「あいつ、来年度ウチに赴任してくるらしいぜ」
定時をとっくに過ぎて人気の少なくなった職員室。隣の席からぽつりと溢れた言葉に、冨岡はぴたりと動きを止めた。
手元の書類に目を落としたまま微動だにせず数秒間。それからゆっくりと声の主、同僚の宇髄の方へと顔を向ける。まさかという思いは、面白がるようなその顔を見た瞬間、確信に変わった。
この表情。「あいつ」が誰かなど聞かなくともわかる。
生まれたその瞬間から冨岡の胸の中に住み着いている男、「不死川実弥」その人に間違いないのだ。
冨岡には所謂「前世」の記憶というものがある。それは今から百年も昔、大正時代の頃の記憶だ。
かつての日本には「鬼」という人を喰らう生き物がいて、冨岡は奴等を殲滅するための組織に属する剣士だった。
件の不死川は、その組織で共に「柱」という位についていた仲間のうちの一人。そして、鬼の首領を倒した後には、何の因果か冨岡の恋人となって、最後のひとときを共に過ごした男。
その男が来年度には冨岡の勤める学園に赴任してくる。傍から見れば、実にドラマティックでロマンティックな奇跡の邂逅だ。しかし、
「そうか」
冨岡は淡々とそれだけを返すのみで、驚きも喜びも何の感情も示さない。
「喜ばねえの」
そんな冨岡の反応は宇髄の思うものとは違ったのだろう。口元に浮かべた笑みをすっと引っ込めて、訝し気に冨岡の顔を覗き込んできた。
喜ぶ。一体何を喜べばいいというのだろう。
恋人との百年ぶりの邂逅を?
そもそも本当の意味での恋人でもなかったというのに?
あの頃の自分達は尋常ではなかった。掴んだ勝利の裏で失ったものは余りにも多く、残された柱は自分たち二人のみ。余命も戦いの代償で残り幾ばくか。縁談を勧めてくれる人も多かったが、残して逝くことがわかっているのに、あの優しい男に妻など娶れるはずもない。
結果あの男が選べたものは冨岡しか残されていなかった。互いに痣者、身寄りはなし。似たような境遇の自分はもしかしたら不死川にとっても都合が良かったのかもしれない。あの男は誰かの世話を焼くことで心の安定を図っていたようなところがあったから、その対象として手のかかる冨岡は適任だったのだろう。
だけどそんな当人の事情よりもむしろ、隠していたつもりの冨岡の恋情を敏感に察知して、哀れな男の小さな希望を消さないために、自らを差し出してくれたのだろうと、冨岡は思っている。
つまり恋人だったと言っても名ばかりのもの。不死川は冨岡の最後の我儘に付き合ってくれただけに過ぎないのだ。
何よりの証拠に、共に暮らした一年間、二人が交わした恋人らしい触れ合いと言えば、冨岡から強請った拙い口づけが数える程度。不死川から何かを求めてくることは、終ぞなかった。
それどころか触れ合うだけの短い口づけの後には、何かに耐えるような、ひどく辛そうな顔をしていることすらあったのだ。初めは気のせいかと思ったけれども、同じことが何度も続けば、いくら鈍感な冨岡でもその意味に気付いてしまう。
あの男が冨岡に対して何らかの情を抱いてくれていたのは確かだ。あそこまで大切に慈しんでくれていたのだ、それは間違いない。
だけどそれはきっと恋情ではなく、友人や家族、特に小さな弟妹に向けるような兄心、つまり親愛の情だったのだろうと思う。考えてみれば、冨岡に向けられる蕩けるような眼差しも、かわいいと頬を撫でる手の優しさも、過剰なほどの過保護さも、むかし姉から受けていたものと似ているような気がしないでもない。つまりはそういうことなのだ。
これはあの男の口から紡がれる「好き」だとか「大切」だとかの言葉の意味を、深く考えなかった冨岡の落ち度だ。そこに込められていたのは、きっと家族に向けるような「好き」や「大切」。それを冨岡がついうっかりと「恋情」だと勘違いして浮かれてしまったばかりに、あの優しい男は冨岡の気持ちを慮って、そのまま受け入れざるを得なくなってしまったのではないか。
