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西の中心部に存在する一軒家。ぱっと見何の変哲もない純和風平屋建てのそれは、メカニックが改造した超高性能防犯カメラに白狼の退魔の呪い、忍びの里の侵入者用の罠から謎の宇宙の加護といった色々な力によって並の攻撃ぐらいでは埃一つ立たないほど隅々まで守られている。
そんな鉄壁の要塞—もとい、Dyticaの拠点内にて。
リビング(と化している応接間)の中心に置かれたテーブル周りに着席するのは星導、叢雲、そして伊波の三人だ。
「………さてと。皆の準備もできた事だし始めましょうか。」
神妙な顔つきでゲン〇ウポーズをした星導が口を開く。普段話し合いの場の進行役を務める伊波が黙り込み、むしろ面倒臭がって人に任せてばかりの彼がこの場を回す状況は異質な雰囲気を放っている。その空気に呑まれたのか、叢雲も無言で話し手の動向をただ見守るばかりだ。
「それじゃあこれより、第一回『小柳ロウお見合い破壊大作戦』作戦会議を始めます。」
「……ごめん、作戦名もうちょい何とかならんかった?」
普段戦闘時の作戦会議に用いるホワイトボードにでかでかと書かれたシュールな文言に、流石にメカニックからツッコミが入る。隣の忍者も同意見らしく、「流石にそれはダサいわ」と辛辣な呟きが付け加えられた。
「ちょっと〜?人が真剣にやってんのにディスらないでくれません?」
名前は何だろうとやる事は一緒じゃん、とぷりぷりと怒りつつ鑑定士は再び白板へと視線を向けた。
「まあ皆知ってると思うけど、この度小柳くんが本部のお偉方の命令でお見合いをさせられる事になったんですよね。しかも相手が西でも有数の権力者の娘さんとかいう超断り辛い相手。」
ぺちん、とボードに女性の写真が貼られる。事前にカゲツが撮ってきた複数枚の写真には見るからに育ちの良さそうな若い女性が写っている。
「星導に言われて何日か尾行したけどガチでいいトコのお嬢さんって感じやったよ。何でこの人とオオカミがお見合いなんて事になったん?」
「三ヶ月前くらいに中心部の公会堂にKOZAKA-Cが襲撃した事件があったでしょう。あの時に件のお嬢様も偶然居合わせてたみたいで、討伐で来た小柳くんに一目惚れしたそうですよ。今回のお見合いもお嬢様のお願いを聞いた親が本部の上層部に掛け合ったからだって。」
家名を聞けば一般人の伊波ですら何となく覚えのあるレベルの名家だ。伊波より少し年上の彼女はそこの現当主の末姫だそうで、大層溺愛されて育てられた箱入り娘らしい。ヒーロー兼暗殺業を担い、しかも百歳超えの人外という明らかに縁談向きではない男が参加させられるに至ったのも、先方からの圧力が大きいのだろう。
「でも小柳この話持ってこられた時めっちゃ嫌がっとったやろ。何で結局参加する事になったん?」
叢雲の言う通り、本部からこの縁談話を持ち掛けられた当初小柳は相当嫌がっていた。
正直彼の事だから上層部の狸爺達を脅迫してでも見合いを蹴りそうなものなのに、と伊波と叢雲は訝しんでいたのだ。そんな問い掛けに星導は渋い表情を浮かべて口を開く。
「俺も聞いたんですけど小柳くんたら頑なに口を割らなくて⋯⋯まあ、大方上層部からDyticaの活動について何か言われたんでしょうけど。」
ただでさえ扱い辛いメンバーの寄せ集めとして結成させられたチームだ、能力や功績の割に本部からの評価はお世辞にも高くはないし、何かあれば上から嫌味や圧力を掛けられるのは経験済みである。顔を見合わせて納得する年下二人に鑑定士はともかく、と続ける。
「強制されてるからお見合い参加するのは避けられないとして⋯⋯当日にのっぴきならない事情が発生して、双方合意の上破談になるのは十二分にあり得ますよね?」
「つまり、お見合いに潜入してオレ達でぶち壊すって事?」
「正解〜。だって小柳くんはお見合い出ろって言われてるけど、俺達は特に命令されてませんし?」
妨害するなって言われてないって事はやっちゃ駄目って訳じゃないでしょう、と歌うように語るその表情はヴィラン顔負けの悪辣さを滲ませている。この男がヒーローらしくないと言われる所以はこういうところだよな、と思いつつ叢雲は口に出さない。
口達者な彼と小競り合いになれば負けを見るのは自分なのと、今回ばかりは星導の作戦に賛同しかないので余計な茶々を入れるのは良くないだろう。それに——
(伊波お見合いの話が出た時落ち込んどったけど、なくなればきっと元気になるやろうし。)
隣のメカニックの横顔をちらりと盗み見る。
伊波と小柳が互いに好意を抱いている事は星導と叢雲、Oriensらにとって周知の事実だ。色事に鈍感な叢雲でさえ気付くレベルで分かりやすいのに、当事者は未だ両想いだと思っていないのが甚だ不思議ではあるけれど。大方今回の立案者である鑑定士は、縁談のぶち壊しに乗じてこのもどかしい二人をくっつけようという魂胆だろうと推測する。
(しゃあない、今回はタコの考えに乗ってやるか。)
いくら我が強くてチームワーク皆無な集団だとしても仲間として築いた親愛や情はあるのだ。叢雲とてもだもだしている二人の関係をいい加減進展させたいと思っていたし好機だろう。
「僕は賛成。無茶言ってきたのは向こうなんやし、こっちだって妨害してもおあいこやろ。」
星導の提案に叢雲も同意する状況に、伊波は暫く神妙な面持ちで葛藤していた。しかし本人もこの状況に腹を据えかねていたのは同じなので、どちらを選ぶかは決まり切っていたようだ。
