はぁ、本当に退屈。毎日毎日、仕事仕事仕事仕事仕事。目の前に積まれた仕事の山を前に、何も考えずにただひたすら手を動かす。
文字を書く、文字を書く、文字を書く__。筆を握るかぐやの手が、ピタリと止まった。
かぐや、何かの字を書く練習していなかったっけ?
思考も手も止まりかけたが、すぐに仕事を再開する。余計なこと考えてる時間なんてない。溜まっていた仕事をこなさないと。心を無にして、手を動かす。
そんなかぐやの足元には、小さな犬っころが寄り添っていた。
この子、誰だっけ?
かぐやは足元に感じる存在に、内心首を傾げていた。彼女を包む羽衣が、風もないのにヒラヒラ揺れた。
ダメだよ、引っ張ったら。
ダメ__、そんな言葉をよく口にしていた彼女は誰だろうか。
最近はこんなことばっかりだ。仕事に身が入っていない。そうは言っても、仕事は放棄できないワケで。
高速で手を動かしながら、誘われるように宙を見る。視線の先には、青い星。なぜか酷く懐かしい。
正座しているかぐやは、犬っころに羽衣を引っ張られ、そのままコテンと倒れてしまった。
その拍子に、羽衣が宙を静かに舞う。彼女の瞳は、青い星を反射していた。
「ちょっと犬DOGE、倒れちゃったじゃん〜……」
起き上がりながらも、思わず文句を言ってしまう。器用にも、筆は床に落とさなかった。やっぱり月には何にもなくて、犬DOGEも暇なんだろうな……。
あ〜、彩葉に会いたい!
「ん?」
かぐやは今度こそ手が止まった。犬DOGEが尻尾を振りながら、かぐやの周りをクルクル回る。
「羽衣が脱げちゃってるじゃん!!」
思わず大声をあげてしまう。あれ?おかしい。いや、そうだ。かぐやは今は月に帰っていて__。
思考をまとめるように、かぐやはその場でぐるぐると歩き回った。その後ろを、犬DOGEがぴょこぴょことついて行く。
『姫様?』
かぐやがテンパっていると、月人が部屋へとやって来た。脱げてしまった羽衣を見て、少し表情を変えた__ような気がした。
ここの皆、表情分かりづらいんだよな〜。
「ね、ね、もっかい、もっかいだけ、彩葉に会いに行っていい!?地球に、ツクヨミに!!ちょっとだけ!!!」
月人が次の声をあげる前に、畳み掛けた。こんなに仕事頑張ってるんだよ、ご褒美くらいないとやってられない!
お願い、お願い、お願い!!最近ずっと働き詰めオーバーワークじゃぁん!
『いいですよ』
……え?
「え?」
思わぬ言葉に、かぐやは目を点にした。そんな彼女を気に止める様子もなく、月人は床に広がる羽衣を拾い上げる。羽衣を丁寧に畳み、懐にしまう。そうしてようやく、かぐやの方に目を向けた。
固まっているかぐやを見て、少しだけ首を傾げて不思議そうに言う。まぁ、ホントに傾げて不思議そうにしてるかは分かんないけど。
『姫様?どうしたのです?』
「えッ、いや、かぐや……地球に、ツクヨミに行ってもいいの……?」
『はい、そのように指示が出ております』
一度目は耳を疑った許可。二度目で、嘘じゃないって確信した。その言葉に、かぐやは大きく目を見開き、輝かせる。
思わず傍らの犬DOGEを抱き上げ、ぴょんぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「やた……、やたやたッ、やッッッた〜〜〜〜!!!!」
犬DOGEを抱えたまま、くるりと一回転!もう一度、彩葉に会えるんだ。大好きな、かぐやの彩葉に!!
彩葉に会えるんだよ!犬DOGE!!
月の仕事部屋で、はしゃぎ回る一人と一匹。そんな彼女らに、月人は静かに付け加えた。
『ただし、条件があります』
「地球!ツクヨミ〜………条件?」
またしても固まったかぐやを見て、月人は今度こそ、少しだけ柔らかく表情を変えた気がした。
『私から全てをお伝えする許可はありますが、ご本人達に伺うことも可能です』
「本人達って……」
『はい、姫様が地球に向かわれること、これを許可された方々です』
どうしますか?