ずっと我慢を強いていたんだな。悲しみよりも申し訳ない気持ちでいっぱいになった。だが落ち込んでばかりはいられない。気づいてしまったなら冨岡がやるべきことはひとつきり。一刻も早く不死川を開放してやるのだ。
しかし気づいた頃には時すでに遅し。その頃の冨岡は二十五を目の前にしてめっきり弱ってしまっていて、一人では生活が覚束なくなっていた。そんな男を置いて出ていけるほど、不死川は薄情な男ではない。
いくら冨岡が「俺のことはもういいから」「残りの日々は自分のやりたいように過ごしてくれ」と訴えたところで、「今更行くとこもやりたいこともねェわ」なんて軽く笑っていなされてしまう。
「人を雇って面倒をみてもらうから大丈夫だ」と食い下がってみても、「人を雇うだァ?俺がいンのに他の野郎にさせるわけねェだろ」真面目な男は責任感と世話焼きな性分を捨てきれずに、頑ななまでに役目を降りようとしない。
そうして何でもないような顔で冨岡の世話をして甘やかして、冨岡の視線が外れたふとした一瞬に、辛そうに顔を歪めるのだ。いくら隠していようが好いた相手のそんな状態を冨岡が見逃すはずがない。好いた相手に負担を強いている現状が悲しい。もっと早くに解放してやるべきだった。悔やんでも悔やみきれない。
名ばかりの恋人同士だったとは言え不死川はとても優しくとても甘く、全身全霊で冨岡を慈しみ大切に扱ってくれた。それに甘えて不死川の自由を奪ってしまったのは冨岡の罪だ。
失ってばかりだった男に自身の最期を看取らせてしまっただけでなく、その最期を穏やかなものとするためにか「次も必ず見つけるからなァ、安心して先行っとけよ」なんて、本音であるはずもない優しい嘘まで吐かせてしまう始末。そのことを生まれ変わった今でも、ずっとずっと後悔している。
だから、今生では絶対に間違えない。かつての記憶そのままに今生に生を受けたその瞬間から、冨岡は硬く心に誓っている。
もし不死川が冨岡と同じように記憶を持ったままこの世に生れ落ちているのならば、絶対に顔を合わせてはならない。どんなに恋しくても切なくても、あの男に会ってはならない。
万が一顔を合わせてしまったら、聡いあの男は冨岡の中にしつこく残る恋情を敏感に察知して、放ってはおけなくなってしまうだろう。いくら冨岡が「気にしてくれなくていい」と言ったところで、困らせてしまうことは間違いないのだ。それは冨岡の望むところではない。
不死川には何のてらいもなく、ただ健やかに幸せに生きてほしい。
本当に好きな人と――例えば胡蝶カナエのような素晴らしい女性と――本当の恋愛をして、賑やかで温かい家庭を築いてほしい。
その幸せを脅かすものは、たとえ自分自身であっても許すことは出来ない。
不死川の幸せの中に冨岡の存在は必要ないのだ。
だから宇髄の言葉を聞いた瞬間、冨岡の腹は決まったのだ。
不死川がやってくる前に姿を消さなければならない。
不死川への想いを心の中に閉じ込めたまま、あの男とは無関係のままで生きていかねばならない。
これは前世での不死川の最後の幸せを奪ってしまった冨岡に課せられた、罰なのだから。
そこからの冨岡の行動は早かった。
まず翌日の朝一で理事長室を訪れ、ここからずっと西にある僻地の姉妹校への転属を願い出た。その高校の体育教師は高齢の男性一人きりで、田舎故に募集をかけても中々いい人材が現れないと嘆いていたのを冨岡は知っていたのだ。
反対に現勤務先は人気校、働きたい者も多いし何より時期は新年度、異動を願い出たとてそこまで迷惑をかけることはないだろう。
理事長は大層驚き惜しんでくれたが、冨岡の意志が固いことを知ると、理由も聞かずにあっさりと承諾して下さった。
「義勇ならどの学校でもきちんとやってくれると信じているよ」