「………あ”~~~もう、お前らはよぉ……分かった、仲間人質に取られてる状況で大人しくするのもオレ達らしくないしな。こうなったら徹底的にぶち壊して小柳連れ帰る。そんで、上層部のジジイ共の鼻っ面へし折んぞ‼」
がしがしと髪を掻き交ぜながら盛大に溜息をついた彼は二人を見据える。マゼンタ色の瞳の憂いは拭われ、代わりに揺るぎない決意が宿っていた。伊波の男らしい号令に思惑が通った星導達は密かににやりとほくそ笑む。
かくして決まった極秘作戦の密談は日が暮れ深夜に差し掛かるまで続いたのだった。
◇
あれから一週間。
Oriensの面々にも助力を仰ぎ、準備を重ねた末に迎えた当日。星導の力で転移したのは会場となる西の老舗料亭だ。
あらかじめ調査した人通りの少ない地点に降り立つと、そこから息を潜めつつ庭園がある区域へと移動する。
事前に伊波が関係者から集めた情報によれば、料亭内での歓談を終えた後小柳と令嬢がこの庭園へと通る予定だ。
今回ばかりはいつもの戦闘服では厳かな空間の中では悪目立ちしてしまうため、庭師衣装に身を包んだ上で目くらましの術を重ねている——ただ一名を除いては。
「ねぇ、これめっちゃ動き辛いんだけど。本当にオレ着る意味あんの⋯?」
訝しげに問い掛ける伊波も術の効果で気配こそ消えている。しかし視覚情報として訴えかけるその出で立ちは、馴染むように変装した星導達とは大きく異なっていた。
彼が身に付けるのは普段のヒーロー服でも庭師衣装でもない。
見る者の視線を一瞬にして奪ってしまうほど華やかな、身長の七割程度の占める袖丈が印象的な着物——一般的に振袖と呼ばれる類のそれだ。
「大ありだよ。向こうのお嬢様も振袖なんだから、普段着で行ったら迫力負けしちゃうでしょ?折角恋人のフリして突撃するんだから、これも戦闘服みたいなものですよ。」
あの会議にて協議を重ねて定まった作戦。それは縁談の場に小柳の恋人を名乗る人間を乱入させ、相手を幻滅させるというものだった。必然的に本人には彼女持ちながら見合いに参加した二股未遂野郎という不名誉な冤罪を被せてしまう事にはなるが、望まない縁談を蹴るためなので許してくれるだろう、多分。
そしてこの偽の恋人役として星導によって抜擢されたのが伊波である。
短期間で恋人役の女性を探すのが大変な事、作戦を理解している上に顔立ちや声の高さなど女装しても誤魔化しやすいから適任……等々つらつらと言い募られて、当初は渋っていた彼も結局折れてしまった。
服装に合わせて今日の彼は特徴的なメッシュが入った前髪は隠され、代わりに被らされた地毛と同じ色の長髪ウィッグを高い位置で結い上げている。中性的なかんばせも薄く化粧が施され、元の可憐な印象が殊更強調されていた。
「伊波全然違和感ないな。本物の女の子みたいや。」
「でしょ?俺めっちゃ可愛いよね。ていうかマナ凄くない?メイクとか髪とか全部やってくれたし。」
叢雲の言葉が嬉しいのだろう、艷やかなグロスが塗られた唇をにんまりと吊り上げた伊波が得意げに同意する。ノリノリでヘアメイクを請け負ってくれたコメディアンの腕前に感嘆する姿はどこから見ても女性にしか見えない。これなら本部の人間に見つかったとしても、すぐ伊波だと気付かれないだろう。
「にしても⋯星導よくこんな着物探してきたね。何か高そうだけど、どっかから借りてきたの?」
眼前のほのぼのした光景に和んでいた鑑定士だったが、おもむろに名指しされて思わず肩が跳ねてしまう。
「⋯まあそんなとこですね。」
アルカイックスマイルを浮かべつつ相槌を打つ彼だが、実際は胸中穏やかと言い難かった。
伊波が身に着ける豪華な振袖は確かに星導が持参したものだ。
ただしその本当の持ち主は小柳その人である。
いつだったか、星導が拠点の彼の自室に無断で入った時、偶然押入れの奥に保管されていた箱を発見した。幾重にも術を掛けて外界から隠す様にされていたそれに興味が湧き、家主の目を盗んで数日かけて解呪したところ桐箱の中に収められていた代物がこれである。
鑑定するまでもなく一目見ただけでも腰を抜かしてしまう程の最高級品に度肝を抜かしながら、同封の証紙を見てその価値を再確認する。そういえば一年程前、知り合いの外商が『白狼様との大きな取引が成功した』と嬉しそうに語っていた事を思い出した。当時彼に何を買ったのか質問したものの『大したものじゃない』と躱されてしまったが。思えば気持ちを自覚した小柳が伊波を連想する品々を購入する悪癖が始まった時期と合致して、気付きたくなかった事実に眩暈を覚えてしまった。
そんな思い出したくもない衝撃体験を思考の隅に追いやりつつ、星導の蛋白石のような瞳が振袖へと注がれる。
青紫の縮緬地に大ぶりな椿と寄り添うように散りばめられた小さな梅の花。裾や袖底に向かうにつれ深いグレーへとグラデーションしており細かな青海波が描かれている。その他にも打ち出の小槌等の宝物、松竹などの文様が組み合わされ、そのどれにも緻密な金駒、銀駒刺繍が施されている。
華やかな印象の振袖との釣り合いを持たせたのか、帯はシンプルな白金色で金銀糸で蜀江文が刺繍されている。しかしそれも角度によって色の濃淡が代わり、どことなくかの狼の瞳を彷彿とさせるものだ。おまけに帯締めの飾りの彫金細工は、小柳の戦闘着の装飾に形状が酷似してるときた。
