」
「見えないです。桜で」
「主あるじぃ、みてみて俺の刀! 江戸三作のひとつにあたる名刀だよ!」
「だから見えないよ」
「槍もあるゾ。見るか」
「見えねえって言ってるでしょ」
「剣はどうだ?」
「なんか戻ってきてる…」
「ええい、やかましいぞ!! 貴様ら!!」
そんな感じで、何故かわたしに刀を見せるブームが巻き起こり、ひとり冷静だった山姥切長義が助けてくれるまでわたしは季節外れの花見をしたのだった。
◇
それから、暫くするとみんなはまた「偵察に行く」とビルから飛び降り、各々どこかに去って行った。
残ったのは、わたしがアプリで近侍に設定していた山姥切長義だけ。
その彼が教えてくれたのだが、どうやら彼らのいう【偵察】とは、この近辺に住む人たちの安全を確保するための行動らしい。
「最初にも言ったが、アレはあなたが死ぬ歴史を変えようとしている。だから、その変わりにできそうな命──外を歩いている、同じ年頃の女性の元にも何度か出現しているんだ」
「え!?」
「と言っても、煤は俺達以外には見えないし、見る力のない者には影響を与えにくい性質をしている。だから被害が出る可能性はほぼない」
「ほ、ほぼって…」
「ゼロではない、というだけだ。値は限りなくゼロに近い。…だが、何も起こらないと宣言もできないからね。念の為に役割を分担して、この近辺を見回りしているんだ」
「そうだったんですか…」
どうやら、屋上の男士達の出入りが激しいのはそういう理由だったようだ。
「だが、主がいるかぎり運命は変わらない。歴史にはそう在ろうとする力がある。…因果律とでもいうのかな」
「むずかしい言葉知ってるね…」
「君より長く在るからね。…だからまあ、君という存在がここにいる限り、煤は狙いを俺達に変えざるを得ない。刀さえ折ってしまえば、君をどこにでも連れ去ることができるからね」
言った瞬間、ザワッと湧いて出てきた煤を、山姥切長義の刀が薙ぐように切った。
だが、煤はひるむことなく刀を振りかぶる。その喉元を目掛けて山姥切長義が刀を突き立てる。
ドシュ。鈍い音が鳴った。
『ァ…ジ』煤は人の声のような音をあげて、サラサラと風に流れて消えていく。カランと持っていた刀がその場に落ちる。
「お、おぉ…」
「さて、丑三つ時も過ぎたが…」
屋上に設置された時計を見ながら山姥切長義が言う。現在、時刻は午前二時四十五分。
この時期だと、太陽がのぼるのは五時から六時の間だから、あと約二時間半くらいで夜明けはやってくる。
「(そんな時にあれだけど…ちょっと眠たいんだよね…)」
連日の仕事の疲れか、たくさんの刀剣男士に会ってはしゃいだせいか。
ここに来てわたしは、睡魔という別の敵にジワジワと追い詰められるように襲われていた。
いや、自分でも「おま…この状況で?」とは思うよ。
こんな、山姥切長義が隣にいるような状況で眠くなるのはおかしいって。あと夜明けに死ぬって言われたのにその二時間半前に眠くなるのもおかしいって。
でも……ねむたい。ものすごく。
多分今お布団に入ったら五秒で寝れると思う。
(駄目だ、ちょっと何か作業していよう)
このままだと本当に寝る。
そう危機感を抱いたわたしは、気になっていた仕事の引き継ぎをしておく事にした。
現在やり取りをしている人の名前、仕事内容、連絡先、優先順位、朝イチでやろうとしていた事。その他もろもろ気になる事を、手帳に書き込んでいく。
…これもまあ、今やるべき事でもないのかもしれないけど。
でも、社会人として仕事の引き継ぎは大事だ。
しかも今は、繁忙期なのだから。
事情が事情だから先方は待ってくれるだろうけど、それでも仕事が長く滞るのはよくない。
「(あとでこの手帳、会社に届けてもらうよう誰かにお願いしよう)」
【今日やる事!】って付箋貼って机に置いてたら、きっと同僚は気付いてくれるだろう。
…でも、あんまり詳しく書きすぎたらホラー感あるかな。「なんか死ぬのが分かってたみたいな書き方…」って。
たまにゲームであるやつね。実は呪いがかかってて、もう助からないからメモ残すみたいな。かゆうま日記的なやつ。まさか自分がそのメモを残す立場になるとは思わなかったけど。
そんな事を思いながら、わたしは引き継ぎの内容を書き続けた。
途中で山姥切長義がその様子に気付いて、「灯りを用意しようか?」と聞いてくれたが、月光で十分明るかったので「大丈夫。ありがとう」と断って作業を続けた。
そのうち、辺りが少し騒がしくなってきた。
「あ、やと─」「いま彼女は作業中だ。話しはまた後に」「あ、そっか。じゃあ後で」と、近くで会話が聞こえたので顔を上げたら八丁念仏がいたので、桜繚班の人達が戻って来たのかもしれない。
だがわたしは、覚えているうちにメモを残したかったので、(すみません…)と心の中で謝罪して、文字を書き続けた。
そして、十五分後。
類稀なる集中力で作業を終えると、わたしの両隣には八丁念仏と後家兼光が座っていた。
……………………。
いや、なんで?
「あ、雇い主! お仕事おつかれっ。頑張ったね」
「お疲れ様。肩でもマッサージしようか?」
「ちょ待って。待とう。いっかい」
両脇からこちらに身を乗り出され、わたしは思わず両手を彼らの前に突き出した。
えっと…なにこの、ホストクラブみたいな状況は。
あれ、わたし無意識に指名とか出してた?
疲れたので陽気な黒ギャル系男士とホスト王道ど真ん中貫いてる男士お願いしますって言っちゃった? やばくない?
「うっわ、ちっちゃ! 雇い主の手小さくてヤバいんだけど」
「ほんとだ。キミ、ちゃんと食べてる?」
「タベテル。サッキモ食ベタシ」
「ふはっ、片言。えーてかてか、爪紅してるじゃん! ちょっとラメってる。かわい〜」
「ん、どれ?」
「ほらこれ」
「ああ、本当だ。綺麗に手入れされてる。可愛いね」
「待て。止まれいっかい」
もはや言葉の手段を選んでいられなかった。
だってこれはもう、紛うことなきホストのナンバーワンとナンバーツーの手腕である。
多分、このふたりだけで姫が1万人くらいいるんじゃないかな。なんなら太客に本物の姫とかいそう。(※勝手な妄想です)で、誕生日に国とかプレゼントされてたりして。(※オタクの勝手な妄想です)
「(いやでも、シャレにならんぞこの状況)」
五分でもここにいたらわたし、姫になる。
堕ちる。八丁念仏と後家兼光に。
そう尋常ではない危機感を抱いたわたしは、一回姫から逃れるために「なにか用事とかありました?」と。真面目な話があるならそれを聞こうと思って、ふたりに問いかけた。
「へ? ううん。べつに何も」
「え?」
「だって俺ら、雇い主の刀っしょ。そばにいたいのは当然じゃん」
「 」
「ボクも、じゃんけんに負けてキミを迎えに行けなかったからね。だから代わりに、隣でゆっくり話したいなって思ってさ」
「山姥切長義さーーん!! お客様の中に山姥切長義さんはおられませんかあぁぁ!!!」
わたしは立ち上がり絶叫した。
「メロすぎるやろーー!!!」という感情を、山姥切長義という冷静沈着を擬人化したような刀の名を呼ぶことで発散しようとしたのである。
すると、庭園で各々休憩していた男士達が何事かと一斉にわたしの方を見てくる。
庭園の入口の壁にもたれかかっていた大典太光世と大倶利伽羅。顔を寄せて地図のようなものを覗き込んでいた雲生と雲次。太鼓橋から空を見上げていた大千鳥十文字槍と泛塵。ふわふわを撫でながらどこかを見つめる火車切。ビルから下を見ていた抜丸と古備前信房と笹貫。
そして。
「な、なにかな」
信濃藤四郎と電子画面を見ていた山姥切長義が、キョトン顔でわたしを見つめていた。
「山姥切長義さん、たすけて…」
「! どうした」
「姫堕ちする」
「ひめ…、おち?」
「このままだと審神者は全財産ホストにつぎ込むホス狂いになってしまう…」
「…何の話しかな?」
「姫になる…」
ワナワナ震えながらそう言えば、両隣に座っていたふたりがキョトンと目を丸くし、やけに冷静な声で「いや…」と言った。
「雇い主はお姫様ではないっしょ?」
「そうだよ。主は主だ。それ以上でもそれ以下でもない」
困惑したようなふたりの声に、メロメロになっていたわたしは「ハッ」正気を取り戻す。
ア…しゅごい。このナンバーワンツーさんちゃんと線張ってアフターケアしてくれるタイプだ。
おかげで現実に戻ってこれたわたしは、珍妙な生物でも見るような顔をする山姥切長義に「すみません、愚かにも夢を見ていました」と謝る事ができた。
「…よく分からないけど、何かあったなら俺を呼んでくれ。すぐに駆け付けられるよう、あなたのそばにいるから」
「だめだこのひとも長船だった」
「…は?」
「大丈夫? 眠いなら膝枕しようか」
「いらない。わたしはわたしでありたいの」
素でメロい長船の刀たちから離れ、わたしは辺りを見渡した。
大分集中してたので気が付かなかったが、いつの間にかまた刀剣男士が増えている。多分、手の空いた人達がここに戻ってきてくれたのだろう。
「主さま」
すると、ジッとこちらを見ていた抜丸が装束を揺らしながらトトトッとこちらに近付いてきた。
「はい」
「はじめまして、抜丸と申します。…実は、主さまにお伝えしなければならないことが」
「? …なあに?」
「実は」
「う、うん」
「飴玉をひとついただきました」
「……………え?」
「『飴アルヨー ホントは言いたい うぉーあいにー』」
「………」
「いただきました」
「あ、ハイ」
「桃の形をしていました。おいしかったです」
かわいい。撫でたい。
なんか、目がおっきいからきゅるるんって感じしてる。あとウォーアイニーをうぉーあいにーて平仮名で言ってるのもかわいい。川柳読んだんだな。
しかも桃の形してたって言ってるから、当たりのハート味食べてる。
見たかったな、ハート型食べる抜丸くん…。
「あるじ」
「はい」
「俺は古備前信房。八ッチョンと、あとオオチャンとウグチャン、その他もろもろ共々よろしくねぇ」
「よろしくお願いします。古備前信房さん」
名前を呼ぶと、彼はニコッとたれ目を細めて桜を散らした。こっちもかわいい。
回想でも思ったけど、そのハックションみたいな字面の八ッチョン呼びが可愛くて好き。あと古備前の戦隊カラーも好き。イエロータレ目がなんかすごく解釈一致してる。好き。
「で、こっちはぁ」
「笹貫だ。荒波を経験した数は刀の中でも多いと思っていたけど…まさか、人の波にも揉まれるとは」
「ね〜。あれすごかったねぇ」
「…?」
「れっしゃだっけ? でんしゃ? …まあとにかく、すごい人だったよ」
「えっ…電車乗ったの?」
こんなモデルみたいなひとが?
…変装もせずに?