その広いお心にはただただ感謝するしかない。期待に応えられるよう、向こうでも誠心誠意指導に励もうと心に誓った。
同僚たちには異動のことは直前になってから話をすることにした。殆どの記憶のある同僚たちにとって不死川と冨岡の関係性は「犬猿の仲」のまま。その場にいない冨岡の話をわざわざ不死川にするものなど、一人を除けば誰もいないはずだから心配はない。
その唯一の一人である宇髄には、腹の内を嘘てらいなく全て伝えて協力を仰いだ。
話を聞いた宇髄は、ぽかんと目と口を開いて、あの男には珍しく、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「は???いやお前それ……まじで言ってる?」
「言っているが」
「何っでだよ!おかしいだろうが!」
「そうだ。あいつからの情を恋情だと勘違いしてしまったあの頃の俺は随分とおかしかった。不死川ほどの男が俺ごときに懸想するはずがないのに」
「そうじゃなくて!!あんっだけいちゃいちゃしといてそれは無理がありすぎるだろ、つってんだよ!!」
「いちゃいちゃなどしていない。現に俺たちは清い関係のままだ。口づけすら俺から強請らないとしてもらえなかった」
「え。…あいつまじかよ。奥手にもほどがあんだろ…。そりゃ、不死川にも責任があると言えねえことも…… うう~ん…いやでもなぁ…」
「?不死川に責任など何もない。俺があいつの優しさにつけ込んでしまっただけの話だ」
「いや、だからさあ…」
「頼む宇髄。俺はもうこれ以上、あいつを俺に縛り付けたくはない」
宇髄は物凄く複雑そうな顔をして渋ってはいたが、冨岡の気持ちが変わらないことを理解したのか、最後には何とか折れてくれた。
「けどな、俺に出来るのは『お前の居場所を言わない』、それだけだ。一切協力はしねえ」
そうきっぱりと言い切られてしまったが、それで十分だった。
「ありがとう。恩に着る」
「でもよ。やっぱお前、一度あいつとちゃんと話しといた方がいいと思うけど?」
「必要ない。俺の顔を見ればあいつは嫌でも当時のことを思い出す。変な責任を感じさせるような真似はしたくない」
「お前あいつを舐めすぎっつぅか…」
「ん?」
「…いや、何でもねえ。後悔すんなよ」
最後に存外真面目な顔で言われた言葉は、宇髄なりの激励だと捉えることにした。
大丈夫だ宇髄、後悔ならあの時代、不死川を縛り付けてしまった時に嫌と言うほどしている。あれに勝る後悔などひとつもない。
冨岡の気持ちは変わらない。
そうして迎えた3月最後の日曜日。冨岡は新たなる勤務先へと向かう朝一番の特急電車に乗り込んだ。
時間のせいか目的地に何もないせいか、電車の中は想像以上にがらんとしていた。
冨岡はその人気のない自由席車両の中を切符片手にてちてちと歩き、前から5列目の窓際の席に腰を落ち着けた。
窓から駅のホームを眺めながら、暫くここに帰ってくることもないのだなと、どことなく寂しい気持ちになる。
それはきっとこの町のどこかにあの男がいるとわかったからなのかもしれない。そこまで思い入れのある町ではなかったくせに現金なものだ。
そんな自分の女々しい思考が嫌になって、振り払うようにペットボトルの蓋を開けた。と同時に電車がゴトンと揺れて、ゆっくりと目的地に向かって動き始めた。
「―――隣いいですかァ」
そう声をかけられたのは、車掌による車内アナウンスを聞くともなしにぼんやりと聞いていた時のことだ。
こんなにも空いている自由席車両で何故わざわざ他人の隣に。
と不思議に思う間もなく、耳が拾ったその声に、体が勝手にぎくりと強張った。
記憶というのは声から忘れていくという話を聞いたことがあるが、あれは嘘だったのだろうか。
百年ぶりとは思えない鮮明さで蘇る記憶。この声はまさか。
今現実として起きていることが信じられなくて、ペットボトルを握りしめたまま体が固まって動けなくなる。
「ご旅行ですかァ?」