小柳自身に寄せた色味やモチーフの組み合わせながら、描かれる文様の数々は伊波に向けた祈りやメッセージめいたものを感じさせる代物である。しかも女性ものである振袖なのに男性の伊波にぴったりな辺り明らかに特注品だ。大方彼のサイズをあらかじめ調べた上で反物から仕立てたと見て間違いないだろう。
重い、重過ぎる。金額面もそこに込められた持ち主の感情もとてもじゃないが星導の範疇には負えない。付き合ってもいない同僚(成人男性)を連想してこれを購入して仕立てて、人知れず自室の奥に仕舞い込んでいた小柳の情緒に正直ドン引いてしまったのは言うまでもない。
「何じっと見てんの?」
「ん~~ん?いや、本当に似合ってるなぁって思って。」
感情の読めない星導の視線に気付いた伊波が覗き込む。無邪気な彼は小柳の拗らせまくった恋慕やそれ由来の奇行を知らない。もし知ってしまったら幻滅してしまうだろうか、はたまたおおらかで男前なスーパーヒーローは案外笑い飛ばして全部受け止めてしまうかもしれない。何はともあれ、哀れなバックボーンを持つ振袖も伊波に身に付けて貰ってきっと浮かばれてるだろう、と勝手に持ち出した事には全力で目を逸らしつつ星導は微笑むのだった。
「…あ!お前ら、小柳こっち来たぞ!」
よそ見していた二人と違い、律義に偵察をしていた叢雲が声を上げる。慌てて示された方向を覗くと、確かに前方から小柳と女性とおぼしき人物が歩いてくる姿が見えた。現時点から見て数百メートルほど離れているだろうか、進行速度からして5分経たずにこちらへ接近するだろう。
「そろそろですね……ライ、準備は大丈夫ですか?」
「ったりまえ、いつでも行けるっての。」
どこか浮足立っていたマゼンタの瞳がすうっと細まる。いつも任務に赴く直前に見せる、意識を集中させた時の表情だ。
星導の唇が小さくカウントダウンを呟く。叢雲は伊波に施した気配遮断の術を解除しつつ、並行して万が一に備えて後方支援の最終確認を行う。
じゅう、きゅう、はち、なな、ろく、ごぉ、よん、さん、にぃ――
「いち。……突入!」
カウントの終わりとともに伊波にかけられていた術が完全に解かれる。ほぼ同時に立ち上がった彼は振袖を靡かせながら駆け出して行ったのだった。
(あ"〜〜〜〜だる、さっさと帰ってゲームしてぇ⋯⋯)
顔合わせも程々に、後は若いお二人でと他は奥に引っ込んでしまった。仕方がないのでだだっ広い庭園を歩き回りながら、令嬢の話に惰性で相槌を打つ事を繰り返す。
初対面かつ興味のない相手との会話なんて苦痛でしかないし、無理やり着せられたスーツや香料の強い整髪剤で撫でつけられた髪がどうにも居心地悪い。本日何度目かの愚痴を心の中で盛大に漏らす事でどうにか正気を保っていた。
そもそも小柳からしたら元々こんな縁談なんて受ける気は更々なかった。実際指示された当初は無視したし、あまりにしつこく迫られるなら多少実力行使を用いて黙らせるのも検討していた程だ。しかしそれを見越した本部の上層部はこれ見がよしにDyticaを盾にして強制してきたせいで参加せざるを得なかったのである。
奴らの目論見など簡単だ。西全体に影響力を持つ相手とのパイプの獲得、そして希少な白狼の遺伝子を受け継いだ子供を産ませ、己らの管理下にて小柳共々飼い殺しにしたいのだろう。寿命も力も足元にも及ばない、たかが人間風情が不遜極まりない。
料亭のスタッフにも本部の息が掛かった者が何人かいるらしい。小柳に提供された茶や菓子に魅了の術や催淫効果のある薬が仕込まれていたが、どれも摂取する前に気付いたので無効化できたのだが。顔は見えなかったものの、魔力や匂いはばっちり覚えたので事が片付いたら念入りに灸を据える事を固く決意する。
(にしても⋯⋯この女さっきから妙だな。)
隣を歩く令嬢はにこやかに微笑みながら話し続ける。しかしその目線は小柳を食い入るように見つめたかと思えば、時々斜め後ろへとちらついている。例えるなら、まるで背後にいる第三者の反応を逐一観察しているかのような仕草だ。
齢百云年。鈍感な性質ではあれど己の顔貌がずば抜けて整ってる自覚はあるし、今までも数え切れないくらい他者から恋慕や傾慕の念を向けられてきた。確かに彼女の言動や表情は小柳への憧れを孕んだものだが、そこに色恋のような湿度の高いものは感じられない。むしろ逸らされた先に向ける表情の方が熱が籠っていて、ますます訳が分からない。釈然としない気持ちを抱えつつも、その気のない態度を続けていれば向こうも察するだろうと思いつつ耐え続ける。
ところがある地点に差し掛かった時、ふいに彼の鼻腔に嗅ぎ慣れた匂いが掠める。
(………は?何で伊波の匂いが…?)
同僚で、密かに焦がれ続ける想い人の匂い。しかし今日彼はここに居る筈がない。知らない女と一緒にいる自分の姿を見せたくなくて縁談の内容すらまともに話してないのに。それでも白狼の優れた嗅覚は確かに伊波自身の匂いを察知していて困惑してしまう。
「小柳様?如何されましたの?」
反応を返さなくなった彼を訝しんだのか、令嬢が問い掛けるも違和感で脳内がいっぱいになった小柳の耳には届かない。
とうとう伊波への気持ちが強まり過ぎて架空の彼の気配を感じるようになったのかと危惧していると、ふいに背後から人の気配が現れる。
「ッちょっと待ったぁ~~~~~‼‼」
鼓膜に届いた絶叫は思い浮かべてた彼の人のもの、しかしいつもよりも高く作られている。反射的に振り返った先、真っ先に視界に飛び込んできたのは目が覚めるような青紫色だった。
(⋯伊波?何でアイツ女装して⋯??ていうかあの着物俺の部屋に隠してたやつじゃ⋯!!?)