かぐやの耳に、月人の問いかけがまっすぐ届いた。かぐやの目に、宙に浮かぶ地球が映り込む。
犬DOGEを下ろして、服を整える。月人をまっすぐ見返して、ハッキリと返事した。
「本人達から聞く!」
=====
かぐやは一人、目の前の巨大な襖を見上げていた。犬DOGEを連れてくのは流石に出来なくて、仕事部屋でお留守番だ。
目を瞑って、深呼吸する。かぐやはこの部屋に、入ったことがあっただろうか。そんなことを考えて、らしくないなと首を振った。
サッと音もなく襖が開く。まだまだ勝手に抜け出した居心地の悪さが拭えなくて、かぐやはゴクリと唾を飲んだ。
真っ暗な奥に光が灯り、やがて顔が浮かび上がる。一人、二人、三人、四人__部屋をぐるりと囲むように、月人達が座っていた。
キラキラと絢爛な衣装に身を包む月人が、かぐやを見て手招きする。
緊張しながらも、かぐやは一歩ずつ歩いていく。部屋の中央に置かれた座布団を見て、その上にしゃんなりと腰を下ろした。
それを見届け、月人がゆっくりと語り始める。
『私達は、姫様が月を飛び出してから、ずっと見ていました』
『貴女が帰ろうとしなかったから、連れ帰ってきました』
『姫様を連れ帰ってからも、私達は見ていました』
「……誰を?」
『酒寄彩葉。彼女のことを』
かぐやはまた、ゴクリと唾を飲み込んだ。思わずペースに飲まれそうになるが、大事なことは、聞いておかなきゃ。
「あの、かぐや、彩葉に会いに行ってもいいって聞いたんだけど……」
『ええ、そのように指示を出しました』
『姫様が彼女を思い出した時、そう願うと分かっていました』
『私達が見た彼女は、姫様をとてもとても大切にしていました』
『許しましょう』
『彼女に会うことを』
「……条件は?」
『ひとつは、ツクヨミに向かうことです』
『またタケノコで地球に向かうことは、許されません』
「えぇ……彩葉のパンケーキ食べられないじゃん。……あ、なんでもないです!」
『ふたつは、必ずここに帰ってくること』
『私達は見ています』
『また帰ろうとしなかったなら、今度は優しくはできません』
『彼女に直接危害を加えることも、躊躇いません』
「わかった」
『最後に、記憶の消去です』
え?今、なんて言った?記憶の消去、__消去??そんなサラッと言うことじゃないんじゃないの!?
折角彩葉に会っても、忘れてしまうの?やっと、思い出せたのに!
「ヤダ!」
『姫様が帰ってきた時、月で羽衣が脱げた時点からの記憶を消去します』
思わず立ち上がり、座っていた座布団を投げつける。しかし、月人へと届く前に、消えてしまった。
消えたくない。かぐや、彩葉のこと、ずっと覚えていたいよ__。
視界が滲み始めると、足下で柔らかな感触があった。
ワンッ!
いつの間にか、犬DOGEがかぐやの周りをクルクルと回っている。
『それでは、行ってらっしゃいませ』
月人がかぐや達に向けて手をかざす。今度は視界がぼやけ始めて__。
やがてかぐやと犬DOGEは、月からふっと姿を消した。
=====
「ふざけんなぁ!」
バーチャルな月明かりの下、かぐやの声が響き渡る。誰もいないツクヨミの外れで、かぐやはため息をついた。
そんな彼女を置いて、犬DOGEは周りの草むらに突っ込んだり土を掘ったりと楽しそうだ。
「まぁ、勝手にやってんのはかぐやの方なんだけどさ」
いじけるように足下の石を蹴って、犬DOGEに声をかける。
「行くよ」
久しぶりに来たツクヨミは、なんだか少し違って見えた。もしかして、結構大きくなった?
歩けど歩けど、誰一人すれ違いはしない。これじゃあ、ツクヨミに来たって言えるのかどうか。そもそも、行き方くらい教えといてよ。
「てか、帰り方もわかんねぇし」
またお迎えにでも来るつもり?ホント、ご苦労さまだよ。
犬DOGEに愚痴りながら、並んで歩く。
記憶の消去ってなんなの。羽衣が脱げた時からって言ってたから、彩葉との思い出を全部忘れちゃう訳じゃないんだろうけど。
そんなことを考えていたら、いつの間にか大通りに出ていた。急にたくさんの人が見える。
さっきまでの思考は吹き飛び、久しぶりのツクヨミにかぐやは目を輝かせた。
あ、あのお店、彩葉と一緒に行ったところかな。遠くに見える橋は、初めて路上ライブした場所に似ているな。
かぐやは、あちこちを楽しそうに眺めた。やっぱり、月とは全然違う。犬DOGEも、尻尾をブンブンと振っている。
そんな彼女達を見て、道行く数人が足を止めた。それだけじゃなく、声をかけてくる。
「もしかして、かぐやちゃんのコスプレ!?」
「アバターの完成度高いなぁ〜」
「えっ、えっと……」
前のかぐやだったら、ファンサの一つでもしていたかもしれない。でも、久しぶりのツクヨミで、それに考えることも沢山あって。
「かぐや急いでるから!ごめんね〜!!」
そう言い残して、大通りを走っていった。彼女の後ろを、犬DOGEがついて行く。それを見て、残された人々は顔を見合せた。
「……本物だった?」
「……さぁ?」
人を縫うように走り抜け、人通りの少ない路地裏に入り込んで息をついた。
急に声かけられるなんて、かぐやまだまだ人気者だったり!?なんて思って、思わず少しニヤけてしまう。
「ってそうじゃなくて!」
かぐやは、彩葉に会いにここまで来たんだ。月の国からはるばると。
でも、ツクヨミからは出られないし、彩葉をどうやって探したものか。
「犬DOGE〜、彩葉の匂いで探せたり……しない?」
犬DOGEはかぐやの問いかけに、ワンッと威勢よく吠えて駆けて行った。置いていかれないように、慌ててついて行く。
なんだか今日は走ってばっかりだ。でもそれも、月では出来なかったこと。思い切り走るのって、気持ちいい!
