ある週末の午後。
リビングでは、月とその友人・柚帆が並んで宿題をしていた。ノートと問題集を広げているものの、柚帆のペン先はどこか落ち着かない。ときどきシャープペンシルの頭を机にトントンと打ちつける癖が出ている。
その向かい側のキッチンからは、甘い焼き菓子の匂いがふわりと漂っていた。樹と冬雨が、おやつの準備をしている最中だった。
「ねえねえ」
柚帆が突然顔を上げる。ほんの少しだけ目が輝いている。
「この前の学校行事でさ、保護者インタビューの企画あったじゃん?」
月がノートから顔を上げる。
「うん、あったね」
柚帆はシャーペンをくるくる回しながら、身を乗り出した。
「私、あのときの二人の答えがずっと気になっててさ。今日、ちょっと直接いろいろ聞いてもいい?」
そのタイミングで、キッチンから樹の声が飛ぶ。
「あ、月、柚帆ちゃん。おやつにする?」
のどかな声。だが次の瞬間――
柚帆は、見覚えのないノートを手に立ち上がっていた。
「樹さん、冬雨さん。ちょっといいですか?」
空気が一瞬止まる。
月が「?」と目を丸くし、樹も手を止めた。
「え、どうしたの柚帆ちゃん?」
柚帆は真剣な顔でノートを開く。
「この前のインタビュー、途中で終わっちゃったので……続き、聞かせてほしくて!」
「続き?」
樹が目をぱちくりさせる。
冬雨は静かに手を止めて、柚帆を見た。
柚帆は咳払いをひとつして、ノートを読み上げる。
「あの時、私が『二人が知り合ったのはいつですか?』って聞いたら、冬雨さんは『大学1年の時です』って答えました」
「うん」
「で、朱里ちゃんが『いつから相手のことが好きになりましたか?』って聞いたら、樹さんは『初めて会った時です』って即答して、冬雨さんは『私は少し経ってからです』って言いましたよね」
「ああ……そんなこと言ったかも」
樹の耳がじわりと赤くなる。
柚帆の視線が鋭くなる。
「問題は、その次です!」
一気に空気が変わる。
「そのとき、樹さんが『え、そうだったの!?』って驚いたら、冬雨さんが『そうだよ。ほら、6月に公園で……されて、それから好きになったじゃん』って言ったんです」
「……っ」
冬雨の手が一瞬止まる。
柚帆は止まらない。
「朱里ちゃんが『何されたんですか!?』って聞いたら、冬雨さんはすごく焦って『告白!告白されたの!』って言い直して……樹さんも『そうなの』って合わせてた」
そこで柚帆はノートを閉じた。
そして一歩、二人に近づく。
「でも!」
声が跳ねる。
「単に告白されただけなら、“……されて”なんて濁し方するのおかしくないですか?」
月が横で「おお……」と小さく息をのむ。
柚帆は核心を突くように言った。
「ぶっちゃけ、大学1年の6月の公園で、何があったんですか?」
「えっ!?」
樹の声が裏返る。
「な、何って……えっと、その……!」
「柚帆ちゃん、それはもう昔の話で……」
冬雨も珍しく言葉を濁す。
その反応が、逆に怪しい。
「ほら冬雨!学校で変な言い方するから!」
「私のせい?あのとき樹が“したい”って――」
「わーーーっ!!ストップ!ストップ!ストップ!!」
樹が慌てて冬雨の口を両手でふさぐ。
リビングは一気に騒然となった。
月は笑いをこらえながら肩を震わせ、柚帆はさらに目を輝かせている。
「これは……まだ何かあるやつだ」
そのひと言に、キッチンから同時に声が飛ぶ。
「ない!!」
「ないから!!」
しばらくして月がぽつりと言った。
「お母さんってさ」
視線が集まる。
「ママに一目ぼれだったってこと? 顔が好みとか?」
「月!!」
樹の即ツッコミ。
柚帆のペンが走る。
「重要証言です!」
「記録しなくていい!」
さらに冬雨が、さらっと爆弾を落とす。
「でも……前に聞いた時、映画の帰りに雨降って、傘なくてびしょびしょになって、そのあと樹の家で髪乾かしてくれた時……初めて私の事、意識したって言ってたよね?」
一瞬、静寂が落ちる。
樹の動きが止まった。
そしてみるみる耳まで赤くなる。
「冬雨……それ今言う?」
「だって本当じゃん……」
冬雨も頬を染めたまま小さく答える。
柚帆の目が輝く。
「えっ」
月も身を乗り出した。
「じゃあ初対面で好きになったって話は?」
「それは……!」
樹が反論しかける。
しかし言葉が続かない。
月が指を折り始めた。
「最初に一目ぼれ」
「うぅ……」
「雨の日でまた好きになる」
「月……」
「で、公園で告白して」
柚帆がすかさず続ける。
「そこで決定打」
カリカリとペンが走る。
月は満足そうにうなずいた。
「つまり三回落ちてる」
「三回だね」
柚帆も頷く。
樹は顔を覆った。
「なんでそうなるの……」
耳まで真っ赤だ。
月はにやにやしながら言う。
「お母さん、ママのこと好きすぎない?」
「月!!」