いつの間に隣に座ったのだろう、至近距離から聞こえた声に、びくりと体が跳ねた。
今生では初めて聞くはずなのに、驚くほどに耳に馴染む声。だけどその口調は全く馴染みのない他人行儀なもので、そのアンバランスさがやけに恐ろしく感じて、背中を冷たい汗が伝った。
落ち着け。
冨岡は息をひとつ吸って自分の気を落ち着かせようと試みた。
まだ記憶があると決まったわけではない。記憶のないあの男がたまたまこの電車に乗り合わせて、たまたま冨岡の隣に座っただけの話かもしれない。もしくは完全なるそっくりさんという可能性も、ないこともない。
往生際悪くそんなことを考える冨岡の隣で、相手がうっそりと微笑んだ気配がした。
「俺は不義理な恋人を追いかけて来たところでしてねェ」
恋人。その一言に冨岡は絶望に突き落とされた思いがした。やっぱり、この男には記憶があるのだ。
どうして。どうしてわざわざ冨岡を追いかけてきた。なぜわざわざ「恋人」なんて言葉を使う。
だけどそれを確かめるのも憚られるほどに、男が纏う空気はびりりとした緊張感に包まれていた。俯いたまま何も言えずに固まる冨岡に一切気を遣うことなく、男は一人で勝手に話を続けていく。
「その恋人と会うのはなんせ百年ぶりでしてねェ。俺がこの邂逅をどンだけ心待ちにしてたかわかります?」
「――そんなむかしの話…」
漸くそれだけを絞り出した。
そう、それはむかしの話だ。あの頃のことを引き摺る必要など全くない。今生のお前にはいくつもの新しい可能性がある。お前はお前自身の幸せを生きていいんだ。俺のことを恋人だなんて思わなくていいんだ。
そう言いたいのに、喉がからからに乾いてそれ以上言葉が出てこない。
「そうですねェ。何せ途中一回死んでっからなァ。けど一回死んだくれェで別れた気になってるなんざ、ちょっと考えが甘いと思いません?」
何だそれは、一体どういう――。思わず顔を上げてしまってすぐに後悔した。そこにあったのは、美しい藤の花の色には似つかわしくない肉食獣の視線。一切の逃げを許さない「柱」の目だ。
そうだ、この男は熾烈な風柱。これがこの男の本来の姿だ。冨岡の中に残るこの男の記憶は決戦後の穏やかなものが最後だったから完全に油断していた。しまった、もう視線を外すことが出来ない。
動けなくなった冨岡の瞳を完全に捉えたまま、目の前の男、不死川実弥が本日初めて、目に見える怒りを露わにした。
「テメエのことだよ、冨岡ァ」
ペットボトルを握る手の手首をがっと掴まれ、喉からひゅっと変な音が出た。
「―――なんで、ここに」
「聞いたからに決まってンだろ」
「宇髄か」
ぽつりと呟いた言葉は鼻で笑われ、すぐさま否定された。
「行先についてはあいつは全く役に立たなかったわ。テメエと約束したからつって梃でも口を割りゃしねェ。禄でもねェ手ェ回しやがって。用意周到なこったな」
掴んだ手首にぎりりと力を入れられ、痛みに顔が歪んだ。
「じゃあどこから…」
「匡近がなァ、教えてくれたんだよ」
「まさちか?…まさか司書の粂野か!?」
そう言えばこの男の兄弟子の名は「粂野」ではなかったか。当時冨岡とは面識がなかったから結び付けて考えもしなかった。自分の浅慮さを呪いたくなった。
「でェ?折角俺が赴任してきたっつゥのに、テメエはこんなところで何してやがる」
「――異動、で」
「へェ?異動ねェ?テメエから願い出たって聞いてンだけどなァ?俺が来ると聞いたからかィ?冨岡先生よォ」
これは全てを知っている目だ。冨岡は一切の誤魔化しを諦めた。こうなったら全てを素直に話して引いてもらうしかない。前世で共に暮らし、多少なりとも情を感じていた相手にこんな形で逃げるように避けられたら、誰でもいい気はしないだろう。不死川の怒りも尤もだ。このままではお互いの心に蟠りが残るだけだ。腹をくくって不死川に向き合った。