どこからか飛び出してきた麗人はどう見ても伊波本人だ。しかし髪や化粧を施したその姿は常の年相応な青年としての彼とはかけ離れた可憐で女性的なものだ。おまけに細身な体躯が纏うそれは小柳が密かに所持していた振袖で。視覚から得られる情報のごった煮具合に脳内は違和感と混乱で処理落ち寸前だ。
「え?あの⋯あの方、小柳様のお知り合いですか?」
突如現れた謎の女に令嬢も戸惑いと困惑が隠し切れない。それでも育ち故か、すぐに表情を引き締めると状況確認しようと問い掛ける。鈴を転がすようなその声が想い人の名を呼ぶのに耐え切れず、小柳の反応が変える前に息を吸い込んだ。
「オレ⋯じゃなくてッ、わたしはこゃ⋯ろ、ロウの恋人です!お願いします、彼の事は諦めて下さい!!」
ヒーロー活動と歌唱で鍛えられた腹式発声で、作戦で考え抜いた文言を爆音で叫ぶ。言い終えた瞬間何とも言えない静寂が辺りを支配した。己が発した大声との落差も相まって、耳が痛い程の静けさに羞恥心と焦りでチークを塗った頬が更に赤みを増す。
(やっば……ミスったかもしれん、バチクソにはずいんだけど………‼⁇)
微妙な空気が漂う庭園で”逃亡”の二文字が脳内を過りかけたその時、ようやく我に返った令嬢が口を開いた。
「なっ⋯!小柳様、どういう事でしょうか?私、こんな事聞いていませんわ!」
血相を変えて詰め寄る彼女から小柳を守るように、伊波は二人の間に身体を滑り込ませる。
「やめて、彼を責めないで……‼ロウとは数年前から付き合っていて、大変な事も乗り越えてきた仲なんです!」
嘘は言っていない、(ヒーローとして友人として)付き合ってきているし、(戦闘面や趣味のゲームでも)大変な局面を協力し乗り越えてきた関係だ。自分が発した『恋人』という単語に照れてしまったのか、頬を赤く染めているのも図らずも発言の信憑性を強めている。
「ねぇ、ロウ言ってたよね?どんな時でもわたしの事助けてくれるって、ずっと一緒に居てくれるって約束したでしょっ‼」
誇張はしているもののこちらも小柳が発言した台詞なので本当だ。正確には厄介事を抱え込もうとするメカニックを案じた彼がチームメイトという立場に想いを隠して励ました際のものだが。
「あ、ああ………言ったな、確かに。うん。」
大きな瞳を潤ませて熱弁する伊波にしばし見惚れていた小柳だったが、おもむろに向けられた問い掛けに正気に戻ったらしい。
自覚があり過ぎるニュアンスの言葉が再生されたこっ恥ずかしさと、意中の相手が己の台詞を覚えていてくれた嬉しさで血色の薄いかんばせが薄く色づく。互いにはにかむ様子に、令嬢は二人がのっぴきならない関係だと確信を深めたようだ。
「待って、何なの…!そんな事信じられないわ…‼」
眦を吊り上げた彼女は小柳の腕を強く掴む。咄嗟に振り払おうにも相手は一般人、しかもかなりのVIPだ。縁談の場で騒ぎ立ててるので今更かもしれないが、仮にも怪我でもさせようものなら本格的に事案になりかねない。一方の伊波も令嬢に対抗するように空いた片腕を両手で掴んだ。
「ふざけるのもいい加減にして、部外者の方は出てって頂戴‼」
普段なら逆上した上層部や市民の対応だって冷静にいなせる。しかしただでさえ非日常的な状況に、想い人が知らない女性と密着しているのを目にしたのも相まって余裕が削れてしまう。興奮しきってまくし立てる彼女の言い草に思わずカチンときてしまったのだ。
(は、部外者だ⁈どっちがだよ、俺はコイツの事—)
「~~うるさいっ‼こっちはずっと好きだったんだよ‼不愛想なところも、意外と世話焼きで心配性ところも、ゲームだと結構ムキになるところも、クールぶってるくせに誰よりも優しいところも全部全部好きなんだよ‼」
感情の赴くまま秘めていた想いをぶちまける。息継ぎもせず盛大に叫んだ数秒後、整っていく呼吸とともにじわじわと正気を取り戻す。そしてやらかした、と全身から一斉に血の気が引いていった。
――言ってしまった。どうしよう、この気持ちだけは墓場に持って行くつもりだったのに。
どうしたってもう誤魔化す事はできない。小柳の反応が怖くて、思わず伊波は俯いてしまう。混乱と焦り、恐怖でいっぱいいっぱいになって下を向いた瞳から涙が零れ出しそうだ。瞬きしてそれを堪えていたその時、頭上から降ってきた声に思考が真っ白に塗り潰される。
「……………………マジで?嘘だろ、夢じゃないよな……?」
思わずと言わんばかりに漏れた呟きは、驚きこそあれど不快感や拒絶は感じられない。むしろそれとは正反対の声色で。
恐る恐る顔を上げた伊波の視界に映るのは、白皙の美貌を耳まで真っ赤に染め上げた小柳だった。
(………え、何その反応?何で小柳真っ赤になってるの、これじゃあまるで…)
都合の良すぎる発想が浮かびそうになって思わず唇を噛み締める。ばくばくと心臓が音を立ててうるさい。
しかしそんな空気を裂くように、再び苛立った令嬢が声を上げた。
「さっきから何なのよあなた‼早く離れてってば‼」
彼女の手が小柳に密着する伊波を引き剥がすように伸ばされる。抵抗しようと身体を捻った矢先——
「「「「「「ちょっと待ったぁ~~~~~‼‼」」」」」」
デジャヴしかない台詞が辺りに響き渡る。ただしやけに野太い上、発している人数が明らかに多い。
計画にない展開に固まる伊波と状況が呑み込めない小柳と令嬢。反射的に動きを止め、声の発生源へと全員の視線が集まる。
がさがさと植木が揺れた後、一拍置いて飛び出してきた人影にその場にいた者達は目を丸くするのだった。
◇