「乗った乗った。中にも上にもね」
「中と…上?」
「いや〜、馬も速いとは思ってたけど。あれはすごいねぇ」
「ああ。しばらく足が浮いたような感覚が無くならなかったよ。あれに主を連れて乗るのは無理だな」
「落ちたら一巻の終わりだからねぇ。あるじもお守り使えたらいいんだけど」
「あ、主もしかしてサーファーとかじゃない? 体幹が強ければいけるかもしれないんだけど」
「いけてたまるか」
我人間ぞ。
そんな、スパ○ダーマンじゃないんだから。
電車の上なんか乗れるわけがない。サーファーでも無理だ。生身の人間を過信しすぎである。
あとお守りも無理です。主は電車でI〇OCAしか使えません。
「むりかぁ」
「無理です」
「まあ、逃げられないなら敵を倒せばいいだけの事だ。難しい話じゃない」
「パンがないならお菓子を食べればいいじゃないみたいに言ったな…」
そのままふたりは戦略をねり始めたので、わたしは邪魔をしないようにメモ帳の事を山姥切長義にお願いしようと思って辺りを見渡した。
だが、彼は信濃くんと一緒に電子画面を見ながらインカムで会話をしていて、とてもお使いなんて頼めそうにない。
(他のひとは…どうだろう)
なんとなく、夜戦の得意な短刀脇差が頼みやすいかなと思ったが、信濃くんも忙しそうだし、泛塵くんは大千鳥十文字槍と何かを話している。
火車切くんは…ひとりではいるが、先程からずっとチラチラとどこかを見ていて落ち着きがない。
「(そういえば、火車切くんは何見てるんだろう?)」
疑問に思って視線の先を辿れば、壁にもたれる大倶利伽羅の姿があった。
…ああ、話しかけたいのかな。
そう思って、もう一度火車切くんの方を見やる。と、彼が何か持っていることに気がつく。
カレーパンの袋だ。
わたしがあげたパンの袋。それを、少年の手が大切そうに持っている。
それを見て、わたしはようやく彼があの時パンを食べずにいた理由に気が付いたのだった。
「………」
わたしはチラッと、目を閉じて腕を組む大倶利伽羅を見やった。
近寄りがたい雰囲気ではあるが、誰かと大事な会話をしているような、話しかけられない雰囲気ではない。
だからいそいそと彼に近付いて、その目の前に立つ。
「……」
と、その目が開き、鋭い金色の瞳がわたしを見下ろした。
「はじめまして、大倶利伽羅さん」
とりあえず挨拶をすれば、秒で「何の用だ」と抑揚のない声が返ってきた。
その佇まいは鋭利だったが、体からは桜の花びらが舞っている。突き放すような空気は感じられない。
だからわたしはそのまま、後方のベンチに座る火車切くんを見やった。
「あのね、さっきここで紅影班のひとたちに守ってもらってた時に、火車切くんにカレーパンあげたの」
「……」
「多分、あなたと一緒に食べたかったんだと思う」
「……」
「美味しいんだよ、コンビニのカレーパン」
余計なお節介の自覚はあったので、「行ってあげてほしい」とは言えず、結局こんな言い方になってしまった。
でも、これでもこの時のわたしはだいぶ無敵の人になってたと思う。だって、いつものわたしならこんな事は絶対言わなかったから。
勝手に火車切くんの気持ちを代弁して、大倶利伽羅に無理強いをするような真似なんて。
自分ではない人がしてたら、「ああ、あの人はちゃんと行動をしててエラいな」って思うけど、自分がするとなると「いやキモイな」って思うから。
けど、この時は夜明けに死ぬということが頭にあったから、「いやもうキモかろうがどう思われようが気付いたからには言うくらいええやろ」と、あんまり良くない無敵の状態だったのだ。
それに、あのコンビニのカレーパンは美味しいので、食べてもらえるなら火車切にも大倶利伽羅にも食べてもらいたいし。
「馴れ合うつもりはない」
すると大倶利伽羅は、淡々とした声でそう言った。
わたしは真顔で返す。
「馴れ合わなくていいから、パンは食べてほしい」
「……」
「美味しいんだよ本当に。ピリッとした中辛で、角煮くらいおっきなお肉も入ってて」
「はぁ」
いかんせん、語彙がないので美味しいという事しか伝えることができず、ついに大倶利伽羅の顔が呆れの色に染まる。ため息がその口からこぼれ落ちる。
これはさすがにやってしまったかと思った瞬間、彼は壁から離れ、わしゃっと無骨な手つきでわたしの頭をかき混ぜてきた。
……かき、混ぜてきた??!?!
「!!?」
「話は最後まで聞け」
「お、あ」
「馴れ合いはしない。…だが、あんたの言葉を無視するつもりもない」
「…?」
「刀として振るわれなくなるのは、俺も困るんでね」
言って、大倶利伽羅はスタスタと火車切くんの方に向かっていった。
わたしはポカンとその姿を見送る。火車切くんも「え?」って顔してる。
そのまま彼は、ドサッと火車切くんの隣に座った。
飛び乗ってきたふわふわを見下ろしながら、何か短く言葉をかける。途端、火車切くんはパッと目を丸くして頬を染め、コクコク頷きカレーパンの袋を開ける。
…これは、うまくいったのだろうか。
「よかったね」
「わっ!?」
考えていると、耳元で声がかけられた。
見れば、いつの間に来たのか後家兼光が背を屈めてわたしを覗き込んでいる。
サラリと流れた赤い髪の隙間から、優しい眼差しがこちらを見つめている。
「び、びっくり…びっくり」
「人を模して人に倣う。されどボクたちは、人では無い。彼の言うとおり、営みを必要としない物には馴れ合いは不必要と言えるだろう」
「う…」
「でも」
「…?」
「せっかく肉体を得たなら、美味しいものを食べた方がいいし、誰かと懐かしい話をした方がいいよね」
「その方が、刃生(じんせい)楽しめるし」
言いながら、後家兼光はトンと壁にもたれかかったた。カチャッと刀が小さく音をたてる。
その姿をなんとなく目で追っていると、色素の薄い瞳がこちらに向かってパチッとウインクした。
「ワァ」
「というわけで、ボクはキミのおかげで毎日本丸で推し活を楽しんでいるよ」
「推し活…?」
「そう。遠くから上杉の家を見たり、在りし日の直江とお船さまを双眼鏡で見たり、彼らの食べていた料理を作ってみたり、演練場で別の本丸のボクと上杉を愛する戦士の会をしたり」
「想像以上に推し活だった」
遠くから双眼鏡で見たりとか、あと推し達の好きな料理を自分で作ってみるのとか、推し活仲間で語り合うのとか。
なんか、すごい親近感が湧く推し方してる。
というか大慶くんといい後家兼光といい、わたしの本丸の刀たちは俗世を知りすぎてない?
大丈夫? そのうち過去に渡る時にペンラとか持って行きだしたりしない? 夫婦のラブラブ推しうちわとか作ってない?
…いやでも、作るくらいは自由か。後家兼光の上杉を愛する会があるなら、うちわの見せ合いっこくらいできるかもしれないし。
「いいねぇ、それは。すごく楽しそう」
なにはともあれ、楽しそうでなによりだ。
そう思い、へらっと笑って彼を見上げればきょとんとその目が丸くなった。かと思えばふっと優しく細められ、「うん」と低く静かな声が囁く。
「面白いよ。…キミのおかげでね」
「へへっ」
「ふはっ、笑い方。…そういえば、最近本丸じゃ動画を見るのが流行ってるんだ」
「え、動画あるの?」
「あるよ〜。どっかの本丸の燭台切光忠の料理動画とか、山姥切長義のだいえっと鬼畜応援あすまーとか、おつうのへあめいく動画とか」
「なにそれぜんぶ見たいんだけど」
「ちなみにボクのおすすめは、虎の子のまったりらいぶ配信ね」
「ライブ配信」
「あれならくしゃみも出ないから」
ネクタイを緩めながら後家兼光が言う。
確かに、五虎退の虎のライブ配信は視聴率すごそうだ。燭台切光忠の料理動画も気になる。多分コメ欄は料理そっちのけで「そんな事よりシェフがイケメンすぎる」って書いてあるんだろうな。姫鶴一文字のメイク動画も「まずモデルがイケメンすぎる」って書かれてそう。
でも、正直個人的に山姥切長義のダイエット鬼畜応援がいちばん気になる。
何言ってくれるんだろう。
分からないけど、でも敵に向かって「お前たちの死だ」って言うくらいだから、かなり火力の高い言葉言ってくれそう。「まだ痩せれてないのかな。豚の主?(ハート)」とか。勝手な想像だけど。
「(あとで山姥切長義にも聞けたら聞いてみよう)」
「そういえば、キミ」
「はい?」
「その、小脇に抱えてるものは何なんだい?」
「え?」
「ほら、それ」
後家兼光がわたしの腕あたりを指さす。
そこでわたしはようやく小脇に抱えていたメモ帳の存在を思い出し、「あっ」と声を上げて片手に取った。
「そうだ、忘れてた…誰に届けてもらおう」
「届ける?」
「これをね、わたしの会社のデスク…机の上に置いてきてもらいたいの。でも、みんな忙しそうだから誰に頼もうかなって」
「へぇ。…じゃあ、ボクがそれを届けてこよっか」
「え?」
「場所も分かるし。大刀と比べたら隠密もあるから。ちゃちゃっと行ってくるよ」
「いいんですか?」
「もちろん」
にこっと人当たりいい笑顔を浮かべた彼に、わたしは「じゃあ、お願いします」とメモ帳を渡す。
すると後家兼光は「承ったよ、主」とそれを手に取り、ジャケットをなびかせながら暗がりの向こうに消えていった。
「(よし。じゃあわたしもベンチにいよう)」
そう思い、壁から離れて踵を返した。
瞬間だった。
「! 避けろ、あんたッ!!」
ふと、誰かが叫んだ。
誰の声かは分からなかった。
それくらい、腹の底から出したような必死な声だったのだ。
「え?」
わたしは咄嗟に周りを見渡した。それがいけなかった。
立ち止まった足元から、黒い煤が湧き上がってきて一瞬で視界が黒く染まる。
風が下から巻き起こっているような感覚が、体中を包み込む。
「! なっ!?」
「主!」
バサバサと髪が乱れる音に混じって、微かに誰かの声が聞こえた。
わたしは逃げようと足を動かした。でも、足を動かしても体が動かない。足が地についていないのだ。
下から巻き起こる風で体が宙に浮いているのか、手を動かしても足を蹴り上げても、逃げる事ができない。
「クソッ、憑依型か」
「信ノン…!」
「だめ、大将の体が近すぎる…! 切ったら彼女まで傷付けちゃうよ!」
「なら主を引き抜くまでだ」
「っやめろ!! お前まで奪われるぞ! 山姥切長義!」
途切れ途切れに男士達の声が聞こえてくる。
わたしは薄目を開けてあたりを見渡した。でも、黒い煙の中にいるように何も見えない。誰がどこにいるのかも分からない。
「(何か、)」
何か、しなければ。
このままでは、足手まといヒロインならぬ足手まとい社会人となってしまう。
いやだ、社会人で足手まといは。まず字面がやばい。社会人で足手まといは。せめて給料分は働ける人間でありたい。
そう思い、必死に煤をはらっていると。
「使え!」
突然、これまで聞こえなかった声が聞こえてきた。
かと思えば、キラリと。ザワザワと真っ黒い視界の中で、何かが光る。
わたしはそれに手を伸ばす。
だが、これは意識して起こした行動ではない。
ただ、その光るものを見た瞬間、体が勝手にそう動いたのだ。
「え、え?」
困惑したまま、光る何かを掴む。
──柄だ。取った瞬間、わたしにはそれが何なのか一瞬で分かった。
思わず息を飲む。だが、怯む心とは裏腹に体は勝手にそれを振りかぶって、煤を切り払った。
ザンッ。
何かを切る感触がして、視界が晴れた。
目の前には、雲生と雲次に肩を押さえられる山姥切長義と、刀を抜いて集まる刀剣男士達がいる。
みなポカンと目を丸くしている。
わたしも彼らと同じ、呆然と目を丸くしながら、恐る恐る手に掴むものを見下ろした。
「だ、」
大刀だ。
一般に太刀と呼ばれる、大振りな刀。
その刀が、金色の光を放ちながら呆然とするわたしの顔を反射していたのである。
「え…? …えッ?! これど…だ、だれの刀、」
言い終わるより前にバッと肩を引き寄せられた。
すると、また足元から煤が巻き上がる。
持っていた刀が大きな手に奪われ、ザンと目の前で煤を横に切り裂く。
「っ、」
大典太光世だった。
どうやら、わたしが掴んだ刀は大典太光世だったらしい。
そう──天下五剣と名高い、名刀の中の名刀である。
それを理解した瞬間、サッと自分でも分かるくらい顔から血の気が引いていった。
だって、国宝だ。大典太光世は。
その国宝を素手で掴んだあげく、こんな…こんな、まっ〇ろく〇すけみたいな、黒い汚れが付きそうなものを切ってしまうだなんて。
「ご、ごごごめんなさい!! わ、わたし国宝を、」
思わずバババッと刀と大典太光世を交互に見ながら謝罪すれば、その眼差しが一瞬だけわたしに向けられる。
けれど、すぐにまた横に移る。ザシュッと金色に輝く刀が煤を斬り裂く。
「構わん。好きに使え。俺はあんたの刀だ」
「いや使えるか」
思わず素で返してしまった。
そりゃそうだよ。だって国が後世に残すべき宝と指定したものだぞ。例えそれが分霊でも大典太光世であることに変わりは無い。
だから真っ青な顔でブンブン首を振っていると。
「危ない!」
信濃くんの叫び声が聞こえてきた。
同時に、大典太光世がわたしを片腕で抱えあげる。「グエッ」唐突な俵担ぎに、わたしの口から潰れたカエルのような声が吐き出される。
そうして彼がその場から飛び退いたかと思えば、つい先程までわたし達がいた場所からブワッとものすごい勢いで煤が湧き上がってきた。
それだけではない。さらに、暗がりからズズズッと刀を持った煤が不気味に揺れて現れる。
