渇望していた。
この身体を動かしている見えない自分の核が、噴火するのを地底で待つマグマの如く煮えたぎっていた。
そして、いざ。この瞬間。
ずっとずっと待ち続けていたその時が来て、潜んでいたマグマが空から降り注ぐ流星群のように暴発する。
勢いよく斜面を滑り落ちる溶岩は瞬く間に迷いを覆い尽くし、歓喜の大地へと進化させていった。
不確かが痛みとともに確かに変わったその刹那、荷車の上で抜け殻のように横たわった。
「お姉さ、ん……?」
不安げに揺れる乱太郎の声に応えたくとも激しく高鳴る鼓動が邪魔をする。伊作が背中を摩りながら声を掛け続ける中、その手を制した者が1人。
「嬢ちゃん。…………見つけたな、羽衣をよ」
誰かがヒュッと息を呑んだ。
時雨の言葉で今度こそ確信する。胸を抑えて蹲りながら伏せていた顔を空に向けた。
一体、自分はどんな顔をしているのだろうか。
目を見張って動揺する忍術学園の子ら。
静かに目を閉じた時雨。
1人だけ何もわからず狼狽える幼い少年。
きっと、この感情が湧き出すのは必然なのだ。同じ魂を持つ者が相対した瞬間に生まれる喜び。奈緒の気持ちが今になって痛いほどわかった。
「あっはは。何これ。実感湧かないのに……こんなにも嬉しい」
空の青が目に染みる。
ジワジワと膜が張られ、やがてそれが零れ落ちる。
涙とともに、無意識にガチガチに固めていた我慢が音を立てて崩れ落ちた。
「帰れるんだねっ………私」
希望が差し込んだ光の陰で、空に焦がれる鳥が解き放たれるのを戸惑う者が息を潜めていた。
・
・
・
ツキヨタケに行ったはずの者達が暗い雰囲気を纏って帰ってきたことに、小松田を始めとした学園のみんなは心底不思議そうな顔をした。
今にも泣きそうな乱きりしん、寂しそうに眉を顰めた伊作、そしてどんな感情なのかわからない顔をする留三郎に声を掛けようとするも言葉が出てこない。
その中でただ1人、複雑そうな顔をした彼女に山田先生がこの状況を問おうとしたところでこの連中に着いてきた人物が前に立つ。
「よぉ伝蔵」
「時雨じゃないか。お前さん何をしにここへ?」
「ちょぉっと緊急事態ってやつでな。へこんでるコイツらを放って置けなくて着いてきた」
「何かあったのか?」
「それはだな……」
「いいよ、アニキ。私が話す」
荷車の上に乗っていた彼女が時雨を制すと、時雨は肩をすくめて一歩下がった。ついでに手を借りて荷車から降りると、出迎えた学園の者達と真正面から向き合い、静かな声で言い放った。
「私の羽衣が……見つかりました」
静かに、けれどはっきりと。
彼女は濁さず、まっすぐな目で言った。
忍術学園から音が消えた。風でさえ遠慮がちに音を潜ませて間を通り抜けていく。
小松田が入門表を地面に落としたことで時が動き出した。それを合図には組の子ども達がゆっくりと彼女に歩み寄る。おぼつかない足取りでその心情が見てとれた。
「お姉さん、帰っちゃうんですか……?」
「嘘ですよね?……ねぇっっ?」
「冗談って言ってよ……」
縋り付くは組の子達と目線を合わせようと膝を折った彼女は、目の前にいた伊助をまっすぐ見つめ、そして弱々しく微笑んだ。
「なーんて冗談!……って言ってあげたいところだけど、ごめん、これは本当」
「う、そ…………」
後ろにいた者達が何故あの顔をしたのか理解した。
自分達が鬼ババと慕っていた彼女が奈緒のようにこの時代から消えてしまうということを。
いつか会えなくなるのは知っていたのに。
そのいつかがこんなにも早く来てしまうなんて。
誰もが信じたくない一心で首を振るが、ここはやはり大人、山田先生が「そうか」と言って切り出した。
「故郷に帰れるのだな」
「……はい」
「そんな顔をするんじゃない。お前さんはひょんなことからこの時代に訪れたお客さんだ。客っていうのはいずれ帰っていくもの、名残惜しいと思われるのは嬉しいことだがね」
「ハハ、ありがとうございます」
そこで、騒ぎを聞きつけて駆けつけた勘右衛門が問うてきた。「いつ帰るのか」───と。
「1週間後だね、多分」
1週間。
あまりの短すぎる残り時間にまたもや沈黙が辺りを支配する。ふと空を見れば、青い空に馴染むように白い月が浮かんでおり、その形は2つに切り分けた青リンゴの片割れみたいだ。
あれがもうひとつ合わさってしまえば、彼女はこの時代から消え去ってしまう。帰ってしまう。もう2度と会えなくなってしまう。
「やだ!!」
唐突に告げられた《おしまい》の宣告に、誰かが抗う声を上げた。彼女に突進してはその胴に手を回し、離すまいと言わんばかりに強く抱き締める。
「帰らないでよ、お姉さん……!」
「しんべヱ……」
お腹に顔を埋める小さな背中を撫でるその表情は、何て言葉をかけてあげればいいかわからない顔である。
羽衣と出会ってしまえば、そこでもうこの時代から追い出されることは決まっている。反発し合う磁石のように、異物である方が弾かれる。当たり前の話だ。
しんべヱに続いて、は組の子らが次々に彼女へと手を回し始めた。側から見れば微笑ましいものかもしれないが、その理由を知ってしまえば切なさしかない。
ただ1人、その輪に混ざらない者もいる。
「きり丸……」
俯いたまま動かないきり丸。彼女が一人一人慰めているのを横目に、きり丸は振り切るようにその場から駆け出して行った。
自身もショックだったもの、きり丸の様子を見て心配が勝った土井先生も後を追うため同様にこの場から消えた。
「この1週間、全員授業に身は入らんな」
学園長先生が放った言葉に、空の月が返事の代わりに輝きを増した。
どれだけ否定しようとも明日はやってくる。
紙芝居を見たことある子達はわかっているはずだった。はじまりがあればおしまいも来るということを。
あの日、彼女がこの地に足を踏み入れた日が『はじまり』だとしたら、数日後に来るのが『おしまい』だ。忍術学園全体をどんよりとした空気にした張本人はというと、何やら張り切って朝から教員達のいる建物にやってきた。
「委員会巡りしてもいい?」
降り注ぐ陽の光が目を輝かせているように見える。実際彼女の心情はこの学園の空気とは真反対にウキウキしているようだ。人の気も知らないで、と寂しさを押し込めて怪訝な顔を見せる。
「何故急にそんなこと言い出したんだ?」
「別に急って訳でもないけどね。前からこの学園の委員会がどんなことしてるか見てみたかったんだわ。ほらほら、忍者の学校にいるのにそういった感じの経験ってあまりしなかったし。なんだっけ、火薬だの図書だのいろいろあるじゃん。どうせもうすぐいなくなる人間なんだ、この際全部制覇してやろうかなって。そんなわけで土井セン、学園長に一緒に口添えしてくんない?」
息継ぎなしに言い放った彼女にわざとらしく肩をすくめて見せた。あっけらかんといなくなるなんて言葉を言わないでほしい。そして、その言葉をきり丸には放り投げないでほしい。
昨日、彼女と帰ってきてから部屋から出てこないと乱太郎やしんべヱから聞いている。追いかけた自分が絞り出した声にも応えることはなかった。
あいにく、今ここには自分しかいない。山田先生も朝から外出しているし、他の先生も授業の準備をしているのか席を外している。
「やっぱり、ダメかな……?」
惚れた女の困り顔に男は弱いもの。
陥落した自覚を持ちながら、ゆっくりと腰を上げ、彼女の前に立った。
この時代の女性に比べたら遥かに高い背丈。けれど自分にとっては守らなければならないほど小さく、脆い。
「仕方ないな。一緒に行ってあげましょう」
「やっほい!やっぱり持つべきものは同い年の教職だな!やりたいことはやったもん勝ちってね!決まったら急ごう、時間は有限だぞ土井セン!」
「ちょっとっ、そんな焦らなくても……」
スルッと腕を絡めてきて駆け出す彼女。ただの戯れだけど、自分にとってはもしもの想像が少しだけ叶っている。
彼女が自分で見つけて、選んで作り上げた道を一緒に走る。そんなもしもの世界を、と願っても迫り来る時間がそれを許さない。
自分の手をとって走るその背中を目に焼き付けようと、学園長庵に着くまでなるべく瞬きをしないよう意識した。
・
・
・
「そんなわけで、帰るまで委員会巡りをするお許しをください」
「うむ、許可しよう」
断られた時のために連れてきた土井センが意味をなさず、秒で委員会巡りのお許しを得た。
何の委員会があるかはあまり把握していなかったので、土井センに一通り書き出してもらう。
さて、どこから行こうかと決めかねていたところで土井センが何やら真面目な顔で尋ねてくる。
「それで、委員会巡りをするに至った本当の理由はなんだ?」
ただ経験したかった、という理由に裏があることは土井センは気づいていたらしい。さすがは大人の中では一番付き合いが長く、割と心を開いていた相手だ。彼相手なら隠す理由もないので、あっさりと白状してやった。
「私がさ、あの子達を覚えていたいから、かな」
「覚えていたい、とは」
「これ内緒ね。実はね、私が未来に帰ってこの時代のことを覚えていたら、ここでの暮らしを絵本にしたいの」
「この学園が物語になるってことか?」
「うん。私が見たあの子達が本当にいたってことをね、未来の子達に知ってほしいの。未来じゃ忍者っていうのはいるかいないかわからない存在だったからさ。せめて、ここにいた子供達のことは残したくて。……どう思う?」
この時代じゃ忍術学園は存在を知る者は限られている。いくら未来とはいえ、ここの存在を明かすのはよくないだろうか。
土井センだからと話したが、やっぱり忍術学園のことを描くのはダメだと言われるかもしれない。チラリと土井センの方を見遣ると、花が綻ぶように笑う彼がいた。
「最高じゃないか!」
イケメンがさらにイケメン度を増して、ここにいたのが自分でよかったと心底思った。メンヘラ製造機は伊達じゃないのでここに普通の女がいたら秒で沼に落とされていたことだろう。
「え、いいの?」
「そっちが言い出したんじゃあないか。私はそれに賛同しただけだが?」
「いや、てっきりここの存在は決して明かすな!とか言われるかと思ってた」
「確かに忍者は忍ぶもの。ここの存在もこの時代なら秘匿するべきことだ。だけど、そっちじゃこの時代ほど戦に明け暮れた生活ではないんだろう?忍者の仕事は減ることはいいことだと思うよ。複雑だけどね。それでも、私達の存在が君の物語で伝わるなんて、これ以上にない素晴らしいことじゃないか」
えらく賞賛してくれるな。ここまで褒めちぎられちゃ満更でもなくなっちゃうだろ。でもその言葉が背を押してくれたおかげで決心はついた。学園長から委員会巡りをするなら土井センの同伴付きが条件とあったが、これはこれで好都合だ。絵本にしていい内容についていつでも相談できるわけである。
やっぱり土井センに頼んでよかった。
《体育委員会》
「「「「「委員会巡り???」」」」」
突然の訪問者の言葉に、目をまんまるにして復唱する体育委員会の生徒達。
自分が顔を出した途端、少ししょげた顔をされたものの、抱き締めたくなる衝動を抑えて訪問した理由を伝えた。詳しいことや許可の有無は同伴の土井センが話してくれたおかげで事がスムーズに進みそうだ。
土井センの説明を聞いたいけどん太の沈んだ顔が一変、太陽のような笑顔に早変わりする。いけいけどんどん精神が復活してきたらしい。