通りを走って、階段を登って。犬DOGEが止まった先は__。
「なるほどね、犬DOGE、天ッ才だよ!!」
かぐやと犬DOGEが見上げる先には、『ヤチヨのライブまで、残り10分!』の文字が浮かんでいた。
=====
ライブ前の静けさの中、かぐやは彩葉を探して歩き回っていた。たくさんの人がいるけれど、見つかるかな。違う、絶対に見つけるんだ。じゃないとツクヨミに来た意味がない。
犬DOGEと手分けしているけれど、あっちもまだ見つかってないっぽい。ライブが始まったら動きにくいし、どうしよう。
かぐやが焦っていると、後ろから声がかけられた。
「かぐや?」
嗚呼、かぐやが探していたはずなのに。また、見つけてくれたんだ。ずっとずっと聞きたかった声。いつまでも、鈍らない声。
振り返ると、不思議そうに此方を見て首を傾げる彩葉がいた。
「珍しいね、本番前にこんなとこ__」
反射的に、抱きついた。会えない時間が愛を育てるってホントだったんだ。だって、こんなにも愛おしい。彩葉だ。かぐやの腕の中に、彩葉がいる。
かぐや?と不思議そうな声がまた聞こえる。感動の再会なのに、おかしくない?もうちょっと喜んでくれてもいいのに。でも優しく抱きしめ返してくれてて、嬉しい。
「ヤオヨロ〜!神々のみんな、今日も最高だった〜?」
ツクヨミの空に、ヤチヨの声が響き渡った。彩葉につられて、空を見上げる。
ライブが始まったようだ。ヤチヨがツクヨミの真ん中で歌っている。魚たちと歌う姿を見て、ツクヨミに初めて来た時のことを思い出した。
でもあの時とは違って、かぐやは彩葉の手を握っている。
ヤチヨを見つめる彩葉の横顔は、あの時から変わっていない。いや、なんだか視線がもっと柔らかいような__。
歌が終わって、拍手が起こる。ヤチヨが皆に手を振っている。そんな時、空がキラリと光って。空から誰かが舞い降りてきた。
「かぐやっほ〜!今日のライブはかぐやも参戦するよ!」
「ということで、コラボライブでーす!」
ヤチヨの横に、笑顔を浮かべるかぐやが現れた。かぐやが……、かぐやが!?
「え?かぐやが……え?かぐやが二人??」
横から彩葉のそんな声が聞こえる。それはこっちの台詞だよ。二人して顔を見合せて、ハテナマークを浮かべていた。
そんなかぐや達を置いて、ステージの上のヤチヨとかぐやは歌い始める。
あ、この曲知ってる。思わず踊りたくなっちゃうような。彩葉が作ってくれた、かぐやにとって大切な曲のひとつだ。彩葉の曲は全部大切なんだけどね!
ステージの下から、ライブをする自分を見るのは新鮮だった。それと同時に、目の前にいるかぐやが本当のかぐやだって分かってしまった。
だってあんなに、楽しそうに歌ってるんだもん。彩葉の曲が、好きで好きで仕方がないって顔してる。
でも、かぐやもかぐやだし……。あーもう、分かんない!!