一体、二体、三体。
次から次へと現れた影は、あっという間にここにいる刀剣男士の数よりも多くなる。
「山姥切長義!」
すると、高い位置に飛び乗った大典太光世が下に向かってそう叫んだ。
わたしは何が起こったのか理解が追い付かず、目を白黒させながら顔を上げる。と、暗闇からホラー映画ばりにズズズッと煤が生まれてくるのが見えて、「ひぃっ!?」と引き攣った悲鳴をあげる。
「お、大典太光世さん、後ろ、後ろっ!」
「主を連れて逃げろ。ここは俺が引き受ける」
「ああ、分かった」
「いやそれ」
死亡フラグ、と言いかけたところで、大典太光世がわたしの体を赤子のように軽々と持ち上げた。
その一瞬。
こちらを見あげる大典太光世と目が合う。同時に、すぐ後ろまで迫っている煤の姿も目に入る。
「、」
危ない、と言いかけた口は開けなかった。
わたしが言うより先に、大典太光世が腕に思いっきり力を込めてわたしの体を空に放ったからである。
……正直、この時の記憶はほとんどない。
覚えているのは、そう。背後に迫った煤を金色に輝く刀でなぎ払う大典太光世の姿と。
「きゃああぁぁ」
人生で初めて、「キャー」と字に表せるような悲鳴をあげた事ぐらいである。
…いや、もしかしたら「ひぃやあぁぁぁ」だったかもしれない。しかしこの際どうでもいい。
とにかく、背中から空に放りだされたわたしは一秒にも満たない落下をした後、下に待機していた大千鳥十文字槍に抱き止められた。
かと思えば、すぐに俵担ぎにされてどこかに走り出す。しばらくはグルグルと目を回していたわたしだが、ハッと途中で我に返ると、すぐそばを護衛するように走っていた山姥切長義の顔を見た。
「や、山姥切長義さん、大典太光世さんが、」
「心配ない。君の育てた刀だ。それに残るもの達もいる」
死亡フラグが懸念で言いかければ、まるでわたしの心を読んだかのように煤を斬りながら山姥切長義が言った。
後ろを見れば、確かに何振りか煤がこちらに来ないよう足止めをしている刀がいるのが目に入る。
こちらに着いてきているのは、鵜飼派の二振りと泛塵くん、わたしを抱える大千鳥十文字槍。そして山姥切長義の五振りだ。
「それにしても、数が増えてきてる。向こうもいよいよ本気とみたね」
ザシュッと、横から奇襲をかけてきた煤を斬った雲次がそう言った。
「そうですね。今一度、どこかの班と合流すべきでしょう」インカムに手を当てた雲生が周りを警戒しながら続ける。
「メーデー、応答せよ。こちら白羽班、雲生。主と共に襲撃にあっています。至急応援求めます。繰り返す。応答せよ」
『…こ…!…ら………は…?…にて…』
「すみません、聞こえづらいのでゆっくりと話してください」
『あ……?…いる……と…』
「……雲生の特別なインカムでもだめみたいだね」
「これだけ煤がいると霊波も乱れる。もう少し離れて通信した方がいい」
言いながら、先頭を走る泛塵くんの足はまっすぐビルの端に向かっていた。
わたしは体を捻ってその光景を見ながら、冷や汗を流す。嫌な予感がして「あの…」と山姥切長義に声をかける。
「ん?」
「お…降りるんですか?」
「降りる。舌を噛まないよう口を閉じておけ」
答えたのは大千鳥十文字槍だった。
同時に、その足が地面を蹴る。落下防止の柵を軽々飛び越え、体が宙に浮く。
ビュオッと強いビル風が頬を叩く。
その間、わたしは言われた通り、口を固く閉じて彼の体にしがみつくことしかできなかった。
◇
ひとつ、分かったことがある。
それは、刀剣男士たちはわたしを…というか、人間を過信しすぎているという事だ。
多分、前の主が歴史に名を残すほどバイタリティに溢れていたからだろう。
もちろん、その時代で時の人と呼ばれた彼らと比べれば、今の主であるわたしは有り触れた存在であるという事は理解はしているのだろうけど。
でも、だとしてもだ。
「俵担ぎでいきなり両手離されて『掴まってろ』はね、むちゃだと思うの…」
だって、目の前背中しか見えないんだぞ。
しかもこんな、繁忙期のクタクタな体でさ。
フィジカルも小指の爪くらいしかないのに。
なのに突然、空中で両手離されて「掴まってろ!」なんて言われたらさ、「え?!」ってなるよ。そりゃ。
「うははは。それは災難だったなあ、お嬢さん」
額に手の甲を当てて寝転ぶわたしに、軽やかな語調の声が落ちてくる。
一文字則宗の声だ。彼はパタパタと扇子でわたしを仰ぎながら、ベルサ〇ユのば〇に出てきそうな美貌でわたしを見下ろしていた。
「なあ、本当に怪我はないのか? 顔真っ青だけど…」
そう言って心配そうにわたしを見下ろすのは鵺を頭上に乗せた獅子王だ。高い位置でくくったサイドテールがビル風で揺れている。
それをボーッと見ながら、わたしは遠い目で頷いた。
「だいじょうぶ……一回落ちかけたけど」
「いや大丈夫じゃないだろ、それ」
「でも、大千鳥さんが抱えなおしてくれたから…」
ただ、一回ちょっと体が浮いて地面と目が合うような状況になったので、その恐怖で血の気が引き、軽い貧血でこうして倒れ込んでしまったのが今の状況である。
因みに、ここに連れてきてくれた五振りは煤と戦ってくれている。
あちこちのビルからこの屋上を目指して飛んでくる煤を、門番のように斬り捨ててくれている。
他にも、偶然ここにいた黄明班と藤花班の数珠丸恒次、水心子正秀、源清麿、鬼丸国綱、面影も戦ってくれている。
そんな中、わたしはというと。
「にしても軽いなぁお前さん。キチンと飯は食べているか?」
地べたに正座した一文字則宗に、膝枕をしてもらっていた。
……いや、分かる。
「なんで?」って、みんな思っただろう。
こんな、四コマ漫画で1コマ目と四コマ目で突然世界観変わったみたいに状況が変わってて。
だが、これに関してはわたしもなんでこうなってるのかよく分かっていない。
ただ、この屋上についた時に貧血でフラついたら、たまたま近くにいた一文字則宗が「おぉっと。どうしたんだい、お前さん」と肩を支えて、そのまま膝枕で寝かせてくれたのである。
しかも、パタパタと扇子で顔を仰ぐオプション付きで。獅子王くんの心配そうなご尊顔を下から眺めるという絶景まで添えて。
………やばくない?
や、わたしはやばいって自覚あるよこれ。
どこの女王様だよって思ってる。
なんか…なんだろ。
わたし前世で勇者か聖女だったりしたのかな。
世界救うくらいの徳を積んだのかも。
それか、来世でゴキ〇リになって世界中の人に忌み嫌われて命を狙われるようになるか。
じゃないと割に合わないもの。この状況。
「あの」
「ん? どうした」
「すみません、ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫ですのでお構いなく」
とりあえず、こんな高貴なひとを地べたに座らせるのがまず申し訳ないので、わたしはお礼を言って体を起こそうとした。
だが、その瞬間。
「まあまあ、そう固いことを言いなさんな」
ぽすっと、肩を引かれたかと思えば、後頭部がまた筋肉ムキムキの膝の上にもどされた。
その一瞬、頭がぐわんと揺れて視界がビリビリとゆがむ。
「う、…」
「そら、まだ顔色が悪い。煤は若い衆に任せて、お前さんはここで寝ていろ」
「じゃあその辺に転がしておいてください。もうちょっと休んだら治りますから」
膝を占領することが申し訳なくてテキトーな場所を指さして言えば、彼は扇子で口元を隠しながら有無を言わせぬ声で言った。
「断る」
そしてパチンと、音をたてて扇子を閉じたかと思えば、うっそりと口角を上げて妖艶に笑った。
「僕のかわゆいかわゆい主を、冷たい床に寝かせるわけにはいかないからな」
◇
「ふぅ…終わったか」
キンと刀を鞘に収めながら、水心子正秀は辺りを見渡した。
すると、同じように刀を鞘に収める源清麿の姿が目に入る。ふぅと、水心子と同じように張り詰めていた息を吐き出している。
その様子をしばらく見ていると、見られていることに気付いたのか、その桃色の瞳がゆっくりと水心子の方に向けられた。
「やあ、水心子。お疲れ様」
「ああ。そっちはどうだった?」
「一振落ちたよ。…現代ではどろっぷしたって言うんだっけ?」
カチャッと、ビルの縁に落ちた刀を拾い上げながら源清麿が言う。水心子はチラッとその刀を見、のぞいた口元を隠すように襟を上げながら目を伏せた。
「私の方は落ちなかった。…ここに来て、刀を持たない虚な存在が増えてきているな」
「うん…夜明けが近いから、彼らも本気なんだろうね」
「厄介だな。…まあ、我々の敵では無いが」
フンと鼻を鳴らした水心子正秀に、源清麿は小さく笑った。「そうだね」と。言いながら、手に持った刀を見下ろす。
「とりあえず、これは山姥切長義に渡しに行こう」
そう言って後ろを振り返る。と、そこには同じように刀を抱えた面影がいた。
「あれ、君も拾ったの?」源清麿がキョトンと目を丸くすると、黄色と赤の虹彩の瞳を瞬かせた面影が「はい」と。自身の抱える刀を両手にそれぞれ持った。
「大刀と小刀、二振り落ちました」
「わぁ、運がいいね」
「大漁です」
「大漁ではないだろう…二振りなのだから」
「でも二振りはすごいよ。確か山姥切長義があと八振りだって言ってたから」
「ということは、残り五振りか」
「僕達しかどろっぷしてなかったらね」
三振りは並んで歩き始めた。
さほど広くない屋上だ。暗くとも、打刀の二振りは山姥切長義の姿をすぐに見つける事ができる。
「──それで? 貴方がたは主を地に落としかけた挙句、貧血を起こすほどの恐怖を与えたというのですか」
だが、長義の傑作よりももっと存在感を放つ存在が、そこにはあった。
「──人間は恐怖と不安でも心に鬼をつくる。そうして生まれた鬼は、神経を貪り、心を喰らって成長する。その意味が分かっているのか」
しかも二つあった。
水心子正秀と源清麿は思わず足を止める。
ならって、面影も足を止めた。不思議そうに立ち止まった二振りを見やる。どちらも冷や汗を流して目を見開いている。
その光景に、面影は「? 」と首を傾げた。
彼はこの本丸の中では新参の方だ。
だから、本丸の刀剣男士達のなんとなくある序列のようなものなんて知らない。
だから、本丸の天下五剣の中で誰が一番迫力があって恐いかなんて、知らないのだ。
「…大変申し訳ございませんでした」
山姥切長義は正座をしていた。
あの山姥切長義が、だ。
美しく、自信に満ち溢れた刀が、雨風で汚れたビルの屋上に脚をつき、頭を下げて座していたのである。
その横には、同じく正座する大千鳥十文字槍と泛塵がいる。どちらも血の気の引いた顔で、膝に固く握った拳を押し付けている。
そして、その横には面影と同じく新参の雲生と雲次が、「? ??」と何が起こってるのか分からない様子で、風神雷神の如く目の前に立つ数珠丸恒次と鬼丸国綱を見つめていた。
「よいですか、みな。今代の我らの主は女性です。以前の主達とは体も心も違う。まったく別の生き物なのです」
「はい、存じております。数珠丸恒次」
「知っています。数珠丸恒次」
「愚か者が。──どの口がそれをきく」
「塵屑です。すみませんでした」
「愚鳥です。二度とこの口は開きません」
泛塵と大千鳥十文字槍が即答で頭を下げた。
ジャラッと、数珠丸恒次の持つ数珠が音をたてる。
その音に、泛塵と大千鳥十文字槍の肩がビクッと跳ねる。まるで銃のリロード音でも聞いたかのような反応だった。
「お前たちもだ。山姥切長義、雲生、雲次。空に詳しく、修行に出たお前たちがそばに居て、何故主が恐怖を覚えることがある」
「はい、鬼丸国綱。此度の件、俺の修行不足です」
「え、えぇ?」
「しかし、あなたは極の姿になっています。修行不足ということはないのでは…」
雲生と雲次は困惑した。
だが、山姥切長義は深く頭を下げ微動だにしない。
目の前に立つ鬼丸国綱は、その角を魔王のように巨大にしてこちらを見下ろしている。
その姿を見たら、さすがに二振りの頬にも冷や汗が流れはじめた。
もしかして──自分たちは今、とてつもなく恐ろしい存在を目の前にしているのではないか、と。
「いいか。彼女は確かに俺たちの主だ。──だが、同時に刀を握る必要のない時代に生まれたか弱き娘であることを忘れるな」
「「「はい」」」
「は、はい」
「はい…」
「時勢を知りなさい。仏道を習いなさい。人を救うのは優しさが厳しさか。…よいですか、現代の流行りは王子様です。見目が良いだけの男はざまぁされて終わりです。誠実でありなさい。真摯で紳士にありなさい」
「「「はい!」」」
「? …??」
「? え分かんない。仏道の王子様になれってこと…?」
声を揃えて運動部の返事をする山姥切長義と大千鳥十文字槍、泛塵の横で、雲生と雲次は一生頭上にハテナを浮かべて困惑していた。
「…ウン、後にしよっか」
それを見て、源清麿はキラキラと音がたちそうなほど綺麗な笑顔で水心子正秀と面影を見やった。
「そうしよう」
水心子正秀はコクコク頷く。
面影も、雲類達と同じく困惑顔をしていたが、その場に流れる異様な空気は感じ取れたため、「そうしましょう」と、源清麿の言葉に最適解を返すことができたのだった。
「じゃあ、彼女の様子を見に行こうか。じゃんけんも負けちゃったし」
「う、うん! ハッ…あ、いや…そうだな。そうしよう」
「私も行きます。審神者のお姿を見たいです」
ここに審神者が連れてこられた時は、背後にたくさんの煤を連れていたので、彼女を見るより先に煤の対処に回る他なかった。