「お姉様と一緒に委員会活動をするとは、今日は一段と楽しい日になりそうだ!それに土井先生もいらっしゃる!いけいけどんどーん!」
余程嬉しいのか、いけどん太が懐から苦無を出してはそこらの地面を無造作に穴を掘り始める。なんとなく散歩の気配を察してその辺を走り回る犬に見えた。
「お姉さん……大丈夫なんだな……?」
「あーあ。七松先輩張り切っちゃってますけど、お姉さん、本当に大丈夫っすか?」
「レディ鬼ババ……いえ、お姉様。なんで自ら地獄に飛び込む真似をなさるんです?」
「え、なに。そんな心配されることあるの?この委員会」
四郎兵衛、三之助、滝夜叉丸が顔を青くしながら詰め寄ってくるので思わず土井センの方を見るも、奴は向こうの山の方を見て「今日は登山日和だなぁ」とこっちを見向きもしない。
あの滝夜叉丸がいつもの喧しさをどこかに置いてきて常識人みたいな空気を醸し出していることが1番の不安要素だ。思わず近くにいたお気に入りの金吾をギュッと抱き締めた。
そんな金吾も遠い目をしてポンと肩を叩いてくる。
「お姉さん、諦めよう」
・
・
・
あの子達が必死に止めようとしていた理由がわかった。
「お姉様!裏山までまだまだ!いけいけどんどーん!!」
無理です。お姉様着いていけません。
見てみろよ、今のこの状況を。走ってる土井センに引き摺られている、治ったばかりの足が限界な哀れかつ滑稽な鬼ババの姿をよ。側から見れば村に悪さをする鬼ババを土井センが捕まえた図にしか見えないこの笑えない絵面をよ。
何あの子達、爆走するいけどん太の後ろを息を切らしながらも何故着いていけるんだ。バケモンの後輩はバケモンJr.かよ。金吾、あんただけはこっち側だと思っていたのに何で着いていってるんだ。やめて、あんたは可愛い天使のままでいて。ムキムキいけどんエンジェルになんかならないで。
なんとか山の頂上まで辿り着くものの、バケモン達は息を切らして地面に横になっているだけだが、鬼ババはそれに加えて白目を剥いて意気消沈である。人一人引き摺って走っていた土井センが息切れ一つしていないことに関してはもう諦めた。
「体育委員会ってずっとこんな走ってんの?なんで?」
「まぁ忍術学園の周辺を見回っている役割もあるからな。物語に使えるんじゃないか?」
「そういった情報はありがたいけど、こんなに体力使うことはもっと事前に知らせてほしかった」
隙あらばネタをぶっこんでくれる土井センがマネージャーや担当さんに見えた。
水を飲んで一息ついたところで、いけどん太が山を下ると言い出したのでその時点で再び白目を剥く。委員会メンバーの同情的な視線がグサグサ刺さってとても痛い。
そこで、まさかの土井センからありがたい案が繰り出された。
「せっかくだし、小平太。帰りは彼女を背負って走ったらどうだ?」
「お姉様をですか?」
心の中で土井センに拍手を送る。体力底なしのいけどん太、自分を背負って走ることは苦もないに決まっている。年下に背負われる年上のプライドなんてここで過ごしているうちにどこかへ行った。自分も休めるし、 win-winじゃないか。
「実戦でも人を一人背負って走ることはよくあることだ。今から慣れておいても損はないんじゃないか?」
「成程!」
「清右衛門だってそうやって鍛錬していたからなぁ」
清右衛門という名に聞き覚えがあり、滝夜叉丸に聞いたところあの桜の大木を丸々一本持ってきたゴリラの男の子だと思い出した。確かいけどん太の先輩と言っていたか。バケモンの上にはバケモンがいると知り、この子達がいつかバケモンに進化すると思うと涙が出てくる。
「桜木先輩も………!それならばお姉様を桜の大木だと思って走れということですね!土井先生!」
雲行きが怪しくなってきたな。
土井センの表情が少しだけ硬くなるのを見逃さなかった。
「い、いや別に大木に置き換えなくてもいいんじゃないか……?」
「いいえ!桜木先輩を越えるためにはイメージトレーニングも必要です!お姉様、大木になってください!お姉様ならあの木を超える大木になれます!」
「やめるんだ小平太。彼女に清右衛門が持ってきた大木をも越える図太さがあるのは間違いないが、それは女性に失礼だろう」
「何をおっしゃいますか土井先生!その神経の図太さがお姉様の良いところ……やはりお姉様は大木になり得るのです!だからお姉様、大木となり私のこれからの成長の糧になっていただきたい!」
「あのなぁ、小平太。女性に大木になれというのが失礼なんだ。それだと彼女そのものが大木だと誤解されかねない。図太く、不可思議な花を咲かせそうなあの人だが大木ほど重くはない……はずだ」
話が脱線しているのは滝夜叉丸達でもわかった。ヒートアップしていく大木談義を止めようかと手を伸ばしかけたが、それよりも早く男2人の頭に手をかけた者が1人。その形相に体育委員会の者達はあの異名はやはり伊達ではないと改めて思い知ったのだった。
「大木大木うるせぇ!!!」
「「あだぁっっっ!!?」」
2人の後頭部を掴み、勢いよくその額同士をぶつけ合わせた鬼ババの目は怒りで赤色に染まっていた。滝夜叉丸の右腕に金吾、左腕に四郎兵衛、背中に三之助が引っ付く。滝夜叉丸も誰かにしがみつきたかった。
チーンと効果音をつけて地面に伸びる屍2つを数秒見下ろして、鬼ババが首だけをこっちに向けてくる。ビクッと全員で体を震わせれば、人差し指でこっちに来いと合図され、大人しく揃って足を動かした。
「レディの取り扱い方を教えてやる。山を降りる間、きっちり仕込んであげるから今後の任務に活かしな。あのバカ共を反面教師にレディへの扱い方をしっかり学べ」
「「「「イエス鬼マム!!」」」」
颯爽と山を降りていく鬼ババの背を、敬礼しながら歩き進める。背後の頭に星が浮かんでいる男2人に目もくれず、体育委員会のメンバーは必死に鬼ババのありがたい講座に耳を傾けながら山を降りていった。
後に滝夜叉丸はこの出来事を『バカもの共が夢の跡』と名付けた。
《生物委員会》
「あっ、お姉さんだ!」
「あれ、本当だ!なんでここにいるんですかー?」
下山し、次の委員会に向かえば出迎えたのは三治郎と虎若だった。寂しさを混えつつ、精一杯笑顔を作る2人に胸が痛むが今は委員会巡りについて説明するのが先だ。何せ、土井センは今頃いけどん太と山で伸びている最中なのだから。
なんだなんだと聞きつけた生物委員会のメンツが自分達を取り囲む。その中でも委員長代理の竹谷八左ヱ門が少し離れた場所から慣れたようにスッと懐から糸電話を取り出し、流れるような動作で片方を転がしてきた。さながらカーリング選手のような素晴らしいポージングだった。
「八左ヱ門、糸電話もういいよ。なんかごめんね?」
「もう……いいんですか?」
「うん、いいよ。私に虫を近づけないなら」
「っっ近づけません!」
スキップしながら嬉しそうに近づいてくる八左ヱ門への罪悪感がすごい。カマキリの卵事件で鬼ババ軒を出禁にし、かつ会話を糸電話にさせた元凶で自業自得の少年だが、こうもおやつを前にしたゴールデンレトリバーみたいな反応をされたら罪悪感が波のように押し寄せてくる。
「それで、お姉さんは何しに生物委員会に?」
「委員会巡りにきましたー」
体育委員会と同じような反応をされた後、土井センが言ってたことをそのままそっくり説明すれば納得した全員が嬉しそうに周りを囲み始めた。
「お姉さんと一緒に委員会できるってこと?」
「授業のお手伝いはしてるの見たことあるけど、委員会には参加してなかったですもんね!」
「やりましょうやりましょう!きっと楽しいです!」
「今日はいい日ですね〜」
「ジュンコも喜んでます」
「うっし、お前達!お姉さんにいっぱい生き物の良さを知ってもらえる日にするぞ!」
八左ヱ門の意気込みに水をさすようで悪いが、相容れないものはあるのだとちゃんと言っておいた方がいいこともある。
だから言った。「虫だけは生きている間に良さを知ることはできないからそれ以外で」と。
・
・
・
生物委員会の仕事は主に忍術学園で飼われている生物の飼育だ。毒虫や毒ヘビだけでなく、ヤギやリスなど一般的な動物の世話も仕事の一環のようだ。
たまたまその辺を散歩していたジョバン忍を連れてきて正解だったかもしれない。彼女は今、八左ヱ門から美味しい木の実をもらってご満悦である。思えば、鬼ババ軒で外で糸電話する八左ヱ門のそばにジョバン忍はずっと隣にいた気がする。八左ヱ門が生き物に好かれているのか、はたまた男嫌いのジョバン忍が八左ヱ門を好いてるのかは知らないが2人が仲良いのは知っている。
「お姉さん、虫はダメなのにヘビは大丈夫なんだ」
「うん、まぁ、平気ではないけど虫よりかはずっといいや。毒があっても噛まないってあんたらが言ってんなら少しは信用できる」
「少し〜〜??」
「大いに信用、いいえ信頼してます」
「よろしい!」
肩に毒ヘビを乗せて緊張している自分に三治郎のジトーッとした視線を受けて訂正すれば、いつものニコニコ顔を乗せた得意げな顔が披露される。この子ってこういう面があるから侮れないと思ったのは内緒である。
「それにしてもヘビを肩に乗せるのってマジで緊張する。孫兵、あんたよく四六時中乗せていられるよね」
「何言ってるんですか、愛するジュンコがいない生活なんて考えられませんよ。お姉さんだってそうでしょう?」
「お姉さんヘビと生活したことないからその感性は永遠に理解できない」
肩に乗せていたヘビを虎若にバトンタッチし、気が楽になったところでジョバン忍が肩に戻ってきた。ヘビは彼女にとって天敵、それが主人のところにいたら避難だってしたくなる。だからずっと八左ヱ門に引っ付いていたのだ。
すると、その八左ヱ門がどこからか慌てた様子で駆け寄ってきた。
「大変だ!毒蜘蛛の三雲が脱走した!」
「本当ですか!?早く探さないと!」
「お姉さん!お姉さんは虫がダメなんだから一旦どこかに………って逃げ足速ぁっ!」
当の鬼ババ、八左ヱ門が事態を告げた瞬間すでに体を翻していた。
いつの世も。
ダメなものは。
ダメである。
颯爽と逃げていく鬼ババの背中にはそう書いてあった。とりあえず周辺は孫兵と一平、孫次郎に捜索を任せ、八左ヱ門と三治郎と虎若は鬼ババの後を追うこととなった。
いつだったか、土井先生行方不明事件の後にドクタケが学園を襲ってきたことがあるが、その時の鬼ババの勇敢さはどこに行ったのか。
ドクタケが学園に侵入して慌しかったとき、鬼ババ軒に誰も行っていないことがわかって焦っていたところ当の本人が鬼ババの如く邪悪な高笑いをしながらドクタケの忍者を追いかけてはいなかったか。
何かの紙を持って「ほーれ、これ声出して読んでみろよ」とドクタケ忍者を追いかける鬼ババ。顔を真っ赤にして悲鳴を上げるドクタケ忍者たち。彼女からこぼれ落ちた紙を拾いながら追いかける伊作先輩の図はなかなかに歪だった。だが学園は守られた。あの後土井先生に怒られていたらしいが、結局あの紙がなんだったのかは伊作先輩と土井先生以外は知らない。知っちゃいけないらしい。主に下級生は。
「もぉ〜お姉さんどこまで逃げたんだろう」
「そこまでして虫が嫌いなんだろうねぇ」
「おっ、あそこにいるのお姉さんじゃないか?」