「逃げたような形になったことは謝る。だが全てはお前のことを想うが為の行動だ。お前は俺に会ってしまえばどうしたって過去に囚われてしまうだろう。今はあの頃とは違う、お前は何でも選べるんだ。俺の気持ちを慮って、あの時の約束を守ろうとしてくれなくともいいんだ。俺はお前に過去に縛られて欲しくはない。もう終わったことだ。キメツ学園にはカナエもいる。どうかあいつと幸せに―――」
「終わったこと、だァ?」
びりりと。殺気を込めた低音に遮られ、思わず口を噤んだ。
「勝手に終わらせてンじゃねェ。言っただろ、こちとら一回死んだくれェでなかったことに出来るような軽い想い背負っちゃいねンだよ。漸く見つけたンだ、逃すわけねェだろ」
声を荒げるでも怒鳴るでもなく、淡々と紡がれる言葉が、逆に男の怒りを表しているようで心が痛い。
だけど目の前で起きていることがあまりにも想像とかけ離れていて、何一つ現実味がない。
一体何が起きているんだ。お前は何をそんなに怒っているんだ。なかったことに出来ないとは一体どういうことだ。だってお前は―――
「そもそもお前は俺に対してそんな恋愛じみた想いなど抱いていなかっただろう。俺の我儘に付き合ってくれていただけなのはわかっている。今更取り繕わなくてもいい」
「それなァ。テメエがそんな風に捉えてたなんて思ってもいなかったから、宇髄に聞いて驚いたわ」
宇髄め、喋ったな。同僚の顔を頭に思い浮かべて恨めしく思った。だがよく考えてみなくとも宇髄が約束したのは「居場所を言わない」そのことだけだ。それをきちんと守ってくれただけでも感謝すべきで、恨むなど全くのお門違いだ。恨むならば考えなしだったあの時の自分だ。まさか不死川がこんな行動を起こすとは思いもせずに、細部まで詰めなかったのは自分のミスだ。これは教師にあるまじき行い。俺はやっぱり未熟だ。
「事ある毎に好きだの可愛いだのちゃんと伝えてただろォが。全く伝わってなかったとはなァ。そんな性分だから仕方ねェなんて呑気に捉えて、なにひとつ対処しなかった自分の馬鹿さ加減に反吐が出るぜ」
確かにそのような言葉をかけてもらった記憶はある。汚れた口周りを拭いては「餓鬼かよ、かわいいなァ」、跳ねた髪をとかしながら「この強情なところがお前みたいで手に負えなくてよォ、愛おしいンだよなァ」等々…。今思い返してみても、ちいさな弟に対するそれにしか思えない。
「あれは弟に対する愛情表現のようなものだろう」
そこで初めて不死川は声のトーンを一つ上げた。
「弟相手にンなクソ甘ェこと言うかよ!」
だがそう言われても、冨岡の姉も冨岡が幼いころにはそんな感じだった。だから不死川もそうかと思って疑いもしなかった。だが、一旦それはさておき、
「では、俺と情のある触れ合いをしようとしなかったのは何故だ。弟のように思っているからその気になれなかったからではないのか」
びしりと話の核心を突くと、不死川は目を見開いて押し黙った。ほら見ろ、やっぱり弁解のひとつも出ないじゃないか。
しかしそう思ったのも束の間、
「踏ん切りがつくまで2年以上もかかっちまったからよォ。共に暮らし始めた頃にはテメエはめっきり弱ってただろォが。無理させちゃなンねェって必死で耐えてた俺の理性を、まさかテメエ全く理解してなかったっつゥのかよ!!」
変な逆上カミングアウトをされてあんぐりと口を開けた。え、待て。理解が全く追い付かないのだが。
「だが口づけの時も随分と辛そうな顔をしていた。余程嫌だったのかと」
「歯止めが効かなくなったら困るからってこっちは必死で我慢してンのに、好いた相手に!寝所で!クッソ可愛い顔で無邪気に口づけ強請られてみろ!ンな顔にもなるわ!激しく吸って嘗め回してそのまま押し倒してぐっちゃぐちゃにしてやろうかってェ衝動を、何度蹴り飛ばして飲み込んだか知れねェンだよこっちはよォォ!」
え???何て???クソ可愛い??は??誰の話だ???
