「お前は誰だ、アンナじゃないな?」
そう赤髪に青い瞳の美青年が私を睨みつける。
舞踏会に見合った華やかな装いをしている癖に、その顔は冷たい怒りで凍り付いていた。
いつものように笑っていればいいのに。
「何のことでしょう、アイクラー伯爵令息」
「アンナは俺をそんな風に呼ばない!」
バルコニーに私を連れ出した男はそう怒鳴る。
そんなに大声を出したら流石に室内にまで聞こえるだろう。
けれど彼はそんなことすら考える余裕が無いようだった。
「呼ぶ機会がありませんでしたからね。貴方はいつも婚約者以外の女性に夢中だった」
「それは……」
わかりやすく目を逸らす男にクスクスと笑って見せる。
それすらアンナらしくないとでも言うように男の表情が歪んだ。
「ローエン・アイクラー伯爵令息とアンナ・クルゼ伯爵令嬢は幼馴染で婚約者だったようですね」
他人事のように口にする私にローエンの視線が戻る。
「やはりお前は……」
「けれど伯爵令息は成長すると女遊びが激しくなり婚約者を無視して他の令嬢と交遊し続けた」
「……ただ、談話を楽しんでいただけだ」
「結果アンナは嫉妬で心が乱れ怒りっぽくなり、その内家族や友人からも嫌われ遠巻きにされた」
知っているでしょう。私が微笑むとローエンは気まずそうな顔になった。
「貴方の浮気相手に嫉妬して嫌がらせを繰り返す醜い女、悪役令嬢とまで陰口を叩かれたわ」
男に機嫌と人生を支配されて、何て愚かで可哀想なのでしょう。
私は薄笑いを浮かべ言う。今口にした全てはただの事実だ。
だから彼は何一つ言い訳出来ない。
「そして皆から嫌われ自己嫌悪と孤独を拗らせたアンナはある日思ったのよ……消えてしまいたいと」
「……何?」
「そして手首を切って死のうとした」
私は手袋を外しローエンに生々しい傷痕を見せつける。
彼がヒュッと息を呑んだのが分かった。
「アンナは亡くなり、その体に別の女の魂が入って蘇った……いえもしかしたら前世というものかしら」
最近そんな内容の大衆小説が流行っているようですね。
私が愛想良く告げてもローエンは顔を強張らせるだけだった。
容姿と声だけは良い男だ。
そんな姿も絵画のようだった。
「でも誰も困りませんわ。暗くてヒステリックでメイドにすら嫌われていたアンナが明るく社交的な性格になったのだから」
「それは……」
「だから貴方も魅力的になったアンナが惜しくなって今頃近づいて来たのでしょう?」
「違う!」
私の言葉を燃えるような瞳でローエンは否定した。
「俺が好きなのは本物のアンナだ、子供の頃からずっと好きだった!」
「なら何でアンナに冷たく接し、他の令嬢たちとばかり遊んでいたの?」
「それは……」
良い淀むローエンに私は容赦なく事実を突きつける。
「アンナが嫉妬し自分のことだけ考え、孤立していく姿に喜びを覚えていたから?」
「……っ」
「そしてアンナを家族すら見放したら自分が抱きしめて優しく鳥籠に入れて溺愛するつもりだった?」
私の言葉にローエンは言い返さない。それが事実だからだろう。
「今の私は貴方の病んだ企みなんて知っているわ。でも残念だったわね……貴方の愛したアンナはもう居ない、死んだのよ」
「貴様!」
激高し私に掴みかかろうとするローエンの腕が背後から捻じりあげられる。
「痛っ! 誰だ?」
「女性に乱暴しようとするのは見過ごせないな」
「……第二王子殿下?!」
「大丈夫かい、アンナ」
「はい、私は大丈夫ですレオン様」
私は金髪の美青年に甘く微笑みかける。
ローエンは私たちの様子を見て察したらしく愕然とした表情をした。
「そんな訳で婚約破棄いたしますわ、アイクラー伯爵令息。いえ、もうしているが正しいかしら」
「両家の当主は既に同意しているからね。婚約者も大事にせず遊び歩いている男に嫁がせたがる親などいない」
双方の伯爵家は対等な立場なのだから尚更だ。
第二王子の正論にローエンは顔を真っ青にし何も言えなかった。
「でも構わないでしょう? 貴方はこの私には興味など無かったのだから」
「アンナ……俺は……」
「さようなら、早く忘れられるといいわね」
私は第二王子の腕に自分の腕を絡ませてバルコニーを後にした。
■■■
それから十年経過した。
私は第二王子殿下と婚約し、順当に結婚し二人の子に恵まれた。
しかしローエンはまだ独身で後継の座も弟に譲ったらしい。
女遊びもせず、ひたすら与えられた部屋で一人の女性について絵を書いたり詩をしたためているという話だ。
そしてそれは芸術品としては貴族たちに中々に評判が良いとも。
「良い物を手に入れて来たよアンナ」
「あら、何かしら」
「若い頃の君の肖像画だ、アイクラー伯爵家当主から譲ってもらった」
「まあ……」
ローエンの生み出した絵画を当主は無慈悲に金や賄賂に変えているらしい。
女遊びの結果婚約破棄になった立場を考えればローエンに逆らう権利など無かった。
「あの男は女好きなだけあって美女を描くのは上手い」
レオンは持っていた物から布を外した。
「ふふ、可愛らし過ぎて私とは別人みたい」
額縁の中では十代半ばの少女がはにかんでいる。それは間違いなくアンナだった。
そして私だった。
あの日、ローエンの浮気癖に疲れ浴室で私は手首を切った。
そうしたら謎の声が聞こえて来て、色々と教えてくれたのだ。
ローエンは本当は私を愛していること。私の気を引きたくて浮気を繰り返していること。
ついでに第二王子が私に昔から片思いをしていること。
だから死なないで、頑張って生きてという励ましを最後にその声を聴くことは二度と無かったけれど。
(あれは女神様の声だったのかしら)
生まれ変わったように生きた結果私は幸せだ。
ローエンはきっと一生私に囚われ失ったアンナを想い続けて生きていくのだろう。
それだけで心が満たされ世界が薔薇色に見える。
「ねえ、貴方は私がこんな少女だった頃から好きだったって本当?」
「もっと前からだよ愛しのアンナ。ローエンなんかよりずっと昔から君のことが好きだった」
そう言って頬にキスしてくる男に笑いかける。彼は素敵な夫で子供たちの優しい父親だわ。
だから私も死ぬまで理想の妻と理想的な母でいてあげる。
「私も……貴方をずっと愛しているわ」
どうかそのまま青い瞳で私を見つめて愛し続けて欲しい。
その美しい目が節穴か真実を見抜いているかなんて最早どうでもいいの。
私は別人のように内気に微笑む私の絵に布をかけ、夫の接吻を受け入れた。


