虫達を飼育していた森から抜け出たところの長屋に彼女はいた。壁にもたれながら魂を飛ばしているその姿は鬼ババと呼ばれるには程遠いものであった。
「お姉さん大丈夫?」
「無理」
「虫が無理なのに今回は毒蜘蛛だもんねぇ」
三治郎と虎若にポンポンと背中を叩かれながら慰められる情けない大人の図。
そんな時、傍らで慰めていた虎若が何かを見つける。その瞬間に緊張した空気を纏わせ、彼女から一歩離れて戦闘態勢に入った。
「虎若、どうしたんだ?」
「お姉さん、動かないで」
「え、なに。虎若、なにその顔」
「いいから動かないで」
背中に装備していた虫取り網を構え、ジリジリと寄ってくる虎若に思わず後退りする。気づいた三治郎もハッと真剣な表情になり、同様に網を構え始めた。
「ちょっとやだ、三治郎まで網を持ってなんなのさ。………待って、もしや思うけど……いるの?」
「そうだよ、お姉さん、いるよ」
「お姉さんの背中に………三雲がいるよ」
その瞬間、鬼ババの声にならない悲鳴が森を劈いた。目の前にいた八左ヱ門に飛び乗り、手足全体でしがみつく鬼ババのなんとも情けないことか。お陰で八左ヱ門は全く身動きがとれなかった。
「三治郎、虎若、今すぐとって秒でとって!」
「とるからお姉さん動かないで!」
「ジョバン忍……はもう三治郎の肩にいるから大丈夫か」
「ジョバン忍!貴様自分だけ安全圏に逃げやがって!貴様の夕飯はその辺の雑草だかんな!」
「ジョバン忍に当たるなよ、お姉さん。早く離してくれ」
そうはいっても無理なものは無理である。背中に自分の嫌いなもの、しかも毒付きという嫌いと危険が合わさったものが引っ付いているとなったら尚更だった。毒虫と出禁野郎のどっちをとるかと問われたら断然後者。昨日の天敵は今日の味方。
緊張感を持って網を持ちながら迫る三治郎と虎若。子泣き爺のように引っ付いてくる鬼ババを抱えた八左ヱ門は仕方ないと言わんばかりに彼女の背中に手を回し、引っ付いている毒蜘蛛の三雲を剥がして虎若の網にポイッと放り投げた。
「さすが竹谷先輩!」
「三雲をあんなあっさり捕まえちゃうなんて!」
後輩達の羨望の眼差しを受け止めつつ、照れながらも八左ヱ門は己に引っ付いている彼女の背中をポンポンとあやすように叩いた。この場面を三郎に見たら間違いなくぶっ殺されるだろうが、あいにく三郎の恋心を知らない八左ヱ門がそんな気遣いをするわけもなく、慈愛の目で泣き縋る恋人を宥めるように腕を背中に回していた。
「ほら、お姉さん。三雲はちゃんと剥がしたから安心しなって」
「………八左ヱ門。あんた男前だよ。お姉さん感動しちゃったよ。ご褒美にヨシヨシしてあげよう」
「ちょっ、俺はガキじゃないんだって……」
器用に交差した足で体勢を保ちながら、彼女は八左ヱ門のボサボサの髪を大袈裟に撫でてやる。彼女の重くはない体重に耐えながら嫌がる素振りを見せる八左ヱ門だが、その顔は本心から嫌がっているようには到底見えない。
後輩達の羨ましそうな視線をスルーし、彼女のご褒美を一心に受け止めていたところでその彼女から「………ん?」と上擦った声が聞こえてきた。
大袈裟に八左ヱ門の頭を撫でていた彼女は知らなかった。そう、八左ヱ門の髪ではミノムシなどの虫が多数飼育されていることを。
「ギィヤァァァァァァァァァァァ!!!」
素晴らしい絵を描く白い手の中で小さなミノムシが「やぁ」と挨拶をかまし、彼女のこれ以上にない悲鳴が学園中を飛び回った。そして次の瞬間、天に舞った生物委員会委員長代理の姿を三治郎と虎若が揃って「おほー」と溢しながら眺めていたことは鬼ババしか知らない。
裏山で伸びていた一年は組の担任がようやく追いついた頃には、地面で気絶している八左ヱ門とその体をツンツンと突いている委員会メンバー、そして機嫌悪そうな鬼ババの姿があったそうな。
その中で鬼ババは内心全然関係ないことを考えていた。
こんな童貞みたいな顔しといて童貞どころか処女も失ってるとか詐欺にも程がある、と。
《作法委員会》
「今日は私達の委員会なのですね。ようこそお姉様、作法委員会へ」
次の日、あみだくじにしたがって向かった先で待ち構えていたように仙蔵が出迎えてくれた。羨ましいくらいのストレートヘアが風に靡き、絹糸が空中で布に織られている瞬間を目の当たりにしているみたいだった。
仙蔵が迎えに来てくれたのは委員会に向かう道の途中、「もうみんな揃っています」と付き添いの土井センも含めて3人並んで歩いていく。
「それにしても、よく私が作法委員会に行くってわかったね」
「忍者は迅速な情報共有も武器の一つですから」
その一言でその情報を漏らしたのが隣のメンヘラ製造機だとすぐにわかった。あみだくじの結果は自分達2人だけしか知らないのだから。
直接行って驚かせたいサプライズ欲を阻害されたものの仙蔵に「昨日、小平太と竹谷がお姉様との委員会活動を自慢されていましたから、羨ましかったので今日は来ていただけて嬉しいです、お姉様」と言われちゃ怒る気も失せるってもの。命拾いしたな、メンヘラ製造機よ。
作法委員会の活動場所に赴けば、地面にズラリとやたらでかい生首が並んでいる光景に出くわした。大仏だのうさぎだのアヒルだの、この戦国時代において一体何の役に立つのかわからないラインナップで言葉につまった。
「えっ、お姉さん!?」
「えー!何でここにいるんですかぁ〜?」
「お、鬼ババに怒られる予習してない……」
「おやまぁ」
生首を前に作業をしていた委員会メンバーが手を止めてこちらに駆け寄ってくる。個性的な装飾を施していたからか、ところどころ墨などで汚れており、手が届く距離にいた伝七の頬を手拭で拭ってやる。照れ臭そうに身を任せる伝七がびっくりするくらい可愛かった。ぼくも!と順番待ちする兵太夫も可愛かった。
ここに来た理由の説明を土井センに任せ、せっかくだからと藤内の顔も拭い終われば残るは1人。
「喜八郎、あんたも拭いてあげようか」
「ぼくは遠慮しまーす」
「1番汚れてるがな」
作業ではなく穴を掘っていた喜八郎は墨ではなく土だらけだ。ツーンとそっぽ向く相手に無理強いするつもりはないので大人しく手拭いをしまうが、それはそれでつまらないという顔をされる。13歳って難しい。
「そんなわけで、今日はお姉様と一緒に首実験に用いるフィギュアを作っていこうと思う」
気分は体験教室に来たみたいでちょっとだけ落ち着かない。
あらかじめ生首フィギュアを外に出していたのは、この作業を共にすることが目的だとわかった作法1年コンビが片方ずつ手を引いてくる。
「お姉さん!向こうにぼくの自信作があるんだ!見に来てよ!」
「待て、兵太夫!まずはぼくの方からだ!」
「はいはい。焦らんでもお姉さん逃げないから」
小さな手から伝わってくる尊い体温に思わず笑みを溢し、2人の後を着いていく。その光景を先輩と土井センが微笑ましそうに見守っているのを知りながら、そちらを見ずに戦国時代に必要なセンスなのかが問われる独特な生首鑑賞会に浸っていた。
「お姉さんも描いてよ」
「マジ?やっていいなら喜んでやるよ」
「立花先輩、いいですよね!」
「勿論だ。私もお姉様が作るフィギュアには興味があるからな」
委員会委員長の許可も得たことで、アシスタントの如く兵太夫が差し出してきた筆を意気揚々と握る。
「よっっし!見てな、あんたら。お姉様の本気を見せてあげましょう!」
・
・
・
「本気を出しすぎだ」
冷静を装うとする引いた目線の土井センが言った。
さらに、さっきまで隣でワクワクしながら完成を待ち侘びていた兵太夫と伝七はというと、仙蔵の後ろに隠れながらもザ・ドン引きをしっかり披露してくる。藤内なんか「よよよよ予習……無理だ」などと顔を青くして諦めに至ってるし、喜八郎は「おやまぁ、さすが鬼姉様」と興味津々に完成したフィギュアを間近で凝視していた。
「やっべぇな、この時代に来てセンスが開花してるな」
作法委員会がドン引きするほどの傑作を改めて見遣る。
首実験は討ち取った首をそのまま並べるのではなく、しっかり血や汚れを洗い、髪をすいたりしてから並べられるのだそう。今回作った2パターンのうちの1つはそれである。粘土とか糸とかを駆使して作った傑作だ。これは褒められた。だが問題はもう1つの方である。
切り離しホヤホヤの生々しい首フィギュアが作法委員会を光のない目で見つめてくる。青いのか黄土色なのかわからない肌、煌めきなんぞカスほどもない金壺眼はぐりんと上を向いているし、半開きの口からは力尽きたナメクジのような舌が垂れている。極め付けは首の断面から流れ出たように見せる血の跡。
討ち取られた首は腰にぶら下げて持って帰ると聞いたが、自分で作ったもののこれを腰にぶら下げるのは普通に嫌であった。室町の感性は500年後の人間には早すぎた。
「討ち取った首で吉兆を占うこともありますよ。お姉様の作ったフィギュアは天眼なので凶ですね」
「やだもうこの時代」
本当に未来人にはこの感性は早すぎた。こんなパチモンフィギュアにドン引くより生首で占う方が遥かにドン引きである。
とはいえ、さすがは上級生といえばいいのか。ドン引きする下級生とは打って変わって面白そうにあらゆる方向からフィギュアを観察している。ここはどうだの、ここはもっとだの、真剣に生首談義している姿はまさに忍者の卵だ。未来でいえば中1と中3の2人だが、こうして忍者になるための一生懸命さを見ているとジェネレーションギャップの差を思い知らされる。
さすがにこれは表に出したままだと生徒達が阿鼻叫喚になるということで、作法委員会の倉庫に仕舞われることとなった。土井センに言われるまま、他のフィギュアを作り始める子達に背を向けて首フィギュアを仕舞いにいく。
仙蔵に言われた場所に置き、彼らの元に戻ろうと歩いていたところで浮遊感が襲う。気づいた頃にはもう遅い。体が重力に逆らえないまま吸い込まれるように落下していった。
背中に鈍い痛みはあるものの、感じるのは柔らかい感触。優しい気遣いに身を任せながら溜息を吐き、頭上の丸く切り取られた青空に向かって呼びかけてみる。
「喜八郎、いるんならでてきなー」
土で作られた額縁の青の絵画にひょっこり人物が追加される。何を考えているかわからない表情で覗き込む少年に手招きすれば、素直に従った喜八郎が少し空けてスペースに華麗に着地した。
湿った土の部屋で広がるのは沈黙。横目で喜八郎を盗み見ると、何か言いたげに己の爪先を睨んでいる。ここはこちらから声をかけるべきか、向こうが切り出すのを待つべきか。セルフらいぞーを頭に宿し始めたところで喜八郎の方から沈黙を破った。
「僕、早く大人になりたいです。なりたかったです」
言葉の意味がわからなくてパチパチと瞬きだけを返せば、喜八郎は折り曲げた膝に頬を乗せて上目遣いを寄越してきた。
「そしたら鬼姉様と対等でいられるじゃないですか」
「充分対等だと思われてますけども」
大人としての対応なんて敬語で話される以外された覚えはない。喜八郎だけでなくこの学園の生徒の殆どに。
鬼ババ軒には断りもなくお邪魔してくるわ、周囲に穴は掘るわ、動物や虫などを放つわ、しんどくなった時の避難場所にするわで人のプライバシーを軽々損害してくる所業はしっかり記憶されてる。
「僕たちはそうかもしれません。けど、鬼姉様は違うでしょう?」
───僕たちのことを"子ども"として見てるでしょう?