第三の乱入者の登場から遡る事数分前。
緊迫した空気が流れる現場から少し離れた草陰にて、固唾を吞んで事の成り行きを見守っていた星導と叢雲はこそこそと言葉を交わす。
「なぁタコ、どうするん。お嬢さんムキになって全然引かんけど。」
「しょうがないですね⋯⋯こうなったら最終手段を取るしかないか。」
計画では女装した伊波が場を引っ掻き回した後、混乱に乗じて小柳を回収して全員で撤収……というのが大まかな流れだった。
しかしながらここまで長引くと予想しておらず、流石に焦りを覚えた叢雲が隣の星導に小声でせっつく。すると渋い顔をした彼が溜息を吐き、おもむろにタコの姿へと変身する。
「最終手段⋯⋯ってなんや?僕何も聞いてへんけど。」
「俺も本当はやるつもりじゃなかったんですよ⋯でもあの状態じゃどうしようもなさそうなんで。」
「ほんで具体的には?」
「待機中のOriens達を転移で引っ張ってきて、俺達含めた全員で小柳くんの元へ突入して騒ぎまくる。」
「ヤケクソやん。」
「ヤケクソに決まってんでしょ。」
ズズズ、と割れた相貌の宇宙が渦巻いた数秒後、左腕の口が一瞬震えるとそこから勢いよく物体が吐き出される。ぬめぬめとした粘液に包まれたそれーー大柄な男達が重力に従って受け身を取る間もなく落下し地面に叩きつけられる。
「なになになになに!!!??」
「待て待ていきなり過ぎるて!!!!!!」
「あ"だだだだ待ってリトくん俺の脚めっちゃ踏んでる!!!」
「んぁ?わりわり。」
ぎゃいぎゃい騒ぐ東の面々は何故か女装コスプレ衣装に身を包んでいた。ミニスカポリスを始めとした某激安量販店で売ってそうなラインナップに白目を剥く鑑定士達に、彼らは「作戦終わりの打ち上げの準備だから!」と弁明する。どう考えても飲み会しか頭にないだろうとツッコミつつも猶予はない。どうせ今から赤っ恥をかくのだ、そこに軽犯罪スレスレの女装コスプレ野郎が数人加わろうが誤差である。
「アカン、伊波が押されとる。僕らもはよ行かんと。」
焦った叢雲に急かされ、星導がかいつまんで状況説明と妨害の依頼を彼らに説明する。眼前の状況にすぐさま合点が行ったらしい四人は自信満々で胸を叩いて了承した。
「「「「「「ちょっと待ったぁ~~~~~‼‼」」」」」」
全員で叫ぶと、騒いでいた彼らの視線がこちらへと集中する。
(ていうかこれ誰が最初に出てくの?)
(そういや決めてなかったわ、どうしよ。)
堂々と割り込んだくせに肝心なところが無計画だった。各々アイコンタクトで相談している視界の隅で、勢いよく紫色が駆け出して行く。
「小柳くんたら最低!!!俺という恋人を捨てて別の女に乗り換えるなんて!!」
渋っていた割にいの一番に飛び出して行った星導が小柳を指差しながら声を張り上げる。表情こそ迫真であるが、大方腐れ縁を逃げ場のない状況で弄り倒せるチャンスに前のめりになっているのだろう、とその勢いに軽く引いた叢雲が分析する。そんな様子に騒ぐとしか指示されてなかった他の面々も先駆者の行動を見て納得したように続け出した。
「そうやぞこのクソオオカミ!!僕以外のヤツにも手ぇ出しとったんか!!!!」
「乙女の純情弄ぶなんて最低なんだけどぉ~‼土下座しな~‼」
「お前俺だけじゃなくて可愛い相方まで誑かしやがって……‼ロケット花火ぶち込まれてぇのかおいゴラァ‼」
「何か私怨入ってるヤツ居ない?え~~と浮気者ーー‼‼‼」
わらわらと庭園の奥から飛び出してきたガタイの良い成人男性の集団(内2/3女装)が喚き立てる様相に、小柳だけでなく仲間の伊波でさえも虚無の表情と化してしまう。どうしよう、助けに来た筈なのに今すぐこの場から逃げ出したい。コイツらと同類なんて思われたくない。
身内でさえダメージを受けるこの状況に、当たり前だが免疫のない令嬢が耐えきれる訳がなかった。口々に小柳の恋人だと宣言する男達にショックを受けたのか、顔を真っ青にしてぶるぶる震えた後キャパオーバーしたのか白目を剥いて気絶してしまう。崩れ落ちた彼女だが、どもからともなく控えていたらしい護衛が受け止めたお陰で怪我はないようだ。
「⋯⋯⋯⋯⋯お前らやりすぎ。」
運ばれていく令嬢を横目に、死んだ魚のような目になった伊波は仲間達に向けて吐き捨てるのだった。
「やば、結構騒ぎ大きくなりそう。取り敢えず逃げますよ。小柳くんはライを、俺は他の皆連れて行くんで。」
じゃあよろしく〜、と気の抜けた言葉を残し、混沌とした状況を生み出した元凶は次々に己の触手で仲間達を確保するとさっさと姿を消してしまった。
「⋯⋯俺達もさっさと逃げんぞ、場所は?」
「あ、赤城ん家向かって。るべ達も行ってる筈だから。」
転移先を伝えれば小さく頷くと手早く術式を展開し始めた。
「ちゃんと捕まってろ、舌噛むなよ。」
小柳の節張った手が腰に回り、伊波の身体を固定するように抱き寄せた。不可抗力とはいえ想い人—しかも告白までしてしまった相手と密着する状況に急激に心拍数が上がる。
緊張でガチガチになっているのを他所に、小柳はさっさと準備を整えたらしい。行くぞ、と呟いた声が鼓膜に届いた数拍後、ぐわんと身体が大きく揺れる。強い衝撃から思わずきつく瞼をつむった数秒後、浮遊感が消えて地面に足が着いた感覚がした。
「良かった〜!二人も無事だったみたいやな!」
目を開けた先に広がるのは、何度か訪れた赤城宅のリビングだ。他の皆は既に到着していたようで、安堵した表情を浮かべた緋八が真っ先にこちらへと駆け寄って来た。
「お疲れ様〜何とか作戦成功って感じですね。るべち緊張しちゃった。」