だから三振りとも、審神者の姿は一瞬しか見ていない。顔は俯いていたから分からなかったし、声も発していないので聞いていない。
「どんな人だろうね。僕たちの主は」
本丸の男士たちは、今日まで誰一人として審神者の声も見た目も知らなかった。
男性か女性かを知ったのだってここ最近だ。この出陣が決まった時に、こんのすけから教えられた。
だから知っているのは、だいたいの人が第二に印象づける内面だけ。
「きっと思慮深く、優しい様相をしているのでしょうね」
腰のベルトに括り付けたお守りを見下ろしながら、面影がそう言った。
水心子正秀と源清麿も、各々武具に括り付けたお守りを見下ろす。暗がりでも金色に輝くそれに、思わずふっと息を吐き出す。
「…ンン。まあ、心配症なのは間違いないだろう」
「そうだね」
クスッと源清麿が笑みを零すと同時に、「ん?」と暗がりから声が聞こえてきた。
審神者のそばで護衛をしていた獅子王の声だ。
次いで「誰だ?」と険しい声音が聞こえてきたので、「私だ。源清麿と面影もいる」と水心子正秀が答える。
「ああ、お疲れさん。もう煤は来なくなったのか?」
「うん。うぇーぶが終わったって、山姥切長義が言っていたよ」
「そっか。よかったな主、もう大丈夫みたいだぜ」
幼子を宥めるような優しい声が聞こえてくる。
三振りはその声の方に近づいた。すると、胡座をかいて座る獅子王の背中がまず目に入り、奥に片足をたててそこに頬杖をつく一文字則宗の姿が目に入る。そんな二人の間には、獅子王の鵺が伸びて横たわっている。
その光景に、三振りはあれ? と首を傾げた。
「ねぇ、主は? 君たちが介抱していたんじゃないの」
キョロキョロ辺りを見渡しながら源清麿が問いかける。「いるぜ、ここに」そんな彼に、獅子王は首だけ振り返ってニカッと言った。
「ここって?」
「ここだ」
一文字則宗が目線だけ動かして続ける。
三振りはキョトンと目を丸くしながら、そのハンサムの視線の先をたどった。
ら。
伸びる鵺の下。
そこに、脱力した人影があることに気が付いた。
「う、っわあっ!?」
鵺にいちばん近かった水心子正秀が、甲高い悲鳴をあげて飛び退く。
その音に、鵺が一瞬だけ目を開ける。しかし下から伸びてきた手に頭辺りを撫でられ、また静かに目を閉じた。
「え、え? な、なんで主が鵺の下に…?」
「さぁ…なんか、暗闇に包まれたいんだって」
「暗闇に…?」
三振りは同時に鵺の下の審神者を見下ろした。
すると、鵺の下から伸びた両手がズルっと鵺を体の下にズラす。
彼らが見たくて見たくて堪らなかった審神者の姿が、月光の下に現れる。
「ええっと、主?」
源清麿が困惑した声で言った。
現れた審神者の顔が、遠くを見る犬のような表情をしていたからである。
そんな顔で、審神者が言う。
「初めまして」
柔らかい、耳触りのいい声だった。
…だが、表情は相変わらず遠くを見つめる犬である。
「あ、うん。…初めまして、っていうのも少し違う気がするけど」
「主、鵺が主の体温で暑いって。こっちに返してくれないか?」
獅子王が手を伸ばす。と、審神者に抱き抱えられていま鵺がするりとそこから抜け出し、獅子王の肩の上に戻っていった。
「あぁ…もふもふが…」
「どれ。寒いなら僕が抱えてやろうか」
「やめて。わたしはわたしでありたいの」
にっこりと手を伸ばした一文字則宗にそう言って、審神者は体を起こした。
構いたい爺と、構われくない孫の図である。
そうして立ち上がった審神者は、グレーのワイドパンツをパタパタとはたき、それから三振りの方に体を向ける。
パチっとその目を瞬く。
「わぁ─…」
かと思えば、よく分からない感情の声がそう言った。
「わ、わあ…?」
水心子正秀が困り顔で首を傾げる。
大きな緑の瞳がパチパチっと瞬く。
それを見た審神者はポッと頬を染め、思わずというように呟く。
「かわい…」
「………は?」
「ンン。いえ、なんでも。お初にお目にかかります」
デレデレ顔をニコッと、よそ行きの笑顔で隠した審神者が言う。「──水心子正秀さん」
それは、彼が聞きたくて聞きたくて堪らなかった審神者の声だった。
「っ、」
瞬間、水心子正秀はブワッと頬を染めて「うっ!」というように胸元を押さえた。
初めて聞いた審神者の自分の名を呼ぶ音に、胸を射抜かれたのである。
そうして無傷の軽傷となった水心子正秀は、はらはら桜をちらせながら審神者に背を向ける。
その行動に、審神者は「(なんか感極まったオタクのわたしに似てるな…)」と、親近感を感じていた。
「よかったね、水心子」
「う、…」
「ねえ主、水心子は本当に君に会いたがっていたんだよ」
「そうなんですか?」
「うん、そう。具体的に言うとじゃんけんで一番に負けて膝から崩れ落ちるくらいには君の姿を見たがってた」
「崩れ落ちてなどいない!! た、ただ脱力しただけだ!」
「それを崩れ落ちたというのではないでしょうか」
サラッと無表情でツッコミを入れた面影に、審神者は苦笑いを浮かべた。
「ところで主」
「はい」
「私の面影は名前でしょう」
「…はい?」
「失礼、間違えました。誰の面影でしょう?」
「? ……えと……刀の面影さん…?」
よく分からなかったが、とりあえず答えてみる。
瞬間、無表情の面影からふわっと桜が舞いでてきて、パチパチと拍手の音が鳴り響いた。
「わっ」
「アタリです。……まあ、ハズレもありませんが」
「…え、これはもしかしてアタリの紙吹雪ってこと?」
「いいえ。これは主に呼ばれて嬉しい私の桜吹雪です」
「オゥ」
「この聞き方も鉄板ネタにしますね」
微笑んだ面影が帽子のつばを下げる。
審神者はしばらく向かいの水心子正秀と同じように俯いて胸元を押さえていたが、「主」と。
穏やかな声に呼ばれて、ハッと顔を上げた。
すると、圧倒的な存在感を放って立つ数珠丸恒次と鬼丸国綱の姿が目に入る。
「あ、はい」
「初めまして。私は数珠丸恒次と申します」
「鬼丸国綱だ。不調のところ悪いが、あんたに話のあるやつらがいる」
「…話?」
キョトンと首を傾げる審神者の前に、鬼丸国綱と数珠丸恒次が道を開ける。
と、後ろにいた刀剣男士達が重たい足取りで前に出てきた。顔には、親にしこたま叱られた子供のような表情が浮かんでいる。
そんな顔で、彼らは審神者の前に立つ。
「主」
「は、はい」
「すまなかった。俺が至らないせいで、君を危険な目にあわせて」
言ったのは山姥切長義だ。
彼は心底申し訳なさそうに、その柳眉を下げて目線を下げている。頭も下げている。
「そんな、ずっと助けてもらってるのはわたしです。ご迷惑をかけているのもわたしですからっ」
「審神者」
続けて、この世のすべてを儚むような表情をした泛塵が口を開く。
「すまなかった。この屑よりも役たたずな塵のせいで危険な目にあわせて」
「どどどどしたの。なんでそんな自尊心死んじゃってるの」
「悪かった。恐ろしい目にあわせて。今後は俺のことは場所を取るデカブツ。もしくは屋台のやっすい焼き鳥だと思ってくれ」
「だからどうしちゃったの自尊心」
審神者は困惑した。
さらに、青い顔をした雲生と雲次が続ける。
「主。この度は快適な空の旅を提供する事ができず申し訳ございませんでした」
「いや全然大丈夫だよ。…別に航空会社を利用してたつもりもないし」
「主…僕、仏道の王子様になるよ。君のためにも」
「なん、……なんて?」
審神者は大量のハテナを浮かべた。
しかし、男士達は皆真面目な顔をしているので、「何を仰っているの?」なんて聞き返せそうにない。
…というか、仏道の王子様はまずくない?
ここ数珠丸恒次もいるけど。
審神者は恐る恐る数珠丸恒次を見やる。
しかし、彼女は知らない。
実は本丸で一番俗世に染まっているのは、ここにいる数珠丸恒次であるということを。
「その…、さっきも言いましたけどご迷惑をかけているのはわたしですから。足手まといになって申し訳ないなとも思いますし」
「いいえ、主。足手まといとはやる気のないものを指す言葉です。こちらに協力し、共に逃げてくれる貴方を危険な目にあわせたのは、ここにいる者達の落ち度」
「そうだ。望むならおれ達の方で処罰をあたえる」
「どれ、ケジメを付けさせるなら僕がしよう。指詰め爪剥ぎ鯖折り。なんでもいいぞ」
「いい。いらない。いらない」
ベル〇らのハンサムから一変して極道の隠居になった一文字則宗に、審神者はブンブン必死に首を振った。
「本当にお世話になってるから」と。「追ってくる煤を倒してくれてたから」と。それでようやく、数珠丸恒次、鬼丸国綱、一文字則宗の三神は刀の柄に伸ばしていた手を引っ込めてくれたのである。
「分かりました。貴方がそう言うのならば」
「まあ、姫鶴一文字のような刀が増えても困る。夜明けまでは刀不足が続くからな」
「なに、動かそうと思えばアレも動く。ただ左腕は不自由だろうがな」
「(なにされたんだろう…姫鶴一文字)」
そういえば、ムショという名のまとめ役のところに連れていかれてたっけ。
遠い目で審神者が思い出していると、「ねえ」と。
源清麿が声をかけてくる。
「はい?」と彼女が彼の方を見れば、彼はニコッと微笑んで腕をあげた。
「これ、君のだよね?」
「え? あ、」
差し出された物を見れば、それは審神者のカバンだった。
つい先程まで、審神者が自身の頭の下に枕替わりに敷いていたカバンだ。
「ありがとう、源清麿さん。拾ってくれたんだね」
審神者はお礼を言ってカバンを受け取った。
すると、源清麿はきょとんと目を丸くする。かと思えば、目尻を赤くしてふいっと斜め下を向いた。「…あまり汚れた場所に置いておくのはよくないと思って」と、淡々とした声が言う。しかし、体からはひらひらと桜の花びらが舞い落ちている。
…かわいい。
「うん、これ仕事で使ってるやつだから。ありがとう」
言って、審神者は潰れたカバンを膨らませるためにファスナーを開けた。
ら。何故か中は空っぽだった。
「え?」と彼女は目を丸くする。だって、中に何かある感触はしているのに、何も入っていなかったから。訝しんで、右手を中に入れた。
そして、気付いた。
──違う、入ってないんじゃない。
黒いナニカが入っているんだ、と。
「っ、」
審神者は手を引こうとした。
だが、それより先にグイッと何かが審神者の手を引く。体から前のめりになる。
「うわっ」
「! 主!」
いち早く彼女の異変に気付いた源清麿が手を伸ばす。
だが、その腕をザクッと。下から湧いて出た黒い煤が刀で斬り裂いた。
「っ、」
「! 清麿!」
水心子正秀が叫ぶ。だが、源清麿は構わずカバンに手を伸ばした。
しかし、そこかしこから煤が湧き出てきて、行く手を阻まれる。その間に審神者の体がカバンの中に吸い込まれてしまう。
「!? 煤か、」
「クソッ」
「主!」
誰かの伸ばした手が、消えゆく審神者の服を掴む。
その瞬間、ふたりの姿は嘘のようにカバンの中に消えていった。
◇
「い"だっ」
どてっと。
臀をしこたま地面にぶつけたわたしは、濁点だらけの声をあげた。
いてて…と腰の辺りをさすりながら、辺りを見渡してみる。だが、どこもかしこも黒く塗りつぶされたように真っ暗で何も分からない。
…ここ、カバンの中なのかな。
分からないけどでも、確かわたしはカバンの中に吸い込まれたはずだ。最後に見た光景がそんな感じだったから、間違いない、はず。
「(でも、入り口みたいな所がどこにもない)」
ここがカバンの中なら上にファスナーがあるはずだが、それらしきものは見当たらなかった。
それどころか、中に入っていたはずの仕事道具やスマホなども見当たらない。
…じゃあなんだろう。
四次〇ポケ〇トみたいな空間だったりするのかな。
それだったら、某青いロボットみたいに外から誰かに取り出してもらえる気もするけど。
何にせよ、このままというわけにはいかないので、とりあえず手探りで暗闇を進んでみる。
だが、何も触れるものがない。
歩ける地面のようなものはあるのだが、それ以外は本当に黒い光景しかなく、物も何も無かった。
「(これは…怖いな。すごく)」
前に本や漫画で見た事があるが、人間は何も無い無音の空間に閉じ込められると、殆どの人が一時間で発狂してしまうらしい。
使えるものもなければ、音もない。そんな部屋から出られない。その絶望と恐怖が、たった一時間で人間の心を蝕んでしまうのだ。
…多分、わたしのこの状況もそれに近いものなのだろう。
ただ、わたしの場合は刀剣男士達がどうにかしてくれるという希望があるし、煤はわたしを殺すつもりが無いと山姥切長義から聞いているから、まだ出口を探し求めるだけの正気は保てている。
脳裏にひみつ〇具を取り出すド〇えもんを思い浮かべる余裕がある。
「(とりあえず、このドラえ〇んが消える前に何か見つけないと)」
そう思いながら辺りをうろついていると、少し先にポツンと何が落ちている事に気が付いた。
なんだろう? と駆け寄ってみれば、それは鞘におさまった刀である事に気がつく。これは…
「どなただろう」
しゃがんで見下ろして見たが、刀剣に詳しくないわたしではそれが太刀なのか打刀なのかすら分からなかった。
多分、刀剣男士の誰かであることは間違いないんだけど…。
何か手がかりはないか、じっくり観察してみる。
パッと見はシンプルな刀だ。鞘は黒く、目立った装飾はない。柄は頭が金色で、鞘に青い布が巻かれている。
……ん? 青い布?