目の奥に否定を促したい縋るような感情が見える。大人の背丈に合わせて背伸びをしている、まだまだ成長過程の少年に対してこんなことを言うのは酷かもしれない。
「そうだね。私から見たら、君達はまだまだ子どもだよ」
案の定、この言葉は喜八郎の心に深く突き刺さった。歪んだ顔にどこか切なさがよぎる。
隣で膝に顔を埋める成長真っ只中の少年の頭を引き寄せて肩に乗せてやる。
「大人になるってのはさ、そう簡単なことじゃないんだよ。子どもが持ってる無邪気な残酷さを捨てて、自由を求める代わりに責任がのしかかってくる忍耐力が求められんの」
「鬼姉様に忍耐力なんてあったんですか?」
「見りゃわかんだろ。あんだろ。なかったら今頃私は鬱になって鬼ババ軒に引きこもって誰とも関わろうとしてないよ」
身を委ねてくる喜八郎の頭を引き寄せた手でポンポンと撫でてやる。気まぐれな猫が懐いたような感覚を覚えながら、この時代に珍しい綺麗な銀髪に頬を埋めた。
「私からすればさ、あんた達は私の知ってる子どもよりずっと大人に近いの。それと同時にまだ大人になってほしくない思いもあるんだよ」
「……何故です?」
「学園を卒業したら本格的に戦に駆り出されるでしょ。そうなると無理矢理にでも現実を突きつけられる。忍たま上級生ならもう現実が垣間見えてるかもしれないけど、ここにいる間は少しでも子どもでいてほしいんだよ」
「それは……鬼姉様の心からのお願いですか?」
喜八郎の手が服の裾を掴んできた。
「そう。鬼姉様の心からのお願い。不安と恐怖に立ちすくんで、怯えを知って、強くなってほしい。先生達と先輩達をこき使うレベルに頼りな。『怖い』を知ってるあの人達ならいくら怯えようが笑って隣を走ってくれる。そしたらいつか自然と大人の背中に辿り着くよ」
「鬼姉様………大人みたいなこと言いますねぇ」
「大人なんだよ!………なーんて、子ども心がまだ残ってるエセ大人だがな」
「確かに」
「そこはそんなことありませんって言うところなんですが」
減らず口を言う元気があるならもう大丈夫だろう。
頭を引き寄せていた手を解こうとしたところで、背中に手を回され、強く強く抱き締められた。肩口に埋まる喜八郎の吐息が服越しに伝わってくる。
「それなら、鬼姉様のためにまだ少しだけ子どもでいてあげます」
「おーよ。つまんねー大人にならんよう精々遊び倒せ」
「もし………もし、鬼姉様のようなおもしれー大人になれたら、その時は隣を一緒に歩いてもいいですか?」
いつしか、彼女がやっていた紙芝居を喜八郎は思い出す。大人にならない世界で過ごす少年と妖精のお話。
その話のヒロインは大人になることを選んだ。
主人公は子どものままでいることを選んだ。
この2人は子どもだからこそ並んで空を飛べた。自分達は子どもと大人だから並んで飛ぶことなんてできない。
大人というのは無邪気という羽を捨てる代わりに、自由という名の大地を歩くため、責任という靴を履いて歩くのだ。
喜八郎はまだその靴を探す段階に立っている。羽を捨て切れない、責任を履く怖さに戸惑っている大人になりきれない少年だ。
でも知ってしまった。自由を謳歌する輝かしいその笑顔を。自分が選んだ靴で走り回る奔放な姿を。早く大人になりたいという憧れを握らせた彼女を。
「おー待ってる待ってる。あんたがどれだけおもしれー大人になったか見てやろうじゃないの」
この時代じゃきっと見せられない。
それならば500年後だ。ネバーランドを飛び出して、自分が選んだ靴を履き、彼女の隣を歩けるような大人になってやろう。
「500年後、おもしれー大人になったこと褒めてくださいよ」
別れの挨拶なんてしてやるものか。
彼女が約束を忘れないよう、ここでの出来事をグリグリと額で擦り付けていると上から「お姉さんに綾部?」と第三者の声が降ってくる。見上げればたまたま通りかかったのか、穴を覗きんでいる久々知兵助がいた。
「綾部の落とし穴に落ちたんですか?引き上げます?」
「おやまぁ久々知先輩じゃないですか。僕が引き上げるんで大丈夫でーす」
「ってことらしいんで心配しなくていいよー」
「そうか。お姉さんも無茶しないでくださいね」
自分の手がいらないことを察した兵助がその場を去った後、喜八郎が手慣れたように穴から脱出し、彼女を地上に戻したところで2人を探しにきた仙蔵が合流した。落とし穴で大方察したらしい。肩をすくめて喜八郎をジロリと睨む。
「まったく、お姉様を困らせるんじゃない」
「人聞きの悪い、ちょっとお話を聞いてもらってただけですよー」
「ほお、お前が?一体どんな話をしたんだ?」
「先生や先輩達をいっぱいこき使えって言われました」
「喜八郎、私は下剋上の話をした覚えはないんだけど」
今度は彼女に睨まれ、刺さる視線をスルーして踏鋤のフミコちゃんを握り、先程まで入っていた穴を埋め始めた。
「お2人は先に戻っていてください。僕はこの穴を埋め終わったら向かいますので」
「それなら私も手伝おう。お姉様はお先に。土井先生が遅いと目を釣り上げていましたよ」
「成程喧しそうだ。そんじゃお言葉に甘えて先戻らしてもらうわ」
兵太夫達の元へ戻る彼女を見送り、仙蔵は黙々と穴を埋めている喜八郎を見遣った。彼女が帰ると知ったあの日から、どこか迷子のような目をした後輩は今、新たな目標ができたように真っ直ぐな目をしている。
「その穴は、埋めてよかったのか?」
「………いいんですよ。埋めないと決心した何かが揺らぎそうなので」
サクサクと土を被せていく。奈落の底に、伝えることをやめ、息を止めた言葉の端を沈めるために。その中に落ちた一粒の塩辛い涙はその言葉の代わりなのかもしれない。
グイッと手の甲で頬の水を拭い、喜八郎が仙蔵を真っ直ぐ見た。
「500年後、また掘り返せばいいんです」
「………そうか」
どうやら心配は無用らしい。
一歩、大きく成長したであろう後輩の頼もしい目に仙蔵も500年後が楽しみになった。
ああ、今日も晴れて何よりだ。
《保健委員会》
「「「保健委員会へようこそーーー!!」」」
言葉通りの垂れ幕を持って歓迎してきたのは、保健委員会委員長の伊作と乱太郎、そして伏木蔵だった。どこからか強風が吹いて、垂れ幕が真ん中からビリッと裂かれ、その向こうから左近と数馬が顔を出したのももはやお約束に見える。
委員会ツアーの話は勿論保健委員の耳にも入っており、みんなでできる委員会活動を一生懸命考えてくれたらしい。結果、そこまで遠くない森へ薬草を探しに行くいつもと何ら変わらない活動となったとのこと。伊作はもうちょっと別のことを体験してほしかったようだが、いつもの委員会活動を見たかったこっちとしてはありがたいので大袈裟に喜んでやったら嘘くさかったのか少し白い目で返された。
「私、薬草のこと何もわかんないけどいいの?」
「そこは僕が一緒に回りますので。今日は引率で土井先生もいらっしゃいますから何が来ても安心ですね」
「お前達の不運がいつ発動するのかと思うとすでに胃が痛い」
新野先生から常備用の胃薬を貰っている土井センに同情していたが他人事ではなかった。同行する自分もそれに巻き込まれることは必然であろう。森に行く前に神社に行こうと提案したが、時間がないと即刻却下されてしまった。せめて熊が襲ってこないことを祈った。
籠を背負っていざ森へ。
ドヨーンといかにもな薄暗い森。熊よりも幽霊の方が出てきそうな雰囲気だった。それでも奴ら忍者どもは幽霊なんて言葉知りませんって背中で語りながら堂々と足を踏み出していく。きっとこいつらは幽霊なんぞ不運で吹っ飛ばしてるんだろうと適当に決めつけてその後を着いていく。
森なんて未来で歩いたことなんて数えるくらいしかない自分に乱太郎が手を繋いで歩いてくれる。いつもより饒舌だが、それもきっと寂しさを隠すためのもの。みんなに気を遣われているのがありありとわかり、申し訳ないと思いながらもその気遣いに甘えている。
「今日は何の薬草を探すの?」
「治志麻草って薬だよ」
「気合いで治してくれそうな薬草だな」
水が近くにある湿地帯に生えている珍しい薬草らしい。葉は大きめで茎や根っこまで丸ごと薬になる万能な薬草とのこと。
話が少し途切れたところで乱太郎に尋ねてみた。ここ最近会わないきり丸のことを。
きり丸の名前が出た途端、握られていた手に少し力が入る。向けられたメガネの奥の瞳になんとも言えない気持ちが込められていた。
「きりちゃん、あれから全然元気ないんだ。わたしもしんべヱも遊びに誘ったりしてるんだけど、バイトが忙しいって」
確かにきり丸は何かを忘れるかのようにバイトにのめり込んでいた。たまたま見かけて声を掛けたときも、手を振られただけで話はせず。前よりお姉さんと呼んで近寄ってくることもなくなった。
土井センにもそれとなく聞いてみたときも同じ感じだった。上っ面の笑顔で乗り切ろうとするきり丸は見ていて痛々しいと。
「そう……」
「………きっとね、きりちゃん、お姉さんを家族だと思ってるんだよ」
「そうなの?」
「わたし達の中でお姉さんのことを1番大好きなのはきりちゃんなんだ。そんな大好きな人との別れが受け入れられないんだよ」
たかが半年くらいしかいなかった未来の女が消えるだけ、と思っていたのに乱太郎がそれを覆す。みんなが懐いてくれたり、助けに来てくれるほど信用されるようになったのは理解していたが、まさか家族の域にまで到達していた者がいたとは思わず目を丸くした。
「帰る前に、きりちゃんとしっかりお話してあげて」
そう言った乱太郎はそっと手を緩め、前を歩いていた土井センと左近と伊作の元へ1人で去っていった。乱太郎に気づき、変わって隣を歩き始めたのは伊作だ。何を察したのか、慈愛が満ちた目に小さく笑みを返すことしかできない。
「子どもに諭されちゃった」
「みんな2人を心配してるんですよ」
勿論、僕だって。
そう言って寂しそうに笑う伊作になんて声をかけようかと迷っていたところで、突如視界が傾いた。違う、傾いたのは自分の視界じゃない。
「伊作!!?」
「わっ、わあぁ〜〜〜!」
早速不運発揮しやがった不運大魔王。ここはもう湿気帯、地面が空気中の水分を吸い込んで地面が泥濘んでいた。それに加えて伊作が踏んだ箇所がひび割れ、そのまま奴を斜面の下へと無理やり誘い込んでいく。
咄嗟に手を伸ばすものの、インドアの人間の引っ張りあげる力なんてたたが知れてる。手が繋がった瞬間、重力に負け、同じように坂の下へと傾いていった。誰かがもう片方の腕を引っ張ったが、その力も割と軟弱で重力に勝つことはできなかった。
草が絨毯になってくれて助かった。途中で止まろうと適当な草を掴んだが、草も人間の体重を支えることは無理があったらしく、結局は根っこごと人間に誘拐されてしまった。掴んだ草は適当に籠にぶち込み、平になった地面の上で辺りを見回した。
「お姉様、僕の不運のせいでごめんなさい……。足の方は大丈夫ですか?」
「うん、怪我はないし、足も大丈夫そう。そっちは?」
「僕も慣れてるのでこれくらいは。左近、君も大丈夫かい?」
「だ、大丈夫です!」
大人2人を引っ張ろうとしてくれていたのは左近だった。
乱太郎達と少し離れた後ろで薬草を探していたところで、後方にいた伊作が坂から転げ落ちそうになっていたのを見かけて走ってきてくれたそうな。結局は一緒になって落ちて泥だらけになってしまったが。
「それにしても、結構な高さから落ちたね。誰も怪我してないのが奇跡よ」
「土井先生達気づいてないんでしょうか」
「落ちる前、複数のカラスが揃って鳴いていたから、それに掻き消されて気づいてらっしゃらないかもしれない」
「とりま叫んでみる?おーーい、土井セーーーン!」
カァーーーーーーーーーー!!!
「…………おーーい、土ー井ーセーンーーーー」
カァカァカァーーーーーーーー!!!
「……………土・井・セ・ンーーーー!!!」
カーッカッカッカァーーーーー!!!