「ゴリ押しで終わらせたヤツが何言うとん。後半大分無理あったぞ。」
わちゃわちゃと騒ぎ出した面々に対し、説明もされないまま逃げて来た小柳は完全に蚊帳の外である。
「⋯⋯おいコラ、俺何の事情も聞いてねえんだけど?流石に説明くらいしろ。」
その言葉に彼を除く全員が『そうだった』という表情で顔を見合わせる。周りに小突かれた星導が面倒臭そうに作戦名と大まかな内容を述べれば、小柳の表情がみるみる内に渋いものへと変化する。
「⋯ほぉ、なるほどな。助けてくれたのは感謝する。そんでもど〜したらあんな馬鹿騒ぎになんだよ。」
「いやいやあれは不可抗力だから⋯⋯⋯って!!そんな事より、小柳くんとライは取り込み中だったでしょ!ほらほら、こんな事気にしてないで二人で話済ませて来なって!!!」
じりじりと詰められる状況を不利と見たのか、星導は無理矢理話題を方向転換する。一方で場の喧騒で自然消滅したと思いきや、名指しされた上蒸し返された伊波はあからさまに肩を跳ねさせた。
「はぁっ!?ちょ、いや待って!別にそんな大した事じゃないしッ⋯!!」
「いーからいーから。ウェン、ちょっと空いてる部屋貸してくれません?」
「はいはーい、リビング出て左の部屋荷物置き用だから自由に使っちゃって〜」
じたばた暴れて抗議しようにも強い力で拘束されてしまう。そして小柳と揃ってリビングから追い出され、空き部屋へと閉じ込められてしまった。どうやら外から施錠したらしく、扉越しに「話が終わるまで出てきちゃ駄目ですからね〜」と呼び掛ける星導の声が聞こえる。
6畳にも満たない狭い密室で、完全に二人っきり。
大変気まずい空気が漂う中で双方黙り込む事5分。このまま一晩過ごしかねないと脳内に浮かんだ矢先、先に声を上げたのは小柳だった。
「⋯⋯⋯⋯⋯え、と⋯その、着物。どこから持ってきたんだ?」
「は?あ〜星導が持ってきた。どっかから借りてきたっぽい?」
ずっと気になっていたそれを問い掛ければ、概ね予想していた犯人の名前が飛び出す。ここから出たらアイツを二、三発ぶん殴ろう、と固く決意しながら、小柳はおもむろに部屋の隅で縮こまった彼へと距離を詰める。
「ライ。」
滅多に口にされない下の名前を呼ばれ、反射的に身体を強張らせる。視線を泳がせようにも、あっという間に十数センチの距離まで近付かれてしまい逃げる術がなくなってしまう。
「⋯⋯ッお前、距離近すぎ。もうちょい離れれば?」
必死で平静を保ちながらそっけない態度を取る伊波だが、脳内はパニックが極まりショート寸前だ。
(何!何なの!?どういう行動なんだよそれ!!マジでこれ以上近付かないで⋯!!!)
唯一動かせる首を捻って顔を反らしているものの、朱に染まった耳や首筋は彼から丸見えだろう。それが恥ずかしくて、余裕のない自分の姿を曝け出すのが怖くて小柳の姿を直視できない。
「やだ。ねぇ、ライ。こっち向けよ。」
「⋯⋯無理。」
そんな些細な抵抗なんて効果がないと言わんばかりに、より近付いた小柳はあろう事か血液が集中した耳朶へと唇を寄せる。
「――ラ~~イ、お願いだから。」
「ひぅッ…‼⁇」
どろどろに煮詰めた飴みたいに甘い声で吐息交じりに囁かれてしまえば限界だった。とりわけ聴覚が鋭敏な伊波はその魅力的な音色をつぶさに感じ取ってしまい、もろにダメージを受けてしまう。動揺したその瞬間、小柳の両手が小作りなかんばせを優しく、それでいて動かせない強さで包み込む。強制的に視線がかち合い、伊波の顔の熱が限界まで上昇する。
「…………さっきの言葉、もう一回お前の口から聞かせて。」
「な、なに言って…」
「頼む、絶対に笑ったり、拒んだりしないから。」
とんでもない羞恥の上塗りに涙目になるも、重ねて降ってきた声色とこちらを真っ直ぐ見据える湖月の瞳は真剣そのもので。
暫く悩んだ末、震えてままならない声にありのままの気持ちを乗せる。
「好き、ずっとずっと。オレ、ロウが好き。」
言い終わった瞬間、食い入るように見つめていた小柳の表情がふわりと綻ぶ。月下美人が花開くような、艶やかで儚げなその笑みに伊波は緊張すら忘れて見惚れてしまう。しかし次の瞬間、背中に腕が回されたかと思えばきつく抱き締められた。
「…俺も。お前が、お前だけを愛してる。」
「……………はは、何か夢見てるみたい。こやと両想いなんて考えた事もなかった。」
「流石にこれが夢だったら泣くわ…………まあ、俺も未だに信じられないけど。」
告白から暫く経っても抱き締めたままの二人はぼんやりとした口調で囁き合う。縁談の乱入を始めとした怒涛の展開のオンパレードに、タフな彼らもなかなかへばってしまったようだ。甘えるように小柳の広い肩に顎を乗せた伊波がそういえば、と切り出す。
「オレの女装姿見た時、結構キョドってたよね?もしかして、ああいう格好してる方が好きだったり…?」
己の反応を指摘された小柳は思わず固まってしまう。確かに動揺はした、そもそも流出してる筈がない振袖が目の前にあった事が大きな理由だが。それはそれとして女性の格好すら様になる美しさや、小柳自身に寄せた色彩を纏った出で立ちの破壊力に心が動いたのも嘘ではない。
それでも大きな瞳に不安げな色を滲ませる恋人のいじらしい問いかけに、慌てて声を上げた。
「いや、確かにめっちゃ似合ってたけど……そのまんまのライが一番だから‼」
「わ、分かったてばぁ…‼大きい声で言うなって‼」
姿や性別、出で立ちなど些事だ。小柳が心底好ましいと思うのは、他でもなく伊波自身の生き様や心の在り方なのだから。