「もしかして、山姥切長義さん?」
わたしは刀に向かって聞いた。
多分、すごく異質な光景だった。
当然、刀は返答しない。
…いやでも、この布は間違いない気がする。布というか、紐というかだけど。
「(…この山姥切長義、刀だけなのかな)」
それとも、顕現が解けてるみたいな感じなのだろうか。
分からないが、見つけたからには放っておくわけにはいかない。わたしは「あの、持ちますね」と刀に言って持ち上げた。
ずっしりと、鋼の重みが腕に伝わってくる。
「うっ、山姥切長義けっこう重いな…」
誰もいないことをいい事に、そんな事を呟いた。
直後だった。
突然、わたしの体が勝手に動いた。
左手が鞘を持ち、右手が山姥切長義の刀を抜いたのだ。
「え、?」
それは、ものすごい速さの抜刀だった。
もちろんわたしの意思は関係ない。
体が勝手に、まるで思考と別物になってしまったかのように、そう動いたのである。
…この感覚は覚えがある。大典太光世の時と一緒だ。ということは、わたしが見えないだけで山姥切長義が近くにいるのだろうか。
「も、ももももしかして山姥切長義さんそこにいます? あの、重いって別に悪口とかじゃなっ、」
言い終えるより先に、わたしの体が後ろを振り返る。鞘を背後に投げ捨て、正面に刀を構える。
「ちょ、鞘投げちゃダメ傷ついちゃ───」
言いかけて、はたと気づいた。
目の前に、刀を構えた“ナニカ”がいることに。
『ぁ…あア…』
…いや、違う。ナニカじゃない。煤だ。
黒闇に同化した姿の見えない煤が、五体。
鶴翼陣の形で立っていたのである。
「、」
わたしは思わず息を飲んだ。つっと頬を汗がつたっていく。
だが、逃げ腰の心とは裏腹に、わたしの体は立ち絵でありそうなくらい勇ましく刀を構えていた。
背中の傷は剣士の恥くらい後ろを向こうとしない。
やばい。山姥切長義が殺る気満々すぎる。
「ああああの、山姥切長義さん」
わたしは尋常ではない汗を流しながら刀に話しかけた。
だが、それと同時に煤が動く。
『ぁ、ル…ぃ』呻くような音を発しながら刀を振りかぶる。
すると、わたしが悲鳴をあげるより先に、体が歴戦の猛者みたいに頭を下げてそれを避けた。
「のえっ!?」
すごい。
わたしこんな、緊急回避みたいな動きできたんだ!
体を操られ、もはや思考する事しかできなくなったわたしは馬鹿みたいにそんな事を考えた。
『ジ、』
すると、空振りをした煤に山姥切長義が刀を振りかぶった。ヒュッ、と一瞬だけ風を着る音が鳴る。
そして、それが煤を切る寸前。
『あ、るじ』
煤が、そう言った。
確かに、そう言ったのだ。
そして───その『声』に、わたしは覚えがあった。
「…山姥切国広?」
呆然の名前を呼ぶ。
瞬間、ピタッと不自然に刀の動きが止まった。
わたしはその刀のある場所を見つめる。
だが、黒と同化したその煤の姿はまったく分からない。
『あ、アぁ…』
でも、そこから聞こえてくる声は、間違いなく山姥切国広の声だった。
「山姥切、国広」
『あ、るじ』
刀の切っ先がこちらに向けられる。
わたしは咄嗟にそれに手を伸ばす。
だがその瞬間、わたしに向けられていた切っ先が突如向きを変え。
ズブっと。己の体を、一突きに貫いた。
「!」
わたしは目を見開いて固まった。
ガシャン。刀の落ちる音が響く。
すると、続くように残りの煤達も切っ先を己の体の方に向けた。
だが、刺さる寸前で刀の柄を握る黒い手が抵抗するように震える。
まるで、刀と煤に別の意思があるように。
『あ、るじ』
その刀から、また声が聞こえた。
覚えのある声だった。わたしはバクバクと鳴る自分の心臓の音を聞きながらその名を呼ぶ。
「歌仙兼定…?」
瞬間、刀のひとつが煤を一線で斬り裂いた。
さらに声が続く。
『あ…るじ』『ある、じ』
わたしは呼んだ。
「陸奥守吉行…」「蜂須賀、虎徹…」
すると、刀は呼応するように煤を斬り捨てる。
ここまで来たら、残りの刀がだれなのか。
声が聞こえずとも、わたしには分かった。
『主、』
滑らかな声が言う。
わたしは応える。
「加州清光」
途端、煤の喉元であろう場所に刀が突き立てられた。
ガシャン。
最後の刀がそこに落ちる。
「…………」
わたしは、しばらく呆然とその場に立ちつくしていた。
脱力した腕に、山姥切長義の重みが伝わってくる。
それを意識した事で、わたしはようやく自分の体の自由がきくようになっていることに気がついたのだった。
「、……」
そのまま、フラフラと落ちた刀に近づいた。
抜け身の刀身を拾い上げる。
幸い、折れた様子は無い。傷も付いていない。…でも、無事なのかも分からない。
だから、とにかく拾い集めた。
初期刀と呼ばれる、はじまりの五振りの刀を。
「…出口、探さないと」
誰に言うでもなくポツリと呟く。
すると、まるでその声が聞こえたかのようにパッと上から光が差し込んできて、ぐにゃっと視界が歪むような浮遊感に襲われた。
「うっ」
堪らず目を閉じれば、刀の重みで体が傾く。
まずいと、思ったが、その体は倒れることなく、誰かの手によって肩を支えられた。
「え、あ…」
見れば、そこには戸惑ったような顔をする山姥切長義が立っていた。
その後ろには、ズラッと。今日出会った刀剣男士達がバラバラに立っている。
全員がこちらを見つめている。
「どうして分かったんだ」
そんな異様な空気の中、山姥切長義が口を開いた。
脈略のない言葉だった。
けれどわたしはそれが何を指しているのかすぐに分かったので、苦笑いを浮かべて手に持った刀を見下ろす。
「声が聞こえたんです。『あるじ』って呼ぶ声が。…多分、山姥切長義の刀を持ってたから」
「、」
「でも、その前からもしかしてって思ってたの」
ずっと疑問だったのだ。
なぜ、あの煤達はわたしが死ぬ未来を変えようとしているのか。
だって、そうするという事は、少なくとも彼らにはわたしを助けようとしている意思があるという事だ。
時の人でもなければ、世情に影響もないのに。
なのに、どこにでもいる有り触れた人間であるわたしを救おうとしている。
その理由を考えた時。
そして、煤達がたまに発していた言葉の断片と、最初に落ちた刀を見た時。
なんとなくだが、この煤は───もしかして、ここにいない刀剣男士達なのではないかと。
そんな考えが、よぎったのだ。
「…そうか」
「……」
「ああ…そうだな。何と説明すればいいか」
額を押さえた山姥切長義が目線を逸らす。
眉根を寄せて目を伏せる。そうしてしばらく間を空けたのち、わたしの手からそっと刀を抜き取っていった。
「あ…」
「まず煤の正体だが…あれは刀剣男士ではない。最初に話した通り、どこにでもいる怪異だ。簡単に斬って捨てれるほどに脆い存在」
「え…そ、そうなの?」
恐る恐る問い返せば、山姥切長義は小さく頷いた。
わたしはしばらく呆然としていたが、張り詰めていた息を吐き出した。「よかった…」と、思わず声がこぼれ落ちる。
一応、煤は消えても刀が折れていないから、刀剣破壊のような事は起こっていないはずとは思っていたのだが。
それでも、絶対という確証もなかったので、山姥切長義の口から「違う」と聞けて、ようやくわたしは心の底から安堵することができたのだった。
「…ずいぶんと心配かけたみたいだね」
「あ、いや…その、わたしももっと詳しく聞けばよかったんです。でも、もし煤が堕ちた刀剣男士とかだったらどうしようとか、考えちゃって…」
「そうだね。──きっと、その方が幸せだった」
「…え?」
声がよく聞こえず山姥切長義の顔を見たら、彼はわたしの視線から逃げるように近くにあったベンチに向かった。
そこに持っていた抜き身の刀をそっと置く。自身の刀を鞘にしまう。
だが、こちらを一向に振り返ろうとはしない。
だから困惑しながら立ち尽くしていると、別の場所から声が聞こえてきた。三日月宗近の声だった。
「そうだなぁ…なんと言えばよいのか」
「?」
「これを言い表せる言葉は幾らでもある。──偶然、必然、運命。…だが、そのひとつにも我らは納得することができなかった」
「…?」
「…ねえ大将。ここにいる刀剣男士と、いない刀剣男士の違いはなんだと思う?」
「え?」
眉を下げ、困ったように口角を上げた信濃藤四郎が言う。
わたしは「えっと…」と、少し考えてから並び立つ刀剣男士たちを見渡した。華やかな彼らが並ぶ姿は圧巻だったが、しかし。違いと言われるほどの規則性はないように思える。
刀種もバラバラだし、刀派もごちゃごちゃだし。
強いて言うなら、本丸に来たばかりの刀が多く、特命調査の刀と天下五剣が揃っているなという印象だ。
それ以外は思い当たる節がない。
「あっ」
と、そこまで考えたところで、ひとつ気が付いた。
「もしかして…番長表のひと達がここにいる?」
鶴丸国永、獅子王、信濃藤四郎、大倶利伽羅、小烏丸、大包平の六振りは、確か番長表に設定している人達だ。
わたしは週替わりで番長表を変えているので、それだけはしっかり覚えている。
「そうだ」
すると、鶴丸国永が大倶利伽羅の肩に腕を乗せた。
迷惑そうに眉を寄せる大倶利伽羅の横で、儚げな美貌が憂えげに笑う。
「たったそれだけの違いなんだ。主」
「え?」
「神格の高い天下五剣。特命調査で政府から本丸に来た刀。最近本丸に顕現された刀。近侍、番長として君のそばに置かれていた刀。…本当に、少しの違いだ。俺たちがあの煤に刀を奪われていた可能性だってあった」
「、」
「俺たちはみな君を慕っている。審神者として。主として。…だからこそ、この結末は耐えられなかった」
鶴丸国永が僅かに俯いた。
長い前髪が彼の目元を隠す。僅かに見えた表情には、嘲笑するような笑みが浮かんでいる。
そうして黙った鶴丸国永の代わりに、短刀を握りしめた倶利伽羅江が口を開いた。
「…俺みたいに、本丸に来たばかりの刀剣男士は審神者との繋がりが薄い。だから管狐に今日の事を聞いた時も、それほど動揺はなかった」
「……」
「でも」
彼が続ける。「──俺以外の江の刀は違った。みんな固まって、青ざめて、震えて。…何度も何度も、本当なのか管狐に聞き返してた」
聞けばどうやら、煤は彼らのその「動揺」を狙って分霊である刀を奪ったらしい。
そうして付喪神の刀を奪って力をつけた煤は、その奪った刀と同じ刀派の刀を狙って奪っていったそうだ。
「江の刀も、篭手切江が奪われた事を切っ掛けにみんな奪われていった。残ったのは、謀反人の刀の俺だけ。……でも」
言いかけて、倶利伽羅江は眉根を寄せた。固く口を閉ざしながら静かに目線を下げる。
すると、彼の隣にいた孫六兼元が肩を竦めて苦笑いを浮かべた。
「ああ、分かるよ。俺達は、主人との繋がりが希薄だったからこうして煤から逃れることが出来た。…だがその結果縁が結ばれるとは、数奇と言うべきかなんというべきか…」
「……」
「分かるかい? お前さんという人間を知って、僕達は深く後悔しているんだ」
パチンと、一文字則宗が扇子を閉じる。
参ったというような草臥れた笑みが続ける。
「──それこそ、知らなければ良かったと思うほどにな」
「…、」
「──知らなければそれまでだった。我が主の存在を感じられるのは画面の指示だけ。色も温度もない、無機質なやり取りで終わってた。でも、私達は…貴方という人間を、知ってしまった。知りたいと思ってしまった」
「だから」ギュッと装束の胸元を握った水心子正秀が言う。
帽子の下からのぞく緑の瞳が、今にも泣き出しそうに細められる。「、…だから、」
「これから死にゆく君に、どんな顔を向けていいのか分からないんだ……!」