「伊作、手裏剣貸して。あのクソガラスどもをぶちのめしてくれるわ」
「いいですけど、あのカラス達返り討ちにしそうな顔してますよ」
「間違いなく鼻で笑ってますね」
あのクソガラスに出会ってしまったことが不運なのだろうか。不運だろうがなんだろうがカラスに舐められるのは嫌だ。伊作が手裏剣を貸してくれないのならその辺にある小石をぶつけるしかない。
左近に止められながらも腕を振り上げたところで、木に留まっていたカラス達が声色を変えて一斉に空に飛び立っていく。
こっちの気迫に恐れ慄いた訳ではなさそうだ。なら何故ここから逃げたのか。その答えはすぐにわかった。
「いーい獲物はっけーん」
「金目のものは持ってんだろぉなぁ〜?」
典型的な野盗のお出ましだ。
こっちも泥だらけだが、向こうはまた別の汚しさがある。無精髭とボロボロの着物、片手に刀なんて漫画に出てくる山賊そのものだ。正直臭いそう。多分カラスもこの臭いから逃げたのだ。時雨も昔はこんなことしてたと思うと幸せになってよかったとしみじみ感じる。
「俺たちゃ運がいい。女もいるぜ?」
「この人はやめておいた方がいいです。人にはお見せできない絵を持っては言葉にできそうもないセリフを自分が納得行くまで読まないと永遠に追いかけ続ける新手のかつあげ鬼ババ妖怪です」
「おい伊作」
「その被害者は多数……捕まったら最後、最終的には処女を奪われた人間の如く貴方達は意気消沈します。さぁ早く逃げてください!これ以上被害は出したくない!」
「俺達が逃げる側なのかよ」
不運は一体どっちなの。下衆い顔をしていた野盗達がスンとさせてツッコミ側に回った。伊作の言葉を聞いた左近は訝しげにこちらを見上げてくる。
登場してすぐに立場が逆転しそうになるが寸前のところで立ち止まったらしい野盗の1人が刀を向けてくる。「これ以上被害者を増やしたくないのに……仕方ない」と戦闘時の目つきに変わる伊作。1番の被害者が真横にいることを忘れていないだろうか。
「お姉様、こうなったら止められません。やってしまいましょう!」
「お前が始めた物語を丸投げすんなよ。あとあんた後で話がある」
「伊作先輩、お姉様、何をされるんです?」
「左近、目をつむっていて。僕はお前の耳を塞ぐよ。お前にはまだ早すぎるからね」
ちょっと不安そうな左近を諭し、耳を塞ぐ伊作がこっちに目で合図するが、その合図の意図をこっちはちっとも理解していない。大方察してはいるものの、一人でいろいろ完結させないでほしい。
「やるも何も、私あれ持ってきてないんだけど」
「こんなこともあろうかと僕の懐に忍ばせてあります」
「何で持ってんの。バレたときに1番ヤバいのあんたなんだけど。キメ顔すんじゃないよ」
前にドクタケが攻めてきたときに追いかけ回した際のやつをこっそり何枚か拝借していたとのこと。伊作はその辺のものを武器にする乱定剣で戦うのだが、これもその一部になるのだろうか。これを投げられた敵はどんなリアクションをするのだろうか。ちょっと気になる。
左近の耳は伊作が塞いでくれてるし、野盗も逃げそうにないし、やるしかなさそうだ。気怠そうに丸めた紙を野盗に投げる。その中の一人が素直に投げられたものを受け止めた。
「あぁん?何だぁこれは?」
「まぁ開いてみてよ。そこに書いてあるセリフを森に響くくらいシチュエーションに合わせて読み上げてくれたら私を好きにしていいよ」
「んなことでいいのかぁ?お安いご用意だなぁ」
下衆い笑みを深めた野盗が自信満々に紙を開いた。直後、ピシリと効果音が聞こえそうなほど体を硬直させる。「おっ、おおおおおいこれ……」と顔を真っ赤にして震える野盗に今度はこっちが下衆の表情を見せてやる。
「どうしたのよ。お安いご用意なんでしょ?さっさとでかい声で読めよ」
「お、女ぁぁっ〜……なんて物を読ませるんだ!破廉恥にも程があるだろう!!」
「何とでもお言い。まだまだあるわよ、いろんなシチュエーションがね!!あんたら全員各々のセリフ言わないと家に帰さないからね!!」
「おっ、鬼ババーーーー!!!」
何だか楽しくなってきて、伊作の懐からさらに出そうとしたところで空から何かが降ってきた。野盗と自分達の間に立つその背中は見たことのある忍服。ここは彼らの領内ではないのに何故いるのかと問う前に向こうがこっちに声を向けてきた。
「お前達、こんなところで何をしてる!」
「こっちのセリフだよ、モロ出し」
「その呼び方をやめろ!あとなんで善法寺くんの懐に手を入れてるんだ!」
この場面を見かけて助けに来てくれたであろうタソガレドキ忍軍の緒泉尊奈門。だが襲われているのは多分野盗。不可思議な光景に刀を向けながら喚いているところ、野盗が慌てた様子で尊奈門に忠告をし始めた。
「おっ、おい忍者のあんちゃん!その女から離れた方がいい!その女は新手のカツアゲをする鬼ババだ!」
「……?彼女が鬼ババであることは知っているが?」
「な、なんだと……!?」
「まさか、このあんちゃんはすでに被害者……?」
とんでもねぇ勘違いが生まれる瞬間を目の当たりにした気がする。
その勘違いはさらに加速した。
「尊奈門、何をして………保健委員の忍たま達に、鬼ババ殿?」
「高坂氏まで。やーな予感」
「この二枚目の忍者のあんちゃんも被害者……!?」
「ところで、左近くんは何故目と耳を塞がれているんだ?」
「15歳以上の一部しか知っちゃいけない事情よ」
野盗VS鬼ババとカオスな戦いに割って入ってきたタソガレドキ。この不毛な戦いの行く末がどんなものか想像もつかない。とりあえず野党に渡したあの紙を取り戻したいところだ。だがタソガレドキのこの2人に見られたくないのもまた事実。
「ななななんだこの破廉恥な絵は………!」
見られたくないと思った矢先にモロ出しにバッチリ見られてしまったようだ。野盗どもが何やら手に持っていたイラストを尊奈門に見せたらしく、勿論被害者でない彼はこの時代よりも遥かに進歩した繊細な絵に顔を真っ赤にして全身を震わせた。この時点で被害者の会ができあがっていた。
高坂氏も倣って覗き込むが、尊奈門よりも歳上のため、そういった文化にはそこそこ慣れているようで少し目を見張るだけで終わった。だがこっちに向ける眼差しはとてつもなく気を遣っているものであった。
「タソガレドキの忍者達は経験も豊富ですし、そういったことにも慣れてるでしょうからバレても問題ないと思いますよ」
「バレた後にするフォローではない。見てよあの高坂氏の気遣いMAXの微笑みを」
「高坂さんもいろんな経験をされてるのでしょう」
「あんたらもでしょ。忍たまのうちから前と後ろの純潔を失ってるあたり私からしたら遥かにいろんな経験をしてるよ」
ピシリと伊作の体が硬直した。
「…………え"。お姉様知って……」
「どこかの親切なくのたまが教えてくれてね。知りたくもねぇ事実を叩きつけられたもんだ。いっときあんたらの顔まともに見れなかったもん」
「……まさか、いつしか五年生と六年生を中心に避けまくってたのって、それが原因……!?」
伊作の顔色が青くなったり白くなったり忙しい。耳を塞がれている左近が伊作の動揺を感じ取ったのか、閉じていた目を開けてパチパチと瞬きをしている。いつの間にかタソガレドキの忍者がいることで丸い目をさらに大きくさせた。
「大丈夫、軽蔑は一切してないから。忍者に必要なことなんだもんね。あれは態度に出した私が悪かった。あれから私もちゃんと成長したんだよ?今じゃ五年生と六年生が乱交してたって言われても驚きやしない」
「そんなことを思われてたことにこっちがショックで驚きです」
「そんなことよりもこの状況からどうにか抜け出そう。あの絵に感化されて野盗達がおっ始めてくれたらその隙に逃げ出せそうなのに。あんたなんかそういう感じの薬持ってないの?乱定剣使ってんだから乱交剣くらいいけるでしょ」
「僕今初めてお姉様を心の底から軽蔑してます」
このカオスな空気に耐えられなくなってきたのか、森がザワザワと騒ぎ出してはトンチキ集団を追い返そうとしている。金を巻き上げようと出てきたのに何故か忍者と被害者の会を開いている野盗達と年下の少年から軽蔑されている女性なぞ自然からしたらゴミも同然なのかもしれない。
拉致があかないので大股で野盗達の元に行き、その手にあるお見せできない紙を奪いとる。
「読まないんなら返せ。今日のところは見逃してやるから、ほれ、早く帰りな」
「だからなんで俺達が逃がされる側なんだよ」
「おん?なんだ?デカい声で読み上げんのか?じゃあ叫んでみろ。この森をピンクに染め上げるくらいに恥じらいのある声で叫んでみろ。《ピーーーーー》ってな!」
「お前が読むのかよ!」
ウジウジもじもじしている野盗に焦ったくなって思わず胸ぐらを掴み上げた。これじゃあどっちが巻き上げている側かわかったものではない。だが、ちょっかいかけてきたのはそっちである。やるんならやり返されることを想定しなかったそっちが悪いのだ。
「おおおおおおまっ、何を言っているんだ一体!」
「尊奈門、何も言うな。巻き込まれるぞ」
さすがは高坂氏、その通りだ。モロ出しがそれ以上突っかかってきたら本当に被害者にするところである。
終わらないやりとりに森がさらなる追撃をしようとしたところで、ざわめきを裂くようにすぐそこに誰かが降りたった。
「あなたって人は〜〜〜〜〜!!何をしとるんじゃ!!」
「あっ、土井セン」
「っ土井半助!ここで会ったが運の尽き!覚悟!!」
「今はそれどころじゃない!!」
土井センの顔を見て反射で向かってくる尊奈門を軽々と片手で後方にぶん投げた土井センは、顔を真っ赤にしてズカズカとこちらに歩み寄ってくる。その後ろで乱太郎と伏木蔵と数馬が伊作達の方に向かっているのが見えた。
「なんちゅーことを叫んでるんだ!!子ども達に聞かせないように苦労したんだからな!!」
「いずれ知るんだからもうよくね?」
「よくない!!」
野盗の胸ぐらから手を離し、パンパンと手を払いながら言ったら土井センの目がさらに釣り上がる。
こうなるとお説教は長い。面倒臭い感情を隠さないまま適当に聞き流していれば、いつの間にか大所帯になっていた。野盗達は増えた忍者達に追い返されたようだ。
「君、予想の斜め上の勇敢さだよね」
「そりゃどーも。それで、雑渡さん達はなんでここに?」
「ちょっとした用事をね。それと、君に渡すものがあって寄ろうと思っていたところなんだ」
雑渡さんが手渡してきたのは一通の手紙だった。
「姫様からだよ」
「姫様から?」
タソガレドキの姫様であり、奈緒の過去の魂でもある夕顔姫が一体何故手紙を寄越したのか。ひとまず中を開いてみれば、長ったらしい文なんてものはなく、ただただ簡潔に記されていた。
───《どうかお元気で。先の世でまた》
とてもシンプルなのに、簡単な言葉から感じられるのは渦巻くような温かい気持ち。
奈緒の一件が終わった後、姫様は嫁ぐための準備として城から出ることは叶わなくなった。その彼女からの最後の言葉を大切に折り畳んで懐にしまう。
「君達は何故ここに?」
「かくかくしかじか」
「君達が不運なのか、さっきの野盗が不運なのか。まぁ面白いもの見れたし、君達を学園まで送っていくよ。ひと雨来そうだ」
山の天気は変わりやすいという。というより、森が堪忍袋の緒が切れたのか一行を森から追い出そうとしているかのように雲がどす黒かった。
雨が降る前に山を降りるため、伊作を除く忍たま達はタソガレドキの忍者に抱えられて帰ることとなった。耳を塞がれていた左近は文句を言いながら高坂氏に抱えられている。
「じゃあ山本さん、いつも通り私を頼みます」
「あなたは私が連れて行く」
「土井センは指名してないんだけど」
「山本さんに迷惑をかけるんじゃない」
「誰がいつ迷惑かけたっつーんだ」
「君が常日頃にだろう」
「よーっし土井センとは少しお話する必要がありそうだ」
「奇遇だな、私もそう思っていたところだ」
土井センがしゃがんだので流れるようにその背中に乗る。お話という名の制裁でこめかみをグリグリしてやったが効いてないのがわかって悔しい思いに浸ってしまう。
その後ろで伊作と雑渡さんがこの光景を見てボソボソ話していたことは知らない。
「あの2人って本当仲良いよね。同い年だから?」
「それもあると思いますけど……。僕としては複雑です」
「あら、なんで?」
「なんというか、こう、応援している相手は別にいるというか」
「ふーん。君も難儀だね。彼女が罪深いのもあるのか」
制裁と称して己を背負っている男の髪の毛を弄りまくっている彼女を見ながら、未来へ帰ってしまう寂しさを感じさせることも、鬼ババが罪深い証だとわかって思わず小さく笑ってしまった。
・
・
・
「結局見つからんかったね、治志麻草」
学園に着いてすぐ雨が降ってきた。保健委員の不運を直前に回避できて何よりだが、目的の薬草探しは果たせずに保健委員会体験は終わってしまった。
「お姉さんと薬草探したかったぁ〜……」
「伊作先輩と川西先輩と鬼姉様が野盗達と出会しただけでしたね〜」
「伊作先輩とお姉様が何をしていたかはわからなかったけど」