凄まじい反論―もとい、熱烈すぎるラブコールに心配が吹き飛ぶどころか再び羞恥に苛まれる事となった伊波は火照った顔を隠すように目の前の方に埋めようとした……が、とある方向を見つめた瞬間、思い切り身体を固まらせて動かなくなってしまう。おもむろに停止した恋人に怪訝な表情を浮かべた小柳も、彼が視線を向けた方へと振り返る。
「やだ、気付かれちゃった!ロウきゅんたら、ヘタレムーブしてたのに結構大胆~♡」
「小柳くんライと両想いになれてウハウハなんですよ、見ました?あのニヤけた表情。」
「照れてるライもめっちゃ可愛いなぁ~♡ホンッッッッマにおめでとう二人とも‼‼」
「てか普通にバレてんじゃん。折角SEXYな雰囲気になりそうだったのに、俺達お邪魔虫じゃね?」
「いや覗いてる時点で十分お邪魔虫だよ俺達…」
「なあなあ、赤城の唐揚げ味見していい?僕お腹めっちゃ空いてるんやけど。」
施錠してあった筈の扉の向こう。数センチほど開いた隙間から覗くのは一番見られたくなった面々で。
その後、閑静なマンションの一室で静かに怒り狂った小柳が抜刀し、必死で逃げ惑う面々と恥ずかしさで空き部屋に籠城した伊波という図が深夜まで続いたという。
ちなみに作戦中の悪ノリに加え、小柳の自室に無断侵入、プライベートを暴いた上に勝手に振袖を持ち出したという余罪を洗いざらい吐かされた星導はそれはもうしっかりと制裁を受けた。鍛錬と称して散々打ちのめされ、全身青痣まみれになった鑑定士の姿にああはなってはいけないとOriensと叢雲は静かに合掌するのだった。
あの騒動から数週間が経過した。
結論をいえば縁談は双方合意の上で白紙となった。
東のヒーローも巻き込んだDyticaの暴挙に当たり前だが本部の上層部は激怒した。しかし当事者である小柳が縁談の場で故意に魅了の術や媚薬を混ぜた飲食物を用意された事を盾に抗議した結果処罰は免れた。彼曰く今回の妨害をお咎めなしにするなら蛮行を見逃す。しかし追求するのであれば、この仕打ちを公表すると脅したらしい。その言葉に上層部の狸爺達は可哀想なほど真っ青になって狼狽えた。
西の地で高貴な存在として扱われる白狼を崇拝する人々は数多存在する。熱心な信徒達が己らの信仰対象が害されたと知ったらどんなに荒れ狂い、怒りの矛先が自分達に向けられるか恐怖を覚えたのだろう。
普段のふんぞり返った姿はどこへやら、脂汗を垂らして項垂れる上層部の一部始終は小柳の妖力によって隠し撮りされた。後日Dyticaの拠点にて催された上映会にて、日頃圧を掛けられ散々嫌味を吐かれる伊波が宿敵の醜態をリピート再生しては悪魔のような高笑いをしていたとか。
また今回の騒動の原因であった令嬢だが、すぐに回復したらしい。正直本部の狸爺よりもこちら側からお怒りを向けられる事に戦々恐々していた面々だったが、暫くして彼女から届けられた手紙には意外な反応がしたためられていた。
曰く令嬢は長年仕える年の近い護衛に幼い頃から想いを寄せていた。しかしいくらアプローチしても意中の彼は全く靡かず、やきもきした日々を送っていたという。
しかし数か月前、KOZAKA-Cの襲撃に巻き込まれた際に事で状況は大きく変化した。
緊迫した現場に舞い降り、淡々と敵を殲滅する美貌の剣士―小柳の姿を見た瞬間、彼女の人生で初めて『推し』という概念が誕生したのだ。以来熱に浮かされたように彼のグッズや写真(非公認)を集める令嬢を、周囲は白狼に恋したのだと囁き合った。すると噂を耳にした護衛がにわかに動揺を見せたのである。普段鉄仮面な彼の予想外の反応に可能性を感じた彼女は一計を案じた。
それは縁談の相手に小柳を指名する事だったのだ。令嬢からすれば推しと合法的に対面できる機会が設けられる上、想い人を揺さぶる事もできる。興味のない相手から届く釣書の山に嫌気が差していたのもあって、彼女は行動即座に移した。案の定愛娘のおねだりを父親はすぐ受け入れ、あっという間にヒーロー本部と話を取り付けた。
そうしてやってきた縁談当日。至近距離で初めて会話する小柳に内心にやけたり、背後で控える護衛の様子を観察したりと彼女の計画は順調に進んでいた……途中までは。
突然乱入してきた謎の美少女(女装した伊波)の暴露によって事態は大きくかき乱された。まさか推しとの初対面と同じ日に熱愛発覚を受けると思っていなかった令嬢は我を忘れて取り乱してしまった。しかし追い打ちをかけるように登場した推しの恋人を名乗る(一部女装した)男達によって、衝撃と解釈違いの積み重なりの心的負荷でとうとうキャパオーバーしたのである。
倒れ込んでしまった令嬢だったが、そこに真っ先に助けに来たのは想い人の護衛であった。
意識を失っている間ずっと付き添っていた彼は、目を覚ますと今までの態度を謝罪するとともに想いを告げた。彼自身、令嬢に好意を抱いていたものの身分の差から気持ちを押し殺していたのだった。しかしあの縁談の場にて大勢の浮気相手(?)を引き連れてきた小柳の姿を目にし、あんな酷い男に嫁がせるくらいならば、と踏ん切りがついたようだ。意中の彼からの告白を令嬢は大喜びで受け入れ、何やら悶着はあったものの無事父親にも認めさせたようだ。
事の顛末と伊波らへの感謝が綴られた手紙とともにDytica宛に送られてきたのはお詫びも兼ねた包みだった。それなりの分厚さのあるそれに目を輝かせた星導と叢雲が、今回の作戦のMVPは自分なので分け前を寄越せと取っ組み合いになったのも記憶に新しい。結局埒が明かないので後日打ち上げで利用した高めの焼肉屋の支払いとOriensへの謝礼金、残りはDyticaの共同資金として貯蓄する事で終着したのだった。