本当に、本当に待って欲しい。
「してくれても、よかったのだが??」
「ちょっとした散歩で息上がってる奴に、ンな鬼みてえなこと出来るかクソが!」
ばしん!と叩いた膝の音が、重く鈍く車内に響いた。
「いいか、よく聞けェ」
ふぅぅぅ。長く息を吐きだしてから、不死川が重い低音を絞り出した。
「テメエの言ってるそれはなァ、全部テメエの勝手な思い込みだ。俺は誰にでもほいほいと尽くすような聖人君子じゃねェ。心底惚れ抜いた奴にだから、世話焼いて甘やかして何でもしてやりてェって思うんだろうが。俺が手ェ出さなかったことで変な誤解をさせたことはそりゃ悪かったとは思うが、そういう欲を抜きにしてでも一緒にいてェと思う程には、テメエに惚れてたんだよ」
思い込み?あれが?惚れていた?不死川が?誰に?冨岡に?そんなまさか。いやだけど―――。
想いはうまく言葉にならず、口の中に溜まってぐるぐると蠢いた。
「最後にゃ出ていけみてえなことまで言ってくれやがったなァ。あれ言われた時の俺の気持ちわかるか?」
「そ、れは。お前に俺の最後を看取らせるのが忍びなく、」
「テメエを他のやつに看取らせる方がよっぽど忍びねェわ!それで?挙句変な勘違い引きずったまま、今生では会いもしないうちから逃げたってか?冗談じゃねェ!勘違いも大概にしろよこの馬鹿が!」
がしり。突然物凄い力で顎を掴まれ、強制的に至近距離で視線を合わせられる。
「よーくわかった。テメエにはちんたら遠まわしにやっても無駄だっつゥことだ。そうだなァ。勝手な我慢なんざするもんじゃなかったよなァ。真正面からガンガン攻めなきゃわかんねェっつゥならお望み通りそうしてやらァ。なァに時間はいくらでもある。なァんにもねェ知ってる奴なんざだァれもいねェ赴任地で、二人仲良く愛を育もうなァ」
誰もいない、赴任地?
「―――ま、待て。お前の勤め先はキメツの本校だろう!?」
「つい先日ゥ、理事長の計らいで変更となりましたァ。期間は1年、テメエも同じだァ!そんだけありゃァわからせるには十分だろ」
「は!?ちょ…待っ」
こんなのは完全に想定外。怒涛の展開に頭がついていかない。
「本当はなァ。今生で再開して、また一から今生の愛の形を育んでよォ、それからじっくりゆっくり甘やかして、少しずつテメエを溶かしてその気にさせていこうと思ってたんだけどよォ。そんな時間は必要ねェよな?俺のことを想って俺の前から姿を消す程度には、今でも俺のことを好いているわけだからな?『してくれてもよかった』んだろ?お望み通りさっさとテメエの体に俺の愛を刻み込んで、俺から離れようなんざ一生思えなくしてやらァ」
美しい藤の瞳が、蠱惑的な笑みを湛え、肉食獣の光を放った。
「ちなみに独身寮は2名同室ゥ。こっから先24時間同じ生活だからァ。よろしく頼むなァ冨岡せんせ」
これから一体どうなってしまうのか。冨岡の頭の中に、宇髄の「後悔すんなよ」の一言が、呼び起された。

