「私は冒険したみたいで楽しかったけどね」
「お姉様はそうでしょうね」
雨降る空を見ながら、保健室前の縁側で揃って座る。薬草探しどころではなかったのでみんなの籠の中は空っぽ。1つを除いて。
「そういや忘れてた。これ入れてあったんだ。ただの雑草だろうけど」
斜面を転がり落ちるときに掴んだよくわからない草。それなりに大きかったため掴みやすかったが強度はあまりよろしくなかった雑草。それを掲げて見せれば、保健委員が揃って唖然としたまま固まった。
「それはっ、治志増花の葉……!!」
「余裕で治してくれそうな名前」
「すごいですよ!治志麻草より怪我に効く効果がたくさんある薬草です!とっっても貴重なんですよ!」
数馬の興奮して上気した頬が可愛い。思わず両手で挟んで柔らかさを楽しんだ。
「お姉様!すごい幸運を持ってきてくださってありがとうございます!!」
数馬より興奮した伊作がガバッと抱きついてきた。嬉しそうに肩に頬を擦り寄せる伊作を無碍にするわけにもいかず、仕方ないと背中に手を回して軽く叩いてやる。やっぱりたまごとはいえ忍者、しっかり鍛えられているなぁと思っていれば混ざりたいのを我慢できなかった下級生達も突撃してきた。
保健委員の笑い声が雨音にも負けず、湿った空気と共に学園中に響き渡り、それを聞いた者達がわらわらと集まってくるのもあと少し。
委員会巡りをして今日で3日目。
だが今日は急な出張により土井センが同伴できないことがわかった。朝、教員達の長屋に行ったところで山田先生により発覚したのである。
午後なら山田先生が付き添えるが、午前中はどうしても難しいとのことなので学園長先生にお許しをいただき、午前中の委員会巡りは1人で行くこととなった。
お供もつけずに向かう委員会、一体何をするのかもさっぱりなその委員会に思いを馳せながら、楽しみを踏み出す一歩に乗せて歩き始めた。
《学級委員長委員会》
「困った、場所がわからん」
気分ははじめてのおつかいだ。意気込んでみたはいいものの委員会活動をしている肝心の場所を教えてもらうのを忘れていた。今日はナビゲーターがいない。案内してくれる存在のありがたみを今更ながらに知ったのである。
とりあえずその辺で会った誰かに聞いてみるかと、曲がり角を進んだところで腹の辺りに何かが衝突した。見下ろせば、最初に視界に入ったのは水色の頭巾だった。
「わっ、ごめんなさい!」
「ううん。こっちこそよそ見しててごめんね」
「いいえ!…って、お姉さん!」
「君は……一年い組の今福彦四郎じゃん」
こちらを見上げる少年の顔は見覚えのあるものだった。いう組はは組ほど交流はなかったが、それでもたまに人懐っこく話しかけてくれるよい子達。彦四郎もそのうちの一人で、会えば手を振ってくれる優しい子だ。
「何やら急ぎの用があったみたいだけど時間大丈夫そう?」
「はい!まだ時間はあるので平気です。少し早めに行って先輩達を待っていようかなと思っていただけなので!」
「ってことは委員会活動かな?彦四郎はどの委員会に入ってるんだっけ」
「学級委員長委員会です!」
今、自分の目には彦四郎が輝いて見える。太陽は建物に隠れて見えないが後光が差している気がしてきた。
何とも運がいい。渡りに船とはこのことだ。ありがたい存在にしゃがみ込んでその小さな手をとった。
「彦四郎、君は神が私に遣わした天使だね?是非とも私を学級委員長委員会に連れて行ってはくれないだろうか」
「えっと…お姉さん?」
「噂に聞いてるかもしれんが、私は今委員会ツアーをしていてだな。今日の午前は学級委員長委員会だったんだけど場所がわからんくて困ってたところなんだ」
「え!!お姉さん学級委員長委員会にいらっしゃるんですか!」
彦四郎がギュッと握り返してきては花が咲くように表情を明るくさせた。可愛さを備えた眩しさは網膜が火傷しそうだった。
「それなら一緒に行きましょう!先輩達も喜びます!」
可愛らしい手に導かれ、学級委員長委員会の活動場所へと二人で足を進めていく。
結局自分では到底辿り着けそうにない場所に到着し、彦四郎の後に続いて中へ入ると先客が背を向けて座っていた。
「あれ、庄左ヱ門じゃん」
背筋を伸ばして本を読んでいた庄左ヱ門がこちらの気配に振り返った。彦四郎ともう一人の存在を視認しては嬉しそうに破顔し、本を閉じ、腰を上げて駆け寄ってくる。
「お姉さん!今日は学級委員長委員会なのですか?」
「うん。そっか、庄左ヱ門は学級委員長だからこの委員会なのか」
始めから庄左ヱ門に頼ればよかったと思うが、道中の彦四郎との対話も楽しかったのでこれもこれでありだと内心でカタをつける。
どうぞどうぞと席に促され、腰を下ろしたと同時にお茶と茶菓子が並べられる。手慣れたような動きにこれが学級委員長かと別方向に感心した。
「先輩方はまだ来ていないの?」
「うん。まだお見えになってないよ。それよりもお姉さん、来るなら言ってくださればよかったのに」
「学園長先生には前もって言っといたけど」
「学園長先生はたまに忘れるのでぼく達に伝えてくれた方が確実です」
「ジジィ報連相してくれ」
サプライズもいいが、突然押しかけられても迷惑かと思って言っておいたのに意味がなかった。やっぱり生徒の誰かには伝えておくべきだったか。次の委員会からはちゃんと忍たまの誰かに言っておこう。
「ところで学級委員長委員会はどんな活動してんの?」
先輩達が来るまでこの委員会の活動内容を聞いておこうと尋ねれば、庄左ヱ門と彦四郎は張り切りながら教えてくれる。
簡単に言うならば、この学園で行うイベントの企画、審判、実況が主な活動らしい。たまにというか頻繁に出てくる学園長先生の急な思いつきに対応しているのも大体この委員会とのこと。苦労が垣間見える。
「今は何か企画してんの?」
「はい。いつしかお姉さんも参加した《くノ一のお色気に抗え大作戦》のパート2を学園長先生に言われて企画してます」
「またやんのあれ」
天女事件の前に学園全体で開催された《くノ一のお色気に抗え大作戦》。
ルールは簡単。イベント名はあれだが忍たまVSくのたまの勝負みたいなものだ。くのたまが持つ巻物を忍たまが奪う。それだけだ。
実戦においてくノ一との衝突だってある。向こうは女を使った戦法を余すことなく発揮してくるため、毎年各々が培った知識や技術を使ってこうして男VS女の戦いをやっているとのこと。
「お姉さんがくのたま側に行ったときはみんな寂しがってましたね」
「お姉さんも女だからね。そりゃくのたま側に配置されるよ」
「みんなお姉さんの性別鬼ババだと思ってました」
「いいかい庄ちゃん。太古の昔からそんな性別は存在しない」
《くノ一のお色気に抗え大作戦》は3つのチームに分けられて実施される。
1・2年生グループ。
3・4年生グループ。
5・6年生グループ。
2学年ごとに分かれ、年数が小さいグループほど難易度は簡単らしい。だから上級生組の難易度はそりゃもう難しいと聞いた。
「お姉さんは裏方って聞いてたのに、5・6年生グループでは表に出てきたって聞いて驚きました!」
「ありゃシナ先生に無理やり現場にぶち込まれましてね……」
前2つのグループではくのたまのメイク係をしてたのに、急に着替えと化粧をさせられて「カンペ読むだけでいいから」と放り出されたのは今でも鮮明に覚えている。前日にしこたま飲まされてグロッキーだったのによく現場に投入しようと思ったもんだ。
「先輩方からあまり聞けなかったのですがどんなことをされたんです?」
「それはねぇ……」
なんて説明しようかと言葉に詰まったところで障子が開いた。そっちに意識を持っていかれ、自然と開いた障子に目を向ければそこには目をパチクリと瞬かせる勘右衛門が立っていた。
「よっす、勘右衛門。お邪魔してまーす」
「えっ、あ、えっあれっ、お姉さん??」
「うーん、報連相できていなかったことで勘右衛門が混乱してしまったようだ」
頭にハテナが浮かび上がってるのがわかるほど勘右衛門の混乱が目に見えた。とりあえず中に促すて説明をすれば「あー、なるほど」とすぐに納得してくれた。その後すぐに「やっぱり無理やりにでも連れてくるか」と呟いてるのが聞こえた。
「そういえば鉢屋先輩はいらっしゃらないのですか?」
「うーんとね……三郎は……遅れてくるって言ってたけど……」
「ギリギリまでサボろうとしてるんですね」
「庄ちゃん相変わらず冷静ね」
どうやらもう1人の委員会メンバーの三郎は委員会をサボろうとする魂胆らしい。真面目なの不真面目なのかわからんが、とりあえず三郎がサボローだということはわかった。
「さぶちゃんいないのかぁ。そりゃ残念だ」
「いいえお姉さん、今から引き摺ってでも連れてくるんで!」
「ぼ、ぼくもお手伝いします!」
「大事な用があるんじゃないの。無理せんでもいいよ」
「いいえ!命に変えても連れてきます!」
「あっ、ヘムヘム。鉢屋先輩にお姉さんが委員会ツアーに来てるって伝えてくれる?」
部屋から出ようとしている勘右衛門と彦四郎をよそに冷静な庄左ヱ門がたまたまそこにいたヘムヘムにお使いを頼んだ。
やがて、どこからか地面を揺らすほどの大きな足音が響いてきた。だんだんとこの部屋に近づいており、障子に影が映ったのを確認したときにはパァンとそれが横にスライドされる。勢いがよすぎたのか跳ね返って一回閉じられた。
「やっほー。遅れて登場だね、サボちゃん」
息を切らして開き直す三郎に手を振って出迎えれば、向こうは少しムスリとした顔を見せる。
「おねーサン、来るなら言ってくれればよかったじゃないですか」
「うん、それはすまん。学園長先生を信じた私がバカだった」
片手を上げて謝罪の意を見せれば、それ以上は何も言ってこず黙って目の前にある己の席に腰を下ろす。その横で勘右衛門が揶揄いの笑みで三郎を覗き込んだ。
「あれー?鉢屋確か今日は「ヘアピースの作製と調整があるから行けるかわからない」とか言ってなかったか〜?」
「言ってない」
鋭い睨みを返す三郎に勘右衛門は怯むどころかより笑みを深める。面白がっているのがわかってるようで、三郎は軽く舌打ちしながら彦四郎が出してくれたお茶に口をつけて相手しないと意思を示した。
「ヅラ作ろうとしてたの?変装には欠かせないもんね。私のことは気にしなくていいからヅラ作りに専念してもいいよ」
「ヅラじゃないです。ヘアピースといってください。それはいつでもできるんでいいんですよ」
今日はあなたがいるじゃないですか。
そう言った三郎が照れながら視線を逸らして言うので面を食らった。隣にいた勘右衛門も目を見開いて凝視している。
残り少ない限られた時間のために息を切らしてでも来てくれたその気持ちが嬉しくて、自然と口角が上がる。
「さぶちゃんも来たことだし、学級委員長委員会の活動一緒にやらせてくださいや。さっき二人から今企画しているイベントの話は聞いたよ」
イベントという言葉を聞いた上級生二人がデロンと嫌そうな顔に歪む。余程前回の《くノ一のお色気に抗え大作戦》が嫌だったようだ。この二人は上級生組、いわば5・6年生グループかつ難易度の高い実戦をした猛者なのだ。パート2が開催されると聞いたときの絶望は計り知れないだろう。
嫌そうな上級生二人を置いて庄左ヱ門が企画を進めていく。前回仕掛ける側も経験しているため、ところどころ提案をし、採用されてを繰り返した結果、何故かくノ一のお色気プラス罠をたくさん仕掛けてそれを乗り越えていく○ASUKE擬きの企画が生まれてしまった。前回よりただただ難易度が上がっただけである。
「これで本当に大丈夫そ?一旦白紙にした方がよくない?」
「いいえ。お姉さんが一緒に考えてくれたんです。何としてでも学園長先生に採用と言わせてみせます。この御二方が」
「庄ちゃん……」
「無茶を言うね……」
そこはかとなく面倒臭そうにする上級生をよそに、庄左ヱ門は「先程の話ですけど」と話を切り替える。
「前回の5・6年生グループでお姉さんはどんなことをされてたんですか??」
上級生二人がピシリと石のように身体を硬直させた。それを知らず、記憶の中の出来事を頑張って思い出す。前で五年生二人が言わなくていいとジェスチャーで伝えてくるが思い出すのに夢中で気づかなかった。
「あの時は二日酔いで頭痛くてあまり覚えてないんだけどさ、姫っぽい着物を着崩して着て、外国のソファに横たわってたかも」
「それだけですか?」
「忍たま達が来たらその辺にある適当なカンペを読んどいてって言われてその通りにしたくらいか。大したことしてないな」
三郎と勘右衛門は思った。めちゃめちゃ大したことをしていた、と。
忍術学園が所有する廃城を舞台に行われた《くノ一のお色気に抗え大作戦》。初めて上位の難易度に挑戦するから緊張して挑んだのに、鬼ババが参戦してくるなんて反則だと終わってから5・6年生グループから学園長先生にクレームが殺到していたのを今でも覚えている。
くのたまのお色気攻撃を乗り越えて巻物を奪うべく乗り込めば、忍び込んだ広間の煌びやかすぎる光景に頭が真っ白になったのは全員が通る道だった。