血を吐くような声で言って、彼は崩れ落ちた。
俯き、顔を押さえ歯を食いしばる水心子正秀の背中を、同じくしゃがんだ源清麿と大慶直胤がさする。だが、その二振りも眉根を寄せて口を固く閉ざしている。
…その表情からは、彼らの様々な苦悩を感じとることができた。
「…俺たちは刀剣男士だ。君に顕現され、身体を得て、物語を紡ぎはじめた、君だけの刀。──それなのに」
自嘲的な声とともに山姥切長義がこちらを振り返った。初の姿の時のような、眉を顰めた挑発的な顔をしている。
「、」
──いや、違う。
あれは、痛みをこらえる時に浮かべる表情だ。
そんな顔で、彼は言う。
「俺たちは死にゆく君に手も伸ばさず、それを見送ろうとしている」
「………」
「恨んでくれていい。行き着く先で、俺を呪ってくれ。…たった一人の君を守らなかった俺を」
低く、吐き捨てるような声で言って、彼は俯いた。
揺れた髪が目元にかかって、表情が見えなくなる。
でも、シワが寄るほどマントを握りしめた手がその感情を伝えてくれる。
──何も出来ない自分が憎くて堪らない、と。
他の男士たちも同じだった。
自分が感情を表す事が許せないというように、その顔に能面を張りつけ、わたしに罵倒されるのを待っている。
多分、それだけが彼らの救いなのだろう。
…でも。
「守ってくれましたよ。ちゃんと」
申し訳ないが、わたしは一ミリだって彼らを恨んでいない。
というか、一ミリも彼らを傷つける言葉を吐きたくない。
「、え」
「わたしがこうして今ここにいるのは、皆さんのおかげです。こうして怪我ひとつしてないのも、皆さんのおかげ。だから、恨む事なんて一つもないんです」
そもそも、死ぬことだって彼らのせいじゃない。
人間、生きていればいつか死ぬものだ。
わたしの場合、その死に方が事故だったというだけの話。
それは人が聞けば不幸な事なのかもしれないが、わたしは不幸とは思わない。
友達もいたし、職場環境も悪くはなかったし、祖母を看取ることもできた。
そして何より、刀剣乱舞というゲームに出会えたのだ。
彼らという存在がいたから、わたしは辛い仕事も乗り越えることができたし、生きる糧があった。
それこそ、今死んでも「ほなしゃあないか」で切り替えられるくらい。日々やり甲斐を感じて、生き抜いてきたのだ。
だから。
「ありがとう。ずっとずっと、わたしのことを守ってくれて」
どうか、何も気にしないでほしい。
その思いを込めて、笑みを浮かべたその時だった。
「、」と山姥切長義の息を飲む音が聞こえてきた。
かと思えば、くしゃっとその美貌が歪んで距離が縮まる。「え?」と驚く間もなく、背中と後頭部を押されて抱き寄せられる。
………え?
「?、??」
「………ぜ…」
「…え?」
「なぜ──俺たちの主が死ななければいけないんだ…!」
「、」
「俺の…たった一人の君が、どうして…っ」
震える声が耳元で吐き出される。
目元は肩口に当てられていて見えなかったが、横髪からのぞいた唇は血が滲みそうなほど噛み締められていた。
「…」
わたしはちょっとだけ悩んでから、そっと彼の背中を撫でた。「ごめんね」と言うのも違うし、他に言える言葉も無かったから。
だからポンポンと、宥めるようにその分厚い背中をたたいていると。
「あ」
と。誰かが小さく呟いた。
その声に目線を上げると、立ち並んでいた男士達が一点を見つめていることに気が付く。
見れば、遠くの空が白み始める光景が目に入る。
「…夜明けだ」
片目を細めた大典太光世が静かに言った。
すると、わたしの肩口に額を当てていた山姥切長義が顔を上げる。キラリと輝く宝石のような瞳がわたしを見下ろしてくる。
わぁ……。
「ド美人…」
「え?」
「ンン。いえ、なんでも」
「…すまない。恥をさらした」
「いえそんな…役得でした。はい」
「ははっ。…それを言うなら、俺の方こそ」
わりと本気でそう言えば、言葉遊びと捉えたのか山姥切長義は片眉を顰めて笑った。
やだ、素敵…。世辞だとしてもこんなくたびれた社会人とハグして役得とか言ってくれるなんて。さすが長船の刀。
そう感動していると、「ね、ねえ!」と。
ソワソワとこちらを見ていた信濃藤四郎が声を張り上げた。
切羽詰まった声だったので「ど、どうしたの?」と慌てて聞けば、彼はキリッと眉を釣り上げて言う。
「俺も……俺も大将の懐に入りたい!」
瞬間、しんみりしていた空気が一変した。
近くにいた男士達は目を丸くしている。キョトンと信濃藤四郎を見下ろしている。
だが、その彼はほんのり頬を染めてまっすぐわたしを見据えていた。
「…え?」
「だ、ダメ…?」
「いやそんなもちろん喜んで」
ショボンと彼の眉が下がって肩が下がった瞬間、わたしは本日三度目の居酒屋になった。
両手を広げてさあ来いと身構える。と、信濃藤四郎はパッと表情を喜色に染めて飛び込んでくる。
ポスッ。軽い音が鳴った。
ふわりと洗剤のような花のような淡い香りが鼻をかすめる。「えへへ…」と、心底幸せそうな声とともに、腰に少年の細腕が回される。
「大将、あったかぁい…」
「オ"ア」
「…ねぇ納得いかないんだけど。なんであの子らが許されておれだけ腕もってかれてんの?」
鎖骨あたりに頬擦りしてくる信濃くんにノックアウトされていると、不満気な声が聞こえてきた。
見れば、片腕を首から吊るした姫鶴一文字がムスッとこちらを指さして横を向いている。そこには肩を竦める道誉一文字と、口元を隠してうっそり笑う一文字則宗がいる。
ア…すごい。きっちりケジメつけさせられてる。
「そうですね…確かに。彼らだけ贔屓はいけません。どうします、三日月宗近」
「そうだな…」
ジャラッと数珠を鳴らした数珠丸恒次(──何故かその音を聞いた泛塵くんと大千鳥十文字槍がビクッと肩をはね上げていた)と、袖で口元を隠した雅な三日月宗近が目を細める。
そしてにこっと笑うと、名案みたいに躊躇なく言った。
「では、俺達もはぐをするか」
◇
以下、はぐダイジェスト。
三日月宗近…「さあ主、すきんしっぷといこうではないか」とあの美貌でハグ待ちポーズで迫られ死ぬかと思った。「むりむりむりむりその美貌はオタクの心臓耐えられんて!」と言ったが「はっはっは」の三言ではぐされた。死ぬかと思った。最低でも二回は死んだ。
数珠丸恒次…「このような作法は詳しくありませんが」からのハグが腕を引いて腰を抱き寄せるというレディコミ作法で驚いた。「なん、か…慣れてません?」と聞いたら「漫画や小説で読みました。さぶすくを四つ取っています」と言われた。
衝撃の事実だった。
鬼丸国綱…「やめておけ。俺は鬼斬りの刀だぞ」と言って顔を背けた彼に「その断り方は主に触れたくない言い訳のように聞こえますよ」とレディコミで女性の心の機微を知り尽くした数珠丸恒次が言ったら死ぬほど困った顔をしたあとにちょっと肩を抱き寄せられた。普通にときめいた。
大典太光世…「俺が触れていい存在ではない」と一回わたしを俵担ぎした事を忘れたのか尋常ではないほど首を振って後ずさる彼を見ていたら後ろから鶴丸国永がわたしにハグ待ちポーズを取らせた。しばらくその状態でいたら無視できなかったのか控えめに額を胸あたりに当てられた。ものっそときめいた。
童子切安綱…「抱き、しめる…」と抱いて、絞めるみたいな言い方をしたので「絞めるのはやめてください」と言ったら「では、抱けばいいのですか」と天使みたいな顔で言われた。「違うわたわけっ!」と真っ赤になった大包平がツッコミを入れていた。ハグは普通に優しかった。
大包平…「俺か。来い」と王子様みたいに片手を出して呼ばれて抱き寄せられてびっくりした。「どうだ、俺のはぐが一番だろう!」と胸を張る姿が乙女ゲームのメインヒーローみたいだった。つまり一番イケメンだった。
小烏丸…「そら。父の胸を貸そう」と羽を広げるみたいにハグ待ちポーズをされたが華奢すぎてわたしが触ったら骨折れるんじゃないかと思った。なのにハグは力強くて普通にオスでドキドキバクバクした。
一文字則宗…「ん、おいで」と閉じた扇子で胸元を叩きながら甘く言われて遊廓の姐さんの色気を感じた。まず顔がベル〇らなのがズルい。ハンサムすぎて何されてもときめく。ただハグされたら孫ぐらい抱きしめられて頬擦りされた。
道誉一文字…「オーケー、レディ。花を抱くように優しく触れるよ」でヤク〇の彼に死ぬ程愛されてるのレディコミ始まるかと思った。もちろん始まらなかった。
姫鶴一文字…「あの、腕大丈夫ですか…?」と聞いたら「あぁうん。戻ったら手入れ──」と言いかけて困ったように笑い「…は、いいや。ね、もっかい抱きしめさせて」とハグされた。普通にときめいた。
鶴丸国永…「どれ、君を驚かせてやろう」と言ったかと思えばバッと戦装束を広げてその中に招き入れられた。かと思えばぶわっと桜の花びらが舞い落ちてきて「どうだ、驚いたか?」と笑顔を向けられた。
何故か卒業式を思い出した。
大倶利伽羅…絶対しないだろうと思っていたら普通に近付いてきて片腕で抱き寄せられた。ビックリしていたら彼の後ろから両手を突き出した鶴丸国永が現れたので多分余計なことをされる前に終わらせようと思ったんだと思う。
火車切…「俺はいい」の“い”を言い終わる前に背後から戦犯鶴丸国永がまたわたしの背を押してきた。ふわふわがびっくりしてどんぐり目をこちらに向けていたが、それよりも離れた時に目を見開いて顔を赤くする彼が可愛かった。
南海太郎朝尊…「ふむ。確かにふわふわしていて柔らかいね」と言って腰から背中を触った瞬間、山姥切長義に首を捕まれ放り投げられ下で待機していた肥前忠広にチョークスリーパーで昏倒させられていた。
太閤左文字…「どーぞ」と言ってくれたのでわたしからハグしたらぽすっと肩口に頬を当てて「ふふ」と抱き締めかえしてくれた。心から癒された。
九鬼正宗…「ドンときぃ!」と構えるのでドンと行ったら「おおう」と手をこまねいて「むむ、よぉしお返しじゃあ!」と思いっきりギュッてされた。温泉くらい癒された。
肥前忠広…「好きにしろ。その代わり、血なまぐささが移っても知らねえからな」と諦めた様子で片腕を広げられたので「じゃあ…」と近付いたら普通に背中に手を回して抱き寄せられた。わたしが幼女だったら初恋奪われてた。
地蔵行平…「主が望むのであれば」と菩薩のように両手を広げて受け入れ態勢を取ってくれたがあまりの清廉さに近付けなかった。「わたしのような俗物が近づける存在ではございません」と言ったら「吾の内番の装束を思い出せ」と言われてそこでようやく近づくことができた。
古今伝授の太刀…「草枕 旅ゆく君を 荒津まで 送りぞ来ぬる 飽き足らねこそ ……あなたを追ってこの現世まで来ましたが、どうやらここまでのようです」と奥ゆかしく抱き寄せられて下宿するお屋敷のお嬢様に身分違いの恋をする書生のような気持ちになった。
水心子正秀…「ぼ、わ、私はいい! 私は!!」と真っ赤な顔で後ずさるのでどうするべきか悩んでいたら彼の後ろに戦犯鶴丸国永が現れドンッと極カンストの力で押された。「うわっ」と倒れ込んできた彼を咄嗟に抱きとめれば「あ、う…」と視線を泳がせたのち、諦めたのか普通にハグしてきた。
源清麿…「僕はいいよ」と大人びた笑みで言った横から水心子正秀が「我が主、先程は言いそびれたが清麿もあなたに会いたがっていたのだぞ」と言い、「その証拠にじゃんけんで二番目に負けて肩を落としていた」と暴露されて真っ赤になったところわたしが耐え切れずハグした。変態と同じ衝動だった。