————こうして、望んでない縁談に巻き込まれた上、一部関係者に『男女見境なく手を出すゲス野郎』という濡れ衣と着せられ暫く落ち込んだ小柳を除けば見事に丸く収まったのである。
そして。
「⋯⋯お前ひっ付き過ぎじゃね?今日何時間オレの事抱き締めてんだよ。」
「いーや、全然足らんね。3日間会えんかった分充電中だから。」
ようやく想いを通わせ、チームメイトから恋人へと関係が進んだ二人。長いすれ違いの末に解放された反動か、小柳はすっかり好意を隠そうともせずに年下の番に尻尾を振っている。今日とて泊りがけの任務後に拠点へ直帰した彼は真っ先に恋人を探し出すと、その華奢な身体を腕の中に閉じ込めて離さない。これでは完全に懐き切った飼い犬だ、冷酷無慈悲な一匹狼が聞いて呆れる。対する伊波も呆れた口調ながらも拒む事なく受け入れており、完全に甘い空気が出来上がっている。
「………あのさぁ、俺達もいるんですけど。いちゃつくんだったら部屋でやってくださいよ。」
しかしながらここは共有スペースであり、当たり前だが星導や叢雲も使用しているのだ。少し前まで両片想いを拗らせていた同僚達に歯痒く感じていたのが一転、周囲の目を気にせず戯れるバカップルに胸焼けを起こしつつある鑑定士がげっそりした顔でクレームを入れる。末っ子忍者に関しては数週間ですっかり順応したのか、我関せずといった具合でソファに沈み込んでゲームに興じている始末だ。
「⋯!ごっごめん、ちょ、こや!一旦離れろって!!」
第三者からの指摘で我に返ったのか、みるみる内に顔を真っ赤にした伊波が小柳の腕の中でじたばた藻掻き出す。一方の小柳は全く動じる事なくむしろ拘束を強め、ついでに星導へ『余計な事言いやがって』と言わんばかりに睨み付け舌打ちまで飛ばしてきた。それでも恋人の可愛い姿を他の男に公開するのも嫌なようで、渋々ながら腕の力を緩めた。
「〜〜〜ッオレ、買い出し行ってくる!一、二時間戻らないから!!」
「待て、俺も着いて⋯⋯⋯」
「行かないでくださいね〜。小柳くん、今回の報告書まだでしょ?」
「あ"?さっきからうるせぇよ、てか今回の任務だって元々お前の管轄じゃねえか。こっちに押し付けてきやがって⋯」
「元々は誰かさんが縁談に強制参加するせいで、担当外の任務割り振られたのが始まりですけど〜?人に頼んどいて自分はやらないとか流石にないよね?」
羞恥心からその場を離れようとする伊波を追いかけようとした小柳だったが星導に阻まれてしまう。眉間に皺を寄せて威嚇するも、冷ややかな目でぴしゃりと言い渡されて思わず喉を詰まらせた。実際縁談騒動の直近は、本部の呼び出しやら準備やらで任務に穴を空けてしまっていた事もあり反論できない。先程までの反抗的な態度から一転、大人しくなった小柳は己の仕事を片付けるべく自室へと足を向けるのだった。
「ロウ待って!」
すごすごと廊下を歩いている最中、背後から恋人に呼び止められる。本当は今すぐ彼を連れて部屋に閉じ籠もりたい欲求で溢れているが、如何せん星導に小言を言われたばかりだ。振り返ってしまえば我慢できなくなりそうで、前を向いたまま言葉少なに返事する。躊躇うように口ごもる彼だったが、数拍置いて小柳の耳元へと唇を寄せる。
「⋯⋯⋯⋯オレが帰るまでに報告書終わらせてたら、その時はロウの部屋で⋯い、いちゃいちゃして良いから。」
ちゅっ、と可愛らしいリップ音ともに薄い耳朶へと口づけた直後に吹き込まれた殺し文句は理性を粉々にするには十分すぎる破壊力だった。しかし勢い良く振り返るも、伊波は脱兎の如く走り去ってしまった。痺れるような熱を孕む耳元を押さえた小柳は大急ぎで自室へと駆け込む。そして過去最速で報告書を仕上げると、帰ってきた恋人をでろでろに甘やかさんと決意し待ち構えるのだった。
「⋯伊波、オオカミ追いかけたと思ったらドタバタしながら出てったんやけど。」
一方リビングにて。けたたましい足音を立てながら拠点を飛び出して行った伊波を観測した叢雲がぽかんとした表情を浮かべて呟く。
「気にしなくても大丈夫ですよ。むしろ突っ込んだら馬に蹴られるから止めといた方が良いです、絶対に。」
散々浴びせられた糖分を中和せんと濃いめに淹れたブラックコーヒーを渋い顔で啜る星導がぴしゃりと一蹴する。
「まあでも二人とも良かったな。こういうの何て言うんやっけ、"アメイジンググレース"みたいな⋯」
「⋯⋯⋯⋯⋯もしかして、"雨降って地固まる"の事言ってる?」
「そう!それ!」
得意げに独自言語を披露する忍者に、脱力した鑑定士は乾いた笑いを浮かべながら空を仰ぐ。
(まあいいか、今日も平和で何よりって事で。)
拠点の外は憂いを拭い去ったかのような晴天。朗らかな青空にはた迷惑で愛おしい恋人が末永く幸せでありますように、とらしくもなく願うのだった。
【読まなくても特段問題ない設定】
●着物の柄
・椿…魔を払う意味を持つ
→西の地で普通に人間として戦うinmを守護を願う意図を込めている。
・梅…忍耐・力強さを表す
→異端として扱われながらもひたむきにメカニック、ヒーローとしてあり続ける彼を重ねている。
・打ち出の小槌…ハンマー要素+開運・願望成就の意
→inmの願いの成就を願う意図を込めている。
・青海波…『波』要素+静かな波のように平穏な生活が続くように願う意味
→inmの安寧を願う意図を込めている。