その真ん中でソファに片腕をつきながらソファに横たわる妖艶な女。一瞬あの人だと思わなくて見惚れてしまったことに後から頭を抱えた。
今思えば、二日酔いで吐き気を抑えるために真顔だったとわかるが、あの時の冷徹な妖艶さは心をぐらつかせていた。その周囲でくのたま達が侍っていることがその異様さを浮立たせる。
何よりズルいのは静かに放たれる彼女のセリフだった。暑くて着崩した着物から出る白い足を宙で遊ばせながら、くのたまが差し出す湯呑みに書かれていたであろうカンペが破壊力抜群だったのだ。
───"狂ってしまうくらい遊んでおあげなさい"
「「「「「下僕にしてください」」」」」
五年生全員が土下座して陥落した。
思春期の少年に大人の女の妖艶さは刺激が強すぎて勝てなかった。その後に来た六年生達が彼女の周りで侍っている五年生を見て化け物を見たような顔をしていたのは脳裏にこびりついている。
この出来事は終わってから彼女を含めたくのたま達に指を差されて大笑いされたものだ。陥落するのが早すぎると。誠にその通りである。
「終わり終わり、この話は終わり!」
思い出して恥ずかしくなったのか、勘右衛門が宙に浮いている記憶を散らすように腕を振りながら立ち上がる。
「庄左ヱ門、彦四郎、茶菓子買いに行くよ」
「えっ?でもまだ余って……」
「わかりました。彦四郎、行こう」
「庄左ヱ門?」
戸惑う彦四郎の手を引いて立ち上がる庄左ヱ門と、すでに障子に手をかけている勘右衛門。何故急に茶菓子を買いに行くことになったのか。一緒に行こうかと言えば勘右衛門は首を横に振った。
「すぐに帰ってきますから。お姉さんは三郎がサボらないように見張っていてください」
こちらが返事をする間もなく、三人はさっさと部屋を出ていってしまった。前で三郎が「アイツめ……」と溢していたことは知らず、とりあえず残り一口となったお茶を飲み干した。
「さぶちゃん、いいよ。お姉さんサボってもチクらないからさ。いくらでもヅラ作ってていいよ」
「だからヅラじゃなくてヘアピースといってください。……サボりませんよ。お茶、おかわり淹れてきます」
「お構いなく」
三郎が新しく淹れてくれたのは玄米茶だった。せっかくいい天気なのだ、縁側で一息吐こうと提案すればのってくれて、二人並んで縁側に腰をかける。昨日の雨が嘘みたいに優しい風が二人を撫でるように通り抜けた。
「風気持ちいいね。縁側でお茶飲めるのもあと少しって考えると寂しくなるね」
「未来じゃ縁側はないんです?」
「いんや?あるけど私が住んでる家にはないね」
未来の建物がどんなものなのか興味が湧いたらしく、その好奇心に応えてやれば未来の技術に一つ一つ驚くその姿が可愛く見える。噂のあべのハルカスのことを教えれば、複雑なのかそれに関してはあまり好奇心を表さなかった。
「………あと4日ですね」
「そうだね。そう思うとやっぱり寂しいね」
「帰りたい、ですよね」
「そりゃあね。自分の生まれた場所だもん」
そう返した後はしばらく二人して無言だった。静寂に耐えきれない風がヒュルヒュル吹き抜けるが場を盛り上げるには足りず、すぐに沈黙が漂う。
「おねーサン」
「んー?」
静かな声が沈黙を破る。
「おねーサンになら、私の素顔見せてもいいですよ」
まっすぐに射抜いてくる目が嘘ではないと告げている。
予想外の発言に唖然としていれば、無言を肯定と捉えたらしく手が三郎の顔にかかる。微かに面がズレたのを見て、反射で面をとろうとする手を押さえつけた。
「おおおおおおおおまえという奴は……!!何をしてんの!!」
「何って、素顔を見せようとしてますけど」
素顔を晒したい少年VSそれを阻もうとする鬼ババ。互いに譲らない攻防を続け、一旦手を下ろしたのは三郎の方だった。
「見たく、ないんです……?」
「そりゃ気になるよ。でもね、こんなところであんたのポリシーを穢そうとしないの。これで私がスパイとかだったらどうすんのよ」
「おねーサンにスパイは到底無理かと」
「っせーな、例えの話だよ。あんたが大好きならいぞーにすら見せていない素顔をぽっと出の女に晒すんじゃない。さぶちゃんが積み上げてきたことを私で壊さないでよ」
最後の言葉をなるべく優しい声で伝えれば、三郎は少し悲しげに表情を歪ませながらもゆっくりと手を下ろしていく。
「私は意地でも素顔を晒そうとしない芯の強いさぶちゃんを知ってるから、これからもそれを貫き通してほしい。そんなさぶちゃんを尊敬している私からのお願い」
「っそんなこと言われたら、断れないじゃないですか」
ああ、なんて狡くて残酷な人なんだろう。
自分は人の心に刻むだけ刻んで去ってしまうのに、こっちには何も残させてくれない。
止めても無駄な彼女だから、最後の足掻きで存在を刻もうと思ったのにそれも叶わず。今自分に残せるとしたら、包まれている己の手の温度を伝えることだけだった。
「おねーサン。背中、借りてもいいです?」
「背中?まぁいいけど」
柔らかな温もりから抜け出し、彼女の背後に回る。華奢背中を眺めた後、ゆっくりとその肩口に額を乗せた。
あたたかい。ちゃんと生きている。この時代の人ではなくとも、彼女は確かにここで生きていた。
「500年は長いですね」
「長いし遠いね。何回生まれ変わってんだろってくらいには」
「生まれ変わる、か」
魂は巡り巡って、またその時代で呼吸を繰り返す。あの子どもが様々な時代で息をして、彼女へと繋がっていくのだ。
「500年後、私達は出会えますかね」
「どうなんだろうね。会えたら最高なんだけどね」
会えるなんて気休めの言葉を言わないところは彼女らしい。三郎もそんな言葉は期待していなかった。
「覚えていたら会いに行きますよ。なんとしてでも」
「そりゃ頼もしい。期待せずに待ってるよ」
「会えたらその時は言ってあげます。鬼ババあるところ鉢屋三郎あり……ってね」
「さぶちゃんの名台詞に加えてくれるとは何たる名誉。楽しみにしてるよ」
鼻に当たる布が湿っている。きっと声も震えている。それは彼女もわかっているはずだ。悔しいことに大人なのでそれに気づかないふりをしてくれているのが嫌でもわかる。
けれど、これだけは言っておきたかった。
「当然ですっ………私、すぱだりなのでっ……」
彼女は何も言わない。代わりに優しい手のひらが頭を撫でるだけ。
少しの間撫でていたところで彼女の手が止まった。
「ねぇさぶちゃん。いつものらいぞーのヅラは?」
「ヅラじゃなくてヘアピースです。今は全部外してます」
「はぁ!?ちょっとあんた……」
「おねーサンには見えてないのでセーフです」
彼女には見えていない。周囲も勘右衛門が人払いしてくれている。なら、少しくらいいいじゃないか。
止まっていた手が撫でるのを再開する。「私よりサラツヤじゃねぇの。腹立つな」と文句を言う彼女にクスリと笑った。
穏やかな時間はあっという間に過ぎていく。
向こうから勘右衛門達の声が聞こえてきて、愛しい体温から名残惜しくも離れる。彼女が振り向く前に目にも止まらない速さで雷蔵の顔に戻し、何事もなかったかのように肩を回してみせる。
「さて、勘右衛門達を連れて食堂にでも行きますか。ちょうどお昼時ですしね」
「今日はどっちにすっかね。昨日Aランチだったから今日はBランチにしよっか」
「なら私もBランチ。おねーサンの奢りで」
「そうなるとあんたら全員分のランチ奢らなきゃいけなくなるでしょーが。自分で払え」
そう文句垂れながらも奢ってくれることはわかりきっている。そういう人なのだ、彼女は。
ああ、きっと今日も明日も500年後も、彼女の優しさとあたたかさには敵わない。だけどそれでいい。
敵わないことが、心地良いのだから──。
《火薬委員会》
「あっ、お姉さ〜ん。こっちですよ〜」
学級委員長委員会と別れ、用事が終わった山田先生と共に次に向かったのは火薬委員会だ。こここそ顧問である土井センが付き添うべき場所だというのに奴は残念ながら軽い任務でここにはおらず。
火薬委員会が管理する火薬庫の前でタカ丸がこちらに手を振っている動作を真似れば、向こうは嬉しそうにさらに振る手を速めた。
タカ丸の声でメンバーが次々と姿を現し始め、火薬庫の前はいつの間にか大所帯になる。
「お姉さん!この時間は火薬委員会なんですね!」
「うん。伊助も頑張ってる?」
寂しさを染める笑顔に頭を撫でてやれば、伊助は嬉しそうに手のひらに擦り寄ってくる。は組の母ちゃんがまるで猫のようだ。
「お姉様、来てくれて嬉しいです!」
「ハニーくんは相変わらず可愛いねぇ」
羽丹羽くんの白い餅みたいなほっぺたを堪能しても怒らないこの子は優しいがすぎる。
「な、何しに来たんですかっ!こんな何もないところに!」
「11歳にしてツンデレフラワー開花させてるさぶろーじ。お姉さんちょっと心配」
そっけなくも耳が赤いことがバレバレな三郎次の頭を両腕で抱えてワシャワシャ撫でてやれば、ツンデレフラワーさぶろーじは「な、何すんだよ!」とまぁ可愛い反応を披露してくれる。そんなことしても可愛がりたい衝動が増えていくだけなのをツンフラろーじは知る由もない。
「そういや、久々知はどうした?」
山田先生の問いに火薬委員ズが途端に静かになり、揃って倉庫の隣の建物へ視線を向ける。気怠そうなその視線の意味にもしかしなくてもと大人2人で覗いてみれば案の定だった。
「お姉さん!山田先生も!すぐにお出迎えできずすみません!」
水に浸る四角い白い物体がたくさん入った木箱に手を入れた火薬委員会委員長代理が眩しい笑顔で出迎えてくる。キラキラというオノマトペが擬人化したらこうなるのかと思うくらいには輝いていた。そのうち豆腐のように白く輝いて顔も見れないくらいに光るかもしれない。ちなみにこれは現実逃避が故の思考である。
「もうすぐできあがりますから!」の一言でピシャンと戸を閉めた。山田先生は何も言わなかった。苦笑いを浮かべている火薬委員ズへを振り返り、何とかして表情筋を保ち、こう言った。
「よし、火薬委員会活動を始めようか」
「お姉さん」
「火薬委員会って何すんの?火薬作って花火でもバーンって打ち上げんの?よし楽しそう。今すぐ取り掛かろうじゃないの」
「お姉様」
「ここには山田先生もいるから火薬を使う自由研究みたいな感じでいけるでしょ。私アレやりたいの、昔読んでた漫画にあった乾いたタオルにヤベェ薬ぶっかけてつくる簡易ダイナマイト作ってみたいの」
「何だそれ物騒。ねぇお姉さん」
───後ろ、いるよ?
ふと、背後からひんやりとした空気が背筋をなぞる。銃を突きつけられているようなただならぬ緊張感。だが銃や苦無のような硬いものではない。これは、握れば潰れそうなやわらかいもの。そう、まるで豆腐のような……。
「おーねーえーさーん。めーしーあーがーれー」
狂気に満ちた顔で遊びましょーのリズムを紡ぎながら戸の隙間から首だけを出す豆腐の妖怪。
戦国時代版シャイニングを至近距離で拝んだこの体は思考を止めた。豆腐が絡んだらネジがぶっとぶシャイニング久々知をどう止めるかよりも、自分の胃袋のキャパの方を先に心配してしまうあたりこの学園に染まってることは間違いなかった。
「やっ、山田先生!!妖怪が!!豆腐小僧が豆腐を持って襲いかかってきてますーー!!」
「なんの変哲もない普段の久々知だな」
呆れた山田先生を盾に、両手に豆腐を持って構える兵助と対峙するがメンタル的には圧倒的に不利である。理由は先攻してシャイニング豆腐狂気を食らったからだ。思ったよりダメージがあった。なんの食べ物も入れていない胃袋に。恐るべし、シャイニング久々知の必殺技《想像満腹》。
「私は火薬委員会を体験しにきたのであって豆腐委員会に来たわけじゃないんだけど!」
「来てくださったところ申し訳ないんですが、火薬委員会は危険な仕事なので大体は先生方がやっておられます。委員会の仕事あまりありません」
「それは委員会と呼べるんですか!?」
「わしに聞くな」
ぶっちゃけ誰もが思ってることだ。『そんなことで委員会』と呼ばれていたりする火薬委員会。火薬の保管と管理をする以外に仕事はあまりない。
なんてこった。せっかく忍者っぽい委員会に来たのに豆腐を食って帰る羽目になりそうじゃないか。
そんな時であった。知った声が向こうの方からこっちに呼びかけている声が聞こえたのは。
「おーい嬢ちゃーん、伝蔵!遊びにきたぜー」
「アニキ!」
「時雨じゃないか。お前さん何しとるんだ」
手を振ってやってきたのは時雨、そしてその後ろからひょっこり姿を現したのは時雨のところでお世話になっている瑞稀だった。照れ臭そうに頬を染めて手を振る彼女に委員会メンバーも釣られて手を振り返す。
「遊びに来たって言ったろ。嬢ちゃんの様子を見にくるのも兼ねてな。んで、何してたんだ?」
「時雨さん!時雨さんも豆腐いかがですか!」
「あァん?豆腐だぁ?………おい、うめぇじゃねぇか」
強面の時雨に恐れをなすこともなく、兵助がずいっと豆腐を差し出した。怪訝な顔をした時雨が疑いもせずに口に入れると、余程美味しかったのか次の一口を止めもせず完食なされた。兵助の表情の輝きが一段階カラットを上げた。
「本当ですか!美味しいですか??」