「かぐや、ちょっとこっち来て」
繋いでいた手が、引っ張られた。後ろで、音楽が鳴り響いている。かぐやが月に帰る前に歌ってた曲かな。
楽しかった頃を思い返して、嬉しいような悲しいような。
「次の曲は、『Reply』だよー!」
盛り上がるライブ会場を背に彩葉と二人、暗闇の中抜け出した。
大通りを抜けて、川を渡った。かぐやの手を強く握る彩葉に、何も言わずについて行く。
人通りのないところまで来て、彩葉はかぐやの方に振り向いた。真剣な表情で見つめてくる。
「かぐやは、かぐやなの?」
「うん。月から仕事の途中だけど、やって来れたの」
「……そっか」
いきなりもう一人の自分とご対面して混乱してたけど、彩葉と二人きりになれて良かった。彩葉に会いに、ここまでやって来たんだからね。
「おかえり、かぐや」
そう言って、かぐやを抱きしめてくれる彩葉。ツクヨミの中なのに、腕の中がほんのりと温かい。
思わず安心して寝てしまいそうな。そんな優しい抱擁だった。
「かぐや、落ち着いて聞いて欲しいんだけど」
パッと手を離して、彩葉がかぐやの目を真っ直ぐに見つめてくる。吸い込まれそうな瞳だった。かぐやの大好きな瞳だ。
でも、彩葉の話はそんな感傷も吹っ飛ぶ話で!かぐやは常時大声を上げっぱなしだった。
「かぐやがヤチヨに!?」
「犬DOGEがFUSHIで!?」
「かぐやのボディを作ったァ!?」
思わぬ展開に、目を白黒させることしかできない。だから、かぐやがさっきライブしてたんだね。
でも、そっか。そうなんだ。ちゃんと、かぐや達は迎えられたんだ。
安心して、気が緩んでしまったみたい。久しぶりのツクヨミで、地球で。ずっと月で仕事していたかぐやは、ここに居たかぐやとは違うんじゃないかって思ってた。
「かぐや、泣いてるの!?」
「ううん、嬉しいんだよ。ハッピーエンドだったんだって。かぐや達、また出会えるんだって分かって」
嬉しいの。そう言えば、彩葉は安心したように笑ってくれた。そして、あ、と気がついたように口を開く。
「かぐやの話も聞かせてよ」
話すことなんて殆どないけどね。だって、月は何にもなくて、ちょー退屈で。
えーと、仕事三昧の日々で。犬DOGEのおかげで思い出せて。月人にお願いしたら、ツクヨミに来ることはできて。それで、月に帰らなきゃいけなくて__。
「帰ったらまた、彩葉のこと忘れちゃうかもしれなくて……」
またも視界が滲んでいく。いや、これはぼやけているんだ。
遠くから、犬DOGEが駆けてくるのが見えた。身体が半透明になっていて、勢いよくかぐやの胸に飛び込んでくる。
ふと自身の腕を見たら、これまた段々と透明になってきている。
飛び込んできた犬DOGEにびっくりしていた彩葉だったけど、かぐやの腕に縋るように手を伸ばしてきた。だけど、触れることは叶わなくて。
お別れはいつも突然だ。願っても願っても、どうにもならないことはある。
「もう、お別れの時間みたい」
それを聞いて、彩葉はかぐやの目を一心に見つめて声をあげた。
まだしたいこと、いっぱいあるでしょ!?
「ハッピーエンドに、かぐやも連れてくから!」
だから、だから、思い出してよ、また私のこと!!
必死に叫んでくれる彩葉に、思わず嬉しさを感じてしまう。
一瞬に感じるこの瞬間、永遠に続けばいいのに。
でもそれじゃ、ハッピーエンドに辿り着けない。
__彩葉、好きだよ。
伝える言葉は、それだけでいいんだ。たとえ忘れてしまっても、この一瞬は嘘じゃないから。
彩葉の姿を目に焼けつけて、思い切り笑う。かぐや、頑張れるよ。
彩葉の綺麗な顔がぼやけていって、やがて、溶けた。
=====
目を開けると、ここ最近見慣れてしまったいつもの仕事部屋にいた。月に、帰ってきたんだ。
かぐやの前に月人が現れる。ただいまって言ってみたら、おかえりなさいませって返ってきた。ふふ、なんだ、皆案外ノリいいじゃん?
『満足しましたか?姫様?』
「うん、ハッピーエンドだった!」
そう言ったかぐやは、月人から羽衣を 貰った。それを手に少し考えて、小さいサイズをもう一つ頼む。
「犬DOGE、ハッピーエンドまで着いてきてくれる?」
ワンッ、と元気よく吠えた犬DOGEに小さな羽衣を纏わせ、かぐやも自ら羽衣を身に着けた。
再び訪れるは、仕事の時間。でも、きっと大丈夫。
彩葉の歌が、何度でも。かぐやをかぐやにしてくれるから。
=====
『では、記憶の消去を』
『この期間の記憶だけですよ』
『矛盾が生まれてはいけません』
『?何をしているのです、早く姫様の後任……引き継ぎをできる方を探しなさい』
『彩葉さんの返事が、かぐや姫に届く前に』
『私達は、見ていましたから』
『かぐや姫の想いは、どうやったって消えません』
『返事が届く前に、思い出すと分かっていました』
『願うことも分かっていました』
『願いは力となります』
『私達は、見守ることしかできない』
『かぐや姫の願いは、時を超えて叶うのです』
『落ちた先で叶うのです』
『落ちた先で、夢を見ましたから』




