大慶直胤…「次は俺ー!」と女友達みたいに横から抱き着かれたが力は女友達では無かったので思いっきり横に倒れ込んだ。偶然そこにいた実休光忠が支えてくれなければわたしの死因は大慶直胤だったと思う。
実休光忠…「ああ、ちょうどいいからこのまま抱きしめようか」と支えた背中からバックハグされた。わたしの心臓が弱かったら死因は実休光忠だったと思う。
人間無骨…「前と後ろ。主人ハどちらがいイ」と聞いてくるから慣れてるのかなと思ったら前からハグして離れたらめっちゃ目尻が赤くなってた。ただただかわよかった。
孫六兼元…「ん、どうぞ」と色気ダダ漏れでウェルカムされて「むりです」と言ったら「ああそうか。こういうのは男がするのが粋か」と抱き寄せられた。生まれて初めて色気で命の危険を感じた。
丙子椒林剣…触れるのも烏滸がましい神秘的なオーラにたじろいでいたら「さあ、こちらに」と腕を引いて抱き締められた。平安のドラマが始まるかと思った。
七星剣…触れるのも烏滸がま(ryにたじろいでいたら肩を抱き寄せられて耳元で「おれもおまえと会えてよかった」と囁かれた。ドラマの最終回だった。
笹貫…「うーわこれ、照れる」と言いながら目尻を赤くして慣れた感じでハグされたので「わたしの方が沸騰するわ」と素でかえしてしまった。
古備前信房…「ほんとだ、照れる…」と抱き締めた状態でタレ目を細めて頬を赤らめて言うので反則だった。
八丁念仏…「おいで」と呼ばれてから抱きしめられて耳元で「君が雇い主でよかった」と囁くまでのすべてがナンバーワンだった。
後家兼光…「約束通り、届けてきたからね。あーれ」と言うので「ありがとうございます」とお礼を言ったらニコッと笑ってガバッと背中を抱き寄せられて「本当はもっとこういうお願い事をされたかった」って言うから、普通に涙腺が緩んだ。
京極正宗…わたしから抱き着いた。「あらあら」でそっと背中を撫でられて「甘えん坊なあるじさま」って言われた瞬間わたしのお姉様になってくれって思った。
倶利伽羅江…逃げようとしていたところを大倶利伽羅に捕まっていた。本気で嫌がっていたから流石に離してあげてと言ったら「ああ、もう!」とガバッとわたしに抱きついて逃げるようにどこかに走り去って行った。わずか五秒の出来後だった。
泛塵…「はぐ…」と困り顔で言ったから「その…食べる擬音じゃなくて、こう抱きしめるやつね」とジェスチャー付きで言ったらムッとした顔で「見ていたからそれくらい分かっている」と言ってハグしてくれた。髪がくすぐったかった。
大千鳥十文字槍…覆い被さるように豪快にハグされたかと思えば「次があるなら、あんたを二度と不安な目に合わせないと誓う」と耳元で言われて衝撃で心臓を貫かれた。
抜丸…全然気づかないまま背中から抱き着かれてびっくりしていたら「ばあ」とキュルルンとした目でこちらを見上げて言われた。なんの遊びなのかは分からなかったが死ぬほどかわいかった。
獅子王…無い青春思い出すくらい男士高校生だった。「なんか恥ずかしいな」って耳元で笑い混じりに言われてわたしが高校生で運動部のマネージャーだったら絶対付き合ってたと思う。
雲生…ハグする寸前までえっちベルトを見てた。なんならハグされてからも見てた。離れてからも見てた。そんなわたしが彼に触れたら犯罪だと思ったので腕は一生背中で組んだままだった。
雲次…どうしても気になったので「なんで仏道の王子様を目指したんですか」と聞いたら「…流行ってるから?」と返ってきたがそんなものが流行ったことは一度もない。
◇
「では、最後は私ですね」
離れ際にそっと頭を撫でてきた雲次のメロさにグッタリしていると、腕をクロスして準備運動する面影さんが言った。
「あい…」
わたしはノロノロと彼に近づいた。もはやハグに関しては何も感じない。
最初は倫理観や罪悪感があった気がするが、今となっては普通に「ガタイ良…」とか「いいにおいする」と最低な感想を心の中でつぶやく始末だった。
そうして、何故か入念に準備体操をして近付いてきた面影さんに、貞操観念を失ったわたしは躊躇なく手を伸ばす。と、彼は少し目を丸くして、それからふっと目を細めて口角を上げてわたしの体を抱き寄せる。
「はい。はぐしました」
「ありがとうございます」
「…あたたかい」
「恐縮です」
「あるかないかも分からない陽炎とは違う。人の生きている温度とは、これほどまでに熱いのか…」
ギュッと回った腕に力が入る。
途端、彼の体の厚さや硬さを意識して、流石に頬が熱くなる。
「主」
すると面影さんは、内緒話をするように耳元で言った。
「面影とは、まぼろし、げんえい。遠い昔に見たあの光景は、本物だったのか。偽物だったのか。
…その名をもつ私は本物なのか。
答えの無い問い掛けはいくらでもこの世に存在します。きっと私も、貴方の存在を感じなくなった本丸で「何故」と、今日という日を恨み続けるのでしょう。
…ですが、私達は忘れません。
貴方と出会った日も、今日という日も。
だから───いつかきっと、あなたという面影を探し、この温もりを思い出します」
その時、白み始めた空に太陽が現れた。
「…?」
気がつくとわたしは、自宅と会社の中間にあるビルの前に立っていた。
辺りに人影はなく、道路を挟んだ向かい側に酔っ払って地面に座り込んでいる人がいるだけ。
あとは本当に、人気がない。
「? え、あれ?」
わたし──何でここにいるの?
確か、そう。
今日は、溜まりに溜まったゴミを捨てるために家に帰ることにしたはずだ。でも、途中で車の鍵を忘れたことを思い出して部署に戻ったはず。
……その後、どうしたんだっけ?
「えっと…? …あ、いや、そっか。鍵が見つからなかったんだっけ…」
霞みがかったような頭に、ぼんやりと記憶が浮かんでくる。…そう、そうだ。戻ったはいいけど、鍵が見つからなかったから歩いて帰ることにしたんだ。
でも、途中で「そういえばあのメールちゃんと送信したよね…」って、それだけパソコンで確認して帰ろうと思ったら、寝落ちしちゃって…
「うわぁ…やっちゃった…」
上司になんて言おう…。
重だるい体でため息を吐く。…いや、ため息吐きたいのは上司の方だよな。わたしのせいでめんどくさい後処理ができちゃったんだから。
とりあえず、いったん家に帰ってゴミ出しをしに帰ろう。
そう思い、人気のない道を歩く。
この辺りは都心から離れていて、駅も遠いためいつも朝方はこんな感じだ。ここから五分ほど歩けば、わたしの住むマンションが見えてくる。
「…あ」
と、そこでわたしは、エレベーターの中で刀剣乱舞を開こうとしていたことを思い出した。
…そういえば、色々あって忘れてた。…色々? 何かあったっけ? いやそれより、わたし結局昨日ログインできてないよね…?
「あぁ…」
連続ログインが途絶えてしまった…。悲しい…。
あと遠征に行ってる子達を玄関先で野宿させてしまった。ああぁごめんみんな…。
そんなことを思いながら、立ち止まってスマホを取りだして電源を入れた。瞬間だった。
──ビーッ!!!
「!」
と、車のクラクションのけたたましい音が鳴り響いた。
わたしは咄嗟に音の方を見やる。と、一瞬だけ真っ赤な外車が目に入る。
こちらにまっすぐ向かってくる、真っ赤な外車が。
それに乗る、不気味な笑みを浮かべた身なりの派手な男性の姿が。
「あ」
と思った時には、もう終わっていた。
わたしの意識は、そこで完全に途絶えたのだ。
最期に思い出したのは。
──○○駅前のコンビニで、またひき逃げ事件があったんだって。
という、同僚の言葉だった。
◇
遠くから、消防車と救急車のサイレンの音が聞こえてくる。
高い高いビルの上。
憎たらしいほど明るい空の下で、山姥切長義は閉じていた目を開ける。
目を覚まし始めた街を見下ろす。
と、後ろからシャンと鈴の鳴るような音が聞こえてきた。
同時に、何も無かったコンクリートの上に小さな生き物が姿を現す。
「──刀剣男士の皆様。任務完了です。ご苦労様でした」
その生き物──こんのすけは、無機質な声でそう言った。
だが、返事はなかった。
山姥切長義は戦装束を風になびかせながら、変わらずビルの下を見つめている。
他の男士達も、静かにそこに立っていた。
山姥切長義の背を見つめる三日月宗近の胸元には、信濃藤四郎が顔を埋めている。
華やかな藍の戦装束を破れるんじゃないかと言うほど握りしめながら、肩を震わせている。
その後ろには、道誉一文字の腕の中で歯を食いしばり、声のひとつもあげずに涙を流す京極正宗がいる。
そんな彼らに、こんのすけは続けた。
「此度の件、真に残念でございました。しかし、審神者様は歴史を守るためにそのお命を、」
「黙れ!!」
耳を劈くような怒声が響いた。
水心子正秀の声だ。
彼は刀を抜き、そのかんばせを鬼のように歪めて切っ先をこんのすけへ向けている。
その姿に、源清麿が唇を震わせ、顔を隠すように帽子のつばを下げた。
「我が主は歴史に殺されたのではない。己が人生を生き抜いたのだ…! その尊き生を、筋書き通りのように語るな! 無礼者!!」
「……」
「…悪いが管狐。席を外してくれ。本丸には我らで戻る」
水心子正秀の刀を制しながら鬼丸国綱が言った。
こんのすけは業務的に答える。「分かりました」
そして、己のいた場所に魔法陣のようなものを描くと、「帰還ゲートはこちらになります。報告書は後に来る政府のものにお渡しください」と言い残し、去っていった。
「………」
再び辺りに静寂が落ちる。
水心子正秀はしばらく動かなかったが、やがて小さく「すまない」と鬼丸国綱に言うと、刀を鞘に収めた。
帽子のつばを下げ、踵を返して源清麿に近付く。体をふるわせる彼にそっと寄り添い、肩を撫でる。
そんな彼に、大慶直胤がギュッと横からしがみつく。
「─…」
誰かが深く息を吐き出す音がした。
疲れきったような、何かを諦めたかのような。
──あるいは、すべてを諦めたようなため息だ。
だが、それ以外の音は何もしない。
深い嘆きと悲しみの満ちるこの空間で、それに相応しい音はひとつもしていなかったのだ。
泣く声の音も、鼻をすする音も。
まるで、自分が泣いているのを認めたくないみたいに。
「嗚呼」
すると、信濃藤四郎の頭を撫でていた三日月宗近がそっと彼の体を抱きしめた。
一瞬だけ柳眉を顰めると、力無い笑みを浮かべて小さな背中を撫でる。
「本当に、我らの主は立派であった」
彼がそう言った。瞬間だった。
喉奥で嗚咽を殺していた信濃藤四郎が、わっと声をあげて泣き始めた。
その慟哭は伝染し、同じ少年姿の短刀たちの哀しみの声が辺りに響きわたる。
ビルのコンクリートは、そこだけ雨が降ったかのようにポツポツと水滴が滲む。
「帰ろう」
そうして、朝日がすっかり昇った頃。
サイレンの聞こえる方を見ていた山姥切長義が、静かにそう言った。
サラリと、その銀髪が風に揺れる。
振り返ったその顔を、朝日が白く照らす。
「──本丸に」
その言葉は、絶望をなんとか塗り潰そうとしたような、優しい音をしていた。
◇
さて。
こうしてわたしは、人生の幕を閉じるはずだった。
それなりに平凡で、それなりに幸せだった人生の幕を。
──それなのに。
「……?」
何故かわたしは、知らないベッドの上にいた。
どう見ても病院です、といった設備のベッドの上で。
額に包帯をぐるぐるに巻きに巻かれ、尋常ではない量の点滴を腕に刺されながら、呑気に寝ていたのである。
「…え、ええ?」
これはいったいどういう状況?