「おうよ。その歳でこんなうめぇ豆腐を作れるたぁ、お前さんやるじゃねぇの」
これ以上になく嬉しそうな兵助の横では、同じように押し付けられた豆腐を頬張る瑞稀が《これ豆腐アイスにしてみませんか》と兵助に進言していた。すぐさま受理された。
豆腐地獄を知らない者達に救われた、と蚊帳の外の人間達は思わず2人を拝んだ。あのままであったら今頃腹はパンパンであっただろう。
「そんでよ、嬢ちゃん達はこんなとこで何してたんだ?豆腐味見会でもしてたのか?」
「そうです!」
「違います」
食い気味な兵助の肯定を否定し、本来の目的をそれとなく伝える。火薬委員会に来たけどあんまり委員会としてやることがなかった話もすれば、時雨はニッと笑って膝を叩いた。
「それなら丁度よかった。うってつけのもんがあるぜ」
「「うってつけのもん?」」
山田先生と2人で首を傾げていると、待ってましたと言わんばかりに瑞稀が来たときから背負っている風呂敷を地面に下ろし、結び目を開いていく。
中にあったのは、何かの実験道具であろうか、普通ならこの時代になさそうなガラス製の入れ物や何かの粉、そして木炭がいくつかに束ねて積まれていた。
見たことのない物に火薬委員会メンバーが総じて興味を示していく。山田先生が説明を求めるように時雨に視線を寄越せば、時雨は得意げに笑ってみせた。
「線香花火!作ってみんなでやろうぜ」
「線香花火作れんの?」
「昔ガキん頃に組長と作ってやってたんだわ。うちのガキどもにも好評だぜ?」
時雨の隣で瑞稀が《とても楽しいよ》と筆談で示せば、それを聞いていた火薬委員会のメンバーが揃って目を輝かせた。
「花火作るんですか!」
「とても楽しそうです〜!」
「火薬委員会らしいことができる!」
「面白そうだねぇ」
「山田先生、よろしいですか!」
生徒達の期待に満ちた視線が山田先生を射抜く。火薬委員会なのに火薬をあまり使う機会がないこの子達の好奇心を潰してはいかん、と山田先生は肩をすくめながら小さく口角を上げた。
「そうだな。せっかくの機会だ。いずれ役に立つかもしれん。だが、火薬を使うため大人の近くでやること」
「「「「「はーい!!!」」」」」
場所は変わって、学園近くの河原。
時雨先生のサイエンスクッキングにワクワクする火薬委員会を大人組は後ろから微笑ましく見守る。土井センがいなくて残念だ。火薬委員会の顧問である奴ならこのサイエンスクッキングを楽しんでいたであろう。運の悪い男である。
時雨はまず、持ってきた木炭を乳鉢に入れて擦り潰し始めた。山田先生に言って用意してもらった人数分の乳鉢にも木炭が入っている。時雨に倣って細かく擦り潰し、粉末状にしていく。
「それじゃあ細かく潰せたらコイツら入れてくぞー」
そう言って取り出したのは、違う色の布に入れられた白い粉と黄色い粉。
「何これ」
「硫黄と硝酸カリウムだ」
「こんな戦国時代によくそんなもん見つけてきたね」
「山賊やってたときの仲間に商人になった奴がいてな。今でも交流があるからちょっとしたもん流してもらってんのよ」
「すげぇ、ヤクザみたいなこと言ってる」
「みたいもなにも元ヤクザだからな。よし、これを決まった量で混ぜ合わせる」
武骨な手からは想像もできないほどテキパキと花火を作るヤクザに舌を巻く。瑞稀もよく作るのか手慣れたもので、忍たま達に手際よく作り方を教えていた。
せっせと忍たま達が取り掛かった作業は和紙に火薬を包む段階に進んでいた。ここからが大事な作業らしく、集中力が欠かせないらしい。広げた和紙の上に薬さじで火薬を乗せていく。
乗せたら空気を押し出すように捻り上げる。これが一番大事なようで、丁寧に拗らないと火をつけたときに火薬がこぼれ落ちてしまうらしい。
「よし、とりあえず試作はできたか。まず俺の作ったやつに火をつけてみるな」
川の流れの上で時雨が花火の先端に火をつける。パチパチと赤い蕾が乾いた音を鳴らしていく。光の線を飛ばし、儚い煌めきを生み出す線香花火に忍たま達の頬が一気に赤みを帯びていく。言葉が出ないほど高揚しているのか、全員が山田先生に期待の視線を込めると、山田先生もそれがわかっているのかGOサインを出してくれた。
「時雨さん!僕の花火にも火をつけてください!」
「僕のもお願いします!」
「はいはい、時雨さんは逃げねぇから。伝蔵にもやってもらえ」
「お姉さん!僕らも行きましょう!」
伊助に引っ張られて花火鑑賞会の輪に入っていく。この時代に花火をするなんて思いもしなかった。儚い光が照らす自分の顔は今どんな表情をしているのだろうか。
余程楽しかったのか、花火制作は日が暮れるまで続いた。この河原は学園の近くだし、今は大人がそこそこいるということで夜の花火大会も続行することとなった。
炎色反応で違う色の花火を楽しんでいる忍たま達の傍ら、少し離れたところで1人ボーッとしている少年の隣に腰をかける。
「なーに黄昏てんの」
ぶら下げられている火花の蕾が落ちたので新しいやつをあげれば、黄昏ている少年こと兵助は礼を言って受け取りながらもその顔はどこか浮かない。
「黄昏てるってーより、恋する乙女が悩んでるみたいな顔してるけど」
「ぇ"っ」
「……………え?」
予想外にも程がある。適当に言ったのにそんな図星みたいな反応されちゃあ好奇心の花火がぶち上がるというもの。ちょいちょいと距離を詰め、好奇心を乗せた顔で兵助を至近距離から見つめるものの、向こうはしっかり顔を逸らしてきた。
「そんでよ、どんな子だ?お?」
「べっ、別にお姉さんに関係ないことで……」
「んな顔されて放っておけるか。成就を見届けることはできんがアドバイスくらいならしてあげられる。さぁ吐け」
「面白そうなこと話してんじゃねぇの。俺も混ぜろよ」
ここで参戦してきたのが恋バナ大好きヤクザである。両脇に未来の大人、しかもかっちり腕を絡めとられているため兵助の逃げ場はなし。向こうで山田先生が白い目で遠巻きに見ているが助ける気はさらさらなさそうだ。天女2人に絡まれたのが運の尽きらしい。
「それで、お相手はくのたま?」
「あんな鬼ババ次世代みたいな人達はちょっと」
「私とくのたま達に謝れ」
腹が立ったので腕組みから肩組みに変更だ。時雨も倣って反対側から肩を組み始めたため、完全に絵面は天女による子どものカツアゲである。顔を真っ赤にして俯いている兵助のことなど気にもしないタチの悪い大人なのは自覚していた。
「ってなると、町娘ってところか?」
「え、いや………」
「違うの?じゃあ忍たまだったりして〜」
「っっ……!!」
腐士山が噴火した。
時雨の後方でもBrilliant Love 略してBLと刻まれた隕石が降った。
欲望のマグマが流れ、好奇心という名の衝撃波が蔓延る世界から兵助が逃れることは不可能。混沌の世界を生み出している天女2人の肩を組む腕に力が入る。
「兵助、今日は鬼ババ軒に泊まりな。朝まで恋バナだ。大丈夫、悪いようにはしない、アンタのような子のことを未来では『尊い』と呼ぶ」
「あの、ちょっと……」
「そいつぁ参加しなきゃだな。行かない選択肢はねぇ」
「アニキ帰らないの?」
「今日は泊まるって言ってきた」
用意周到で何よりである。
とはいえ、さすがに瑞稀は参加させられないか。そう思って気遣わしげに瑞稀がいる方を見ようとすれば、彼女はすでに近くにいた。気配を消すのがお上手だ。将来くノ一になれる素質があるかもしれない。
そんな彼女は真顔で懐から何かを取り出した。一枚の紙だった。そこには誰かが書いたお上手なBLイラスト。成程、瑞稀もこっち側に染まっていたか。元凶は言わずもがな奈緒であろう。
こうして、未来人による兵助への恋愛指南が始まった。
・
・
・
火薬委員会の楽しい花火が思い出に刻まれた次の日、鬼ババ軒で盛りに盛り上がった恋バナがあったとも知らずに食堂は相も変わらず平和に賑わっていた。夜中に任務から帰ってきた土井センも火薬委員会の花火の出来事を山田先生から聞いて羨ましいことこの上ないと表情で物語っていた。
「発案者が時雨さんとはいえ、一から花火を作って楽しんでいたなんて、羨ましいがすぎる……!!」
「中々に面白かったぞ。半助、お前なら絶対喜んで参加するくらいにはな」
花火参加者の言葉に「うぐぐ……」と呻きながら副菜のほうれん草を噛み締める。心境は複雑、でも絶妙な塩加減を味わっていたところで食堂の入り口が何やら騒がしいのに気がつく。
騒音の主犯はすぐにわかった。自信満々に奇抜なポーズで入り口に佇む不審なアホ集団。500年後でこのポーズはジョジョ立ちと呼ぶのだがこの時代に生きている者達がそれを知る由もなし。その真ん中で恥ずかしそうに真っ赤になりながら俯いて立っている久々知兵助が居た堪れなくて気の毒であった。
「いやぁ、何とも素晴らしい朝だ。日差しが宝石の輝きのようだぜ」
「甘酸っぱい話を聞いた後の朝は清々しいものだよね」
「同室の恋バナはいくら聞いても新鮮で堪らないよ」
未来人2人の後に瑞稀の《心がびしょびしょに潤いました》の文字が奇抜な空気を強調させる。何より歪なのは、兵助が鬼ババ軒に泊まるからといって同室の恋事情を知っている勘右衛門が参加していることだ。
兵助が鬼ババ軒に泊まることを知った勘右衛門が好奇心で着いて来ないはずがなく、この時代にない恋愛観をたくさん聞いた勘右衛門の肌がツルツルじゃない訳もなく。鬼ババ達に混じって奇抜なポーズの一員になっている理由に忍たま達の心境は不気味の一本だ。
「勘右衛門、お前は何でそっち側なんだ……?」
「聞くな、三郎。おれはお前達より500年先の恋愛術を先取りしたに過ぎないのさ」
無駄に偉そうな五年い組の学級委員長に腹を立てた者は少なくないと思う。その筆頭が鉢屋三郎だ。勘右衛門が鬼ババに恋心を持っていないことはわかっているが、自分でさえ寝泊まりしたことのない事実に嫉妬の目を向けざるを得なかった。
一方で、たまたま土井センと任務が被って忍術学園にお邪魔していた利吉が白けた目でその場面をみているのを時雨が発見し、ニヤァと悪どい笑いを披露する。
「なぁんだ利吉。お前も参加したかったのか。ほんとにお前は俺が好きだな〜。来な、俺の胸によ。……あっ、滝夜叉丸のアニキ!おはようございやす!!」
「誰がじゃ誰が!!!」
「伝蔵、お前の息子マジおもしれーな」
「あまり揶揄わんでやってくれ」
恋する男の子として周知させられた兵助が「もう帰らせて…」と涙目の顔を覆っていると、どこからか「ズルいわ!」と女子特有の可愛らしい声が上がる。
「私だってまだお姉様に教わりたいことあるのに!この前だって《ピー》とか《ピー》とか《ピー》くらいしか教えてもらってないのにぃ!」
「朝からなんちゅー言葉を発してんの!!」
「嬢ちゃん中々にエグいこと教えてんのな」
この時間帯に食堂にいたのが大人と上級生だけでよかった。ただでさえこの前の房中術完了宣言でどえらいことになったのに、またしても爆弾ぶちかましてくれたら下級生達に影響が出るどころではなかろう。
「そんなら兵助よぉ。未来の恋愛術を先取りしたお前から先輩後輩、あのねーちゃんに教えてやれよ。意中の相手を落とすおまじないの呪文をよ」
兵助は絶望した。あの呪文を公然の前で披露しなければならないことを。食堂には自分の意中の人物もいるというのになんたる恥ずかしさ。
鬼ババ軒での真夜中の恋バナを思い出す。その人物が誰かなんて最後まで吐かなかったが「お姉さんがこの前抱き合っていた人です。向こうもっ…、手を、回してた……」とあの場面を思い出しながら震える声で告白した。
彼女は時を止めていた。時雨が「おい嬢ちゃん、そこ座れや。落とし前きっちりつけなきゃなぁ?」とガン決まりの目で床を指差していた。瑞稀も軽蔑の眼差しを向けていたし、勘右衛門に関しては「お姉さん、最近パーソナルスペース狭いですもんね。そりゃあ誤解されますよ」とフォローする気皆無でバッサリ言いきっていた。
彼女に他意がないことはわかっている。床に正座した彼女が全力で謝ってきた。まだ恋仲でもないし、謝られる理由なぞないので少し罪悪感が募ったのを覚えている。お詫びに聞いた未来の恋愛術はこの時代では到底追いつかないものばかりで目が回ったほど。瑞稀の《ノーフンアタックでイチコロよ》の意見が最終手段となったのは後の笑い話となる。
そして、その恋バナの中で教えられた相手を落とすおまじないの呪文。正直兵助は乗り気しなかったが何十回と言わされたのですでに頭に入っていた。
「ス…………スーパーラブリーセクシービッグマグナムファイナリティファンタジーミラクルウルトラファンキースイートビューティフルアンビリーバボーホーリーキューティーパーフェクトスタイリッシュダイナミックデンジャラスアタッテクダケロナントカナレアタック」
ヤケになって綴った呪文に食堂は静寂に包まれた。いや、隣でぱちぱちと四つの拍手が響いているので完全なる静寂ではない。
───兵助、少しは疑え
呪文を聞かされた食堂にいる全員が心の声を一致させた瞬間だった。
《後編に続く》





























首を長くしてお待ちしておりました!!