即座に返ってきた声も、いつもよりかなり弱い。
冬雨は隣で同じくらい赤くなりながら、ぽつりと言った。
「まあ……私もだから」
今度は樹が固まった。
月と柚帆が同時に顔を見合わせる。
「うわ」
「相思相愛だ」
「だからそういうのやめて!」
珍しく樹が本気で照れながら叫び、冬雨は恥ずかしそうに笑った。
その時だった。
柚帆がふとノートを見返す。
「あ」
嫌な予感がした。
樹と冬雨が同時に顔を上げる。
柚帆は首を傾げた。
「でも結局、一番気になるところ聞けてないですよね」
「え?」
月が言う。
「何が?」
柚帆はノートのあるページを指差した。
「公園」
空気が止まる。
「大学一年の六月の公園」
樹の笑顔が引きつった。
冬雨が視線を逸らす。
柚帆はにっこり笑った。
「結局、何があったんですか?」
「……」
「……」
二人とも黙る。
月が追撃する。
「確かに」
「月まで!?」
「だって気になるじゃん」
柚帆は期待に満ちた目で身を乗り出した。
「告白以外に何かあったんですよね?」
「ない」
樹が即答する。
「本当に?」
「ない」
「でも冬雨さん、“されて”って――」
「言い間違い!」
今度は冬雨が慌てて遮る。
しかし顔は真っ赤だ。
柚帆は確信を深めた。
「絶対何かある」
「ないって!」
「怪しいなあ」
「怪しくない!」
月がぽつりと言う。
「ちゅ~とか?」
その瞬間。
樹と冬雨が同時に立ち上がった。
「ない!!」
「ないから!!」
見事に重なった声がリビングに響く。
一瞬の沈黙。
そして。
月が吹き出した。
「息ぴったり」
柚帆も頷く。
「しかも否定するタイミングまで同じ」
「だから違うって!」
「違うから!」
また綺麗に声が重なる。
月と柚帆は顔を見合わせ、同時に笑い出した。
樹は頭を抱え、冬雨は真っ赤なまま視線を逸らす。
そんな二人を見ながら、月は楽しそうに言った。
「やっぱり仲良しだね」
焼き菓子の甘い香りが漂うリビングに、今度は笑い声が長く響いていた。
その夜。
ドライヤーの音が、やわらかくリビングに満ちている。
樹の手が、冬雨の髪をすくうたびに、少しだけ静けさが揺れた。
「……こうしてるとさ」
冬雨が前を向いたまま、ぽつりと呟く。
「なんか、落ち着くね」
「昔も同じこと言ってた」
樹は軽く笑う。
でも冬雨は、少しだけ間を置いて続けた。
「ねえ」
その声はいつもより少しだけ静かだった。
「映画観た帰りのこと、覚えてる?」
樹の手が一瞬だけ止まりかける。
「……雨の日の?」
「うん」
冬雨は振り返らないまま言う。
「びしょびしょになって、樹の家で髪乾かしてくれた時」
ドライヤーの音が、ほんの少しだけ遠くなる。
「その時さ」
冬雨は少しだけ息を吐いてから、続けた。
「その時はまだ分からなかったけど……あの頃からちゃんと、好きになってたんだと思う」
静かな声。
樹はすぐに返せない。
ただ、冬雨の髪をすくう手だけが、少しだけ優しくなる。
やがて、小さく息を吐いて、ドライヤーを止めた。
⸻
静けさが落ちる。
冬雨の髪が肩にふわりと落ちて、光を少しだけ含む。
樹はその横顔を見てしまう。
うなじの線。短くなった髪。昔と同じなのに、少し違う時間の重なり。
冬雨は気づかないふりをしながら、小さく言う。
「……どうしたの」
樹は少しだけ笑って、
「いや」
言葉を選ぶみたいに間を空けてから続ける。
冬雨の肩が、ほんの少しだけ揺れる。
「こうして今も、隣で冬雨の髪を乾かせてるの、本当に幸せ。……冬雨、大好き」
冬雨はすぐに返事をしない。
でも、その沈黙はもう迷いじゃない。
ただ、あたたかいだけの時間。
そしてゆっくり振り返る。
距離は近い。
でも、怖さはもうない。
「……私も」
冬雨は小さく笑う。
そして少しだけ目を伏せた。
「樹のこと、愛してる」
それだけで十分だった。
樹は少しだけ笑って、自然に手を伸ばす。
冬雨は逃げない。
代わりに、ほんの少しだけ目を閉じる。
キスは短く、静かで、でもちゃんと甘い。
離れたあと、冬雨は小さく息を吐く。
「髪、まだちょっと湿ってる」
樹は苦笑する。
「今それ?」
「だって、風邪ひいたら樹が悲しむでしょ」
と口を尖らせる。
そのやり取りに、昔と今がやさしく重なる。
樹はもう一度ドライヤーを手に取りながら、静かに言う。
「じゃあ、もうちょっとだけね」
冬雨は小さく頷く。
「うん、おねがい」
冬雨は素直に頷く。
樹は少しだけ笑う。
ドライヤーの温かな風が、再び二人を包む。
窓の外では夜が静かに更けていく。
もう離れることのない時間みたいに。
おわり
















初めまして、まあ〜と申します。 いつも素敵な作品をありがとうございます😊 映画の続きを見ている様で、ほっこりとしてます。 次回作も楽しみにお待ちしております🤗