え、なんでわたしほぼ無傷なの?
記憶にあるかぎり、わたしは車に真正面から突っ込まれたはずだ。なのに、今のわたしは病衣に額にグルグル包帯を巻いて点滴を打っているだけで、他に目立った外傷はない。
──というか、待って。その前にわたし、刀剣男士に会ってなかった? なんか記憶がごちゃごちゃしてるけど。
会ってたよね? え、どういうこと? これ全部夢だったりする?
試しに王道で頬をつねってみたら、まったく痛みがなかった。それどころか、頬を触っているという感覚もない。
「? …え、わたし生きてる、よね?」
嫌な想像がよぎってゾッとするが、でも体を動かす感覚は普通にあった。
それに、寝起きとは思えないほど思考回路もハッキリしている。それこそ、自分に何が起こったのかしっかりと思い出せるくらいに。
だから困惑して、あちこち自分の体を触って状況を確認していると。
「お目覚めですか。審神者様」
不意に、枕元から声が聞こえてきた。
淡々とした抑揚のない声だ。
ギョッとして「うわっ」と体を起こせば、枕元にちょこんと座る黒い生き物と目が合う。
「え、」
果たして、そこに居たのはくろのすけだった。
刀剣乱舞でお馴染みの管狐のキャラクター。こんのすけの黒色バージョンである。
そのくろのすけが、キリッとつり上がった目でわたしを見上げていたのだ。
「え、…え?」
「失礼。そろそろ点滴の種類を変える時間ですので、まずはそちらをさせていただきます」
言いながら、くろのすけはスクッと立ち上がって点滴スタンドに飛び乗った。
そして、何も無い空中にその黒い手の肉球をかざす。と、どこからともなく緑色の電子画面のようなものが現れる。
「わ、近未来…!」
それに驚いていると、くろのすけはピッピッと電子画面で何かを操作し、またヒョイっと枕元に戻ってきた。
「よしっ」
「あ、ありがとうございます」
「いえ、仕事ですから。…それより、あまり体に刺激を与えてはいけませんよ」
「え?」
「今の審神者様は、体の六割を人工物で補っている状態です。培養点滴で皮膚の再生力は上がっていますが、痛覚や触覚に繋がる神経は細胞点滴と神経細胞修復促進剤を飲まないとまだ機能しない状態ですから」
「ごめん、なんて?」
「…まあ、安静にしていないとダメということです」
1ミリも頭に入ってこなかった説明に首を傾げていたら、ぴょんとくろのすけがわたしの膝の上に乗った。
そこで居心地のいい場所をさがすようにグルグルし、そして膝と膝の間でちょこんと座る。かわいい…。
「はてさて、何から説明いたしましょうか…」
「えっと、一からお願いします」
「一からだと百くらいまで内容がありますけど」
「…じゃあ、ここはどこなのでしょうか?」
「ここは時の政府の内部にある病棟の一室です。審神者様にとっては、数百年後の世界ということですね」
「なんと」
一つ目の説明から衝撃の内容だった。
…え、これ本当? 頬つねっても痛くないから夢かどうかも確認できないんだけど。
「本当ですよ。痛覚が欲しいなら点滴を変えますけど」
「い、いえ。いいです…それでええっと、なんでわたしは未来にいるんでしょうか」
「それはですねぇ…語ると長くなるのですが」
ふみふみと布団を足で押しながらくろのすけが言う。
それによると。
どうやら、わたしはあのひどい交通事故の中、奇跡的に一命を取り留めたらしい。…いやまあ、取り留めたからこそここで寝てるんだろうなとは思っていたけれど。
「しかし、貴方様の怪我はひどいものでした。それこそ、命があるのが不思議というくらいに」
「そうだったんですか…」
「はい。ですので、今の審神者様は脳の記憶細胞を点滴で修復しており、その後遺症により頭髪の色が白くなっています」
「え"っ」
うそっ!? と言ったら、くろのすけが「ほんとですよ」と鏡を持ってきてくれた。
見たら、本当に髪の毛が真っ白で、長さも肩上くらいになっている。さらによく見ると、顔立ちも少し変わっていた。
なんか…なんといえばいいのか分からないが、某ネコ型ロボットのアニメに出てくる綺麗なたけしさんみたいな、わたしという人間を究極に綺麗にしたらこうなりましたみたいな顔になっていたのだ。
「せ、整形されてる…」
「顔の皮膚も損傷が激しかったので。人工皮膚や骨組織再生促進剤などで修復しております」
「す、すごいんだね…未来の医学って」
「ええ。なにせ未来ですから」
わたしに説明するのがめんどくさいのか、くろのすけは香箱座りしながらそう言った。
さらに、今回の事故について語る。
「お察しとは思いますが、あの交通事故があなたが歴史上でお亡くなりになられた原因です。…どうやら点滴の影響で刀剣男士と出会った記憶が戻ってしまったようですが、彼らから事故について何か聞いていましたか?」
「いえ…何も」
あの場では四十を越える刀剣男士と出会ったが、誰もわたしがどのような事故にあうのかは語らなかった。
だからわたしも、話せない事なんだろうなと勝手に思って、聞こうとしなかったのだ。
「そうですか」
「はい」
「ふむ。では、そもそも何故あの事故が歴史的に重要であるかは分かりますか?」
「い、いえ…」
そう。それもずっと謎だった。
わたしという、世界にとって有り触れた存在がいなくなるだけの事故が、どうして刀剣男士が守るほどの重要な歴史になるのか。
「これに関しては、ハッキリ申し上げます。重要なのは審神者様ではございません。──車を運転していた男の方でございます」
「え?」
「───。この名前に覚えはありませんか?」
「、」
わたしは息を飲んだ。
くろのすけの言った名前が、現代でとても有名な政治家の名前だったからだ。
それこそ、発言や行動がニュースサイトのトップにあがるくらいに。それくらい、わたしの時代で著名な人だったのだ。
「あの男は彼の息子です。幼少期より人道を外れた性格をしており、ついには殺人を犯すに至りました」
「……」
「我々の知る歴史上、彼はこの事件をきっかけに逮捕され、そして父親である政治家が揉み消してきた事件の数々が明るみに出ることになります」
「そ、れは……なんというか…」
ドラマみたいな話だ。まさか、自分がそれに巻き込まれる立場になるとは思いもしなかったが。
呆然としていると、香箱から立ち上がったくろのすけがもふもふとわたしに近付いてくる。
「つまり、審神者様の刀剣男士が煤に刀を奪われたのもこれが理由です」
「…え?」
「分かりますか? ───誰でもよかったのです。あの場で亡くなるのは。審神者様でも、誰でも。人身事故がおきて、男が生きて逮捕さえされれば」
「、」
「しかし、あの場で事故にあったのは奇しくもあなた様でした。そのやるせなさが、彼らに動揺と迷いを生み、煤に刀を奪わられる結果となったのです」
つまり、こういう事だろう。
彼らの元の主は、ほとんどが世界を変えるほどの偉業を成し遂げた者だった。
ゆえに、その名は歴史として後世に名が残っている。そして、その死すらも彼らが生き抜いた証である。
だが。
「…そっか」
わたしは、誰でもいいで亡くなってしまった。
もちろん、先にも述べた通りわたしはこの死を不幸とは思っていない。だがそれはわたしの主観であって、他人から見ればわたしを可哀想だと感じる人もいるだろう。
だって、言ってしまえばこの事故は偶然なのだ。
たまたまそこにいたのが、わたしだったというだけの話。
だからこそ、彼らは納得できなかったのだろう。
誰でもいいなら、よりにも寄って、どうして、と。
「これが審神者様のもとに刀剣男士が向かった理由です。…それから、煤に刀をうばわれたものたちですが現在は本丸にて待機しておりますのでご安心を」
「あ…良かったです」
「ええ。まあ、しばらく近寄れる空気ではありませんが」
言いながら、くろのすけはまたふみふみし始めた。
…これ、クセなのかな。授業中の人間が暇になったらペン回しするアレみたいな。顔はこっちをじっと見てるから、多分無意識でやってる事なのだろう。
「とりあえず、今日お話すべきなのはこれくらいでしょうか」
「はい、ありが……あ、すみません。最後にもう一つだけいいですか?」
「はい。どうぞ」
「あの、わたしどうして生きていられたんでしょうか?」
今思い出しても、あの車はわたしを轢くためにこちらに向かっていた。速度も制限速度を超えていたし、車だって車体が頑丈で有名な高級車だった。
正直、それにぶつかって生きている自分が不思議で仕方ない。
「それがですねぇ…分からないんですよ」
「わ、……分からない?」
「実は、今回の事故は歴史上では車と車の接触事故でした。しかし、審神者様は鍵を取りに行けず、そのまま帰路についています」
「え、そうだったんですか…?」
「ええ。これに関しては、我々も問題ないと思っておりました。先にも申し上げましたが、重要なのは人身事故がおきて、男が生きて逮捕されることなので」
「えぇ…」
「しかし、生身で車と接触した審神者様も生きておられます。…なぜでしょう?」
「知らないよ」
そんな、わたし本人に聞かれても。
小首を傾げたくろのすけにそう言えば、彼(彼女?)はむむむっと難しい顔をして考えるようにさらに首を傾げる。
「そうですね…可能性として有り得るのは…審神者様、刀剣男士のどなたかとセックスとかしましたか?」
「できるか。ばかたれ」
どこにそんな時間あるんだよ。
こちとらずうっと、ビルの上逃げ回ってたんだぞ。みんなは戦ってくれてたんだぞ。
そんな時間コンマ一秒も無かったわ。
思わず口悪く言えば、くろのすけはシワっと眉を寄せてまた考え始める。
「ですよね…ムムム」
「…え、なに。わたし誰かとえっちしてたら生き残れるみたいなルートがあったの?」
そんなエロゲみたいなルートが? ほんとに?
「いえ。ただ、審神者様から神力の残滓が微かに検出されたので、もしかしたらそれかなぁと」
「神力の残滓…?」
「刀剣男士の並外れた身体能力の源のようなものです。ほら、審神者様が近侍にしていた山姥切長義も、あの細腕で打撃が100もあるでしょう? この神力は主に肉体に影響を与えるものでして、これが事故の際に審神者様の盾となった可能性があるのです」
「へえ…」
「しかし、セックスをしていないとなると…なんでしょうね?」
「分かんないよ…わたし見られても」
「ですよね…もしかしたら、その場にいた刀剣男士全員とはぐなどをすれば、同じだけの神力が得られた可能性もありますが…」
「……………………」
「それこそ、そんな事している暇ありませんでしたよね…」
難しい顔をするくろのすけから、わたしは滝のような冷や汗を流して目を逸らす。
犯人が判明した瞬間だった。
思わず顔を押さえて俯く。
罪悪感と戻ってきた倫理観からくる行動だったが、くろのすけにはわたしが落ち込んでいるように見えたらしく「ああ、お気になさらないでください。分からなくても問題はございませんから」とワタワタ手を振った。
「ンン。まあそういうわけで、即死であったはずの審神者様に助かる可能性があったため、我々は動いた次第です。審神者の数が多いに越したことはありませんから」
「君も大概倫理観ないこと言ってるよね…」
「というわけで」
「ん?」
「審神者様には、怪我が治り次第本丸に向かって貰います」
「……え?」
「残念ながら、審神者様の時代ではあなたは亡くなった事になっております。なのでその時代に戻ることはできません」
「え」
「あ、因みに審神者様の刀剣男士にはまだ貴方様が生きているのをお伝えしていませんので。是非皆さまで喜びを分かちあって下さい」
そう言って、くろのすけはドロンと不思議な煙を残して消えた。
残されたのは、次々と告げられた衝撃の言葉に呆然と目を見開くわたしだけ。
「……え?」
そうして孤独の部屋に落ちたのは、バイト初日にマニュアル本だけ渡されて「これ読んだら分かるから。困ったら自分で調べて」と先輩ガチャ大失敗した人間の「え」だった。


























